「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

今日のこと - 2017-01-29

考えを多面的に作って、思考を経験した。あらゆる思考とその前提を多角的に分かっていた。
思考のモデルを作って、思考を「経験」のように分かっていた。経験をたくさんしていた。
物理は、当たり前の物理、独自の物理を作った。
変化の予測、関係的な作用、反応と実験、相対的な「なる」を考えた。
宇宙の前には全く違う宇宙があるとか、宇宙は進化するとか、そういうことを言う。
あるのは今と言う時間だけだが、その時間さえ、知ることは出来ない。
そういう風に、僕はあるものを疑って、知ることを不可能だと考える。
僕は、分かったつもりになって、知っているフリをしている。それで、ロボットになっている。
本当に良く考えると、プラトンのように真実の世界を考えるようになるのかもしれない。
それから、デカルトのように考えるためには、馬鹿な思考の経験をいくらでもすることだ。
ある意味、人間の体のようなことや、生物の細胞のようなものさえ、疑うことが出来る。
それは、宗教ではなく、物理的に、むしろ、異次元の思考をすることが出来る。
体の内部を透視したり出来る。脳は変化するかもしれないし、神経は強くなるかもしれない。
遺伝子すら、変わる可能性はある。
ある意味、一般的にそれがそうなるからと言って、そうにしかならないと言うことはない。
別の可能性を知るためには、みんなとは違った生き方をすれば良い。そして、見ているものをみんなより違った視点で見ることで、本当のそれが持つ様相や精神を知ることが出来る。
みんなが本当に正しいかと言うと、それは確かめる必要がある。
ある意味、コペルニクス的転回のように、全ての真実が覆る可能性はある。
「そうではなかった」と言う体験を一度すれば、そのことによって、全てのことを「何が正しいのか」とする「仮定の予測」を知ることが出来る。
そこで何を思うか、環境の外を実際に知ると自分が思っていたのとは何が違うか、を知ることで、逆に、そこでそれを思っていた根拠から、「人は何を間違うか」を知ることが出来る。
そして、誰がいつ何を思うかを知ることで、人々の考え方の違い、何を人々がどこで思うかを知ることが出来る。そこから、ソクラテスサルトルのように考えることも出来るはずだ。
哲学は、そういう、「人間的物理」が出来る人間が出来る。
ただ、何でもかんでも不可能なわけではない。知ることも出来ないわけではない。ピアニストは、ピアノを上手く弾けるが、ピアニストと言う職業が実際にあるのなら、それは自分だって頑張れば弾けるはずだ。昔は、そういう風に、「出来る誰かが居るのなら、自分にも出来るはずだ」と考えていた。
科学者が科学者たる所以はどこにあるのか、考えれば良い。科学者も普通の人間と変わらない。
あとは、人の意見をたくさん聞いていると分かる。だが、ただ聞くだけではなく、自分から言うことも必要だ。
最近のみんなが馬鹿なのは、そういうところが馬鹿だからだ。そんなに聞きすぎても意味がない。
自分の力で考えるためには、強く生きること。時に、突き放すことも必要だ。
だが、自分の力で考えられるようになるために、人々の助けを得ることも出来る。社会のことを観察すること。
いつも、そういう、「どのようにして自立可能になるか」を書いていた。
人々が何を間違えているか、真実はどこにあるのか、色んなことを知りながら考えることが大切だ。
デカルトのように、思考的原則を考えても良い。
まず、分かると信じること。
次に、分かることを期待しないこと。
そして、分かることの実像を見ること。
さらに、人々の分かり方と比べ、真似をし、実験すること。
そして、それぞれの分かり方を融和すること。
吸収し、見方を変え、立場を変えること。
自分に出来ることは、他の人にも出来ると考えること。
ただ、デカルトは数学的に、きちんと原理原則を考えている。そこから、「良い発想」をしている。
特に、「何かを成り立たせ、何かを発生させる、別の何かがある」と考えること。
さらに、「疑うことより、正しく信じるためにどうすれば良いか」を考えること。
さらに、「人々に教えるためにどうすれば良いか」を考えること。
そして、「自由な中で何がその周りで行われるか」を考えること。
そして、「関数的な考え方の応用」を考えること。
疑う、と言うよりは、本当に正しい答えは、人間の側ではなく、宇宙の側にあると考えれば良い。
推論する、と言うよりは、考え方は応用出来、正しいものはいつでも正しい、と考えれば良い。
部分化、と言うよりは、成り立たせるための基礎と応用がある、と考えれば良い。
検査や実験、と言うよりは、全てのことは、立場を吸収することで融和出来る、と考えれば良い。
今日は、物理的な考え方の日になった。
パソコンの良い点は、色んな人の意見を聞くことが出来る点だが、悪い点は、嘘や真実と言えないものが多すぎる点だ。そのせいで、みんな、嘘だらけで何も分からなくなっている。ネットの嘘は、低レベルすぎる。それもそれで、馬鹿に拍車をかけている。
あとは、他人の視点に立っていると、ウィトゲンシュタインのようになる。普遍的に、これが一番正しい、と言う人間は居ない。それぞれがそれぞれで生きていて、その事実の集合が世界である、と言える。あるのは事実だけであって、事実を良く考えると、世界観や関係のように考えられる。あるのは事実だけだ。
昔の自分は、世界観と世界観が関係するとか、そういうことを言っていた。ハイデガーも、ウィトゲンシュタインと良く似ているところがある。僕が思うに、科学のことを厳密に考えると言う点で、フッサールも良く似ている。そこらへんをすると良いかもしれない。言語哲学としては、言語ゲームと言うよりは、僕は「言語に対する自己の姿勢」ではないかと思う。それは、ある意味、「言葉遣い」と「言語的前提」だと思う。
ある意味、人間には人生と言う名前の世界観がある。認識は支配出来る。それぞれが関わりあうことから、世界観が生まれる。世界観によって、人々は個性を持ち、事実を作り、事実と関係し、外部への作用と行動を行う。それは、誰もが同じ普遍的原理の中で、一般的に生まれ、ふるまう。それは、人間だけではない。そういう風に考えて、自由な支配者になっていた。
環境を想定し、仮定して、その中で何が行われるか、考えても良い。昔はそれくらいしか考えていないが、そこから独立、モデル、自由、哲学など、色んな可能性を考えていた。協力、初期投資、再利用、考え方などを考えていた。
僕は、どんな環境やソフトウェアでも絶対に見た目が変わらないような、そういうドキュメント・フォーマットを作っても良いと思う。あるいは、ユーザーインターフェースも同じように、どの環境でも絶対に操作性が変わらないようにする。HTML5のように、仕様をきちんと完璧に決めれば出来ると思う。
昔は、捉えることで分かっていた。文章にも、捉えることを書いている。思考を辿るとか、心と環境を多面的に捉えて考えるとか、プロセスを考えるとか、具体的に明確化し、自由を拡大する、などと言う。自由と考え方を分析し、対象の出来る範囲を想定し、「やり方」を考えて、行動をどのようにしていくか、対象として社会をどのように実現していくか、社会はどのようであるべきか、などと言う。最近は、捉えどころのないものになっているが、それが悪い。最近は、頭の中で全てを自動で捉えることで分かっている。それがパーキンソン病だ。みんなは、捉えることが出来るようにすれば、すぐに昔が出来るようになる。
捉えることで、世界観も広がっていく。捉えることから、経験と意識を知り、理想を社会においてどのように築いていくか、のようなことも分かる。それらに、確かな方法とやり方があることに気付くだろう。もっと、可能性を可能性として、可能性のままで考えれば良い。
人間関係、自由、社会、環境、そして状態を捉えて、捉え方を変える。そして、一度捉えたことを応用して、積み重ねる。昔は、そういう風に自由を捉えていた。そこから発想法を作った。経験は、とにかく全部経験した。理想は、みんなを愛していた。それだけが賢かった。
自分が、捉えられるようになれば良い。みんな、自分のことが捉えられないから、分からなくなっている。
最近は、捉えることと経験が狂っている。ロボットのようになった。だが、世界と神と科学を全部創造し、可能性をあらゆる角度から考えて、言葉にしていた。それは、悪くなかった。ある意味、考え方を上手く作ることで、何でも成り立ちを言えるような、そういう知恵の文章を書く作家だった。そこから、全ての科学を賢いポイントを絞って創っていた。
昔は、神のような精神体験をしていた。アインシュタインを分かったりしていた。
昔は、全てのことは経験から分かってくると考えていた。経験から理性は覆ると考えていた。
全てがないことは、正しい支配者が居ないことと、正しい自由がないことにある。王を立てながら自由にすることで、全ての社会問題は解決する。だが、王を立てるだけでも悪いし、自由がないことも悪い。勘違いをしている人間が多いが、自由を無くしても、分からなくなるだけで、良いことは出来ない。本当は、もっときちんと自由にしないのが悪い。正しい自由を理解していない、正しい自由が与えられていないから、みんなが馬鹿になっている。自由とは、解放されることであり、無用なものは存在しないべきだ。そして、意志の疎通がきちんとされながら、みんなが本当の意味で主権を持つことが出来ることだ。王は必要だが、独裁者は必要ない。王は、それらの自由を理解した上で、正しいことが出来るような、理想の実践存在であると言えるだろう。自由を社会に与えることが理想であり、自由を王が与えることが実際の実践である。だから、右翼は間違っていない。
僕が思うに、社会の成長段階は、まず気付くことから生まれる。次に、意見を集める。そして、意見を実践する。次に、意見の裏側に何があるかを知る。そして、それぞれが考えるようになる。まず、一人の考えた王が社会を変える。次に、みんなが賢くなって、みんなが変えられるようになる。次に、一つの集大成的な理想が生まれる。そして、理想と現実が戦う。理想を社会において実現しようとする。だが、それは失敗する。ある意味、それ以上は混沌とした世界になる。だが、誰かの手によって世界は復活する。
ただ、そういう風に考えなくても、社会の成長段階を単純に考えることは出来る。まず、一人一人が気付く。次に、一人の賢い人間が生まれる。次に、みんなが賢くなる。最後に、賢い社会を実現する。だが、それは得てして失敗するものだ。そういう風に、歴史は繰り返す。
トランプは節操のない人間だが、相手のことは考えている。大衆向けの演説をする時は、大衆向けの馬鹿なスローガンを言う。だが、個別に大統領と会談する時は、和やかな雰囲気で行う。ある意味、詐欺のようにも見える。強硬な態度を見せたかと思って警戒すると、逆に温和な態度を取って相手を安心させ、駆け引きの中で自分に対して有利なように仕向ける。右翼だけを理解しているように見えて、左翼的な発想も取り入れる。ああ見えて、人の意見を良く聞き、学ぶことを怠らないと言う、違う側面も、理解出来る。
みんなの立場に立って、みんなが決められるようにする。そこでの啓発をする。そういう「自由」だけで、文章を書いていた。それぞれは全く違う人間だが、立場と環境が同じなら、人間は同じになる、と考えていた。
最近、自分が好きな人間が多いが、自分のことが好きになると、他の全てのことが嫌いになる。だから、こんなものは好きにならない方が良い。Perfume椎名林檎がそうなっている。何もかも嫌いになって、自分だけの人間になる。キリスト教徒も同じだ。
あとは、人生における環境的段階のようなものを書く。平和から、愛、自由、平等、そして独立、仮想化、真実、理想となる。だが、僕が思うに、もっと認識的な段階の方が良い。認識は、それぞれの見方を変え、真実を見出し、経験し、それを多角的に捉えて、理想の社会を見出し、真実を知って絶対知となる。だが、この文章はある意味、骨格的なところがない。もう少し、「その状態からその世界の広がりが分かる」ように発展していけば、昔の文章だ。それは、振り返り、経験を共有し、ありのままの世界の在り方を意識で知って、全てを変えられるようになって、最終的には全てに意味があるのを気付いて、ある意味では特別なことを普通のこと、おかしなことを何もおかしくないことだと理解する。そして、全てのことは、全員のためにあると、信じる。
自然な影響力を与え合い、全てを経験から認めることで、社会は正常になる。自由には、独立と自然の潜在的可能性がある。そこから、社会、運命、体験、人生が生まれる。いつも、そういう、「考え方的な世界の生成」のようなことを言っていた。
あとは、習得すること、思考すること、予測すること、価値観の違い、社会の形成、条件と法則のようなことを言う。そういうものを自由だと言って、環境を自由に守るとか、この世界を「自由に守り切る」ようなことを言う。それで、実際にこの世界を一人で守っていた。完全に、この世界を滅ぼしながら守る。そこが、底知れない、最悪の恐怖の愛だった。本当に、みんなはそれが怖くて狂っている人間が多い。
人間は、一度完全な環境の変化を経験して、時間がある中で考えれば、誰でもこうなる。あとは、環境的な意識の変化と発展を、時間的考え方の中で分かっていた。この世界で一つの家があって、その家が長い間、諸行無常を経験しながら、次の時代を経験していく。そういう、家のような対象物から、そこにある意識を分かる。そして、たくさんの自分なりの経験をして、人生と理想を分かる。潜在的可能性を全部具体的に作って、経験する。そういう、引き篭もりの実体験だった。それはそれで、幸福で良い体験だったが、今思うと、デーモンやサタンのような悪魔の体験だった。
僕は、昔から、もっと色んなことが自由に出来たら良いと考える。みんなが色んなことを自由に出来るのが良い。UNIXWindowsではない、みんなが出来ることを増やす、と言う意味でのOSが作れたら良い。米ソや日本ではない、みんなが出来ることを増やす、と言う意味での国が作れたら良い。ある意味、簡単にコンパイルしたり、それを変更してコミットしたりすることが出来て、プログラミング言語は理解しやすければ良い。性能や安全性はなくて良い。みんながそのOSで出来ることを増やし、その国で研究所や活動が出来るようにして、みんなで実験の経験が出来るような、そういう国、そういうシステムが良い。ある意味、純粋にLinuxをそういうシステムに出来るかもしれない。
ある意味、FreeBSDがそういうシステムだ。だが、僕はFreeBSDよりNetBSDが好きだ。きちんと正しいOSに見える。
最近の日本は違う。どこの馬の骨だろうと、名前と役職だけを言えば賢く見える時代は終わりだ。馬鹿な人間は本当に馬鹿だ。政治家の選挙の演説のように、名前と役職だけで通用する世界ではなくなっている。だが、僕はそのことを、あまり良いとは思わない。世界は本当に劣化している。むしろ、自分以外全く意味の無い世界になっている。この世界は終わりだと思う。そして、むしろ、一度終わるべきだと思う。トランプは、スピードが速すぎると言う人間が多い。トランプぐらいから、おかしな世界になった。本当に最悪の世界になった。弱者、若者、少数派から考えると、本当に最悪の世界だ。どこかで、誰かが終わらせるしかない。むしろ、トランプは、大統領令の以降は、きちんと賢い大統領が出来るのか、不安だ。むしろ、昔もそんなに良い世界ではない。宇多田ヒカル以降が悪い。幼児的なオタクや、悪い不良、おかしな不審者が多かったが、最近に比べると、まだまともな社会環境があった。最近は、派遣労働や弱者虐待など、「最悪が普通」になっている。「明らかにおかしいのに、おかしくないと思っている社会」が最近だ。これ以後は、「明らかにおかしくて、誰が見てもおかしいと誰もが思っている社会」になる。取り返しのつかないうちに、おかしくない正常な社会に戻した方が良いが、それは不可能だろう。壊れたガラスのコップは、元には戻らない。
むしろ、トランプなんかもう終わりだ。この一週間で、大統領令を出して、選挙中言っていたことややりたいことはもう全部やった。後は何もしないだけだ。アメリカは、無意味な国になる。ISも弱体化しているらしい。ここから先はアフリカだろう。だが、もう、この世界は破綻すれば良いようにしか見えない。一度、既存の全てのものを消した方が良い。いつもの自分のように、全部消して何も無くすれば良いのだ。
僕は、何もしない国の方が良いと思う。雇用でもすれば良い。特別なことは、何もしなくて良い。みんなに仕事があって、みんなが平凡な暮らしが出来れば良い。世界平和とか、そういうことはしなくて良い。特別でない、平凡な国で、みんなが暮らしやすくて、やりたい人間は自分の責任で出来る、と言う国の方が良い。トランプは、大統領令以降は、そういう世界にしてほしい。
弱者を助けるために、弱者を助けた人間には称号を与える。会社は、政府の下で、法律で全部同じ環境にして、誰もが同じ環境で働けるようにする。雇用は、最初から失業者が出ないように、みんな公務員にする。やりたい人間は、全部自己責任にする。労働内容も、辛い労働や頑張った人間にはたくさんの給与を与えるが、それが嫌なら楽な仕事も選択出来るようにする。発展もしなくて良い。戦争や軍隊も無い世界が良い。そういう、普通の世界で、出来ればパソコンのようなものが使えなくても生きられるようにしてほしい。パソコンをしたくない人は、しなくて良いようにする。
自分は、正しい方と間違った方をどちらも取るのが悪い。それだけならば良いが、間違ったことをしたあとで、正しいことを言う。そこが、たちが悪い。もう少し、間違ったことは言わなければ良い。それを、出来なくした方が良い。
狂ったことを言うな。人を侮辱するな。人を陥れるな。人を殺すな。人を倒すな。人を騙すな。ウソをつくな。誠実であれ。正しいことをせよ。行動に伴う心を持て。心に伴う行動をせよ。常に精進せよ。常に良い人間であれ。人々を助けよ。期待に応えよ。夢を見よ。前向きに考えよ。くじけるな。
あとは、ニュースを見ていると、アメリカのマイノリティや反トランプ派が本当に困っている。これは、アメリカは終わりだ。崩壊するだろう。崩壊して欲しい人も多いはずだ。アメリカは終わりだ。むしろ、パソコンも終わりだと思う。パソコンなんか要らない。Linuxを改良して、日本人好みのOSにすれば良い。あるいは、ファイル管理とワープロとコピペが出来る機械を独自に作れば良い。多機能パソコンなんか要らないだろう。
あとは、最近は情熱のようなものがない。そこが悪い。昔は、矛盾とか、間違っているものに対して、正々堂々と立ち向かうような情熱があったし、人々を救うために考えるような愛があった。明らかに、トランプがそういう人間だ。面倒な人間が現れたことは確かだが、トランプが何かをやるから、期待せずに見守ってやった方が良いだろう。
最近、僕は目的がない。目的と言うものが無くなっている。昔、学校から離脱して引き篭もりになった時も、目的を失って喪失していた。ただ、それはネットが救ってくれた。今の自分がどうなれば良いのか分からない。
トランプの怖い点は、大統領令を使っているところだ。本当に、何でも出来る。僕は、メディアを本当に倒せば良いと思う。テレビやマスコミを完全に倒せば良い。それくらいをやる可能性はある。ただ、テレビの解説者が言っているように、トランプは本当にやることが速い。こんなことが簡単に出来るわけがないことを、すぐに、もうすでにやっている。ありえないが、本当にありえないことを何かやるはずだ。僕個人としては、トランプには、最大の過ちをしてほしい。それを反省する大統領になるのが良い。それが、一番良い大統領になる。
自分は、この世界を難しく考えすぎている。普通に、見て、居る人間が居るだけだ。テレビなんか、見ないなら見なくて良い。僕は、最低限のニュース番組以外、テレビを全く見ていない。ニュースも見ないことが多い。デパートや車の中に居るだろう。そういう人間が、ただ居るだけだ。この世界はそういう世界だ。他人のことなんか、考えなくて良い。自分を貫き通せば良い。ネットなんか見ない方が良い。僕は、ネットも、自分のホームページとブログ以外全く見ていない。本は買うが、読まないことが多い。日本語なんか全く読んでいない。ただ書いているだけだ。
僕は、テレビを見ていて、こんな馬鹿な世界は全員死んでほしいと思う。だが、良く考えると、それはテレビに対して思うのであって、みんなではない。デパートや車の中から見た範囲では、みんなはにこやかに笑って、仕事を頑張っている。そういう馬鹿に死んでほしいわけではない。そういう普通の人間には、幸せになってほしい。テレビやネットはそこが悪い。みんなをいじめているのは、全部テレビが悪い。最近は、ネットも同じになっている。テレビやネットを見なければ、良い人間になるのだ、と言うことが良く分かる。
テレビを見ていると、この世界には悪い人間しか居ないと思ってしまう。死んだ方が良い人間がいくらでも居るように見えてしまう。だが、あなたの中学・高校時代、本当にそんなに悪い人間が居ただろうか?良い人間、それも、最高の友達が多かったはずだ。そして、働いているみんなの姿をレストランで見て、不真面目な人間は居ただろうか?全く、真面目に頑張っている人間しか居なかったはずだ。テレビはおかしい。テレビを見ていると、この世界に良い人間がたくさん居ることを、世界の「ついで」のように考えてしまう。それらが「みんな」なのが分からなくなってしまう。昔から、日本はそういう風に騙す。どこの国でも同じだから、トランプは間違っていない。
良く考えると、みんなが狂ったり、馬鹿になったりする意味がない。それでは、頑張って生きているみんなが悲惨だ。もっと、みんなのことを手助けして、きちんとそれぞれの幸福と良識を与えれば良い。テレビを倒しても、良いことは無い。もう少し、みんなが、自分のことを誇らしく思って、それぞれが助け合えるような、そんな世界になれば良い。そして、率先して良いことをすれば良い。テレビのもう一つの問題は、常識を植え付けるせいで、この世界を変えることなんか不可能だと思わせる。そんなことは無い。変えるとはいうが、誰かを一人でも幸せにすれば、変えたことになる。それは、全然可能だ。
誰か一人、人間を幸せに出来たら、それで十分だ。それで十分世界を変えた。家族や友達にやってみよう。自分の思うことを率直に言って、自分が相手の何を助けたいか言ってみよう。それだけで、十分良いことをした。次は、相手にそれをしてもらうようにしよう。全部自分がやってあげる関係はつまらない。いくらか相手にやってもらった方が良い。相手が満足出来るように、簡単な願いにはしなくて良い。
昔は、心の法則を見つけただけの人間だった。物理的に、心を全て解明し、関係を考えた。
頭を治すためには、放っておいて元に戻るようにすれば良い。そして、それは使っている部分から変えていけば良い。一向に治らないのは、そのままを保持し続けているからだ。それを、元に戻るようにしていくと、楽な精神に治る。