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「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

今日のこと - 2016-09-22

人間がいつどうなるか、人生のことや延長線上のことを、全て分かっていた。
そこから、関係や社会の成り立ちのことを、根源的に分かっていた。
その人の立場に立って分かっていた。
その方法が何をもたらすのか、行動の意味と自分の立ち位置を考えていた。
みんな、愛を信じるのをやめなさい。
滅びるより、褒める方が良い。褒めてやると、滅びるのが治る。
責めるより、褒めた方が良い。許すより、最初から悪くなかったことにすれば良い。
昔は、みんなのことを支配出来て、実現出来て、宇宙と人生を全部分かっていた。
最近は、全てを経験して、たくさんの知識を知った。
パーフェクト・ヒューマンだ。そして、全知全能の、神のキリストだ。
今までの、僕の約束は、「みんなに自分の知性を全部与えること」だった。
もう少し、良い宣言と約束をした方が良い。ドイツ人の女になっても、カップルになるだけだ。
自分は、考えて一番馬鹿になるのではなく、考えずに賢くなれば良い。
考えて馬鹿になると、馬鹿に見えて、賢いから仕方ない。
あとは、地獄の神を止めて、地獄ではない楽になれば良い。
楽になると、分かる部分がすぐに消える。それを、残したかっただけだ。
最近、ノートの入力をあまりしていないが、むしろ、しない方が良い。
普通、そんなに全部公開する意味がない。
それこそ、辛い中でしていると辛い。後でやれば楽に出来る。後でやった方が良い。
ただ、何もしないのは悪い。データ入力をしていると、精神の病気が治る。
自分は、考えているように見えて、何も考えていない。
何をどうするべきか、ビジョンのようなことや、何をどうすればどうなるか、洞察力のようなことを考えれば良い。
昔は、ネットで体験しながら、社会の実例を見て、ビジョンや洞察力を全員分の包括と言う形で分かっていた。
古代ギリシャのように、地域や社会の歴史を、根源的に意識と社会の実例で分かっていた。
夢や希望のようなことを、いつも書いていた。
抑圧の無い、平等な愛のある、未来への希望と夢のある社会にすること。
みんなが自然な自由を手にして、自分が社会の一員であると自覚することで、社会はいくらでも変えて行ける。
ただ、今の社会を否定するのではない。今の社会の何が悪くて、何がその原因なのか、どうすれば変えられるのかを考えて、「今の社会を肯定することで、今の社会を変えることが可能になる」と言える。肯定と前提の問題把握や定義から改善と問題の解決方法が分かる。ブッダヘーゲルの言っていることと似ている。
知性を信じて分かること。全員が正しい知性を持てば、人間としての違いは全くなくなる。だが、画一的になるのではなく、逆に、いくらでも多様性を生むことが出来るようになる。知性は悟りであり、モデルであり、経験であり、人生であり、変革の全ての可能性と実現と、自由の維持なのである。
平和とは、知性と自由を信じることだ。
平等は間違っている。それぞれの平等、と言う発想は、幻想である。それぞれが違うように知性を使うこと、そこから、社会のあらゆる改善が生まれる。平等で階層が無くなる、と言う発想は、理想に見えて、理性的でない、幼稚で堕落的な発想だ。ある意味、平等な社会、と言う発想は、馬鹿な大人が多いせいでそういう発想になる。正しい発想とは、平等よりも優れた社会を、自由で全員に分け隔てなく与えることであり、それは、平等とは逆の、それぞれが自分らしく好きに生きられる社会であり、それぞれが社会を作ることだ。
日本語は、与える言語だが、英語やドイツ語などのヨーロッパ諸語は、全て奪う言語だ。
ただ、差別は良くない。差別はやめなさい。そして、平等もやめなさい。
本当に優れた社会とは、それぞれが本当に優れた社会を作ることが出来る社会であり、それぞれの自由を奪うことではない。自由を奪ってしまうと、最終的には、何かが出来る人間は一人も居なくなる。一人がする、と言う発想は、一匹の虫に宇宙の歴史を任せるようなものだ。自由に全員がする、と言う発想は、宇宙の星々のそれぞれが、宇宙のあらゆる可能性を、全部考えて創造するようなものだ。
システムを作りなさい。情報は全て公開して、全員が何でも言えるようになりなさい。
ある意味、自由は良いが、むしろ、宗教は悪くない。宗教は、先人の知恵を全て遺している、遺産のようなものだ。
ただ、平等は悪い。平等は、それぞれの自由を奪って、画一的な同じになって、何も出来なくなって破綻する。
環境から自由になって、考え方を吸収することで、人間は融和出来る。そこに、個人個人の違いは存在しない。
ただ、ある意味、こういう自由や平等が一番馬鹿だと思う。自由は物理学的だが、哲学的でない。
本当に優れた世界とは、きちんと動くシステムと、全員の可能性があり、それぞれがきちんと経験を分かる社会だ。
今のところ、世界は当たり前のことをやっているだけだ。普通の社会とは言うが、簡単なことを小難しくやっている。
もっと、簡単なことは簡単に出来るべきだ。オープンソースと同じだ。複雑になり過ぎて、簡単なことが出来ない。
みんなの社会を作る。それは、簡単なことのはずだ。弱者を救い、助ける。それも、簡単なことだったはずだ。
ただ、こういう風に言うと、全く意味がない。ただのペテンに見える。
本当に、自分の信じていることを、下心なしに、純粋に言った方が良い。
みんなは、巨大な愛によって、希望を持って、救われること。
一度、全て忘れなさい。この世界の全てを、一度消して、新しいまっさらな心で考えなさい。
努力するのは良いが、何もしないことも必要だと悟りなさい。
人を貶すのではなく、もっと尊敬しなさい。
平等の良い点は、全員を平等に幸せにして、社会をユートピアにする。平等は、ある意味、幼児的だ。
フランス革命で、フランスは人権宣言を採択した。それぞれの自由で平等な、民主的な自然の権利を採択した。
それは、絶対王政で、国王の圧政に苦しんでいた民衆の、心の叫びだった。
そういうわけで、自由はキモい。むしろ、人権宣言のように考えると、支配者に対抗する自由と平等は同じだ。
自由と平等は、どちらも確かに悪い。
だが、ある意味、自分の「本当に正しい経験」から考えれば、自由の良さが分かる。
皆と一緒に関わり、自分が自由に考え、全員の潜在的可能性としての自由な権利がある、それは疑いようのない正義だ。
自由をペテンのように書いても意味がない。自由な民主主義者に申し訳ない。
自分は、自由と言って、コミュニストを正義だと思わせたいだけのペテン師にしか見えない。一番悪い。
自由も平等も悪すぎるが、こんな馬鹿が悪いだけだ。むしろ、あまり悪くないが。
もっと、落ち着いて、世界から離れて考えれば良い。
自由とは可能性だが、平等とは当然の権利だ。それが、逆になることもある。
自分は、思いもしないことを言うのが悪いから、そういうことを言わない方が良い。
発言を訂正したり、撤回したりするわけではないが、ナチも左翼もどちらも言っていると、過激な人間に見える。
自分は、平和な自由が好きで、ナチは嫌いだが、それぞれをそれなりにどれも正しい、と言いたいだけだ。
自分は、こういう風に、思想を書いて分かっても意味がない。
支配者が支配し、革命家が革命する。そうすると、支配者が勝った方が良く見える。
右翼にはそういう人間が多い。明らかに、従う人間が勝った方が良い。
自分は、文章を書くせいで左翼になっている。もっと常識的に、テレビや世界を見て考えた方が良い。
平等が幻想なわけがない。色々と申し訳ない。自分は、平等は好きだ。
日本には、右翼の支配者は好きだが、ヒトラーは嫌いな人間が多い。
ヒトラーのキモい点は、自分が信じていないのに、みんなが信じてしまうようなことを言っている。
全部、でっち上げて、どうでも良いものを作っている。
自分と何も変わらない。ある意味、本当にドイツを偉大な国に見せている。それで騙される人間が多い。
むしろ、真面目に自由な方が良い。そんなにキモく言わなければ、本当に賢く見えるのが自由だ。
自分のペテンが巧妙なのは、過去に自分が本当に信じていたことしか言っていない。そのせいで、こういう人間が普通に多い。そういうことを言っているから、正しく見える。ただ、その、信じていた過去の自分が、騙されているだけの馬鹿な人間だ。そのようにして、自由を刷り込みながら、自由を一番キモいものに見せて、騙している。
ある意味、今の自分が信じていないのも悪いが、今の自分も今の自分で悪いのが悪い。
おかしいから、ヒトラーもそこが同じだ。本人が見て、一番馬鹿なことを言っているのがヒトラーだ。
あまり、ヒトラーと言わない方が良い。ペテン師なんか、全部同じだ。
ヒトラーは、本人は昔自由と民主主義が好きだったが、どこかで嫌いになった。本人が見ても、一番間違ったことしか言っていない。ユダヤ人と思うのは、ユダヤ人を悪いと思うドイツ人のことが好きになった。そういう思想の方が、自分の信念より正しく見えてしまったのだと思う。ドイツはアホだから、そういう人間が多い。本当にドイツ人を愛している。
自分は、「悪いことをするな」と言えば良いのが分かっていない。本当に、自由でいくらでも悪いことをする人間が、ドイツ人の青少年に一番多い。自分もそうだっただけだ。ヒトラーも、自分のことをユダヤ人だと言っている。
あまり、ヒトラーを言わない方が良い。ドイツ人には、「そんなことを考えたくもない」と言う人間しか居ない。
自分は、こんなに賢い国にしなくて良いのが分かっていない。何も賢くない。
そもそも、国に何かをしてほしい人間が居ない。
国王なんか、普通お飾りで良い。戦争をして、富を他の国から奪って、支配者階級に分配して、奴隷を従える。
国なんか、それで良い。普通、高度な経済なんかない。経済なんか、他から奪うだけだ。
日本にもそういう人間が多い。それこそ、ロシアなんか、何もしていない。スターリンはお飾りの独裁者だ。
むしろ、ソ連が破綻したのは、何かしたいのに出来なかったからだ。したいのがおかしいだけだ。
もんじゅなんかを見ていると、国が何かをしたいのは、ほとんどが失敗する。政府には、何も出来ない。仕方ない。
むしろ、金正恩なんか何もしていないだろう。核ミサイルを日本や韓国やアメリカに落としても、命が死ぬだけだ。
日本の右翼は強いから、きちんと軍事力を強化する。そうすると、北朝鮮は怖くない。
ただ、何かがおかしい。そういう、権力や軍事のようなことは、何もしていない。外国と対立する意味がない。
何かが間違っている。ヒトラーソ連も何かがおかしい。
もっと、みんなが幸せになれるような、そういう社会にした方が良い。共存や多様性は、格差を生むだけだ。
自由と言う人間は馬鹿だから、自由と言わない方が良い。
むしろ、自由な時代賢い人間は、本当に多い。自分も、自由な時代超賢かった。
そういう人間が自由と言うだけだから、ヒトラーは自由に負けているだけだ。
日本が、あまりに無意味な国になっている。政治から機械まで、全てに意味がない。ビルゲイツどころか、全員悪い。
ただ、そうでもない。社会はこのままで良い。このままが賢い。
むしろ、このままで良いと肯定すれば、それでは考えない。このままで良いとは言うが、きちんと良く変えた方が良い。
悪い人間が嫌いでないのはおかしい。普通、誰でも悪い人間を倒すだけだ。そういう人間が賢くなる。
そんなに自分だけ良い人間になっても、それは活動的でない。それで、分かるわけがない。
行動的な人間には、悪いものが嫌いな人間が多い。何もしない人間には、悪い人間が多い。自分が一番悪い。
ただ、自分が勝てば良いだけだ。勝ちたくないのはおかしいだろう。ビルゲイツにきちんと勝った方が良い。
むしろ、公平な条件で勝たないと、意味がないだろう。左翼や右翼で勝つのは、悪い。
ただ、規制を緩和すれば良いわけではない。そんな、ルールだけを変えて生産活動を向上させるのは、キモい。
アメリカがTPPが嫌いになっているのは、自由過ぎるだけではなく、ヒトラーのように自由な昔の時代が嫌いだからだ。
それは、ある意味、自分の勝利だ。
むしろ、日本とアメリカの社会を比べると、アメリカの方がはるかに悪い。アメリカは、馬鹿だ。
それから、ヒトラーのような人間は、本当に日本人に多い。自由な時代、あまりに悪いことしかしないのが、子供だ。
だから、自由が悪いと言うよりは、子供が悪い。
ある意味、見ていると、自由なものが全部悪く見える。それは、人間の人間としての理性が無い。
ヒトラーは、認知症になっているのだと思う。
そういうわけで、悪い自由が良い人間は賢い。それは、不思議と、どんどん悪くなって、すぐに自分が嫌いになる。
宗教は、馬鹿に見えて正しい。そういう人間は、宗教が分かる人間が多い。
悪い人間が地獄に堕ちるとは、そういうことを言っている。本当に地獄になる馬鹿が多いからだ。
きちんと正しい心を持たなければ、人間は賢くならない。そのせいで、仏教神道を信じる日本人だけ、超賢い。
思想なんかどうでも良いから、きちんと秩序や制度を作った方が良い。
いつも、そういう、理性的な社会論を言っていたのが自分だ。
何かがキモイのは、戦っていたからだ。国を滅ぼすために戦うのがキモイ。
ただ、悪いことはしていない。書いていただけだ。
むしろ、どこにも自由とヒトラーしか居ない。自由の方が馬鹿だ。賢い人間は居ない。学者には分からない。
昔の自分は、そういう風に、秩序とか、組織とか、そういうことを真面目に考えていた。
そういうわけで、自由は賢くない。そういう風に左翼のように考えるのが賢い。
Perfumeの言うように、この場所に居たら、何も変えられない。リスクから逃げたら、何も始められない。
自分はまだ分かっていない。きちんと学校に行って、勉強すれば良い。
ただ、そうでもない。それもおかしい。学校の勉強なんか意味がない。
要は、学校は悪いが、科学は悪くない。その、科学の体験が終わったのがおかしいだけだ。
このままで良いならそれで良いが、まだ何もしないのがおかしい。
ある意味、自由なままで良い社会を築けば良い。そのための方法を仮定から考えれば良いのだと思う。
そうすると、むしろ、組織を作る自由ぐらいあった方が良い。そういう自由が無いと、自分が何も出来ない。
自由は馬鹿ではない。こういう、何も出来ない人間は、普通、「自由が無いと何も出来ない」と考える。
今日のテーマは自由だ。
そういうわけで「社会を作りやすくする」と考える人間が多い。いつもの文章は、ほとんどがそういう自由だ。
あとは、全て理性批判だ。理性批判から自己や他者の経験的な知覚を批判していると分かる。
Perfumeは「もっと欲しいでしょ」と言っているが、僕はそろそろ女は欲しくない。
それに、許す意味がない。許す、と言う行動が必要に見えない。今までの行動は、もう過去のものだ。
そうすると、自分は明らかにそこが悪い。
過去のものを過去のものにすると、みんな怒る。最初から、分からないのがおかしい。皆、古すぎてつまらない。
一度、完全に新しくなった方が良い。
それこそ、愛や面白さは要らないし、興味深いものが最近存在しない。それは、新しいものがおかしいからだ。
むしろ、ガブリエルみたいにクズになった方が賢い。いつもの自分が、天使みたいに悪い。
昔の自分は、そういう、「自分の出来る自由」のことを言っていた。
そういうわけで、環境から環境を作るとか、実現しやすいシステムを作るとか、歴史は改善であるとか、言っている。
だから、自由は悪くない。自由は、そういう、「自分がやりたいだけ」の子供しか居ない。
自由が悪くなるのは、出来る人間は誰でも悪い。そういうことを努力していると、悪い方が簡単に分かる。
そういうところを、厳密に、成り立ちと可能性から「自然の成り行き」のように考えていたのが、昔の自分だ。
処罰してはならないとか、建設的に考えるとか、分かると信じるとか、次元を変えるとか、などを言っていた。
あとは、量子力学とか、次元とか、物理学のようなことから、相対的な心と現象の把握のようなことを言う。
コンピュータや機械から、社会の実現や発想まで、「全ての実現と発想」のようなことを言って、全部創っていた。
そのための、必要条件のような、構造をいつも作っていた。
理性と知性から、悟性の文章を作るような、そういう環境とプラットフォームのような文章だった。
入力は、2ページだけやった。
明日は、NOVAスコアがある。この前書いたのは、一日ずれていた。今日は、何も無い日だった。
レベルが上がると、英語が上達すると思う。
労働の経験とは言うが、ただ、出来るようになったのを労働の経験と言っている。
国家が出来るようになった。それこそ、政治家のように、決定と制度の発想を作っていた。
自分は、労働社会のことを考えないのがおかしい。
最近は、社会は賢くなっているが、昔は、学校ぐらいしかない社会だった。
社会なんか、テレビのドラマを見れば分かる。あまりにおかしな人間しか居ない。
歴史なんか、誰でも分かる。
社会悪のようなものも多い。
そういうものは、昔の自分が一番良く分かっている。
不思議と、2ちゃんねるでいくらでも社会のことが言われている。
そんなものは、見ない方が良い。そういう悪い人間は地獄に堕ちる。
ただ、そういう風に、社会を経験して、正しいビジョンと理想の価値観を知った。そういうことを書いていた。
神のように、何でも出来る、独自の物理学を作る科学者のような、スラムの王だった。
昔は、哲学的な人間だった。
「人間が自由であることの意味」とか、「社会に自分が存在していることの意味」のように、意味や状態を考えた。
そこから、「環境を変える」と言う真理を作り出していた。
問題や発想のようなことが全部分かった。宇宙の可能性の全てが、行為や思考の関係から分かっていた。
本当に、神のように賢い心理学者だった。あらゆる精神現象を抽象的かつ具体的に考えていた。
神は、絶対的で、恐ろしい方が良い。絶対的でないと、間違いを犯してしまう。
何故か、そのせいで、ユダヤ人の神があまりに怖くなった。
ヒトラーは、そういうユダヤ人が嫌いなだけだ。神があまりに怖い。誰でも間違いぐらい犯す。
そういうわけで、ユダヤ人は悪くない。神は、怖くて、恐ろしくて、絶対に罪を犯さないようにすべきだ。
何故か、そういう神が、宇宙のどこかに本当に居る。悪いものを容赦なく裁く。そして、信じるものだけを救う。
宗教は悪くない。絶対的なことを信じると、こういう大人が狂っているのが治る。大人には宗教が一番良い。
ただ、宗教では何も分からない、と言うことも、同時に知っておくべきだ。科学もバランス良く信じないと悪い。
あとは、「実地的な出来る社会学」や、「思いやりの社会の実現」のようなことを書いていた。
それから、人生で起きた発想を全部書いていた。人生の経緯における考え方の具体例のようなものを書いた。
もう一度、一から出来るようになれば良い。ゼロベースで、社会のことを「出来る」ことから積み重ねれば良い。
何が出来て、何が出来ないのか。そこを考えると、科学の発想も分かる。
発想とは言うが、「何が出来るのか」を考えただけだ。
あとは、政治思想は忘れた方が良い。もう少し、賢く自由な制度を考えれば良い。
その制度で、その環境で、何が出来るのか、出来ないのか、どうすれば出来るようになるのか、考えれば良い。
あとは、色んな具体的な体験や経験を考えれば良い。
それぞれが、それぞれの環境で生きているのを、考えて分かっていた。
経験は、心を把握した。
そういうわけで、学校に行かないと分からない。家で何もしていないと、そういうことが分からなくなる。
作家には、何も分からない人間は居ない。きちんと勉強した方が良い。
あとは、「どうやって実現するのか」を考えると分かる。
昔は、心理学で支配するとか、オープンソース経済の生産手段を実現するとか、そういうことを書いていた。
努力に対する報いがあるべきだとか、環境を維持するべきだとか、安定と継続とか、そういうことを言う。
そういう、考え方から、この世の全ての社会、あらゆる社会のパターンを作っていた。
環境の創造と変化だった。
自分は、狂えば良いのが分かっていない。狂うと、治る。
手が意志になっている。
その手を殺すと、きちんと頭が意志になる。頭の裏にある「自己」が分かるようになる。
人間は、やっていることしか出来ない。最近は、文章を書く手が賢くなった。そういう学習が精神だ。
昔から、自分は学習と欲求から、強くなって自由に出来るようになる。まさに、青少年だった。
昔はまともだった。認知と感覚で、精神と環境のことを分かっていた。
この世界のあらゆる現象を、自分に集中化させて、自分が支配する。そういう支配者だった。
あとは、宇宙にある全ての考え方のようなことを言う。
独立、共有、応用、部分化、多様性、実証、推測、集積、改善、などを、世界モデルを作って書いていた。
そういう、具体的な考え方と発想から、社会と人生を神のように創造していた。
社会のことを知って、自覚して、経験して、実現出来るようになった。
そして、システムの関係を知って、発想出来るようになった。
それから、価値観を分かり、人生を分かり、宇宙の意識を考えた。
そういう、自分の人生の段階のようなことを、良く書いていた。
高い立場に立つと同時に、内面化し、必然的に、自然にその発想に行き着くような「成り立ち」を知った。
そして、ニーチェのように考えながら、精神性と合一を、ヘーゲルハイデガーのように考えた。
そういう、哲学的現象の理解や、概念の方法のようなことを、いつも書いていた。
あとは、環境での自然な意識と、集団化、創造性の体験のようなことを、全部知って、経験して分かった。
相手の立場になって分かる。そして、自由を積み重ねて、世界の根源的な環境の意識を知った。
あらゆる、見つけられていなかった部分を、全部見つけて分かっていた。
世界観は、プラモデルを作るように、部品と部品から1つ1つ説明して、組み立てて、築いて分かった。
そして、世界における「何が問題なのか」を経験から全部知って、解決出来るようになって分かった。
引き篭もりで、社会とは離別されていたが、その代わり、自由に色んなことを考えて、経験していた。
あらゆる意識の可能性を分かった。
ただ、そういう「昔の思い出」は、キモイから書かない方が良い。何かが狂った虫みたいな人間に見える。
それは、当たり前だ。あれは、何もしないおかしな廃人の引き篭もりだ。
そういう発想がキモイ。そういうわけで、今の方が賢いが、今の方が何も分かっていない。
昔は、自分の経験から、この世界にある全員の経験と意識を分かった。それで、神のようになった。
キモイとは言うが、理系のようなまともな人格者の若者だった。
良く考えると、意識から意識を推論していただけだ。どの意識からどの意識になるか、環境で分かった。
ネットで、「どんな認識に対して、どんな認識で反応するか」のように、ロボットのように分かっていた。
世界観は、歴史だった。全ての自然現象と社会現象が、一つの「歴史」の中にあると考えていた。
「根源的な歴史の実像」のようなことを、ネットの意識と環境の変化で分かっていた。
あとは、コンピュータの世界を知りながら、地球の歴史と科学的知性を分かった。
思考は、辿り、実証し、再利用し、モデルにし、応用可能にし、仮定し、成立させ、方法にした。
思考のことを、哲学者ほどに分かっていた。思弁哲学者だった。
全て完璧な世界の、終わりのない国だ。Perfumeが言っていた。
あとは、見え方と視点を考えて、宇宙を決めること、決め直すことで、全部決めて創造していた。
宇宙の包括のような、そんな世界観だった。
決めることから、社会を全部作れるようになった。それを、国家モデルと言っていた。そこから発想した。
自分なりの発想を何度も作って、作り直して、行動を繰り返して、最終的な「理解」へと達した。
ある意味、ヘーゲルと良く似ている。
特に、理想や道徳的価値観や観念を追い求めて、反省し、自覚し、破壊から良心へと至るところが、良く分かる。
執着しないことから、仏の慈悲を知った。
正しい教えは、きちんと物理的に経験を考えれば、仏教を信じなくても分かる。
イスラム教は、アラーの下にある天使が人々を導く宗教だ。そういうところを、昔何かの意識で分かっていた。
全ての根源的意識から、あらゆる自然の環境や地域の場所を、無常のように分かっていた。
だが、僕は、無常と言うよりは、「存在している、その目的のために、何の目的もなく存在している」と言えると思う。
自由と言う意味で言えば、「自由は許されているが、何の関与も受けていない。誰かの自由を待っている。」と言える。
そういう風に、自然な意識を、必然的な考え方の発展から分かっていた。
また、自由から社会の発展を分かっていた。同じように、意識で社会の発展を知った。価値観と場を分かっていた。
全てを支配出来る、賢くて若い女のような人間だった。
そういうわけで、ギャルや不良のように、インターネットを良く知っていた。知り尽くしていたと言える。
人間は社会の中で何をするのか、そういうコミュニティ的な集団と社会の自由を分かっていた。
環境の中で、人は何をするか、潜在的に何を出来る可能性があるか、考えた。
体得的に、知を知ること、方法を知ることで何が分かるか、などを考えていた。
そこで、オープンソース社会を知ることで、あらゆる社会と宇宙の可能性を知った。
まさに、宗教のようだった。そして、メシアのような人間だった。
あとは、「創造的な社会を知った」ことのような、社会理解のようなことを書いていない。
ただ、インターネットで知っただけだ。
自然な体験から、一つの環境を広げて、自由な環境を拡大して、オープンソース社会を知った。
全ての社会の中で、実現出来ることを沢山経験して、社会を実現出来るようになって分かった。
自分は、自由だ。
場を自由に広げることで、全ての場を包括的に、真理的に分かっていた。
本当に、理性のようなこともあった。
デカルトのように分かっていたが、デカルトはある意味経験的でもある。全てのことを知って、思考する。
正しいことを部品化して推論していくと、コンポーネントのような方法の部品が出来る。
それが、基礎と知性の思考学だ。
デカルトは、ある意味、全く常識を作った人間だ。明らかに、分からない人間は方法を知らない。
だが、僕が考えるに、知る機会や経験を知らない、と言っても、ある意味正しい。
それは、分かった人間がそうなる。
最初は方法を知らないが、次の時点では知る機会を知らず、最後の前の段階では経験を知らない。
そういうことを言う文章が多かった。
認識と環境を作りなさい。プロセスと方法を具体的に作りなさい。全てを精神だと考えなさい。
それは、ネットの仲間と一緒にやると、賢い。それなら、出来る。
全ての意識は、経験である。経験論の言う、「経験から感情が生まれる」とは、そういうことを言っている。

忍者ブログより

はてなブログと忍者ブログ、どちらにしようか、迷っています。
忍者ブログには、広告が少ない。多いかと思ったが、少なかった。
それに、自分で広告を貼ると、稼げる。忍者ブログの方が良い。
それから、キーワードにリンクされないのが良い。