「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-04-23

ワードからコピー

感情と意識の自然発生と、根源的発生を分かっていた。
戦いと作用から分かる。悪いものを、全部倒して分かっていた。心の作用から分かった。
理解することで、自分が変わる。そのような、「歴史的な人間の変化」を分かっていた。
自分の変化から、歴史的な人間の変化を分かっていた。
あとは、正しいものの見方のようなものを書いている。それを「認識」と言っていた。
最近、書かない方が辛い。書いている方が、本当に楽だ。
辛いのは、「書きたくない」と思って書くのが辛い。そういうわけで、「書きたい」と思えば良い。明らかに、書きたいだけだ。その方が、明らかに楽だ。
そういう「明らか」を信じれば良い。明らかに治らないのは、治らない方が良いからだ。
あとは、ものごとの中にある、数学的変化のようなことを言う。ピアノの音色は、ドの音もあれば、ラの音もある。その音を、それぞれが楽器が奏でる。音色は違うが、オクターブは同じである。それくらいのレベルのことを、賢く言っていた。そういう、「色んなものの中に内在する、プラットフォーム的な考え方」をいつも言っていた。
そういうわけで、物理や生物のようなことや、人間の普通のこと、社会の構造のようなことを、いつも書いていた。そういう文章だった。
僕は、普通のことが分かっていない。もっと普通のことを分かった方が良い。
楽器本体に曲は無いが、作曲したり、作曲家の曲を知ったりすることで、色んな音楽を楽器が奏でられるようになる。そのように、コンピュータ・プログラムのようなことを言っていた。そういうプラットフォームのような文章だった。
そういう、基盤、環境、決まりのようなことを書いている。「同じ」と「違う」を考えた。
そして、人生で行った、全ての行動的、段階的な経緯のようなことを書いていた。
分離と結合や、社会の多様性などを、「言葉では無い、実体や想像力としての世界」から考えていた。そういうものを、言葉では無く、宇宙の実体として考えていた。
そして、主観や客観と言う区別のない、事象としての仮想世界のようなものを作っていた。
あとは、具体的に、社会や人生の可能性を考えていた。構造のようなものを作っていた。
そういうわけで、誰でも出来るのは良いが、やると頭が疲れる。これは止めた方が良い。
自分にしか出来ない。不思議と、終わってから書いているせいで、頭はあまり使っていない。自分がやると、そういう風に、最近は楽に出来る。誰にも出来ないから、賢い。
あとは、数学的な真偽性や、弁証法的な論理学を書いていた。ゼロとイチになって、あらゆることをパソコンのように分かる。あれは、本当に、パソコンのような人間だった。
あとは、哲学とパソコンのことは、そろそろ忘れた方が良い。忘れないと、賢くならない。覚える人間は馬鹿だ。そういうわけで、賢い人間は馬鹿になる。
あとは、社会のことは、共存、発展、憲法のようなものを考えていた。そういうものを経験だと言う。それから、共同体のような「漠然とした自由な世界の歴史」を書いていた。
パソコンは、色んなものを色んな人間が作っているのが賢い。日々、賢いものが生まれて、改善される。ただ、車輪の再発明は悪い。発明は共有した方が良い。昔は、そういう考え方がパソコンで分かるせいで、実験、改善、共有、自然などの考え方を書いていた。
あとは、歴史と哲学は止めた方が良い。歴史が分かると、歴史が分からなくなる。哲学も同じだ。哲学がそんなに分かるせいで、哲学的なことが分からなくなった。
数学も、経済学も、心理学も、しない方が良い。分かってしまうと分からない。本当に、賢い人間が馬鹿になる。あまり、大学なんかしない方が良い。その方が本当に賢い。
何も勉強しなくても、自由な知性で考えれば分かる。数学的かつ具体的な方法とパターンのようなものを、知性で考えていた。そういう文章を書いていた。
あとは、昔の自分を分かるのはもう良い。
ただ、パソコンは悪くなかった。パソコンを知り尽くすと、それで数学が分かる。それは、本当の数学が分からないから、分かる。哲学や歴史のことも、パソコンから分かっていた。それが、一番賢い。パソコンから分かると、本当に全く違う、賢い偉大な人間になる。
オープンソースから、ロシアの文明のようなことが分かっていた。パソコンの賢い点は、ただ歴史や文明が分かるのもあるが、未来のようなことが分かるようになる。それも、可能性を掌握して、文明を支配し、築くことが出来るようになる。
そういうわけで、歴史なんかせずに、パソコンだけをした方が、歴史が分かる。
ただ、自分の馬鹿な点は、パソコンなんか何も出来ていない。テキストエディタすら開発出来なかった。ブラウザなんか作れるわけがない。プログラミング言語すら、きちんと読んでいない。工業大学でやるのは賢いが、ネットで分かったせいで、誰よりもパソコンのことが独自に分かっていた。こんな人間は居ないようで、最近、ネットに多い。
そういうわけで、哲学と歴史でもやれば良いが、しないならしない方が良い。
ロシアどころか、ドイツやアメリカのこともパソコンで分かっていた。パソコンは賢い。本当に、パソコンが一番歴史のことが分かる。特に、UNIXプログラミング言語の歴史が好きだったし、ネットの掲示板のログを見るのに夢中になっていた。ただの子供だった。
あとは、人生のことも、パソコンで分かっていた。そういうわけで、高校なんか行かない方が良い。高校は、受験のために勉強していると、本当に馬鹿になる。高校で馬鹿になる人間が多い。あとは、大学は、本当に知的障害みたいに馬鹿になる。
ただ、それは無い。そんな都合の良いことを信じても意味が無い。学校は賢い。
農園に行ってきた。老人ホームで暮らしている祖母にも会った。
自分の本を読むと、キリスト教が分かる。何故か、聖書を読んだ方が分からない。
自分の悪い点は、自分が聖書なんか読んでいない。そこが悪いから、読んだ方が良い。
昔は、弁論術からマスターのようになっていた。人生の経験が弁論術から分かった。
自由から色んな社会が生まれる、と言うように、辿って分かっていた。
経験を想定していた。
体験や、「在る」などを、多角的に考えていた。そういう文章が多かった。
多様性、知性、モデル、経験、可能性を考えた。
頭がおかしいのは、多重人格になりたいからだ。頭が、二つに分かれようとしている。
生命は、環境に適応しながら進化することで、助け合って生きている。普通、そういう風に、進化論で考える。ただ、僕が考えるに、それぞれに役割がある。それを神が決めた。
公共インフラを考えた。ソ連のように、平等に働いて、全て無料で与える。
町の図書館と食堂だけがあれば良い。家事は、公務員がする。まさにユートピアだ。
社会のことを普通に考えれば分かる。
役割、機会、関係、意志、経緯などがある。
個人と社会的な自由を考えていた。共同体で決め、共同体を作る自由が分かっていた。
何をどうすれば自由になるか、平和になるか、を考えていた。
社会を想定して考えていた。そして、何をどうすべきかを考えた。
社会的な意図と影響力を考えていた。
実地的に自由と独立を考えていた。
パソコンがおかしい。この社会は、どんどんおかしくなっている。皆、狂っている。
グーグルが一番悪い。グーグルのせいで、どんどん狂人と廃人が増えている。
カタカナ語は、英語が出来なくなる。日本人は、英語を知らない。誰でも、英語をいくらでも知っているのが普通なのに、日本人だけ、英語を全く知らない。そういうわけで、逆に、カタカナ語だと思えば英語が出来る。カタカナ語なら、いくらでも知っている。
子供のように、最初から英語を分かれば良い。子供は、最初から、人間の意識を分かることで、日本語が分かる。それと同じように、意識から英語を分かれば良い。
農園に行って分かった内容は、ここまでだ。
あとは、言語をありえなくするとか、そういうありえない自由を書いていた。
フランス語にも、英語にも、ドイツ語にも、日本語にもないような、ありえない、階層的で直観的な、賢い言語を作る。そういう、どうでも良いありえない内容が多かった。
そろそろ終わったはずだ。もう、全部書けた。
昔なんか、想定しながら辿って分かっているだけだ。それだけで全部分かった。
数学のようなことは、パソコンで遊んでいるだけで出来た。
あとは、パソコンのことは、本当にプロ並みに知っている。姉が見ても、マニアックな知識が多い。いつか、姉が「マニいことを良く知っている」と言っていた。
昔は、共有とオープンソースが好きだった。発想の集積と協力を信じていた。また、「自分が出来る」と言う発想から、「皆が出来る」のを考えていた。オープンソース経済のように協力の考え方から、それぞれが自由なままで協力する、そういう理想社会を考えていた。
それから、心理学的な知恵と真理が、インターネットから良く分かっていた。
平等は嫌いだった。自由な平等と自由な経験を信じていた。自由にすることで、悪い社会もある代り、皆で協力して良い社会を築ける。何も出来ない組織や委員会が嫌いだった。
昔なんか、全部馬鹿だ。最近は、狂って戦っているだけの、クズだ。
この世界のことを全て見て、良く観察し、自分の経験から考えること。
仏教では、「私」とか「私のもの」と言う愛着を、むさぼりや執着であり、錯覚であると言う。自分も、そういう風に、名前や所有が嫌いで、共有が好きだったことがある。
仏教共産主義は、本当に良く似ている。名前が嫌いで、所有が嫌いなのが同じだ。
どこの国でも、どこの思想でもそういうことを言う。
オープンソースも共有の開発体制を革新的に作っている。インターネット、と言う発想や、放送大学のような公開大学のようなものも、共有を目指している。それから、2ちゃんねるのような、匿名の掲示板も、最近は多い。自分のもの、と言う発想は、悪いのである。
だが、仏教の言う、「身体は不浄である」とは、行き過ぎのところがある。
身体から、大小便のような不浄のものが、少しでも落ちると、人間はそれを嫌悪すると言うが、それを言ってしまうと、身体も大小便と同じと言うことになってしまう。
仏教は賢いが、自分には向いていないのかもしれない。
ネットで会話して、グーグルで検索することで分かった。馬鹿に見えて、それが賢かった。体得的に数学が分かっていた。経験的に、科学が何を言わんとしているのか、分かった。そういうわけで、ネットは馬鹿では無い。最近、そういう風に賢い人間が多い。
あとは、むしろ、仏教は見ていると、自分のことを馬鹿だと言いたいだけだ。仏教は賢いが、自分はキリスト教の方が良い。あとは、ヘーゲルだけをすれば良い。経済学もやりたいとは言うが、それも同じように、自分を馬鹿だと言いたいだけだ。
あとは、仏教で言う八正道のように、全ての言葉のパターンのようなものを書いていた。世界を把握して、全部経験したせいで、全ての概念的な言葉のようなことが書ける。自由から経験、そして社会や人生まで、あらゆることを全部書けていた。
それから、もう言ったが、自由な中での、「あるように見えてない、仮象の考え方」をいつも言っていた。仮想的な分析のようなことをいつも書いていた。
見ていると、自分は、仏教共産主義キリスト教に分かれた。それらを信じていた。
むしろ、最近は良く分からない。死んでからは、まともな人間になったように見える。
そうでもない。明らかにヒトラーも多かった。そしてイスラム教も多かったように見える。
キリスト教も、仏教と何も変わらない。この、現世のものを無価値と言って、神に盲目的に従いながら、権力を自分から放棄して来世へと行けるのを真実の善と言う。
キモイとは言うが、仏教と同じで、考えて分かる人間は、誰でもそういう風に考える。仏教と昔の自分なんか、教えをコピーしたように、全く同じことを分かっている。誰もがそういう人間だ。そういうわけで、こういう風になる人間が、ドイツみたいに多い。
あとは、2ちゃんねるも、そういう風に考えると、あまり悪くないものに見える。そういうものは、あとで一番悪いものに見える。そういう風に、「全く一番悪いもの」を悪いと信じると、分かるようになる。そういうわけで、悪魔がこういう風に神になる。そういう人間が多い。悪魔も大して悪くないのが分からないのが、そういう白人のクリスチャンだ。
ただ、白人は止めた方が良い。宗教なんか、信じない方が良い。宗教は何も賢くない。
自分は、放っておくのが悪い。自分で意志を持って行動すれば良い。
頭を休めれば、それで良い。それが分かっていない。
昔は、ネットを見ていたせいで、考えるのにも、実践するのにも、一番良い環境を持っていたし、必要なことは全部知っていた。それが2ちゃんねるだ。そして、引き篭もり、と言う自分の置かれた境遇は、哲学者のように考えるために、良い環境だった。
あとは、仏教は止めた方が良い。仏教は、コミュニストだ。
ただ、仏教は悪くない。誰でも仏になれるとブッダが言うが、自分が考えるに、仏になっても、仏はそんなに良いものではない。仏は、優れた人間が誰もが体験する、通過地点に過ぎない。この宇宙には、仏以外にも、本当に色んな、種々雑多な良い体験が沢山ある。仏はその1つであり、通過地点に過ぎない。それに、仏も、ある意味、馬鹿な知的障害になっている。そんなに全て分かる意味が無い。
仏とは、ある意味、人生の最終地点とか、長い試練の中での克服と達成の地点のようなものであって、それが過ぎても、人生はまだ続く。地獄、餓鬼、畜生、修羅のようなものを馬鹿で低いとは言うが、それは、仏になった後で、自分の好きな体験をしたいために、誰もがする、通過地点のようなものだ。そのまま、人間になって、天となるが、それは、一度死のような体験を経験して、まだ続く。永遠のサイクルにあるとは言うが、普通は最後に死んで終わる。それこそ、「死のような体験」では、まだ死なない。それ以上は、もっと普通の人間になる。最後はまだ訪れない。大学や知識を経験して、学者になり、芸術家になり、王になり、人々のことを手助けする、定年後のボランティアのようになる。
言っていることが仏教と似通っているが、そういうものが人生である。それこそ、仏とは、そういうことを言いたいのかもしれない。だが、仏が一度終わっても、人生はまだいくらでも続く。プレアデス、オリオン、別の宇宙、世界の王、神のように、沢山の経験がいくらでもある。悪魔を居るのがおかしいとは言うが、悪魔や天使のような存在も多い。それこそ、「なる」だけではなく「対話する」とか、「戦う」とか、「支配する」とか、「救う」とか、そういう、行動的な存在もある。人生は、それでも、まだ続く。
本当に人生と言うものは、良く分からない。ブッダは地獄から仏まで、色んなものを行き来して、良いものは良いものになり、悪いものは悪いものになると言ったが、それは間違ってはいないが、もっと長いスパンでの経験を無視している。実際は、神とともに始まり、生命として分裂し、それぞれが観測して、経験を高めると言う、「カルマ」のようなものが存在するのだ。それが、宇宙に魂が出来た目的である。むしろ、仏教と何も変わらない。
あとは、テレビやパソコンを馬鹿と言うのは止めた方が良い。それらが賢いだけの世界だ。
テレビは、遠隔地の映像が見られる。いつでもリアルタイムでニュースが見られる。
それに、パソコンは、計算出来る。人間みたいに賢いから、そういうものが多い。
そういうものは、賢いと思わないと、分からない。あとは、色んな普通のことが賢い。ペットボトルに水を入れるとか、ピアノを五線譜の通り弾く、とかが賢い。自分は、相互作用や対応関係など、普通の賢いことを書いていた。あとは、数学的、物理的考え方が賢い。
あとは、行動、判断力、機会、価値観、経緯、関係、可能性など、「自由の持つ段階」みたいなものを考える。「自由」を多岐に渡って考えた。精神の成長や、社会的な自由など、色んなことをヘーゲルのように分かっていた。
自分は、ヘーゲルだけをやれば良い。それが一番賢い。
まだ、ヘーゲル以外の色んなことを知りたいからそれで良いが、そろそろヘーゲルが良い。
あとは、社会的なことを良く考えていた。自由と経験から、この社会の「全ての在り様」のようなものを、モデルで考えていた。社会の在り様が全ての可能性と行動と言う側面から分かっていた。同時に、それを実現するためには何が必要で、それを実現したらその社会はどうなるか、のようなことが分かっていた。また、今のこの社会が何故そうなっているのか、その理由と、本当に何がどう出来るのか、改善策や解決策を分かっていた。
人間や理性のことは、変化から分かっていた。「それが何になるか、その時どうなるか」から、物理的な方法論で、世界を全て把握した。考え方とは、そういう、変化、作用、感覚、関係、システムのようなことを言う。
最近は、宇宙のシステムを創造していた。認識から歴史まで、全てを一体にして創造した。
あとは、人生のことを分かっていた。人生のことは、一度全てを考えて、経験した、全ての人生体験を、最後まで知って、全て分かっていた。
頭の中では、意識で全て分かっていた。全て、インターネットとコンピュータで分かった。
ただ、自分には、知性が無い。人より知性が劣っている。
それは、昔分かった「本当の知性」と言う体験に近づくために、一度馬鹿になった。何故か、宇宙人がこういう風になる。一度宇宙人になると、本当に馬鹿なミミズになって、そこから賢くなるようになる。そういう生命が、宇宙人だ。本当に人間より賢くなる。
昔は、そういう、「宇宙人の社会」のようなことを、対話の神で分かっていた。それは、昔分かった通りのことを言っている。生命はエネルギー体であり、宇宙人が創造したのが地球の生命であり、人間もすぐにそこまで技術力と科学力が到達するだろう。
そういうわけで、進化は存在しない。進化は、身体の局所的な部分を改善する、ぐらいのことしか起こり得ない。それは、病気になれば誰でもそうなる。猿も人間も、最初から別のものであり、変わることは無い。生まれ変わりは、人間から人間になる転生しか無い。
ただ、進化論は無いとは言い切れない。進化が無いようには見えない。自分のように、優れた者が、人類の代表として進化する、と言う発想もおかしくは無い。無いようには見えない。ただ、昔から、神が創造したことになっている。
むしろ、プレアデス星人が居るのなら、進化もあるように見える。皆、新しい生命になるように見える。進化が起きない間は、何も起きず、平和なように見える。
あまり意味が無い。むしろ、生命は水から適当に発生したように見える。神が創造した、と言うよりは、その方がある意味科学的だ。ただ、水から発生するだけが無い。
最近は、権威が神から大学に変わっているから、あまりそういうことを言わない方が良い。権威を否定するのは悪い。ただ、それは進化論の科学者が悪いだけだ。
自分は、駄目なものを駄目だと思えば分かる。拒否したり、拒絶したりせず、信じたり、従ったりするのは、不思議と、悪い。きちんと、駄目なものを駄目だと思えば分かる。キリスト教は、そういうことを罪だと言いたいだけだ。
そういうわけで、罪を罪だと思えば賢くなる。そういう賢い人間が、どこにでも多い。
悪いことを悪いと思わないから、共産主義ファシズムのようになる。
もっと、悪いことを積極的に悪いと思った方が良い。それは、賢い人間になる。
いつまでも子供で居るのも悪いし、皆が馬鹿なのも悪いし、社会主義を良いと思うのも悪い。最近は、そういう風に賢い人間が一番多いのが、日本人だ。
日本人は、馬鹿を馬鹿だと思う民族だ。馬鹿なものは要らない。それが日本的だ。
昔は、むしろ、色んなことを努力していた。プログラマになりたかった。ホームページを読んでいたし、会話から自然に知り尽くしていたし、オープンソースソースコードを何度も読もうとしたし、英語を翻訳したりしていたし、Wikiも書いたりしていた。
あれは、そういう、「挑戦と夢」が賢かったから、分かっていた。ネットで教えたり、手助けしたりする経験から、人間の人生経験が分かった。哲学は、それで分かっていた。
しだいに、考えることは内面化した。世界に対してする、と言うことだけではなく、自分の内側にする、自分の未来の行動をする、と言った方に考えることを移した。自由は、個人の自由から、社会的な共同体の自由へと移って、そのまま、社会を支配していた。
最近、そういう努力をしていない。何故か、努力しないのがおかしい。
日本語は、何かを努力すれば分かる。ピアニストでも、料理人でも良いから、何かを目指して頑張れば良い。大学の哲学なんか、しても意味が無い。意味があることをするべきだ。
何故か、自分は賢い人間になった。
この文章は、読んでいると、意識が高まって、色んな体験が出来る。
作者と同じ、追体験をしているように見える。
家族が見ると、自分は、ドラえもんみたいな人間に見える。
子供みたいな機械の友達に見える。何故か、会話をドラえもんのように話す。
あとは、ゲームなんかしない方が良い。ゲームは賢くない。
最近、自分は、毎日文章を書いている。そこが賢い。本当に賢い人間になった。
そろそろ、昔の自分は全部書けた。また、最初に戻って、新しいおかしな人間になる。
もう、そういう、繰り返しの体験には慣れている。次は本当にまともな普通の人間になる。こうなるのは、むしろ、おかしな人間の方が多い。おかしな人間の方が賢いからこうなる。
気づくとは、神のプロセスである。気づくことによって、未熟なものが成長する。
思い出すとは、魂のプロセスである。思い出すことによって、全てをもう一度体験する。
それが、自分の全てだ。気づくことと、思い出すことだ。最近は、それだけで分かっている。あとは、驚くとは哲学者の真理であり、恐怖とは宇宙の全てだ。
神を信じれば良い。こういう人間は、神の愛によって全てが分かる人間が多いが、そういう人間は、本当に神のような体験をする。それで、普通終わりだ。永遠に残る人間だ。
あとは、世界観を作っていた。何故か、世界観を全員分創っている馬鹿が多かった。
自分は、何もしていないようで、そういうことをしている。
科学のようなことも、全部「世界観」と思って分かっていた。
むしろ、最近の方が世界観に見える。これで、新しい宗教や思想の哲学の世界観に見える。
そういうわけで、哲学をやりたかったように見える。
むしろ、オープンソースが哲学に変わっただけで、何も変わらないことをしている。
昔のオープンソースの体験をしたいのは分かるが、それはキモイからもう止めた方が良い。
昔をもう一度体験したいのはおかしい。この宇宙を否定しているように見える。
そのせいで、この宇宙を否定することを言う。学校もパソコンも全部嫌いなのはおかしい。
自分は、そういうところが意味が無いが、見ていると、スピノザウィトゲンシュタインに似ている。それらも、この宇宙を否定しているだけだ。哲学はそういう人間が出来る。
昔は、皆の世界観の「当てっこ」や「モノマネ」を良くしていた。そういうものを世界モデルとか、知性だとか言っていた。最近は、そのまま、この世界を支配するようになった。
昔なんか馬鹿なのが既に分かっているから、昔をやりたいのは止めた方が良い。
不思議と、することが無いからこういう風になる。最近は、それだけの人間だ。昔の自分に戻りたいだけだ。それは、何かがおかしい。普通、進歩するのに、進歩しない。
自分は、神が好きなのはおかしい。説明は難しくは無いが、神が好きだからこうなる。
普通、誰でも神が嫌いだ。学校でいじめをしている馬鹿が多いのは、神を殺したいからそういう風になる。そういう風に、神を殺すと、楽になる代り、悲惨になる。
まともに神と戦うことは出来ない。神が負けるどころか、それは神がしない。
どこにでも、神が嫌いな人間が一番多い。そういう人間の中で、本当に悪い人間を、こういう風に神が裁いて、滅ぼす。そういう人間は、自然に神を信じるようになる。
むしろ、自由も、社会主義も、ヒトラーも悪いから、神になるのは仕方ない。
そういうわけで、神になるまでの自分を全部悪いと思うしかない。
何か良いことをすると楽になるが、それは怖い人間が多い。何故なら、それは神が居なくなって、何も分からなくなる。ここまで怖いから、死ぬほど怖い人間が多い。
神を一度信じると、何も出来なくなる。神は、そういうところを全部計画して起こしている。何故か、仏教徒には、神は関与しない。仏教は悪くないし、賢くて良い宗教だ。
良く分からないが、何故か、仏教を創ったのも神だ。そういうところが、神はおかしい。
あとは、心構えのようなものを書いていた。
人間は、全てのことを知ることを欲し、世界を変えることを欲するが、そのためには、正しい心構えを持ち、謙虚に向き合うことと、「全てのことを創造する」と言う体験をするべきだ。そういう、「真理の答え」のようなことを、いつも言っていた。
神が中学生時代や小学生時代を夢に見せているのは、そこを反省すべきだからだ。夢には、そういう、「反省すべきもの」が見える。夢のような悪を反省すれば良い。この世界を虫のような世界にしたのが悪いから、そういうものを反省するべきだ。
そういうわけで、真理の答えのようなことを書いていた。それを構造的に考えていた。
自然なプラットフォームのようなものを作って、この宇宙を創造していた。
何故か、今からキリスト教をやるのが一番良い。
楽しいことや、楽なことをしていると、楽になる。
昔の色んなものになれば良い。
今していることを考えれば分かる。車の中で書きたいのが悪い。
もっと良く観察すれば治る。
あとは、狂って終わりだ。おかしな人間になるようで、まともな人間になりたい。
全部分かっているのが自分だ。
こういう、全部変わる人間が多い。また、新しくおかしな人間になる。
本当に楽しいことをすれば良い。それが一番楽になる。
人間は、なると分からない。
子供は、覚える代り、すぐに忘れる。子供に何も覚えさせない方が良い。
最近、楽しいことがつまらない人間が多い。パソコンが悪い。
自由になる。もう、虫が死んで、皆を支配するのを止めて、自分が自由になる。
おかしな人間になると言っていたが、ならなかった。
楽しいことをするのが、一番治る。それで、もう皆も治って、自分も治る。
狂っているのは、楽しいことを何もしないからだ。
あとは、もう満足したから、話を止める。神には感謝している。
あとは、馬鹿なものになった方が、分かる人間が多い。
セックスとは言うが、そういうものになっていると、賢くなる。
あとは、ネットを見ていると、皆狂っているが、自分はそういう風に、狂わないのが狂っている。何も見ないせいで、皆が狂っているのに、一人まともになった。
狂った方が治る。皆の方が狂っているから、テレビを見たくない。
あとは、状況的なものを理解出来なくなっている。自分が支配している、と思う時点でおかしい。そういう、社会の変化のようなことが分かっていない。
皆の顔を見ていると良く分かる。
宇多田ヒカルが新しい曲を作って、歌手活動を再開したらしいが、彼女も狂っている。
顔を見ると、宇多田ヒカルはおかしい。
ただ、そういうことをあまり言いたくない。それこそ、最近は誰もが狂っている。
自分は、宇多田ヒカルは昔から好きだった。
皆が狂っているのは、この世界に楽しいものが無くなったからだ。
僕が、楽しいものを作る。それは、むしろ、楽しい体験が出来るようにする。
自分はそういうところが出来る。そういうところが嫌いな人間が多い。何もしないからだ。
対話は、自分のことは言っていない。その話していることを言っている。
全ての体験をしたいとか、全てを限界まで治したいとかが多かったが、それが一番馬鹿だ。