「不思議だ」の日記【世界を蘇らせる魔法使い】

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2019-01-03

今日は、生物学の講義を放送大学で聴いていた。
僕が生物学をしたい理由は二つある。第一に、生物学が一番、「不思議なもの」が多い学問であること。特に、数学や物理学、経済学や心理学、哲学や歴史、あるいは文学や英語学は、自分にとって、もう、不思議なものではなくなってしまった。自分が本当に不思議だと感じられるものは、生物学だけである。花がなぜ綺麗なのか、人間がなぜこんなに賢い体をしているのか、そういうことは、全部生物学である。
もう一つの理由は、僕の人生には、生物学しかなかった、ということである。これは、ペットのネコや農場の野菜たち、馬の世話や、怪我や病気、障害などが、全て生物学だからである。もっと言ってしまえば、コンピュータでロボットやAIを作ることや、Illustratorすら生物学である。Illustratorを生物学に入れる理由は、生き物のデザインが多いからである。特に、動物と花のデザインが多い。そうしたもので、キャラクターを作るのは、アニメや小説にも多い。
僕は、進化論自体は間違っていないと思う。こんなに多様な生物の生態系は、少しずつ変化して生まれたのは明らかに正しい。だが、僕は、突然変異が完全に偶発的に偶然起きる、というのは違うと思う。進化を決定するDNA、言ってしまえば「DNAの基になるもっとトップレベルのDNA」が地球には存在すると思う。その「DNAのDNA」の通り生物が進化したのではないか。
ただ、本当は、放送大学が分かったことで、僕はもう、この世界の全てが分かった。それはなぜなら、放送大学が僕の行っているデザインの作業所と同じ環境だからである。大学は、馬鹿だとよく言われるが、それは大した知識でないものをみんなで学びながら、だらけた環境でやっているからである。言ってしまえば、何もしていない。だから、子供が悲惨になる理由は、子供は大学を知らず、大学が嫌いだからである。大人は、大学のせいで馬鹿になる。
ただ、僕はIllustratorの作業所に長い間通っていたおかげで、大学ができるようになったと感じる。作業所でやるデザインと、大学の講義の視聴(僕はネットで視聴している)が、同じだからである。このまま放っておけば、別に生物学に限った話ではなく、哲学や情報のような、僕のやりたい科目を自由に勉強できる。それが最も正しい将来設計だと思う。頑張って明日も第二回の講義を見たいと思っている。
それから、デザインはそんなに難しいことではない。ある意味、僕はPhotoshopの効果やフィルターだけが分かっていない。そこらへんをきちんと分かったら、それで何とかなるだろう。Javaも出来るようで出来ない自分だが、デザインと英会話だけは続けようと思っている。逆に、ピアノをどうするかで少し悩んでいる。絵画スクールに通った方が絵は描けるだろう。だが、幼いころからやっているピアノを続けた方が、音楽の才能と技術はつくと思う。ここで諦めずに続ければ、いつかプロ並みに弾けるようになるのではないかと思う。
あとは、有名になりたいのであれば、スラドで書けば良い。スラドで書けば、誰かが見るだろう。だが、本当は僕はもう、有名になりたいような欲はない。そもそも、嘘を書いて騙しているだけである。こんな文章が流行るわけがない。技術や大学のサイトなんか、いくらでもあるだろう。質や量の面で、それらに勝つことはできない。
数学や物理や哲学や心理のような、「考えることで分かる学問」は、昔の引き篭もりオタク時代の自分が全部考えて分かっている。全ての経験と成長から、哲学や倫理や宗教のようなことも分かっている。そして、最高の科学のようなものは、昔全部作っている。自分が賢いのは、それらをいつも書いていたからである。大学より賢いのは、こういう、「書く人間」である。書くことをやめない方が良い。書く人間だけが、大学に勝てる。そういうわけで、僕は昔から、Linuxや文章書きのような「大学より賢いこと」を好む。中学生にこういう人間が多い。中学生は、大学が全く無いのに賢い発想をするせいで、大学よりも賢い。逆に、青春の中で争い合う高校生が馬鹿になる。高校なんか、行かない方が良い。青春なんか、経験しなくても、あとで大人になってから経験出来ることを、僕は知っているからである。
あとは、英会話学校に長い間行っていたことで、最近英語が聞き取れるようになってきた。洋楽などを聴いていても、昔は「スピードが速くて何を言っているのか分からない」だった歌の内容を、今では「何をどのように表現しているのか分かる」ようになってきた。英語のコツは、単語と単語を組み合わせて分かることである。2単語で成り立つところはその組み合わせで分かりながら、1文のように長くなるところでは単語がどのように単語に言っているのかを知る。そして、「何を言いたいから何を言っているのだな」ということが分かるようになれば、聞き取れる。言ってしまえば、スピードラーニングは、聞き取れる人間が作った、「最速で聞き取れるようになる教材」であって、万能に誰でも効果があるわけではない。英会話学校で長い間やっていれば、聞き取れる。僕という存在がそれを証明している。僕は高校の英語なんか一切やっていない。その代り、子供の頃から英会話学校に通っている。インターネットでプログラミングのことを学んだ時に、いくらかの単語を知っている。単語帳は、基礎の1冊だけ、数か月かけて最後までやったことがある。その時は、ノートに日本語を1回、英単語を3回書いて、既に覚えているような単語を書き並べただけである。大人になって通い出した大人向けの英会話学校は、きちんと行くようになってからもう、6~7年になるだろう(通い出した時期を正確に覚えていない)。だが、もっと前から入っていて、最初にやろうとしたのはフランス語だった。その頃から数えれば、もう10年である。
そういうわけで、一通りのことはできるようになった。ピアノは、最近、少しずつまともに弾けるようになってきた。以前は間違いだらけだったのが、最近はあまり間違えなくなった。だが、今でも、音符を読んで弾くまでに時間がかかる。もっと、楽譜を読んで瞬時に弾けるようになれば終わりである。左手は、もっときちんとコードを覚えれば、楽譜通りではなくても、コードで弾けるようになると思う。今でも、練習すれば両手で弾ける。そもそも、練習するのであれば、子供時代の僕でも、きちんと覚えれば弾けるのがピアノである。
問題はデザインである。先日買ったイラレのデザイン辞典の本を、時間がある時に開こうと思っている。自分は、本当はもっとデザインのことがやりたい。どうにかして効果を身につけたいのだが、まだまだである。まだまだ課題は多い。ワルキューレの絵画も模写したいのだが、簡易的なデッサンレベルの模写をしたところで終わりになってしまっている。デザインをどうするかは永遠の課題である。だが、このまま続ければ、自然に技を身につけ、手法と結果は必然的に極まっていくと思っている。
僕は、英語について言えることは、「ものよりも人間のことを考える言語だ」ということが言えると思う。日本人は、全てをものだと考えたがるが、欧米人は、全てを「人間の関係と支配」と考える人間が多い。それから、日本人と西洋人の気質として、日本人は自然に調和した文化をするが、白人は自然を支配するものだと思っている。だから、日本人は、パソコンや近代文化が自然を破壊したり、自然でない発想をするのを嫌うが、欧米人は本気で現代文化が自然を破壊したり支配したりすることを良いと思っている。だから、自動車やソフトクリームのようなものを好む。日本人はそうではない。日本人は、健康や長寿、自然な美しい表現や生命力の強さを好むのである。西洋の洋楽と日本の邦楽を比べると、西洋の音楽には狂っていても賢い演出や効果を利かした音楽が多い。日本の音楽は、異性への愛や精神の正常な進歩を歌った歌が多い。
父親が今日言っていたこととして、「全ての生物に、全生物を包括するDNAがあるのではないか」ということを言っていた。人間には羽や鱗はないが、それはONになっていないからであり、たまたま人間の部分がONになって生まれていただけで、たとえば羽を生やす部分なども、鳥と同じように人間も持っているのではないか、ということである。ONやOFFとは僕の考えた言葉であるが、僕はそのDNAのONやOFFの情報が、そんなに全部合わせても多くないのではないかと思っている。おそらく、進化するとは言っても、人間が最高の最終形態ではなく、蝶のように進化していくことも進化と考えられるだろう。父親は、そういう趣旨の話をしていた。