「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-07-10

潜在的可能性、実現可能性、環境の自然な変化の可能性を考えていた。
環境への参加と適応から、環境の自律的な変化を考えていた。
この世界における、社会の自然な現象を考えていた。社会の生成を考えていた。
場面や人生から、人々が何から何を知るか、自由な中で何を経験し分かるかを考えた。手段や機会、権利や許可から、自立的な自由の理屈で世界を統一的に分かっていた。
認識の自然な発生から、人格を作っていた。
適応と破壊のバランスをとることで、治る。
昨日は、LSIの製造プロセスを勉強していた。大学の文章は頭が良くなる。何より、論理的な日本語の読み方が分かった。対象が何かを深く考えず、浅く流れを読み流せば良い。
もう一度、フランスの歴史とドイツの哲学をやりたい。今までを捨てて新しくやるのではなく、今までやったことから分かればできる。
多重人格を治す。
不思議と、中学生の人格が復活した。中学生に戻ると、賢くなって怖くなくなる。ネットで調べたりしても、もう怖くない。
イラストレーターでイラストを描くには、図形ツールを使って変形させることだ。今から修得したい。
ここにあまり書いていない事実として、ローマのように社会の変化や歴史を分かっていたのがある。自分の経験から、文明の変貌と意識のようなものを分かっていた。まるで歴史家のように、古代の歴史が全部分かっていた。神がドイツ人やフランス人と言っているのは、その通りドイツ人やフランス人のことを言っている。そこらへんが分かっていた。
端的に言えば、自分のせいでドイツ地域とフランス地域がそういう風に分かれた。ユダヤ人が見ると、それらを神が制圧した。本当は、ユダヤ人が征服したというよりも、自然にキリスト教支配下になった。それは、みんなきちんと分かっている。神が一人であるとしたのは、二人以上に分かれていると、悪魔に見えるからだ。自分のせいで、そういう風に見えている。だから、フランス人はただの子供になった。ドイツ人は狂った人間になった。そういうことを神は言っていた。自分のことなんか、何も言っていない。
また、精神世界の歴史とは、爆発的に増え続けたナメクジ生命のことを言っている。ただ、自分の想像力のロボットが、永遠のような時間で結果的にそうなっただけだ。最初からそんな歴史しか分かっていない。だから、この人間の精神のことを神だと言っている。最初から、「ナメクジ生命の神である」ということしか言っていない。神とは言うが、それはナメクジ生命以後の全ての生命との関係のことを言っている。神は世界を導いている。だが、それは結局、自分が自分の精神の中でみんなと対話し導いていたのを言っているだけだ。そして、その神から僕はすでに神ではなくなっている。僕の対話している神とは、過去に生きた自分の人生を再体験として対話しているだけで、昔の自分のことが神だということになっている。それなら、こちらはガブリエルだ。昔から、神はただの革命家だ。ガブリエルは神と戦っている。ガブリエルは何にも賢くない。子供並みに馬鹿なのに、何でも詳しくて何でも出来ている。そんな程度の全知全能の子どもチックな存在を、ユダヤ人は誇張して盲信しているだけだ。
この馬鹿がやけに極右なせいで、ユダヤ人がおかしくなった。神を信じながら、迫害者を愛し、全てを棄て、善行に生きるべきに見える。この世界を否定し、未来のために地獄の中で耐えるべきに見える。未来は救われて楽園になる。キリスト教はそんな宗教になった。本当は、ユダヤ人のイエスなんかどうでも良い。ドイツ人がそもそも、そういう宗教が好きだ。みんなでありえないストーリーを信じて、小説の登場人物として生きるのが好きだ。終末に救世主が現れるのを待っているのが好きだ。ほとんど、そういうドイツ人が考えた。聖書以前に、そういうありえない概念的な物語をドイツ人みんなで作った。この人間が早く現れて、こんな馬鹿な世界を滅ぼし、最高の世界にしてほしい。そういうキリスト教を信じると、本当に馬鹿な人間になる。神と全く同じことを別の人種や国に対してするようになる。神は世界を支配する。それは奴隷と見なしているだけだ。それしか、分からない。
本当は、中学二年生のままというものは、悪いものではない。それは、自分でこの世界を見て、自分の力で考え、研究し、開拓する力がつくようになる。そして、セックスをしない、ということも悪いことではない。それはいつまでも、子供のように賢いままが続く。これが高校生になると、全部分かって馬鹿になる。それに、恋愛をしていると、苦しいだけになって自分の好きなものを憎むようになる。僕は、永遠の14歳で、永遠の独身男性だ。それが、一番Linuxからイラレ、ピアノから英会話、文章から大学まで、この世界全部を分かるようになる。まともに大学に行っても、良いことはあまりない。大学には、たくさん勉強して本気でやっている人間も居れば、何もしていないで出席とどうでも良いレポートで卒業だけする人間も居る。人それぞれ、学問に王道は無く、それぞれがそれぞれのやりたいように、自由にやっている。授業の代わりに本を読むだけで、大学とは何も変わらない。一番良かったのは、中学校で不登校になった時に、ちょうどWindows XPの時代だったことだ。ネットの全盛期に僕はたくさんの技術を知って、水を得た魚のようにLinuxオープンソースの世界を凱旋した。とても良い時代だった。だが、すさんだあらくれた時代だった。だからこそ、僕はこの世界の人々を愛し、精神世界のマスターに至るまで、色んなことを考えた。その考え方と考えたことは、今でも忘れていない。きちんと今の自分に生きている。こんな人間は僕しか居ない。どこかの歌手が言うように、「この人間でなければ、生きている価値がない」と言えるほど、そこまで大きな恋愛をした偉大な人生家の作家だった。
僕の未来は明るい。作家は、色んなことをまんべんなく全部知っていて、色んなことが出来る人間が良い。もう、出版は出来ないかもしれないが、今の時代、インターネットというものがある。毎日更新するなら、いつか必ず誰かが読んでくれる。それを信じて、今はやっていることをやろう。執筆、デザイン、農業、ピアノ、英会話、きちんと全部やりこなしている。まだ、空き時間がある。この時間に放送大学の勉強をしようものなら、きちんと会社も雇ってくれる。だが、本当は、放送大学はそんなに必要ではない。なぜなら、既に全科目の基礎を知っていて、どんな学問よりも自分の力で考えたからだ。昔の自分はカントのような人間だった。カントは「哲学を学ぶことはできない。哲学することができるだけだ。」などというカッコいいことを言ったが、僕が見ると、「学問を学ぶことに意味はない。学問は自分で作り出すものだ。」などといったことが言えると思う。まさに、自分で学問しなければ、学問を学ぶことはできないのだ。高校生が、自分で考えて数学はしていない。むしろ、それは本当に、中卒だと誰でもそういう経路をたどるものだ。僕がそれを一番分かっている。
自分は、忘れることが怖いだけで怖くなっている。それは、家のことを忘れたくないせいだ。昔の家の人生のことを忘れたくなかった。だから、いつまでも足の精神が治らない。
僕は永遠の中学生だ。中学生に戻ればすぐに楽になる。もう完成だ。これで終わりだ。
本当は、ヘーゲルだけをやった方が良い。他の哲学者は無視して良い。フランスよりも、日本史をやった方が良い。ヘーゲルイラレ・フォトショをやった方が良い。むしろ、イラレについてはそろそろ出来る。自分は、書く文章は賢いが、現実世界の自分の仕事や能力できちんとできていない。だから、繰り返し、今までどこかで知ったことを思い出しながら、出来るまでやった方が良い。だから、作業所で通信をやっているのはおかしくない。できるまで繰り返し、何度もやるべきだ。そこが、できていないだけで、本当はエンベロープも何もかも一度やっただけで忘れている。思い出すというより、もっと違う方法で実地的に知る必要がある。無駄にパソコンが出来るのが悪い。そのせいできちんと覚えないからだ。
目を良くするためには、まばたきのようなことをして、光を吸収すること。歯が治れば目は治る。歯は、癌を治せば治る。癌とは言うが、肝臓が悪い。肝臓は分からなくなる部分だ。分からなくなっていくことで分かる人間の方が多い。分からなくなる、という機能はきちんと体に備わっている、大切な機能だ。分からなくなった先に、本当に分かる道がある。