「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-02-19

=2016-02-19=

ワードからコピー

根源的で躍動的な世界観のようなことを言っていた。
世界は人間が作り出しているとか、存在は可能性の発揮であるとか、そういうことを言う。
脳は、精神を統合し、変えていると言って、精神と肉体の二元論を発展させて、体全体に精神があり、脳はその統合である、としていた。
それぞれの世界観と体験のようなものを考えていた。
合意、同意、意見、議論などから、世界を変えられると言ったり、政党や共同体を作ったりしていた。国家の構造をEUやソ連のように作っていた。
自分が中学生に見えるのは、中学生の知性が一番高かったからだ。最近は、中学生に戻って、もっと知性を高めている。幼稚園児みたいに見えて、小学生ぐらいに見えるのは、死んでからそれくらいが経ったからだ。足の怪我の事故をしてからそれくらいが経った。
知性で考えれば良い。生きるために必要なことをするとか、何かになるとか、自然に出来るようになるとか、そういう、知性のある考え方をいつもしていた。
人間を、行動、把握、関係、知性から考える。色んなことを知性で捉えていた。
国会を作るとか、動物や植物は子を残すところが自由だとか、そういうことを言う。
もっと、知性で考えれば良い。そうすると、準備と把握のようなことから、全ての必要性や対処策のようなことが分かる。そして、段階的な対処策を考えていた。
そういうわけで、知性のようなことを全部言っていた。そういう文章だった。
何かは、何かになる。そこでは、「なるしかない」と「ならなければならない」から、「必然的にそれになる」を考えられる。そこでは、そのための全ての方法と手段がある。
それは、なれるだけではなく、しやすくすることによって、全員を高めることが出来る。
そして、弁証法のように考えていた。正と反から合になるのを、永遠に考えていた。
必然的になるかもしれないことから、「他の可能性になること」を考えられる。もっと、別のものにも出来る可能性がある。そして、その可能性を拡大し、色んな人間がそれに対して色んな可能性を提示し、参加し、合意し、自由を拡大することが考えられる。
そのために、方法を与え、独立可能にし、意志と選択肢の自由を与える。いつも、そういう文章を書いていた。EUのような共同体の連邦にするのが理想だと言っていた。
自由から論理学的に社会は変転を辿る。そういう自由な社会の変転をいつも書いていた。
もっと知性で考えれば分かる。ものは再利用可能だとか、もっと社会は別の社会に出来るとか、それぞれが社会を生み出すべきだとか、そういうことをいつも言っていた。
知性を良く考えると、昔が出来る。論理学や言語や発想法を作ったり、仮定と条件から科学を作ったり、自由を積み重ねたり、数学的な知性を作ったりしていた。
自然な可能性とは、インターネットのことを言っていた。誰もが自由に参加し、情報を発信出来ることで、差別の無い自由な世界になると思っていた。そういう自由だった。
自然な可能性から、経済や政治のことを考えていた。会社は自由に作れるとか、店を作りやすくするとか、国を独立しやすくするとか、そういうことを言う。国家の構造を作りながら、自由を拡大し、全体を統合しながら、細部を自由にする。そういう文章だった。
あとは、場の可能性のようなことを言っていた。町は、皆の手によって変えられると言っていた。町のデザインを公募で選んで、それぞれの町をそれぞれが作ると言っていた。
税金でしか出来ないこともある。オープンソースのように、ボランティアで出来るかもしれない。そういう、左翼的な労働の手段と方法などをいつも考えていた。自宅で労働し、設計図を共有し、オープンソースのように働く。そういう発想を考えていた。
あとは、教育も考えていた。環境を変えられるとしながら、思いやりの心を持って、相手を自分のことのように愛する。そして、共同体的な自治区のようにすべきだと言う。
それくらいの文章だった。あとは、組織をどのように作るのか、のようなことを言う。
イモムシには見えるが、これなら賢く見える。本当にオープンソースみたいに見える。
三段論法のような賢さが多かった。モデルから説明する、真理のような文章だった。
考え方の網羅のような文章を書く。
政治は、自由に与えるか、平等に与えるかだ。
生命は、自由な子を残すことだ。
もっと、色んな考え方と構造を書いていた。物理や思いやりのような内容が多かった。
体験のようなことを、相対的に考える。マスターのような相対主義者だった。
相対性の真理のようなことが分かっていた。
人間は、エネルギー受容体に過ぎない。エネルギーは、宇宙の魂である。そういうことを、神との対話のように、昔ネットと精神分析の経験で分かっていた。
良く考えること。何事も、きちんと正しい心構えと姿勢を持って、理性批判のように、きちんと良く考えれば分かる。自分の限界を見極めて、カントのように考えれば良い。
誰でも、同じ条件と環境を与えられれば、同じになると考えていた。
そういうわけで、これなら誰でも臆病者になる。それこそ、恐怖を克服すると、こうなる。戦うようになる。そういうわけで、こういう馬鹿がどこにでも多い。
次元を変えて分かると、良く分かる。AでもBでもなく、別の次元にあるCが正しい。そういう風に、思考の次元を変える、と言う発想が多かった。それで、三段論法のように考えて、正しい考え方を、カントのように、自分の思考と経験から分かっていた。
あとは、独立や共有のような、自由な社会形成のようなことを言う。
最近、意志が無い人間になっている。意志の無い人間はおかしい。自分の意志をきちんと持って、主体的に考えれば良い。昔は、ネットの経験から、主体的に考えられる、判断基準のようなものを知った。経験から主体性を知って、自立し、成長した。
昔は、そういう人間だった。ネットの経験から、この世界に今いる自分の存在理由みたいなものを分かっていた。そういう、ネットで賢くなった、大人の人間だった。
生命は、自然淘汰されて、本当に強いものが生き残る。そういうことを言っていた。
あとは、愛と思いやりから、自由で平等な社会が生まれるのを、全面的に言っていた。
そろそろ、もう無い。むしろ、ソ連はそこが悪い。全員生き延びるようにすると、賢くない世界になる。賢い世界では、馬鹿は死んで行く。その方が賢い。
ただ、それはそうでもない。平等の方が良い。自由は動物的だ。平等は、人間的な理性だ。
ソクラテスも、人間には平等な理性があると言っているし、キリストも、神の前では全てが平等であると言っている。平等は理想であり、平等で全員が高まることで賢くなる。
平等は、一体化だ。一体化された平等の中で、全員を高める。そういう国がソ連だ。
それこそ、平等は世界政府を作る。デカルトも、良識は平等に配分されていると言う。
だが、マルクスが間違っている。平等のためならば、自由を制限しても良い、と言う発想がおかしい。平等が自由だ。平等にしながら、同時に、自由にもするべきだ。そこが間違っているのがソ連だ。それこそ、イギリス人の帝国の自由は要らないが、個人や会社の自由すら無くすのはおかしい。共産主義者は、不自由を理想と言うから、怖い。
不思議と、共産主義者が嫌いな人間は本当に多い。子供をさらったりするように見える。ソフィーの世界でも、悪い人間は共産主義者と言う。そういうものはアメリカに多い。
足が治った。足は、不可逆的な部分を元に戻せば治る。
体験とは、意識の自在化であり、経験とは、意識を信じることであり、思考とは、意識の可能性を知ることであり、自由とは、意識を疑うことである。
そういう風に、色んな定義のような文章を書いていた。
経験とは可能性の発揮であると言っていたのは、そういう、定義のように、「それは何であるか」を考えながら、この宇宙の世界観を作っていた。
感覚とは、自由とは、相対性とは、自然とは、のような文章が多かった。
そろそろ、自分が治った。あとは、この世界をもっと良い世界にすれば良い。
自分はもう楽だ。おかしな病気が治った。不思議と、治ると死ぬ人間が多い。誰でも、こういう風に、治って死ぬ。昔の自分もそういう人間だった。
哲学は、知の発展と成長を考える学問だ。昔は、知っていることと知らないことを比較して、知と成長を厳密に捉えて、多角的に考えることで分かっていた。全てが未知である、とは、そういうことを言っていた。知ること、学習すること、生きること、成長することの中で、哲学的な知と経験の発展を考えた。思い込みや現象論も多かった。
あとは、仏教のように考えると、真理が分かる。思考していると、仏教と同じになる。
現象論と言うよりは、精神や意志の伝達を経験であり、現象であると考えていた。
人間と人間がどのように関わり合って社会を形成しているのか、のようなことを、世俗を十分経験して、その後に、真理へと目覚めて、考えていた。
そういう風に、目覚めのような体験をしていた。世俗の経験から哲学的な真理へと目覚めるような人間だった。そういう、宗教のような体験が多かった。馬鹿になっている。
昔は、そういう体験をいくらでもしていた。いくらでも楽しい体験をして、場を経験して、宗教的で哲学的な真理へと目覚めた。そういう人間だった。
ただ、哲学はどうでも良い。いくらでも努力して、宇宙の真理へと至った。そういう人間だったのが昔だ。何故か、覚えていないし、思い出せない。思い出さない方が良い。本当に見ると、ただの馬鹿な人間だから、思い出せない。こういう風に考えた方が分かる。
あとは、視点と場が多かった。生活の意識から、皆の生きているこの世界の、それぞれの生活や環境が分かっていた。場は、そういう風に分かっていた。
そういう、視点のような場を考えることが本当に多かった。それぞれの機会を捉えて、チャンスだと思っていた。自分は、人々に対して、何でも手助け出来るし、導いて分からせることが出来る。同時に、人々の今の生活のようなものを実地的に分かっていた。
社会制度を全員で変えるとか、哲学的な観念とか、そういうことを経験から分かっていた。共有のような体験や、自然な可能性から、色んなことを経験的に分かっていた。
昔は、自由な経験を信じていた。自分の中にある観念は経験的なものだと思っていたし、何でも自由に経験するべきだと思っていた。
それは間違っていないが、正しくは無い。色んなことを自由にやっていると、狂うようで、まともになるし、経験から色んなことを考えられる。
だが、自由は悪い。社会全体を悪くしているだけだ。滅びても良いのはおかしい。
だが、自由は賢いところもある。自由な可能性を肯定的に考えて、何かが滅びることも出来る代り、栄えることも出来ると考える。悪い社会にも出来る代り、良い社会にも出来る。
そういう風に、自然な可能性から自由を考えていた。勝者が居ることは、悪いことではない。人道支援のために寄付する人間も居る。強制するのは良くない。強制するなら、国の制度の枠組みとしてやれば良い。それはそれで、国家による自由だが、それは、もっと会社のような民営化された中で行うべきだ。国家の関与は良くない。そういう風に考えていた。今考えると、自由を善とは言うが、悪の側面の方が強い。何も出来ない方が、平和で、安心出来る社会になる。誰もが賢いことを前提にするのは良いが、どこにも馬鹿しか居ない。自由で良い社会にも出来る、悪い社会になり得る代り、良い社会にもなり得る、と言っても、そんな良い社会を誰もが作れるわけではない。自分が出来るから、他も出来ると思うのはおかしい。自由には悪の側面の方が強い。国家的に実現した方が楽だ。
自由は悪い。良い社会になるわけがないのが、誰でも分かる。マイクロソフトになるか、オープンソースになるか、分からないが、そういう馬鹿な社会になる。
「自由な良い社会」は要らない。「普通の社会」が良い。そういう人間が多い。
自由は、否定的な側面がある。戦争で殺し合うのも、平等で命を助けるのも、否定している。それは、否定と言うよりは、包括と言える。それらにもなり得るだけの、どちらも含む自由な社会と言う。そして、自由は発展であり、発展を至上命題だと考えている。だが、おかしい。自由は、普通、自然状態だ。万人の万人に対する戦いだ。自由と言う人間は、日本やアメリカに騙されているように見える。普通、自由なんか、何も賢くない。
あとは、選択肢を与えるべきだと思っていた。それは、オープンソースのことを言っている。Windowsではない、Linuxと言う、新しい選択肢を与える。手段を与えるのは、もっと、オープンソースのOSも作れるようにすべきだと思っていた。
それこそ、オープンソースは自由だが、コミュニストだ。皆で著作権の独占の自由を否定する。そういうところがコミュニストだが、見ていると、本当に自由だ。
自由は悪い。だが、そんなに自由を否定していると、逆にコミュニストに見える。コミュニストも悪い。右翼も悪い。自由は、まだ良い方だ。自由が一番良く見える。色んなことを自分の手で経験すれば、分かるように見える。自分が出来ると、良いように見える。
これでコミュニストは、おかしくは無い。ソ連を作るのも、それはそれで自由に見える。
個人の自由より、共同体の自由の方が良いと思うのもおかしくは無い。
だが、個人の自由はあった方が良い。ソ連は、個人の自由が全くない社会だ。全てのことを共産党が決める。結婚すら共産党に従う。ソ連が一番悪い。こういう、自由な人間は、ソ連が嫌いで、右翼も嫌いな人間が多い。そのまま放っておくと、普通こうなる。そのまま、コミュニストになる人間が一番多い。コミュニストは自由だ。
おかしいから、そういうことをあまり言わない方が良い。
コミュニストは、ただの不自由な楽園だ。皆を殺し、いじめるだけだ。一番悪い。
ただ、自由は妥協の産物だ。全員平等に王にするのは難しい。金にして、会社の社長にするのが一番手っ取り早い。社長が金を考える。そういう風に、普通、プレイヤーを増やす。そういう発想が、良いと言う人間が多い。楽に強くなる。それぞれが競っていると、自然に良い社会になる。魔法のように良い社会になるのは、それぞれに競わせて、それぞれが頑張って戦うからだ。そういうわけで、戦いを悪いとは言うが、戦いが一番良い社会にするための近道だ。それこそ、戦い以外で良い社会になるわけがない。ソ連は難しい。
戦いの自由と言っていると、本当にヒトラーに見えるが、それで良い。右翼は、それで良い人間しか居ない。アメリカやイスラムを日本が倒せば良い。ロシアや中国も倒す。そのうちどれかが勝利するまで、戦いは続く。戦いが悪いのは、明らかにすぐに負ける。戦争になると、後戻りは出来ない。多くの犠牲を払うことになる。戦争は止めた方が良い。
戦争が悪いのが誰でも分かるから、戦いは悪い。それなら、コミュニストで良く見える。コミュニストはまともだから、ソ連にして良い社会を作る。滅びるとは言うが、良い社会になるわけがないのを滅びると言っているだけだ。本当に悪い社会になる。
金か、戦争か、ソ連なら、どれも悪いが、どれにもなれて、皆で選ぶ自由が良い。そういう、皆で決めれば良いのが分かる人間が多い。選択肢にキリスト教もあるべきだ。
これなら、金が良いと言う。金は自由だし、皆が王になれる唯一の手段だ。
金は、格差が生まれる。だが、馬鹿は馬鹿だ。馬鹿な弱者が悪いだけだ。
金の悪い点は、そんなに金が欲しいのを頑張る意味が無い。何も賢くない。
ソ連と戦争なら、皆ソ連を良いと言う。ソ連が勝てば良いように見える。だが、もう無くなったのがソ連だ。本当に見事な大失敗だった。あれは止めた方が良い。
最近は、ITの自由をキモイと言う人間が多い。むしろ、普通に日本で良く見える。もの作りと経済を頑張って、国を良くすれば良い。そういう人間が多い。
ドイツには、キリスト教に回帰した人間が多い。ドイツにもアメリカにもそれしか居ない。普通、こういう馬鹿は、キリスト教が良く見える。
ただ、日本が良く見えるのもおかしくは無い。仏教が良く見える人間が一番多い。
自分は、ソ連が一番自由が無いのが分かっていない。会社と金と民主主義で、普通にこの社会は良くなる。きちんと悪いものを無くしていけば良い。
そうすると、普通、自由が一番悪い。全部、自由なものを正しいものに解決していくだけだ。自由が一番悪い。
そうでもない。自由は悪くない。悪いとは言うが、きちんと自由な中を探していくと、きちんと良いものは多い。最近少ないだけで、昔から自由は良い。音楽や漫画のような良いものが多い。僕は、音楽が好きだ。
だが、明らかに自由は悪い。自由は止めた方が良い。漫画なんか、暴力表現だし、音楽なんか、崇拝するだけだ。自由はそういうものだ。退廃芸術にしか見えない。そういうものがソ連に多いように見えて、そんなものは無い。ドイツに多いのがそういう馬鹿だ。
自由で良い社会には、なるように見える。色んなものが競い合って、選挙すれば、自由になる。民主主義は、それぞれの自由を増やして、権利を拡充していく。それも理想だ。
昔から、そういう風に、色んな社会の理想を考える。そういう文章が多かった。
むしろ、店とものが増えて、安くなるだけ、良い社会になっているように見える。賢い職業も増えているし、IBMなどは会社の従業員の権利を考えている。そういう発想が賢い。
左翼は悪い。左翼には犯罪ばかり多い。まだ、右翼の方がマシだ。
福祉国家にして、ものを作れば良い。それはドイツだ。それこそ、福祉のようなサービスも、国営にするより、民営化した方が良い。それはアメリカだ。
賢いのは、アメリカとドイツだ。フランスは、ペア選挙のようなありえない政策をやっている。ソ連は、ありえないほどおかしな世界になる。そういうありえない社会が悪い。自分は、そんな社会をそんなに作る意味が無い。三か月政治をする労働はおかしい。
日本で良いと言う。真面目に戦って金を儲けるのが賢い。それだけをするのが日本だ。
自分は、もっと論理的に考えれば良い。答えを探るように考えれば良いのが分かっていない。真実はいつも一つだ。それこそ、昔は、弁証法のように、論理学を全部書いていた。そういう風に、論理的に考えれば良い。カントのような考え方も書いていた。歴史のような考え方も多かった。世界のことを、歴史と思えば分かるところもある。
競争は悪い。普通、コスト削減とリストラしか出来ない。馬鹿で勝っている。
民営化も悪い。馬鹿で勝つように見える。
ものが多いと昔から言うが、最近は、多すぎて何も無く見える。
悪いのは、全部アメリカだ。アメリカは、本当にそこまでITが好きなのがありえない。
良く分からない。NOVAの教師の外国人もやけにITが好きだ。自分には理解出来ない。
あとは、自由な論理のようなものを書いている。
相対的な経緯と段階、方法論と考え方、構造と分析のようなものを書いていた。
自由に考えられる、分析の方法のようなものを、目に見えて示した。
そして、生き様のようなものを書いていた。
もう、覚えていない。昔の自分も、昔の文章も、キモイ。それに、ロキに書いてある。
もっとマシな文章を書きたい。昔のことは忘れた方が良い。
自分は、昔の自分のことを全部忘れれば治るのが分かっていない。
今さっきのことを忘れていれば治る。すぐに忘れれば良い。それで正常だ。
あとは、自由な経験から記憶や観念を考えていた。ロックのような人間だった。
アメリカは、サンダースが勝てば良い国になる。トランプがローマ法王と争っているが、そのうちボロを出すのがトランプだ。
だが、トランプも悪くない。強いアメリカになるように見える。真面目にサンダースの方が悪い。アメリカにレフトが居たのがありえない。コミュニストに見える。
昔は、そういう自由な経緯を人生にして、自由な学習や知の段階を全部書いていた。
そういう馬鹿が多かった。自由な人生を書く。それだけの人間だ。
あとは、場のようなものしか分かっていない。場と経緯だけを永遠に書いていた。
そして、思いやりや社会形成のようなことを言う。
人生と思いやりの人間だった。それこそ、人生の経験が全て分かっていたのが賢かった。
あとは、自由な中で実をつけるのを書いていた。具体化や視覚化と言っていた。
それから、哲学的なことを、全部自力で分かっていた。そういう、モデル化による哲学と人生の真理の理解のようなことを書いていた。そういう経緯や段階をいつも書いていた。
サンダースが勝つと、IT製品が無くなるように見える。それは良いことだと思う。
自分は、ワードは使う。だが、ITは本当に要らなく見える。
姉がプログラマだから、あまり言いたくはない。
だが、自分はもう全てに満足した。この文章が消えても、そんなに怖くは無い。
自分は、哲学者はスピノザが賢いと思う。自然のことを全て神の一部だとして、数学的に考える。発想が鋭いのが、分かる人間が多い。色々と、スピノザに賢い点が多い。
あとは、キルケゴールが一番分かっている。人生のことを実存的段階にしているのが、賢いと言う人間が多い。
それから、デカルトは良く分かる。自分と同じように考えているのが分かる人間が多い。
馬鹿なのは、ウィトゲンシュタインだ。何も賢くない。馬鹿を分かっているだけだ。
言論や行動の自由はあった方が良い。無いと、何も分からない。
ただ、2ちゃんねるは明らかに要らない。だが、そうでもない。ああいうものは、いくらでもあるのが普通だ。ソ連に一番多いのが2ちゃんねるだ。悪い人間が多い。
それこそ、もう止めて良いのが自分だ。これで止めるのが良い。もう、続ける意味が無い。
スピノザは、自然をそのまま神と言うが、これはヘーゲルなどの世界精神と良く似た考え方だ。普通、そこが分かる。そういう風に考える人間が一番多い。
あとは、哲学は悪くは無いが、止めた方が良い。何も分からない学問だ。
もっと理系のことをやった方が良い。文系はもう十分だ。心理学は、臨床だから、しなくて良い。こんな馬鹿が心の病気を治すのはありえない。
それこそ、これで物理が分かると、きちんと全て分かる。物理のことをするべきだ。
これで物理が分かると、分かる人間が多い。物理は、抽象的に予測して、当てる、と思えば分かる。数学も、論理学的な正しさを追求していると思えば良い。
物理をした方が良いのは分かるが、やりようがない。どうすれば良いのか分からない。計算はつまらない。もっと色んな本を読めば良いのは分かるが、それは出来ない。難しい。
物理は正しい。物理は本当に、正しく分かる学問だ。人間は、物理でしか分からない。
物理的な方法論は、実際の数式や理論とともに考えると、賢い。
色んな経験をしながら、哲学的な真理へと、自覚していった。ヘーゲルと同じだ。
自由は、もっと賢い人間を生み出すべきだ。そういうことを言っていた。
物理は、昔良く分かっていた。いつも言っているが、物理は昔そこまで分かっている。
それこそ、デカルトのように演繹的に正しく分かることが多かった。
馬鹿は多いが、賢い人間も少なからずいる。そういう賢い人間を生み出すべきだと言う。
だが、馬鹿しか居ない。今なら、平等が良いと言える。普通、誰でも馬鹿だ。
自分は、分析の方法が分からなくなっただけだ。分析や思考と思えば分かる。昔は、それだけの人間だ。分析の方法が分かるだけの人間だった。
想定し、分析し、洞察する。そういうところが賢かった。オープンソースと同じだ。
もっと、分析すれば良い。位置や場を考えたり、様相を考えたり、可能性やなるものを考えたり、依存性や必要性を考えたり、前提条件を考えたりする。昔は、そういう文章を書いている。本当に、それくらいの馬鹿な文章だった。
全体の経緯の中で、経緯を追って考えていた。構造を作って、世界観を潰していた。
思考を全部賢くして、スケッチのように思考を書いていた。
そういう、分析のような文章だった。自由な経緯の中で、全部自分にした。
あとは、方法や意味を考えて、単語の意味をいくらでも作っていた。
全部、ゼロとイチの計算のような文章だった。
意識から心の深層まで、心理学的に色んなことを考えていた。
社会的には、国籍の共有など、構造的にこの社会の新しい政策や意見を書いていた。
この世界のことが、マスターのように全部分かっていた。全て分かった人間だった。
不思議と、物理みたいな文章は本当に多かった。「当てる」とか「正しい」と思えば分かる。
そういう、全ての科学のような文章が多かったのが、いつもの文章だ。
ただ、労働は平等にすべきだ。平等な労働条件のようなものを作った方が良い。
サンダースが勝つと、そういう風になる。平等に働くようになる。
あとは、作用や方法を全部網羅している文章が多かった。
あとは、革新性みたいなものを考えていない。最近、革新性が多い。最近悪く見えるが、革新的なものがオープンソースだ。グーグルなんか、一番革新的だ。
あとは、保守党のようなものを作っていた。自由な思想の政党を作っていた。
あとは、相対的なモデルを作っていた。具体的なモデルを作っていた。
今日も、もう寝る時間だ。今日は、そろそろもう、おかしな病気が治った。
何故か、ドイツがこういう国だ。こういう風に喋るありえない国がドイツだ。