「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-03-25

僕のこの気持ちは、恋愛ではないと思っている。デザインが出来る先輩に対する憧れであって、恋愛というのとは違うと僕は思う。
あとは、アメリカを治した方が良い。
僕のWikipediaに対する文章によって、アメリカがおかしく精神的害悪の国になっている。だから、僕のせいでアメリカがおかしいから、僕はNOVAが怖い。
きちんと、アメリカを治してやった方が良い。それが出来るのは、張本人である僕だけだからだ。
アメリカは、民主主義と自由の国だが、最近は自由すぎる。自由というのは、この世界、どの社会でも、どの環境でも成り立つものではない。インターネットは自由すぎる。
だから、僕はアメリカを自由すぎる国から、多少平等な国に直すことにする。
そうすると、精神的害悪は、「行き過ぎた愛」のせいでおかしくなっているから、ゆがんだ愛情を少し、抑えるだけですぐに治る。
僕はアメリカを平等な国にする。今までの僕の思想とも、矛盾しない。
自分の文章にはきちんと個性がある。個性は才能だ。きっと、僕はもっともっと才能がほしい。
もう、僕は30歳になろうとしている。これ以上は、何もしなくて良い。普通、20代で頑張って、30からは何もしなくなる。
僕は、思考すれば良いのが分かっていない。今までのことは、思考すれば思い出せる。こういう、思考する人間がいない。誰もが、思考する人間がヘーゲルのような哲学者が出来るようになる。それで昔を思い出す。
ノートの入力はもうしない。むしろ、普通会社に入って事務担当になると、手打ち入力の仕事が多いから、その練習だと思ってしても良い。だが、あのノートは賢い内容がない。今までの7冊の内容と同じで、あとは哲学をやりはじめているぐらいだ。キモく見えるし、賢い部分はたくさんあるが、それは他のもう載せた部分とあまり変わらない。
本当に、僕は同性愛者ではないし、本当はそんなに大した愛情を抱いているわけでもない、ということは先に言っておく。だが、僕のこの気持ちには、嘘偽りはない。もし、僕が嫌いなように見えるのであれば、それは間違っている。だが、本当は僕は普通に女性が好きだし、むしろ、女性に対しても、僕はたまに同じようなことを思う。作業所のスタッフの若い女性の方が普通に好きだったりする。だから、この感情は友人として、普通に好きなだけで、出来ることなら、このまま普通に接してほしいと僕は思っている。僕は愛していないわけではないが、愛しているわけでもない。だから、こんな馬鹿は置いておいて、普通に男性は女性と恋愛してほしい。僕は、ただ自分の想いを否定することもなく、肯定することもなく、拒絶するわけでも誇張するわけでもない。
あとは、僕は英語の勉強をしたいと思う。今日はNOVAと図書館と農園に父親と一緒に行った。僕は、何をしたいわけでもないし、もう全てのことは出来たし、手に入れたし、満足もしているし、楽にはなったし、きちんと分かったし、全てに達成感を覚えている。だが、これで英語が出来れば僕は天才だと思う。同時に、IllustratorPhotoshopの勉強ももっとしたい。そもそも、適当な憧れを抱くのは、自分が出来ないことを他人が簡単にやっているからであって、そこに恋愛のようなものは本当は一切ない。ただ、「凄いな」と思えば良いだけの話であって、僕は僕で結構才能を持っている。だから、嫌いになれば良い、という問題でもない。切磋琢磨すれば良いし、教え合えれば良いが、本当は僕には出来ることは何もないし、教えられるようなことは何一つない。それはどうでもいいが、デザインスキルをもっと上げていった方が良いと思う。
本当は、大卒で良い会社に入って事務仕事についても、工場以下のデータの手入力をしている人間しか居ない。事務なんかつまらない。僕は、僕の道を行く。そこに、他の人間のことは関係ないし、道も僕が作りたいように自由に作っていく。だが、そこから人々が何かしらの知見を得られるなら、僕は光栄なことだと思う。だからといって、他人を意識しすぎてしまえば、自分も良く分かっていないのに他人にアドバイスをするような、最悪のクズになる。だから、僕は他人と関わろうとはしない。
本当は、こんなことを僕が書いているのは、恋愛に興味がなく、性的な欲求もなく、成功にも興味がなく、何も異性に思わないからであって、本当は恋愛の欠乏症が行き過ぎて恋愛のことをまるで忘れてしまったからであって、今考えれば、大した好意も恋愛感情も、僕は抱いていないと思う。だからといって、僕の言葉に嘘偽りがあるわけではない。憧れは確かにあるし、相手を幸福にしたい気持ちや自分の知っていることを与えたい気持ちもあるが、僕はそれを恋愛とまで言えるほど高い感情だとは思わない。ただ、友人を幸福にし、友人と興味を共有したいだけで、セックスがしたいとか、そんなことはまるで思わないし、相手を独占したいとか、自分だけを見てほしいとか、そういう異性に対する気持ちは「無い」のだ。どうでも良いほど、僕は恋愛なんか、今までにほとんど経験がなく、したこともないし、そもそも相手を守り導けるほど自分が賢い知性と責任能力を持っているとは思わないのだ。つまらないほど、この僕の気持ちは恋愛に至るほどのレベルに達していない。むしろ、男が普通に男に興味関心を持った、というだけに過ぎない。
どうでも良いが、本当は、自分は何もかも狂ってどうでもよくなっているのだろう。こんな馬鹿が幸福になるわけがないと、僕は思う。だから、アメリカを平等にしたい。
そもそも、こんな人間に騙されない方が良いと、僕は思う。こんな人間のことを信用しない方が良い。ただ、口からでまかせを言って、相手をたぶらかせるだけのキモい女になっているからだ。
なんだか、つまらない。むしろ、この僕のことをもっと嫌いになってほしい。そんなに好かれるのは、僕は慣れていない。嫌いになった方が好きになることはあると思う。それこそ、僕はまだこの時点で恋愛をしていると思っていない。むしろ、普通に男に何も思わない。僕は昔から普通に男だ。同性愛者ではない。そもそも、友達にすらなれていない。自分なんか、顔も堀江みたいな顔をしているし、障害者の赤ちゃんにしか見えない。こんな馬鹿が何か、思い上がって特別に好かれるとは思っていない。生物学的に価値のない生物だと僕は思っている。それに、日本語すら分かっていない。
自分は、この世界を自由な社会にする。ありのまま生きられて、自分らしさを労働から感じられるような、そういう、「アイデンティティ憲法型」の社会にする。
今の社会は、豊かになること、職にありつけること、外国に勝つことは目指しているが、本当に必要な「アイデンティティを感じられる社会」は目指していない。
たとえば、事務の仕事でも、介護の仕事でも、誰にでも出来ることをみんなと同じようにやることになっていて、個性とか、自分らしさとか、自己実現とか、そういうことは全く考慮されていない。ただ使い捨てにされて、自己責任を押し付けて、何も考えられなくして、みんなと同じように働き、代わりなどいくらでも居る中で厳しい要求をつきつけてくる、そうした「無個性の社会」になっている。
僕は、これを変える。そうした労働をやることも必要だが、同時に、空き時間かあるいは完全にスケジュールされた中でも良い、自分の出来ることを自分のやりたいようにやる、そうした労働を同時に与える。たとえば、週に三日は介護の仕事をするなら、あとの二日はグーグルやマイクロソフトのような場所で、特別な労働や生産活動を出来るようにする。たとえば、オープンソースに貢献するとか、デザインをするとか、子供たちに教えるとか、作品を展示するとか、そういうことが、そうではない無個性な仕事と同時に出来るようにする。
マルクスのように、階層の無い平等な社会にしたからといって、結果的にその社会は強制ノルマの労働社会になり、自由な活動は何も出来なくなる。国家に反抗することが出来ず、また生活も最低限の生活の中で製品は十分に生産されなくなる。
本当に必要なのは、アイデンティティとリアリティが同時に感じられる、「個性を認めてくれる社会」だと僕は思う。自由主義は、豊かになって職を与えることは出来ても、社会的幸福を与えることができていない。豊かさや資本力ではなく、アイデンティティとリアリティの両立、ということに、真の日本の解放はあると、僕は分かっている。
ただ、そのためには、ただ理想論を唱えるだけでは意味がない。経験と理性が必要だ。特に、社会のことを冷静に変えて、要らないものはずばっと切り捨てて棄てていく、そうした姿勢も必要だし、MITメディアラボの日本人所長のように、「たくさんの仕事の経験をした上で優れた理性」が絶対に必要になる。そうでなければ、何がアイデンティティを与え、何がアイデンティティを奪うのか、国民にも首相にも分からないだろう。そこで、僕はぴったりの存在だ。全てのことが総合的に分かる、知識と経験を持っているからだ。
よって、アメリカを平等にするのであれば、「公平さ」という名前の「機会の平等」だけではなく、「アイデンティティとリアリティの両立」という信念が必要になってくる。それが、アメリカと西側諸国を侵食する、「新しい人種差別」を変えていくだろう。それが、僕の言う、アメリカの平等だ。
指導者には、経済学を分かっている人間よりも、社会のことを作り、創造できるほどの多様で創造的な経験を積んだ人間を当てる。そして、社会的には、家庭を子供の家庭から大人の家庭にしていく。子供を育てる能力のない女が子供を育てている状況を改め、きちんと成熟した全てを総じて知っている人間が子供に教え育てていくようにしていく。経験や能力のない教師に経験や能力を与えていく。社会のことを基盤から賢くして行き、経済学のような「魔法のお鍋のような繁栄」など存在しないことを突き詰めていく。その上で、社会全体を、自然に分かり、自然に気付き、自然に信念を変えていくように導く。それは、僕にしかできない仕事だと思う。
昔は、自由な経験、自由な社会、だと言っていたが、それは正しくない。みんなで作れる社会、といっても、間違っている。多様性や創造性も、要らない。本当に必要なのは、アイデンティティとリアリティの両立と実現だ。それが、たとえば、「それだけでは実現できない」というなら、僕もその通りだと言う。だが、たとえば、「A級クラスの仕事」というのを作って、誰もが何らかの形でA級クラスの仕事に参加できるようにすればどうだろうか?それは、東大の教授からSONYの技術者まで、「誰もが入りたいと思う仕事」は全て網羅する。その中から、自分が選んで、「この条件なら自分でもやってみたい」と思える仕事に、週のうち二日程度はかかわれるようにする。だが、A級だからといって、金が余っているわけでもない。学習コストも必要だし、給与も満足に与えられるわけでもない。だから、オープンソースを参考にして、「ほぼボランティアのような賃金」によってそれを実現しよう。Debianのメンテナになるように、ボランティアで東大の助手になる。それが、きっとアイデンティティとリアリティの両立だと僕は思うのである。もちろん、だからといって生活が困窮するようでは良くない。自由な労働の選択も出来るべきだ。だが、それはきっと僕一人だけでは実現できない。協力者が必要だと、僕は思う。
昔は、あなたには自由があるとか、意見を聞くべきだとか、そういう子供のような純粋な理性はあったが、何かの努力をしたことがなかった。今、努力した上で僕が思うのは、本当は、そんなに成果がでなくても、自分なりに自分のことが出来れば、それでアイデンティティは満たされるということだ。たとえば、大学の研究をしただけでも、あるいはデザイナーの学校に行っただけでも、ある程度自分なりに出来れば、人間は幸福になる。だから、きっと仕事を与えるだけではなく、ある程度の幸福が得られるぐらい、リアリティのあるアイデンティティを与えてやれば、人は幸福になる。それが、最近の僕が学んだことだと思う。
ごめん。色々考えたが、僕はやっぱりゲイにはなれない。こんなことを書いていて、みんなは引くかもしれないが、僕としては冷静で、むしろ今の状況を楽しんでいる。もっと他に良い人が居ると思うし、僕はこういう、「どうにもできない状況」には慣れている。たとえば、僕は音楽が好きだが、彼ら・彼女らの音楽が自分を愛していることに対しても、感謝しながら楽しんでいる。僕は、こういう状況が好きだ。もし、僕のことを愛してくれる人が居るとしたら、僕は同性であれ、異性であれ、それを受け入れるだろう。僕のことを愛してくれる人を、僕は愛する。
たぶん、僕は恋には慣れていないが、こういう、自分のことを冷静に分析することには慣れている。だから、慣れない状況でも、僕は冷静な神のように振る舞うことができる。たぶん、僕のこの発言によって、みんなが動揺したり、混乱することもあるだろう。だが、僕は冷静にその状況を楽しむことができる。
あまり意味がないが、こんなクロロ(ハンター×ハンターのキャラクター)みたいな馬鹿は忘れてほしい。この人間は、盗賊団の団長みたいに悪い。手下のことなんか、駒だとしか思っていない。こんな馬鹿は許されるべきでもないし、愛されるべきでもない。
昔の自分は、経験と理性から、アイデンティティをどのようにリアリティの中で実現するか、良く考えていた。とても、賢い人間だった。経験的なこの世界の実像と可能性を、具体的な体験から分かっていた。
僕も、こんな馬鹿はクズだと思う。恋愛のような感情を抱く前に、自分の腹を割って冷静に話そう。そうすれば、きっと誰とでも僕は分かり合える。僕は、理解し合う素質だけは昔から優れているからだ。