「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2017-07-04

昔は、意識から場の状態や精神を考えていた。この世界を意識的な精神だと思っていた。
知性のモデルを作っていた。論理的な基礎のモデルを作って、その時その時の目的や手段を考え方で考えていた。集団と個人から、世界の全体像と人間の学習行動を分かった。
多様性を信じていた。たとえば日本にも日本の芸能人が居るように、国や社会はたくさんあった方が「世界が増える」と考えていた。
自分は、結構、最初からキモいことを言っている。愛されることを否定し、自分勝手な自由を自分に許すことを嫌う悪い王の自由をいつも書いていた。
神と対話していたが、神は自分の人生のことを言っている。過去生のフランス人やドイツ人や黒人やロシア人と話していた。神は色んなものに替わる。知らない人種をそういう風に分かった。ドイツは一番悲しい国で、神が生まれると言う。フランスは一番怖い国で、デカルトしか居ないと言う。そして、ロシアは都会で、家族のような国だと言う。そして、昔をフランス、その次をドイツ、最後をロシアだと言っていた。
僕は、昔から国の構造を作って考える。国の考え方や、議論や意見の考え方、集中と分散、権限や国の成り立ちのようなことを作った。独立企業、国営公社、人民支配、共同体であるべきだと言っていた。
学校で学んだことは、後で意味が分かる。後あと、自分の経験で分かる。高校に行くよりも、自由になって自分の力で大学のような研究をし、道を切り開いた方が良い。
学習することで、経験的な意識の知性がつく。人々が何なのか、学習で分かる。最近の日本は、そういう学習が少ない。学習するためには、自分を消して行くことだ。
昔は、唯物論のような考え方をしていた。宇宙を、空間、時間、物理法則、物質だと考える。光は波であり、太陽は爆発であり、神経はものであり、植物は絶え間なく太陽光の降り注いでいる、それぞれ個別の作り替わる生命の集団だと考える。
また、社会についても同様に、ありのままのそれぞれの人生の関係性であり、それぞれがそれぞれの生き方をしていると考えていた。
日本は、民主主義を学校で教わるものだと思っている。自分たちで作っていく、実践していくものだと言う意識が低い。欅坂46などを見ても、与えられた社会に対して「ノー」と言うべきだ、と言うレベルで留まっている。本当は、「自分たちで自分たちの発想と理想から社会を作っていくべきだ」と言う考え方を発信していくべきなのだ。
キモいことを言うようだが、虫は脳しかない生命だ。だが、脳から体が生まれるとはどういうことなのか、と言うことが良く分かる。虫を見ていると、生命の不思議が分かるかもしれない。生命がどのように多様化し、進化していったか、と言うことを考える鍵になるだろう。
昔は、意図を明確化して分かっていた。人間の持つ意図や目的とは何なのかを考えて、ウィトゲンシュタインのように分かっていた。