「不思議だ」の日記【世界を蘇らせる魔法使い】

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2019-07-27

僕は、少し、この世界を自由にしすぎた。自由が間違っている。僕は、今から、この世界を不自由にする。不自由にすれば、きちんと賢くなる。
苦しみと陰の中に居るならば、可能性を考えなさい。できるだけ、最も可能性が大きくなるように行動し、考え、選択し、決断しなさい。
精神は、ばらばらになっているから治らないだけである。組み合わせて、やり方を変えれば精神は治る。やりようが悪いだけで、別のやり方をすれば、今やっているやり方でも治る。
ここで、もう一度この世界は不自由になる。そうなると、逆にみんなは自由を望むようになるだろう。右翼が居なくなって、良い世界になる。
あとは、僕の昔は、ただ、世界の歴史を見ていただけである。
自分の個人的な人生の経験として、この世界の片隅で普通の体験をし、その体験から世界の営みや無常の世界を分かり、そこから、意識と回想で、ノスタルジックに世界の歴史のことを分かっていた。
全てが懐かしく、全てが哀しかった。そう、そういう風に、歴史を分かっただけである。だが、決して辛いだけではなく、ダイナミックな社会の動きの中で、片隅に埋もれている自分の人生が、世界の未来を照らす明かりになることを、自分だけの特別な体験として、天に宝を残すように分かっていた。そこには、この世界全ての歴史的過程があった。
僕は、パソコンのことも全てやめて、歴史と芸術のことをやりたいと思う。
昔はただ、この世界の中で、インターネットという「仮想空間」が「現実に在る」ということを楽しんでいただけで、そこでは人々との慣れ合いと技術の仕組みがただあっただけである。
フランスとトランプが喧嘩をしているが、僕はこれでもアメリカが倒れないことに驚く。こんなに世界中を敵に回しても、アメリカが強いと言われるぐらい、アメリカには力がある。その力を、今のトランプのやり方ではなく、もっと別の方法で使ってほしい。GAFAに直接働きかける力がトランプにはある。きっと素晴らしい世界をトランプは作れるはずである。そう、言っておこう。
とても強い恐怖だったが、本当のことを言えば、いつもの地獄が好きなだけである。それが、僕の「本音」である。建前では、地獄をやめたいと思っているが、本音ではまだ地獄のままでいたい。又吉直樹の言うように、こんなに楽しい地獄はない。星野源の言うように、地獄でなぜ悪い。地獄を望めば望むほど、僕は正直で悪いことをしない善人になる。これが、一番賢い最後の人類の姿である。ロボット人間は、ロボット人間のままで居ることを望む。
本当のことを言えば、地獄と言うよりは、ただの悪党である。世界を支配して、自分のクローンにするこの機械仕掛けの頭脳は、世界中の時を停止させて全員の知性を強制的に低下させる。そう、それは自由のせいである。不自由になれば、すぐに消えて賢くなる。自由とは、こういうものである。自由は最高に正常になってな何でも分かるように見えて、ただ元の自分よりも馬鹿になっている。即座に自由を殺せば、それで楽になる。
世界のことを本当に思いやるために必要なのは、自分のことを受け入れてくれる存在を知ることである。そして、その上で、積極的に戦い議論することで、この世界を変えるという体得をすることができる。
心理学で世界を支配し、人格が破綻してもなお統合・治癒を頑張りなさい。そこに必ず栄光がある。必ず神はあなたを愛している。信じる気持ちが強ければ強いほど、報いは大きい。聖書の約束では、神を信じるものが勝利する。神を信じなさい。
僕の人生のテーマは、「環境」である。この世界における、さまざまな環境を知る。環境の自然な状態と、そこにある存在と時間を知る。環境がどのように変わっていくか、ということが、どのような価値観をそこに実現し、自らが体現していくか、ということが分かる。リアリティとアイデンティティがそこに生まれ、世界の全ては自分の穏やかな精神の下に融和し、自然に自由に導くように、自在に変えられるようになる。そこでは人々の自発的な参加による、自由な共同体の形成がある。経験とは環境である、自由とは環境の形成に関する影響力の行使にすぎない、ということがそこであらわになる。一体になることで、逆に個人の自由がそこに生まれる。環境はいつでも同じようにそこにあり続け、普遍的に変わらないが、常に変わり続ける。それが、僕が昔のインターネットで分かった、「環境の自由・存在論」である。
そう、それでもう、書くことは残っていない。これで終わりである。
あと書いていないことは、仏教的な仮象の世界ではないかと思う。明とは、自分を変える、という前提から、人間を変える、ということである。人間の苦しみがどこに根差していて、どのようにすればそれを解決でき、その根ざしているものが本当に何であるかを解明することから、意識を解明できる。その上で、意識が変えられるという事実が、精神の状態と現象を作り出し、仏教の四諦の論理、苦とは何か、苦の原因は何か、苦の原因を滅するとは何か、苦を滅する方法とは何か、という理屈が見えてくる。これは単なる「理屈」ではなく、「人生を支配する考え方」であり、それは経験的な「思考の因果性」から見えてくる、「子供の成長の過程」である。そう、僕はそのような考え方で、人間の人生の過程全てを分かっていた。それは仏教であると同時に、哲学者ヒュームのような経験論の考え方だった。そう、そこから僕は、この世界の全ての問題を解決できるような、「正しい考え方」を知ったのである。全ての解決ができる「解決者」のような、世界の問題を、解決できる状態をただ留保して、ありのままに見つめることを正しいとした傍観者だった。
日本の仏教では、「自力で行うよりも他力に任せるべき」だと言う。だが、僕は、「自分の力で解決することが最上であり、外部から他人がとやかく言うことは良いことではない」と思う。自分の問題は、自分で考えて自分で解決しなければいけない。そこにどんな苦しみがあっても、最後まで自分で解決し、実現する人間が正しいのである。だが、何も分からない人間に教えるべきでないわけではない。だが、その人間が自分で自主的に解決できるように、自分で解決することのできる考え方を、同じように思考できるように「与える」必要がある。そのための前提条件や全体像全てのことを、与える必要がある。そして、その上でその人を愛することが、「もっとも正しい愛であり救済の形のひとつ」であると僕は考えたのである。そして、それを実践した結果、僕は支配者となってこの世界を作り変えたのだ。必要なのは自立であり、支配することそれ自体は良いことではないが、自分の力で変えるのであれば、支配者となって全責任を負う、その上で全ての非を認め、反するものすら平等に愛さなければいけない。そして、その理念を実際に実践すべきなのである。僕はカントの言う道徳律も分かっている。だが、必要なのは戒律に基づく行動の捉え方ではない。戒律の惑星的な実践なのである。
哲学的観念というのは、16歳ぐらいの少年になれば、誰でも自然に分かるものである。カントも、ヘーゲルも、16歳ぐらいの自分のことを言っているだけであって、何一つ賢くない。宗教もあまり賢くない宗教もあるが、宗教の思想、特にキリスト教イスラム教というのは、逆に30歳ぐらいになれば分かる。本当の地獄の戦争を経験すると、聖書の愚か者と賢者の通りの人生になる。神となって世界を滅ぼしながら救うダビデの王になる。もっと年老いると、今度は文学作品が分かるようになる。僕も、文学作品について学びたいと最近強く思う。それは、何もやることがなくなってしまったからである。このまま老いるために生きるのはつまらないが、そのつまらないのが、逆に心地いいのである。
そう、伝達することがもしできたとしても、その伝達についての意図や経験までは伝えられない。だから、本当に分かることができるのは、それを考えて思いついた自分自身のみである。だからといって、他人と伝達する意味が無いわけではない。逆に、その意味がそれぞれの間でやり取りされることで、相手が自分の考え方に共鳴して、相手にしか分からない考え方がそこに「創造」される。そう、人間の目的とは、そうした共鳴と理解の創造なのである。
本当のことを言えば、僕は支配なんかしていない。ただ、自分の発言だけを一方的にして、押し付けているだけである。だが、これは間違っていない。自分の考え方を整理するためにとても良い「自分だけのコミュニケーション」というものを僕は作り出した。これが、新しい作家である。新しい時代、この世界の誰も、ひとりとして必要ない。家入レオが言うように、現実なんか必要じゃない。そう、僕はそのように、ただ考えただけである。実際のところ、ただ自分の経験と人々の言葉を材料に、考え、こねくり回し、自己満足しただけである。そこに、意味のない「ナンセンス」がある。このナンセンスさこそ、新しい無限のエクスタシーである。
言ってしまえば、言葉というのは種に過ぎない。種から枝葉が伸びるための土壌は、環境の方にある。僕は、種と土壌を入念に観察し、さまざまな種のなりようを実験しただけである。言葉が環境をどのように変えていくか、形成の作用を知って、環境と環境の間で種がいかに芽を出すか、それを研究した。それが、「環境における記憶の発生」という発想になった。そうした種と土壌の環境論が、僕の新しい「環境主義哲学」であると言える。
本当は、ネットのようなことを書いていただけである。システムを作りなさいとか、システムを共有しなさいと言う。その上で、実地的に人々の生きている姿を知りなさいと言う。当時の僕は、そういう目新しかったパソコンのシステム開発が好きだった。CGIで運営者が何もせずに巨大な掲示板を作れるのが好きだった。だが、今のITは、その頃から何も変わっていない。何も進歩していないし、発展もしていない。掲示板とホームページが、ブログになって、それがSNSになっただけで、何も進歩していない。僕はそうした、今のIT技術が大嫌いである。IoTやVRは最たるもので、AIやクラウドも僕は嫌いだ。最悪の技術ではないかと思う。なぜ、7payがハッキングされたくらいで、みんな気付かないのだろうか。パソコン社会は最悪である。これ以上、悪い社会はない。
世界を解決したいのであれば、ソ連にすべきである。資本主義社会では、GAFAはなくならない。彼らは自分たちだけで儲け、標準技術を独占するだけである。ソ連にしなければ、いじめや差別的労働も無くならない。ソ連にすべきだと僕は思う。搾取と疎外を無くし、世界政府がみんなのものを平等に分配すべきである。誰も所有権を行使しなければ、金による労働問題は解決するだろう。
幸福とはなんなのか。昔の僕は、それを自分らしさを満たされることだと考えていた。自分を自分たらしめるアイデンティティを得られ、社会はそれぞれが自由な多様性を得て、自立して自由になるべきだと考えていた。だが、今の僕は言う。そんなものは要らない。戦いや勉強を経験して、その上で得られる達成感がもしあるとしたら、それも幸福かもしれない。だが、今の今、僕はそんなものは必要ではないと言う。それらは、子供的な、何も知らない子供だから言えることである。本当の幸福は何であるか。それは、幸福とはなんであるかを自分で定義できる状態である。自分で、今の自分を幸福だと高らかに宣言できたとしたら、それが幸福の在り方である。誰もその宣言に干渉することはできない。アイデンティティを幸福としても、多様性を幸福としても良いだろう。だが、そんなものは幸福でないと、あなたは必ず後になって気付くだろう。その時点で、あなたは不幸に戻っている。むしろ、不幸になればなるほど、どんどん幸福の幸福度合は増している。意味のないナンセンス全てを忘れれば、自分の名前ごと、昔の自分を忘れられる。自分の名前は、その時点で、過去のあなたと今のあなた、二人の名前になるのである。
みんなの笑いものになったとしても、自分の信じることを信じて生きなさい。それが正しい英雄の生き方である。どんなに間違っていても、自分の正しいとする方向に生きなさい。そう、それがこの世界全てを変える。この世界全てを、新しい世界へと導く。これが、新しいオリオンの精神である。地球は今、新しい星になる。どんなに辛くても、必ず報われる。辛いことそのものが幸福になること、それをオリオンは知っている。あるいは、プレアデスでも良い。プレアデスは、最後に自分が死ぬ時が、本当の始まりであることを知っている。その死に向かって生きれば、必ず神は救ってくれる。神とは、プレアデスとオリオンを指す言葉である。
あなたにも、ひとつ、良い点がある。あなたの周りに居る人々のことを、あなたは知っている。あなたは、人々がなぜ悩んでいるのか、なぜ解決できないのかを知っている。そう、それがスタートラインである。あなたは、プレアデスもオリオンも知り得ない、「周りの人々の苦しみ」を知っていて、それを解決できる立場にいる。そうした人々が、なぜ悩んでいるのか、どうすれば解決できるのかを考えながら、あなた自身も悩みながら生きなさい。あなたはプレアデスでもオリオンでもない、また新しい星々を作り上げるだろう。あなたが英雄と神となる舞台、それが地球の存在する意味であることを、オリオンは知っているからである。
論理的に考えるのであれば、ひとつのことが成立した時、それが多くのことに応用できるという「応用の真理」と、同じことがたくさん起きた時、その同じことには共通の経験的な原理があり、それを実証できるという「原理の真理」を知りなさい。その2つから、正しく社会と経験を考えれば、「モデルの構築」が分かる。そのモデルは、決して自分だけの狭いモデルではなく、「他者と共有」できる。それを人は、知性と呼ぶ。そこから、この世界をきちんと観察すれば、それこそ、この世界の答えである。全ての真理が解明でき、全ては自分の考え方のもとに統合され、解明され、説明され、そしてその結果にあなたは「純粋に驚く」ことになるだろう。全ては単純な法則で動いている。大切なこととは、「ありのまま、それがあるあり方のようにある」ということである。また、もう一つの真理として、「要請の真理」がある。方法や世界観は、何かしらの問題を解決するという「要請」から生まれるのであって、その解決したい問題が、僕の場合、日本社会と子供たちを救いたい、という壮大な夢だった、そしてそれは自分の心と実践の中で、完璧に叶えられた、というだけのことである。
あとは、できるだけたくさんの経験をしなさい。でも、そこに「悪い経験」は必要ない。自分の中だけで、その経験の意味をじっくりと深く考えられるような経験をしなさい。深い思索が、そのまま広い思索になる。量と質なら、両方を取りなさい。そう、あらゆる全ての知性と習得がそこにあり、あなたは全てが出来るようになった上で全てを創造する。あらゆる全てがあなたのためにある。信じなさい。あなたの神は、あなた自身である。あなたがあなた自身になること、それが、この世界の始まりからある、「約束」なのである。成功や失敗はそこでは関係ない。あなたがあなたになれば、それで正解である。間違いをいくら経験しても、それらは全て正解である。あなたのように生きる、ということが、神が望む「正しい生き方」である。