「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2017-08-09

明日は、僕の29歳の誕生日だ。
若者、若い、と言えるのも、20代までだ。30代からは、大人としてきちんと分かっている人間にならないといけない。
僕は、資本主義の政治経済を勉強したい。
怖いのは、資本主義が怖い。資本主義者になると、安心出来る。
僕は、経済学は同じ趣向や趣味、社会的地位などのグループによって、ブロックを作って、ブロックで考えるようにしないといけないと思う。
社会は多様化しているから、一概にこれをすれば景気が良くなる、正のスパイラルになる、雇用が改善する、失業者が居なくなる、とは言えなくなっている。
国ごとの経済を考えるように、ブロックごとの経済を考えていかないといけないと思う。
民主主義は、色んな相反性のバランスを考える。
独裁者か、民主主義だ。
独立か、統一だ。
独占か、共有だ。
競争か、分配だ。
それぞれが自由に稼ぎ、働き、売り、買うことで、世界は自然に何もしなくても発展していく。
あとは、オープンソースのようにオープンを考えていた。工場や会社はオープンな生産と参加を行うべきだ。
昔は、仏教のような悟りの文章を細かく文章に書いていた。
環境において、人間はどういう風に行動し、学習するか、そういう、動物の本能のような心理学を良く考えて作っていた。
パソコンのアプリケーションは、メインループでなく、アイドル状態では何もしないで居られるような、そんなOSを考えられないかと思う。ストレージデバイスのようなものが参考になるかもしれない。
オープンソースについて、色んな実現可能性を考えていた。オープンソース工場とか、好きなことをして生きられる自由ノルマのような発想をしていた。レポートで給料を支払うとか、色々と考えていた。自宅で仕事が出来ても良いと思っていた。
社会全体の可能性を考えていた。余剰にものを作ってあとで楽をすることも出来るし、人々に権利や権限を認め、政府に全員が参加出来るようにして、時間単位で仕事を変えられる、と言う風にしても良いと思っていた。
自由に出来ることが出来ること、全員の国にすること、一人の王が偉大なことをすることが全てだ。
この世界は神が創造した。パソコンは昔の自分に、大学は最近の自分になる。狂った人間が間の自分になる。
昔は、理系や自由な社会構築の考え方を理性的に書いていた。
日本の問題は、子供が馬鹿なだけではなく、子供を育てる親が馬鹿になっている。未成熟な人間が子供を育てるせいで、どんどん馬鹿な家庭が増えている。
ただ、結構、最近はそうでもない。最近の若者は、むしろ、欅坂46が言うように、「風見鶏のようにそれぞれが言っていることが変わる」と言う、ありえない社会になっている。だから、悪とか、未成熟とか、そういうレベルではなく、社会全体が、本当に社会の前提条件自体を満たさなくなっている。
僕が政治家になったとしたら、そういうものを全部直したい。この世界の全てを、正常な経験のある、正常な秩序のある社会にしたい、あるいは、なってほしいと思う。
多様な経験をして、「それをすることが善なのか、悪なのか」と言う判断基準について考えること。きちんと判断力のある人間を大人と言う。最近は、そうした、基本の判断力を作る、前提の経験をしたことが無い人間が多い。ピュアである、と言う意味では良いことかもしれないが、たくさんのことを経験することで、本当に自分の力でこの世界を判断出来るような、そういう大人になる教育をしていかなければならないのだ。自分の判断力は世界を救う。そこから自我が生まれ、この世界の全員が何なのか、本当はどういう世界であると知られるのかが、分かってくる。人々が何をし得て、何を知り得るのか、そういうことが、独自の自分の自由で唯一ひとつの経験から分かるのだ。
経験することで、世界とは何なのか、知性とは何なのか、世界をどう生きるべきか、ありのままとはどういうことなのかが分かる。知性をつけることで、全てのことが分かる。全員分の経験を積み重ねることで、人々は何を本当は望んでいるのか、考えているのかが分かる。社会の構築の可能性を開拓することで、全てのことを精神であると知ることが出来る。
モデルを作り、愛を捉え、世界の作り方と幸福の実現方法を考えることで、ビジョンと経験から世界をどのようにしていけば解決するのかが分かる。あらゆること全てが、すっきりと解決される。
そういうことを書きたかっただけだ。
昔は、人間の人生の考え方のようなことを言う。アインシュタインの人生とか、宇宙人とか、宇宙数学とか、そういうことを言っていた。
仏教では、人間を色(物質的肉体)、受(外界のものを感じる作用)、想(ものごとを思い描く作用)、行(ものごとを形作る作用)、識(ものごとを対象として認識する作用)の集合である(五蘊)とするが、昔の自分も、そういう風に人間の真理を作って考えて文章を書いていた。
今日は、家族の間で誕生日パーティをした。プレゼントはスヌーピーのぬいぐるみ、スマホ、そして図書カードだった。
自分は、本人がやったせいで、みんなと同じ体験が出来ていない。
自分が分かっていて、みんなが分かっていないのではない。自分は分かっていなくて、みんなが分かっているのだ。
昔は、みんなが自分の中にある真実の変化を気付かせ、発展するように環境を構築し、それぞれが行動するようにネットで促しただけだ。
そのために、社会のたくさんの場所と活動を知って、絶対に良く出来るはずだと信じて、自分でめちゃくちゃ考えて、それでみんなのことを変えられるはずだと、坂本龍馬のように考えていた。
だが、僕がやったことは、それをすぐに自分から壊した。悪い人間に見えただろう。
そして、その後は永遠に頑張ってみんなを導いていた。
もう一度、変化を促そう。発展するように、再度環境を作り直そう。
あなたは自由だ。あなたには、たくさんの出来ることがある。
世界は、きちんとそれが分かるように環境と時間を構築すれば、きっと良いものに出来る。
あなたは自信を失うべきでない。世界は自信を失わなくて良い。
きっと、この世界は良くなる。全ては解決し、世界は発展し、もう一度みんなの下で作り直せる。昔の、そういう最初の僕の信念と理想を復活させよう。
希望を信じてほしい。そして、それで、この文章は終わりだ。もう、気付いたはずだ。答えは、「僕が一人でやるのではなく、僕が僕の支配を壊すのでもなく、そこにあった理想を押し付けるのでも、人々のせいにするのでもなく、人々を恨むわけでも、僕に失望するわけでもなく、もう一度この世界をみんなの力で発展させる」と言うことなのだ。
さようなら。明日は僕の誕生日だ。