「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2017-04-20

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タイトルデザインは、今日でほぼ完成と言うことになった。あとは、みんなのパートと自分のタイトルを合わせたり、調整したり、と言うことをする。タイトルは難しいし、みんなのような上手なデザインはまだ出来ないが、やってみるとそんなに不可能ではなかった。自分でも出来る。
posted at 23:33:02
そろそろ終わりにする。僕はもう、この世界に居ない。RADWIMPSは「時のはぐれっこ、かくれんぼはもう嫌だ」と言っているが、それがもう一度起きる。ただ、そうはいっても、明日もくだらない続きが起きるのが分かっている。それが、本当にくだらない。
posted at 23:32:11
人間のことも同じで、実感と自分のことのように知る発想や、人生の中で何をいつ悟るのか、のようなことを、自分の力で構築して、初めて人間のことが分かる。自分で作ること、発想すること、話すこと、相手の立場に立つこと、客観的に「像」を見ることが必要なのだ。
posted at 23:31:15
神を信じる自由も必要だろう。神すら、科学と矛盾せず、この宇宙の透明な部分に居るのだと思えば良い。宗教的事実や悟りのような発想は、科学とは矛盾しない。自分の理性だけで悟れるのは、ブッダだけではない。僕もきちんと悟った体験をしている。悟りは、自分の想像力と実体験の混じる到達地点だ。
posted at 23:27:33
ある意味、必ずしも科学が正しいとは言えない。科学は、その科学的構造が自分の手で作ること、どのような発想から生まれるものかを知ることを、厳密に自分の力で考えた時に初めて正しい。社会の構築なども、自分の力できちんと考えて、同じ体験をして、初めて意味がある。
posted at 23:26:21
ある意味、自由とは言うが、分かっている人間が教えること、情報源を知っていること、そして自分で考えられる理性、経験、時間、手段がなければ、本当の自由とは言えないのだ。
posted at 23:22:54
自由に参加できるなら、自分の意志で離脱出来るようにしなければならない。
posted at 23:18:55
僕が考えるに、自由にしなければ、その人間は奉仕するだけになってしまう。きちんと、「自分の望みと意志」があった上で自由にすべきであって、ただ自由にするだけではなく、離脱したり、使わなくなったり、と言うことも出来て、初めて自由になる。だから僕の言っている自由は、自由ではないのだ。
posted at 23:18:26
ただ、本当に考えて、自由にすべきなのは分かる。そういう右翼が多い。
posted at 23:17:14
日本に右翼が多いのは、自由は悪くないのだが、大人の仕事には自由のない仕事が多い。本当に自由な方が良いのは分かる。自由な方が発展するし、自分で良く考えて選ぶことが出来る。だが、本当に理性的に考えると、自由を良いと言うのは、麻薬を良いと言うのと同じで、間違っているのだ。
posted at 23:17:00
自由とは、環境における秩序と、体験的な意識だ。
posted at 23:02:38
それぞれがそれぞれの影響力を発揮し、それぞれが不自由なく、洗脳なく環境を変えていけば、きっと悪いものは無くなる。
posted at 23:02:11
日本を救うためには、それぞれが環境を変えるしかない。
posted at 23:01:42
自動的に社会を変え、メタ的に考えることから、「自分が環境を変えるより、環境を変える人間を育てる。」と言う発想をしていた。
posted at 23:01:28
本は読みたくない。哲学、歴史、数学、物理、生物、語学、パソコン、全部悪い。そして、パソコンのことはしたくない。学校に行けば良いように見えて、学校に行くと馬鹿になる。どうしたら良いのか分からない。テレビは見たくない。
posted at 22:10:59
最近、自分はやることが無い。作業所でデザインをしているのは良いが、作業所から帰って、家に居ると、やることも、目的も、行動も何もしていない。何もない人間になっている。何かした方が良いように見えて、それが分からない。
posted at 22:10:00
自然は、そのまま、可能性になる。
posted at 22:09:15
目的と根拠から、自由な社会におけるそれぞれの理解と、それによる環境構築を、持ち寄って考えよ。
posted at 22:09:03
視点と取り組みの中で、それぞれが分かることを持ち寄って、本当に自分の望みを叶える方法は何なのかを考えよ。
posted at 22:08:34
それぞれの意志が、仲間を呼ぶようにせよ。絆を培え。
posted at 22:08:01
それぞれが出来ることを持ち寄って、可能性の中で何が出来るのかを探れ。
posted at 22:07:47
環境を独立可能にし、それぞれの意見を集積せよ。
posted at 22:07:33
昔は、自然な取り組みの中でそれぞれが自動的に発展するのを考えていた。
posted at 22:07:23
神は、この世界に人間として生まれたとしても、神であった場合と同じように、この世界を救い、創造し、滅ぼし、作り変え、解決し、解放し、そのままで同じように神になるだろう。
posted at 21:13:20
神は、地獄を救わない。その地獄をいくらか変えることで、そのまま天国にする。神は、地獄によって地獄を救う。
posted at 21:09:56
神の力にかかれば、終わりのない地獄も、そのままで天国とすることも出来る。
posted at 21:09:28
神はみんなのことを守るために全力で頑張っている。神すら、昔は凡夫であり、神は特別な存在として生まれたわけではなく、自らの力で神になったのだ。
posted at 21:09:02
神は最悪の悪人ですら平等に愛する。
posted at 21:08:30
神は何でもできる。救いようのない悪人でさえ、神の力にかかれば、何の非も落ち度もない最高の善人に変えられる。神に不可能な実現は無く、この世界のあらゆるものが、神に対する賛美の声で埋め尽くされているのに、人々は神の存在に気付かない。
posted at 21:06:30
神は地獄のような環境を、困ることのない楽園へと変える。
posted at 21:05:35
神を信じると、神になれる。
posted at 21:04:59
神は人間と同じ姿かたちをしているが、人間と違うのは、唯一の完成された、欠点のない存在であることだ。
posted at 21:04:49
神以上に良い人間も、正しい人間も居ない。
posted at 21:04:09
神は慈愛があり、全員に平等だ。
posted at 21:03:58
神は全知全能であり、一切の創造主であり、あらゆる方法で万物を創造し、誰も分からない全てのものを、人間と同等の条件で全て知り、全て実現する能力がある。
posted at 21:03:40
神は、間違ったことをした人間を裁き、地獄におとすが、本当の神は、全員を救うことを目指している。
posted at 21:03:03
神は、一切のものを創造することと滅ぼすことの出来る、唯一の存在だ。
posted at 21:02:38
神は、この世界の全てを作り変えて、天国にする。
posted at 21:02:17
日本語できちんと考える方法を考えた方が良い。自分が何が分からないのか、何を分かりたいのか、それを分かるためにどうしたら良いか、など、生活や活動のことを「人間の道理」のように考えれば、誰でも分かる。
posted at 20:41:39
統合失調症が不治の病とされるのは、何もしなくても楽な人間がそうなる。僕は、むしろ、治ることは望んでいない。普通に、じっとしていられて、楽に安心出来るのを望んでいる。だから、僕は治らなくて良い。
posted at 20:40:50
世界には、大学と宗教とまともな人間が居る。一番おかしいのは大学で、大学でないまともな人間が賢い。賢い人間に大学が多いようで、馬鹿に大学が多い。こういう馬鹿な大学が、一番ニートに多い。
posted at 20:40:02
自分は、日本語で考えれば分かるのが分かっていない。きちんと考えれば良い。
posted at 20:39:16
僕は、受け入れたような顔をして、欲張っている。数学や生物学まで、しない方が良い。そんなに全部やっていると馬鹿になる。
posted at 20:38:57
英語は、他人にさせることを考える言語で、日本語は、自分がすることを考える言語だ。
posted at 20:38:27
昔の僕が作っていた感情の数学は、「この感情はこの環境や状況でこうなり、それがまた別の感情になる」と言うもので、この数学を数式に現すためには、「必ずしも同じ感情が同じになるとは限らない」ことを現す必要がある。だが、これも数学だ。A(h)=>B(h)=C(d)のような数学になる。
posted at 19:59:09
ただ、数学で考えるためには、「式と論理的正しさ」を考える必要がある。だから、論理的に正しいのであれば、感情を数式に現すことも、僕は出来ると思う。
posted at 19:56:32
その社会がどのような条件で成り立つか、のようなことを、数学分野の1つとして取り入れることも可能だと思う。それに、心の内部や依存性を探ることを数学にすることも出来る。何かの目的のために可能性を探ることも数学に出来るかもしれない。
posted at 19:55:56
ある意味、数学的な証明だけではなく、社会的な証明などを数学に取り入れても、良いかもしれない。
posted at 19:53:34
本当は、数と呼べるものはもっとたくさんある。方向を計算するベクトルと言う数学があるが、僕はもっともっと別のものを数と呼んでも良いと思う。信号の処理を数と言ったり、プログラムを数と言ったりすることもあるが、僕はもっと違った数や数学分野の概念が無いものか、と思う。
posted at 19:53:13
ある意味、「考えてそれは本当は何であるか」を考えても良い。ある意味、全てを足し算として表現する数学も実現出来るだろう。足し算を高度に実現する関数をたくさん作ることも出来る。証明と計算も統合出来る。ある意味、数を分数や小数ではなく、比と数列で表すことも出来る。
posted at 19:52:09
僕が思うに、「式を自分の力で立て、その根拠を説明する」ようにすれば、学校数学は面白いものになるかもしれない。
posted at 19:50:32
どんな考え方がいつ成り立つのかを考えなさい。
posted at 19:50:05
ある意味、高校の歴史や政治経済の教科書や参考書は、子供を馬鹿だと思っている。「馬鹿には教えたくない」と言う、何かのオーラが出ている。
posted at 19:44:41
数学的に考えるために、学校数学は必要ない。論理学を良く考えて、何がいつ成り立つのかを考えれば良い。自分で数学を作ることが出来るだろう。目標を決めて取り組むより、どんな目標がどんな目的で立てられるのかを知るべきだ。
posted at 19:42:42
大人は、何でもすでに分かっている人間しか居ない。問題を解くことをしなくなると、自分なりにやりたいことを実現するようになる。それは、すればするほど、数学は出来なくなる。逆に、数学をすると、自分のやりたいことの方が実現出来なくなる。
posted at 19:41:48
そういうわけで、僕は数学が出来ていない。だが、数学なんかしない方が良い。数学は子供の抑圧的情念であって、学校コンプレックスのようなものでもある。大人になるために、学校の勉強をして、普通のことを分かりたいという子供の浅ましい欲求で成り立っている。本当に大人になってしまえば必要ない。
posted at 19:40:45
エジソンは1+1=2ではないこともあると言ったが、僕は数え方を変えれば1+1=3になることもあると思う。
posted at 19:39:44
学校の問題は、問題を「解く」ことしかしない。全て、解くために考える。だが、僕は、それは本当の数学ではないと思う。解く以外にも、作り出すとか、把握するとか、出来るようにするとか、支配するとか、いろいろある。
posted at 19:39:33
昔は自然が好きだったから、何もしなくても自然に、自動的にそれが生まれていくのを考えていた。だから、土壌や環境を作り出す、と言っていた。
posted at 19:38:29
だから、もう支配して良い。特に、マスコミやテレビがきちんと支配するようになると、クオリティや品質が上がるようになる。自由になって、あまりにクオリティが下がった。支配出来ない代わり、責任もない。反動が怖くない代わり、最初から反動されるようなものを作らなくなった。
posted at 19:21:12
支配は、可能性と言う言葉の裏返しだ。ただ自由と言っている人間は、自由な中でどのように社会を作れば良いのかが分かっていない。支配しなければ、社会を作ることは出来ない。当たり前なのに、分からないのが、若者だ。
posted at 19:20:15
逆に、いつまでもみんなを何も出来なくするのが悪い。もう、みんなは自由に支配して良い。支配出来ないから、こういう何も良いものも悪いものも全部無い社会になる。もっと支配して良い。会社も作って良いし、創造的な経験をしても良いだろう。もっと支配が可能な世界になるべきだ。
posted at 19:19:37
唯一ロボットが悪かったが、時計に頼らなければ、正常な判断が出来なかった。だから、きちんと一人だけで判断し、信じることが出来るようになれば治る。そのこと自体はあまり悪くない。みんな、許してくれるだろう。
posted at 19:18:38
自分が怖いのは、そういう、許してもらえるのが最初から分かっている。だから、許してもらうのが怖い。自分が許さないなら、みんなは簡単に自分に勝てるからだ。相手が反省するまで反応させるより、自分のことを哀れむべきなのだ。それが、怖いだけだ。
posted at 19:11:37
ただし、自分がそれをするなら、神は復讐する、と言うことも分かっていた方が良い。だが、自分がそれをするからと言って、相手もそれをするとは限らない。相手は、暴力を愛で返すかもしれない。その時、自分は負けてしまうだろう。哀れなのは自分であり、悪いのは自分だ。そういう人間を哀れと言う。
posted at 19:10:00
他人を支配したり、批判したりしない方が良い。そういうことをしない人間が賢くなる。他人の自由を制限してはならない。だが、一つ言えるのは、相手が自由で何をしても良いなら、こちらも何をして良いことになる。だが、そこであえてしないべきだ。暴力を振るわれても暴力で返さない。それが賢い。
posted at 19:06:00
大人は、好きなことをやっているから、何もしない人間が多い。
posted at 19:05:00
小さな思い込みや不安から治して、基盤のようなことや根本的なことは最後に治すようにすると、全ての異常は治る。精神が自由になる。分かって分かるようになる。そういう人間は、分かって融和するようになる。
posted at 19:04:47
最終的には、それぞれが出来ることを上手く成り立たせることから、社会システムを作り、理想の社会を実現出来るぐらい、経験出来た自分のことを誇りに思いながら、次の新しい自分になりなさい。それは、哀しいことではない。
posted at 17:18:19
社会の可能性を考えることから、常識では考えられないようなことでも可能であることを知りなさい。
posted at 17:17:37
ただ従うだけでも、従えるだけでもなく、あらゆる全ての支配を経験して、あらゆる社会を作り出せるようになりなさい。どんな人間のことも分かるようになりなさい。
posted at 17:17:08
価値観をみんなとともに作ることから、可能性を作り出すことが出来る。
posted at 17:14:30
相手の自由にさせながら、自由に経験出来るようにしなさい。新しいことを知れるようにして、作り出すために簡単に作り出せるようにしなさい。決して、自由を奪ったり、支配したりしてはならない。世界の目的とは、可能性が高まることだ。
posted at 17:13:41
Linuxが気持ち悪いのは、CUIUNIXとして良く考えられているのに、GUIWindowsMacのパクリで、良く考えられていない。そこが悪い。GUIもきちんと考えるべきなのだ。GNOME2はシンプルで初心者向けだったが、Rubyのように、使っていて楽しい、自然、が良い。
posted at 16:52:38
自分は、その時そう思った、その時それで良いと思ったことを、信じるのではなく、思い直した方が良い。その時止めると思っても、あとでもう一度やりたいと思うはずだ。その時だけの心の思いは、心変わりする。
posted at 16:49:46
過去のことを頭の中で全部体験して、それがそのまま歴史を作った。
posted at 16:48:43
過去を思い出すと言う行為そのものが、未来の追体験だ。
posted at 16:44:45
無自覚は、悪いことではない。たまに自覚すること。環境の中に居るより、外に出て、過去形にした方が、過去のことが分かる。
posted at 16:42:43
あとは、自動思考と受動感情をコントロールする。
posted at 16:25:12
そして、可能性を治せば終わりだ。
posted at 16:01:32
最後に環境を治す。環境は、新しい環境を体験するのが怖くなっている。昔、環境を全部同じだと思っていたのが悪い。数学的に環境を同じだと考えるのが間違っている。
posted at 15:37:31
昔は、認識を機械のように作って分かっていた。今でも、その機械で分かっている。その機械を消せば、治る。
posted at 15:34:07
感情を確認せよ。
posted at 15:31:05
空間認識を治すと、それだけで治る。
posted at 15:30:41
執着心を無くし、制限を取り外し、周りから治し、原因を除去すれば、精神が自由になる。
posted at 15:25:42
仮想世界の段階や職人を作るなど、人生にあった色んな考え方を書いていた。
posted at 15:13:50
空間認識と恐怖から治せば良い。最後に足と可能性を治す。
posted at 15:12:50
基盤的なものは最後に治すことにして、たくさんある雑多なものから治せば治る。
posted at 15:11:50
治さない方が血が良くなる。
posted at 15:10:10
ある意味、「対応の仕方」と言うものが気持ち悪いから、GNOMEKDEは嫌われるのだと思う。CUIアプリケーションとは全く違った対応の仕方を、GUIアプリケーションがするのが、気持ち悪いのだ。
posted at 00:12:49
ここで一つ言えるのは、問題は「巨大か分散か」と言う問題ではない。「対応力」の問題なのだ。だから、きちんと何にでも対応出来るなら、巨大と分散が共存していても、問題ではない。特にGUIアプリケーションが全ての操作に対応しながら、CUIアプリケーションが同じように対応しても悪くない。
posted at 00:12:04
そういうものだ。UNIXと言う分散設計を止めることが、Linuxの成功の鍵だ。
posted at 00:05:08
ただ、僕はUNIXはコマンドのプロセスとファイルとプレーンテキストと言う、「単純な世界」だから可能になった設計のOSだと思う。今では、巨大アプリケーションがテキストや画像のことなら何にでも対応するのが当たり前だ。だから、UNIXはもう古い。もう、コマンドラインだけの時代ではない。
posted at 00:04:48
要は、ライブラリとして、HTMLやワードプロセッサのような機能を、下位システムとして完全にサポートする。上側では、コマンドの各種分散ツールの組み合わせによって、ユーザー環境を実現する。まるでJavaのクラスのような環境だが、そういう風にすれば、UNIXでも良い設計は出来る。
posted at 00:03:55
ただ、僕はここでもう一つの可能性を言いたい。それは、「UNIXのツールは、ファイルやテキストを各ツールの組み合わせで実現する。それなら、GUIやネットワークも下位システムが完全に対応性高くサポートして、ツール類でGUIアプリケーション操作環境を実現する」ことも出来ると思う。
posted at 00:02:40