「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

今日のこと - 2017-02-19

自然な発展のようなことを考える。それぞれが価値を見出し、作り出せば発展する。そこでは、健全性と自由な信頼が必要だ。
ありのままの世界を知って、歴史を考えていた。
言葉の分析のようなことを言う。宇宙は暗闇と光で、地球は大気と水だ。会社は、独立した生産手段、社会条件、雇用関係だ。
ある意味、生命の目的は、地球を綺麗にしたいだけだ。
名前の無い世界を考えていた。人間が恐竜を恐竜と呼ぶだけで、本来名前は無い。
条件と仮定から、想定すること。そういうことをいつも言っていた。プログラミングのようだった。
言語と科学を、プログラミングのように考えていた。
本当に美しいものは、大自然だと思う。地球こそ、美しい。
絵を描きたい。それも、動物の絵を描きたいと思う。
自分は、過去の自分を考えるが、未来のことが分かっていない。未来のデザイナーが本当の自分なのを無視している。
ロバートとジェニファーになるのは良いが、どちらにもならず、賢くて頑張る良い人間になれば良い。
ロバートは賢いが、何も出来ない。ジェニファーは、色んなことが分かる。どちらも居た方が良い。
絵は、どうでも良い絵をたくさん描けば良い。分からないところを自分なりに描けば良い。
人間は、立場を利用し、悪用すると悪い人間になる。最初から、そういう、「立場的格差」を作らなければ良い。
NOVAに行ってきた。
それぞれは、それぞれのために、それぞれの分かる範囲で、行動し、やるべきことを考え、判断し、意見し、コミュニティを形成している。そのために、情報と機械と金がある。それぞれの興味を環境にして、その環境で分かることだけを分かる。本当に分かるためには、自由になる必要がある。
いつも、そういう、「社会的気付きのような人生段階」を書いていた。
自分は、安全装置が悪い。安全装置のせいで、分からなくなっている。
自分が戦っているのは、過去に書いた自分の文章と戦っている。それをみんなに分からなく、分からなくするせいで、自分も分からなくなっている。洗脳ではなく、自分で自分にウソをついている。
本当に良い世界にするためには、労働基準法で平等にしなさい。平等にするとものは少なくなると言うが、それは、資本主義の常識に騙されている。平等で金持ちのものは少なくなるが、庶民のものは多くなる。どちらが正しいかは、分からない。
ただ、そういう社会主義は止めた方が良い。社会主義を主張するのは、一番悪い。何も頑張っていない。
思考は条件的に、社会は手段的に考えるべきだと思う。
神なんか、信じるな。神を信じると、幸福の科学のようになる。これくらいの体験をして、自分をブッダだと思っている。狂った人間がみんなを騙している。宗教は悪いから、神なんか信じない方が良い。わざわざ信じなくても、天国には行けるだろう。
宗教なんか、悪い人間を悪いことにしたいだけで、何も賢くない。善人が良い世界に行けると言うユダヤ人の集団の思い込みだ。
宗教には自由が無い。僕は、自由な方が良い。不自由にして、悪いものを処罰すると、何も出来なくなる。
近代科学や教育の優れた点は、民衆を宗教の愚鈍な時代から解放した、と言うところにある。だから、内容が意味が無くても、学校は賢い。最近軍国主義の右翼教育がどんどん増えているが、それは、昔の宗教のような時代に戻したいだけであって、必ずしも悪いことではないが、学校の理念である人々を啓蒙し思い込みの世界から解放すると言う点において、大きな後退であるとも言えるのだ。右翼は、民主主義を教え、科学を啓蒙し、子供を教育する、と言う理念に反している。
ある意味、意味が無いわけではない。だが、ある種、人々を何も出来無くし、無意味な行動様式にみんなを定めている、と言うところがあると思う。科学の教育内容自体は良いと思うのだが、覚えこませるのではなく、もっと違ったやり方があるはずだ。人々に自分から教え合い、自分たちの手で知を作り、社会的なことを実践させ、そのための方法と原理を考えるような、そういう教育が出来ると良いだろう。ITもそこで、機会や手段として活用出来る。考える機会を持つように使えば良い。
自分の頭で考える教育、と言うのも悪くない。根底にあることは、「自分で原理を発見し、教師などの先生が居なくても、自分の手で教育・研究環境を作り出し、自分の手で実践する、自立と主体の教育」だと思う。
必ずしも、スラムのような荒くれた環境になる必要はない。だが、自分の社会に対する本音を言い、それに対して同じ立場のもの、あるいは上のものが会話を返して、「きっかけ的に社会のことを知って行く」ような、そういう考え方をすると良いだろう。ネットの匿名掲示板でも、僕のように出来るだろうが、それでは、悪い人間になってしまう。悪い人間になるのはおかしい。
ある意味、何も考えず青春を経験する体験も良いものだ。そんなに教育を賢くさせる意味もないだろう。
僕が思うに、もっと仕事のような体験をさせた方が良いし、そのために、仕事で必要な技術のようなものを学ばせた方が良い。僕は、IT系の専門学校に通わせた方が良いと思っているが、むしろ、普通の大学は、文系の科目は歴史上の時代と人物を学ばせるか、理系の科目は自分で実践的経験をやりながら研究して作っていくか、だと思う。知りたい人間は文系、作りたい人間は理系、そして共通科目としての専門的労働学習、だと思う。ある意味、専門学校は高校時代にやらせて、そこから自分の力で社会を生きていく力を身に付けさせて、その上で文系と理系の学習をしていくべきだと思う。
大学の専門馬鹿を解決したい。まず、パソコンは、HTML/CSSPerlVBを教え、次にJavaPHPJavaScriptを教え、最後にUNIX、C、C++を教える。それを、「情報」の科目とする。出来れば、パソコンだけではなく、他の分野の工学も教えたい。理学は、中学数学、高校数学、物理、生物、化学、などを「実践的な研究」から教えていく。そのために、網羅的な知識や試験のための暗記は必要ない。自分なりに、ある程度以上の研究成果を出すことを目標とする。そして、文学は、歴史、哲学、心理学、文学に関して、人物の名前と、それぞれの功績を教える。出来れば、その人物と同じように同じことを自分なりに分かることを目指す。それらを、小学校入学から大学卒業まで、一貫して変わることなく、同じ学校で教え続けるのだ。それで、教師は統率して教えることよりも、アドバイスして教えるようにする。分からないことをその時その時聞きながら、生徒に適切な課題を出すような方法で教えていく。
僕は、馬鹿が賢いのが分かっていない。賢い大学の内容を知って、馬鹿を消すのが間違っている。馬鹿と言うのは、例えば、「マウスは黄色くすると子供っぽい」とか、「レモンにはビタミンCが入っている」とか、そういう、どうでも良いことが賢い。子供は、誰でも、そういう馬鹿な子供に賢い子供が多い。大人になって大学の内容を学ぶと、馬鹿になってしまう。何も分からなくなる。賢い子供は、馬鹿を分かっている。
言語的に考えること。相手の気持ちになること。それぞれの人間は、自分とどこが同じで、何が違うのか考えること。そして、それがそうであるならばそうすべき、だとか、対応関係とか、推論や連想から考えること。環境的に考えること。実際の姿とかりそめの姿を知ること。具体例を仮想的なモデルにして、法則と照らし合わせて、何が正しいのか考えること。いつどこでそれが自由なのか考えること。自由とは何を意味しているのかを考えること。自分がそれをした場合に、他のことが出来るのか、など、他の可能性を矛盾なく考えること。この社会の可能性を、自分の経験から考えること。問題を解くために、何をする必要があり、どうすれば出来るのか、確かな方法を考えることから考えること。自分が何をしたいのか、何がしたかったのか、何が問題だったのか、などを考えること。中学生にこういう人間が多い。中学生は、賢い代わり、まだ知識を知らない。中学生が一番賢いから、中学時代に良く考えれば、賢い人間になる。ある意味、現実がこういう現実になっているだけで、こういう現実にならなければならないわけでも、こういう現実が正しいわけでもない。だが、必然的にこういう現実になる、と言う考え方は出来るだろう。そこで、何を見誤らなければ何が分かるのか、を考え方と言う。全ては変えられるし、全ては経験的な実感だ。
経験的実感から、社会のことが分かる。相手の気持ちになることから、社会をどういう風にしていけば良いのかが分かる。最終的には、自分もみんなも完全にそれぞれが自由にするか、一人の正しい王が支配するか、みんなで調和された正しい社会を作るか、何も変えないか、ぐらいに分かれる。イデオロギーを言いたいわけではなく、僕は経験的な真理について考えたい。それは、「それぞれが上手く行き、それぞれが合意出来、社会として成り立つなら、果たして何をしても良いのだろうか」と言う問いである。その問いについて真剣に向き合った時、自由にする、平等にする、支配する、何もしない、と言う4つに行き着くのだ。奴隷にするとか、従属的になるとか、もっと沢山の可能性が考えられる。だが、人を殺して自分も死ぬのは悪い。タリバンと戦争は、本質的に同じだ。出来るだけ平等にすることは必要だが、それぞれの自由が無ければ、そんな平等に良い点は何もない。自分が生きられて、自分の自由があることは、だが、必須命題ではないだろう。それぞれの自由は、何を意味しているのかは分からないが、現実的に見て、社会に自由が必要なのは明らかだし、自由な中で色んなことが出来ることが楽しくて、色んなことを経験出来ると知性がつく。知性を考えることが出来ることは、自由だ。
ある意味では、経験とは真実を知ることであり、自分の存在とは、経験的真実の束であると考えられる。だが、経験だけが全てではない。「経験を分析する力」、これが全てなのである。そして、それぞれは完全に全てを経験していない。出来ない。だが、出来るところから始めていく、と言うのも出来る。経験は有限ではないし、可能性も有限ではない。だが、無限であるわけでもない。その時点において、経験とは人間的関係と成り立ちであるのだ、と言うことが言える。経験は、己の可能性を高めて、経験的にどんどん能力が自由になっていく。だが、その可能性は、時間時間とともに、定まっていくものである。だから、存在とは、可能性の発揮である、と言えるのだ。存在している、そのこと自体が、既に、哲学的な可能性の発揮なのである、と言える。まさに、経験論と合理論は、カントによって融和している。
経験から、宇宙の真理と社会の可能性が分かる。どんな社会を作れば良いのかが分かる。いつも、そういうことを書いていた。感性だけではない。右脳の理性をきちんと使うことで、経験的理性を想像力で考えることが出来る。そこから、「直観」で分かることが出来るのだ。それが、マスターと呼ばれる人たちの脳の中身だ。まさに、存在論は、ハイデガーだ。
全てを知って、把握すると、安心出来る。それが、「第一の涅槃」の境地だ。そして、安心を破壊して、全てを壊し、逆に最後まで努力することで、死を体験する。それが、「第二の涅槃」の境地だ。それなら、第三の境地はどこにあるのだろう?全てに満足して、もうこれ以上はないと達観して、全てのすることをやめる、それが、「第三の涅槃」の境地だと思う。その3つの境地は、僕は、「安心」と「運命」と「達成」であると言えると思う。
ある意味、最終的には、「自らの存在を作り出す」と言う「創造体験」へと至る。そこから、「全ての存在は正しいのだ」と言える。根っこから葉や茎が生まれるように、子供から大人が生まれ、大人から哲学者が生まれる。それは自然の流れであり、ある意味では自然の摂理である。同様に、間違った社会は正しい社会となり、また間違った社会となる。だが、放っておくだけでは意味が無い。みんなの手で正しい社会にし、本当の理想の「社会像」を「共有」していく必要がある。そこでは、「右翼的な乱暴さ」も時には「強さ」となって現れることもある。だが、本当はボトムアップに、自然に共有されたコミュニティ・ムーブメントとして起こるべきことなのだ。それが、「理想を実現する」と言うことに対する、「創造体験的な答え」でもある。
僕のロボットは、想定出来るようにすると、もっと人間らしくなる。「それはジュースだ」で終わるのではなく、「ジュースなら何であるか」と考えれば良い。そして、その後に、それなら何であるか、全部仮定して、比較して考えれば良い。作るのは難しくはないが、僕はあまりそういうことに興味が無くなった。それこそ、もっとまともな発想をした方が良い。僕の発想は、考えているようで、何も考えていない。例えば、「都市設計を公募で作る」と言ったり、「最初に大量に作ったものを分配する」と言っているが、意味が無いだろう。意味が無いから、そういう発想をしない方が良い。スパコンで出来ることを真面目に考えるとか、IntelのCPUを超えるCPUを作るとか、そういう、真面目な発想をして、もっと社会に貢献するべきだ。あとは、今日は母親がミシンで怪我をして、それで少し時間を使った。だが、今日はいつも書いている人生の文章が書けて、本当に良かった。もう、大満足だ。トランプの馬鹿な点は、本当に馬鹿なことを言っても、許されるところだから、一度本当にもっと馬鹿なことを言えば良い。「アメリカとイスラエルを併合する」とでも言えば良い。さすがに問題になって、退陣することを余儀なくされる。「アメリカとソ連を日本の一部にする」と言えば良いだろう。そういう、「さすがに問題になること」を言わせれば、倒れる。アメリカはもう終わりだ。あとは、ロボットは普通の人工知能を乗せると言っているが、良く考えるとディープラーニングなんか乗せても意味はない。むしろ、簡単だと思うから、誰でも作れる。あんなメインループにするよりも、想定だけをきちんとするような人工知能を作った方が良い。「何かをする前に事前に分かって判断する=想定する」ことを出来るようにすると、良いものになる。
僕は、ある意味、脳を全部分かっているから、それだけでは足りないのが良く分かる。例えば、具体性と一般性は、どちらもないと駄目だ。何かを具体的にするのと同じぐらい、その前から抽象的に分かるべきだ。それから、馬鹿と賢いはどちらもなければ賢くない。馬鹿な内容が賢く見えて、賢い内容が賢い。そして、構造性と具体的なプロセスがないといけない。それを構造的に「分かる」だけではなく、具体的なプロセスとして「経験」しなければならない。その時、初めて、ロボットは人間と同じになる。だが、それはそれで、脳とは全く似ても似つかないものだ。
あとは、何かをすること、して考えること、考えて作り出すこと、作り出して知ることが必要だろう。このロボットには、「パソコン機能」と「哲学機能」と「戦争機能」をつけて、永遠に無限ループに陥れば良い。僕のように狂っているのが、面白いだろう。
ただ、僕はアメリカは放っておけば倒れると思う。トランプが何でも思いつきでやって、世界を見なくなると、疑心暗鬼に陥って人の意見を聞かなくなる。それで思いつきでやるから、国の正常な機能が無くなると思う。おそらく、北朝鮮と戦争すると、北朝鮮が勝つと思う。だけど、ロシアがどちらにつくかは分からない。ある意味、おかしな北朝鮮にもアメリカにもつきたくないと思うが、北朝鮮についてもアメリカについても悲惨な馬鹿くじを引くだけだ。それは、ある意味、日本も同じだ。
僕は、ある意味、脳を全部作って分かって、戦争で世界を支配して、この世の全てを昔分かっているが、それに付け足して最近の科学を増やすと、もう全部分かっている。全部分かるから、こういう文章を書きたくなる。特に、脳を永遠の記録で分かったのが多い。だから、みんなも、22歳になるまでに頑張ってほしい。頑張った人間なら、誰でもこれくらい分かる。アメリカは終わりだ。イスラム国は滅びるが、その後に生まれたアラブ人たちがアメリカとイスラエルを倒すだろう。それが、最後の時代だ。
中国と日本は生き延びる。日本にはもう一発核兵器が東京に落ちるだろう。そして、中国は、最強の傍若無人な国になっているが、これがコロリと良い国になる。全てを経験した、最高の国になる。最後には、東アジア人とムスリムイスラム教徒のこと)しか居なくなる。ドイツ人の様子は分からない。アメリカ人とロシア人は、イスラエルとともに完全に滅びた砂漠の国になる。永遠にナチのような戦争をするから、アラブ人が倒してくれるだろう。
僕は、最近、北朝鮮や中国は嫌いだ。むしろ、トランプが良く見える。色々とおかしいが、アメリカは自由な国だ。トランプは、自国を守る主権の自由を本当にやっているだけだ。僕は、自由を考えるが、モデルのようにそれぞれが何を出来るのかを考えて、社会や組織を作る文章だった。本当の自由では、全てのものは美しい。僕が考えるに、この世界は、おかしく「汚れ」のように汚くなっている。洗濯して、石鹸で洗うしかない。坂本龍馬が言っていたように、日本は洗濯すべきだが、むしろ、世界を日本から洗濯すべきだ。きちんと、糞みたいになった人間を洗うしかない。僕が思うに、一度本当に自由になれば良い。それぞれの経験の自由から可能性と社会性がきちんと生まれると、いつも書いていた。もう、日本は美しくて綺麗になる。
最近の僕は、ロボットになっている。ただ、関数を作って繰り返すだけのロボットだ。そのロボットが、ロボット人間のようにまだ分かっている。そういう人間が怖いのが自分だ。生命は、ある種、ロボットだとは考えられる。太陽の光を吸収し、虫を食べ、魚を食べ、木の実を食べ、それらを食べる、そういう機械だ。ある意味、人間は巨大な破壊行為をしているだけで、他の生命はみんなで人間を助けている。だから、人間が支配者だと言ってもおかしくはない。僕は、怖いものを怖いと思わないのが怖い。怖いことはしない方が良い。ユーゴスラビアの地雷原に立っているのは怖いだろう。最近は、そういう風に怖いだけだ。それでパニックになっている。それから、北朝鮮はそろそろ僕が倒す。もう、倒したはずだ。言うだけで戦える馬鹿が自分だ。自分は、「日本を良くする」と思えば良くなるのが分かっていない。良くするためには、綺麗にすれば良い。生命は、地球を綺麗にしたいだけだ。そして、綺麗になった地球は、おかしな生命になって、無くなり、滅びるのだ。人間は、地球をまるごと食べたかっただけだ。ロボットと言うよりは、環境を変えたかっただけだ。ただ、社会主義は止めた方が良い。軍人と社会主義者は人間に見えない。人間の方が良い。北朝鮮のミサイル開発をやめさせたいが、それは難しい。何かの形で北朝鮮を倒したい。ある意味、ロシアが北朝鮮を倒せば良いように見える。ロシアを従えれば良いが、それは難しい。良く考えると、人間が生命を滅ぼすのは、全く意味が無い。人間たちに何もない。本当は、人間はもっと別の何かが食べれば良い。それは、おそらく、そのうち生まれるだろう。僕は、自由な方が好きだし、これで日本が社会主義国になると、自分が悲惨だから、社会主義国にはなってほしくないのだ。だから、民主主義の方が良いが、トランプは嫌いだ。トランプは、みんなに「すごいなあ」と言われたいのだと思う。彼は確かに凄いから、自分も「トランプはすごいなあ」と思う。でも、僕から見ると、そんなにすごくない。トランプは、もっともっと「すごいなあ」と思われるようなことをしてほしい。それは、トランプにとって悪いことかもしれない。僕は、トランプやアメリカは、英語を使うから、ああいう風に馬鹿になるのだと思う。英語と言う言語が、どんどん馬鹿になって何もなくなる言語だからだ。ある意味、フランス人やドイツ人がやると、違う。フランス人は自由で高度な言語だし、ドイツ語は古くても賢い言語だ。だから、トランプが馬鹿なのは、英語を使うのが悪い。フランス語を使うように変えた方が良い。だから、日本が賢いのは当たり前だ。日本語は、漢字に加えてアルファベットや英語のようなものを含めた、宇宙の全てを包括するような言語だ。人類は、言語的に考えるのが良い。人間は言語だ。そうすると、英語は命令形を使うのが悪い。日本人は、命令形を使わないどころか、敬語を使う。英語にも敬語を取り入れた方が良いだろう。パソコンがキモいのは、言語的に馬鹿になるからだ。おかしな言語は、消滅するべきだ。
人間が植物の花を見て「いいな」と思うのは、花は地球を綺麗にしているからだ。生命の目的は、地球を綺麗にすることだ。だから、生命の目的は花を咲かせることなのだ。
そういう風に考えると、人間が「考える」と言うことは、それほど大したことではない。むしろ、動物なんか、過酷な環境でも生きられる。人間では、軍隊しか、そういうことが出来ない。人間は強くない。動物を刈り取ることが出来る、と言うことは、強いことを意味していない。どんな環境でも、一人だけになっても生きられる、と言うことが、動物の賢い点だ。要は、過酷な環境も浄化して、綺麗にしたい。そうすると、人間の生きている意味は何だろうか?人間には、生きている意味がない。だから、こんなに悪い生命は居ないのだ。
ある意味、人間は、悲惨な「疎外された生命」だ。宇宙の中に居るのに、宇宙のことが分からない。だから、物理学者が宇宙のことを考える。金も、子供も、いじめも、全部同じ、「疎外された生命」だ。だから、動物のように調和出来ず、同じ人間たちと敵対する。悲惨だから、あまり考えない方が良い。考えるとは言うが、哲学者はただ生きているだけだ。それを、ありえなく捉え、考えることしか出来ない。人間は、自分が今ここに居ること、生きていることすら、分からなくなった、悲惨な生命だ。脳がそんなに大きいのは、病気だ。判断するだけの病気になっている。