「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2017-07-01

昔は、考え方やたとえ話で分かっていた。経済的制裁を受けている時に、軍事的に強くして勝つのは、イランと同じだ、などと言っていた。
もう、頭が完全に消えて治った。分かるのが悪い。人間は、分かるとこういう風になる。完全に頭が分かっている。何を言っても分かる。
自由を知り、価値観を知り、創造性を知り、共有を知った。そういうことを言っていた。
もう、終わりにする。これ以上何も書かない。
もう少しだけ書きたい。
昔は、社会を構築する自由のようなことを言っていた。ナショナリズムに陥らず、環境に干渉せず、手段や機会を与え、環境をそれぞれが変えると言う。
それで、共有や多様性と言う。共有から発展し、社会は公正な条件からアイデンティティを取り戻すと、自由な革命的なことを言っていた。
鬱病やキレる若者が増えているのは、地域コミュニティが無いのが悪い。
最近は、アナログな機械のボタンを押すよりもネットの方が速い。IT業界は、そのうち、痛い目を見るだろう。体にパソコンを繋いで、脳よりもパソコンが速くなるはずだ。
こういうオープンソースな人間は、パソコン革命を見ないのがおかしい。Windowsの方が、革命的だった。MS-DOSやBASICも、ある意味ありえないほど革命的だった。それに比べて、Linuxオープンソースはそんなに革命的でない。Windowsは賢い。
それこそ、インターネットも革命的だ。ある意味、2ちゃんねるすら革命的だ。そういうIT革命が、今までたくさん起きた。もう、そろそろ、起きないだろう。
パソコンは計算機だ。それも、カウントと一致の機械だ。そこが分かると、良く分かる。
それで終わりにする。本当に、さようならだ。この世界に感謝する。
昔は、考える前に事前に考えて、初期投資からモデルを作っていた。知性から全てが決められるのを分かった。「どんな自分にもなれる人間」だった。
大人が馬鹿なのは、大人は人間関係が悲惨にならないからだ。
僕は、もう一度自然科学をやりたいと思う。特に、数学・物理をやりたい。
人間は、許すことでしか自由にならない。心の恐怖に対して、「もう良いよ」と許してあげることで自由になる。相手を信じれば、きっと信じてもらえる。だから、相手がきちんと許してくれた時に、人は自由になる。そのためにきちんと行動し、理解すると、それで楽になる。本当に良い体験をしている人間は、善人だ。
離れることも悪くは無いが、相手にきちんと自分の思いを伝えないのが悪い。相手は、嫌いなわけではない。ただ、何かの思い違いをしているだけだ。
だから、僕は悪いことはしない。悪いことはしていない。みんな、そこが分かっていないのだ。
昔は、そういうものを「環境の自然な行き違い」だと考えて分かっていた。そして、それは一度時間が経ってから振り返ってみると、相手の気持ちになって考えられる。
相手の分かっていることをその通り分かることで、人は融和することが出来る。そして、色んな人間と融和することで、人はどんな存在にでもなることが出来る。
あとは、本当はWindowsLinuxもどちらも許せば良い。それで、楽になる。そういう、「戦いはどちらも同時に許せば終わる」と言う真理は、「心理学的」にも考えられる。
良く考えると、この世界を把握出来る人間なんか居ない。誰も、この世界を把握出来ない。誰もこの世界のことなんか分かっていない。何でも知っているように見える人間は、逆に、知っているせいで分かっていない。この世界のことは最初から分からない。何が起きても自由で、何が起きてもおかしくはない。
きっと、ソクラテスとヒュームはそういうことを言いたかったはずだ。
世界のことは、「自由」で分かっていた。社会における「それぞれの自由」から、それぞれが何をし得るかを知った。可能性と自由な積み重ねから、環境と体験を把握した。
自由から、支配し、勝つことが出来た。自由な中で全てを予測し、右脳で世界を支配した。
ネットの実例から、人間がいつ何を言うのかを経験的に知った。考えられることは全て考えていた。いつ何をするかは、同時に、自発的な自然で自由な行動を支配していた。
そういう風に、この宇宙と社会の全てを分かっていた。
認識から、人間が最初から最後まで、何を知っているのかを考えていた。古代の世界を想定したりして、この宇宙の全てのフィルターを環境想起的に分かっていた。
全員を吸収した。あらゆる全ての精神になった。
その上で、理想の全てを実現出来て、あらゆる科学を発想出来る、賢い青少年だった。
歴史を意識で分かった。ブッダのように悟りながら、全てをきちんと自分の中で理解して分かっていた。決定と判断の自然形成を考えていた。
「場と視点」から、想像力と意識で人間のことを分かっていた。相対的に科学を作り、科学がどのように生まれるか、具体的に分かっていた。
自然な発想と可能性から、自然発生の、具体的な協力のモデルと考え方を作っていた。
所有が嫌いだった。共有を愛していた。
あとは、無限に分析し、知性を吸収するかのような文章を書いていた。
知って、考えて、分析することで、知を作り出すことが出来る。
人々の認識を吸収し、価値観を作り出すことで、社会を作り出せる。
社会は、愛、運命、自由、創造性、考え方、自然、システム、助け合いから、完全に自由な国を作ることが出来る。
人生は、真実、考え方、悪、悪を否定することによる善、耐え抜き戦うことから、本当に強い人生になる。
全ては、創造性を発揮することだ。
そういう風に、自由と社会の「無限に分析する段階」のような文章を、いつも書いていた。何でも改善出来る、共有から発展すると言っていた。
あとは、自由な理想のようなことを言っていた。無責任かもしれないが、本当に考えられたことを言っていた。
いつも、人生の最期を生きる。そういう人間だった。
本当に、いつも本当に考えられたことを言っていたのが、いつもの自分だ。だが、宗教的なことが正しいのが分からなかった。
そして、心理学的なことを言っていた。