「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

今日のこと - 2016-08-24

出来ることなら、これでブログを書くのを終わりにしたい。
出来るだけ最低限にして、少しだけを「やる」ことにした方が、皆が分かる。
皆、いくらでもやるせいで、分からない。
やることをほんの少しだけ、かすれるぐらいの少なさにした方が、皆が分かる。
誰でも、少ない方が分かる。
あとは、世界が同時に動いている。何故か、思考が同じになって、同時進行している。
その、全部同じは止めた方が良い。
昔は、言葉と言葉を照らし合わせて、概念から考えていた。
最近は、人生の経緯と物理的な考え方を主に書いていた。
知性の無い社会論を書いていた。「平和な環境にすれば、思いやりの愛が生まれる」とか、そういう風に書いた。
人生も、物理も、そういう風に書いていた。
そろそろ、足の精神も治ったし、楽になった。
もう終わりにしたい。
自分の悪い点は、猫に悪かった。自分勝手に猫を抱いて一緒に寝るのは、猫は辛かった。
それでは。
まだ、もう少しの間書きたい。
日本語は、聴こえる言葉から聴こえない言葉を補完して分かっていると、分かる。
昨日は、赤ん坊が日本語を分かっている理由は自分だと分かっていた。
神は、自分のことをドイツ人だと言って、ドイツ人が賢いと言っていた。
パソコンは、もっと、「肉」を作れば、ロボットが実現出来るだろう。
Red Hatは、ある意味、「一次配布元は有料な通信しか受け付けない」などと出来るかもしれない。
ただ、それでも、二次配布元までは、有料には出来ないだろう。
ミラーリングが不可能なぐらい、頻繁に更新するなら、有料でも成り立つかもしれない。
公式のドキュメントの著作権を保持して、ドキュメントを有料にする、と言う発想もアリだ。
サーバーやWebサイト(プロジェクト・ホスティングのようなもの)の管理権限を有料に出来るかもしれない。
そろそろ終わりだ。もう、充分書くことは書いた。
世界は滅びるかもしれない。
馬鹿も休み休み言え、と言う言葉がある。全く、その通りだ。そんな馬鹿なことを言っても、大して意味はない。
本やドキュメントを有料にしたり、会員登録にしたりするのは、最近、流行らない。
ネットでいくらでも公式の文章や良質な文章があるせいで、最近はパソコンの本を買う人は少ないらしい。
ドキュメントにするよりも、Red Hatアカウントを有料にして、アカウントを持っているユーザーに特典を与える。
そういう風にすれば良いとは言うが、それは、一番クローズドな発想をしている。OSSコミュニティ的ではない。
Red Hatは本当に技術力があるなら、エンタープライズ・クラスの良質なドキュメントを書いてほしい。
それを有料にして、著作権を保持すれば良い。誰も悪いと言わない。
自分は、もう、やることが無い。むしろ、出来ることが無い。何も出来ない。
パソコンは、Linuxは意味が無いから止める。Windowsのことをやった方が良いだろう。
あとは、世界史や哲学、ITパスポートのリンク集を作りたかったが、ネットにはそういう良質な文章は少ない。
Red Hatが本当にやるとしたら、著作権は破棄しなくて良いが、無料にはした方が良いだろう。
広告収入など、無料でも著作権だけで儲けられるかは疑問だが、ネットは誰でも、無料のものしか見ないだろう。
Linuxの脱2ちゃんねる化をするために、掲示板を作れば良い。
オープンソース・ソフトウェアについて語り合う、無料の掲示板を作っても良い。
ただ、それは、広告をつけるか、あるいは、Red Hatのアカウントを持つ人向けや、その上で有料なポイントを買うことで、何か出来るようにすべきだ。
誰もが簡単に儲けられるような、そういう「儲けるためのオープンソース」をGoogle Playのような形で作っても良い。
レンタルWebサービス・サーバーやレンタルストレージのように、簡単にLinuxクラウド環境を作れて、そのデータ容量で儲けるような、そういう儲け方をしても良いのが、Red Hatだ。
Red Hatはオープンだから、システムを学び、開発するための勉強会を開いたり、そのための開発環境を大学や教育・科学研究機関に提供したりしても良い。本当に玄人はシステムを自分で開発出来るだろうが、そういうシステムを代りに構築してあげる、と言う有料サポートの仕方もアリだとは思う。
ただ、最近は馬鹿なWindowsサポートが多い。修理するとは言うが、ハードディスクだけを取り換える。アプリケーションは勝手に最初から入れろと言う。Linuxもそれと同じでは、つまらないと思う。
そのために、Linuxをもっと高度で複雑なものにすれば良い。それなら、開発コストを肩代わりするのが、効果的になる。ただ、最近はUbuntuのような初心者指向が多すぎる。初心者向けにしても、初心者から脱しない人間なんか、居ない。誰でもすぐに賢くなる。初心者向けなんか、最初から作らなくて良い。
ビジネスの世界は悪い。囲い込みやブラックボックスよりは、その方が良いかもしれない。
ある意味、英会話の学習と同じで、「プログラミングを学ぶためのサポート」のようなものがあっても良い。
ただ、僕が思うのは、Linuxは、コミュニティでもバザールでもなくなって、フリーも古くなって、全く意味が無い。
もっと、最初の、「金を取らず、玄人向けに、参加者はそれぞれの自由」のような風土を取り戻した方が良い。
ただ、Linuxはすでに意味が無い。マイコンPC-UNIXを望む世代は、もう過去のものになった。
ただ、それで終わりではない。もっと、「その時の再来」のような、もう一度LinuxLinuxらしさを取り戻せるような、そういう、「新しい風」のようなものが必要なのだと思う。
ただ、そういう、「新しい風」の時代は、もう終わったのだと思う。
最近は、Windowsを平気で常識のように使う。プログラミングの知識ぐらい、LINEやSNS2ちゃんねるで誰でも分かる。ITは、そういう風に、「若い世代が使う、当たり前のもの」になっている。Linuxは全く新しく見えない。そういう世代が見て、あまり意味の無い、どこか隅の方にあるマイナーな知識だ。Linuxなんか、もう、忘れた方が良いだろう。
自分の世代は、そういう、「古いIT世代」と「新しいIT世代」の分かれ目のような世代だ。ちょうど、ポケモンやケータイが同時期にあった。ITのことが全て分かる、恵まれたITボーイ世代だったと、そう思う。
パソコンは止めた方が良い。僕は、パソコンから離れたいと思う。
昔の自分なんか、何も分かっていない。あれは、Gentoo LinuxPortageで、OSがGCCから作られる様子を見て分かっただけだ。そんな人間は居ない。Windowsのことは、フリーソフトDelphiコンパイルして、GUIのリソースを分かった。そういうわけで、誰でもコンパイラが分かると、分かるのがパソコンだ。あとは、カーネルと設定ファイルと、簡単なパイプのようなコマンドラインと、手動インストールで、Gentoo Linuxだけが無意味に分かっていた。素人が力技でLinuxをやっていると、誰でもそうなる。おそらく、最近、Arch Linuxに多いと思う。
昔は、何もしなかったが、あれだけが唯一数学からパソコンの労働まで、全部のことを分かっている。
最近は、その自分をもっと沢山増やしたかっただけだ。
最近は、本当に文章の知性がついた。流れるように、いくらでもプロセスを作るような文章を書く。
見ていると、2013年の文章のひな型を、2015年に書いているように見える。
最近、パソコンのせいで、意味が無い世界になった。
何故か、パソコンのせいで、パソコンに意味が無い。
パソコンに「意味がある」と思っていたもののせいで、パソコンの「意味」が無くなっている。
そういうわけで、もっと思い出した方が良い。思い出せば、昔なんか誰でも出来る。
自分の問題は、自分がやりたいのは、自分のことを全て網羅して、過去の自分を書きたいだけだ。
だから、自分以外のことを書けば良い。そうすると、きちんと分かる。
自分の悪い点は、誰も、この文章は信じることが出来ない。
自分は、そういう、「絶対に信じられない」ものになっている。
そのせいで、おかしくなった人間が多い。
もっと、普通の賢い人間になった方が良い。
優しくて、皆を自分のことのように思いやる、丁寧さと尊敬の念のある世界になってほしい。
自分の悪い点は、おかしいことをしながら、おかしくない人間になった。
最近の理解したい病は、悪くない。何でも理解したいのは、良いことだ。
だから、「これで良い」と誇りを持って言える。
パソコンが悪いとは、言えない人間が多い。それを言うと、昔を否定することになる。
パソコンは悪くはないが、パソコンは要らない。昔は悪くなかった。
自分は、語尾に「ニャー」をつけて話すときちんと誰が話しているか、分かる。
不思議と、猫しか話していない。
自分は、「自分が悪い」と言えば分かる。自分が一番悪い。
何故こうなったのか、良く考えること。そこには、今ではどうしようもないこともある。
どうしようもないことも含めて、反省し、謙虚な姿勢で理性と取り組めば、必ず道は開ける。
昔は、そこから、この世界がどう出来るのか、思い出す救世主となって分かっていた。
自分が悪い。
自分が悪い。
自分が悪いだけだ。
みんなが悪いと言うなら、それを変えられない、救えない、背負って立てない自分が悪い。
自分がこの世界のために、何も出来ないのが悪い。
だから、自由に考えると、皆のことも、自分のことのように愛して、自分の力で解決出来るべきなのだ。
それが、正しい宗教だ。
そろそろ、もう書かないかもしれない。ただ、明日書くかもしれない。その時は、黙って見過ごしてほしい。
あとは、地域の歴史のようなことを、場と意識から分かっていた。
ネットを見ていると、意外とLinuxユーザーは多い。それも、最近は使いやすいと言う人間が多い。
そろそろ、足から生命的に変わる。
自分は、何が何だか分かっていない。それはそういう意味に見えて、そういう意味ではない。
その言葉はそういう意味ではなく、もっと単純な意味なのが、いつも分かっていない。
人間の作る機械は、人間のために作られているから、最初から機械が勝つ、と言うのはありえないと思う。
あるとしたら、機械のための機械が勝つことだ。
それは、ドラえもんターミネーターのようなロボットとは、全く違うものになる。それはあまり意味が無い。
考えるだけのスーパーコンピュータが勝つように見えて、そこでは人間のように考える目的や必然性が無い。
目的性から言って、パソコンが人間に勝つ未来、と言うのはありえない。
あるとしたら、パソコンが一部の人間のためになる世界だ。ただ、それはそんなに悪くない。
僕は、意味と知性が同じになっている。それを止めると、きちんと学習がもう一度出来る。
基本的に、止まってゆっくり頑張れば治る。
関係ないが、昔は、立ち止まってゆっくり考えて、経験と反省から自立的に分かっていた。