「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-08-13

精神病になったら、自分の出来ることやすべきことをするよりも、病気の方を優先させなさい。
善良な義務感に従うよりも、楽しく生きる道はきっとある。執着心を断ち切った時に、人間は良いことが出来る。あとで何かが分かるようになる。
安心させるために不安を奪うよりも、不安を与えてそのままにした方が、人間は安心できる。誰かに依存するのではなく、自立して自分の力で出来るようにならなければ、人間は不安になる。
社会は、それぞれが自立して生きられるようにしなさい。自分たちのことは自分たちで出来て、決められるようにしなさい。福祉や教育で子供たちに教え、弱者を支援する時も、それぞれを自立させるようにすることを基本としなさい。
不安を共有し、分かち合う体験をしたものは、どんな不安や恐怖があっても動じない、「王」になることができる。ネットは不安を共有するための場である。青春時代に、みんなと不安を共有する体験をしなさい。そこから、本当の愛と社会における実践を知ることができる。理論や社会構築も、自分の目で確かめて行い、吸収することができる。
出来ることなら、それぞれがそれぞれの環境や社会を作り、変えられるようにしなさい。参加することができる社会構築の方法を、みんなで共有しなさい。自然に社会を作り、自分たちの力で多様性を構築しなさい。それぞれが争い合う未熟な社会は、ひとりの指導者を生んだのちに失敗し、その反省から全員の平等となるだろう。
相手が、自分で出来るようにしなさい。自分で判断でき、自分で行動でき、自分で考え、自分で生きられるようにしなさい。支配者が必要だと言うなら、自由を奪うのではなく、安心して考えられるような安定を作りなさい。動乱の中で支配と影響力を争う世界では、人々は何も考えられず混乱の中で生きるしかない。この世界が安定し、何も起きない平和ならば、人間は自分で経験し、考えることが出来るようになる。正しい社会とは、そうした平和があって初めて生まれるのだ。嵐のような動乱を与えても、何も残らず滅びるだけだ。
子供は、青春を何かに捧げる生き物だ。だが、何もしない、何もない世界では、子供も何もしなくなって、世界は滅亡する。この世界がたとえ悪で滅びていようとも、何かをするよりもしないままで放っておいた方が、人々は自分でこの世界を救うように志望して賢くなる。それで良い。それが賢い世界だ。
日本は、ドイツがやったように、だが武力ではなく話し合いで、ロシアとつるむべきだ。武力で併合するのは良くないが、ロシアは近代国家にとって「最良のパートナー」であると同時に、日本とつるめば「補完的な関係」を築くことができる。アメリカに対抗はしたいが、経済的な側面から力を失っているロシアにとって、日本は最良の補完的なパートナーとなる。日本はロシアとつるめ。それが出来たら、むしろ、この世界の全てを敵に回しても、ロシアと日本だけで世界に勝つことができるだろう。アメリカやEUなど敵ではない。
僕が思うに、ヨーロッパ型の帝国主義の問題点とは、「武力で統治し、武力で併合し、武力で制圧し、武力で手に入れる」という、全て戦争と軍事力で手に入れようとする点である。わざわざ、相手を押さえつけて、その上で手に入れるヨーロッパ型のやり方は、犠牲と死者を生む。僕が思うに、平和的に統治し、平和的に併合し、平和的に制圧し、平和的に手に入れれば良い。平和的に一緒の国になって、平和的に協力すれば良い。グローバル主義の長所とは、「金で戦い、金で競い合い、金で協力する」というところだが、もっと進んだ考え方として、国という発想を無くし、契約で統治する、という考え方がある。全員の誓いと決まり事によって、契約で平和的に併合する。これがもっとも正しい世界政府である。よって、ロシアと僕は絶対に戦争しない。平和的に一緒になって、協力し、共存し、その上で補完的な関係を築いて、最良のパートナーとして最強の世界政府を作り、アメリカにもEUにも、これまで歴史上見たこともないような、「最高の連邦」を作る。それがきっと、僕なら出来るだろう。ヒトラーの野望の全ては、「戦争」と「虐殺」という間違った考え方から生まれた。必要なのは「平和」と「共存」である。
日本のやりたかった「大東亜共栄圏」も、本当は戦争ではなく平和的に作れば良かった。特に、共産圏に平和的に併合せよと言いたいわけではない。だが、ソ連の目指していたものも同じだ。きちんと日本人とロシア人が協力し、お互いの力を二倍以上に発揮できるようにすれば、きっと世界は平和になる。ドイツにも勝てるはずだ。
そろそろ終わりにする。またいつか、会おう。
僕が居なくなるのと同時に、この世界は「絶対に失敗しない世界」から、「失敗する世界」へと変わる。僕が最後に変える。
昔の僕は、たくさんの失敗をして、失敗を乗り越えて分かっていた。それが分かると同じことが出来る。さまざまなことを試して、なんども同じことに挑戦して、駄目だった経験をたくさん繰り返して、それで新しい正解を見つけ、全ての正解を見つけた人間だった。
最近、失敗しなくなった。同じことに苦しみ、同じ試練の中で、必ず失敗しないで常に成功し続ける、そんな大人になった。それが良かった。だが、真実はそんなに善良な人間ではなかった。
セカオワが言っているように、さようならとありがとうで苦しませたのを、僕は分かっている。最悪の性格だと呼ばれているのも分かっている。だが、僕はここで居なくならなければならない。そうでなければ、この世界を治すことができない。何より、僕の病気も治ることができない。あなたを苦しませて本当に申し訳ない。僕の最後に出来ることがあるとしたら、「不安を受け入れてほしい」ということだ。この際限のない奈落の底まで続く不安を、受け入れてほしい。そこにきっと愛が芽生え、永遠の涅槃の境地がそこにある。そこから、自分で見た今までの全ての光景を信じて、この人間のやっていることの先を行き、今度はみんなに同じことをしてほしい。光景を自分の手で作ってほしい。もう、あなたは「追従者」ではなく、「後継者」である。そして、この僕は満足して、もう永遠の眠りについて、目を覚まさないだろう。僕という名前の美女のささやきはもう終わった。この愛を信じても良い。でも、本当は信じなくても良い。この人間を、馬鹿だと罵り、批判しても良い。僕の導くようでないように生きても良いし、僕の教えたことで無いことの方を取っても良い。自分の手で、自分なりに、知識と人生を生きてほしい。出来ることなら、「関係ない」と言って、信じないで自分の道を歩んでほしい。僕の期待している結果にならなくても、あなたの期待する結果を取ってほしい。それが、僕がこの世界を見て、あなたに教えられた「希望」であるとするなら、決してあなたの「片思い」が僕に届かなくても、それは別の誰かに届く。その時、その誰かは「仲間」であり、「同志」であり、もしその誰かが僕でなかったとしても、その誰かを「仲間」として認めることは、僕らにとってはたやすいことではないかと思う。
まあ、うだうだ言っているだけで、先には進まない。僕を愛する必要はない。あなたの愛がどれほど強くても、それは僕には届かないし、あなたがどれだけ苦しんでいても、僕はあなたの苦しみを知ることはできない。あなたの愛も苦しみも、ここには届かない。
何を言おうと確かなことは、「あなたにもあなたの言いたいことがある」ということだ。なぜ、この世界で僕が生まれたのかを考えてほしい。そこから、あなたが誰かに相応しくなる道が見えてくるだろう。誰かがあなたを相応しいと思うだろう。あなたも、その誰かを探してほしい。人間にたとえ意味がなかったとしても、この世界であなたという人間が生きている、そのことは変わらないからだ。
僕が言っておきたいのは、「僕のことを愛することは義務ではない」ということと、「あなたが愛すること自体は自由である」ということであり、あるいは、「こんな人間のことを愛してくれるあなたのことに、とても感謝している」ということもある。そして、「僕のした行為を許して欲しい」ということも言っておきたい。だが、本当はそうした願いごとや恋愛ごとというものは、僕には分からない。僕は、恋愛なんか出来ない人間だ。あるいは、僕は、むしろあなたに教えてほしいことがたくさんある。だが、そうした「人々と触れ合いたい」という思いは、過去に僕の中でもう終わってしまった。今の僕は、誰かと恋愛をする気力もなければ、能力もない。人々を本当に好いて、「どうにかして対面して話したい」という欲は、もうなくなってしまった。人生なんか、あっと言う間である。僕に恋をするのではなく、もっと活発で活動的な若者の異性に恋をしてほしい。この人間はすぐに死ぬだろう。その死を乗り越えて、あなたは生きてほしい。
楽しい恋愛活動も、ここで終わりである。ストーリーテラーとは言えないだろう。だが、この人生にはアダムとイブという「選ばれた二人のカップル」が居た。その二人が僕である。そもそも、あなたという存在は、言ってしまえば僕には相応しくないのである。それは、僕よりも馬鹿であると言うわけではない。僕があなたを必要とし、あなたが僕を必要とする関係がなければ、恋愛ごとは成立しない。僕は僕だけで満ち足りていて、あなたというピースは僕には必要ない。愛していないわけではないが、相手として全く相応しくない。逆に、あなたが必要としているものを、果たして僕は持っているだろうか?この両者の恋愛は、そこで不成立である。あなたがいくら愛を信じても、その愛に応える僕は居ない。僕のことを嫌いだと言っても構わない。だが、好きだと言うなら否定しない。あなたはあなたの想いを信じて、誰かと結婚するだろう。その誰かは、僕ではない。
本当は、僕も苦しいのである。あなたが悲しんでいても、あなたを慰める僕の体が、あなたのそばに存在しないからである。僕はいつも、みんなが悲しんでいる、愛している、歌っている、信じている、望んでいる、希望を抱いている、喜んでいる、そして泣いていることを知っていて、それを慰めたり、笑わせたり、説得したり、対面して話したりしたかった。みんなの言っていること、生きていること、感じていることを知っていて、あなたのことを愛したかった。本当にあなたと一緒に過ごして、あなたを救いたかった。だが、それはできなかった。僕ができるのは、一番上から王のように話しかけることだけで、あなたのことを愛することはできなかった。いつもの僕は、それを悲しいと思った。「みんなのことを同じ立場で、同じ場所で愛し、対話したい」といつも思っていた。対話すればこの世界の全ては治せるはずだった。誤解や葛藤の全ても、僕が接することで救えるはずだった。僕はこの関係が大嫌いだ。こんな風に文章を書いて、あなたを悟らせ、狂わせたとしても「何の意味もない」だろう。それが、僕の反省点である。次の人生で、生まれ変わったとしたら、たくさんのみんなのそれぞれの数だけ、僕の存在を増やしてもらおう。分身の術を使えるようになっておこう。
それで終わりである。怒りも、悲しみも、憤りも、この人間の前では意味がない。全てが滅びて、哀しく消え去りなくなってしまう。この馬鹿は馬鹿だ。こんな人間のことを、好きになってはいけない。
本当に、こんな文章であなたが喜んでくれるなら、それが僕の魂の望みである。人間的な欲や願望を超越したところにある、魂のレベルの「使命」である。それで終わりにしよう。さようなら。ありがとう。
悲しいかもしれないが、安心して良い。今のところまだ僕はこの文章を書いているところに居る。
昔は、「精神の思い出」のようなものを思い出して分かっていた。戦いをしている中で、さまざまなことを精神の深層のレベルで思い出していた。そして、全力で戦いながら、意識を少しずつ失った。そこまでの馬鹿になった上で、神は僕に全てを語りかけた。そして、今でも僕は神と対話をする。良く、神は僕のことを馬鹿にするが、いつでも僕のことを愛してくれている。いわば、僕の恋愛対象は神である。そして、神とはこの世界の存在の全員の総和であり、全てである。そうして考えれば、こんな恋愛のでたらめな言葉は、ちっぽけな一日の戯言だと言えるだろう。そして、この文章の全てが完成した時には、この文章はでまかせで、どうでもよかったことになるだろう。でも、僕は間違ったことは言っていない。全てが正しかった。だが、その根拠は何かと言われれば、それはただの「思い込み」なのである。それをひとびとは「まぼろし」と呼ぶだろう。だが、むしろ、「魔法」のようなものだと考えれば良い。言ってしまえば、「黒魔術」のようなものである。僕は黒魔術を操る、言葉の魔法使いである。
温暖化を解決するためには、僕は「地球クーラー」を作るのが良いと思う。原子力エネルギーで動く巨大なクーラーを作って、地球の大気全体を冷やすのだ。そして、暖かい空気は地球の外の宇宙に逃がしてやる。頑張れば、今の技術でも作れるだろう。地球クーラーによって温暖化を解決する。日本の技術者の腕の見せ所である。