「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-03-14

ワードからコピー

最近、家と世界が全く違うせいで、家に帰ると分からなくなる。
そのせいで、農園に行くだけで分かる。
土地には、家を建てられる。人間が集まると、社会性と秩序が生まれる。
ものも、社会も、そういう風に、自分の手、皆の手で作り出せる。
昔は、そういうものを、潜在的な可能性だと言っていた。社会は、自然状態と言っていた。
そういう風に考えると、賢い考え方が分かる。
昔は、そういうことを、「人間が全てを作り出している」と言って、世界観を書いていた。
また、具体的な方法を分かっていた。
社会を作り出す方法を知って、理想の社会を実現出来るようになった。
アドラーヘーゲルのように、精神の成長から、社会を作り出す方法を知った。アドラーも、そういうことを共同体感覚だと言いたいのだと思う。
馬鹿を馬鹿だと思えば分かる。
キモイものを、キモイと思えば分かる。そういうわけで、キモイ人間が賢い。
賢いものは、オリンピックの金メダルのような成功、賢い人物と学問、知と想像力、人間との出会いと信頼関係、自分の進歩と成長とそのための努力が賢い。
疲れるのが辛いから、疲れないようにすること。
受け入れること。そこから、道が開ける。一歩ずつ進めるようになる。
自分は、小悪魔みたいな人間だ。サタンに見えて、子供だ。ただの天使だ。
昔の自分に逆戻りするような、「逆戻り」の体験が、戦いの時代に多かった。
最近は、自分が出来る機械を作る。まるでゲームのように、自分がその通り出来る。
自由と心理のモデルを作って、関係を比較して、成り立たせて分かっていた。
社会のモデルは、社会の可能性を実験するために、仮想世界を作っていた。
人生のことを仮想的、社会的、心理的に、実存主義のように分かった。
価値観の形成と生成から分かっていた。
物理のように、感覚から分かっていた。知覚と感覚から普通の人間のことを考えた。
あとは、認識を変えて、考え方を変えると分かる。そういう認識論が多かった。
不思議と、哲学者にこういう人間が本当に多い。哲学者になりたいと、こういう風になる。
あとは、知性で考えるのが賢い。経験と可能性から、知性で考えれば良い。
「自然」を賢いと言う人間が多い。地球の自然環境だけではなく、自然発生のような、「自然に生まれ、積み重なる」と言う発想が賢い。いつも、そういうことを言っていた。
そういう、「自然な考え方」を書いている文章が、本当に多かった。それくらいの文章だ。
人間の論理性や、自由な自分の人生のことを、「自由」だと言っている文章が多かった。
自由は、もう止めた方が良い。自由は卒業するべきだ。
馬鹿な青少年の、ネットとパソコンに対するあこがれが自由だ。
自由と言っているが、ただ夢を見ているだけに過ぎない。そういう夢は、馬鹿だ。
それこそ、きちんと頑張って努力するのが賢いなら、最近の自分が賢い。
最近、きちんと頑張っている。毎日きちんと考えて、文章を書いて、分かっている。
哲学は頑張ったように見える。これくらい哲学を学べばそれで良い。
ただ、哲学は意味が無い。
既に分かっていることを再度確認して、もう一度分かっているだけで、意味が無い。
数学も意味が無い。見ていると、本当に社会科が良い。歴史と政治経済は、賢い。
あとは、理科は悪くない。新しいことを考えていると、誰でも理科になる。社会科は、普通あまり考えない。テレビを見て考える人間が多い。
新しいことを考えて、新しいことを知る知性をつけた方が良い。そういう知性が無い。
人間は、何でも知性になる。昔は、そういう、「何でも知性になる」と言う発想が多かった。
オルテガが言っているように、自分は、自分自身が属している環境である。
見ていると、哲学者は賢くない。昔の自分のような発想をしている。
何故か、哲学者より、自分の方が賢い。こういう、賢い大学生が多い。神には見えない。神とは、自分の本のことを言っている。あれが一番、キリストと全く同じだ。
そういうわけで、自分は、哲学者と言うよりは、新しい宗教の開祖だ。
その宗教の教義がこれだ。ただ、悪いだけだ。この文章は、あまりに悪すぎて意味が無い。
あとは、可能性や知性のようなことを自由と言っていた。
ハイデガーのように、意識の中の存在を考えていた。「世界は自分の中にある」と言っていた。それは、ハイデガーのようでもあり、仏教のようでもある。仏教の教えに近い。
まるで、哲学者のように、実存的なことを言う。「自分は可能性の発揮であり、未知の開拓と知の具現化である」などと言ったことを言う。ハイデガーと良く似ている。
そして、哲学者のように、難しい叙述をして、知性を書いていた。
あとは、共産主義マルクスのようなことを言う。
そういう、極左をやりたいのは、止めた方が良い。革命のようなことをしていた。
いつも、左翼を書くと、頭が辛くなる。
極左は悪い。極左は、世界を滅ぼしたいだけだ。
ケミストリーが言っているように、変わるのは弱さでは無いし、信じるのは嘘ではない。そこが分からない人間が、子供に多い。大人は、変わったり、信じたりする人間が多い。
良く覚えていないから、内容が少し違うかもしれない。ケミストリーが言っていたはずだ。
子供は、賢く見えて、賢くない。学校は、子供を馬鹿にしているだけだ。
あとは、全ての科学を書く馬鹿が多かった。カントのような人間が、全ての科学を作る。経済学から物理学まで、全部書く。
そして、この世界の自由な諸相を書いていた。自由な「世界の永遠の相」のようなものを、スピノザのように作った。そういう、「行動と社会の様相」のような文章だった。
それくらいの文章だった。それで、左翼みたいなことを言っている馬鹿が多かった。
本当に、左翼は悪い。この世界を完全に滅ぼしたい人間が多い。昔の自分がそういう馬鹿だった。完全な自由の世界にして良いと思っている。左翼はそういうところがおかしい。大人には居ない。子供に一番多いのが、そういう、自由を正しいと思う左翼だ。自分が昔からそういう人間だった。そういう自由を書いていただけだ。
あとは、それで人生、社会、意識の段階を、「レベル」のように書いていただけだ。
昔から、自分は精神を治して分かる。昔は、認知行動療法のように考えて、精神を良くして、悟って分かっていた。昔のそういう精神分析を、もう一度すれば治る。最近は、何も変わらず、分かって変わりながら、ある程度以上正しいことを分かり続けるようで、まるで臨床心理学のように自分のことを治す。それだけが永遠に続いている。
最近は、もうこの文章を書きたくないとは言うが、頭の中のどこかで、まだ「書きたい」と言っている。そういうわけで、まだ書いていた方が良い。それが永遠に続く。
良く分からない。もう、昔の自分は書いたはずだから、もっと新しいことを書けば良い。
あとは、知性で考えて、考え方を網羅して、具体的な社会のモデルを作っていた。
そういう、具体的な構造を作って、「科学のことを全部考える」と言ったことをしていた。
本当に、物理学を考えながら神を信じるような、ありえない人間だったが、そういう風に、「自分の頭と意識の中では、人間から科学まで、全部分かっている」と言う人間だった。
最近は、そのまま大学生になった。哲学と歴史を勉強している。これで知識があると賢い。
今日は、父親と一緒にドライブに行ってきた。ドライブに行って分かった内容を、ケータイにメモしたので、それを書く。
記憶と思考を辿って分かっていた。コンピュータのようなロボットになって分かった。
そういうわけで、昔は何も賢くない。まともだったが、そんなに何も賢くない。
あれは、この社会のことを良く知っていた、経験豊かで、洞察力のある人間だった。
家に帰って分からなくなるのは、家と世界の環境を融和すると分かるようになる。
いつも、家から逃げ出したいだけだ。それで、ドライブに行きたくなる。
革命が怖いように見えて、セックスのようなもの方が、さらに怖い。
戦っていた方が怖くないから、こうなる。昔の人格がそういう風に怖い。
「自由」とか、「体験」とか、一つの言葉で分かるのは、もう止めた方が良い。もっと具体的な、変化とバリエーションのある言葉を使った方が良い。
賢いのは、変化だ。自然環境を見ていると、変化が賢い。「自然発生」のようなことを考えながら、「人間がそこで何をするのか」を考えると分かる。変化と行動しか、普通考えない。
目が治った。目が治って、想像力と意識が治る。もう楽になる。
自分は、昔は何でも出来ると思っていた。それが、こうなった。何も出来なかった。戦いや支配者として何も出来なかった。だが、そうは言うが、作家としてここまで出来た。
頑張らない方が良い。頑張らない方が、文章が書ける。
コンピュータは、子供の方が出来るが、作家は本当に大人の方が出来る。
昔は、マルクスのような知性があった。
抽象化、独立、システム、相対性、共有など、マルクスや科学者のような知性があった。
そういう、科学的な知性がある人間だった。
昔は、自然に成長から、マルクスアドラーと同じものを作っていた。
ドライブに行く前に、ニーチェを図鑑で少し読んだ。読んだと言うよりは、少し見た。
ニーチェは、キリスト教のことを、この世界での生を、死後の来世の生と比べて、価値の無いもの、意味の無いものと見なす、そういう考え方だと言っている。
それから、脱却すべきだと言っている。
僕は、ニーチェの言う超人は、神の現実世界の姿、本当の姿のことを言いたいのではないか、と思っているところがある。神は、ニーチェが見ると、超人に見えるのだと思う。
ニーチェは、ある意味正しい。キリスト教を信じると、そういう、悪い人間になる。
物理は良い人間になる。物理は悪くない。
昔から、自分は科学と宗教を同時に信じている。科学と宗教は、矛盾しないと思っていた。
ある意味科学も正しくて、宗教も正しい。相対的な考え方の違いに過ぎないと思っていた。
キリスト教は、考え方の1つとしてある意味正しくて、優れた考え方や世界観をしている。
キリスト教は、愚かさが無くなって、救われる人間が多い。聖書は、人間の愚かさと神の愛を知るための教科書だ、と言うことが出来る。
物理は、宇宙が正しく分かるし、学問体系として優れている。知性がある。だが、幻想が失われてしまう、と言う短所がある。神として信じていたものを、信じなくさせる。それでは、人間が善行をする意味は、無くなってしまう。
引き篭もりは、物理学者になれる。自分は、昔から、そういう、引き篭もりの科学者だ。
何故か、見ていると、キリスト教に意味が無くて、物理は馬鹿だ。ヒトラーのような誰かが、皆を馬鹿にして、この世界を意味が無い世界である、と信じさせたいように見える。意味が無い世界にしている誰かが居ると、勘ぐりたくなる。そんな誰かは居ない。
僕は、学校とパソコンが嫌いだ。哲学とオープンソースが好きだ。
これで、すぐに学校が嫌いになる人間が多い。そういう人間は、社会経験をして、強く生きることで、賢くなる。中卒だと、本当にこのように自分で科学者になる人間が多い。
ファンモンが言っているような、希望の歌を書いていた。「希望」のような文章だった。
「勇気」にも見える。いきものがかりが言っているような、融通の利かない愛が世界を救う、と言った人間だった。本当に、そういう戦いをしていた。敵はテレビだった。
これを見ていると、能天気な人間に見える。現実でも、能天気な人間だ。
昔は、左翼のように、完全な自由が好きだった。完全な自由な社会を、経験的、論理的に、考えて正しいと思っていた。理想的に見ると、自由にするのが正しい。国が決めるより、それぞれが決めるべきだ。そういう風に考える、ソ連のような左翼だった。
最近は、ありえない体験をしている。神による、宇宙の歴史と生死の狭間のような経験をしていた。本当に、神と対話して、ヒトラーのように戦った。そういう賢い人間が自分だ。
今日、ドライブで分かった内容はここまでだ。
昔は、「強く生きる」と言う発想が多かった。ネットの馬鹿の中で、強く生きていた。
最近も、自分が一番強い。超能力で王をやっている。それは、勘違いしているだけだ。
神なんか起きない。神と言っているのは、ただの「言葉遣い」だ。
あとは、最近はおかしな馬鹿をいつまでも繰り返している。「もう書かない」と思うのに、まだ書いてしまう。いつまでも自分を馬鹿にして、世界を支配するのを止めない。
こういう人間が多い。こういう風におかしな人間が多い。人間は、こういう風になる。女どころか、酒をやっているオヤジが、誰でもこういう風になる。辛いのにいつまでも辛いことを繰り返す。こういう風になるのが人生だ。
これなら、自分の人生が全部分かる。自分は良い人生だ。昔分かって、今出来た。色んなことが分かってから、人一倍頑張って、人一倍色んなことが出来た。
あとは、仕事をした方が良い。仕事をして本を買えば良い。
大学は賢くない。大学の哲学なんか、初歩的で基礎的なことしか教えていない。大学は、あくまで入門であり、基礎であり、最初の一歩だ。それ以上は、自分でやる必要がある。
自分で稼いで買うなら、何も悪くない。ヒュームからウィトゲンシュタインまで、全部揃えれば良い。だが、それは止めた方が良い。哲学大図鑑で充分だ。
ただ、哲学は大学で出来る人間が多い。専門的な能力を習得しないと、読めない人間が多い。歴史は誰でも、全て資料を得れば出来る。作家には、歴史が出来る人間が多い。
あとは、ヘーゲルには、全世界が全部あると言う人間が多い。
論理学、心理学、社会学、人生経験まで、全部ある。
だが、それを言うなら、自分も負けていない。自分は、思想から歴史まで、全てのことが書いてある。自由から森羅万象までを全部言う。
そういうわけで、ヘーゲルは本当に賢い。自分は馬鹿だ。オールグラウンド、全部やる意味が無い。もっと賢く考えれば、ヘーゲルと同じものなんか、誰でも書ける。
昔の自分は、世界のコピーと言えば良いが、森羅万象全ての変化と発想を書いていた。もっと、具体的な発想や、知性のある変化の考え方が多かったのが、いつもの文章だ。
宇宙の全てと人間の歴史を全部創っていた。そういう、神のような創造者だった。マスターのように人生のことも分かっていた。そういう、「人生と世界観の定義」が多かった。
そして、あれはあれで数学だ。天使のような数学的真理を全部書いていた。
人生のようなことを思い出して、思い出すことから、世界と人生を模倣して表現していた。
自分は、もっと良く考えれば分かる。昔は、これで知性があったと思えば誰でも分かる。
時間、と思えば存在が分かる。存在は、いつでも同時に存在している。
テレビも、ネットも、いつでも同時に存在する。
それらをすれば分かるのが分かっていない。だが、本を読んだ方が良い。
本を読んでも分からなく見えて、本は、「分かる人間が読めば分かる」と言うものだから、仕方ない。分からない人間が読んでも、大して意味は無い。
ハイデガーも、時間から存在のことが分かっているのだと思う。「意識の中に存在している」とするのは、哲学的真理だが、究極すぎる問題だ。現実的には、世界に存在しているだけで、仏教ハイデガーのように、心の中に存在していることにするには、早すぎるだけだ。
それこそ、ハイデガーはそういう、超越的なことを考える。そういう超越的なことは、真理には見えるが、意味が無いところがある。もっと下界の世俗的世界から、自分の力で世界を見て見つけ出す真理の方が、重みがある。そうすると、何故かハイデガーと同じことが分かる。それも、人生的にハイデガーが分かる。ある意味、それも悪くない。
この世界をきちんと見て考えていると、それはハイデガーではなく、ブッダのように分かる。人間の何が賢明で、何が愚かなのか、世界の本質は何なのか、人々は何を考えていて、どんな理想の世界が考えられるのか、ある意味ではどういう世界にすべきで、ある意味ではそういう世界にすべきではないのか、何が何をもらたし、何に対してどのように対処すべきなのか、のようなことがきちんと人間的に分かる。
そういう風に分かってしまうと、人間のことがこれでもか、と言うぐらい分かる。
昔の自分がそういう人間だった。ブッダも、本人が何を考えているのか全く分からないが、そういう仏の真理のことを悟って言っている。
ブッダは賢いが、ハイデガーは馬鹿では無い。何故か、ハイデガーをやった方が賢い。
ブッダには、ビジョンがある。ハイデガーも、きちんと考えている。
あとは、夢や希望でも考えれば良い。人生経験や社会参加をしていると分かる。
あとは、社会のことを良く考えると分かる。「何が何を必要とするか」や、「誰が何を決定するか」や、「誰が何を出来るか」のようなことを、知性で考えれば良い。
そうすると、本当にマルクスのようになる。ルソーなどの社会契約論者のように、自然状態のようなものを考えても良い。
社会哲学者は、普通、そういう風に考える。必要とする、決定する、出来る、を考えるときちんと分かる。そして、「変化を支配する」のようなことを考えれば良い。
自分は、そろそろ賢くなった。これで社会哲学だ。それもきちんと出来て良かった。
昔は、それで「実地的な自由」を考えていた。何をどうすれば自由になるか、自由な中で何が出来るか、などを考えて、経験も踏まえて考えていた。
誰でも、こういう風に書けば分かる。何も分からなくても、書いている間に分かってしまうのが、最近の自分だ。そこを消すと馬鹿になる。そのせいで、まだ書いているだけだ。
あとは、皆の経験を考えながら、経験を想定して、そこから社会の構造を作る。
それで、自由から世界のことを決めて、決断して考える。
そういう風に多かったのが、最近の知性の無い社会哲学だ。
ハイデガーみたいに狂っている。だが、狂っているとは言うが、あれは見ているとまともだ。歩き回るのがおかしいだけで、皆あまりおかしく見えない。何も分かっていないのがおかしいのは分かる。だが、神を信じると、こういう人間になる。
昔は、数学的に、科学の方法と構造を作っていた。
これなら、昔の自分に見える。昔が本当に、そういう風に自由な行動から社会モデルを作っていた。皆の経験と、そういう決定的な行動を考えて、成り立たせる。
あれは、ネットを見てオープンソースをしていたせいで、そういう風になった。パソコンの技術とオープンソースの考え方が賢かった。ネットの経験で、会話を知って、会話から実地的に人間のことを考えた。それも、ある意味一番賢かった。
マルクスは、こういう人間だと思う。きちんと構造を作っているが、自由や発展を考えていない。自分がマルクスと違うのは、自分は自由と発展しか考えていない。経済学の知識を知らなくても、パソコンの周辺の知識を知って、自分で経済学を作ることで、マルクスと同じことが出来ている。こういう人間は居ないが、哲学者はこういう人間が多い。
あとは、経験のようなことが分かっていない。
昔は、経験から、悲しさや辛さや、その克服のようなことが分かっていた。
社会経験が人生経験になって、そのまま世界の可能性になった。
可能性を、経験的に信じていた。
経験から、この世界がもっと違う世界に出来るのを分かっていた。
そして、環境の経験と、2ちゃんねるの経験で、人生に何が起きるか、問題や危機に対してどう対処すべきか、などを全部ネットで学んでいた。
そういう風に賢かった。居ないように見えて、本当に哲学者に多い。ソクラテスも、サルトルも、誰もがこういう風に分かる。2ちゃんねるのクズは、馬鹿では無い。
あとは、世界を実地的に知り、分析する知性があった。この世界をきちんと考えて、分析する、経験と能力があった。そういう自由を、自由と言っていた。
そろそろ終わりだ。昔をもう書いたから、もう忘れて良い。
あとは、全て忘れるのが良い。ここまでの自分を、もう全部忘れてしまえば良い。
今日は、昼ごはんが美味しかった。そういうことを言った方が良い。
昔は、社会の変化を実証して、意識と変化を分かっていた。
そういう、昔のようなことは、もう言わなくて良い。政治思想や哲学も忘れて良い。
何か、普通のことを思った方が良い。
今年の冬は、あまり寒くなかった。寒いのは、農園での農作業ぐらいが寒い。だが、農作業も、農閑期だからか、あまりすることが多くない。今年の冬は、楽だった。
あとは、春の方が辛い。花粉症のシーズンになる。最近は、花粉症があまりに酷い。
そういうわけで、今から辛い。今から、花粉症が多いと思う。
誰でも、そういうことを思うだけだ。あとは、誰でもテレビを良いと思うせいで、自由な馬鹿になる。馬鹿の方が馬鹿に見えて、それは無い。普通の方が賢い。
自分は、ある意味、一番普通の思想家だ。誰にでも共通することや、当たり前のことを言う。だが、昔はきちんと哲学者のように考えていたし、昔の文章は賢かった。
それ以上はもう良いだろう。もう、そういう昔を書く必要はあまりない。
ただ、自分は「昔を書く」しか出来ないから、そこが仕方ない。
誰でも自分の体験しか考えない。昔は、実地的に、引き篭もりになって、自分の体験を考えた。社会的な体験を、ネットで全部していた。誰でもそういう風にすれば分かる。
昔から、これは簡単だ。2ちゃんねるなんかしなくても、これを参考にいくらか自分で経験すれば出来る。ヘーゲルマルクスも、そういう経験を何かしているように見える。
昔は、「自分を変える」と言う発想が多かった。自分を変えることから、世界を変える、と言う発想になった。世界に対する影響力と、システムの構築と合意の理想を分かった。
書いていないのは、そういう、人生的なことを書いていない。いつも、そういう風に人生を書いている馬鹿が多かった。
書けないように見えて、まだ書ける。それは、もう、大切なことは書いていない。あとに残った、残りカスを書いているだけだ。
あとは、父親のパソコンがウイルスにかかった。今、空いているLinuxの入ったパソコンを使っている。動いているうちにデータをバックアップして、OSを入れ直すらしい。
Linuxは、悪くは無い。VHSとベータのようなものだと思えば良い。そうすると、マイクロソフトの方がはるかに標準的だから、馬鹿なものに見える。そうすると、トヨタとホンダのようなものだと思うと、そういう、多様性をディストリビューションで実現しているように見える。それこそ、自動車には多様性がある。あとは、アメリカとソ連のようなものだと思うしかない。馬鹿なソ連の方が賢いが、その通り、馬鹿なLinuxが一番賢い。
社会の実例を見て、心理学をしていた。そういう、「実例を見る」と言う発想があった。
自分は、恐怖があるから作家が出来た。止めてしまうと、そこで終わってしまう。それが怖いだけで出来る。結果的に見ると、これで良かったのが自分だ。
この文章は、自分の人生と哲学者で、人物のことが良く分かる。それだけが賢い。
ソ連を作るのは、もう止めた方が良い。ソ連は、こういう、皆を機械にする国だ。
本当に日本の方がマシだ。皆、それを言う。日本が一番良い。
これなら、誰でも、ブッダ仏教を選ぶ。他の人間は賢く見えない。
あとは、これくらいが分かってしまうと、あとは考えなくても分かる人間が多い。
考えなくても、自由と思えば分かる。ただ、経験して、社会のことを知れば良い。それで分かる。そこを、誰でも出来るようにしたかっただけだ。
自分は、「分かる知性」が無い。分かってしまえば分かる人間が多い。
子供には、分かる知性がある人間が多い。誰でも小学校でそういう人間になる。
大人は、こういう風に馬鹿になる。馬鹿なのに、いつまでも馬鹿を繰り返す人間が多い。それが、普通、分かる知性が無くなって、頭も馬鹿になる。そういうおかしな人間が多い。
あとは、これで物理のようなことをしていると、分かる人間が多い。
ヒュームも、そういうことを言っている。精神を実証していると良く分かる。
昔から、自分はそういう実験的な世界観を言う。それくらいの人間だった。
人生を生きた方が良い。
あとは、学校が嫌いになると、脳が治る。
学校が好きなのはおかしい。母親は、教師だから、学校が好きだ。そこがおかしいだけだ。
あとは、姉もおかしい。プログラマだから、パソコンが好きなように見える。
自分は、学校とパソコンが嫌いだが、哲学が好きだ。こういう人間が多い。
引き篭もりは賢くない。こういう、何も知性の無い、分からない人間になる。
ただ、こういう人間は、仕事をしていると賢くなる。中卒で仕事をしていると、この内容が全部自力で分かる。そういうわけで、こういう人間が多い。
精神のことを実験して推論していると、良く分かる。ヒュームもそういう人間だ。
自分は、カルマが低いように見える。昔の自分が苦難を乗り越えて成長したと言うが、あれは人に迷惑をかけるだけの、無責任で自己中心的な、それでいて人間関係の苦手な、社会に適応出来ない人間だった。犯罪者には見えないが、オープンソースで悪いことばかりしている。あれは、一番馬鹿な、自由なロボット的な人間だ。
そういう、ロボット的な人間が、狂って皆を機械にして、知性的に皆を馬鹿にしている。
だが、良い点はある。作家としてきちんと頑張ったし、いつも良い人間だった。苦しいことを自分だけで乗り越えて、最後まで頑張った。地獄を良く頑張った。本当に、昔は良い人間だったし、自分の力で良く考えていた。最近は、神のような王になった。
だから、今のカルマは低いが、次は良いものに生まれ変わるか、天国に行けると思う。
ミミズにはならない。そんなに悪いことはしていない。良い言動をしないせいで、人間にはなれない。イルカやキリンぐらいになる。それくらいの馬鹿が自分だ。
これで仕事をしていると、分かる人間が多い。
自分を変える、と言う発想が普通多い。そういう風に、自分を変えれば分かる。
賢い人間は、全てのものが賢く見える。普通の人間は、普通に見える。馬鹿な人間は、馬鹿に見える。そういう人間が多い。
また、一つ分からなくなった。おそらく、神や分析のようなことを言っている。
作家は、歴史の資料を集めると出来る。それでもやれば良い。
神が言う「私」とは、自分のことを言っている。僕のことを言っている。そういうわけで、神が言う「私は黒人の右翼だ」とは、僕が黒人の右翼なのを言っている。
宇宙人とは、自分のことを言っている。
そういうわけで、そういうどうでも良い会話を永遠にしていた。覚えているようで、覚えていない。ただ、いくらかは覚えている。もう書いたから、それは書かなくて良いと思う。
昔は、環境、意識、精神で分かっていた。経験を精神的に分かっている馬鹿が多かった。
自分は、そういう、自分のことが分かっていない。覚えていない。
分からないのは、全く何も分かっていないからだ。
昔は、子供時代の経験を完全に分かり直しただけだ。それだけの人間だ。
そして、経験と精神を分かっていた。人生の精神を、全て明確に分かって分かった。
そういう、記憶と意識の人間だ。そこが分かっていない。
最近のことも分かっていない。戦っていたのは、もう、はるかに昔だ。
神なんか、まだ続くのがおかしい。さっさと神を終わりにすれば良い。
神は、いつまでもきちんと付き合う。それは悪くない。むしろ、最近は、自分はこの文章だけの人間になっている。それが悪いから、文章以外のことをすれば良い。
最近は、意味の無い人間になった。最初から考える意味が無いのが分かっている。
何もせず、過去の自分を分かり直すだけ、は、キモイ。キモイから、誰もしたくない。
昔は、経験と意識しか分かっていない。それだけになって分かっている。
ただ、色んなことは思う。キルケゴールのような絶望の意識で分かっていた。
絶望は、悪くは無いが、悪魔の感情だ。そういう悪魔になると、そのうち、キルケゴールのように、宗教的実存になる。神を信じるようになる。キルケゴールは、それを言いたかっただけだ。神を信じる人間には、賢い人間が多い。そのせいで、賢く見える。
もう終わりだ。昔の自分を本当に覚えていないのは、忘れた方が良い。要は、ヘーゲルで分からなくなった。ヘーゲルがきちんと正しく叙述しているせいで、分からなくても分かる。ヘーゲルの言っている精神の成長が、昔の自分の人生とピタリと一致する。
それこそ、まだ分からないのは、もう全部分かったからだ。これでもう全部だ。
見ても、ネットのエロ画像を見ているだけに見えるが、もっと良く思い出せば良い。
昔の心理学は、プラグマティズムだと思えば良い。心理学的に、技術優先から社会のことを分かっていた。だが、セカオワが言うように、世間は悪魔だ。世間のことを忘れて、仏教の教える内容の通り考える。昔は、それが実地的に分かった人間だった。
昔は、「出来るようにする」とか「分かるようにする」とかいう発想が多かった。
環境の視点に立って、自由にすることで考える。そういう、「自由から知る」とか、「自由な世界を成り立たせる」とかいう発想が多かった。
そして、記憶と歴史を経験から相対的に考える。
人間の持つ「考え」のようなことを、その認識として、融和的に考える。
認識の何が正しいのか、どの認識からどの認識が生まれるのかを、普遍的意識の中で考える。そこから、思考的な概念を分かる。昔は、そういう発想が多かった。
あとは、学校のようなものを変えたいとか、そういう発想が多かった。
何でも、「新しい方が良い」とか、「変わる方が良い」と考えていた。革新的だったが、社会主義の何も出来ない社会よりは、自由な社会が良いと思っていた。
昔から、左翼が好きだ。所有より、共有の方が良いと思っていた。そこから、想像力をつけた。そういうものは、全部、オープンソースによってそうなった。
左翼は悪い。世界を滅ぼしたいだけが左翼だ。まだ右翼の方が、良い人間だ。
あとは、もう分からない。いつも、思考と記憶を辿って分かっていた。人格と場を考えて、どの場所に行けばどの人格になるか、のようなことを考えた。本当におかしな人間だったが、それで人間のことが全部分かっていた。哲学は、そこから出来ていた。
自分は、世界のことを人生的に表現しないのがおかしい。「客観的事実」とか、そういうことを言わないのがおかしい。それは、学校で習わないと、分からない人間が多い。昔は、そういう哲学的なことを分かっただけだから、「良く世界を見て、感情や経験から、良く言葉にして、表現する」ことや、「明晰な言葉の構造にする」ことで、誰でも出来る。
そういうわけで、哲学は誰でも出来る。モデルと作用の構造を作って、関係を考えれば良い。「経験を言葉にする」ことが出来るなら、誰でも出来る。それが哲学だ。
あとは、アホな世界の支配が多かった。自分を神のように「登場した」と言って、「ありがとう」や「さようなら」で支配する。中島みゆきが言っているように、出会いと別れを繰り返しながら、「これきり」なことを全部言う。宇多田ヒカルも言っている。
そろそろ、昔は忘れた方が良い。あとは、人生の真理を分かっていたが、それは一度全部忘れると分かるだろうと思う。もっと、理性的に、信じたり疑ったりしないのがおかしい。自分には、「感じる」と言う発想も無い代り、「論理的に考える」と言う発想も無い。誰でも、そういう風に賢く考えるせいで、自分のようなことは出来ない。こういう、「言葉と意識で全部分かっている」のような人間が居ない。自分は全部分かっているせいでおかしい。
限界は有限だが、努力は無限である。いつまでも努力をしていると、自分の限界より、努力の方が勝ってしまう。そういう、真理のようなことを分かれば良い。
あとは、人間の経験でも考えれば、人間のことが分かる。ブッダのように考えれば良い。
哲学は誰でも出来る。2ちゃんねるでは出来ない。人生のことを、行動しながら考えれば出来る。「積極的な行動」をして、失敗を受け入れて、やりたいことを楽にやれば良い。
実感で哲学的真理と人生を分かっていた。最近は、皆をロボットにするのが悪い。
僕は、新聞はあまり読んでいないが、最近はトランプのニュースだけ読んでいる。今日も、トランプのニュースだけ読んだ。
「最近」とは、そういう言葉だから、そういう風に使った方が良い。何年も前のことを最近だと言うありえない人間が自分だ。そこが一番おかしい。
あとは、自分のことを「これ」だとか言わずに、「僕」だと言った方が良い。
何かがおかしいのは、多重人格になっている。
あとは、多重人格になりたいなら、すでにいつもなっている。いつも、チュール、トール、ロキ、フレイの4人が話す。何故か、そういう4人に見えるのが、この文章だ。
4人は、変わったり、会話したりしなくて良い。ただ、同時に存在していれば良い。
あとは、自分らしく生きる社会にするとか、そういう、知恵や理想のようなことを言う。
理想と思いやりから、どのような社会を作るべきか、のようなことを言っていた。
助け合いから、愛が生まれると言う。そういう、思いやりのようなことを言っていた。
集団と個人から、人が、「何をしたくなるか」や「集団で何をするようになるか」を子供のように考えていた。そういう風に、「子供の心理」が分かっていた。
日本人は、優しい民族だ。優しい人間が多い。外交的な人間は少ないが、礼儀正しくて、きちんと常識のある、分別のある人間が多い。
外国人には分からない。外国人は、日本を南国だとすら思っている。暑くて、黒人が住んでいるように見える人間が多い。日本にしか、日本のことは分からない。日本が好きだ。
日本語を学んでいる外国の学生は、日本語の勉強を皆、面白いと言う。漢字だけではなく、色々と、全く違うのが面白い。漢字は、覚えると賢くなる。そういうわけで、日本が賢く見える人間が、本当に多い。ドラゴンボールが面白いのを、誰でも知っている。あとは、サムライが強いとか、戦争で軍事的に強いとか、核兵器が落ちたとか、枢軸国の1つだとか、そういうところが分かる人間が多い。台湾の総統のような、ロボットの国には見える。見ていると、外国人には、日本が好きだから日本に来ている人間しか居ない。日本人より日本のことが好きだと思っているが、日本のことなんか、全く分かっていない。
あとは、外国人なんかどうでも良い。日本のことをもっと知った方が良い。
むしろ、日本史が良いとは言う。だが、殆ど武士の争いしか出て来ない。少しだけ、近代的国家のことが出て来る。つまらない。昔は、戦車などが無くて、本当に強い国だったのが日本だ。最近は、アニメほどに弱い国になっている。地に落ちたかのようだ。
日本には、本当に技術力があるのが良い。物質的にも豊かだ。賢い機械が多い。
ただ、日本だけにしておいた方が良い。他の国のことを書くと悪い。日本だけで良い。
昔は、想定して考えて、判断基準や行動の仕方などを考えていた。
そういう、頭の中でする理性があった。そして、自由な行動のようなものを考えていた。
昔は、そういう文章が一番多かった。行動と方法と、「何をいつどうすれば良いか」のようなことをきちんと考えていた。世界観や行動観を自由な方法と記憶と定義から考えていた。
あとは、外国人から見た日本なんか、要らない。日本は、馬鹿に見えない。賢く見える。
人が何故それを思うのか、何故それを考えるのかを、行動や習慣から考えていた。
黒人は、言葉遣いがおかしかった。神のように語る言葉遣いは、辛かった。
昔の自分を止める。昔を止めれば、すぐに楽になる。
自分を変える、と言う発想が無い。ただ、変わるのが怖いだけだ。
もう、多重人格になる。同時に存在するのは、もう既に出来ている。あとは、変わるより、色んなことをすれば良い。変わって会話するのは、本当にもう充分だ。