「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-11-03

NOVAに行ってきた。
社会を部品のように書いていた。社会主義や民主主義を部品にしていた。
考え方と人生を書いて、「この世界の全て」のような文章を書いていた。
カントの言う悟性のカテゴリーや三段論法、ヘーゲルの言う意識や人生論を書いていた。
関係を断ち切ると、みんなと分離することが出来る。
やる前に、良く考えること。それで、昔が出来る。
僕は、ソ連より、アメリカのような自由な国の方が好きだ。
社会のことを知って、哲学や人生のことを考えた。
困難に立ち向かう、強い心があった。
数学は、賢い学問ではない。厳密に見えて厳密でないし、正しい考え方に見えて正しく考えていない。同じに見えて、同じではないことの方が多い。
世界モデルを作って、みんなの心や経験のことを考えていた。
数学的に考えると、デカルトと同じになる。積み重ねて、部分化を積み重ねて、思考で「正しいことから分かる」ようになる。それは、すぐに終わる。
数学はしない方が良い。頭が馬鹿になる。自分は、哲学とドイツ史をすれば良い。
放送大学の勉強をすれば良いのは分かるが、大学なんか、出てもあまり意味がない。
文章を書くのは、そろそろ止めたいが、止められない。あまり深刻に考えない方が良いだろう。
昔は、この世界が全て分かっていた。「確かに書ける」ような、賢い分かっている人間だった。
数学は、論理学的な部分では正しい。「いつ何が成り立つか」から「いつ何が出来るか」を考えることで、自分の数学を作って、基礎的な意味合いから推論することが出来る。
思考、行動、環境、社会の関係を考えて、何が正しいのかを考える。そこでは、「自由」と言う判断基準が考えられる。自由なものは正しい。「判断基準としての自由」は、「人間性」でもある。
行動と認識は、場合と状況によって違ってくる。状況を想定し、論理的に考えることで、良い環境とシステムを作りだすことが出来る。そのためには、みんなの意見を聞くべきだ。
数学は賢くない。数学は、中学二年まではした方が良い。中二までの数学は必要だ。中三以後の賢い数学は、必要ない。中学生が中二病になるのは、数学がそれ以上、必要がないからだ。
数学は、しない方が出来る。むしろ、感情や言葉で考えた方が、よっぽど良い。その方が、人生として考えたことや観念的なことを残すことが出来る。数で考えない方が良い。式としての「3」とグラフ上の「3」は明らかに違う。1+1が2なわけがない。むしろ、数で一致させる、と言う概念は、測量上のものであったはずだ。証明は、論理学だから悪くない。だが、代数学はおかしい。a+b=cを考えて、公式を当てはめて解いていく、と言う方法はおかしい。厳密に見えて、厳密ではない。代入とカッコを無意味に利用し、騙しているだけだ。
おそらく、数学と言うよりは、物理がおかしい。抽象的に予測するのは悪くないが、抽象的な正しさを数の一致に求めることが間違っている。同じではないものを、「前提を一致させる」ことで、同じだと思い込んでいる。思い込みを無くすはずが、思い込みの塊になっているのが、今の数学だ。
良く考えると、1+2から3を出すことは出来るが、3から1+2を出すことは出来ない。2+1になることもある。数学が可逆的でないのはおかしい。そこを専門的に研究した、「可逆的な数学」を作っても良いだろう。
高校の数学は、公式を覚えまくって計算していくが、そのもともとの「公式」は誰がどのように作ったのかが分かっていない。公式と言うから、正しい式に見えるが、めちゃくちゃな論理で公式を作っている数学者が多いのだろう。論理的に正しいわけがない、おかしな計算結果から導かれる無茶な公式を、全部めちゃくちゃに使っている。そういう最近の代数学は、全く何も分かっていない。
自分が馬鹿なのは、数学を分かっていた時代が賢かっただけだからだ。
良く考えると、変数と定数と言うことにすれば良い。変数は=にせず、定数は=にするように、「変数の一致関係を示す時にだけ使う記号」のようなものを作って、それが「可逆的」であるときに=を使えば良い。そうすると、きちんと同じと違うが区別出来る。
例えば~>でそれを作ると、3+5~>8だが、A=3、B=5で、A+B~>8となる。
変数のような、公式的で、どんな数を入れても成り立つような場合には、別の記号を作った方が良いだろう。僕は、それは*>にする。力の公式は、ma*>Fとなる。
昔は、分かっているようであまり分かっていなかったから、組織を作り、発展させ、システムを作り、自由にし、悪い制度は無くしていき、良い制度を作ると言った、「社会的推論」のようなことをしていた。価値観を作り、文化を融和する文化を作ると言っていた。
日本人の問題は、完全に日本しか分からない。日本史や政治経済の分け方のせいで、誰もが日本のことしか分からない。そのせいで、馬鹿な日本が嫌いになる。だが、それはおかしい。世界的ンに見て、日本は技術力と経済力と文化性のある、優れた賢い国だ。他の世界が分からないせいで、そういう、「世界から評価されている日本」が分からない。
意識で、自由自在に分かっていた。
機械は、意図された通りに動き、意図されたように作られる。それは、パソコンでも同じだ。パソコンは、CPUという「ハードウェア」の動き方を、「その時その時に応じて動き方を変える」という意味で、ソフトウェアで命令する。ソフトウェアは動き方のデータであり、ハードウェアは実際に動くシステムの現物だが、この2つは総合的に動くものであって、部分化された時点で意味をなさなくなる。ハードウェアが、ソフトウェアの通り動いている。そこにある、「総合的な状態」を考えることで、コンピュータの意図と可能性が見えてくる。ある意味、繰り返しや条件分岐にする必然性はない。もっと良い方法で動くなら、それは勝手にすれば良い。CPUも、そういう風に改良する可能性があるだろう。
良く考えると、ディスプレイなんか、GTK+/QtをカーネルとXがデバイスドライバーで表示しているだけだ。そんなに賢くない。GTK+/Qtを簡単に書けるような専用言語を作れば良いのかもしれない。
そういうわけで、ディスプレイもOS、キーボードやマウスもOS、メモリやCPUもOSが動かしている。むしろ、普通、MotifとCDEだ。可能性とは言うが、パクリしか作れない。
パソコンは、そういう風に、総合的に動いている。階層があるというよりは、CPUにOSが憑りついていると思えば良い。
社会のことは、文化圏みたいなことを考えていた。日本の文化圏、ロシアの文化圏、ドイツの文化圏のようなものを考えた。一見するとナチのようだが、良く考えると、物理や数学や国家モデルとともに、きちんと歴史を考えたのが分かる。そういう文章しか、書いていない。
アメリカ的に考えると、勝者の富を敗者が奪うのはおかしい。それでは、何も頑張っていない。ソ連の問題は、平等にするせいで、誰もが頑張らない人間になる。それこそ、70点に統一するのはおかしい。出来る人間は、90点、100点、その先の飛び級や進学校に入って、いくらでも出来て、いくらでも頑張って、いくらでもやるのが良い。アメリカはそういう国だから、天才が超多い。みんなで一緒に天才を応援する。そういう国だったのに、最近のIT技術でおかしくなった。
そろそろ、アメリカ大統領選挙が近い。土壇場になってトランプが勝つだろう。ヒラリー・クリントンが勝つと、アメリカが何も変わらないから、ギリギリのところでトランプに入れる有権者が増える。だが、トランプが勝つと、すぐに後悔するだろう。そして、トランプ大統領のせいで、アメリカは滅びる。内政は良くなるが、外交的に、どの国もアメリカを支持しなくなる。フィリピンのドゥテルテ大統領のように、反アメリカへと変わっている。それで、おそらく、もっとまともな、平等な世界になる。中国の生産力があるせいで、ロシアも貧しい国から脱するだろう。
昔は、言葉を作って分かっていた。「自由」と「普通」のような言葉を作る。「怖い」と「キモい」が違うとか、そういう風にこの世のことを分かっていた。神秘的な、宗教のような人間だった。
ピコ太郎のブームから言えるのは、世界中が日本になっている。何故か、「ゲッツ」や「ギター侍」が流行っていた頃の、お笑い芸人ブームの日本になっている。それは、ある意味、自分のせいでもあると思う。日本が、賢くなる意味がないのにここまで賢くなったせいで、他の国も追従する。そういうわけで、これからは日本が革新者で、白人が追従者だ。宗教的に見てそれが賢い。たまにキリストのような賢い人間が降臨すると、国教を横断して世界中が追従するものだ。ただ、自分は革新者ではない。自分は、ただのおかしなことを言う、勘違いした左翼だ。
むしろ、これなら、自分も賢い科学者になったように見える。ここらへんが科学者だ。
高校数学より、もっと前の中学数学や算数を考えた方が良い。高校数学は、概念的で具体的だが、数学的ではない。中学数学の方が、「哲学的に見て数学的」だ。
昔から、表記を変えると言うが、それはプログラミング言語のようにすることを言っている。良く考えると、分数などを記号化し、数学的かつコンピュータ科学的に表記を変えられるかもしれない。10進数のようなものも、16進数にするとか、ある意味でその区別と見分けをしやすくするとか、そういうことを意図して、書いていた。分数は比に出来るから、比のような表記をすれば良いだろう。割り算を分数に変換出来るのは良いが、分数はノートに書く時に2行で書かなければならないなど、実利的な面で表記が悪いところがある。比のように、1行で書けるようにした方が良い。どうでも良いが、昔は、表記を変えるだけではなく、もっと表象と実際の姿を照らし合わせるとか、そういう発想が多かった。それは、ある意味、高校より中学の時のままの方が、数学的な頭脳が賢いからだ。人間は、高校数学を知らなければ賢くなる。漠然とした「数学」と呼ばれる概念が、高校で馬鹿になってしまう。二次関数と思うのではなく、論理的想像力と思うべきなのだ。
自分は、物理が書けていないから、物理もきちんと書いた方が良い。
物理は、法則と実験の世界から、何が正しいか、何が正しく考える方法かを考えて、意味と状態から理由を探っていき、宇宙を解明し、法則から説明することで、正しさを考える学問だ。
本当に正しいと言えなくても良い。ある意味で説明出来るところから、少しずつ、「嘘の状態を正しい状態へと近い状態へと持っていく」ように分かる。何もかも、間違っていて、分からない状態から、思考を辿ったり、理由を考えたり、状態と意味を把握したり、考え方を作ることで分かる。だから、物理やカント哲学は、分からない人間の方が出来る。
それこそ、普通何も分からない。馬鹿な人間には、分かっている人間が多い。
心を考えて、「何が本当に正しい法則なのか」を考えて、意味を考え、概念を考え、考え方を常に変えていくこと。何度も試して、挑戦して、改めて、出直すこと。それが、哲学者のあるべき、理想の姿だ。何から何が言えるのか、何が何を意味しているのか、何が成り立つのか、成り立つ時と条件は何か、それらの「仮象的論理学」から、「総合的に何が実現出来るのか」を知っていく。そして、努力し、意識を知り、信じることで、宇宙の全ての生命の根源が分かるのだ。考え方や哲学は、そういう「物理学自然様相」から分かっていく。作用と行動から、体験が分かるだろう。
昔は実験して分かっていたが、最近は失敗しなくなって分かるようになった。どちらにも一長一短があるが、実験した方が良い。実験すると、すぐに分からなくなる代わり、いつも変わらず、変わらない「常に存在する宇宙と環境の意識」を分かることが出来る。失敗しなくなると、信じて分かるようになる。こういう、失敗しない人間は、神を信じるようになる。賢い人間だ。
日本の問題は、変化が大きく、速すぎるのだと思う。そのせいで、ピコ太郎のような、「ありえないほど馬鹿」になる。もう少し、変化のスピードを遅くして、一瞬のシングルタスクを、長い時のマルチタスクにすれば良いのだと思う。何も変わらなくて良い。世界は停止するべきだ。
ものも、社会も、心も、人間も、あるのはありのままの「それ」だ。
ありのままの、「それ」がそれだ。
理性と経験は同じだ。あるのは、ありのままのこの世界だ。
あるのは、社会と人間にある、「精神」だ。
そして、ありのまま、全ての体験は、そういう体験だ。
そこでは、神も、唯物論も、捉え方の違いに過ぎない。社会が到達するのか、文化的に変貌するのかも、本当の社会は一つであり、予測と捉え方の違いに過ぎないのだ。
昔は、思考するとか、辿るとか、思考のプロセスのようなものを書いていた。そこから、人間の社会の変化を考えていた。そして、昔知ったこと、やったことなど、「過去の知識と記憶の世界」を書いていた。その上で、実存的にこの世界のことを考えていた。認識や意識は、現象学のように考えながら、どの意識が何をもたらすのかを、詳細に人格と環境として書いていた。意識の客観視であり、認識の現象学だった。そして、人生の観念を精神現象学のように分かった。
昔は、物理の構造の「自由モデル」を作って、モデルで分かっていた。
この自由モデルは、どこで誰が何をどのように出来るか、と言うものを、現実の制度や環境を通して、「その環境をどのように実現するか」と「その人間をどのように自由にするか」を考える。そこから、Linuxのような、GPLのような「自由な関係」を分かっていた。
同時に、Linuxの技術を、完全に技術的に分かっていた。技術だけではなく、技術の背景にある歴史のようなことも分かっていた。そういう風に、「システムモデル」や「世界モデル」を作った。心理学は、沢山の「現象学的実例」から、何がいつどうなるかで分かっていた。そういう、「実証主義実験心理学」のようなものを環境的に作っていた。
あとは、発想法と経験から、想像力を物凄くつけていた。世界一ぐらい、想像力があった。言語を全部想像力とイメージに直すとか、そういうことをしていた。
あとは、人生のようなことを書いていた。
自分の信じたことをやりなさい。
自分の信じた通りにやりなさい。
自分の信じたことだけに同意しなさい。
自分の信じる仲間だけを信用しなさい。
ある意味、信じるように生きていれば良い。それは楽だ。
だが、いつか、辛いこと、悲しいこと、そういうことは、起きてほしくなくても起きる。
そこで、もう一度、最初から生きるために、信じなさい。
その人が信じるように、宇宙は起きる。物理だけが正しいわけではない。色んなことが起きる。
諦めず、立ち向かうこと。それを、人は希望と言うだろう。
あとは、社会と科学のモデルを作りながら、色んな発想をいくらでも作っていた。
数学的なイコールを増やすことも出来るが、言語的に見ると、「てにをは」を増やすことが出来る。特に、「は」の意味を増やして、形容詞の場合、行動の場合、などを新しい「は」にすることが出来る。それから、「の」の意味を増やして、あらゆる格助詞を「の」から新しいシステムの考え方で作ることが出来る。そういう、言語的、科学的な発想を書いていた。物理は、光と言うものは、無限次元波状ベクトルで考えられると言う。心理学は、経験を考えることで、全ての異常の大元にあって、同時に自分だけではなく世界全体も病気になっているような、「本当の原因となる経験」を考えることが出来る。それを、経験心理学だと言っていた。
社会的な発想も多い。選挙は、候補者がインターネットの自分のホームページを持って、全ての政策をそこで説明することを義務付けて、そのホームページの大元に政府が居て、簡単に自分の選挙区の候補者のホームページの一覧を見れるようにする。そして、出来るだけテレビの自分の地方局の番組に、いくらかの候補者の政策を討論するような番組を作れば良い。それで、最終的に選挙で決まっても、常に再選挙をする。
自分の発想としては、共同体の王を共同体のそれぞれが決めるように、「メタ発生的な社会論」のようなものを書いていた。EUやソ連をもっと民主的かつ平等にする、ようなものだと思えば良い。
神は、騙すだけだ。みんなは、神なんか信じない方が良い。昔から、神は騙す。信じている人間が嫌いなように見えて、信じている人間は神に騙されている。
ただ、神のおかしな点は、「完全に騙しながら、良くする」と言うところだ。信じると、色んな不可解なことが起きるようになる。それは、神がしているのではなくて、宇宙がしている。
神は、人間を殺したいのだと思う。そういうわけで、自分は神なんか信じない。こういう風に、対話までして、完全に信じているように見えて、聖書も読んでいないし、そんなに信じずに科学や生物学のようなこともやっている。信じているように見えて、信じているうちに入らない、ありえない隠れキリシタンが自分だ。
自分は、言葉が分かっているように見えて、言葉が分かっていない。もっと言葉で考えれば分かる。普通、「場と法則」とか、「対応関係」とか、「観測対象と観測地点」とか、「小さな仮想空間」とか、そういうことが言葉で分かる。いつも、そういうものだけが書けていない。昔は、集合知とか、実証主義とか、能力とか、受容性とか、そういうものを言葉で分かっていた。
自分で考える力をつけるためには、経験や確かなことを信じるのも良いが、「自分の心の声」を信じなさい。そして、世界を広く見て、「自分の行ってみたい方向」に行きなさい。全てのことを知ったら、「自分に出来ると確かに分かっていること」をしなさい。そして、最後まで、「それをし続ける覚悟」を持ちなさい。ビジョンや洞察力のようなものは、「常に他人より自分のことを信じながら、他人の持っているものをどんどん吸収して、全員より自分一人の方が賢くなる」まで、自分の力で考え続けなさい。みんなが考えていることを、自分一人の心の中で、全員分、自分で考えて分かりなさい。世界を変えるビジョンは、そこから生まれてくるだろう。
自由の定義から、科学的なことを書いていた。自由とはシステムの状態であり、権力である。
そろそろ、もう終わった。ほとんど全部書いたはずだ。
主だったものは書いたが、昔は、もっと明晰に分かっていた。見るからに分かっているが、見るからに狂っている。そういう文章をいつも書いていた。
右翼が左翼になったのは良いが、共産主義はやめた方が良い。もう少し普通の思想を信じた方が良い。中道の民主主義が悪い時代だから、仕方ないのかもしれない。特に、資本主義のアメリカが馬鹿になっているし、世界経済も成長しなくなっている。それなら、右翼で良いからこういう風になる。右翼と左翼のどちらかになれば良いが、僕は昔からそういう発想は一番嫌いだ。ただ、共同体にする自由も、ある意味自由だ。好き勝手に生きるのは良いが、法治国家なら、決まった秩序やルールのようなものを作るべきだ。子供が大人になっただけだ。自由は一番悪い。
人生の中では、受け入れることがとても重要になってくる。
想像力とは、場合を考えることだ。場合を考えると、想像力がつく。
認識やシステムや体験を考えて、共通する法則を見出し、「同じの中で何が違うのか」を場合や状況によって考える。
昔は、そういう、想像力と環境の具体例や具体策がある人間だった。
そろそろ終わりだ。もう、そろそろ世界の終わりの時が来るだろう。
昔は、何でも基盤や環境と思う馬鹿だ。それで分かっただけだ。数学的な知性のある人間だった。