「不思議だ」の日記【世界を蘇らせる魔法使い】

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2019-10-23

昨日は、僕の現実の知り合いの方がやっている音楽グループの、PRML5(プライマルファイブ)のライブを聴いてきた。
PRML5のヴォーカルの方は、僕の良く知っているお世話になった方である。
とても盛り上がって面白かったのだが、売れていない御様子であった。
僕は、売れない歌手にコバソロに出演することを勧める。コバソロはYouTuberの歌手の人で、自分でも歌うほか、他の歌手やシンガーソングライターの方などとコラボして、さまざまな人の歌をカバーして歌う。歌手は女性の方が多いが、たまに男性であることもあり、コバソロさんは楽器やプロデュースをよく担当されている。フーパーズの未来さんやエドガー・サリヴァンの佐々木萌さんなど、他のグループでプロの音楽活動をされている方でも、コバソロで共演したことで名前が有名になってブレイクした人も多く、特に未来さんなどは男みたいにイケメンなのに女の子だと言ってとても有名になっている。また、春茶さんや杏沙子さんなど、主にコバソロでさまざまな歌手のカバー曲を歌って、そのまま有名になった方も多い。特に僕はコバソロでフーパーズやエドガー・サリヴァンなどの存在を知った。僕の音楽知識ネタも多くがコバソロ由来である。
ただ、PRML5のメンバーの方々がどう思うかは定かではない。僕なりの助言あるいはアドバイスである。参考にされなくて構わない。
僕は、意図していないことが起きるのが怖いだけである。それが分かると、楽な精神になる。
人間は、想定外も想定内も、バランスよくどちらも必要である。ある程度の想定外を想定しながら、想定内にしていくこと、これが、何をする上でも必要である。想定内と想定外を上手く処理する力を大人という。
また、強迫性神経症になっている人は、僕のように、全てのことを真面目で完璧にこなそうとしている。だが、これには無理がある。そういう人間は、「いいかげんで適当にやる」ということが許容できなくなっている。だが、まわりに迷惑をかけるより、いい加減で適当に生きた方がマシである。そういう風にすれば、精神病は治る。
足の問題とは、ねじれやずれである。少し、傷痕よりも周辺の部位を殺すと治る。だが、精神を殺しすぎるのは良くない。悪い部分をもっと殺そうとして、良い部分まで殺してしまうのを、精神は拒否する。必要最低限の部分だけを殺すようにすれば、少しの恐怖が伴う代わり、すぐに精神は楽になる。
あとは、本当は僕の周りで、戦いも支配も起きていない。僕の文章は、まだ誰も読んでいない。だから、怖くない。
そして、人々に対して想定外を起こすのはよくない。みんなはそれで辛くなっている。想定外もたまに起こしながら、それぞれが想定内で生きられるようにすれば、自分も想定内で生きられるようになる。だからといって、全てを意図した通り起こそうとするのは良くない。意図せずに起きる、ということができなくなってしまうと、精神は暗闇になって何も分からなくなる。少しばかりの意図しない動作も許容すれば、多重人格も治って、自分なりに自由に思考できるようになる。
最後に、ひとりの共産主義者となって、全員のことを支配もせず放っておいて、何も起きないようにして、自分のことだけ治し続ければ、誰でも精神の病気は全部治る。最後まで、耐え続ければ良い。これが、最後の戦い、神々の黄昏ラグナロクである。
このまま、過去の経験も未来の展望も消え去って、新しい星となる。
精神を治すためのコツは、すぐに治し切ろうとしないこと。治りそうなことがチャンスに見えるからといって、そのチャンスだけを見てタイミングを逃してしまう。本当は、そのチャンスを失って、そこでいったん消え去って、そしてそのまま「保持」して、その保持したことから治せば、精神はすぐに治る。説明が難しいが、すぐに治し切ろうとするのではなく、あとのタイミングで治したり、治るのを有効に活用すること。
昔の僕は、「文化の創造」のようなことを言っていた。この世界で、常にありのまま生み出されている価値が、いかにアイデンティティとなり、いかに文化となるか。創造性や環境で活動し得る可能性を知ることで、文化を創造する。最近の僕は、文化を創造していないと思う。それは、あまりに既にあるものしか見えなくなっているのだ。
そして、僕の精神が治るのと同時に、この世界が終わる。まさに、全ては「僕のせいだ」と言えるだろう。だが、僕は僕のせいであることを、むしろ光栄に思う。こんな引き篭もりにも人々を救うことができたのだから、僕には満足と恐縮はあっても、怒りや悲しみは無い。そう、この世界の滅びが僕のせいであるとしたら、僕の行為は認められた。僕はそう思う。