「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-06-19

精神は、悪人になると治る。
悪人になると、善良な部分や頑張って維持している部分が死んで、すぐに精神が治る。
そもそも、善と悪は一概に決められるものではない。ある人が善だと思っていても、別の人は悪だと思うこともある。それに、善を経験し成長するためには、積極的に悪人にならなければならないこともある。自分で悪を経験しなければ、悪がなぜ悪なのかを知り、正しい善を知ることは出来ない。神は、そういう人間が好きだ。
また、失敗や罪を経験し、それを反省して懺悔して生きることもある。キリストはそうした生き方を正しいと教えている。失敗を経験して失うことを受け入れることで、マスターのような感受性を知ることが出来る。
特に、過去の悪人に戻ることで、精神が治る、ということはあるだろう。子供は悪い子供が多い。あるいは、悪人は普通の人間に多い。精神を悪人に戻すことで、正常に戻ることはできる。
それから、キリストがサタンと言うからといって、本当にサタンが悪だと決めつけられるわけではない。サタンは逆に、人々から好かれている神のような善人であることが多い。サタンは優れた存在である。悪魔信仰なんか、どの世界にも多い。その悪魔は、その宗教では神だ。仏教徒イスラム教徒の信じていることは完全に逆であり、矛盾するだろう。
考え方を作って、同じことを分かっていた。また、人間がいつどうなるかを知って、完全に、人間がどうなるかを分かっていた。全ての「創生の瞬間」を知っていた。
イエス・キリストは、神であると言うよりは、「地球の歴史を最初から知って生まれてきた人間」であると言える。地球の歴史を、最初から最後まで見た上で生まれてきた。だから、サタンは馬鹿だったわけではなく、最終的に間違ったことをしただけで、本当はサタンが必ずしも悪いことをしていたわけではない。サタンは精神の情愛と情熱と高みを知った、指導者に相応しいマスターである。神を完璧だと言っているのは、神は何も出来ない馬鹿な地獄の中で努力し、耐えたからだ。だから、必ずしも、神よりもサタンの方が劣っているわけではない。
ただ、あまり悪人にならない方が良い。悪人は、その時はどんなに辛くても辛くない人間が多いが、それが善人になると、そこまでの辛い記憶が牙をむくようになる。今まで辛くなかったことが辛くなり、今まで病気でなく強く生きられたことが、すぐに病気になって自分の心と体を蝕むようになる。学校で何も出来なくても、反抗や自由を経験しない方が良い。健全に生きられない人間は、すぐに地獄になる。サタンは賢いが、それはある意味相対的な数学を信じているだけで、ニーチェのような自由な人生はすぐに自分の身を滅ぼす。神を信じると、そういうおかしくなって以降の精神が治る。だから、悪人しか、神を信じない。そもそも、そんな人間しか居ないのが、この地球の人類と呼ばれる悲惨な生物だ。愛と自由が一番身を滅ぼす。普通の国を維持しなければ、人間は自殺によって絶滅するだろう。
コンピュータやインターネットは無い方が良いとは言うが、健全で悪いことに使わない人間は、コンピュータは便利な道具として使うことが出来る。だが、健全で無い人間、コンピュータとインターネットの混沌とした友人関係を求める人間にとっては、コンピュータはその人間を狂わせ、悪人にし、そして地獄の苦しみを生み出すだろう。コンピュータなんか、本当に無い方が良い。一番悪いのはオープンソースだ。オープンソースがなくなれば、コンピュータは以前のマシだったWindowsまでの高度な技術に蘇るかもしれない。僕は十分オープンソースLinuxの技術を知ったから、無くなっても何も思わない。僕のことは置いておいて、コンピュータ、特にインターネットとフリーソフトウェアの文化は、ない方が良いだろう。ある意味、コンピュータはもっと違う分野、専門的な分野やコンピュータであってもなくても変わらない重要でない分野に使われるようになるだろう。WindowsとPCは、そもそも、そんなに賢い分野ではない。革命とは言うが、庶民によるコンピュータはそんなに良い世界を生み出さなかった。東京はコンピュータのせいで完全に狂った社会になっている。オタクを飛び越して狂人になった。それは、完全に僕の責任だ。だから、僕はオープンソースを無くせと言う責任があるのだ。
そろそろ、僕の力でオープンソースを無くす必要がある。権力は欲しくないが、オープンソースに関しては僕の了見だ。オープンソースではない、普通のコンピュータを呼び戻そう。そのためには、インターネットでの共同作業、特に最近のFacebookTwitterのような「みんなで楽しい」を消す必要がある。僕が僕の勝手にそれらを消す。インターネットの仮想世界はつまらない。それらを僕が無くせばすぐに無くなる。そして、IT技術IBMやMSに戻るだろう。
オープンソースとともになくなった価値観として、ものを作る楽しさ、競い合う楽しさ、会社を作る楽しさ、社会を発展させる楽しさ、のような、「正常な世界における楽しさの価値観」が無くなった。昔の僕は、そういう、自然な価値観と創造性を、社会に根差しながら社会を発展させる実感の原動力として、信じて分かっていた。自然な社会の価値観から、人々を幸福にする気持ちを高めることが出来ると考えていた。
きっと、本当にオープンソースが悪いわけではない。だがオープンソースは、昔のそうした「楽しさ」を破壊するようになった。社会全体を無意味なものとして、貶しめ、苛め、機械化するようになってしまった。
ある意味、オープンソースだけではない。今のIT技術は、コンピュータからネットワークまで、全部おかしい。ITは間違っている。オープンソースというよりも、IT全体が間違っているのだろう。特に、2ちゃんねるのようなネット社会を滅ぼしていかなければならない。
ある意味、オープンソースが昔目指していたものは、全て、そうした「創造性の価値観」だったが、それが僕のせいで滅びたのだろう。オープンソースというよりは、僕が悪いだけだ。
世界は、もっと怒りなさい。怒っても世界は滅びない。怒っても、怒るだけで、怖いことは何もない。この世界を滅ぼした、魔王に対して怒りを感じないのか?感じるならば、その魔王の全てに怒りを表明しなさい。それをもって、魔王である僕は、あなたとこの世界全員を赦すだろう。