「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2019-05-24

高校数学は必要ない。必要なのは、パソコンと中学数学。他に何も必要ない。
数学は、空間と時間が分かるとできる。数学や物理では、空間と時間を前提に、数と量、物質と力、などを考える。基本にあるのは空間と時間である。空間と時間が分かる人間なら、できる。
高校数学の問題は、基本的な法則性の方を教えるせいで、応用的な具体性が見えてこない。だからといって、大学の数学は用語が多く、理解できない。
数学は必要ない。
必要なのはコンピュータである。僕は、テレビゲームとUNIXからすべてを知ったに過ぎない。そして、その結果、逆に騙されて、馬鹿になった。コンピュータは善ではない。コンピュータはサタンである。
必要なのは、本当はコンピュータですらない。「あいまいなところから確かさを分かる」ことが必要なだけで、そもそもコンピュータの悪魔的な論理も必要でなければ、大学の知性も必要でない。サタンは、真実よりも嘘が正しいと勘違いし、結果自分を自分で追い込んで地獄にする。大学は、正しい知識を詰め込むせいで、「あいまいに考えることができなくなる」ようになる。
必要なのは、純粋な心と、世界を渇望する「自由なエレンの魂」と、そして「たぶん」や「かもしれない」や「はず」から考えることのできる、「あいまいな世界の中でこの世界を理性的に分析する心」である。
ただし、心だけではサタンになってしまう。世界と人間を切り離すのが間違っている。必要なのは、そうした純粋な不確実な確かさと、その上で「自分のやりたいように経験・思考できる環境」、そして「この世界における生の声」である。それがあってはじめて、神の人生は成り立つ。
仮想的に行動するのではなく、現実を見ること。それができれば、精神で自分を地獄にする「精神の仮想世界と仮想行為」は治る。
精神を治すためには、まず、3つの段階がある。1つ目は、「辛くても使うこと」。この辛くても神経や精神を使う、ということで、悪いものを強制的に殺すことができる。2つ目は、「辛くてもやること」。辛くても精神を使うことで治るのであれば、精神に限らずどんなことであっても、辛くてもやることで治る。そして、最後の3つ目は、「辛くても使わないこと」。すべての精神を総動員して治した結果、ほとんどのことは治る。一番辛いのは、辛くてもしないこと、辛くても何もしないことであり、それを耐えることで、「完璧な精神」がそこに生まれるだろう。
「たぶん」や「かもしれない」から考えれば、誰でも人生の段階を開拓できる。それができるのは、中学生で学校をリタイヤした人間だけである。
本当に僕が怖かったのは、近親相姦である。ネットの、妹と兄がセックスするような画像が怖かった。それがいつまでも、僕の人生をむしばみ続けた。そういうもののせいで、精神や無意識そのものがおかしくエロくなっている。治すためには、そういうもののない人生を新しく生きること。
最後に、仮想的なもの全ては間違っている。現実的なものだけを見て、「なぜ」や「どうしたら」で考えれば良い。哲学とは、命題を考えることに他ならない。命題をきちんと考えられれば、それで、考えることも終わりである。
僕は、これ以上本を読まない。これ以上、活字や文章を読む必要はない。これ以上は、知ることよりも、作ることである。色んなものを作ることで、見えてくる別の世界がある。何もせずに推測だけでわかっていれば、いつまでもありえない未熟な天才のままである。きちんと自らできるようになれば、天才は職人へと変わる。マスターは間違いをしない。分かった上で堂々とやれば、失敗しない。失敗をせずに考えることで未知を分かることは確かにできる。失敗の中から見えてくるものもある。だが、それは今までの人生で十分である。ここからはきちんと正しくできるようになるまで、同じことを繰り返しするしかない。同じの繰り返しができる人間は、自分の何が間違っているのかを知ることができる。それがソクラテスのいう、「無知の知」へとつながる。
哲学は、「この世界がなぜ生まれたのか」や「何のために生まれたのか」を考える。僕の答えは、「真・善・美を追求するため」である。正しい答えを自分なりに見出し、善となるべくして正しい人生を生き、美となるべき正しい調和を見出すこと、それが人生の意味であると同時にこの世界の目的である。誰が生み出したのかは、明らかに宇宙の全部を知るまでは分からない。宇宙の何があるかを知らずして、その何がどのように生まれたのかを考えることはできない。
僕と全く同じように分かりたい奇特な方は、「仮象の世界のモデルを作る」ことから分かると良いだろう。だが、そうではなく、別のものを作ることから分かることもできる。あなたには、あなたなりの、何か別のものを作ったり知ったり考えたりして分かってほしい。それで、あなたは自由になれる。僕は、モデルを作る以外にも、分かる方法をたくさん知っている。たとえば、法律や数学のような「法」から分かることもできる。特に、法律を改善し、改良し、どのように作り出していくか、というプロセスを、僕は昔から良く書いていた。覚えていなかっただけで、そういうものからも、同じようにマスターへと近づける。他には、「言語」から分かることもできる。あるいは、「失敗の実体験」から分かることもできる。僕の文章は、そうしたさまざまなことを、「書く」ことから分かっただけである。仮象の世界はわりと普通だが、書くという行為は全く外れた道である。だから、どんなに外れた道を通っても、僕よりも良い道を通ることができるし、もし壁にぶち当たった時は、僕の言葉を参考にすれば、どんな困難でも乗り越えられる。僕の人生は困難の連続の歴史だったが、その都度、必ずどこかに道の望みがあった。あなただけが、望みがない、とは言えないだろう。必ずどこかに出口があるのが、この宇宙の「人生」という体験である。そして、最初から、その出口を通り抜けることが分かっている世界、それがこの「宇宙」という名前の、専用のフィルターを通して見ることでしか知ることのできない、遊び場である。なぜか、そういう「フィルター」を作ることから分かる人間が一番多い。