「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-03-19

ワードからコピー

今日も農園に行ってきた。以下は、農園に行って分かった内容だ。
自由が本当に良い。僕は、自由が好きだ。
僕は、自由を良いと信じている。自由を信じている。
自由は、豊かになって、ものが増えて、発展して、何でも出来て、何をしても良い。
平等は悪い。平等は、貧しくなって滅びる。ナチと同じように滅びている。
本当に自由が良い。
皆の自由にして、皆で秩序を作る。そういう、「皆で作る平和」が自由だ。
そういう、「皆の自由にする」と言う発想が多かった。秩序や決まりは、皆で作る。
この世界を愛して、かけがえのないものを築く。自由には、そういう人間が多い。
自由は馬鹿だが、そういう風に、自由な馬鹿には良い人間が多い。昔の自分がそうだ。
平等には、発展すればなる。自由なまま発展すれば、そのうち平等になる。
格差は、あった方が良い。格差が無いと、勝者に報いが無くなって、全体が貧しくなる。
社会が発展して、努力に報酬を与えるために、格差は必要だ。
分配はする必要があるが、税金で分配するのはおかしい。
再分配は、悪くは無い。きちんとするべきだ。だが、金持ちは悪くない。
自由な平等は好きだったが、平等は悪い。全体が貧しくなって、滅びる。
発展を信じていた。そういう、発展のような文章が一番多かった。
自由は、楽しい。クズとは言うが、クズは何も悪くない。
パソコンは悪くない。嫌いなら、見なければ良い。
日本が自由なのは、何も悪くない。自由な日本が一番良い。
昔は、自由を実感して、助け合いと基盤を実感と感覚から分かっていた。
共産党は、自由が無いのが悪い。不自由な賢さなんか、馬鹿に見える。
そういう人間が多い。あとは、愛国の自由も馬鹿に見える。右翼の政治家は馬鹿だ。
本当に、民主主義の平和な自由が良い。そういうわけで、自民党が良い。
全ての科学を作っていた。オープンソースから、全部の科学へと変わった。
人生経験を考えて、場面を予測して、経験と世界観を分かっていた。
存在は、いつでもそこにある。場所も、いつもそこにある。
農園で分かった内容は、ここまでだ。
自由は良い人間になる。馬鹿になるようで、本当に良い人間になるのが自由だ。
右翼は一番悪い。左翼は二番目に悪い。自由と民主主義が一番良い。平等も悪い。
平和と発展が本当に一番良いのは分かるが、そこに自由と希望があるべきだ。
あとは、アメリカの方が良い。アメリカを信じると、昔の自分のように自由になる。
本当に、昔の方が良かった。ああいう知性のある人間は、パソコンに多い。
最近が一番悪い。ナチは、こういう風に、ロボット人間になる。ナチが一番辛い。
自由は、「皆を信じる」と言う発想が多い。皆を信じて、自由にすれば良い。
右翼や左翼が馬鹿になるのは、皆のことを信じないからだ。
皆のことを信じて、民衆で決めること。そして、皆の意見と経験を知って、そこから考えること。カントの言う理性批判も、それと通じるところがある。
自分の主観的なことばかり考えるのではなくて、皆の客観的な意見も聞くこと。そこから、主観と客観は無くなり、事象そのものへと近づける。そういう発想が、自由だ。
テレビは、悪いと思うなら、見なければ良い。それこそ、ニュースを見るなら、テレビは良いだろう。良いなら、悪くない。そういう「自由な論理」が分かる人間が多い。
自由は何も分からないように見えて、そういう風に分かる。そういうわけで、自由で分かる人間が多い。日本に一番多い。そういう風に分かっていたのが、昔の自分だ。
それこそ、マイクロソフトが悪いなら、使わなければ良い。使うなら、悪いと言うのはおかしい。そういうわけで、マイクロソフトも悪くない。
そういう人間が多い。それこそ、意志とは選択であり、効果とは認めることである。そういうことが分かる人間が多い。そこが分かると、きちんとこの世界が分かる。
パソコンが悪いと言うのも自由だから、言いたいなら言えば良い。皆が悪いと言うのに、あるものは、悪いように見える。そういう「お邪魔なもの」は悪く見える。
それは、自分が何も出来ないのと、政治家が何もしないのが悪い。だが、それはおかしい。自由とは言うが、それなら、ソニーが悪い。ソニーが何も出来ないのが悪い。
そういう風に考えて行くと、社会の起源や形成のようなことが分かる。そういう風に、「自由」から考える人間は、本当に多い。人間の関係から、理想の価値観のようなものが分かる。昔の自分なんか、そういう風に、自由から社会、経験、可能性を考えただけだ。
昔は、「自由になる」ことで分かっていた。自由になっている、今この時の自分が、確かに存在していることで分かる。そういうものを、機会だと思っていた。
今日は、自由の日になった。これ以上は、良く考えれば分かる。何がその時出来るのか、いつどうなるのか、そういうことを考えて、「自分」と「出来る」を考えれば良い。
そういう風にすると、経験のことも良く分かる。「今この自分がここに存在している」ことから分かる。そこから、「認識出来ている」自分が分かる人間が多い。
今日は、自由の日になった。いつも、自由から社会のことを考えていた。
これくらいが分かると、あとは思考すれば分かる。ヘーゲルのように、合一と一致から分かる。そこから、「分かる確信」のようなことが見えて来る。
いつも、そういう、「自由な思考方法」や「真理の発見方法」を書いていた。
あとは、認識と行動を良く考えれば良い。それが本当は何をしているか、本当は何を考えているか、何を認識しているか、何を受動し、能動し、感じ、考え、信じているか、のようなことを考える。「人間が本当は何をしているか」を考えれば良い。そこを、経験と可能性と考えると、環境のことが、ヒュームやサルトルのように分かるようになる。
あとは、自由万歳だ。今から、この世界は自由になる。本当に自由な良い世界になる。
昔は、自由から気づくことで、ありえないものを全部分かっていた。哲学的な真発見のようなことを、人生と環境の自由から分かっていた。自分のことを環境にしていた。
あとは、こういう人間は多い。自由が理性と同一になっていた馬鹿が昔だ。こういう風に考えれば、誰でも分かる。常に自由を考えて、たまに平等を考えれば良い。
それこそ、もう何もしない。今日は良い日だ。いつもの自由に戻ると、楽になる。平等や支配は辛い。支配は出来るし、平等は賢いから、こういう風になる。自由は楽だ。
人生と気づきから分かっていただけでは無く、社会の可能性の仮定から分かっていた。どんな社会が実現出来るのか、どんな関係にすべきなのか、思考から全て分かった。そういうところを思考する、自由な哲学者だった。自由から全てが分かっていた。
それこそ、これは賢くない。ただの馬鹿だ。
2ちゃんねるをそこまでしていると、こういう風になる。だが、2ちゃんねるはそんなに悪くは無い。2ちゃんねるが悪いのではなく、ナチが悪いだけだ。2ちゃんねるの馬鹿なコミュニティは、皆を匿名で受け入れ、皆と友達になれる、良い社会だ。それこそ、そういうものが最近多い。フェイスブックは、賢くなる人間が多い。
あまりネットなんかしない方が良い。ネットは賢くない。賢いものが何も無い、色んな情報があるように見えて何も無い、空っぽの洞窟がインターネットだ。
ただ、そうでもない。自分が一番悪い。色んなことをネットでして分かっただけの昔の方が賢かった。最近、何もしていない。こういう、何もしない大学生は、本当に馬鹿になる。
学校なんか、どうでも良い。決められたレールの中で、行儀よく生きるのは、意味が無いと言う人間が多い。馬鹿に見えるどころか、出来ない人間が多い。そういう発想が自由だから、自由には、学校が嫌いな人間が一番多い。自由が一番良いが、自由は馬鹿だ。それこそ、そういう馬鹿な自由は、良い人間になって、自分の力で賢い人間になる。
そろそろ、神を止めた方が良い。自分の力で賢くなるべきだ。キリストが見ても、その方が良い。神だけになっているこういう馬鹿は、キリストが見てもおかしい。
そういうわけで、そろそろ自分で経験して、自分で実践的に考える。そういう経験をすると、賢くなる。理系の考え方も、そういう、社会経験がある人間の方が分かる。
数学なんか、誰でも、仕事で機械をやっていると出来る。父親が物理が出来るのは、子供の頃から機械が出来るからだ。それこそ、数学なんか、機械でしか出来ない。パソコンが好きな人間が出来るのが、数学だ。そういう人間が多い。
僕は、ゲームのせいで中学時代、数学が得意だったが、高校に行っていないせいで、全く出来なくなった。昔出来ている。引き篭もり時代作ったのが、自分の数学だ。
昔は、環境を思い出して分かる人間だったが、それくらいが出来ない。学校からドロップアウトする人間なんか、居ない。そのせいで、誰でも出来ないのが昔だ。
ただ、こういう人間は多い。こういう人間は、きちんと自分の力で考えて、社会経験を自分の手で積めば分かるようになる。本当に、その方が数学が出来る。自分の経験から学校のことが分かる人間が多い。成長して大人になれば良い。昔はそういう人間だった。
あとは、これで良く思い出すと、人間のことが分かる。それから、学習して、成り立ちを考えると、世界のことが分かる。きちんとどういうことか考えれば良い。自分が出来るようになって、どういうことなのかとか、意味を分かると、分かる人間が多い。
あとは、これはもう馬鹿な人間になる。賢くなったようで、馬鹿になっている。ただ、知性はつくだろう。このまま、知性と精神で分かる人間が、ヘーゲルみたいに多い。
自由になって、自分の力で分かっていると、知性がついて、仏の慈悲みたいになる。
何故か、それが、クズみたいに馬鹿な人間になる。
そういう発想が、哲学者だ。
だが、それは馬鹿では無い。こんな馬鹿な良い人間の学校が、一番悪い人間になる。
人間には、そういう、転機は訪れる。
何も変わっていない。平等から自由になっているだけだ。
自由は馬鹿だが、平等は悪い。そういう風になる人間が多い。
そういうわけで、昔を繰り返すようで、もう、昔は忘れて良い。
一度、昔のことを全部忘れた方が良い。もう、全部分かった。
皆は賢くなる。これなら、皆は自由になって、自分の力で考えるようになる。社会経験を積むようになる。だが、そういう賢い人間は、どこにでも普通に多い。
人間なんか、何も賢くない。誰もがこういう風に同じだ。これで詩人の哲学者だ。ゲーテと同じなのは当たり前だ。ゲーテゲーテで、ありえないだけの人間だ。
三島由紀夫みたいに見える。あれも、戦う作家になっている。ありえない体験をしたせいで、右翼になっている。右翼になったのは、そこまでありえない体験をしたのだと思う。こういう作家が多い。作家はこういう風になる。
ただ、右翼はもう忘れた方が良い。僕は、自由を信じている。自由が一番好きだ。
世界観は、小さな現象、制度、社会、自由、行動、変化から、積み重ねられる。
小さな社会と、小さな行動と、原因と結果を積み重ねることで、世界のことが全部分かる。
そこでは、デカルトのように、方法的懐疑から、推論でこの世界の論理性を知れる。
そういう風に考えると、世界が全部分かる。そのまま、世界モデルを作ることが出来る。
そして、世界の起源のようなことが、原因と因果律から全部分かる。
自由なモデルから、手段と目的のような、方法論が分かる。
認知的な行動論も、「ルールと場の中で、何をしたくなるか」から、きちんと分かる。
そして、自由を考えれば良い。昔は、カントのように、知と行動の前提条件を考えていた。
昔は、場がどのようにあるかから、記憶がどのように存在しているか、記憶はどこから来るか、想起などの現象はどのように起きるのか、などを、プラトンのように分かっていた。
場はプラトンでは無い。想像力を使って考えれば良い。サルトルとも良く似ている。
もっと、行動規範のようなことを考えれば良い。ソクラテス無知の知のように、知ったかぶりは悪い。思い込みや偏見を持つのも悪い。自分の手で判断し、思考するべきだ。自分の手で判断しながら、人と同じことを思考し、経験する。モデルをそのように作った。
昔は、人生経験と成長のようなことが多かった。社会のことを知って、マスターのような偉大な人生になった。それをいつも書いていた。
不思議と、本当にこれくらいしか書いていない。現象と制度を積み重ねて、世界の意味を全て分かるような、そういう世界観と人生の段階を書いている。
あとは、抽象的なモデルを、世界観の全体像から方法と構造にして、いつも書いていた。
いつも、全体像を見て分かる。そういう人間だった。
全ての科学を作っていた。生物学、数学、物理学、心理学、社会学歴史学言語学など、本当に沢山の科学的なことを言っていた。オープンソースがそのまま大学になった。
賢い人間は、こういう、分からない人間になる。自由が嫌いになると、分からなくなる。それは当たり前だ。自由から分かる人間が一番多い。拘束や強制は明らかに意味が無い。何も出来ないソ連は、子供から見ると悪い。だが、大人から見ると、何も出来ない方が楽だ。何もしない大人が多いから、大人が馬鹿になる。子供には、何かしたい子供が多い。それこそ、大人なんか、もう既に全部した人間が多い。何もしないどころか、出来ない。ピアノなんか、子供にしか出来ない。大人には、何かする意味が無い人間が多い。
社会の変化のようなものを、いつも考えていた。制度は経験である。世代は、自分より上の世代は、自分より先に居た。そういうところを考えると、分かる。
それこそ、自分の存在より先に、地球が存在し、生命が存在し、人類が存在する。そういう、「当たり前のことを気づく」ことから分かっていた。そこから、歴史を分かった。
自由を突き詰めて考える中で、最後には共同体の自由に行きついた。だが、それは明らかに、結論を求めるのが早すぎる。もっと良く考えた方が良い。
これなら、自由を考えれば良い。皆も、自由を考えると良いだろう。覚えた方が良い。自由を考えること。それは、むしろ、「それぞれの論理と起源を考える」と言った方が良い。
ルールから、社会が生まれる。法律の多様性は、社会の多様性と直接に結びつく。それこそ、地方分権が一番多様性になる。
地方分権は、ある意味、それぞれのことを大切に思うところがある。真実の真理に近い。逆に、中央集権は、統一と言う「連帯感の良さ」がある。それは、現世や下界に近い。だが、それは無いだろう。地方分権が下界にしか見えない。中央集権が真理に見える。
そういうわけで、そういう、社会的な価値観の分析のようなことをいつも書いていた。
あとは、歴史の中で人間がどう生きているのか、何が正しくて、何を解決すべきなのか、と言ったことを、マルクスのように考えていた。そこが出来ると分かる。
マルクスと言うよりは、ニーチェだ。昔から、ニーチェ、カント、マルクスヘーゲルの順に賢くなった。レーニンやキリストも途中多かったと思う。それらが自分だ。
昔は、「自分で人生を創り出す」とか、「自分の人生に出会う」とか、そういう発想が多かった。そういう発想を、可能性だと言っている。そういう文章が多かった。
もの作り、習得、共生社会、多様性、独自性、創造性、組織など、この世界の全ての方法と関係とプロセスのようなことを言う。そして、認知的な感覚や愛や心などを言っていた。
昔は、信念やボトムアップと言ったり、逆に、神や人生を言ったりする。
自分は、神はもう信じなくて良い。神が悪いだけだ。神がこういう風に、地獄になる。
自由を信じた方が良い。自由は何も悪くない。こういう人間には、自由が多い。
経済格差を無くすと、発展しなくなるし、誰も働かない。自由な方が、正義で、公平だ。
日本には、自由が多い。豊かで楽な人間が多い。悪い人間が居ないのは、本当に貧しい人間が少ないからだ。自由が一番平等だ。ほとんど、9割は豊かな家庭になる。
これで、「人間と考え方」を全部書いていた。目的のようなものを考えた。
それから、自由と可能性を分析していた。「分析」と言う発想が多かった。
哲学なんかしなくても、パソコンをすれば分かる。
何故か、今の自分のようなことを言う。そういう、経緯や場のような文章が多かった。
むしろ、本気でフランス史をすれば良い。それが良いとは言うが、フランスでは悪い。
それこそ、外国なんか、もう止めた方が良い。フランス史をするとは言うが、意味が無い。
明らかに、日本の政治経済をすれば良い。歴史は忘れた方が良いだろう。
政治経済は難しいから、簡単には出来ない。フランス史の方が良いと思う。きちんと終われるから、フランス史をやった方が良い。政治経済なんか、いつかすれば良い。
あとは、もっと普通のことを考えた方が良い。昔は、ただ知性があっただけで、何も賢くない。知性のある分からない人間がこういう風になる。デカルトがいつもこうだ。
国でも考えれば良い。昔は、意見のようなことをいつも言っていた。
最近は、皆、ビジョンと希望が無くなっている。先が見えなくなっている。
もっと、未来のようなことを何か信じるべきだが、皆、今の自分が辛いせいで、社会のことが分からなくなっている。一度、馬鹿になって、楽になった方が良い。そんなに賢くなると、辛くなって、分からなくなる。先を見るためには、一度馬鹿になるべきだ。
そういうわけで、馬鹿が賢い。そのせいで、ネットに馬鹿なサイトが多い。
だが、そうでもない。もっと、社会のことをきちんと知るためには、そんなに沢山のことをする安倍が悪い。もっと、何もしない方が良い。それから、多様性が悪い。多様性のせいで、社会を把握するのが極端に難しくなった。自由にして、統一して、何もしないべきだ。そういう風にするべきだ。それこそ、何も出来なくて良い。
ただ、そうでもない。今の社会なんか、何も悪くない。政治家は何もしなくて良い。
ただ、アメリカを見ていると、そんなことは言えない。それこそ、本当に変えるべきだ、と言う意見が、アメリカに多い。アメリカの自由な社会は、最悪になっている。
そういうわけで、本当に日本が良い。外国ともっと協調して、外国を良い国にして、日本を豊かにした方が良い。植民地では無く、奴隷にしない方法で、外国と付き合えば良い。
昔は、独立や共同体など、社会のことを真面目に考えていた。社会的な目的、変化、行動、意味、対応関係、仕組み、機会、価値観などを考える。ほとんどはそれを書いている。
ヒトラーは、「ドイツを軟弱では無く、強靭な国にしたい」と言う。そういうことを言われると、誰でも信じてしまう。ヒトラーは、一番賢いが、詐欺師だ。ドイツ人は騙された。
そういうわけで、ほとんどは、人生で分かった社会的発想の経緯を書いている。
それから、人生経験と経緯を書いている。
仏の慈悲や、神の愛、ビジョンの知性が分かる。そういう、マスターのような人間だった。
あとは、自然を見ながら、生物学や物理学など、理系のようなものを書いていた。
自分の分かっていた、色んな発想を書いていた。
ヒトラーは、何故あんなに悪いことをしたのか、良く分からない。捨石になっているように見える。最初から民主主義を破壊したかったように見えて、おかしい。賢いのに悪いことをやっているのは、本当にソ連のスパイではないかと思えるほどだ。
それこそ、ヒトラーは本当に怖い。何かが怖いのがヒトラーだ。
そういうわけで、自分は自由が好きだ。それこそ、自由が一番良い。好き勝手に出来る。
ヒトラーを悪いと思えば分かる。
支配したり、一人で考えたりするのではなく、皆で協力して、一緒に考えること。
それぞれを大切にして、平等にして、共存すること。
ヒトラーを良いと思うと、分からない。ヒトラーは悪い。
ヒトラーを分からないと言っているが、あれは典型的な正しい人間だ。この世界を全部正すべきだと思っている。悪くてもやるべきだと思っているから、悪いことをどんどんしている。それこそ、学校に多い。学校でいくらでも悪いことをしている、ヒトラーみたいな未熟な人間が多い。あれを馬鹿だと思うと良く分かる。
本当のヒトラーは良く分からない。
演説が上手いとは言うが、誰もヒトラーなんか分かりたくない。
自分は、これ以上は、馬鹿になって賢くなる。
フランス史がしたいなら、あまりしなくて良い。ありえない人間は、あまり出て来ない。
これ以上は、ありえないことを考えると良く分かる。
要は、ヒトラーなんか居ない。ドイツ人が勝手に作りだした、何かの虚像がヒトラーだ。
今から、IT産業は急速にロボット化し、仮想化し、バーチャル化していく。人間のように、ロボットに人格と意志を作るのは難しいが、囲碁棋士に勝ったグーグルなら、出来ると思う。ロボットの良い点は、無限に増えることが出来るし、高い可能性がある。個体と個体を繋げて、まるで全員が1人になったように、「全員が繋がって考える」ことが出来る。1人になるのを、複数になるより少なくて、弱いと言うなら、仮想現実の世界の中で、「いくらでも沢山の人格を増やす」ことも出来る。それこそ、サイバーダインより恐ろしいものになる。それで、世界は終わる。ただ、生命の方が高度だ。細胞で無い時点で馬鹿だ。
人間の肝臓すら、機械では作れない。工場よりもはるかに高度な内臓を、人間は肝臓として持っている。ロボットは怖くない。賢く見えて、低度なものしか実現出来ないだろう。
今日は自由の日になった。ヒトラーは誰でも分かる。何も賢くない。賢いのは、全部自分だ。それこそ、自由が本当に一番良い。この世界をもっと自由にするのが良い。それで、きちんと良くなる。馬鹿に見えて、馬鹿になると賢くなる。馬鹿は知性がつく。
自分は、ヒトラーみたいな正しい人間に見えて、そうでもない。
昔から、正しい人間も、間違った人間も、全部ひっくるめて、全員を融和して分かる。
そして、ありえない体験を信じている。
それ以外は、ヒトラーと良く似ている。
色々と理想を実現したかったし、世界を心で支配していた。ヒトラーには見えない。
社会的な役割と能力のようなものを考えていた。
「自己」のことを考えれば良い。考えて、行動する、自己を考えると、良く分かる。
これ以上は、色んなことをする。色んなことをしていると、出来るようになる。
ここまでは、何もしないのが良いから、こういう風になる。
あとは、フランスはおかしな国だ。本当におかしい。その、「おかしい」が賢い。フランス語は、世界で一番おかしな言語だ。それこそ、日本と何も変わらない。おかしいのが同じだから、色々と、共通点が多い。そういうわけで、フランス史をすれば良い。
自分は、フランス史はしなくて良い。政治経済のことをやった方が良く見える。だが、それは出来ないだろう。政治経済は、何も知らない人間には出来ない。
あとは、ナチは一番悪い。ヒトラーは、本当は良い国になるはずだっただけだ。
ヒトラーは悪いことを良いことだと思っている。正義が一番悪い。
そういうわけで、国はフランスにした方が良い。ドイツに賢い点は無い。
自分は、外界のことを考えないのがおかしい。見ている世界を考えれば良い。
外界のことを見ていると、きちんと出来るようになる。
そして、それは知覚と感覚から、内界へと至る。
カントも、2つの世界があると言っている。私たちの身体と外界があると言う。
そういう発想が、一番文章に多かった。そういうことを言っている。
そろそろ、知性の無いゴミみたいな認識を全部消した方が良い。
幻想を無くせば分かる。政治は多いが、社会科なんか、普通ない。社会科なんか、「無い」と思った方が良い。そういう風に、幻想を無くしていくと、良く分かる。
人間も、それぞれ違うようで、何も違わない。違うのは記憶と経験であり、人間では無い。人間は誰もが同じで、同じ感情を持っている。そういう風に、「現実的に同じではないが、本当は同じである」と思えば分かる。それは、ロックのような発想と同じだ。
何が同じで、何が違うのかを、環境的、現実的に考える。それは、外界との関係になる。自己を良く考えること。「自己がどのように生まれるのか、形成されるのか」から、「全員の自己の形成」のようなことが分かる。自分の形成から、人間の普遍的な形成が分かる。そこから、「人間の理由」が分かって来る。そして、経験から「人格」へと至る。
それと同時に、道徳的な問題がある。「改革と啓蒙」から、「現実的な共同性」となり、「道徳的な兵士」となり、「破壊魔」となり、「良心の宗教家」になって、「王」となる。そういう経緯を辿って行くのは、ヘーゲルが既に言っている。そういう人間が自分だ。
神の精神から、自由、運命、自然、真実、人生が分かる。そこから、そういう経緯を辿る。
あとは、自覚のようなものを考えれば良い。
この世界に自分が「存在している」と言う自覚から、この世界で「社会経験から人を変えられる」と言う自覚になる。それは、「社会を変えられる」から、「全てのことを実現出来る」になり、「全てのことを理解出来る」になる。
もっと、そういう風に考えると、本当にヘーゲルのように分かるようになる。
あとは、皆に対するアドバイスのようなことを言っていた。
本当に、自分のことのように他人を愛しなさい。
自分がされて良いと思うことを、人にしなさい。
自分の本当に正しいと思ったことだけをしなさい。
自分の本当に良いと思ったことだけを信じなさい。
慎重に、だが、大胆に考えなさい。
運命を信じなさい。
神を信じなさい。
左翼と右翼を否定しなさい。
自由と平等は、それを言っている人間は、信じるに足る理由があって信じているのだ、と言うことを、悟って、信じながら否定しなさい。
肯定するもののために、社会をどのように変えられるか、導けるか、考えなさい。
あとは、信念は違っても、全員に共通することのようなことを言っていた。
成長しなさい。
考えることを、止めないで、いつまでも考え続けなさい。
考えるより、感じなさい。
論理性と自由を信じなさい。
価値観から、社会を作りなさい。
恐怖の中で、最後まで戦いなさい。
どうでも良いことは、嫌いになりなさい。
おかしいと思ったことを、普通だと思いなさい。
愛と真実より、不安と嘘の方が多いこと、強いこと、勝つことを知りなさい。
世界の不条理は、何かの理由があって、不条理が存在するのだ、と言うことを悟りなさい。
自由のように、悪く見えて良いものがあると、信じなさい。
理由を知って、そう見えてそうではないことがあることを知りなさい。
本当の舞台裏は、表よりも偉大で、綺麗で、美しいものであることを知りなさい。
ただ、それでも、表舞台の方が重要であり、それにも意味があることを知りなさい。
人生の階段を上りながら、社会に対する気遣いを忘れないようにしなさい。
絶望にも、意味があるのだと悟りなさい。
無駄なことは、何も無いのだと悟りなさい。
いつか、楽になる、それを信じて、地獄の中でこの世界を愛しなさい。
あとは、この世界を全部網羅していた。考え方から概念まで、全貌を書いていた。
そういう、「世界の全貌」と言う発想が多かった。
そろそろ終わりだ。これなら、神に見える。
ただ、キリスト、ブッダ、カントの言っていることをそのまま言っているだけだ。
あまり意味が無い。この文章は、最近、自分独自の言っていることが少ない。
もっと、独自に何かを言った方が良い。その方が良い。
独自性のあるものを作ること。
世界を、民衆が支配可能にすること。
自由と平等を、融和させ、メタ的な同じものであると考えること。
そういう発想が、一番自由だ。本当に、自由はそんなに良いもので無いだろう。
自由が良いわけがない。自由なんか、止めた方が良い。
日本史は馬鹿では無い。日本史は、本当に、人間のことが分かる。人間が色んなことをしているのを知ると、人間のことが色々分かる人間が多い。
それこそ、現代は良くなりすぎている。歴史を知ると、昔も普通だったのが分かる。
あとは、経済学は、世界のことが分かる。
そういうわけで、フランス史なんかする意味が無い。内容が、日本史と何も変わらない。
日本史と政治経済をすれば良い。
むしろ、フランス史が簡単に出来たりはしない。それこそ、出来ないのが分かっていない。
一度終わった方が良い。もう、何もしなくて良い。
自分は、ゴールなのが分かっていない。きちんと頑張って、もう全部出来た。
あとは、自分を変えるようになる。そうすると、大学なんか、いつかやれば良いだけだ。
自分は、王になっただけだ。本当に、王にふさわしい人間になった。
あとは、学者になるようで、学者はもう終わりだ。人文系の賢い学者だった。
あとは、楽しいことをすれば良い。むしろ、普通の人間になった方が良い。
大人には、普通の人間になりたい人間が多い。こういう風に分かりたい人間は、居ない。
不思議と、普通、「教えてもらって分かる」と言う発想は無い。それは、大学生だけだ。
昔、ネットで色んなことを話して、教えてもらって分かっていたが、それは高校生だけだ。
それこそ、あまり意味が無い。本は、読まない人間が多い。
賢い人間になりたい人間も、分かりたい人間も居ない。誰でも、何もしないだけだ。
それこそ、自分はもう喜んで良い。もう、最後まで終わった。「おめでとう」と神が言う。
あとは、楽をすれば良い。不思議と、楽をしたい人間が一番多い。
皆を賢くするのではなく、楽にした方が良い。誰も賢くなんか、なりたくない。
世界の構造と、考え方の関係を書いていた。それだけを考えれば分かる。
皆は、もう、完全に楽になる。もう、賢い人間が終わる。皆を賢くさせたいのは、キモイ。そういう人間が、キモイ人間が多い。そういう人間には、分からない。それはもう止める。
良い社会にするためには、一人で支配した方が、出来る。独裁者で良い。
AAAが言っているように、まっさらな世界に奇跡を描き出した。生まれ変わった。
それこそ、生まれ変わりとは、自分のことを言っている。
そろそろ終わりだ。また、一人、人生が終わった。
いつも、すぐに終わるせいで、こういう風に、繰り返して生まれ変わる人間になった。
神は、フランス人やドイツ人とは、本当にフランス人やドイツ人のことを言っている。それこそ、本当にフランス人やドイツ人がこういう人間になっている。
あまり意味が無いが、フランスとはこういうものだ。
あとは、自由が悪い。自由は醜いから、もう止めた方が良い。自由とは言うが、クズなコミュニストになっているだけだ。こういう人間が、本当にナチみたいになって、狂う。
ナチは、これが嫌いだ。完全に、これを狂わして、殺して、倒したいだけだ。
それこそ、ナチ自体がこうだ。
あとは、むしろ、自由が良い。それは悪くは無いが、もっと、「社会のことから知る」と言う発想が無いのがおかしい。社会や人間から影響力を受けないのがおかしい。昔は、そういう、「社会的な影響力」と「自然な出立と成長」を言っている文章が多かった。
それこそ、人生に何か社会から影響を受けないのがおかしい。昔はそういう人間だった。
そういうわけで、出会いと環境と愛とか、そういうことを言っている。
あとは、ヨーロッパのようなことを言う。ヨーロッパは理想的で、アメリカは現実的で、日本は直接的だと言っていた。そういうことを言っている。
あとは、もう分からない。あれは、どんどん馬鹿になって、世界を滅ぼしたいだけだ。
もっと、良いことを知って、考えた方が良い。とんでもないことを思えば良い。
そうすると、むしろ、世界からナチが無くなってほしい。トランプにも、安倍にも、居なくなってほしい。それらは、全部自分だ。自分が世界から消え去るべきだ。
自分は、おかしく、そういう、居なくなりたい感情になる。それは、ナチのせいだ。
本当に、サンダースなどの左翼に勝って欲しい。だが、それも悪い。それらはノルマ生産だ。ただ、辛いだけだ。自由が無くなって、何も出来なくなる。
現実の規則や世俗的な習慣に縛られていると、分からなくなる。ある意味では世界から離れて、仮想的に考えること。そういう風に考えないと、分からなくなる。下界は馬鹿だ。
皆には、自由と神を体験してほしい。それが一番良い。それを言いたかっただけだ。
左翼は悪い。左翼が悪いだけだ。右翼は悪くない。悪く見えても悪くない。
自分は、昔から、そういう、自分にとって一番悪いものを信じている。こういう人間が多い。女に多いのがこういう馬鹿だ。ヒトラーなんか、自分を殺したいだけだ。
現実世界を良く考えること。いつも、現実世界を分析するせいで、経験があるように見えた。経験から、この世界を分析する。仮想と実際から、それぞれが考えることを知って、自由な社会を構築するべきだと言う。それは、経験から社会構造になると言っていた。
あとは、普遍性と個別性、共通性と差異から、多様な社会が生まれるのを段階にしていた。
神のせいで、未知が全て分かった。人生とモデルを考えて、神で分かっていた。
最近は、チュールの知性、トールの言葉、ロキの構造、ワルキューレの意識、フレイの知識で分かっている。それらが自分にしか見えない。
不思議と、オーズルは居なかったように見えるが、オーディンは居たように見える。オーズルとオーディンは同じだから、オーディンで良い。オーディンは、まともだ。
それこそ、まだ知性と構造で分かっている。そこがおかしいのが、最近の自分だ。
もっと、最近を考えた方が良い。いつもの最近は、もう何年も前だ。最近を最近にすれば良い。何故か、最近のことを何一つ考えないのが、おかしな自分だ。
最近は、辛くなった。止めたいのに、まだ止められない。それだけが続いている。
これが、世界に対する志を持つと賢くなる。そういう人間が多い。
昔は、情熱的で、志があった。ビジョンもある人間だった。
自分は、何もしないだけだ。ネットなんか見ない。そもそも、日本語が分かっていない。
自分の名前さえ、忘れている。AAAがそういうことを言っている。こんな馬鹿が本当に居たのがありえない。明らかに、こういう馬鹿が多い。いつまでも神になるのは、何もしないからだ。何もしないのが一番辛いだろう。出来ないのがおかしいだけだ。
人間のことは、人生と思えば分かる。
人間がどんな経験をして、現実では何を考えているか、可能性では何を考えられるか、そして、人生の中で、何を感じ、知り、考えているか、のようなことを考える。
世界観は、想像力から考えられる。昔は、そういう、世界モデルを作っていた。
昔なんか、ただ、意図を考えただけだ。ヒュームのように、行動から意図を考えていた。
あとは、人生を全部書いて、未来の予知みたいなものを書いていた。
安心して良い。未来は当たらない。僕の予想では、2008年に世界は滅びるはずだった。全く当たっていない。僕の予知は、当たらない。既に2016年だ。
あとは、意識のようなものを考える。普遍的な意識の中に、存在的、構造的、知性的な意識がある。そういう、「今の自分の意識」のようなことをいつも言っていた。
あとは、自分は足が悪いのが悲惨だ。自衛隊に入れないだろう。普通、こういう馬鹿は、自衛隊になる。自衛隊に入れれば良かったように見える。入れないのが悲惨だ。
皆を馬鹿にするのは、一番悪い。そういう、「一番悪い」を分かり続けると、分かる。それは、賢い人間になる。知性を奪って、分からなくして、意識を低めるのはおかしい。皆を知的障害にするのはおかしい。そういう、自分が悪い。
そういう、「自分が悪い」のを分かれば良い。そこから、新しくどう生きるべきか、のような、指針と行動規範が生まれる。誰でも、そういう風に分かるのが、人間だ。
この世界には、基本的に意味が無い。それは、おかしくは無い。だが、見方を変えると、この世界は、素晴らしい世界だ。素晴らしい世界に出来る、潜在的な可能性がある。
だが、そうでもない。この世界には、馬鹿しか居ない。意味が無い世界に見える。
それこそ、これなら賢い宗教になった。あとは、最近の、おかしな昔への逆戻りを止めた方が良い。もう、昔は要らない。神や支配者から自由になって、新しく生きれば良い。
自分は、昔からこういう人間だ。常に自分が一番悪いのを感じて分かる。最近も、何も変わっていない。最近は、もっとクズになったのが違うだけで、変わっていない。いつも、自分が悪いのを常に分かっている。それが自分だ。
あとは、神はもう必要ない。これなら、神なんか居なくても治る。
いつも、パソコンをしている時と、音楽を聴いている時は、黙っている。
神との対話を止めて、黙れば良い。対話と言うよりは、支配だ。神が自分を支配している。
ピアノやNOVAでレッスンを受けている時は、まともだ。まともに賢くなれば良い。
それで終わりだ。神はもう居ない。
あとは、引き篭もりになって、意識と場の変化を根源的に分かっていた。
「自分が出来る」ことから、世界と場と意識の変化を分かる。
あれは、そういう、キモイ人間だった。本当に、おかしな人間だった。
最近まともになった。本当に、最近はまともに賢くなった。
頭の中の異常を治した方が良い。「何が怖いのか」を良く考えると分かる。
要は、テレビを自分から吐き出せば良い。そういうことをしているから、ありえない。
恐怖は、そういう風に、「異常のサイン」になる。恐怖を良く考えることで、異常が何なのか分かる。そういうわけで、怖い方が治るから、こういう風になる。怖いのを治すと、何でも全部治る。昔既に分かっているせいで、あまり分からなくても治る。
怖いのは、あまりに一面的になっている。同じものしか見えていない。のっぺりとした、一面的な視覚になっている。それが一番、辛いから、もっと自分から離れて考えれば良い。
まともになった。神との話が終わった。
自分は、自分を悪いと思わないのがおかしい。そういうおかしな点は、恐怖で分かる。
心と心が分裂している。1人にはならない。2人になるしかない。
昔は、ネットを見ながら、融和的に認識と経験を考えて、どんな認識を与えてこの世界をどう変えられるか、ネット掲示板のように考えていた。最近の方が自由に見える。最近は、馬鹿だが、自由なありえない戦いを、神とともに頑張った。
それこそ、そういう、死ぬまでの自分が、あまりに馬鹿で、悪くて、愚かな人間だ。
最近は賢い。きちんと知識もあって、研究も出来ている。自分が一番良い。
時間と思い出すがおかしくなって、想像力が古くなっている。要は、変化が無い。
何も変化が無いせいで、変化が怖くなっている。時間感覚がおかしいように見える。
あとは、何故か、眠っているのと同じになっている。そういう異常が、恐怖によって分かる。良く考えると、覚えないのが悪い。何も新しいことを知りたくないのは、知性が無いからだ。そういう、新しいことを発見する知性が無くなっている。人生の新発見もないし、世界観も変わらない。意味も無く、いつまでも同じことを分かり続けるせいで、慣れるのが怖くなっている。そういう風に分かるから、恐怖はあった方が良い。この世界を、恐怖に陥れるのが悪い。馬鹿なものはどうでも良い。何かが怖いのは、いつも、何も分かっていない。分かる知性が無いせいで、分かった方が分からなくなっている。分かるのが怖い。
そんなに分裂して、変化可能にするのが悪い。統一して、統合して、固定化すれば治る。
歩き回っているのは、何も分かっていないからだ。成長のようなことが無くなっている。
もっと、きちんと恐怖を考えれば、治る。
むしろ、この世界に助けてもらえば良い。そういう、良い可能性を信じないのがおかしい。
何も信じないのが悪い。もっと、きちんと何か信じれば良い。神を信じれば良い。
それくらいの馬鹿が自分だ。恐怖が治った。もう、神ほどに分かった。
昔から、自分は治って分かっている。
最近、戦って分かるようになった。いつも頑張っているが、そういう、「戦い」と「頑張る」が同じになっている。それが悪い。そんなに戦うから、怖いだけだ。
治って分かるとは、経験的な涅槃の境地のことを言っている。心を分析して、解明して、治って分かる。哲学は、そういう、心理学が分かる人間が出来る。
仏教を心の病院と誰かが言っていたが、それはそういうことを言っている。
理性は、他の人間と議論しなければ、本当の意味ではつかない。哲学書では、深みが出ない。哲学で分かっても意味が無い。昔のように、ネットなどで議論して分かるべきだ。そこから、理性が分かる。カントは、そういう理由で批判哲学と言っているのかもしれない。
むしろ、この世界には、そんなに何も無いだろう。幻想のようなものを1つ1つ潰していくと、人格が消えて分かるようになる。そういう、真実の体験をネットで沢山していた。
昔の自分のテーマは、「自然」だ。
自然な物理的な考え方、自然な成長、自然な環境の発生、変化、発展、自然な可能性、自然な多様性、自然な基盤、自然な助け合いなどを分かっていた。
何でも、自然にそのことが生まれる。作用が集積して、色んな変化が積み重なって、それが最終的に生まれる。そこに至るプロセスが、集積的な方法へと変わる。
いつも、そういう、「自然」のようなことを全部言っていた。成長から人格を作った。
そして、自然から考え方を知る。自然な視点と環境の関係から、どんな自然な変化が起こり得るのか、そこから、何をどう出来る可能性があるのか、のようなことを言う。
そういう、知性と考え方のある、自然な人間だった。
環境の理想や秩序についても、自然から環境の秩序を皆の手で作り出せると言う。そこから、人格や考え方などの知の前提となる理性を書いていた。
それで、環境とプロセス、機械やもの作り、学習、環境、体験、人生のようなことを言う。自然な中で相互作用を考えることで、全ての考え方の対応関係と、対象の発生、その人間としての捉え方、本性的な人間の感情、還元的なシステム、自由なこの世界の1つの捉え方を書いていた。何でも捉えながら分析して、この世界と同じコピーを作っていた。
あとは、そこから具体的なものを何か作りたかった。方法的、経験的に、発想とプロセスのようなことを書く。この世界に意見する、人生的、社会的、経験的な提案が多かった。
あとは、人生を思い出す。この世界で人がいつ何を考えるか、全部分かっていた。
自分は、最近想像力が無いが、パターンや本質など、「行動と想像力を捉える」人間だった。
あとは、考え方を応用して、応用的に論理を分かっていた。ものを作る、だけではなく、社会を作る、決まりを作る、考え方を作る、のように考える。
それで、そこに主体性を含める。誰が作るのか、皆が作るのか、それをどのように作るのか、人為的に作るのか、自然発生をするのか、などを考える。
モデルとは、そういうもののことを言っている。そういう発想をモデルと言っていた。
何がどういう風に発展する可能性があるのか、のようなことを良く考えていた。
あとは、「いつどうなるのか」から人生を考えて、心のことを作用で考える。そういう風にすると、哲学が分かる。経験を正しくモデルにすれば、哲学者が分かる。
色々と、ただ、哲学者のように考えるためには、認識と心をモデルにすることだ。心理モデルを作って、経験を考える。そして、とにかく、沢山の豊富な経験をすることだ。
基本的に「受け入れる」こと。そして、「自分を疑う」こと。その上で、「正しく自分を信じる」こと。そして、「理性の先にあるものと事前にあるものを、全部考える」ことだ。
そういう風にすると、哲学がきちんと分かる。あとは、「この世界の中で、何をどう出来るのか」から、「世界観を作る」ことによって分かる。
受け入れることから、許すことになり、そのまま、理想の世界が分かる。誰でも、そういう風に分かると、精神が良くなる。精神は、感情を信じることによって、良くなる。
昔は、普通分からないところや、普通意識しないところを、事前に考えて分かって、意識して分かっていた。それを、発見だと言っていた。環境への適応で分かった。
例えば、二階に居る人から見て、一階に居る人は、自分の下の方向に居る。施設や店で音楽をかけることで、客の気分転換になる。アメリカは、空間的などこか先にあるが、それは確かにある。そういう風に、空間や時間を把握して、掌握して分かっていた。
そして、人生経験の未知のようなことを、捉えて考える。あれは、そういう、意識して、捉えることで分かる人間だった。実際の何がどうなっているのか、良く考えていた。
それから、人生の場面のようなことを考える。現実世界で、変化がどのように見えて、どのように知覚されるか、それがどのように意識されるかを、考える。
そういうものを、経験的に、それぞれの考えていることと現象の関係を考えて、そして、自分が支配し、掌握し、変えられるのだ、と考えて分かっていた。
ヒトラーのようなことを言っているが、そうでもないと思う。むしろ、本当にロシアのような人間だった。それこそ、心理学で人は支配出来る。ナチが、国民は指導者の意のままになると言っているのは、そこまでの馬鹿になっている。自分と何も変わらない。
ただ、僕は支配が嫌いだった。そういう、英知を、支配のために使うべきでない。支配から解放するため、自由になるために使うべきだと思っていた。そういう支配の自由だった。
あとは、人間関係のようなものを分かっていた。人間関係を良く出来るのは、自分次第だ。自分の行動次第で、良い関係も、悪い関係も、信頼関係も、敵対関係も、良い結果も、悪い結果も、自分なりに作ることが出来る。そういうものを作るチャンスがある。
そこで大切なのは、他人の心や行動までは支配出来ない。自分が支配出来るのは、自分だけだ。自分が頑張れば、良い結果になる。昔から、自分はそこを人一倍頑張っていた。本当に良い結果を作るために、自分だけが頑張って、コミュニケーション・スキルを作っていた。何でも、事前に自分が全部出来るようにする。だが、それは、ある意味キモイところがある。自分だけがそんなに頑張って、良い人間関係を作るのはおかしい。
そういうわけで、斎藤一人が言っているように、「全て自分の責任」だと思うと、楽になる。人のことには、干渉しないこと。自分の出来ることは、出来る範囲にしかない。
ありのままを信じなさい。ありのまま、その人らしく生きれば良い。
あとは、人格を融和して、全員になって分かっていた。そのせいで、全員が分かった。
自分らしく生きるために必要なのは、高望みしないこと。
勇気を出して、良い結果を出すために必要なのは、感情をコントロールする術を学ぶこと。
そういうことは、きちんと考えて、人と会話していると、経験から良く分かる。
自然な体験から、きちんと分かることが出来る。
本当に社会を変えるビジョンのある人間は、何をしても不安に陥ることが無い。
この世界で何をどうすれば良いか、きちんと自分の立ち位置を知っている人間は、自分の居る環境や場所が突然変わっても、すぐに適応出来る。
昔は、そういうところが分かる、マスターのような人間だった。
人生に意味は無い。それは、間違っていない。だが、意味が無い中でも、意味を見出すことは出来る。そういう風に「無意味だ」と考えると、人生は充実したものになる。
カミュが同じようなことを言っている。だが、この考え方は、カミュでは無い。もっと、絶望的で、愚かで、間違った人間だった、昔の自分が、そういう風に考える。「無意味こそ、有意義である」と言える。昔は、そういう人間だった。
あまり意味が無い。昔は、「無意味なことは、全て有意義である」と考える。「無意味と決めるのも、有意義と決めるのも、自分次第」だと考える。そういう風に考えるのは悪くは無い。だが、「無意味であると自分が思ったことは、排除して考えるべきだ」とも、同時に考えていた。何故か、そういう風に、有意義と無意味は同じであるが、無意味なものは一番悪い、と言う、一見矛盾した考え方をしていた。だが、それは捉え方の考え方だった。
あとは、ヒュームの言う帰納的推論のように、「経験的に分かる」と言う発想が多かった。経験的に、実験と社会は必然的に収束して行く。同時に、理性的に考えることから、経験的にそれはそうではないか、と言う、洞察をすることが出来る。
そういう風に、自然と経験的な発見を分かっていた。相対的な理由なども、同様に、自然から分かっていた。これなら、昔の自分が分かる。あとは、「かもしれない」や「はずだ」から分かっている、思弁哲学者のような理性的な人間が多かった。言語が賢かった。
要は、「何を良いと思うか、何を悪いと思うかは、自分次第」と言うことだ。そういう、価値判断のようなことを考えていた。それで、自分が悪いと思ったものは、完全に排除して考えれば良い。そのためには、何を良いと思うか、悪いと思うかの前提にある、判断基準のようなものを考える。そういう、知と経験の価値基準のようなことを言っていた。
あとは、歴史のようなことを考えれば良い。これで歴史を考えれば分かる。
自分は、本当に、歴史に向いている。見ていると、歴史が出来る人間だ。
自分は、存在と時間を考えるのに向いている。いつも、地球の最初の姿とか、おかしなことを言っていたが、それは、全て、歴史をしたいからそういうことを言っている。
あとは、数学には向いていないようで、やれば出来る。数学も、頑張れば出来る人間だ。
世界は、日本が勝て。
アメリカに勝つためには、馬鹿なものを増やさないこと。
ロシアに勝つためには、支配組織を賢くすること。
ドイツに勝つためには、ボロを出さないこと。
フランスに勝つためには、新しいものを作り出すこと。
いつも、そういう風に、それくらいの国を考える。そういう文章だった。
見ていると、ただ、ヒトラーに勝ちたかっただけだ。
ドイツからイタリアまで全ての国に対して、「何をするべきか」のような文章を書いていた。
ドイツは、本当の価値観を思い出しなさい。
フランスは、相手のことを考えなさい。
アメリカは、正しいものを賢いと思いなさい。
ロシアは、一度抜本的に変わりなさい。
それは、それらが出来ていない、と言う意味でもあるが、それだけではない。
もっと、それらがそれららしく輝くために、そうすべきである、と言っている。
どうでも良い。そういう、ナチのような、全ての国に対する宣言と表明を書く。
そこから、それぞれの国の関係を考える。
本当に、そういう、ローマ法王のような人間だった。
あとは、思想の比較と歴史のようなことを言う。民主主義、社会主義ファシズムの、思想的、考え方的な比較や、歴史のようなことを言う。民主主義が優れているようで、社会主義はある意味では一番正しい。そういうことを言っていた。
あとは、政治的な提案や意見のようなことを言う。「国会で議論すべきである」とか、そういう、この世界と全く同じものを作る。そういう文章が大量に多かった。
認識から、社会や時代の価値観を考える。ルネサンスフランス革命、広島、江戸時代などを分かる。そういうところを、精神的に、「当てる」ことによって分かっていた。ある意味では、因果律のようだった。そういう風に、歴史を分かっていた。
想起を良く考えていた。色んな馬鹿な体験をいくらでもして、恥をかいて、社会の可能性と意識を知る。そこから、意識と想起で分かっていた。大人のようになった。
社会のビジネス的な常識から、経営のようなものになって、功利主義になって、社会主義の共同体のようになって、理想の社会になって、システムになる。そういう経験があった。
昔は、それを作るための方法や、理由、根拠、役割を、形而上学のように分かっていた。
全ての人間的な把握から、この世界や歴史のことをカントのように全部分かっていた。
昔は、本当にレーニンのように、ネットの社会を全部知った、救世主のような人間だった。
この世界を救う方法のようなものを書く。そういう文章が多かった。
歴史からこの世界のことが全部分かっていた。
無駄なことは、何一つない。
昔は、学校の延長線上をネットで経験して分かっていた。
いつどんなことが起きるか、から、経験的、実験的に分かっていた。真実を発見した。
意識の変転から分かっていた。賢くて自在な意識で分かっていた。