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「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

今日のこと - 2017-01-25

昔は、数学的な部分を全部作って、応用的な部分を全部作って、頭で数学をして分かっていた。
そういう風に、文章を書いて、全部分かっていた。
あらゆる森羅万象の構造を、想起的に生成していた。そういう文章だった。
自分は、そうなった時のための「準備」が出来ていない。もっと、準備をすれば、きちんと出来る。
原因をさかのぼっていくと、最終的には社会を変えることに行きつく。そして、自分を変え、社会を変えやすくすることに行きつくだろう。最近は、そういう発想がない。最近は、準備やそのための方法を考えないのがおかしい。
ある意味、人間は工場でものを作り、スーパーマーケットで食料品を売るようになったところから間違っている。人間的にものを作らなくなった。もう一度、人間的にものを作ることに戻れ。それは、オープンソースと一致する。
誰でも目的と方法を考えれば分かる。ある意味、それは下準備と同じだ。それから、自分とは何なのか考えれば良い。
歴史は、長い間での進歩が賢い。ピアノの歴史のように、ものは長い間で進歩してきた。ある意味、パソコンが馬鹿なのは、歴史があまりに短いからだ。長い間での進歩を考えると、パソコンもきちんと進歩する。最近が馬鹿なのは当たり前だ。まだ、ほんの少ししか、IT時代が進んでいない。
歴史が長いものには、良いものが多い。ITもそのうち良いものになるだろう。
今ITが悪いのは、ITが分かる子供たちがやっと大人になったからだ。
まだ、何も始まっていない。ITは今から良いものになる。
今、アメリカが馬鹿なのは、歴史が短いからだ。アメリカだけでも歴史が短いのに、ITが加わって本当に未知の体験をしている。むしろ、中国には歴史が長い。一通り、中国文化が全部経験している。不思議と、中国は唯一共産主義国家だが、それも中国の「独自性」をさらに増している。中国は、労働者環境や環境破壊など、劣悪な面も多いが、誰もが中国の文化が好きだ。それは、歴史の中で良く考えられているから、自然に惹かれてしまうからだ。
ただ、激動の時代や大転換の時代も賢いことがある。最近の世界は、ITと温暖化で大転換をしているが、自分はそういう、狭間の時代に生きている。ちょうど、テレビゲームとWindows 95が多い時期に子供時代を生きて、パソコン全盛期に20代を生きた。自分のように、最近は本当にそこまで賢い人間が多い。古代ギリシャペルシャ戦争にギリシャ人が勝った時と良く似ている。
今からのITは、僕は「安心」と「信頼」だと思う。安心出来て、信頼出来るものを使いたい。色んな情報をブログで発信していると、その人は比較的安心出来る。その人がフリーソフトを作っていると、信頼出来るフリーソフトに見える。今からは、そういう、「ネットでの信頼性」を持つことが一番大切だと思う。ユーザーやリピーターを多く取りたいなら、リンクされて有名になることより、ブログなどで多くの人から信頼されることだ。
繰り返すが、有名になることよりもっと良いことは、信頼されることだ。
自分は、ふたなり女の多重人格だ。一人だけでセックスをする。
ソフトウェアで高い金を取るより、無料にして有名になった方が良い。有名になれば、色んなことが出来る。
昔は、孤独な引きこもりだったから、ネットが家族みたいなものだった。二次元が恋人だった。だが、引きこもりは認知症になる。最近、デザイナー見習いになって、引きこもりは卒業した。
僕が優しいのは、全部、みんなの人生を良いものにしたいだけだ。昔は、世界を滅ぼさず、自分の力で守りたかった。自分の出来ることは全部したかった。最近は、世界に介入せずに、出来るだけ迷惑をかけずに、自由に勉強し、思い出す。その中で、世界を愛に導いている。
ある意味、地球の現象全体を生命活動だと言うことは出来る。地球はマルチスレッドな生命だ。人間の行動や組織さえも、遺伝子と同じように、「現象」であると考えることは出来る。
僕は、ワルキューレだ。ウリエルを子供、ガブリエルをLinux、ミカエルを戦争、ラファエルを1番目の文章、カマエルを2番目の文章、ヨフィエルを3番目の文章、ザドキエルを4番目の文章とする。そして、現実の文章を書く自分をルシフェル、デザイナーの自分をメタトロンと言う。まさに、ワルキューレ(音楽グループ)が歌っているように、ワルキューレが止まらない。それが自分だ。
今日はピアノがあるが、最近作業所に行っているから、土曜日か日曜日に変えてもらおうと思う。
昔は、世界が変わっていくのを書いていた。そういう歴史の文章が多かった。
日本語を聴いて難しい話が分からないのは、言語的な問題と言うより、話している内容が分かっていない。そもそも、この世界が何なのかが分かっていない。引きこもりだからそうなる。普通、こういう馬鹿を統合失調症と呼ぶ。
狂って歩き回るのは、立ち止まると狂うからだ。狂って治れば治る。
精神がどうなるかや、社会の実例のことを、「自分が実際にそうだった」とか、「自分が実際にそうなった」ことから分かった。
完全に予想することで分かっていた。
全てを超越していた。
あとは、みんなは、「悪いものを本当に悪いと思う」ことで治る。悪いことを悪いと思わないから、ネットやトランプのような人間になる。そういう人間が、タリバンと戦って、みんなを犠牲にする。悪いことは、悪いと思った方が良い。
今日はピアノがあったが、いつもよりスラスラと弾けた。先生も出来ていると言った。右手だけではなく、両手でも(簡単な曲なら)初見でスラスラと弾けるようになってきた。だが、よく間違えるし、よく止まってしまうから、それをもっと高めたいと思う。
あとは、ピアノの曜日は変えずに、時間を遅らせてもらうことにした。
それから、詳しくて分かりやすいお金の基本と言う本を買った。これで、きちんと社会人として生きられる。
トランプは、保護主義や雇用拡大を打ち出して、アメリカ・ファーストと言っているが、どうやって儲けるのか良く分からない。全部、メキシコの工場やメキシコからの移民から奪うのだろうか?ある意味、それは価値の移動をしているだけで、価値の生産をしていない。生産しない経済で、本当に発展し、人々の雇用を作ることが出来るのだろうか?ある意味、カジノと良く似ている。見かけ上生産しているように見えても、生産していない。悪いとは言わないが。どうやって儲けるのかも分からない。外国への輸出は制限するだろう。アメリカの内部の経済だけで、中国や日本ほど儲けられるのだろうか?
ただ、僕は経済学はまだ勉強中で、何も分かっていない。経済学者のようなかっこいいことを言いたかった。
2ちゃんねるひろゆきが言っていたが、トランプがTPPから離脱したことで、日本の自動車産業が利益を得られる道が、「アメリカ以外の国によるTPP」だ。TPPの中で自動車を生産しているのは、日本とアメリカしか居ないらしい。もしTPPで関税を撤廃すると、TPP参加国は、日本の自動車の関税がなくなって、アメリカの関税のかかる自動車より安く日本の自動車が買えるようになる。日本の自動車が売れるかもしれない。ひろゆきが、それは結構良いことではないかと言っていた。以下を参照のこと。
http://blogos.com/article/206717/
自分は分かっていない。トランプが生産しない経済なわけがない。僕が言いたいのは、儲ける、と言う発想がなくなって、ただ今のままで雇用を拡大したいのは、何も儲けられなくなる。金が入るわけがないから、貧乏国になるように見える。トランプは駆け引きをするようだが、将来的なビジョンがないせいで、下になりたい人間が居ない。カリスマ的なパフォーマンスだけには頼れなくなると思う。
トランプだけではない。日本の安倍も、ただ戦いたいだけだ。僕は、もっと譲歩して、自分から負けた方が、勝てることもあると思う。反発し、戦うだけでは、利益は得られない。譲歩し、相手に譲ることで勝ち取れるものもある。北風と太陽だ。安倍は、もっと民進党に歩み寄って、民進党の言うことも聞くべきだ。そうすると、支持者層がもっと広がって、ヒトラーのように支持率が90%になることも、不可能ではないと思う。
トランプだけではない。アベノミクスや、資本主義の経済全般に言える。政府は、金を転がすだけで、何もしない。きちんとやっている現場にしわ寄せがくる。それも、弱者と若年層にばかりしわ寄せがきて、支配者層が驕り高ぶる。だが、それもどうだろうか?支配者層なんか、きちんと世界のために仕事をしている。きちんと頑張っている。トランプ支持者は、それを言いたくなかっただけだ。
僕は、専門学校に行けば良いような気がする。学費は高いが。だが、自分の本当にやりたいことが分からない。数学も経済学も心理学もしたくて、デザインもプログラミングも執筆もしたい。それは、欲張っていると言うより、「自分なりの全部をしたい」と言う妄想であって、それが足かせとなっている。そんな全部はしなくて良い。もっと、一つだけのこと、本当に好きなことだけをすれば良い。父親は、「やる内容ではなく、やる姿勢だ」と言った。僕には、これには独自の意味があると思う。それは、僕がやりたいことを、それに対する姿勢から知る、と言うことで、僕は文学や哲学は「姿勢的に熱心」にやっているが、歴史、心理学、経済学、プログラミング、デザイン、ピアノ、英会話、などは、「出来ても出来なくても良いから、適当にやっている」と言う状態になっている。そこから見えてくるのは、「哲学と音楽だけをやった方が良い」と言うことだ。デザインを低価格の給与とともに教えてくれる今の作業所には満足しているが、僕はデザインは適当にやっている。それでは悪い。きちんと哲学をやった方が良いが、僕は、哲学も本気ではやっていない。自分が本気になれるのは、執筆だけだと感じる。プログラミングのことを知っているのは、子供だったからだ。だから、僕は作家の勉強だけを追究した方が良いだろう。
今、多重人格が治って、昔のことを思い出せるようになった。足は、狂えば治る。
昔は、受動感情のようなものを考えて、「社会の中で環境がいかにして生まれるか」を考えていた。それも、「受動的にどんな階層構造が生まれていくか」のようなことを分かっていた。環境の構築から、人間の認識、持っている雰囲気的な意識の変化、それにおける本当の解決、そこで生まれている解決、理想の解決、どのような階層や組織が生まれていくか、本当の問題は何なのか、のようなことを考えていた。
全て、知っていた。不思議と、昔の人格が分かってしまうと、ありえない。本当に、人格や遺伝子そのものが、すでに分かっている。こういう人間が多い。最初から全部分かっている。その延長線上として、色んな経験や思考や環境への適応の分析をしただけだ。言葉と思考から、関係性を客観的に捉えることで、何でもかんでも全部分かった。科学は、「その地点での変化の本質」から、「自由な出来ることと、環境的な方法と目的と実現性の作用」を考えて、「支配し、知ること」から分かっていた。
あとは、社会の実例を全部見て、人生経験を全部経験して、仮想的な自由と自分の人生から、思想を創っていた。全てをみんなに与え、その主体がみんなである、と言う経済学だった。そこでは、自分は「自由に支配し、アドバイスする存在」であって、「全員の自由度を高める」と言うものだった。人生は、機会を掴んで、自分のそのままの姿を受け入れて、みんなを許して、不可能なことと可能なことを見極める、と言うものだった。それは、もっと別のことでも解決出来る、と言うことを分かっていた。