「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-02-21

=2016-02-21=

ワードからコピー

数学的な文章を書いていた。公理主義の関数のような文章だった。
対話は、ゼロとイチの対話をしている。
心理学的に全てを分かって、数学的に動的に生成するような、そういう文章を書いていた。
人格の破たんと崩壊が多かった。そういう、キモイ文章だった。
知性を全部消して、知性をつけるから、こういう風になる。
赤は良い色だ。青は賢い色だ。白は正しい色だ。黒は悪い色だ。
そういう風に、馬鹿なことを言うと分かる。もっと、馬鹿なことを考えれば良い。
あとは、決まりのようなものを作っていた。
決まりから環境やプラットフォームを作った。
信じれば分かる。もっと、この世界をこのままで良いと信じれば良い。
そんなに変えたいのは、悪だ。
あとは、この文章を書くと、辛くなる。いつも、辛い。もう、書かなくて良い。
あとは、色んな全部を言っている文章が多かった。
株式会社、法律、個人と集団、環境と決まり、歴史と自然環境など、色んな全部を言う。
色んな「全部」を全部言っていた。
そして、本質を考えたり、人生の経緯を書いたりしていた。人生を書いていた。
そして、文字、数、表現のようなものを、知性で考える。そういう文章を書いている。
人生のことが全部分かっていた。
環境と知の前提的な、プラットフォームの創造のようなことを言っていた。
あとは、論理みたいなことを全部言っている文章が多かった。
頂点と包括とか、予測と結果と体験を知るとか、そういうことを言う。
そして、意識のようなことを言う。不思議と、本当にそれくらいの文章だった。
感情や関係性のようなことを考えている、網羅と概念の文章が多かった。
あとは、地球やロシアの歴史を考えたり、政党政治地方自治を全部作ったりしていた。
人間を全員分作っていた。
抽象的な論理学のようなことを言う。それを、網羅的に全部書いていた。
歴史のような文章が多かった。全ての地球におけるものごとの歴史を書いていた。
あとは、考え方を多角的に考えて、網羅していた。
もう、そろそろ無い。本当に、それくらいの文章だった。
宇宙の真理みたいなことを言う。最後まで分かってから認識の法則を書いていた。
もっと、ネットをすれば分かる。だが、ネットは賢くない。皆、ネットのせいで馬鹿になっている。ネットはしなくて良い。もっと理性的なことをした方が良い。
あとは、仮想人格と仮想社会のようなものを、全部作っていた。
もう覚えていない。もっと、ありがとうとさようならのような、色んなことを言っていた。
自分のおかしな点は、支配が嫌いなだけなのに、支配しかしていない。
良く分からない。皆、そこがおかしいと言う。支配が嫌いだと言いたかっただけなのに、支配しかしていない。良く分からないが、自分でもそこがおかしいと思う。
あとは、本当にソ連みたいな国を作っていた。
もう分からない。もっと良く考えれば分かる。
この世界の全ての認識、正しくて客観的な全ての認識のようなものを書いていた。
そこから、森羅万象を分析する。
不思議と、考え方や発想のようなものをいくらか書いているだけだ。
あとは、誰にも分からない、本人だけが分かる、「自由」の文章が多かった。
知性が無い。本人は分かっているのに、誰にも分からない。
永遠に、この世界に語りかけて、支配する。そういう、革命のような文章だった。
あとは、ヒトラーみたいなものを考える。自由と言って、思想のようなものを考えた。
ファシズムは国を滅ぼすと言っていた。
そろそろ、もう無い。何故か、おかしな文章になった。
あとは、単純な考え方を一行で書いている馬鹿が多かった。本当に数学のようだった。
これなら、数学をすれば分かる。いつもの文章は、もう忘れて良い。
集団と個人のようなものを全部作っていた。そういう、「決まり」の分かる人間だった。
知性から、会社とものの具体的な創造や、認識の関係のようなことを言う。
それくらいの文章だ。目的と方法の考え方のようなことをいつも言っていた。
手段と理由のようなものを考えていた。モデルと知性による分析能力のある人間だった。
あとは、意志と体験から、合意による社会形成や、社会のレベルのようなことを言う。
社会がどのように発展するのか、全て分かっていた。そういう人間だった。
そして、環境や社会や協力のようなことや、考え方や言語や論理のようなことを言う。
あとは、皆がどんな人生になるのかを予測して、経緯を書いていた。
自由を言っていた。自由な相対性と自然から、信念と思想と価値観を書いていた。
分類のような理性把握や、合理的な再利用と初期投資のようなことを言う。
この世界にある考え方や信念を全部言う。そういう人間だった。
自分の昔にあった考え方や知恵のことを全部書いていた。
そろそろもう残っていない。あとは、記憶を場面から考えていた。
原因と結果を詰め込みながら、説明のモデルのようなことを言う。
一行に全てのことを書いていた。全て、一行で何でも書ける人間だった。
そろそろ終わりだ。もう、全て書いてある。
価値観から社会を作っていた。そういう、世界創造のような発想が多かった。
人生とありえない社会を全パターン作っていた。
場のような理論をいつも言っていた。
場は作られ、消え去る。そして、その中で、目線と見方が存在すると言っていた。
考え方によって、この世界の全てを説明して、システムを創造していた。
愛のようなものを書いていた。そういう発想が多かった。
思いやりのようなことを、本当に詰め込んでいた。人生と社会を創造していた。
環境における、目的のようなものを考える。どんな環境にするべきか、目的を考えていた。
そして、理由を全て書く。前提や弁証法を書く。そういう文章だった。
この世界を歴史的に考える。定住や町のようなものを、変転から考えていた。数学は、発見であり、発明であり、人類の経験であると言っていた。
地球にも歴史があると言っていた。
そして、哲学的な経験論のようなことを、本気で考えていた。
知と経験の構造を本気で考える。そういう文章だった。
百科事典のように、博物学的に考えていた。マスターのような人間だった。
そろそろ、もう無い。この文章は、忘れた方が良い。何も良い文章で無い。
本当にただのクズな文章だ。それこそ、左翼や右翼やナチやソ連の自由が多かった。
もっと、良い文章を書いた方が良い。もっと、新しく考えれば良い。
プラットフォームと人生の段階とソ連の社会論が賢かった。それだけの文章だ。
あとは、経験みたいなものを考えれば分かるのが分かっていない。
理性は、もっと、「未知のものを知る」と思えば良い。もう既に分かっているのが悪い。
この文章は、悪い。本当に見ると、大日本帝国とか、馬鹿なことを言っている。
もっと、賢い方が良い。理性と経験を、色んな場面から、目的と方法で考えれば分かる。
体験と思えば良い。むしろ、体験と言う言葉が悪い。もっと、嬉しいとか、悲しいとか、そういうことを考えれば良い。それを、ダイナミックな視点で考えれば良い。
昔の自分は、ボトムアップとか、変化の可能性とか、そういうものを信じていた。そういう、知性のあることを信じれば分かる。今の自分が見ると、変化しないことや、上からきちんと決めて考えることの方が、賢く見える。馬鹿がやっても、アメリカのような国になるだけだ。本当に一番悪い国になる。きちんと支配した方が良い。
意図、手段、経験、学習、習得、活動のようなことを考える。
理性的な考え方を全部作っていた。
国と国の関係を作って、組織、グループ論、共同体の変転から、国を全部作っていた。
経験、理性、国を全部作る。そういう人間だった。
そろそろ、もう無い。
あとは、言語のようなことを言っていた。
具体的な認識と自由のようなことを、思い出して、全て言っていた。
社会における活動と習得のようなことを全部考えていた。
人生と習慣が分かっていた。個人と集団も多かった。そういう風に、知性で考えていた。
利用と再利用、準備、前提、経緯、構造、関係、概念、考え方、体験が分かっていた。
考え方のようなものから、この世界の社会的目的や制度などを全部作っていた。
経験のようなものを、認知的な数学論から考えていた。
マルクスフロイトのような理論を作っていた。
あとは、手段や機会を考えて、人生と社会を全部作っていた。
知と思考の機会が分かった。
地域のようなことは、実地的に分かっていた。民主党のようだった。
もう終わりだ。本当に、今日は良い日だ。もう、感情でいつもの文章が分かった。
もう、いつもの文章はもう良い。
自然な可能性を全部作っていた。ただ、本当にいつもの文章は、そろそろもう良い。
構造的に考えるなら、もっと新しく考えれば良い。
未知のことを全部考えるのが多かった。そういう人間だった。
地球や宇宙における、不可知な要素を、カントのように条件と矛盾から考えていた。
場の変化、全ての方法、可能性のようなことを考えていた。
もう分からない。あとは、本当に宇宙の全てのようなものを創っていた。
そろそろもう、無い。もう、いつもの文章はもう良い。
最近、つまらない。猫が居なくなって寂しく思う。本当に、つまらない。
だが、今日は楽しいから、それで良い。この文章を書いていると、いつも楽しい。
辛いから、止めた方が良い。そろそろ止めるのが良い。
最近、馬鹿になったせいで、いつもの文章を思い出しても意味が無いのが分かっていない。
いつもの文章を分かりたいのは、もう止めた方が良い。
もっと、新しい体験をすれば良い。何故か、体験する勇気が無い。体験が怖いだけだ。
ソ連大日本帝国のような、悪いだけの思想を言っている馬鹿が多かった。
真面目にそういうものを、成り立ちから考えていた。思想的には、悪いと言っていた。
そして、自由なシステムや選択肢や合意のようなことを言う。
政治のようなものを全部考えていた。主題にあったのは、政治、人生、理性、経験だった。
いつもの文章は、本当に全て分かっていた。もう、終わりにしたい。
あとは、2ちゃんねるのような社会を知って、人の意見を聞いて、成長して、経験して、オープンソースと出会って、考えて、悟るまでの、人生を書いていた。
特に、人々の言う意見や社会のことを聞いて分かる、大人の人生論を書いていた。
それくらいの人間だった。それを、状態的に、段階と経緯から書いていた。
あとは、この社会のことを言っている。インフラは税金で公務員が作っているとか、オープンソースは日本的なところがあるとか、そういうことを言う。
本当に、それくらいの文章だった。今日は、もう最後まで分かった。
あとは、もっと普通のことを考えれば良い。
電車とか、役所とか、そういう普通のことを言っていた文章が多かった。
あとは、考え方、知性、方法、推論、説明のような、理性的なことを言っていた。
経験は、人生的に考えていた。
社会は、定義によって、この社会を定義から作っていた。
そろそろもうない。カテゴリーとか、変換とか、コンパイルとか、そういうことを言う。
知性のような文章を全部作っている、説明のような文章が多かった。
相対的な出来事や実体のようなことを、個別性と普遍性から、哲学者のように考えていた。
そろそろ終わりだ。
あとは、知識のようなことをいかに理解していくか、のような文章が多かった。
モデルと実際から、その理解がどのように生まれ、それがどんな環境の中で、どんな全体像の中で、どんな立ち位置をするか、のようなことを書いていた。
社会がどのように変わって行って、知も同じように変わって行くのか。その経緯を書いていた。そういう、モデルによる変化の把握のような考え方だった。
そして、知、理解、感情が頭の中でどんな部位に存在し、把握されるのかを考える。
理解と発想のようなことを、根源的に良く考えていた。
その理解が、本当はどんな理解であるのか、知の属性や前提条件や経緯から考えていた。
何でも正しい理由と正しい認識を言う。そういう人間だった。
あとは、自由のように考える。
自由な経験の中で、その理解が本当は何なのか、歴史的に考えていた。
可能性とは、理解の本当の姿のことを言っていた。
自由から社会のことを作っていた。ネットやオープンソースのような社会を想定していた。
何でも、組織と考え方から社会のことを作る。グループのように考えていた。
そして、経験を考えていた。
その経験が、本当はどんな経験で、どんな潜在的な可能性があるのかを良く考えていた。
あとは、そろそろもうない。相対的なモデルから、考え方を知性で分かっていた。
心の深層を、学習から考えていた。心の底にある、キモイものを消した方が良い。それがキモイだけで、この文章全体がキモく見える。
あとは、学習による、認識と心の現象学のような文章が多かった。認識を考えていた。
全体像から、社会のことやシステムのことを考えていた。
未熟な考え方のプロセスのようなものを書いていた。全体を知って、個別の立ち位置を知るような、そういう経験論や現象学のような理解を全部プロセスにしていた。
モデルから変化の可能性が分かると言っていた。
そして、それぞれの人間の人格論や環境論のようなものを書いていた。
社会のことは、簡単にモデルにしていた。国家主義から社会主義まで、全部考えていた。自分の経験だけで、そういうことを簡単に説明し、解説していた。
あとは、理性的な方法論や、演繹的な考え方を分かる。そういう、ヘーゲル的なデカルトのような文章だった。ヘーゲルデカルトより、カントの方が近いだろう。
もう終わった。そろそろ、荷物を全て降ろした。もう楽だ。
昔は、可能性や方法を積み重ねて分かっていた。
自分の分かったことは他にも分かるとか、そういう、知恵のようなことを言っていた。
昔から、応用的なものを全部自分で作る。
そのせいで、オープンソースのシステムが分かった。
そろそろ、もう無いはずだ。あとは、考え方ぐらいを書いていない。網羅的に概念を構造で説明しただけだ。ただ、説明しただけの文章だった。
オープンソースのようなものから、日本の価値観を分かる。それで、ドイツやロシアなども良く分かっていた。そういう、オープンソースと世界史のような文章だった。
あとは、社会の可能性のようなものを、全面的に考える。
アリストテレスの言う、可能態と現実態のような文章だった。
ただ、アリストテレスの哲学については、良く分かっていない。
本当に、こういう文章だった。理性的に全体像を考えるだけの構造を作っていた。
本当にこんな馬鹿な文章だった。ただの馬鹿だ。これなら、賢く見えるから、ありえない。
まだ、書いていた方が良い。辛いのは残念だが、今日もきちんと賢い内容を書いている。
あとは、スピノザのような文章を書いていた。数学性、世界観、受動感情などの考え方が、スピノザと本当に良く似ている。ウィトゲンシュタインのようでもあった。
もう分からないと思う。そろそろ、きちんと分かった。
何故か、数学の全ての数から、全ての数式のような、全部の数学を作っていた。
全部見て、これで数学だ。正しい考え方で推論するところが、本当に数学的だった。
数学的な分析のような、関数のような文章だった。
全てを融和するような文章を書いていた。それをもう止めて、分裂させるのが良い。
融和していると、分かるから、こういう風になる。
全部融和して分かっているのが、まだ続いている。そこが一番ありえない。
何故か、こんなに大量に分かる意味が無い。これは、本当に多い。
本当に、それだけで分かるような、全ての構造、全てのシステムを書いていた。
自由な価値観や影響力のようなものを、記憶と本質から分析していた。
自由とは、分析し、考え方を知り、体験することだと言う。
そういう風に、理性の構造の全体像を作る。本当に、それだけの文章だった。
あとは、永遠に昔に遡るだけの文章を書いていた。
そろそろ、虫が生まれた前に戻る。そうすると、きちんと人間になれる。人間になりたい。
あとは、生物学と政治経済のようなことを言う。
生き物は、成長し、増え、循環する。
政治経済は、自由と平等に分かれて、所有、生産、労働を自由にするか、平等にする。
そして、政党のようなことを、議論から考えていた。
いつも、そういう、ソ連Mozillaのような文章を書いていた。
もうそろそろ無い。それくらいを、最後まで書いて、死んだのが自分だ。
数学的には、虚数や次元や比のようなことを考えていた。
本質的な理解の構造が分かる、そういう人間だった。それで、もう終わりだ。
遺伝子から細胞が決まるとか、そういうことを言う。
あとは、昔の自由な構造が分かっていない。昔は、関係、意志、システムから、この宇宙を想像力と自由で分かっていた。習得や体験を考えていた。応用や具体性が多かった。
そういう、自由な構造をいつも書いていた。可能性など、細部まできちんと考えていた。
そこから、国や社会の構造を自由に作っていた。そういう人間だった。
自由な構造をいつも書いていた。上から下まで、宇宙のような構造を作った。
そして、アインシュタインのような文章を書く。
いつも、独自の相対性理論のような文章を書いていた。そういう馬鹿な物理学だった。
最近、物理をやっている人間に、こういう人間が多い。物理をやっていると、こういう風になる。最近一番多い。テレビを見ていると、どんどんこういう、のっぺりした人間になっている。だが、自分はそうでもない。自分だけ、堀が深い、普通の人間だった。
最近こういうキモイ人間が多い。知性がついているように見えて、知性が無くなっている。どんどんそういう悲惨な、知性の無い知性ある人間になっている。一番悲惨だ。
そういう馬鹿は、こういう風になる。神が訪れるまで、待っているしかないが、そこまで分かると、神のような体験もきちんと訪れる。そういう人間が本当に多い。
それぞれに運命がある。自分の運命は、戦う作家だ。本当に、こうなる人間が多い。日本の右翼に多いのが、こういう、文章を書いている馬鹿だ。書いていると、こうなる。マルクスを全部作って、否定する人間が多い。こういう風にしかならないのが、作家だ。
そういうわけで、作家には悪い人間が多い。作家になんか、ならない方が良い。オープンソースには、慈愛のある良い人間が多いのだと思う。そういうありえない人間が賢いだけだ。自分は、そんなにありえなくはない。普通の人間だ。皆、普通の良い人間に見える。
悪魔はキモイ。この文章は、人間を通り越して、天使すら終わって、悪魔になっている。そういう、神と悪魔のような人間が自分だ。どちらが悪魔なのかは分からないが、悪魔は結構良い人間だ。何故か、神はただのヒトラーだ。そういう発想が二元論のこの宗教だ。
あとは、集合と論理のような、馬鹿なことを言う。本当に馬鹿な文章だった。
今書いた、記憶と本質の分析のように、言葉を構造にして言うだけの文章が多かった。
あとは、もう無い。そろそろ、覚えていない。
自由な構造は、本当にいつも作っていたせいで、分かる意味が無い。それくらいが無くなったようには見える。本当に、普通の良い人間だったのが、自分だ。
この文章は、ただ掘り進めて、遡るだけだ。それだけの文章だ。
あとは、自由な構造を作っていた。本当に構造を作っている。上から下まで、細部から全体まで、全部作っていた。システムから愛まで全部作っていた。
恐怖を愛にすると分かる。愛になりたいだけで、こういう風に狂う。愛にはならなくて良い。ただ、愛していれば良い。愛すると、分かる人間が多い。
もう分からない。知性のツノを作って分かっているのが、本当に怖い悪魔に見える。
経験が愛になって、社会がシステムになった。昔から、そういう構造を作っている。
そこから、発想出来る、賢い人間だった。人生の発想のようなものを全部書いていた。
自由な構造とは言うが、実地的に決まりを作っていただけだ。
あとは、最近のものはおかしい。最近は本当に、僕になりたいだけの人間が多い。
それを言うと、キモイ。こんな僕になりたいのは、ありえない。
そういうわけで、皆を自分にするのは悪いから、こうなる。
もう、いつもの文章は分からない。いつもの文章を分かって、いつもの文章を言うのは、もう良い。そろそろ、きちんと失敗して、分かるようになる。
知性と決まりの構造を作っていただけだ。何故か、人生のことを全て構造で分かった。
もっと行動して、失敗した方が良い。失敗するようになると、もう分からなくなる。
こういう、失敗しない人間は、賢い人間に多い。こういう風に分かると分かる。
「部品」や「商品」のような、想像力のある言葉を作れば分かる。
要は、想像力が無い。感情で分からないのがおかしい。
殺さずに、感じれば良い。
最近のものはおかしい。そういうものだと思えば分かる。
人間にならないのがおかしい。人間にならないから、おかしなものになっている。
脳を作らないのがおかしい。
昔の関数で、もう全て分かっている。数式のように分かっているから、こういう風になる。
あとは、おかしな変態は要らない。
コブラみたいなヘビが見える。ヘビがヘビを追いかけている。かみつく。そういうものが怖い。あとは、宇宙人みたいな女が見える。そういうものが怖い。
ロボット、戦士、虫、など、おかしなものが沢山見える。
あとは、夜明けになる。もう、長い夜が明ける。そういう、想像力が全部怖い。
自分は、フィルターみたいなものを変えれば良いのが分かっていない。
昔の仮想現実のような想像力で、もう全て分かっている。愛が怖いなら、怖い。
経緯(いきさつ)みたいなものを考えないのがおかしい。
仏の慈悲のような愛が怖い。良く分からないが、慈愛の感情が怖い。
自分だけを浄化すれば良い。皆のことは忘れて良い。
認識が認識になるところを良く考えれば分かる。
あとは、信念のようなものが多かった。本当に自由を信じるとか、そういうことを言っていた。だが、自由は今考えると、あまり良くない信念だ。
もっと良い、仏の慈悲のような信念を信じた方が良い。
統一すると、国が良くなる。
自由にすると、ものは増えることがあるが、減ることが無い。
平等にすると、減らすことも出来る。
人民の公社にして、会社を皆で作れば、良い国になる。
そういう、馬鹿なことを言っていた。
努力に応じて支払われるのは良いが、同じ努力なのに違うものとして扱われるのは悪い。
そういうところがおかしいのが、自由だ。
自由は悪い。皆で、平等にした方が良い。
あとは、こういうセックスは悪い。セックスで皆をいじめているだけだ。
オープンソースが悪い。
そろそろ分かったから、悪くなった。昔から、こういう風になるのが自分だ。
もっと賢くなりたいなら、悪くなれば良い。
社会主義者は悪くは無いが、怖い。こういう人間に見える。
そろそろ終わったから、最初に戻る。
オープンソースは、こういう、最初に戻る思想だ。
社会主義はクズだ。皆で殺すしかない。社会主義が、皆を辛くしている。
だが、それもおかしい。おかしいだけが、アメリカ人だ。皆、馬鹿すぎる。
おかしく種に戻って、そこから最初から生まれる。種に戻るしかない。
自由とは言うが、平等な自由だった。本当にそれぞれのことを考えて、議論や意見のモデルを作って、会社を作るなどの自由を考えていた。
そういうわけで、自分は何故かアメリカに見える。社会主義反共主義の自由は、こういう風に、アメリカと同じだ。何故か、アメリカがクズにしか見えない。
ソ連は悲惨に見える。ソ連が自由なわけがない。
無法地帯を自由と言いたいように見える。ソ連は、自由の無い、殺されるだけの国だ。
日本には、中国の国旗が無いのがありえない人間が多い。中国に見える。
あまり意味が無いが、もう書かなくて良い。この文章は、最初に戻るだけの、馬鹿だ。
数学は、作ると、色んなことが出来るようになる。もっと数学を分かった方が良い。良く思い出すと、もうきちんと分かっているのが分かる。もっと良く思い出せば良い。
数学は、色々と、英語的な側面がある。ドイツ人が作っているから、おかしくは無い。
色んな数字になると、色んなことが良く分かる。もっと大きな数になれば良い。
88になると、文句なしに良い。
77になると、賢い。
72になると、楽しい。
68になると、キモイ。
99になると、辛い。
そういう、何か、辛いとか、キモイとか、そういう先入観を無くした方が良い。
99になると、おかしい。
91になると、死ぬ。
良く分からない。もっと面白い数字は無いか?
94になると、滅びる。
もっと良い数字の方が良い。
15になると、賢くなる。
33になると、涅槃に至る。
85になると、正しい。
もっと、良い発想をした方が良い。それこそ、時計には見えない。
時計が嫌いだ。時計に適応するせいで、おかしくなっている。
時計は、この文章が分かる、ありえない道具だ。時計を壊した方が良い。
ああ、いやだ。もう、こんな文章は、書きたくない。ああ、いやだ。
もっと、100より大きな数字を作れば良い。
162は、皆を分からせる。
186は、皆を怖くさせる。
192は、もっと良い世界を築く。
155は、ナチになって滅びる。
153は、運命的な慈悲に巡り会う。
196は、正しい道を辿る。
良く分からない。もっと、そういう、ありえない数字を作ればそれで良い。
199は、平和な世界になる。
195は、正しいものを作る。
177は、愛と不安の葛藤に苛まれる。
144は、全てのことに満足して、死ぬ。
129は、愛と平和から、理想の社会への道筋が分かる。
そろそろもう良い。もっと色んな数字を作っても良い。
自分は、何故か、ダンゴムシになっている。
キモイから、殺した方が良い。そうすると楽になる。
223は、この世界を超えて、新しい世界になる。
261は、辛いだけの現実を乗り越えて、正しい世界を作る。
281は、愛されることよりも、愛することを選ぶ。
299は、滅びより、自由の方が、全てに勝ることを知る。
212は、死より、創造の方が良いことを知る。
288は、この世界の真理を知って、全てのことを悟る。
そういう風に書いていると、何故か元気が出て来た。
いつも、そういうものが分かっていない。
344は、不思議なものよりも、理性のあるものの方が良いことを知る。
399は、平和と滅びを天秤にかけて、どちらがどちらに勝ることも無いのを知る。
366は、全てのキモイものを合わせると、良いものになるのが分かる。
371は、本当の滅びよりも、慈悲と慈愛の方が、怖いと言うことを知る。
488は、全てを殺す。
433は、愛を滅ぼす。
425は、自由を殺す。
419は、滅びたせいで、全てのものが怖くなる。
499は、この世の終わりだ。
518は、再生と生き延びることによって、新しい復興を遂げる。
528は、本当のこの世界を、最後まで見つめて、見つめ直す。
547は、この世界のことを、誰よりも深く分かる。
何故か、本当に元気になった。そういう、数字が分かっていないのが、最近の自分だ。
時計の数字はキモイ。本当に辛いだけのロボットになっている。もっと上の数が欲しい。
615は、本当の全てを知った境地になる。
625は、全てのことを教え、悟り、手助けから菩薩になる。
655は、全てのことを、もっと高い高みへと引き上げる。
677は、全部のことを受け入れて、本当に愛することで、想像力を活性化する。
688は、本当の愛のある人間を知る。
675は、全部の死から、生命を構築する。
666は、全ての狂いから、精神の果実を知る。
699は、愛から自由を作り、平和から共同体を作る。
633は、自由のようで、愛のようで、良く分からない、おかしな自己を教え、与える。
数字は、自分の今までの人生の全てを物語っている。
ただ、ここまで分かってしまうと、あとは少ない。
777は、ラッキーセブンであり、全ての幸運を手にする。
755は、人生の全てから、愛のある否定を知る。
799は、運命的に恋人に巡り会う。
724は、何故か、何も無いだけの、虚無を知ることになる。
725は、キリストになる。
758は、自分になる。
792は、平和を知って、この世界の根源的な感情と同一になる。
744は、仏の安らぎを知る。
7はあまり良い数字ではない。何故か、幸運とキリストの奇跡のような数字だ。
834は、運命の全てを死に変える。
855は、自分のように世界を殺す。
896は、おかしい、本当におかしいだけの世界を知る。
844は、想像力によって、死に絶える。
何故か、8も悪い数字だ。想像力と死をもたらす。あまり良い数字ではない。
あとは、9だ。
955は、運命的に地球が滅びる。
944は、この世界を復活出来なくさせる。
966は、自由を知って、世界をもう二度と復活出来なくさせる。
9は、この世界を危機へと繋げる、危機的な数字である。
そろそろ終わった。あとは、もっと3から6までの数字になると、良くなる。
あまり数字に意味が無いが、自分は昔から数字が好きだ。
数学的なことを分かった方が良い。数学が何一つ分かっていない。
そろそろ死んだ。本当に怖くなると、死ぬのが人間だ。
それで治る。何故か、日本が死んだ。
何も怖くないのが分かっていない。この話が止んだ。
辛い時、何もしないでいると、楽になる。
自分を自分にすれば良い。もっと、しっかりと掴めば良い。
言うべき時に言うのが悪い。
全部、自分がしているだけだ。
自分は、多重人格が悪い。多重人格は何も賢くないから、止めた方が良い。
永遠と、生死の狭間のような体験が多かった。
本当に宇宙の永遠を体験していた。永遠を宣言した。
宣言する。多重人格は止める。
自分を1人であると思えば良い。狂っているのが治って、まともな知性がつく。
歩き回っているのも、怖いのも、治る。
あとは、数字になれば治る。124になって、155になれば良い。そうすると、楽になる。
それらは、何もしないでいる自由と、世界との協調の数字だ。
多重人格のせいで、自分が無くなっている。自分のことを、「僕」と言えば良い。自分のことを「これ」と言うのがおかしい。全部、多重人格が悪い。セックスになってしまうのも、体が疲れるのも、頭が動き回るのも、全部、多重人格のせいだ。ロキなんか要らない。
多重人格は、人格を1つにすれば治る。それで、神との対話が終わる。
多重人格が治ると、すぐにきちんと出来るようになって、ニキビも治る。
昔は、自分が出来るようになって分かっていた。そういう昔のことが、もうすぐに分かる。
多重人格が治って、もう全部治った。もう楽だ。
人間関係をチャンスだと思いなさい。社会の構築も同じだ。皆に教え、導き、協力し、手助けが出来る。手助けすることは、損では無く、両者得をすると考えなさい。
もう楽だ。本当に、完全に楽になった。心の気分が良い。
おかしなセックスはしたくない。想像力がすぐに死ぬのは、昔の人格を殺したいからだ。そういうわけで、人格を殺した方が良い。そうすると、1人の新しい人格になる。
この人格は、過去とはしがらみのない、新しい人格だ。過去のことは忘れた方が良い。
多重人格が治ると、過去のこともすぐに分かる。きちんと思い出せるようになる。
2人に分けて、分かるわけがない。過去の自分がそんなに好きなのは、おかしい。
あとは、環境を全部作っている馬鹿が多かった。
人格は、昔の自分もおかしいから、昔には戻らなくて良い。その前の中学生に戻れば良い。中学生は、まともで、知性もあった。だが、あれもあれでネットゲームがおかしい。
あれは、廃人のゲームオタクの中学生だ。昔から、そういうところがキモイ。
このまま、新しい人格を統合された上で作る。ここまでの人格を統合して、全部変える。
あとは、薬で治る。精神科の薬は、辛いとは言うが、きちんと治っている。
ただ、多重人格は、治るわけがないところがある。
受け入れると治るから、受け入れた方が良い。多重人格は、受け入れると治る。
数学のグラフは、1つに対して1つの点を取るから、二次元になる。これをもっと高次元に出来るかもしれない。もう1つ軸をつけるとか、あるいは、沢山の点を取れば良い。
イギリスの産業革命は、アメリカの後に、日本と中国になった。
中国は、新しい産業革命であると言える。
心理学は、色々と、おかしい自分が分かる。特に、アドラーはその1つだ。
だが、見ていると、心理学は2ちゃんねるだ。あまりしない方が良い。
多重人格は、愛してくれる人を作りたいから、なる。親に愛されないと、多重人格になる。多重人格は、何も愛していない。全く相手が愛していないのが分かると、治る。
今日ももう終わりだ。あとは、これ以上書かなくて良い。
多重人格の対話は、そのうち治る。サンダースが勝つとか、どうでも良いことを言う。それこそ、それは、自分が言いたいだけだから、止めなくて良い。もっと自分が言えば良い。
知性から意識を高めていた。皆を賢くしていた。
社会制度や決まりを経験から考えていた。社会や人生の変転と可能性を考えていた。
構造を作っていた。こういう、世界観の構造を信じて、想定して、個別の文章を、数学的な命題のように書いていた。政治から活動まで、世界の構造を作っていた。
宇宙人と対話していた。自分を治したかった。
あとは、相互作用のような考え方をいつも書いていた。
環境を人間が変えながら、環境が人間を支配する。
知を還元的に作りながら、知を使ってものを作る。
場を集合知的に、集積的なプラットフォームとして、ネットで共有する。
部品は、作って使う。もの作りは、それ自体、目的と手段である。
そういう、ものごとの道理を洞察するような、考え方のようなことをいつも書いていた。
経験は、全員分の経験があった。
理性は、考え方や本質のようなことを、言葉で、総称的に考えていた。
理性と経験が、デカルトのレーニンのようにあった。
経験は、ネットの経験が多いだけではなく、全員のこの世界での経験を、思考や感情を辿って考えていた。記憶や学習や意識のことも考えて、理性も分かっていた。
あとは、抽象的な予測と、体験的な可能性の内容が多かった。
今日は、もう寝る時間だ。もう、終わりにする。