「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-10-20

NOVAに行ってきた。
NOVAで、色んな人々と面と向かって話をしていると、日本全体が治る。
ボトムアップ的に、社会を治せる。
怖かったのは、滅ぼせるのが怖かった。滅ぼそうと思えば、滅ぼせる。
自分は、治すのではなく、具体的に何かをすれば、治る。
この世界は、最近、自分のせいで、「全部治るだけ」になっている。そのせいで、何もしていない。
具体的にアクションを起こして、具体的なことをすると、すぐに分かるし、治る。
そうすると、いつもの文章が分かる。
手法と結果、方法と手段、行動、客観的事実、比較、認識の懐疑、決まりにおける自由、環境の保持など、そういうことをいつも言っていた。
いつも、ありえないことを言っていた。
人生が独立から一体になるとか、基本的モデルの基礎を作ることで応用が分かるとか、生命は構造からの構造の自律的な構築であるとか、耐久性や恒常性と初期投資のバランスとか、主に「人生と応用的基礎」のようなことを言う。
ロボットは、自分を認識しながら、あいまいな表現でも理解出来るロボットを作れば良い。
例えば、家事ロボットを作る。
簡単な、単純であいまいな言葉から、自分のするべきことを考えて、自分で判断するロボットを作る。
例えば、「ごみの分別をしなさい」と言う言葉から、勝手に分別をすべきことに従って行う。
「買い物に行きなさい」なら、どの店に行くか、何を買うか、などを自分で考え、自分で判断する。
そういう風にすると、何でも出来るロボットになる。頭脳は、難しくない。問題は、肉体的な手段の方だと思う。
肉体を作るのが難しいから、肉体はドローンにすれば良い。空を飛んで買い物に出かける。
ただ、父親が言うには、人工知能、ロボット、遺伝子操作、原子力は、止めた方が良い。自然と調和していない。
僕も、止めた方が良いと思う。
優れた技術は、悪いことにも使える。ノーベル賞のノーベルも、ダイナマイトを発明した人間だ。
原子力にも良い点はある。原子力発電は、ほとんど無限のエネルギーを得られる。そして、核武装は、軍隊が強くなくても国を守れる。
僕は、昔から、あとはナチが嫌いだ。ナチを言う人間には、何も無い。ユダヤ人を差別する人種差別は、僕が見ても、最悪のクズだと思う。
ノーベルは、自分の発明したダイナマイトが戦争に使われたことで、もっと平和に貢献する発明や科学の発見のために、ノーベル賞を作った。
この「おつかいドローン」の良い点は、どんなに遠くの場所にでも、どんなに沢山の場所にでも、マルチタスクでものを運べる。
悪い点は、盗難の被害が増えるだろう。
食べ物は、ホットポットなどの自動調理鍋で調理する。あるいは、コンビニまでドローンが買いに行って、冷凍食品を電子レンジでチンして食べる。
洗濯は洗濯機、掃除はお掃除ロボットが行う。
だが、そんなに人間のやることを全部機械が奪うのは、おかしいと思う。
昔は、過去に自分がネットで知った知識を書いていた。
それから、自由な世界観を書いていた。環境や行動や世界のようなものを、自由な「分かった世界観」として、モデルにして書いていた。
そういう、分かった世界観を書いていたのが、昔の自分だ。その上で、自由自在な思考と発想をして、構造と言葉を作っていた。
社会主義を悪いと言うが、これで平等配給にすれば良い。そうすると、何もしなくても、ドローンと政府が全部やってくれる。
ドローンは馬鹿な技術に見えて、二足歩行の人間を超える、素晴らしく自立した身体能力の発明だ。
未来のミュージアムはもう良い。もう少し、現実を見るべきだ。
現実の、教育や格差のような問題を、きちんと解決した方が良い。
他人の痛みの分かる人間であれ。社会を知るために、ネットを使って、実地的に社会を知り、「何が理想で、何が現実的なのか」を知ること。
自分は賢くない。自分は若いだけだ。この世界での経験が足りない。誰でも、自分で見た世界だけで、この世界が全部分かる。
世界観とは、そういうことを言っている。そういうわけで、創造的なオープンソース社会より、まともな社会を何か知った方が良い。
いじめの問題なんか、全部ゲームだ。ゲームのせいで、あまりに未熟な人間が増えた。それは、大人の社会を教えて、成熟した世界になれば治る。
いつも、そういう、「成熟の人生経験論」を書いていたのが、自分だ。
良く考えると、本当にゴミの分別ぐらいが出来ない。それは、ゴミ処理工場で、専用の設備を作って、そこでやれると良いと思う。
ドローンは、アマゾンなどのネット通販のための配達に、既に使われている。「おつかいドローン」ではなく、「配達ドローン」だ。
そういうわけで、ユートピアが訪れるのは近い。
むしろ、普通、アメリカはそういう社会を目指している。トランプなんか、そういう社会を作りたいだけだ。
すぐに何もしない社会になるだろう。ただ、それはそんなに良いことではない。勉強がもっと多くなるから、辛くなる。
真面目に考えて、ドローンでコンビニやスーパーから毎日弁当を運べば良いし、それは税金を財源にすれば良い。
不思議と、金持ちに税金をかけると、すぐに出来る。本当に、国家予算ほど多額の金を持っている人間が、アメリカの金持ちに多い。
あとは、教育をもっと重視すれば良いが、教育は自由にした方が良い。色んな専門的学校を作って、自由に色んなものを学ぶようにすれば良い。
ものをロボットが作るのは難しい。人工知能がやれば良いのは分かるが、農業や工業は、今まで通り人間がやれば良いと思う。
昔は、「汎用哲学者」のようなものを良く考えていた。それぞれの人間が考えていることを、「何を考えているのか」を考えて、前提と問題を吸収する。
それは、ある意味、ウィトゲンシュタインデリダの哲学と良く似ている。
左翼的に、金持ちを殺して資本を奪うのは、明らかに悪い。右翼的に、植民地を作るのも悪いが、ある意味、それが一番楽だ。植民地を財源にすれば良い。
おかしなことを言っている。
誰でも左翼だから、左翼で良い。金持ちがダイヤモンドや貴金属などの贅沢をするのを、代わりに税金にして、財源にすれば良いだけだ。
自分は、これで経済学をきちんと勉強すると、終わりだ。
日本の一番良かった時代は、映画のドラえもんジブリが多かった時代だ。その少し前ぐらいから、一番楽で、面白い世界になった。
ただ、ドラえもんジブリは、あまりに悲しい。怖い人間が多かった。最高の時代と言うよりは、普通の良い時代だ。スーパーファミコンが多かった。
僕は良く覚えていないから、それぞれの時代が違うかもしれないが、アニメは、ドラゴンボールやアラレちゃん、うる星やつらセーラームーンが多かった。
それから、芸能人は、ウッチャンナンチャンが多かった。アイドルは、宇多田ヒカルから、モーニング娘。のような人間が多かった。
あの時代が一番良かった。平成の最初の方だ。ただ、平成は何かが馬鹿だ。
アメリカの映画は、バック・トゥ・ザ・フューチャーターミネーターなど、賢い映画が多かった。日本の映画は、男はつらいよなどが多かった。
一番良い時代だ。自分の世代より、少し上だ。姉の世代だと思う。
自分のおかしな点は、これでは、一番良い時代に見えない。一番悪い時代に見える。
本当におかしくなったのは、Windows 95ぐらいからだ。そういうわけで、1995年までは良かったのが、日本だ。
ただ、Windowsは悪くない。あれは、世界を変える衝撃だった。Windows 95が一番良かった、と言う人間が多い。そこから先は、何も起きていないだけだ。
インターネットぐらいから馬鹿になったとは言うが、それはおかしい。明らかに、おかしな2ちゃんねるを見ているから、そういう風に悪く見える。
ただ、それ以降は、オタクやギャルが自分を卑下するだけの、自尊心の無い世界だ。最近は、自虐の極みだ。そのせいで、右翼が増えた。
ただ、自虐は悪くない。自分のように、ネットでいくらでも自虐をしていると、誰でも賢くて良い人間になる。
最近は、そういう、「良い賢い人間」が多い。2007年ぐらいから多い。そこらへんの時代の方が良く見える。
最近は、悪い人間が居ない。やくざは多いが、チンピラは少なくなった。ただ、平然と悪いことをする人間が多い。悪いのが、分からない。
最近は、社会全体が本当に賢い社会になっている。右翼が増えているのは、右翼はそういうことをきちんとしている。そういう最近の方が、正しい。
僕が思うに、1995年から2006年までは、パソコンの時代だ。本格的にパソコンを使うようになった。ボーランドのような賢いものが多かった。
Linuxも、その時代が一番面白かった。物凄く重たいMozillaの中で、きちんとJavaが動く。少しずつ、Linuxカーネルが2.4から2.6になって、賢いものになっていった。
昔のMozillaは、好きだった人間が多い。Mozilla Suiteは賢かった。特に、タブやアドレスバーのデザインが、独特過ぎて、独自性が高かった。
昔のJavaFLASHは、オープンソース的ではないが、これも好きだった人間が多い。昔のIEFLASHを見ると、楽しい2ちゃんねるのような動画が多かった。
それから、Perlで作った掲示板が面白かった。ブラウザゲームも、Perlで作ったものが多かった。少しずつ、PHPのような新技術が生まれた。
むしろ、そこらへんも、それはそれで、一番良かった時代に見える。Sleipnirのようなフリーソフトが多かった。Linuxもそういうものの仲間だった。
要は、そこまでは良かった。そこまでは、本当に賢い時代だった。
それ以降が悪い。総理大臣は、小泉から安倍に変わって、総理大臣がコロコロ変わるようになった。小沢が民主党を立て直したが、何も出来なかった。
そこらへんから、スマートフォンAndroid)や、クラウドが流行っているが、僕はそこから先は嫌いだから、あまり書きたくない。
リーマンショックが起きて、資本主義にも問題が明るみになった。イスラム教のテロが増えて、イスラム国が出現した。東日本大震災が起きた。
ただ、最近は、僕はネットを見ていないから、ネットは分からないが、少しずつ、温暖化のような「そこまでは無視出来たもの」が明るみに出たのだと思う。
音楽家は、EXILEから、セカオワのような現代的グループが登場した。
これでは、ゲームがLinuxになって、音楽になったように見えるが、それは、僕の関心事が変わったからに過ぎない。
人生とは言うが、そういうものを書いている馬鹿が一番多かった。
自分なんか、おかしな中学校に入って、学校に行かなくなって、引き篭もりになって、Linuxに興味を惹かれて、この世界を考えて知って、あとは狂って戦うようになって、神を信じるようになって、辛くなって治すようになって、文章を書くようになって、本を出版して、哲学と歴史の勉強をした、それくらいの人生だ。
楽しかった。次の人生は、また全く違う、ありえない時代に生きたい。ただ、そうでもない。普通の時代に生きたい。
僕は、最近のWindowsアプリケーションは良く分からない。だが、Sleipnirのような美しいアプリケーションや、Googleライクなアプリケーションは、何かがおかしい。
キモいと言うよりは、美しい。それは分かるのだが、何かがおかしくなっている。デザイナーの趣味がどれもおかしいのだと思う。
僕は、むしろ、UbuntuのUnityのような発想を良いと思う。ああいう、単純すぎるバーで、単純に動くインターフェースが良い。分かりやすいだけでなく、作業効率が良い。
そういうわけで、Windowsは、むしろ、昔のようなインターフェースに戻した方が良い。Webデザイナーがするような、賢いデザインは要らない。Windows 2000のままで良い。
知っている人は少ないかもしれないが、SP2が出る前のWindows XPでは、*.manifestと言うファイルでデザインを変えることが出来た。
スキンのような感覚で、デザインを変えられる。自分は、それをもう一度復活させると良いと思う。
何故か、Windows XP SP2以降では、それは出来なくなった。今でも、アホなダサいデザインを標準にしているのがありえない。
ある意味、GNOME 2が一番賢かったから、MATEを作っているメンバーはまともだ。今使うと、軽快に動くが、昔使うと、あまりに重たくて、気分の悪くなるUIだった。
Windows XPのUIのカスタマイズは、こちらのサイトに説明が書かれている。
http://camisoul.blogspot.jp/2007/06/windows-xp-2.html
そういうわけで、Windows XPは本当に良かった。もう一度、XPを復活させてほしい。オープンソースにしてはどうかと思う。
僕は、KDEとCinnamonに期待したいと思う。
ある意味、KDEは僕のような人間と親和性が合う。放送大学以上に、人種や思想の垣根を越えた可能性を感じる。あとは、Cinnamonは、ある意味「一番普通」だ。
ただ、僕はKDEは使わない。Cinnamonの方が、使いやすい。KDEは、もっと、もっと、もっと賢いものになってほしい。
GNOMEは、期待しないわけではないし、GNOME 3の方向性もそんなに間違ってはいないのだが、悲惨だ。悲惨だから、嫌いだ。いつものLinuxの暗部を見るように見える。
自分は、英語をやっているように見えて、パソコンをやっている。たまに繰り返しや条件分岐を入れて、それを抜け出すだけを、自分の頭の中でやっている。
不思議と、VBをやっていると、想像力は最後までつく代わり、そのまま、こういう想像力の無い人間になる。
KDEに貢献は、出来ないのがおかしいが、出来ない。むしろ、Windowsプログラミングをやった方が良い。あれで分かる人間が一番多い。
Windowsの、あのゴテゴテした、メインループのプログラムが、一番パソコンの仕組みが分かる。
ただ、僕は、そんなものは分からない。
世界は、平和にはならなくて良い。それ以外にもなるべきではない。ここから先は、世界になるべきものは、無い。何も起きなくなって、GNOMEのように何も無くなる。
GNOMEは、普通、コミュニストのデスクトップに見える。見ていると、キモい。何かが白黒の「何もない」に見える。
逆に、KDEは自分に見える。KDEは最近綺麗になったせいで、もう完成したように見える。GNOMEは、誰かが使い方を分かりやすく書かないと、誰も使えないだろう。
自分は、最近、4ずつ繰り返すようになったが、それはピアノをやっているせいだ。
4ずつ繰り返すのは、美しい。バッハは、四季からそういうものを作ったのかもしれない。
ただ、バッハ以前からあるはずだから、誰かが4拍子をどこかで分かった可能性はある。
自分は、みんなのことを愛している。自分がこうなったのを、みんなのせいだと、全く思わない。
ただ、自分のせいでもない。宗教的な、愛のリズムのせいでこうなった。春は子供、夏はパソコン、秋は宗教、冬は哲学だったのだと思う。
この国は、繰り返す。それぞれの国に、フランス、ドイツ、イタリア、そしてソ連の名前がふさわしいだろう。神は、それを言っている。
良く考えると、自分は、一秒の中に4つを作る意味がない。一秒でなくても良いのが分かっていない。
不思議と、もう頭が治った。治しても治らなかったから、もう治らない。それで、楽になる。時計のロボットは、そういうことをしている。
この文章は、円をぐるぐると回しているように見える。その円を、もう、全く同じにすれば良い。色んな円を作るのが、意味がないほど辛い。
パソコンはキモい。おかしいから、いつも間違える。間違えたくはないが、間違いは直さない。逆に、あとで追記するようにしている。
あとは、指揮をしているから、指揮をもう止めた方が良い。
みんなのオーケストラは、終わりだ。認識から人生まで全てあった。最後に、盛大に打楽器の音を鳴らして、終わる。
どうでも良いが、認識や人生を全部作っている馬鹿が、一番多かった。
自分が辛いのは、おそらく、最初の一分、最初の一時間、最初の一生を生きるのが、一番辛いからだ。
あとの三生は、楽だ。放っておいても、最初の一生をきちんと生きると、こういう風になる。
最後の第四章は、本当に辛い。今まで辛かったのを、全部治す。そういう、最期の一生が、もう死んだ。
最初に戻りたいから、いつも最初に戻る。だが、最初は本当に一番辛い。いつも、その最初を生きれていない。もう少し我慢しないのがおかしい。
それは、第二章や第三章を否定すれば良い。そういう人間が多い。普通、そこらへんで病気になって、馬鹿になって、悪くなる。
何故か、自分は今頃になってようやく泣いている。最初の一秒をすると、涙が出る。悲しくはないが、複雑な感情だ。
それで、もうきちんと成長出来る。
冬は、死んでいるだけの人間が多い。冬になると、活動を何もしなくなる。夏に賢くなって、秋に書く人間が多い。春は、何も分からない。
冬が四番目にあるせいで、4が死に見えるが、それは正しい。四番目に死ぬのが、一番永遠に続く。
ポルノグラフィティが言っているように、涙を流すと、現実を覚えるようになる。
泣くと、産まれる。それは、もう産まれて良いからだ。
最初の、最初の、最初の、最初をやっている。そのせいで、赤ちゃんのようになっている。
もう、良く覚えていないが、泣くと、感情が賢くなる。
関数のfが消える。そういうもののせいで、まだ分かっている。そろそろ、要らない。
赤ちゃんは、賢い。いつもの自分より、はるかに賢くなった。本当に賢くなると、感情が良くなる。昔の自分と同じだ。
何故か、チップとデールが見える。そういうものから始まる。おそらく、最初に多かった。
動きのある動画が見える。何故か、静止画しか見えないのはおかしい。想像力が本当になくなった。
昔は、予測して、予測の文章を書いていたが、それは要らない。
心を4拍子にすると、心が落ち着く。気持ちが落ち着いて、楽になる。
もう、泣いていない。ただ、泣くと賢い人間になるのが分かった。
昔は、ヘーゲルのように、この世界を精神だと思っていた。そういう風に文章を書いていた。
自分は、バンプPerfumeが違うように、自分も違うのが分かっていない。
神が自分を「普通」だと言っているのは、「自由」では無いのを言っている。だが、本当に、自分が一番普通なのを言っている。
ある意味、バンプは良い人間で、Perfumeは女としてカッコいい。自分は、普通にしか見えない。
個性がないわけではない。昔から、自分は、言葉の魔術師で、子供のような大人の、成熟しているのに未熟なままの、天才だ。
天才とは言うが、自分は言葉であらゆることを考える。抽象的だったのが、どんどん具体的になっている。
楽しい人間ではない。悲しい人間でもない。良い人間でもない。悪い人間でもない。知識人でもないが、無知でもない。
ある意味、つかみどころのない、蝶々のようにふわふわと宙を飛ぶ、空を描くようにどこかの場所にある文章をゼロから作る。
だが、言っていることは、ある意味、現実味のある、どこかでしっかりと土台のあることを言っている。だから、縁の下の力持ちだ。
歴史家でも、数学者でも、経済学者でも、心理学者でもあるのだが、それらをしっかりとやりたいのではない。ただ、自分が分かりたい。
理想が高いのは分かるが、ある意味、具体的な「良さ」の方を取るような、現実主義者のようなところがある。理想は否定していない。
良く分からないが、バンプの方が賢い。あれは、無い人間だが、自分は、ある人間だ。そういう、あると無いが違う。
抽象的な内容が具体的になっていったのは、僕が一番良く知っている。
可能性や成り立ちから、自然な社会体制のシステムになって、最終的に学問になった。
ある意味、数学がコンピュータになって、経済学になって、歴史学になって、文学になった。そういう風に、具体的になった。
最後の方では、宇宙人の歴史を創っていた。神になったつもりだった。それが、詩集の本に残った。
あとは、自分は、哲学には見えない。ありえない、もっと新しい学問を作った。ある意味、「人生学」のような名前にすると良い。
あとは、一行で完璧な内容を言う。フランスとドイツだけで全てなのに、それにソ連を付け足す。そういうところが、完璧な神だった。
自分は、みんなのことを自分と重ねれば分かるのが分かっていない。昔は、みんなのことを実感で分かっていた。
ある意味、みんなと違うになって、間違えた方が良い。
正しい人生を、正しく生きても、それは何も正しくない。沢山の間違いを生きれば良い。
そろそろ、神とともに、自分が死ぬ。ただ、それは精神の世界の出来事であって、肉体的には、何も進めていない自分がそこに居るだけだ。
バンプが言っているように、同じ場所に居るのに、自分がどこに居るのかさえ、分かっていない。それは、泣けば治る。
昔は、記憶と回想から、習得して、システムを作って分かっていた。
今日は良かった。本当に、もう正常になった。
今、もう夜中の1時半だ。だが、いつも意味がないほど寝ているから、今日はそれで良い。その方が楽になる人間が多い。
自分は、眠れない日はあまりないし、うつになることも少ない。頑張って治すせいで、ほとんど全部健康になった。昔はそうじゃなかった。
自分が思うに、死は存在しない。
悪いなら、この世界が地獄に変わる。良いなら、この世界が天国に変わる。
みんな、死と言う現象は、起きない。
それでは、みんな確かに死んで、動かなくなって、燃やされるのは、何故か、と言う問題は残るが、それは分からない。
おそらく、その人と自分はパラレルワールドになっていて、その人から見れば、その人は永遠に生きているのだと思う。
良く分からないが、きちんと死ぬと、楽になる。死ぬと、生きられる。
今日は死ぬことが多かったが、それも、全て、生きるため、楽になるために起きる。そういうわけで、神は良く死ぬと言う。それでも死なない。
キリストも、天の御国はこの世界に訪れるものであって、終末には復活すると言っていたはずだ。
自分の理解を言うと、人生は連関していて、死んだ時は、次の他の人間になる。ただ、それも確かかどうか、疑わしい。根拠がない。
明らかに、ハエだって、ミミズだって、死ぬ。肉体の死は、死ではないのかもしれない。純粋精神の魂になって、次の肉体へと乗り移るのかもしれない。
あまり関係はないが、魂の進む方向に向いていれば、良くなる。それは、自分の意志とは無関係に、導かれる。それが、神と言う存在だ。
むしろ、本当に終末を乗り越えた世界で、死人は復活するのだと思う。そこまで、眠っているのだろう。
キリスト教の残酷な点は、善人は永遠の命を得られて、神によって救済される。だが、悪人は地獄に堕ちて、神によって裁かれる。
その、神は、おそらく、ただの未来の研究者で、自分の作った命に今までの生命を復活して送り込む。
善人はロボット人間になって、悪人は実験体になるのではないか。
そこが、恐ろしい。永遠に生きるロボットのような人間か、地獄の実験体になるように見える。
そういうわけで、僕は、キリストが怖かっただけだ。神は冷徹で、最後まで現れない。おそらく、終末は、良い世界ではない。
そうでもない。楽園だ。どこのキリスト教でも、天国を良い世界だと教える。それは、分かっているからだ。
ただ、分かっていない。そんな研究者が居るわけがないし、未来はそんなものになるわけがない。
NOVAで分かったのは、英語はとにかく「話す」、そしてそれで英語の能力をつけて、レベルを上げていく。それだけだ。
文法を考慮したり、単語を覚えるのは、とにかく、その時、その時、やっていく。
学校でやる、勉強の英語ではないのだ。とにかく話すこと。それを繰り返すこと。それで、上達して、レベルを上げる。
ある意味、ピアノと同じだ。僕は、ピアノをいくらか弾くことで、上達して、右手だけなら、練習しなくてもすぐに見ただけで弾けるようになった。
そういうわけで、「英語は絶対勉強するな」とは、勉強では出来ないのを言っている。
あとは、数学なんか、パソコンが出来るだけだ。
コンピュータ系の専門学校に行っても良いとは思う。だが、自分できちんと出来る人間しか、課題は出来ない。最初から出来る人間が出来る。
そういう風に思う人間が多いから、「最初から出来る人間は居ない」と言う。それも正しい。だから、そんなに悲観的にならず、楽観的になった方が良い。
昔は、経験して、終わる人間だったから、終わると誰でも出来る。
終わると、もう充分経験して、もう二度としなくなる。しなくても楽になる。
昔は、あとは、EUとか、言語モデルとか、普通の発想を書いていた。
何でも、知性と「表現的表象」で分かる人間だった。例えば、分数は他の記法にも出来るし、言語は階層的に出来る。そういう表象を分かっていた。
一つの実在を色んな形態から見ることが得意な人間だった。
人と関わる部分ぐらいを書いていない。人と関わって、自由に生きること。
それから、仮想的な心と環境の関係や、躍動的な感情や精神状態を考えていた。そこから、社会を心理的に生み出すことが出来る。