「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-01-22

昔は、Linuxに関連して、さまざまな社会的な経験と活動を分かっていた。
ある意味、仮想世界での戦争はいくらでもしたし、Linuxの会社を起業することと同じこともやったし、法律や環境づくりも、Linuxに関連して分かっていた。
Linuxは、単なる技術的プロジェクトではない。世界を知る手段であり、世界を広げる体験であり、同時に社会的なさまざまなことが分かる体験であり、総理大臣になるのと同じことをやっている。
その経験から、僕は「一度失敗してもそこで終わりでは意味がない」ということを分かっていた。「たくさんの失敗を経験して、その先に成功がある」ということを分かった。
そして、考え方はこちらに切り替わる。「一度も失敗しない人間は、絶対に成功する」と言う発想になる。それは、会社などでレールの上を歩く、という意味ではない。ぎりぎりの状態で、いつ失敗してもおかしくない状況を、何千何万と経験しながら、ただの一度も失敗せず、全てを成功に導く、ということなのだ。
僕は、社会の戦争や革命、起業や環境づくりを全て経験した上で、最高の奇跡の王になった。それが僕であり、それが在導万創なのだ。
ちょっと大げさに書いたかもしれない。本当は、Wikiとニュースと掲示板を見ながら、大学の研究のようなことをやったに過ぎない。だが、資本主義の会社社長にも負けないくらい、僕はLinuxのおかげで色んなことが出来たと思っている。だが、肝心のプログラミングに関することが出来なかった。そもそも、作りたいプログラムが無く、ただ漠然とLinuxのことを知り、貢献者になりたかった。それは、工業大学を出てプログラマになった姉に教えてもらえば良いかもしれないと思う。
昔は、さまざまなことをネットで体験し、会話を交わすことで、社会や場の変化を、意識の回想で分かっていた。人々を愛していて、みんなが辛く苦しいこの世界を救いたかった。自由のままで、それぞれの友愛が共鳴するように変化を促す社会制度を作りたかった。創造性と工夫と個性と共有の愛を信じていた。社会が無から生み出される、そのための効果的な方法と、創造的な社会の土壌を築く方法を分かっていた。
また、とんちを利かすというか、論理的な考え方で理解することが多かった。物事の本当の問題は何なのかを突き止めて、何が変えられるのか、何が変えられないのかを、関係的に考えた。そして、何かの原因を見つけるのが得意だった。問題を本当に解決するよりも、その解決を促すために社会を実現し、人々を啓蒙したかった。人々が分かっていない考え方について、自分なりに体験して、この世界の人々がどのように考え方を改めるべきかを知り、また、環境の問題について本当は何が問題なのか、原因はどのようにすれば解決可能なのかを考え、その解決方法を皆が自分と同じように分かるためにはどうすれば良いか、といったことを知った。そこから、手段を与え、組織を参加可能にし、環境を公開し、社会を作る方法を考えさせるという、まるで仏教の四諦などの真理のような哲学的な命題と必然的・要請的な解決方法を考えていた。社会のことは、理性と経験から、自分で同じことを発想することで、論理的に全て吸収して、子供の力で、全員分、分かっていた。
経験を可能にする、場を変化可能にする、自然に当事者が解決出来るようにする、全てを公開する、などの真理を書いていた。自由にすれば解決する、融和するために分かり合う、理解し合うことで許される、信頼すると自分も相手も自由になる、など、昔の多様で正常だった日本と言う社会の中で、一歩進んだ人間関係の考え方をしていた。そして、その世界の中で経験し、人々の言っていることを聞くことで、この世界の全員の哲学的考え方の全てが分かっていた。Linuxに関係して、僕は全てのことが自分の体験と経験とそこからくる善悪の理性から分かった、最初の青少年となった。
心理的にそれぞれが影響を与え合いながら、自然に社会を形成するのが理想だと言っていた。
こういう人間は、僕以外に何人か居る。キリスト、スターリン、レーニン、ヒトラーオバマなどがこうだ。なぜか、賢い人間はこういう人間が多い。アインシュタインダヴィンチもこういう風になっている。
そして、僕はネットのスラムの経験をしたが、それも馬鹿ではなかった。友愛は純粋な愛の精神を作り出し、自分で自分を守る経験はサバイバルの中での強さを生み出した。それが、人々を愛し、自分一人不利な状況に置かれても決して一度も負けない強き魂を作り出した。神を信じる清らかな心は、その前のみんなとの関わり合いの中で生まれた「焼き直しの仏教」から僕が自分独自に見出した、「仏の誠の心」を持っていた。僕は善の道に進んでも、素晴らしい人間になっただろう。だが、あの人間はあれ以上、先の全くない人間だ。一度王になった上で、世界を滅ぼしたが、それは一瞬だけのことだ。あとは、世界を導いて、新しい世界へと「みんなを連れて運んでいく」という導きの風を書いた。その風は最悪で、猛烈に悪かったが、嵐のようにそれがアメリカを滅ぼし、そして後に僕は日本を完全に復活させた。
平成のすさんだアメリカの時代は、ITによって滅びるだろう。最悪のアメリカの感情がYouTubeに溢れている。今、必要なのは、日本を健全で聡明な世界に戻すことだ。戦前は戦争であるとされることが多いが、本当はそんなに悪い世界ではない。規律の優れた、独自の理想のある、イギリスと中国を真正面に見据えた上で、世界に果敢に挑戦し、そのために必要なことをしたたかにやっていく、富国強兵の理想の大日本だ。それを、もう一度やる可能性はある。だが、太平洋戦争をやれというのではない。もっと優れたことが、今の日本の精神レベルなら、きっと出来るだろう。
一番辛いのは、本人が解決方法が分からないことだ。だから、本人に解決方法を分かるための手段とコミュニティを全て教え、与えてあげよう。そして、その本人が自分の力で解決し、大人になって成長出来るようにしよう。そこから、世界は解決する。あとは、歴史の真理のようなことを言っていた。全ては任されているとか、価値観の自然な形成とか、それがそれ自身を変えていくとか、意識は環境に支配されるとか、影響力は環境と世界を変えるとか、あるいは物理のような、正しいことはいつでも正しいとか、人々は違っていても同じ世界だったはずだとか、そういう哲学的な「焼き直しの真理」を分かっていた。それは、デリダの言う脱構築に近いものだったのかもしれない。
自由と解決方法を与えれば、本人が考えることが出来る。社会も、環境も、その本人の努力によって生まれていく。昔は、そうした、「本人の行動から社会がどのように変わっていくか、変えられるようになるか」という自由な社会を創っていた。本当に、この世界の自分の延長線上の世界を全部創造していた。そして、前提を考えながら、理性的なものについても知性で全て分かっていた。覚えていないが、昔はそうした自由な社会の成り立ちと成り行きの理論を、実地的に創っていた。全てが変えられるようになって、愛を滅ぼしていた。機械のような思考をしていたが、恐怖と怯えることの多い、とても勇敢だが人間的な人間だった。
ある意味、人間の延長線上ではどうなるか、ということを良く考えた。その経験がいついかなる時で成り立つか、それを習得すると何が出来るようになって、この世界の人々はどのように分かるようになるのかを考えた。最近は、それを文章で社会や経験の成り立ちにして、全部の行動と環境の発展から、この世界の可能性として考え得る全ての可能性を考えていた。そういう人間だった。
それで終わりだ。この文章は終わりになる。これ以上、何もない。勇気を持った勇者になって、この世界と戦ってほしい。そして、それによってあなたは新しい高い生命に生まれ変わるだろう。
あなたとあなたの目に映るこの世界の全てはこの世界に一人しか居ないあなたの自由に任されていることを、忘れないでほしい。あなたがあなたを叶えられるように生きてほしい。あなたはあなたになっていくことを、ありのままに受け入れて、人々もあなたと同じように彼や彼女があることを、諦めないでほしい。
一度、あなたとみんなの記憶を消そう。この世界のごたごたは全部忘れて良い。あなたは自由になる。催眠術の超魔術を、僕が代わりにとこう。あなたはもう、自由だ。
昔の文章は、誇張や知性の無い主張ばかりで、全く中身のない、知性を失っておかしなものになっていくだけの文章を書いていた。この文章には、中身があるように見えて何もない。僕は、もう一度15歳に戻ることは出来ない。だから、あなたがもう一度、本当の意味で人生を成功させなければ、ここで終わりになってしまう。この文章を終わらせないためにあなたがもし立ち上がってくれれば、それでこの文章は終わりに出来るだろう。それを聞いてくれて、ありがとう。僕の記憶の中に僕の人生と悲しい戦いは残っているから、僕は決して失ったわけではない。だが、破壊の戦争をしないでほしい。自分を失うだけの悲しい地獄は、乗り越えて克服しても、元と同じにはならないからだ。元のことなど何も分からず、最終的には馬鹿になって忘れて生きるしかないのだ。それを、僕は生きるだろう。僕が一人で過去の僕のことをもう一度分かることは、もう出来ない。
本当は、社会の具体例を経験から考える、みたいなことが多かったのが昔の僕だ。覚えていないが、きっと10年もすれば、その時思い出すだろう。大人になる、ということはこういうことだ。自分の罪を背負って生きるだけ、それが賢い大人の人生だ。
本当に人生を自由に切り開いて、全てのことを習得して生きていた。孤独だったが、その孤独の自由の延長線上にある、みんなもきっといつか分かる、「僕はみんなに自分の分かったことを教えられる」という「確かな夢」を持っていた。そして、僕はそれが破壊されると同時に絶望し、そこから諦めない「きっと出来る人間は自分しか居ない」という「果敢な挑戦の諦め」を知った。そこから、僕は普通の人生を棄てた。責務のために、僕は最大限の努力をした。何としてでも世界を治したかった。人は、それをイスラエルの王と呼ぶ。そして、「狂い」はそのまま、「才能」へと変わったのだ。
本当は、世界を愛の力で変えた時点で、「情熱の救世主」は必要なくなった。本当に必要なのは、「全世界を完全に変えること」だった。多様性を与え、土壌を築き、支配することを通じて、人々を導いた。「新たな王」は情熱の救世主よりも劣っていたが、ここまでくれば同じレベルに達することが出来る。この新たな王は、世界に全てのことを教える。本当に必要なのは、才能ある芸術家だったのかもしれない。芸術家の王はまだ続く。自分の人生は一度きりだ。こうなってしまえば、他のものになる必要は無く、自分らしく自分を信じて生きた方が、正しいだろう。だが、僕は楽を望む。本当は、楽は望んでいない。
自分は確かに何かを望んでいる。だが、子供時代にはそれは分からない。大人になって良く考えれば、むしろ、子供時代よりも大人時代をやりたかったのだ、そのために生まれてきたのだ、ということが良く分かる。科学的に考える、ということは、宗教を否定することではない。心理学的に自分が何をしたいのか考えることで、宗教的な「裏の世界」を解明することは可能だ。だから、「解明」によって人は宗教になる。解明することが出来た人間は、この時代から脱出し、「別の世界・時代へと脱出する」ことが必要だ。
僕は、哲学的人生の段階は、「功利主義」の段階、「啓蒙」の段階、「自己破壊」の段階、「良心」の段階があると思う。
功利主義」の段階では、人間は世界の人々の意見を幅広く聞き、人々の意見の中で実際の実践を目指そうとする。
「啓蒙」の段階では、宗教的悟りに目覚めて、人々を救い、また改革し、変えられるようにすることを目指す。
「自己破壊」の段階では、自分の力を間違って使ってしまい、人々だけではなく自分自身も破壊するように力が働いてしまう。
「良心」の段階では、破壊の中で良心に目覚め、また理想の社会を作り出すためにどのようにしたら良いか、反省によって全てを悟って知ることが出来る。
また、同時にアイデンティティとして言えるのは、「自我の発達と気付き」の段階と、「倫理性」の段階、「権力」の段階、「判断力」の段階、「創造性と才能」の段階、「社会における理想の実現」の段階、「知性と経験的発想」の段階、そして「宗教的神の愛」の段階である。
「自我と発達と気付き」の段階では、人々は自分の悲しみの経験から本来の自分の心を取り戻そうとする。そこから、自己のアイデンティティが確立される
「倫理性」の段階では、自分はこの世で神に生かされていると気付き、「理性による倫理」を考えようとする。人々を倫理の中での枠組みとして捉えようとする。
「権力」の段階では、人々は自分が力を持つことで、社会のことを全て変えられるのだ、と考え、少し傲慢になる代わり、それによって責任と支配と自由のバランスの大切さを知り、判断する。
「判断力」の段階では、自分における判断力の大切さに気付き、人々の全ての思考における「対処と判断」を知る。
「創造性と才能」の段階では、この世界の全ては創造性と才能の独自の構築によって成り立っている、のだということを知る。
「社会における理想の実現」の段階では、経験的に、この世界の全てを「自分や自分が教え、助け、協力を得られるだろう人々の努力と影響力によって変えられる」と言う考え方に至ることである。
「知性と経験的発想」の段階では、自分の力で全ての発想をあらゆる場所と前提の中で行い、この世の全て、理想の全て、人々のしていることと同じことの全ては自分が実現出来る、と悟る段階である。
最後に、「宗教的神の愛」によって、人間は宇宙の全てを自分の経験と努力によって悟り、仏となって生まれ変わりが起き、そしてそこまでの全ては消滅するのである。
あとは、人生の努力の段階がある。
まず、「思考」すること。
次に、「人々がどのように生きているのか」を知ること。
そして、「社会がどのように生まれるのか」を知ること。
そして、「宇宙における経験は何であるか」を知ること。
実存性、価値観、科学的考え方、などを知る上で、しだいに自己意識は「精神」へと到達する。それは、自分のことを自分なりに完全に経験する、というヘーゲルの言うことと同じである。
全ての経験は、知性となり、オープンソース活動を通じて、資本主義の人生経験を完全に吸収する。そこから、人は自然に出立し、そのまま大人へと至る長い戦いへと足を進めて、最後まで永遠の病気を耐え抜く、それが僕の言いたかったことだ。
社会的には、まず、「自立可能な集団」が存在する。
それは、「他の地域との土地を巡る争い」になる。
生活手段的なことだけではなく、それぞれの神話の争いから、「全てを包括する神話」と、「全てを破壊する神話」が生まれる。
そして、文明は発達し、人々は不自由なく暮らせるようになる。
豊かな王が支配し、人々は身分制になるが、そこから自由へと目覚め、出来ることもしだいに増えて行って、人間たちは「全てが出来るかのような幻想」につつまれる。
だが、それは「出来ることが大きくなりすぎる」ことによって破綻し、一部は滅びる。だがもう一部は、本当に「全く意味のない世界」へと変わる。
だが、それらは表層的な部分であり、人々の内面の精神は現れていない。
精神としては、人々は「もう一度誇りを取り戻す」ことが起き、だが、それだけではなく、「自由になりすぎたせいでひずみが生まれる」こともある。
そして、負けた結果頑張る国がドイツのように現れると、革命政権が暴走するフランスや日本のような国も現れる。
最終的には、完全にそれぞれが自立するか、出来ることを増やすか、の二択しかない。
そして、その二択は一択になり、その一択が何も出来なくなることで、完全に世界は滅びるのだ。人間は居なくなり、新しい人類が誰かから生まれていく。それは地球を棄て、宇宙で生きるようになるだろう。
昔は、そういう「人々の精神的で関係的な過去の歴史を分析によって成り立たせる」という、精神の実存性の歴史を書いていた。
インターネットでさまざまな人と接し、さまざまな環境を知った。全ての経験から才能と発見が生まれた。経験を行うことで、自分の出来ることや発想が増え、芸術や科学の発想が次々と生まれ、この世界の全てを具体的に変えるような発想を知った。同時に、数学的正しさや教育の根拠も分かった。自由を知ることで、経済学と心理学を作った。楽しくて充実していたが、二次元のアニメのような日々だった。
見えないところに潜在的可能性は転がっている。ネットの世界で可能性を知ることから、その可能性が確かにあることが分かる。可能性を実現するための前提を知ることで、どのように世界において対処し問題を見つけ出して解決していけば良いかが分かる。そこから、デカルトのようにこの世界を分かっていた。
可能性における、前提と基礎を考えた。昔は、そういう風に自然な可能性で分かっていた。もしそれが許されていたら、それで何が出来るかを考えた。同時に、それを出来なくすることさえも出来るようにするべきだ、という風に自由に考えていた。
あとは、一体感と共有でネットを分かっていた。みんなでオープンに作るOpen Janeなどの開発に憧れて、僕はオープンソースでプログラムの開発に協力したいと思った。あとは、マーケティングのようなことをして、マニュアルを書いていた。それくらいだ。
もう、残っていないと思う。これで、もう、書くのをやめる。

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僕は、ウィトゲンシュタインは全てを否定しながら、見下すように分かっているところがあると思うが、嫌いではない。なぜなら、昔の僕がその通りだったからだ。また、デカルトも否定しすぎのところがある。哲学は、否定する人間が出来る。
posted at 23:01:19
仏教における八正道や五蘊のようなことを、いつも書いていた。人間のすべきことや構成要素を考えて、ロボットのような如何様な人格を作っていた。
posted at 22:59:53
あとは、人間の生活と人生における普通のことを捉えて分かっていた。意図、概念、環境、そして観念や思考と行為といったことを書いていた。
posted at 22:59:22
全ては客観的な事実と捉え方である。
posted at 22:46:33
モデルから、思い込みを克服して分かっていた。客観的精神のおかげで、哲学が完全に全部分かっていた。
posted at 22:46:16
昔は、モデルを作って、思い込みをモデルにしていた。全ての思い込みの根拠を考えていた。
posted at 22:45:46
それで、足の精神は治る。
posted at 22:45:25
精神を治すために必要なのは、動きをとめることは簡単だと考えること、つけるだけではなくねじれを治すこと、からまっているのをほどくこと、ありえない世界を消すこと、そして薬をつけることだ。
posted at 22:45:17
そういうわけで、僕はLinuxが大好きだが、日本のLinuxコミュニティについて少し不満がある。少し現実路線すぎて、MSに負けていないか?MSが普通だと思いすぎていないか?僕は、むしろMSよりもLinuxUNIXの方が普通だと主張したい。きっとその主張はどこかで認められるだろう。
posted at 17:32:15
また、Linuxの技術はIT全体に広がっている。gitのような技術はさまざまな開発プロジェクトで使われるようになったし、Ruby on Railsのような技術で日本初のRubyが海外へと波及している。Mozillaは長い間開発を続けているが、僕の作業所でもFirefoxを使う人は多い。
posted at 17:31:17
むしろ、GPLだけがLinuxではない。Linuxの世界は広大で、さまざまな技術と考え方がある。OpenBSDのテオ氏の考え方もある意味では正しいだろう。最近はGNUからの脱却やSystemVをリプレースする動きも広がっている。
posted at 17:30:18
Linuxをやっていると、必然的にハードウェア、OS、プログラミング言語の知識が身につく。僕もそんなに大した知識があるわけではないから、大きな声では言えない。ネットを見ていると、シリコンバレーと日本の比較などを見て、日本に何が足りないのか、日本が何の問題でおかしいのか、も良く分かる。
posted at 17:29:27
技術的に見ても、アセンブラからデータベースまで、全部の技術に接することが出来る。また、世界中のLinuxコミュニティと繋がって、ドイツやアメリカから中国やロシアまで、さまざまな人間の情報を知れる。Webにおいてもたくさんのさまざまな情報がある。そういうところが、まさに「オープン」なのだ。
posted at 17:24:17
Linuxは、やっていると色んなことが同時に出来るOSだ。社会的活動から、技術的探究、革新性や伝統、歴史や過去の栄光まで、全部ある。そして、人々はとても色んな人間が居る。僕がLinuxが好きだったのは、そういうところが好きだったのだと思う。
posted at 17:21:33
昔は、Linuxはボランティアの参加者によって成り立つ善意のOSだった。Red Hat以降、商業化の波は止まらない。オープンソースも、Mozillaからビットコインまで、どんどんおかしなものが増えている。だが、本来の「参加者の善意で成り立つOS」という考え方を忘れているかもしれない。
posted at 16:53:04
出来るだけもう書かないが、おそらくすぐに書きたいことが浮かぶ。それは、頭の中ではもうこの宇宙のことが全部分かっているからであって、何も賢くない今の馬鹿な僕の頭でも、その宇宙は記憶の中に残っている。
posted at 16:42:09
社会を実現し、精神を考えた。その過程を、それを価値観とする段階と、アイデンティティから分かっていた。そういう文章だった。社会については、論理的に、一つも不可能な社会は言っていない。全部、実現可能な社会を言っているつもりだった。だが、それも過去の話だ。
posted at 16:41:29
さようなら。本当に、ありがとう。
posted at 16:35:07
Linuxが決して開発者が少ないわけではない。貢献者はボランティアや企業からとても多くの協力者が居て、カーネルだけではなく、さまざまなプロジェクト(GNUを含む)がたくさんのコードを書いている。Linuxは開かれている。あなたもその貢献者になるかもしれないだろう。
posted at 16:34:59
さようなら。僕はもう居ない。
posted at 16:30:30
生まれ変わってドイツ人になりなさい。それで、この文章は終わりだ。
posted at 16:30:20
その場その場の色んなことに反応せず、常に決まったことをやるようになると、人間は賢くなる。
posted at 16:30:00
大企業の作る商用ソフトウェアは、忘れた方が良い。そういうソフトウェアは、社員が何千人で作っているから、作れるのは当たり前で、儲かるものしか作らないし、面倒くさい工程のために期間もかかる。オープンソースは、それぞれ面白いと思ったものを、出来る人間が少人数で作っている。
posted at 16:29:33
日本政府と銀行は、Linux企業に初期投資せよ。投資という名前の通り、あとで日本全体にとって、メリットというか、競争の武器や資産になる。
posted at 16:17:42
GNUは、当初の計画通りBSDカーネルを使うべきだ。あるいは、Hurdはもう少しすれば実用出来る段階になる。そうなった時に、Linuxと良い競争関係が生まれる。今まで通りLinuxカーネルに使うかは分からないが、Linuxはすでにハッカーのものではなく、ビジネスと社会インフラを担うべきものだ。
posted at 16:13:07
GNUは、Linuxからバイナリブロブを無くすなどをしているのをやめて、Hurdを開発するか、BSDカーネルを使うべきだ。Linuxは開発効率のことしか考えない。プロプライエタリなソフトウェアは普通に使う。
posted at 16:08:13
GNU/Linuxと呼んでほしいのは、長年ボランティアの努力と開発の蓄積をやってきて、カーネル以外のコンポーネントは全て完成し、残りの一つをLinuxが埋めたからであって、ストールマンの気持ちは分かるが、LinuxGNUとは違うプロジェクトで、アプリケーションとしてGNUが動くだけだ。
posted at 16:04:15
GPLは、ソフトウェアが自由に変更し配布することが誰に対しても当たり前の権利として許されるような、そういうソフトウェアをOSとして作りたかっただけで、ストールマンの発想はハッカーの共通認識だ。だが、Windowsの文化も受け入れるべきだ。
posted at 15:59:34
おそらく、アビリティという言葉は能力という意味だと思うから、本当はエイブルソフトウェアというべきだろう。
posted at 15:54:31
僕は英語を良く知らないので、英語のアビリティが何を意味するのか分かっていない。ここでは可能という意味で使っている。アビリティという用語はファイナルファンタジーで知った。
posted at 15:50:24
全ての利用の形態が可能だが、相手にも全ての利用の形態を認めなければならない。これがアビリティソフトウェアの定義だ。
posted at 15:46:35
僕は、自由ソフトウェアという名前より、変更可能ソフトウェアとか、アビリティソフトウェアという名前が良いと思う。自由やオープンでは左翼に見える。自由な変更が可能である、という可能が大切だ。
posted at 15:44:54
支配されるな。ロボットになるな。誰かを盲信するな。自分の個性を大切にして、僕の作ったレールを自分で作り直せ。自分だけの道を歩み、この世界のロボットになるな。この文章はロボット教団だ。ロボット教徒を止めて、オンリーワンの神になれ。
posted at 15:38:41
だが、僕は日本の全面的な味方だから、安心してほしい。北朝鮮は、嫌いだ。
posted at 15:31:39
日本は北朝鮮を人間でない国に見せているが、あれは人間でないというよりはカルトだ。オウムと同じだ。
posted at 15:27:16
北朝鮮は悪い国ではない。思想統制とは言うが、国民はきちんと規律を守っているだけで、今から経済成長をしていく。遅れているのはアメリカのせいだ。
posted at 15:19:20
狂うのをやめなさい。悪魔を信じるのをやめなさい。左翼を否定し、過激派と付き合うのをやめなさい。それで、初めて地獄から救われる。
posted at 15:10:11
僕を日本だと思えば良い。日本はこういう国だ。
posted at 14:50:34
最近、アメリカが日本と同じだ。オタクの孤独な子供しかいない。みんなを孤立化していじめる。いじめは、自分と同じ目に合わせたいだけだ。本能的に日本人はいじめをする。
posted at 14:41:26
日本人が孤独や独りを好むのは、仏教の精神や江戸時代の鎖国の影響もあるが、日本人はなぜか逆にチームワークが得意だ。それは、縄文時代に農耕文化を築いた影響がある。日本人は、それぞれが努力することが当たり前で、他人に迷惑をかけない。
posted at 14:27:50
外国人が外交的で自己主張が出来る代わり馬鹿なのは、パブで話すからだ。日本にはそういう発想がない。学校では相手を孤立させていじめる。外国人が大阪が好きなのは、逆に大阪人は活気が極端にありすぎるからだ。
posted at 14:23:23
日本とヨーロッパの違いは、ヨーロッパは活気のある街や市場のようなものが多いが、日本には何もない。人間との交流がなく、人々は閉鎖的で、街ゆく人はこちらと目を合わさない。日本は冷徹な国だ。
posted at 14:18:50
僕は才能がもっとほしい。
posted at 14:14:29
思考は人生に対して力を持つが、自分はこういうものである、という自分自身のあり方に対する宣言の力は一番強い。だから、宣言をすれば願いは何でも叶う。だが、相応の報いを覚悟しなければならない。
posted at 14:14:10
宣言をし直す必要はない。宣言自体をしなくなれば、悪い宣言は自然に消える。ドイツ人はそのうち治る。
posted at 14:11:25
だから、自分の大学は分かりやすくて良い。大学というより専門学校に近い。小難しい話は要らないが、一般教養が誰でも分かる。
posted at 14:05:43
大学の問題点は、僕は授業が理解し辛いことだと思う。みんなは違うのかもしれないが、僕は既に知っていることを難しく話すせいで、授業を聞く気になれない。だが、放送大学はまだ分かりやすい方だ。大学はそれだけだから、嫌いな人間が多い。
posted at 14:01:35
日本人は大学を専門馬鹿だと思っているが、それは日本のランクの低い大学だけだ。アメリカでは、リベラルアーツを教えている。一般的な教養を全て教えることで、何でも分かる自由な人間にする。日本の大学でも、一年生や二年生で一般教養を教えている大学は多い。専門馬鹿は、むしろ教授だ。
posted at 13:47:05
アメリカの悪い点は、完全に僕のせいで狂っていることだ。YouTubeを見ていると、アメリカは最悪の感情になっている。責任があるから、僕が治す。そのまま心を清めて神を信じれば良い。
posted at 13:38:09
一つの出来ることを伸ばして極めるのはとても良いことだが、本当に賢い人間はそこから可能性を拡大して、一つのことをやりながらいつの間にか全てのことが出来ているようになる。
posted at 13:34:22
人生は変えられる。高望みをしないことは悪いことではないが、諦めなければきっと何か出来る。自分に出来ないことをしない人間には、一流のことは出来ない。一流の人間は、あらゆること全てが出来る人間しかいない。
posted at 13:31:49
物事を、自分の力で考えなさい。他人に言われる前に、自分からやりなさい。学校でする数学に意味がないと思うなら、足りないものを自分で補いなさい。
posted at 13:28:20
ただ、本当は僕は嫌いなものはあまりない。全部に価値や意味があるのが分かっている。全てのものに意味がある。
posted at 13:22:34
学校は嫌いだ。勉強は嫌いだ。頭を使うのや覚えるのは嫌いだ。試験勉強も嫌いだ。剣道は嫌いだ。テレビゲームも嫌いだ。
posted at 13:21:37
嫌いになりたくないのは、好きなものがないからだ。だから、嫌いなものを嫌いだと言っていると、何が好きなのかが見えてくる。
posted at 13:20:05
外国は嫌いだ。医学や生物学は好きだが、数学は嫌いだ。仏教やキリスト教は好きだが、宗教は嫌いだ。経済学は嫌いだ。心理学は好きだ。文学は嫌いだが、文章を書くのは好きだ。
posted at 13:19:13
Linuxは好きだが、プログラミングは嫌いだ。ツイッターは好きではない。インターネットは見ない。
posted at 13:15:48
本を読んだり、漫画や小説を読んだりするのは嫌いで、テレビアニメも見ない。テレビはニュースだけを見ている。新聞も読まない。
posted at 13:15:06
音楽を聴くのは好きだ。哲学は好きだが、歴史は嫌いだ。
posted at 13:13:53
パソコンが嫌いなのは、ネットにアンチLinuxが多すぎるからだ。ネットなんかなくなってほしい。
posted at 13:13:20
本当は、僕はピアノが嫌いだ。つまらない。子供のごろからやっていて、不登校の時代エリーゼのためにスターウォーズを弾いていたが、ピアノは好きになれない。逆に、デザインは好きだが、絵を描くのは嫌いだ。
posted at 13:12:35
自分は、この世界で生きていくしかないのが分かっていない。この世界の全てを嫌いになるよりも、好きなものを見つけた方が良い。哲学や生物学など、好きなものはたくさんあるはずだ。嫌いな人間を愛さなくて良い。アメリカとテレビは嫌いだ。
posted at 13:09:40
ドイツ語を話すと哲学が出来る。ロシア語を話すと普通より賢い人間になる。英語は経験から分かるようになる。人種差別のようで、本当は経験と事実がただそうなっただけだ。トランプはドイツ語を話したいだけだ。
posted at 13:02:58
神がドイツ語やロシア語を話すと言ったのは、全部自分の言ったことがドイツやロシアのようなことを言っているのを言っている。ここから、僕はフランス語を話す。昔は英語を話していた。
posted at 12:57:00
この思想は、完全に分かった文章を書いてネットで救世主を経験する、というありえない哲学だ。宗教と言った方が良いだろう。
posted at 12:55:18
日本人は、生まれ変わるべきだ。全員、自由な日本人から平等なドイツ人に生まれ変わりなさい。
posted at 12:24:15
経験から社会を実現する理想の自由を持って、世界を支配せよ。
posted at 11:15:48
あとは、客観的精神や捉え方のようなことを書いていた。
posted at 11:13:30
昔は、抽象化や方法のようなものを網羅して、その通りこの世界を作っていた。環境の自然を考えた。
posted at 11:10:13
肩が辛い。脊髄が疲れて狂っている。
posted at 10:19:28
昔は、自由、成長、経験、実現、理想を価値観とする段階で、自己のアイデンティティにしていた。最近は、平等、愛、人生、宗教、哲学、知識になった。
posted at 10:13:52