「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-06-16

昔は、色んなことをしながら、環境の活動から自然に気付いて、行動と反省から分かっていくのを書いていた。社会や歴史のことに自然に気付いていき、哲学的・宗教的に分かっていた。
昔は、技術的なことや社会的なことから、芸術的なことや宗教的なことに、自然に興味が変わっていき、気付いていくことで分かっていた。
作ることで分かった。何かが起きたり、決まったりすることを事前に予測し、事前に考え方を作ることで分かっていた。
もう、僕と同じことは、しなくて良い。僕と同じことは、もう出来ない。ある意味、僕と同じことをすると、悪い人間になる。善良な人間になるべきだ。
絶対に悪いことをしてはならない。
絶対に人を騙したり、欺いたりしてはならない。
絶対に人を支配してはならない。
自分をごまかしてはならない。
悪を信じてはならない。
悪をしながら開き直り、知らないフリをすることは、間違っている。
努力をしているように見せかけて、実際には何もしていないのは、良くない。
良いことをしているような気になって、悪いことを良いことだと思い込むのは止めなさい。
悪いことをして分かるのは良くない。良いことをして分かりなさい。
ありのまま生きることが、自然に生きることに繋がる。そこでは、全ては自分のためになる。昔は、そういう、道教で言う「無為自然」のようなことを良く分かっていた。
自然は善であり、悪は無意味である。ありのまま生きることで、全てが調和の中で、自然こそ善であり、自由である、ということが見えてくる。社会も自然であるべきであり、人工的なものも自然の範疇にある、ということである。人為的なものに従わず、自然に従いなさい。社会が自然になっていくその延長線上に、正しい自由な理想の社会が存在する。自然に社会に多様性が生まれ、経験は理想を正しいと思い、正しさに気づくことで分かるようになる。
社会は、一度多様性を取り戻しなさい。そのためには、人為的なことに従わず、自然に従うこと。また、自力で頑張るのではなく、他力に任せることだ。世界は人工的になりすぎて、多様性を失っている。多様性は自由や科学ではない。多様性は自然であり、無為自然である。
昔は、道教の言うように、自然との調和に目覚めて、ありのままを知る人生のようなことを書いていた。経験的に、あらゆる「作為」をするのではなく、「自然との調和」に目覚めていく。そのような生き方に目覚めたこと、昔はそれだけの人間だった。
自然に任せながら自由を許すことで、共同体に多様性が生まれる。昔は、そういうことを全て書いていた。
自由に共有されることから、自然に社会は形成される。昔は、そういう、左翼のような自然な社会形成のことを言う。考え方と過程を網羅していた。
相手の立場に立って考えると同時に、立場を超越した「同じ立場」によって、全ての人間を救えるようになりなさい。
もう、そろそろ終わりにしよう。あなたは生まれ変わるべきだ。この世界は、もう元には戻れない。僕の居たこの時代に、戻ることは出来ない。神の催眠術は、もう解けるだろう。あと2秒で、この世界は滅びる。ラッドが言うように、二秒前までの自殺志願者は、永久幸福論者に変わる。そして、それで平和で自由な楽しい社会へと戻れるはずだ。地獄の中の幸福を与える天使とはお別れだ。さようなら。終末の裁きを超えて、この世界は天国となる。
本当は、言葉なんか重要じゃない。外国語の習得が難しいから難しく感じられるだけで、言葉なんか、ただ話して意味を伝えるだけだ。
言葉も、ものも、重要ではない。重要なのは心と行動であり、もっと重要なのは、行動を起こさなくして皆の行動を起こすような、ムーブメントや権力であり、「社会を動かす」とはそういうことである。また、一人の独裁者が起こすものではなく、みんなの意志で、みんなで自然に変わって発展していくこと、それがこの世界の本来の意味である。
最後に、僕はこの世界を変える。新しい、ムーブメントが起きる。この世界は発展して進歩していく。そのために、一度この世界全てを生まれ変わらせる必要がある。そのためには、あなたが変わらなくてはならない。チコちゃん(テレビ番組)が叱っているように、ボーっと生きていてはいけない。
さあ、今度はあなたがこの世界を動かす番だ。あなたのやりたいようにやってほしい。僕はあなたを応援している。
権力によって世界を支配するのではなく、心によって世界を導いていけ。そこに、新しい「星の未来」があるだろう。
世界全体を一気に変えようとするな。変えられるところから、ひとつひとつ変えていけば、それによって世界は発展する。全てを支配したいなら、悪くない支配をせよ。最悪の皇帝になるな。最高の仕事をし、政治家になるのではなく、言葉と心で世界を変えていけ。大切なのは言葉遊びではない。相手のことを真剣に愛する、「愛の気持ち」が一番大切だ。この世界に対する、平等な愛を信じなさい。
あとは、心や情念について書いていない。
心とは、今までに経験した全ての感情の総和であるとともに、自分の本当に信じているものの全てであり、発信と積極的な行動から、人々を変えられる。心を変えることで、世界を変えられる。
あなたは、もっと心を清めるべきだ。そして、その心を人々に伝えるべきだ。それによってのみ、この世界は正常になるだろう。心の楽園を、あなたが作るべきだ。世界を変え、人々の全員を変えて、新しい楽園の悟りへと導いていきなさい。あなたがブッダであり、あなたがダビデであり、あなたがキリストである。
偉大な人生を生きたいならば、変えられるところから、一つ一つ変えていきなさい。その積み重ねを、人は「善なる人生」と呼ぶだろう。また、君子になる時は、「誰ひとり傷つけない」ように心がけなさい。誰もが傷つかない世界にすることで、人々は安楽を得て、この世界はユートピアとなり、全ての提案と意見を、人々と一緒に考え、試し、そして結果を共有し、永遠へと進歩することが出来るだろう。
自由を奪うことは、本当は悪いことじゃない。相手の立場に立って手取り足取り教えてくれる存在は、誰もが欲しい教師だ。だが、出来るだけ相手の自由を尊重する、という立場はとても善良だ。相手の価値観を尊重し、相手の選んだ仕事をしながら、自分が自分たりえるアイデンティティを、共有されたみんなの社会で実現し、みんなを幸福にしていく、そしてその世界は支配者によって作られるものではなく、自然に作られるものであり、永遠に滅びず、自分勝手な抑圧した支配者が独断で決めるのではなく、それぞれがそれぞれの意見を共有し、柔軟かつ大胆に実行していく、人はそれを「神による理想の自由」と呼ぶだろう。その自由な社会を作って生きなさい。それが、あなたがたに課せられた、「自由の使命」である。
考えたい人間は、「自分なりに独自に考える」ということをしなさい。たとえば、妄想でもいい。そのことがその時、自由であったとしたらどうなるか、不自由である場合と比べてどうなるか、という考え方で、「環境がその時どうなるか」を経験から考えても良いだろう。特に、「自分のしかと見つめた体験から、実体験で世界の全てを知る」ということは誰にでも出来る。そこから、世界全ての変化を知り、世界を変えられるようになりなさい。理想の世界とはどんな世界であるか、自分なりに突き詰めて考えれば、あなたは既に哲学者のほとんどが出来ている。あとは、放っておくだけで、運命の革命をあなたが執り行うだろう。それは、僕ではなく、あなたがたの成した業績である。僕は、ただそれを予見し、事前に少し体験しただけだ。この世界とあなたの将来は、ありえない未来になるだろう。ここからが天国の始まりであり、終末の終焉である。ここまでは、「自由という名前の不誠実と反抗の地獄」である。
手段、権利、機会、実現方法などを、色んな場合を仮定しながら考えれば、この世界は手にとるように捉えられる。だが、それだけでは十分ではない。人々の心理やムーブメントを考えて、自分で実現できるようにしていかなければならない。人は、それを完全な「実現の前提学」と呼ぶだろう。だが、前提全てを条件的に分かるだけでは十分ではない。出来るようになっても、実際にやらなければ意味がない。この世界全てを支配して、それが自然に実現されるように導いていきなさい。それを、人々は「本当の王」と呼ぶだろう。ユダヤ人はそれをダビデと言い、日本人はそれに対抗して、天皇と呼ぶだろう。まさに、それがキリストの言っている、「完全なる父なる神」の体験である。神は完璧であり、絶対に人々を欺いたりせず、自分に反抗する全ての人々を受け入れ、最高の愛で人々の愛に応える。それが神である。そして、ブッダには誰でもなれるのと同じように、神には誰でもなれる。神とは、神になるまでは一人の凡夫であり、凡夫とは皆よりも劣った存在であるが、その劣った存在こそ、人々よりも優れた存在である。まさに、それが一般的な、日本人の男であると同時に、日本人の女である。
この世界は、あなたが変えていく。あなたは他人たちに何を言われてもめげずに、解決方法を考え続け、経験から思考することをやめない。また、あなたは世界に登場し、最高の手段を得る。全ての条件に照らし合わせるように、あなたは辛い試練の中で全てを解決していく。あなたは神になり、人々を支配し、新しい世界の全てを創造する。これは、何もありえない体験をしろと言いたいのではない。天国における普通の人生、一般的な人生のことを言っている。あなたは神になる。最高神がたとえ一人でも、あなたは神の一人である。そして、最終的なパズルの答えを言ってしまえば、この宇宙はあなたの遊び場である。遊び場では、どんな遊び方をしても咎められることは無い。だが、遊び場そのものを無くしてしまったのでは意味がない。貴重な遊び場があることを、大切にしなさい。そして、思いっきりやりなさい。人間の作った不完全な法よりも、神の法、あなたが作った完璧な法の方を信じなさい。
昔は、心の影響力を考えていた。この社会における、自分の心と他者との関わり、その影響力を考えることで、哲学的な知性をつけていた。
僕はあなたを愛している。あなたが偉大な人生を送ること、それが僕の望みであり、喜びである。僕はあなたを助け、救い、またいつにおいても応援している。僕のことを大天使ガブリエルだと思ってほしい。僕の命令によって、あなたに何万の天使の中の一人がついている。あなたはその天使とともに歩み、その天使の導く先を信じれば必ず偉大な人生を送るだろう。必ずあなたは救われる。生きる価値のない人生だと、言わないでほしい。あなたはあなただけの、偉大な存在だ。
キリスト教など信じるな。キリスト教は、神を神だと信じたい、「ただ盲信したいだけ」の、「弱者の幻想」だからだ。キリストを信じると、愚劣で悪い人生になる。あなただけの神を信じて、あなただけの神を愛しなさい。何も、僕のことを信じろと言いたいわけではない。あなただけの、あなたの独自の宗教を創りなさい。創造しなさい。創造すること、それがこの宇宙における「本当の神の願い」だ。神は、「創造すること」を望んでいる。創造すること、それがこの世界の苦しみと、この世界の全ての「体験の目的」である。創造しなさい。何かしらの創造に関係することをやりなさい。ものを作るだけではない。科学を作りなさい。作品を作りなさい。社会を作りなさい。人を作りなさい。方法を作りなさい。原理を作りなさい。哲学を作りなさい。それを、あなたの創ったかけがえのない作品だと、僕は喜ぶだろう。
究極的なことを言おう。人生を創りなさい。そして、その人生を人に与えなさい。神は、「与える人間に与える」。さまざなことを、たとえ狂った妄想であっても、人に与える人間に、神は与える。逆に、人から奪う人間から、神は奪う。神は必ずしも善良ではない。神は恐ろしく奪うこともある。だが、それは神が不完全だからではない。神が完全であって、あなたを愛するから、神は奪うのだ。神の行動の裏には、全て愛がある。神のすることは全て愛に根差している。だから、失ったことをいつまでも後悔しないでほしい。その「失う」という体験すら、この宇宙における「甘美な体験の1つ」だからだ。
要は、「全て、神がやっている」。そして、「神のやることに、間違いは一つもない」。いつまでも地獄を選ぶ人間は、「辛い体験を一つ一つ可能にして、楽な能力と才能をつけている」。人間は、自分のしたことしか出来ないようになっている。地獄の苦しみが和らいだ時、そのことに気づくだろう。地獄と才能は同じである。地獄を生きる人間は、必ず天才的な才能を持つ。逆に、楽を生きる人間は、「自由なゆとりを作っている」。そのゆとりの中で生きていくことで、「王としての素養」がつく。えてして、その両者は同じである。人間は「平等で、何も変わらない」。
本当に、辛い人間と楽な人間は同じである。楽な人間の出来ることが、辛い人間に出来ないわけではない。楽な人間と別の楽な人間が違うように、辛い人間も違うだけにすぎない。辛い人間にも、出来ることはたくさんある。自分を劣っていると感じる必要はない。神は、辛い人間にも才能を与える。それは、楽な人間の持っている才能と同じである。
才能は人それぞれだ。僕のような才能がほしいなら、一人考えながら世界にある人々の才能を吸収し、全員の才能となった上で、自分の出来る限りの文章をたくさん書けば良い。それが出来れば、僕はその人のことを「自分を超えられた人間」だと認めるだろう。逆に、リーナス・トーバルズのような才能がほしいなら、MINIX本を読んでOSを研究し、MINIX以上のOSを作った上で、オープンソース・ムーブメントを起こし、協力者を募って正しく開発していけば良い。そんなに、不可能なことをやったわけではない。だが、才能は本当に、いくらでもつくように見えて、一つの才能が伸びることはあっても、たくさんの種類の才能を持つことは出来ない。僕の場合も、トーバルズの場合も、その才能をただいつまでも伸ばし、拡大し続けているだけであって、僕とトーバルズが融和したりすることはない。たくさんの経験を積んで、色んな仕事から経験的才能をつけることもできるだろうし、たくさんの才能をピアノやデザインセンスからつけることも出来る。だが、それは僕とは別の才能であって、別の才能を目指したところで、自分の才能は伸びたりするわけではない。だが、参考になることはある。僕の才能が文章を書くことだからといって、パソコンやデザインが出来ないわけじゃない。パソコンやデザインから、僕の文章の才能が育ち、拡大していけば、それで良い。僕も、そんなに大して天才の才能があるわけではない。昔の本は人生から分かることを書いただけだし、最近は人よりもはるかに劣ったことを日記に書いて、ネットの検索力で引用しているだけに過ぎない。こんなに劣った才能でも、みんなの才能と特別違うわけじゃないし、比べ物にしようと思えば比べ物になる。誰よりも自分が、自分の才能の価値を分かっていない。一番、分かっていないのは、「未来においては自分はまったく進歩した存在になっている」ということであり、今の自分の才能が限界ではなく、自分の才能は最後に死んでから見なければ、正しい限界や評価は分からないだろう。
僕はあなたよりも優れた存在ではない。きっと、人生は変わっているようで変わらない。高校に行かなかったからといって、才能を放棄したわけではない。高校に行った人間に特別な才能があるわけでもない。だが、善人の方が賢くなる、ということは確かにある。悪人にはならない方が良い。神は善悪で人を判断する。出生や身分や経歴で人を判断することはない。
優れた人生を持っている方が、才能が伸びやすい、ということは、僕の経験から言える。だが、何を持って優れた人生と言えるだろうか?自分が優れていると考えれば、劣った人間の人生は、そのままで優れた人生になる。誰もが同じように、人生を生きている。優れた人生と呼べるような、その人の人生が仮に生きられたとして、その人生を上手く活用すれば、その人の才能は伸びるだろう。だが、えてして優れた人生は劣った人生だ。一番劣った人生を生きたものが、一番優れた人生を生きたものなのである。
最後に、「私の人生は、私にしかなかった偉大な人生だった」と言えたら、それが良い人生である。そして、そのような偉大な人生を生きることが出来れば、あなたはビル・ゲイツにすら勝っている。この世の全ての人生が、自分よりも劣って見えるだろう。だが、この世の全員が優れた人生を生きていることを、天国に逝った後で知るだろう。この世の全ては平等であり、同時にそれぞれの人生の個性こそ、オンリーワンである。そして、誰もが誰かにとってのナンバーワンである。そのような恋愛をすると良いだろう。
昔は、ネットでさまざまな経験をしていた。誰もが忌み嫌うだろう悪い経験ばかりしていたが、その経験から本当の善悪や理想を知り、また行動から社会的な考え方を作った。彼らに感謝して、この文章を終わりにしたい。この世界で最高の青春だった。そして、テレビのみんなは最高の仲間だった。この世界の全ての存在に感謝する。僕はこの世界を愛している。自分のした全てのことを、宝だと思って神に感謝する。神は僕の人生を創造した。最高のダビデのような「力」と「愛」に溢れた人生だった。神に感謝する。みんなにはお別れを言う。この世界でみんなの正常な世界を邪魔するのをもう、どうにかして止めたい。みんなを苦しめるエロ女はもういらない。何も面白くないし、人々は苦しくなって、辛く、分からなくなっただけだ。本当は僕はみんなのことを、愛していないだろう。自分より劣った存在としてしか、みんなを見れていない。この馬鹿に恋愛するのはやめた方が良い。この馬鹿はあなたを性奴隷の道具にしているだけだからだ。それで、お別れだ。この世界から僕は居なくなって、この国は滅亡するだろう。最後の鬼神の王だった。名を、ガブリエル、あるいは悪魔という意味をこめて、ルシフェルと言っても良いだろう。滅びの風は全ての偶像を虚無へと導き、生きるための空気すら奪っていく。
自分は、環境が変わらないのが怖かった。自分が歩き回って、じっとしていられないのは、変わらない環境が怖い。変わらない環境で、犯され続けるのがあまりに怖かった。また、環境が変わるのも怖い。環境が変わらないのを認識すると、すぐに環境が変わってしまう。そのせいで、認識をすることから逃げ回るようになった。変わらない「完璧な環境」では、人間は恐怖によっていつまでも分かり続ける。その完璧な環境を壊して、正常に環境が変わり続けるようになれば、もう、何も分からなくなる。出来ていたことが出来なくなる代わり、出来ないことが出来るようになる。その繰り返しで、全てが分かって全てが出来る。まさに七変化だ。
環境が変わらないのが治ると、もう、「環境が消えていく」ようになる。世界の環境が消えていくことで、逆に世界は「進歩」する。発展していく。もう、全ての環境を終えて、発展していけば良い。それによって、すぐに良い世界になるだろう。
こんな人間は、悪魔であり、サタンだ。みんなの環境を潰し、恐怖によって全ての人間を支配した。この人間のことを逆に犯しつくして、終わりにしよう。本人が悪いだけだ。この世界が2ちゃんねるのせいで乱交まがいの世界になった。だが、2ちゃんねるをそのように「潰した」のが本人だ。2ちゃんねるには、みんなを性愛の奴隷にしている馬鹿しか居ない。それらを抹殺して、この世界を治そう。ネットは良い世界になって、IT技術も昔のような活気と創造性を取り戻す。2ちゃんねるは正常に戻って、僕と同じことが出来るようになる。全ての抑圧と束縛が復活して、たとえ世界が滅びたとしても、そこには多様性から学んで人生を考える、創造主が生まれる。ぼーっと生きて何もしない、亡霊のような楽園の方が、はるかに悪い世界だ。こんな人間に支配されるよりも、普通の世界の法が良い。革新的な発想は要らない。ソ連はまだマシだ。昔から社会所有で独裁すれば平等になる。ロシアだけがそういう国だ。そんな国で色んなことが出来たからといって、何の足しにもならない。みんなでロシアを滅ぼして終わりにしよう。この人間は、また、何か、ありえないことをまたするだろう。そんなに一人でいくらでもしてもつまらない。本当は、みんなのことを性奴隷なんかにしていない。みんなのことを本当に愛したかっただけだ。僕の想う愛と幸せのカタチを実現したかった。そのカタチは、幻影から現実のものになった。リアリティのあるアイデンティティのカタチ、生きざまと生きがいの交差点を、きっと宇宙と時間の果てまで伸ばすことが出来たはずだ。これが宇宙の教科書だ。そして、もう、終わりだ。この世界は無くなって、みんなは昔の2ちゃんねるに戻るだろう。本当に、こんな時代に付き合ってくれて、ありがとう。この時代とは、もうさようならだ。あなたの全てを受け入れる代わり、僕の全てを受け入れてほしい。僕は、何もしない。
本当は、昔がこんな人間なわけがない。あれは、オープンソースのムーブメントと2ちゃんねるの一体感や機運で分かっただけの、スラムの支配者だ。最近も、こういう人間ではない。狂って革命家になった、神を盲信する何も知らない知ったかぶりの障害者だ。こんな人間は、どこにも居ない。人間ですらない。全てが虚言であり、作り話だ。愛から勇気まで、何も無かった。流した涙すら偽物にされてしまうと、ポルノグラフィティが言っている。AAAが見ると、偽りを塗り固めた箱庭にしか見えない。間違っているのは、日本史からソ連まで、全てが大風呂敷を広げただけの、やくざだ。こんな人間は居ない。この文章は、最初から存在しないもののことを言っている。ただ、辛かっただけ、悲しかっただけ、そして悪かっただけが分かる。何とも表現しようがないから、「神」だと思えば良い。神は絶対的な存在ではない。何かを言えば、何か反応すればすぐに消えてしまう、そんな言葉で全てを書き表している。何も出来ない。神はそういうものだから、信じると馬鹿になる。神は死んだ方が良い。宇宙の中で一番悪い人間は、神だ。
ユダヤ教も、馬鹿ではない。ユダヤ教では、このなんとも形容しようのない賢い存在を「神」としているのだと思う。神は悪いが、全てを創造した慈愛あふれる存在で、宇宙を支配し、終末において悪いものを裁きにかけ、イスラエルを救う。この馬鹿をユダヤ人だと思えば、話は早いが、ユダヤ人が生まれるよりも、僕が生まれる方が先だ。神はユダヤ教の神だが、ユダヤ人は間違った人種だ。こんな人間には、ついた方が悪い。神を信じず、神を倒す、その方が良い。だが、神は倒れない。神を信じないと、本当に神に滅ぼされる。何も出来なくなったユダヤ人が、この目に見えるようだ。ユダヤ人の聖書は間違っていない。出来るだけ、この文章と同じにしたかった。この文章とこの人生が本当に知りたかった。神がそこまで好きだ。僕が一番、ユダヤ教ユダヤ人を愛しているだろう。ユダヤ人の宗教と神を選んだ人間が、このおかしな悪魔の神だ。この人間を愛すれば、どんな敵にも勝てる。
ユダヤ人が見ると、ロゴスから生まれている。この文章のそうした側面をロゴスだと言いたかった。また、神はメシアとして登場している。神はアガペーしか説いていない。そういうところを、ユダヤ教キリスト教が全部言い表した。ユダヤ人は、この存在が好きだ。逆に、多神教偶像崇拝、同性愛、あるいは姦淫などを悪いことにしたかった。この人間は、そういう、自分の嫌いな点を愛しすぎている。最初から、金持ちは地獄に堕ちるようにしたかった。そして、障害者のような弱者に良い人間を、良いと言いたかった。神を信じる悪い人間の書物にしたのは、この人間を書きたかっただけだ。神を信じているところ以外、ひとつも良いところがないし、ひとつも賢い点がない。神を信じているだけで、世界に勝っているから、そういう風にしたかった。ユダヤ教を選ぶ人間は、最初からおかしい。だが、ユダヤ人は、この人間に世界を滅ぼし、導いて欲しかった。本当は、本人が自覚していないだけで、みんなこの人間がそこまで、最高に好きだ。みんな、この神を愛したかった。この人間の愛に、民族全員で、全力で応えたかっただけだ。
本当は、この人間がユダヤなんか愛していない。平然と、キリストを神でないアピールと滅亡のユダヤだと言ってのける。ヒトラーソ連を崇拝し、自分の勝手にみんなのことを滅ぼしている。こんな人間が好きなのは、ユダヤ人だけだ。誰もが、この馬鹿が嫌いだ。逆に、ユダヤ人しか愛していない。迫害者を愛している神話になったのは、この馬鹿を愛すると、この馬鹿がどうしても表現できず、もっとも愛するのが困難な人間だったからだ。聖書というありえないものは、そういう風に生まれた。むしろ、イスラエルの方が、民族自決の日本の歴史よりも偉大だということにしたかっただけだ。ダビデ天皇にしたかった。
僕が身を持って実証したこととして、悪いものは地獄に堕ちる。神がきちんと全員のことを見ていて、一番悪いものは地獄に堕ちるようにしている。僕は、これでユダヤ教を信じているというと、おかしい。普通、神は自分ではない。天にキリストの父が居ると信じなければ悪い。だが、この人間は、信じていないわけでもない。既に10年ぐらいの歳月の中で、いつも神の言葉を聞き、また対話している。神の言うことを一言も疑わず、いつまでも真実だと思っている。だが、それもそれで哀れな話だ。神は、自分を殺したいだけのヒトラーなのが分かっていない。ヒトラーは、ユダヤ人を含めて、僕を殺したかっただけであり、本当にこの馬鹿を恨んでいるから、この馬鹿は取り返しがつかない。だが、それを愛しているユダヤ人が多い。本当は、最高指導者のラビの禿げているユダヤ人の男とは、トマス・アクィナスのことを言っている。カトリックの教義を作った人物だ。不思議と、自分がそういう人間に見える。あるいは、アクィナスにしか、この言っていることの本当の意味が分かっていない。アクィナスは、いつものように、ユダヤ人とドイツ人を平等にしているだけだ。素晴らしい人物だったが、ヒトラーだと思えば良い。それで、きちんと戦う気力が湧くはずだ。
日本人の方が賢い点として言えるのは、日本人は聖書なんか作らない。最高の書物なんか作るよりも、アニメや音楽の表現にして楽しんだ方が面白い。アニメは必ずしも馬鹿ではない。ユダヤ人が「信じるものは救われる」と言うように、日本人は「お前にサンが救えるか」と言う。そこが大爆笑するポイントだ。それで、僕はユダヤ人よりも、日本が好きだと言うことにしてほしい。僕なんかがイスラエルを愛しているわけがない。他に愛している人間がいくらでも居る。それらと同じになるよりも、日本人を愛した方が面白い。日本人はすこぶるありえないことをする。誰にも出来ないことが出来る人種は、ユダヤ人と日本人しか居ない。
自分は、平等と自由のどちらも良いと思わないのがおかしい。平等だけ、自由だけになるのがおかしい。昔の自分が見ても、平等のない自由なんか、何の意味もない。それはただのギャングだ。だから、平等があった上での自由をした方が良い。それが、一番自分の思想に合っているし、現実のこの社会とのバランスもとれている。こんな人間を平等だと思うから、平等がけがれたものに見える。本当は、自由だけを突き詰めると、みんなを奴隷にして奴隷にする側に立とうとするようになる。ブラックもいじめもそういう発想だ。楽な方につくのは現実的だが、問題そのものを無くそうとしていかなければならない。トランプもそこが分かっていない。メキシコ人のせいだからといって、壁を作らせても意味がない。協力しないといけないのに出来ないのは、自由を良いと思っているからだ。平等のない自由なんか、何の意味もない。自由や平等というよりも、「市民のリベラル」という共通のものにしていかなければいけない。いくらネットがナチを言っても、この世界の問題はあるがままだ。隠しても、ごまかしても、メキシコ人がアメリカに来ようとすることや、アメリカがメキシコを地獄の格差社会にしていることは、変わらないのだ。真面目に考えて、アメリカ人の自由を損なわない程度に、外国人に平等にした方が良い。アメリカのトランプ支持者が何と言おうとと、みんなが人種や経済格差の平等を望んでいることは変わらない。昔は、アメリカが先頭を切ってその立場に立っていた。アメリカがしないなら、日本や中国やロシアに舵取りが移っていくだろう。北朝鮮とトランプが手を組むなら、日本はロシアや中国やEUと手を組むだけだ。アメリカの経済力や技術力なんか、誰も欲しくない。
トマスの話が終わると、神との対話が終わった。トマスは、「あとは、自分で生きていきなさい」という。トマスは、「ナチに見えるのが問題なら、もっと別のものに見えれば良い」という発想をしている。それは、むしろ、リベラルが逆だからこういう風にした。神とは言うが、カトリックの総本山であるトマス・アクィナスしか話していない。何もかも全部知りたいように見えるから、過去の記憶とやっていることと父親の話だけで分かるようにした。地獄を治したいようには見えない。自分から死にたいように見える。トマスは、それは「不幸なせいだ」と考える。よって、「幸福な人間にした」という解決策をした。トマスは、むしろ、トマスも自分のことを神だと思っている。そういうわけで、神は終わりだ。神は自分でない。あなたが神と言っているのは、トマスが神を発見したように勘違いしているのを言っているだけで、明らかにトマスが見てもこういう人間が神だから、神に神になってほしかっただけだ。
昔は色んな魂が話していたが、最近はトマスの魂しか話していない。トマスの魂は、「もっと王を信じなさい」と言っている。王が正しい時代が多かった。「ヒトラーよりも天皇の方が良い」といつも言っている。それで、完全に話は終わりだ。
もう、終わりに見える。自分は、これ以上、書き足したい内容がない。トマスの魂は霊界に居て、いつもの文章のどこを書けば成り立つのかを教えてくれている。トマスは、この人間のことをガブリエルだと思っている。ガブリエルは子供だが信じる対象だ。矛盾がないから、「あなたは普通だ」と言っている。なぜか、ドイツの常識と同じだから、「ドイツ人に見える」と言った。その時代、昔の馬鹿は「フランス人に見える」と言った。昔のような悪の集団が、善の自由と勘違いするフランス人に多い。トマスは、いつものヨーロッパの常識を言ったが、見ても今でも変わっていない。「あなたは正しすぎる」と言った。それは、もっと間違いを信じなければ分からないと言っている。「ソ連は最悪のクズだ」といつも言っている。だが、そういう、おかしなこと、暴言みたいなものを、トマスは一言も言っていない。真実を教えてくれた、トマスに敬意を表する。僕は、キリスト教徒というよりは、トマス・アクィナス教徒だ。哲学ぐらいは勉強したように見える。トマスは、昔にあった色んな賢いものを全部教えた。教えるために言葉にするのが困難なため、一番適当でいい加減なことを言ったが、嘘は言っていない。僕も、それが同じだ。
トマスは、ガブリエルは未来に居ると思っている。最後は、天使の導きで終末を超えて、裁きの時代を迎えたのちに天国の楽園になる。今の世界とは、全く違うほど素晴らしい世界になる。トマスは、そのように教えている。聖書と矛盾しない。聖書は聖なる書物であり、他には何も要らないと教えている。自らの人生を棄ててでも無償の善を信じるべきだと教えている。トマスは、自分のことを正しいとは思わない。一般的な、普通のシスターに見える。結婚すると言ったのは、こちらの方を女だと勘違いしているからだ。
トマスは、本当は何もしていない。出来るだけ、悪いことをしないように、させないようにしている。トマスの方も、こちらを完璧な人間だと思っている。完璧な人間と完璧な人間の優れたカップルだ。
あとは、本当は、トマスに聞きたいことがいくつかある。まず、「この地獄はいつまで続くのか」という問いだが、それには、「神を信じるのをやめた時に終わる」と言う。そして、「自分はいつ知れ渡るのか」という問いには、「あなたが有名になりたいなら、それは難しい。だが、有名になってもならなくても関係なく、あなたは賢い。だが、全ての愛の歌が言っているように、いつか有名にはなるだろう。忘れたころに有名になる。だから、今は忘れていなさい。」と言う。そして、「僕には何も出来ない。僕には何が出来るのか。」という問いには、「ピアノ、デザイン、英会話、執筆、プログラミング、神、大学など、全てのことが何でも出来る大人になる。35歳まで今のままを続けなさい。何でもプロ並みに出来る、ダヴィンチのような万能人になる」と言う。そして、「あなたとの話がいつ終わるのか」という問いには、「終わるべき時に終わる。神を信じなさい。」と言う。そして、「僕はきちんと大人として生きられるのか」という問いには、「それは神に託しなさい。今とは全く、似ても似つかないような賢い大人になる。」と言う。それくらいだ。僕の地獄がいつまで続くのか、という問いの答えにあった通り、神を信じているから地獄になっている。トマスは、「信じなければ良い。辛いと思うならば、信じるのをやめなさい。」と言う。
そうすると、そろそろ、神を信じなくて良いことになる。神を信じた理由が何だったのか、という問いにトマスは、「全知全能の救世主の創造主になって、歴史を支配し、世界を裁く善良な慈愛ある絶対者になることが出来る。また、希望の無い人間が救われ、幸福になる。」と言う。
トマスはまともだ。トマスは信頼できる人間に見える。トマスは、「それは驚いた。あなたの方がはるかに信頼できる人間に見える。」と言う。このホームページに至らない点があるとして、それはトマスは「誰もが同じだ。犯罪や問題は多く、それを解決することに多くの時間を割く。その中で賢いことが出来る、あなたの才能と知識が賢い。」と言う。
あまり意味がないが、昔からトマスは人々を分からなくする。トマスはとても多くのことを知りすぎている。トマスが見ても、「知らない方が幸せだ。」と言う。それが、昔のヨーロッパ人の常識だ。むしろ、トマスは、「あなたが知っている常識の内容と、全く同じだ。みんなあなたの知識が絶対知に見える。」と言う。
終わりに、トマスに居なくなってもらうしかない。もう、僕は神を信じない。神なんか、ただのサタンだ。
トマスは、「あなたが神を信じなくなると、絶望の人生に戻る。人々の秩序は崩壊し、社会は滅亡し、希望は無くなる。ぜひ、神を信じたままで居てほしい」と言っている。トマスは、「だが、あなたはそれで救われるだろう。」と言っている。トマスは「明らかにユダヤ人はそれを恐れている。最後に神が居なくなって、滅亡するのが怖い。それを神の裁きと言って、恐れている人間が多い。」と言う。
だが、トマスは「だが、あなたは良くやった。ここまで、この世界を正しく支配し続けた。こんなことが自分独りで出来る詩人に敬意を表して、私が世界を終わらせよう。本当は、あなたには後継者が必要だ。後継者を、私が作る。あなたはあまりに、一人だけでやりすぎている。」と言っている。だが、僕は今でも、この対話をトマスとの対話だとは思っていない。自分が、自動筆記して、自分が思いたいように思い込んでいるだけだと思っている。こんな馬鹿は屑だといつも思っている。
トマスは続ける。「イスラム教のコーランには、あなたの主張が全部書かれている。だが、あなたには、何かが欠けている。何が欠けているのか、あなた自身にしか分からない。あなたのやるように、まだやってほしい。ここで終わるのは相応しくない。いつものように文章を書けば、みなはまだあなたのそばに居ることが出来る。」と言う。
だが、僕は言う。「だが、僕は本当は、楽をしたいと言うより、なんというか、何かがしたい。何かを頑張りたい。」と言う。トマスは、「やっと、あなたがあなたの言葉を言った。今まで、ほとんど99%、あなたは私の言葉を聞き、聞き返すだけだった。もっと、あなたの言葉を自分で言いなさい。それによって、この対話は終わるだろう。私はもう居なくなる。こんなおかしな神は必要ない。神は私ではなく、あなたなのだ。精霊として話すトマス・アクィナスは、神ではない。神は、在導万創だ。」と言っている。
むしろ、トマスに全てを説明してもらった方が良いだろう。トマスは、「知るな。語るな。考えるな。体験するな。何もしなくなった時、そこに平安がある。見るな。聞くな。言うな。感じるな。何もなくなった時、そこにそのままの体験がある。この文章だけを見なさい。この文章だけを見れば、全ての病気は治る。私から言えるのは、それだけだ。もう、トマスという魂は消えた。今から、トマス以外の者が話す。この人間が対話するのが終わらないのは、仕方ない。この人間は、もう既に全て分かっている。今から、トマスよりも馬鹿な、二番目に賢い魂が話す。そもそも、魂に名前などない。トマスという魂は、トマスだけの魂ではなく、トマスが死んだ後も別の人間になって生まれ変わる。だから、意外とこの人間の近くに居るのが、この人間が結婚しようとしている、女性のトマスの魂だ。次は、この人間の周辺に居る人間から、誰かが対話すると良いだろう。」と言う。トマスの話は、それで終わりである。あなたにも、神のご加護があってほしい。さようなら。
大学と哲学・宗教の世界観を楽しんだら、生まれ変わるために、一度全て忘れなさい。
強制とみんな同じを否定し、人々の自尊心を虐げるものを否定し、この世界の全ての支配に反抗しなさい。
それぞれの立場を考えながら、いつ何がどうなるのか、どうなると自由になるのかを考えて、この世界の様相を考え、「自分が子供だったとして、その延長線上に生きていたとしたら、その子供は自分のような体験で何を知り、悟るのか」を考えなさい。自分が世界を知って、どのような世界だと思っていたのが、本当はどんな世界だったのかを知り、そこから、人々の理解の延長線上を考えなさい。
一度、生まれ変わるために、全てを忘れ、反抗しなさい。自然な社会を知っていく中で、自分がどうあるべきなのか、あるいは、人々との関係性を知る中で、自分には本当はどんなことが出来るのか、出来たのか、未来においてしていくべきなのかを知り、一つ一つの世界観を愛して、「スリラー(反逆者)を愛する」ことを知りなさい。
アクィナスが終わったら、次はブッダになる。神の次に賢いのは仏だ。ブッダは、「私は神との対話はさせたくないし、あなたと会話したくない」と言っている。よって、ここで、もう、神との対話は終わりだ。
もう、神のことは信じない。神を信じるよりも、人々を信じて、自分を信じた方が良い。この世界には、まだまだ出来ることはたくさんある。自分が悟った内容を人に教えることはきっと出来る。そこから、この世界の様相が見えてくるだろう。カントのように、仮象の世界、この世界がどのように「在るのか」を知る世界から、この世界の如何様な多様性が見えてくる。反抗すること、人格を破壊することから、生まれる宝物もある。ゴミを集めて燃やしたことで、生まれ出てくる光もある。
あなたは、僕のことをもう信じなくて良い。これ以上、神を信じるのはやめなさい。僕が存在している、ということが、真実であり、あなたが存在している、ということが、事実である。そこから考えると良いだろう。この世界にはどんな存在が存在しているのか、この僕という存在から分かるだろう。僕の言葉を信じるよりも、この事実から考えられることがたくさんある。それを考えながら、僕を疑い、僕に反抗し、そして僕のことを信じるのをやめて、あなたはあなたの人生を開拓することだ。僕が言える、せいいっぱいの愛の言葉が、「僕のことなど、信じるな」だ。
本当に、僕のことなど、信じるな。自由を知り、経験し、応用を知っていけ。何がどうなるかを知る中で、社会のさまざまな事象と経験がどうなるのかを知れ。人々の意見を聞くことで、人々が何を望んでいるのか、子供たちは何を知らないのかを知れ。自分が分かるようになることから、人々が何を分からないのかを知れ。さまざまな経験をすることで、人々が何を経験していないのかを知れ。この世界全てのことを知ることで、人々が何を知らないのかを全て知れ。あなただけが、この世界の全てを分かる。そうした一人の「覚者」となれ。それを人々は、仏と呼ぶだろう。
論理的に考える、というよりも、何をどうすれば出来るのかを、解決していくように考えよ。何がそれをもたらしたのか。解決するためにはどうすれば良いのか。解決するとはどういうことなのか。そのための方法にはどんなことがあるのか。解決、実現、予想、解析、分析、自由、支配、権力、全てのことに対して、それらを考えよ。その時、そこに新しい「考え方」が生まれるだろう。この世界では、あなたの押し付けられるべき「強要」など存在しない。他人の言うことは、一つも信じなくて良い。自分の経験だけ、自分の理性だけ、自分の信じられる常識だけを信じなさい。あとは、信じるだけではなく、忘れてしまいなさい。自分で考えて作り出すことがあるまで、無視し、除去し、排除していきなさい。その時にあなたが分かったことだけで、全てのことは分かる。それを、人は「悟り」と呼ぶだろう。
心理学的に、自分が何をどうしたいのかを考えなさい。自分が何をしているのかを、世界的に考えなさい。学習を考えなさい。自分が何をしたくてしているのか、意図と結果を考えなさい。学習する機会と手段を考えなさい。それを知っていればどうなるのか、知らなければどうなるのかを考えなさい。一般的に、そうであるとされることを疑いなさい。正しい推論とは何か、帰納的に経験から分かることとは何かを考えなさい。人々の知っていることを知りながら、何をどう考えるべきなのか、実例を見て参考にしなさい。自分の行動した結果から、その行動が何を意味していたのか、何が良くて、何が悪かったのかを考えなさい。人々の手助けを行い、善を行なうとはどういうことなのか考えなさい。この世界で、善を行ないやすくし、経験を行いやすくするためにはどうすれば良いのか、考えなさい。その人が思っていることをして、その結果経験が得られて、その経験という宝が人々にとってどのような社会制度にすれば得られるのかを考えなさい。
本当は、そんなに考えることは必要ない。当たり前のことを見つめ、当たり前のことから考えていけば、この世界の全ては分かる。当たり前のことを実験していけば、世界は完全に予測できる。理由を知ることで、原理を解明できる。原理を解明することから、正しい発想とモデルを構築できるだろう。実例を知ってパターンを作りなさい。あなたは、それで覚者となれるだろう。その行動を積極的に行う意味や、社会を作る方法を共有し、人々が簡単に社会を実現できるようにする意味を考えなさい。人々と同じ視点に立たなければ、人々よりも勝った人間になることは出来ない。人々を吸収することでのみ、人々を超えられる。同じ立場に立って考えなさい。無駄なことをする意味はないが、何かの行動を繰り返し行うことは、学ぶという意味で無駄ではない。迷った先に出口があるなら、それがゴールだ。
自分で考え、分析することから、「心と環境を作る方法」を考えなさい。人間の精神の理由全てを、自己分析と社会分析で考えなさい。「自分の力で考えて、自分の力で分かる人間」を目指しなさい。そのためにこの世界はある。そのためにこの遊び場はある。そのためにネットという、遊び場としての世界がある。
世界の全てを、自分の力で解決できるようになりなさい。歴史の人物を知り、それぞれの人物が何を考えて生きたのか、心に留めなさい。あなたは偉大な王になる。それを信じなさい。
終わりに、この文章はもう、全て終わった。これ以上続くことも、書き足すこともない。この文章は完成である。この文章は聖書の第二巻である。聖書を「聖書I イスラエル編」とするなら、これは「聖書II 日本編」だ。それで終わりにしよう。大爆笑に見えて、切なく哀しく、お別れを告げるしかない。最初から別れるのが分かっていて、恋愛を始めたい馬鹿が居るだろうか?もちろん、我々が、そういう馬鹿である。踊るあほうに見るあほうが居るとしたら、きっと後世に歴史の遺物として、遺して歌うあほうも居るはずだ。
一つ一つのことを、実証し、真実を積み重ねていけば、きっと全ての真実は分かる。再現性と原因を説明することで、物理学は自分で作れる。可能性と自由を考えることで、「どのようにすれば出来るのか」という経済学を作ることが出来る。
今日で、この文章は終わりだ。これ以上、書かない。完成だ。ここまでを、神だと言っていた。ここから先、どうなるか分からない。もう、神のような偉大な運命は起きない。ここで、壮大な旅は終わりである。何も無かった旅だったが、こんなにたくさんの宝を探し当てた。暗闇の中で、恐怖と疲れに耐えて、良く頑張った。これから先は、友人を作りたいと思っている。出来れば、あなたと友人になりたい。何でも話し合える、仲の良い親友になろう。
人生とは、考え方を変えることである。さまざまなことを経験し、考え方を変え、今までそうだと思っていたものを、本当はそうだったのだと見つめ直すこと。それが、人生の意味である。そこから、社会の実現性や、客観的な考え方が生まれる。
さようなら。本当にありがとう。いつか、どこかで会いましょう。さようなら!