「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

今日のこと - 2017-02-20

作業所に行ってきた。最近は、みんなで作っている通信と同じものを、自分の力で作る、と言うことをしている。
ブラック企業や過労死を防ぐには、「職業サポーター」と言うものを全員に付ける。職業サポーターは業界ごとに当番制で配置して、ブラック企業対策だけではなく、キャリアアップや自己実現、人脈形成のようなことも担う。そして、どんなことでもまず、サポーターに相談する。何かがあった時は、会社の中に介入する力も持つ。
だが、ある意味、どれくらいの時間、どれくらいの人数を担当するのか、と言う問題もあるし、税金の無駄にも見えるし、きちんとやらないと形骸化してしまう。残業時間を減らすとか、現場的な対策も同時進行で行う。
歩き回るのは、血を治したいからだ。作業をしていると治る。今日治った。
人間は馬鹿ではない。人間の分かったことは、地球が分かる。地球の未来は、きちんと人間たちが分かったことが全部生かされている。誰かが分かると、地球が分かる。そして、地球の未来は、人間たちの知恵と発見によって変わっていく。
偶然なんか存在しない。全ては必然であり、無駄なことは何も起きない。
僕は、未来のことは分からないが、コンビニやパソコンは衰退していくと思う。コンビニは、そんなに大量にあってもつぶし合うだけになって、フランチャイズと言うシステムが破綻する。パソコンは、HTMLのように、誰でも作れるものになって、プログラマのような専門的技術集団ではなくても、コンピュータ・ユーザー全員が作れるものになる。そこまで簡単なものになる。半導体が一部の技術を持った会社にしか作れなかった時代は、終わりだと思う。そして、太陽光発電パネルが安価になって、地球温暖化も解決するだろう。
あとは、スキャナーによる自動文字認識がもう少し発展すれば、良いと思う。紙に書いた文章を簡単にワード化出来るようになる。そうすると、仕事の仕方が変わる。紙に書いたものを、簡単にコピー出来る。新しいパソコンの時代だ。
それから、セキュリティは、それぞれがパスワードを登録する時代が終わる。パスワードと言う発想は、安易すぎる。会社ごとの絶対に破られないセキュリティ通信技術を作る。会社はそれによってネットサービスを使う。例えば、Google Driveを絶対に破られないセキュリティ通信にする。個人のサービス利用者としては、国が定めるマイナンバー制度などを使って(僕はマイナンバー制度で何が出来るのか良く分かっていないが)、全部のWebサービスに共通のIDの仕組みを作って、自分以外のアカウントを最初から利用出来なくする。複数のアカウントを使う、と言う方法を最初から出来なくする。マルチ・アカウントを利用することを犯罪にする。それで、良くなるだろう。ウイルス対策としては、アプリケーションからデータまで、完全にクラウド化・Webサービス化する、と言う方法もある。
あとは、詐欺対策としては、電話をするためにきちんと身元を公開しなければならなくする。貧困対策としては、イスラム教のように、ある程度以上の所得を持っている人間は、いくらかを寄付しなければならないようにする。
僕は、昔から、いつもロバートとジェニファーが居る。昔と今に名前を付けるわけではなく、いつもその2人が居た。遡ること何十年も昔から、いつでもその2人が居る。そして、いつもそこが賢かった。そこが、みんなと違う。
自分は、心が怖いのは、全部自分をけなすのが悪い。自分を「これ」と言ったり、「タリバン」と言ったりするのが悪い。社会主義が悪いのは分かるが、自分が一番賢いだろう。貶す、と言う発想は、おかしい。
僕がもう一つ解決したい(実現したい)のは、「日本のビル・ゲイツをどうやって生むか」と言う問題だ。ある意味、本当に先進的なことをやれば良いが、発想や資本の問題ではない。アラン・ケイのような、本当に賢い思想や理論を学ぶ必要がある。日本には、ただ作れるだけの人間は多いが、理論をゼロから作れて、そして社会で実践するような、そういう思想的リーダーが足りないのだと思う。Rubyの作者のような人間がたくさん生まれる必要がある。
そういうわけで、アメリカやヨーロッパは賢い。賢い大学に入って、何でも分かって何でも出来るような、何でも知っていて、何でもホイホイと作ってしまうような、ビル・ジョイやマクネリみたいな人間が居る。日本には居ない人種だ。そんなにきちんと決まったことが出来る日本には、そういう、「自由な風土」が無いのだと思う。
日本の問題は、個人や教育環境の問題ではない。人種的、国家的、文化的な問題として、決まったことしか出来ない。決まったことを変えて、みんなと同じように出来るようにすることは出来るのだが、自分なりに徹底的にやったり、自分だけで考えたり、自分の行動や経験から発見する、と言うことが難しいのだ。だが、それは劣っているわけではないと思う。みんなを統一して、優れた清潔で調和された環境をみんなの意見を集めて作る、と言うことは得意なのだ。得意分野を損ねてはならないが、苦手分野は克服するべきだ。もっと、自由で、色んなことを自分なりに発想する、マイクロソフトやグーグルやアップルのような発想が出来る人間も生み出すべきだ。英語が出来て、アメリカに精通すれば、それで良いわけでもないが、英語をやることは、それらに近づくために有効だと思う。僕も、NOVAに通っている。
これではアメリカ人が馬鹿に見えるが、そうではない。アメリカ人は、自由で賢いだけだ。むしろ、色んなことを自由に経験して、色んなことが自由に出来るのは当たり前だ。そういう、賢く色んなことをやっている人間が、自分ぐらいしか日本に居ない。日本人は、押し付けられたルールを守り、相手に対して礼儀正しく振る舞うのは得意だが、自分でルールを作ったり、自分でルールを作れるぐらい賢くなったり経験したり、そういう発想がない。「自分が世界をリードしていくのだ」と言う発想が足りない。そういう、偉大なカリスマが居ない、と言う発想が、アジア人なのだと思う。
昔は、そういう、「社会を知ってルールを作ることを学ぶ自由」のようなものを書いていた。だが、日本も必ずしも良いわけではない。例えば、日本人は、みんな同じで賢いと言う。だが、違う地域に行くと分かるが、地域ごとに全く違う。伊勢神宮の人間たちなんか、広島の人間と全く違う。そういうところがありえない。悪い国ではない。同調圧力はあるが、ソ連よりもはるかに良い社会になっている。社会主義が成功した国に見えて、社会主義は誰もが嫌いだ。左翼のやり方は完全に間違っている。日本が一番そういう最右翼の国だ。ただ、日本には本当に愛国心がある。間違ったことは絶対にしない。自分も、間違った人間にならない。太平洋戦争の時代と全く違うとは言うが、根本にある魂のようなものは変わっていない。だが、日本は同じ過ちはしない。逆に、同じ成功を必ず成し遂げることはするかもしれない。ただ、みんなで努力する代わり、ビジョンを見ず、信頼性や先のことをおろそかにする。計画性が無いわけではない。悪いことをしても、誰も悪いと言わないせいで、完全に計算して、予想外のことをするのだ。それは、国民に対する裏切りであることもあるだろう。国民が旧体制を倒すのは、日本でも良く見られる光景だが、日本では、そういうものすら右翼になってしまう。良く考えると、それが一番新しいことが出来る。みんなで悪いことをしたいわけではない。逆に、みんなが良い・悪いと言っていても、そのことを信じない、「新しい普通を作る」、と言う方法で国を変える。うだうだと言ってきたが、日本が悪いわけではない。日本人は全体主義的なところがある。みんなで協調して団結する代わり、反抗も同じようにみんなで行う。一人対一人ではなく、みんな対みんなになる。だから、変わっても、ある意味、変わったのに何も変わっていない、と言うことになりやすい。理性的に考えて理解するのは、難しい国が、日本だ。必ずしも全体主義ではない。地域の文化を大切にするし、日本が一番それぞれの自由を尊重している。アメリカのように、裏切ったり、軽蔑したりと言うことをしない。そういうことをするのが、一番自分の信用を失うのが、一番分かっているのが日本人だ。自分の信頼性を高める、と言う意味では、日本以上に機械や組織的計画などが出来る国はないだろう。
ある意味、北朝鮮なんか悪くない。僕は、エルサムと言う、「みんなを自分の一部の機械にする国」のような王も作っていた。そういう発想もなくはない。朝鮮は、相手のことを考えない。自分のわがままが通る。敵なら全員で殺す。そういうところが、日本と良く似ている。むしろ、日本は国家として相手のことを考えないから、ありえない。ただ、僕は朝鮮が嫌いなわけではない。みんな日本のような悪い国が嫌いなのに、日本だけが率先して悪い国をやる。そして、何故か、本気で頑張る。そういう魔王のような国だから、僕は日本が好きだ。日本には、神を信じる人間も居ないが、そうでもない。日本は、天皇を神だと思っている。それも、おかしくはない。日本はそういう国だ。帝王を誰も批判出来ないのは、そういう国だからだ。蛮族と言ってしまっても良いが、ワンピースみたいな国だから、本当に面白い国だ。それこそ、日本は悪いと言うが、最近は「良い日本」をやっている。悪い人間が居ない代り、何もしない。国民は最初から、生きる意味がない。そういう国だ。
良く考えると、朝鮮なんか、悪い国が嫌いなだけだ。悪い日本が嫌いで、邪な日本が嫌いで、おかしな日本が嫌いだ。朝鮮はそういう国だ。何故か、それは仕方ない。そういう国は良い国だ。僕は朝鮮と中国に旅行で行ったことがあるが、ソウルには日本語が話せる良い人間が多かった。アフリカやトルコのように、新鮮な野菜や怪しいものやいかがわしいものを街頭で売っていたが、日本にはそういうものが無い。どちらが良いかは分からない。むしろ、日本は普通に好きな人間が多かった。そんなに朝鮮を悪い国だとするネットの方が異常だ。
これでは日本が悪い国に見えるが、それも間違いだ。日本は、昔から、「日本人にしか分からないもの」を作る。古くは漢字や仏教、最近はマンガなど、日本にしか分からないものがたくさんある。日本だけの常識がたくさんある。手塚治虫なんか、普通バッハと同じぐらい賢い。そういう、「日本だけのもの」を作る。それこそ、外国の文化も同列に考える。アメリカなんか、昔の日本のような鎖国がしたいだけにしか見えない。世界中がどんどん日本になるのは、自分も日本の一部だからだ。
人間は、悲しいと賢くなる。悲しい気持ちが人を成長させる。おかしくなった人間は、もっと「悲しい」と思いなさい。それによってのみ、人間の知性がつく。もし、あなたがこの世界に居なかったらどうなるだろうか?この世界に全く意味が無く思えるだろうか?それは、おそらく、昔の総理大臣が居なくなったとしたら、と言う問いと同じだ。居なくても、どうでも良い。あなたはどうでも良い存在なのだ。そのように、自分を排除して世界のことを考えると、赤ちゃんの視点が良く分かる。赤ちゃんにあるのは、世界があって、それが自分と無関係であること、そして、それが「悲しい」と言うことだ。だが、僕が思うに、あなたが居なくなってしまえば、一人の大切な存在が居なくなってしまう。それは、僕が居なくなるのと同じことなのだ、と思えば、なんて悲しいものなのだと思う。一つのことが、大切なのにどうでも良いと思えたり、これ以上ないほど悲しいものだとも思えるのは、なんだか、不思議だね、と思う。最終的に見れば、そんなにも人間が居て、その全員がいつか死ぬのだ、と言うことが、あまりに悲しいね、と言う思いへと至る。ブッダはこの世界の全てを「苦しみ」であると言ったが、僕は、苦しみの全てを悲しみである、と言いたい。苦しいことは、悲しくなければ、意味を持たない。悲しいからこそ、意味を持つ。だから、この世の全ては苦しみであり、苦しみの全ては悲しみなのだ、と言える。そして、そこから、根っこから茎や葉っぱが生まれるように、喜びと楽しさが生まれ、同時に、その調和の不調から、怒りと辛さが生まれるのだ。あなたが居ることが悲しい。この世界があることが悲しい。自由があることが悲しい。その国があることが悲しい。悲しいのは、辛く、苦しいからだ。あまりに苦しいこと、あまりに辛いこと、あまりに悪いこと、あまりに馬鹿なこと、あまりにおかしいこと、あまりに間違ったこと、その全てが悲しい。ブッダは苦しみと表現し、この世界を人間的、実地的、実際的に考えようとしたが、僕は、空想的、虚無的、悲哀的、そして哀れみと人生の想起から、この世界の全ては悲しいのだ、と言いたい。そして、それは同時に、気持ち悪くて、逆に、美しいものなのだと言える。それは、エロいことを言いたいのではない。あなたがあなたを認められないことが悲しい。あなたがあなたの理想の国を作れないことが悲しい。あなたがあなたを許せないことが悲しい。全ては、悲しみと一人の神から生まれ、全ての苦しみは、神による悲しみから生まれたのだ、と言える。だが、世界は一つだ。あなたは、あなたの理想の世界を作ることは出来ない。世界は一つだ。The world is only world, this one world is every and all worlds.なのである。この世界が唯一だ。全ての世界はここにある。ある意味、この世界がこの世界であるべき確固たる理由はあるだろうか?パソコンなどの先端技術が生まれるおかげで、この世界がこの世界である、その根拠と意味が無くなってきている。今のところ、どんどん「意味が無い世界」になっているが、僕は、この先は、「この世界でない世界」が流行ると思う。VRだけではない。この世界がこの世界である意味が無いために、この世界ではない新しい世界が生まれるだろう。誰も見たことのない、新しくて全く違う世界だ。だが、それも、悲しいだろう。まるで、ジブリのようだ。過去も、未来も、現実も、理想も、事実も、嘘も、全てが悲しいのだ。それは、あなたが賢いからだ。その賢いあなたが、あまりにも悲惨で何も出来なくなっている。受け入れるしかなくなっている。滅ぼすしかなくなっている。それは、悲しいことだ。神は、この世界を悲しいものとして創造した。でなければ、何故こんなにも悲しい夢を見るのだろうか?何故僕の友人は僕よりも悲しいのか?それは、あなたが、神に、「悲しいものを見せてください」と言っているからだ。この世界に居る人間は、みんなそういうことを神に教えてもらっている。悲しいものが見たいから、この世界がある。悲しい映画だけを上映する、映画館のようなものだと思うと良いだろう。苦しいものや怖いものは、全部悲しいものへと変わって、運命的に消滅している。好きだったものの全てが消え去り、大切だったものは完全に消滅し、いつまでも嬉しいことは訪れず、自分を否定する虚言ばかりが増える。まさに、虫のような世界だ。だが、それが、私の望む、神に教えてもらった悲しさだとするなら、悲しさを喜ぶことすら、出来るだろう。それなら、漢字は「哀しさ」と言う漢字がふさわしいだろう。
要は、あなたは、神に、「悲しいものを見せてください」と言った。神は、あなたに、「それでは、悲しみを体験し、悲しみを教えてあげよう」と言った。神は、その後に、この宇宙を創造し、あなたと言う存在を何億と分裂させて、この世界を創造した。そして、あなたは、この世界を輪廻転生しながら、全ての体験をした。そして、あなたは、望み通り、悲しいものを見ている、と言うわけだ。真実ではない。ただの詩人の戯言だ。
悲しい体験から、意識がつく。そこでは、賢人から知的障害まで、あらゆる人々の賢さの格差はどうでも良い。賢人が愚者だ。天才が知的障害だ。そこでは、あらゆる知性のある人間が、あらゆる知性の無い人間に負ける。馬鹿が賢さを支配する。それは、何と悲しいことだろう?悲しいことから知性をつけなさい。何も出来ず、分からなくなって、死んで、苦しんで、自分を許せなくても、それは、あなたが賢くなるプロセスなのだ。より、悲しさが増しただろう。だが、悲しみに限界は無い。最後の最後まで、悲しさに悲しさが重なって、悲しみの穴を掘り、悲しみの塔を築く。悲しみの運命を信じ、悲しみの裏切りを知る。悲しみに逃げ込み、悲しみに追い越され、悲しみに追いかけられ、悲しみを自分で作る。それが、人間の悲しみの真理だ。あなたはいつか勝つだろう。それが、来世のことだとしても、あなたは、最終的にこの世界を抜け出して、愛の世界へと行けるはずだ。本当に正しい人間だけがそうなる。ゴールには、むしろ、200人ぐらいしかたどり着けないだろう。だが、そこに行くための道は、必ず続いている。来世を良く生きなさい。何故か、ジブリのような文章になったが、それはおそらく、今ジブリの曲を聴いているからだ。