「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-02-01

=2016-02-01=

ワードからコピー

夢で見たが、大学は、コンビニのようなサポートセンターを世界各地に作れば良い。
学生が集団で世界各地に行けるようになる。
この社会がどうしてこういう風になっているのか、この社会の本当の視点と姿からの理由、目的、根拠、正当性、裏側、意味、成り立ちを考えていた。
この世界の本当の意味での、経験的な意味と成り立ちを分かっていた。
意図とは、そういう、社会的な意図のことを言っていた。
皆が本当に何を意図してこの社会を作っているか、何を理想や目的としているか、考えた。
この社会を皆の力で作るような、そういう考え方が多かった。
この社会を皆の力で作り、実現する。
皆が賢くなると、この世界は全て変えられる。場の意識を、「変えられる」ことから分かっていた。だが、それは悪い。不用意に、変えすぎると、分からない世界になる。
人生を考えていた。
人生の実感を考えて、記憶と意識から、人生の全ての始まりを書いていた。
プログラミング言語ユーザーインターフェースなどの発想をしていた。
パソコンは悪い。本当に、パソコンのせいで数学が分からなくなっている。
左脳が無くなって、全部右脳になった。パソコンのせいで、そういう馬鹿になった。
もっと、何かが同じ、と言う意味で、色んな命題、対象、認識、方法、学習のことを考えた方が良い。具体的なものを見て分かるのではなく、漠然とした抽象的なことから、数学的な命題と論理のことを考える。だが、そこに経験があるのはあまり悪くない。
昔は賢くなかった。ネットで馬鹿になっている。そういう馬鹿が分かるだけだ。社会を皆の力で作るとは思っているが、それだけの馬鹿になって分かっている。
そうでもない。あれは、まともな人間だ。ただ、ネットの皆が好きだっただけだ。ネットの皆と絆を培って、皆との経験と出会いから社会のことを分かっていた。
いくらでも出会いと経験があった。社会的な経験を沢山していた。それが賢かった。
あとは、意味と論理を良く考えていた。この世界に、そのものがあること、その意味を考える。それは何なのか。どこにあるのか。いつまであるのか。何になるのか。誰が関係するのか。誰が作ったのか。目的は何か。意味は何か。そこから何が言えるか。何からそうなったのか。どうしてそうなるのか。何故なのか。そういうことを良く考えていた。
あとは、理性のような内容が多かった。それが、どのようにして認識出来るのか、どうして認識出来ているのか、何故認識されているのか、認識には方法とテクニックがある、理性は平等である、理性は何故自由なのか、どんな見方によってそれを捉えられるのか、それは同時に何を意味しているのか、条件的に何が言えるのか、全員の違いは何か、のような、理性的なことをいつも考えていた。
あとは、歴史のような考え方が多い。産業の歴史、技術の歴史、人生の歴史、社会の歴史、関係の歴史、宇宙の歴史、地球の歴史、生命の歴史、哲学的思想の歴史など。
そういう、理性と歴史で分かっている考え方が、一番多かった。
全てのものには、方法と可能性がある。正しい方法と行動の手順を知ることで、全てのことははっきりと理解出来る。可能性の中で、全ては変えられる。
いつも、そういう、賢い格言のようなことを言う。宇宙の真理のようなことを言っていた。
全てのものは、経緯と方法を知ることで、融和し、他人になったつもりで考えられる。
全てのものには、法則がある。それは、法則では無く、現象に過ぎないこともある。
全ての可能性は、自然に生まれる。
全ての人間は、天で祝福され、地では聖なる目的を持っている。
全ての自由は、愛と可能性から、人を自分のことのように愛することである。
全ての関係は、上になるよりも、下になった方が、良いことが多い。
全てのものは、実体、可能性、自然、愛、関係性、支配、正しさ、勇気、信頼である。
そういう、仏教キリスト教のような、真理のようなことを言う。
もっと、四諦や縁起のようなことを言えば良い。いつも、そういう、「具体的な人生の道理における方法と法則と実践的手法と可能性の真理」のようなことを言っていた。
全ては、承認すること、行動すること、信じること、構築することである。
もっと、方法的な真理を書けば良い。それがいつもの自分だ。
プラットフォームを作り、構成員を作り、疑い、信じ、瞑想し、考えること。
正しい行動とは、目的を知り、自由を知り、可能性を知り、自然を知り、勇敢さを知り、絶対的な善と相対的な理由を知ることである。
もっと、良く考えれば良い。
認識の方法、分析の方法、経緯の吸収、一体的な平等、社会の形成、理想の形成、自由な中での社会の実現、などがある。いつも、そういう風に、方法的な真理を言っていた。
もっと、沢山の方法と理由を作れば良い。いつもの文章は、本当にそういう文章だ。
環境を作ること、宇宙の真理を知ること、作用的に変えること、法則を見出すこと、自由な関係を作ること、未知を捉えること、経緯から精神を構築することが、全てだ。
あとは、認識の法則と人生の段階のようなことを言って、後になってから真実が分かる、悟りのような真理の文章を書いていた。
ただ、今のこの文章は、本当に良く考えられていない。いつもの文章は、仏教四諦や、デカルトの四つの方法や、アリストテレスの目的因のような因果性や、カントの悟性のカテゴリーのように、本当に良く考えられた、論理的、人生的、観念的なことを言っていた。
そういうわけで、そういう文章を書いていた。良く考えれば、誰でも書ける。
人生を最後まで分かってから書いているから、そういう風に書いていた。
社会のことは、モデルと説明から、全部一緒くたにして分かる文章が多かった。
モデルから、そういうことを言う。金は報酬であり、社会実現の自然な可能性を秘めた媒体であり、自然な協力の形成である。会社は、世界を変え、ものを作り、共同体を作る、資本主義における、共同体である。そういうことを言う。
もっと、賢いことを言った方が良い。
ソクラテスが言うように、理性は全員に平等に備わっている。自分は、それと、ソフィストが言う、人間は環境によって決まる、と言う理屈を、どちらも正しいと思っていた。
そういう風に、矛盾のどちらもが正しい、と言う文章を書く。カントのアンチノミーに近いようで、ヘーゲル弁証法に近い。矛盾はどちらも正しい。考え方が違うだけだ。
世の中は、矛盾や嘘ばかり多いようで、そういうことは無い。皆の考え方と思い込みと習慣と環境が違うだけに過ぎない。経験を良く考えると、全員が誰もが正しいのが分かる。そういう風に、経験的なこの社会の真実と矛盾の解消のように考えていた。
そういうわけで、経験論は、それ自体、理性論と同じである。そういうことを言う。
本質的に、理性論は方法の考え方である。全てを、合理的な方法の集団として見る。そして、理性自体は平等に備わっていて、誰もが変わらない。全ては学習と方法であり、方法から宇宙のことが全て分かる。だが、そこには危うさもある。もし、宇宙を分かるための方法が、人間に備わっていなかったとしたら、どうなるか?人間が、種族的な理由、遺伝子的な理由、生物的な理由で、宇宙のことを分かり得ないとしたら、どうなるか?
ルソーのような、自然条件、自然状態は、この社会のことを、全部可能性の1つに過ぎない、最初は何も無い社会であり、全てはその上に築かれたある1つの可能性に過ぎない、と思えば良い。だが、何も無いとは言うが、何も無い中にも、あるものはある。最初の人間の社会がどうだったか。それは、何も無い、では無いだろう。ホッブズが言う、万人の万人に対する闘争であったかもしれないし、マルクスの言う、原始共産主義社会であったかもしれない。最初の社会がどうなっていたか、空想することは、悪いことではない。この社会がどのような歴史を歩んできたのか、実存主義的、社会契約論的に考えられる。
今日は、社会科と社会哲学と真理と理性の日になった。そろそろ、もう新しいことは分からないだろう。最後の日まで書いたように見える。そろそろ、書くのを止める。
あとは、社会モデルのようなものから、現実社会を説明して分かっていた。
社会問題をマルクスのように考えた。
社会がどこから来て、どこへ行くのかを考えたりしていた。
あとは、むしろ、哲学をすれば、きちんと社会の考え方も良く分かる。
哲学で分かるのも、おかしくは無い。普通、哲学は、分かる学問だ。分かるように見えて、本当には分からない。誰でも、思考していると、哲学者と同じにはなる。
だが、同じになっても、意味が無い。もっと、自分の個人の意見を言った方が良い。
もっと、哲学では無く、この世界と人生のことを分かりたい。哲学は、つまらない。そのためには、皆の言っていることを良く聞くこと。父親や本やネットの言っていることを考えれば良い。斎藤の本にも、色んなことが書いてある。哲学では分からない。
人生は、自発的にこの世界のことに対する見方を変えることで分かる。
社会は、潜在的な可能性の実現と、世界を1つに保つための契約だと思えば良い。
そういう風に、賢く考えれば良い。誰でも賢い。
経験とは、考えているだけではなく、自分から行動し、行動した後で、振り返って分かる内容のことである。そういうわけで、色んなことをとにかく試していると分かる。
哲学も間違っているが、昔の自分を分かるのも間違っている。
昔の自分でなく、この世界と人生のことを分かった方が良い。昔の自分を分かるのが、あまりに馬鹿すぎるから、分からなくなる。昔なんか、何も分かっていない。
もっと、「方法」だと思えば良い。この世界を変える方法、理性的に分かる方法、他人と同じことを分かる方法、自由な実現の果実を実らせる方法、可能性を現実社会へと具体化する方法など。そういう、経験的な方法の発見のようなことを考えると、賢い。
パソコンは、方法の実現である。理性的な可能性の機械である。今から、パソコンは大化けする。ありえないほど、未知の可能性を体現する機械になる。
もっと、そういう風に、未知のこと、世界のことを、哲学や自分で無く考えれば良い。
もっと、環境ではない心理学や社会学を考えると良く分かる。
学問の構造や、目的を実現するための手段と手順、実際の姿、などを全部作っていた。
教育や社会モデルと思わない方が良い。それはもう十分だ。もっと新しいことを考える。
言語のようなことを考えるのもおかしくは無い。言葉遣いと知性で考えれば良い。
あとは、ベーコンがイドラの4つの種類を書いているように、思い込みには、段階と環境的な違いがある。そういうものを、昔から「環境」で分かっていた。
哲学者と自分で無く分かれば良い。むしろ、科学的、経済学的に考えていると、分かる人間が多い。もっと、世界の皆が分かっていることを分かった方が良い。
自分は、超高速なコンピュータのように、電子的に宇宙のことを分かっている。まるでマクベスだ。そういうわけで、あまり意味が無い。マクベスは、漫画のキャラクターだ。ゲットバッカーズという漫画に出て来る。昔読んだが、あまり覚えていない。
いつも言っているが、問題をその人のせいだとは言うが、その人だけのせいではない。環境的な要因であり、皆のせいである。もっと、皆がその人のことに気づいてあげられなかったのが悪い。解決する時は、その人のことだけではなく、もっとその周りの、原因や制度のことを考えて、根源的な原因から解決し、過去に遡って、今のこととして、問題を見つめ直して考えるべきだ。
昔から、自分はそういう風に良い人間だ。それ以上は、沢山のことが出来るようになった。世界の全てのことを解決出来る、「解決スーパーコンピュータ」のような人間だった。救世主や王を目指していたのかもしれない。本当に何でも解決出来る人間だった。
昔は、そういう、「その人だけのせいではない」を考えただけの人間だ。
もっと、細部まで考えれば分かる。
哲学は、「未知」を考える学問だから、未知を考えれば良い。
人生、認識、存在、宇宙における未知を考える。
不思議と、デカルト、ベーコン、カント、ヘーゲルは、誰でも分かる、しかいない。それらの言っていることが、昔の自分に思える人間が一番多い。
昔から、自分が一番そういう人間だ。誰かが自分の作ったホームページを見て、「昔の自分に見える」と言っていた。そういう、一番賢い時代を作りたかっただけだ。
それ以降は、もう、昔の自分は考えなくて良い。この世界を見ていれば分かる。
ソクラテス無知の知や、理性の平等なんか、誰でも分かるようで、そういうものは、経験から自分の力で分かると賢い。そういう人間が多い。自分もそういう人間だった。
客観視、人間の関係、社会や自然の変化、経験からの実現を分かると分かる。それらを分かっていると、哲学に頼らなくても分かるようになる。
破壊は悪い。生産が良い。自由より共産の方が良い。そういうところが誰でも分かる。
日本語と英語は、良く似ている。人間は、そんなに違わない。全く違う人種なのに、言葉の違いは少ない。本当に、形式ばかり違うだけで、実際の言葉の意味や文法は同じだ。
経験論を馬鹿にすると悪い。経験論は、経験から知をどのように知るか、知のあり方のようなことを考える。理性論なんか、方法と懐疑主義しか考えない。経験論が一番賢い。
この社会を見て、何も思わないのがおかしい。「本当の理想の世界はどんな世界なのか、それは経験的にどう作れるのか」のようなことを考えれば良い。イデア界とも似ている。
昔は、ネット世界のことを全部分かっていた。馬鹿に見えて、賢い。社会の形成の方法のようなことを、全部知っていた。経験から、カントのように分かっていた。
これなら、皆も昔が出来る。最近の地獄になっているから、昔になった方が良い。皆、これで昔の自分になる。ただ、もうなっている人間が多い。終わった人間が多い。
もっと、社会がいかに変わって行くのか、のようなことを、具体的に、経験と理屈で考えれば良い。何故、この社会が変わるのか。そこでは、人間の生きている社会と人間の関係はどのようになるのか。そういうところをきちんと考えれば分かる。
あとは、人生経験をすれば良い。昔は、人生経験で分かっていた。最近、人生経験のようなことを、全くしなくなった。そのせいで分かっていない。人生経験をすれば分かる。
ネットがあると、出来るのが昔だ。ネットが無いと、本当に、出来ない。
もっと、全てのことの変化の可能性でも考えれば良い。
この世界がどうなるか、のようなことを考えれば良い。破壊より、生産が良い。時とともに、重要性のようなものが変わってくる。そういう風に考えれば良い。
人間は、いつの時代も、支配され、争い合う。そこでも、変わらない理想のようなものはある。人が望むものは、いつの時代も同じであり、その賢明さも、愚かさも同じである。誰かを虐げることで、誰かを助け、誰かを滅ぼすことで、誰かを救う。歴史は、そういうものの繰り返しである。王は残虐で、革命家が滅ぼす。その繰り返しである。
あとは、宗教のようなことを言っていた。この世界は、人間が作り出している。そういうことは、宗教的なことを言っている。あとは、人生の実感のようなことを言っていた。
あとは、発想のようなことを言う。人間の関係を考えて分かったこと、知性や知を考えて分かったこと、経験や社会の変化を考えて分かったこと、宗教や人生を考えて分かったことを言う。本当に、そういう、「人生の博物学」のような文章が多かった。
そういう知性があった。それこそ、自然に、知性的に、経験的に、関係的に、社会的に考えた、経験のようなことを言う。人間は未知の可能性であり、体験は可能性の発揮である。そういうことを、まるでハイデガーや宗教のように言う。キリストのような人間だった。
最近は、本当に、キリストのようなありえない体験をした。誰でもこうなる。人間が神に似せて創られたとは、そういうことを言っている。信じるものは、救われる。
そういう、「信じるものは救われる」のような、人生の真理のようなことを言っていた。
考えなければ、何も分からない。未知とは、疑い、信じ、証明し、実験することだが、そこには考え方の前提条件とその共有がある。大学の知識は、前提条件の共有である。
いつも、そういう風に、考え方からこの世界の存在を分かっていた。そういう、存在を考え方と変化の支配から分かる人間だった。支配から自由と存在を分かっていた。
体験とは、愛である。愛の反対は、不安である。そういうことをいつも言っていた。
神とは、自分を自分のどこかに置いて、もう一つの自分を作る体験を言う。そういうわけで、神は、多重人格だ。それ自体、自己に対峙し、時に融和し、時に敵対する。キリスト教の神は、そういう神だ。キリスト教は、多重人格になる、悲惨な宗教だ。
キリスト教における救いとは、神の愛であり、赦しである。それは、罪を赦すだけではなく、自分のしていることを全て赦し、全て愛することだ。キリスト教の救いは、そこから始まる。最後まで付き合うし、裏切らない。いつまでも、同じように愛する。同じように対峙し、手助けする。救いも、導きも、そこから始まる。神の御業とは、その中で自分のしている、全ての戦いと葛藤の活動であり、それは神を信じることと等しい。
神は、皆の母親であり、父親である。信じると、偉大なことが出来るようになる。神は、信じるものを救う。だが、信じないものも含めて、神は全員を愛している。
神の怖いところは、悪いものには容赦しない。自分の兄弟を傷つけるものについては、容赦なく復讐する。そういうわけで、神は自分を懲らしめている。だが、誰も、自分のことを悪いとは言わないし、神も悪いとは言わない。自分で気づくまで、放っておく。それこそ、悪いことを罪だと思わないのがおかしい。神の定める罪の種類は、莫大に多い。それこそ、裁くことすら罪である。裁くものは裁かれると、イエスが言っている。
あとは、むしろ、忘れるのも罪であるし、愛してくれる人を放っておくのも罪である。そういう、心の罪を、神は裁く。神になりたいものは、特に裁く。そういうわけで、神を信じると、地獄になる。悪いことをいつまでも悪いと思わない人間を、神は懲らしめる。
支配すること自体は、悪くない。その中で、色んな悪いことをしているのが悪い。もっと良く考えて、熟慮して行動しないのがおかしい。そういうものが、神の定める罪だ。
それこそ、罪を罪だと思うと、救われる人間が多い。天国に行けるなら、罪をしなくなる人間が多い。弱者の幻想とは言うが、幻想ではない。色々と本当に正しいのが神だ。
そういうわけで、神はお母さんみたいなものだ。皆を愛して、導いて、育てている。神の良い点は、神は人間の母親より、もっと優れている。信じると、健全な人間になる。
あとは、こういう神を信じる神が、神の御業をする。そういう人間が本当に白人に多い。こういう、偉大な人間になる。何故か、偉大な人間は神を信じている人やユダヤ人が多い。
あとは、イスラム教も、キリスト教と同じだ。イスラム教徒は、本当に、こういう風に、この文章と全く同じになる。戦って、導くようになる。こういう人間になる。
だが、イスラム教は要らない。イスラム教どころか、昔からキリスト教が一番こういう宗教だ。ユダヤ人は同じだ。何故か、神はユダヤ人だ。神とは言うが、最初からユダヤ人が神を話している。ユダヤ人が、自分たちのことを神だと言って、信じるものを騙している。それが、神との対話だ。「神はユダヤ人」だとは、そういうことを言っている。ユダヤ人の方も分かっていない。神は、全部、ユダヤ人の集団が話している。
あとは、ものごとの実現、社会的な活動、社会の変化、人生と学習と体験、のようなことを想像力で考えていた。システムから発想まで、想像力を全部書いていた。
神は、愛である。聖書を見ていると、神とは、愛のことを言っている。全ての世界と人類を包み込む、壮大で、絶対で、偉大な神の愛が、神である。
それこそ、ユダヤ人が賢いだけの世界だ。ユダヤ人は、こういう風に、皆の聖母をやっている。ユダヤ人は、人類の母親である。昔から、そういう愛のある人種だ。
あとは、人類と宇宙の創造主は神である。馬鹿に見えて、そこが賢い。きちんと賢く人類を創造しているのが神だ。人生のことも全部創造している。全て、決まっている。
だが、それは、つまらないと言う人間が多い。神の創造はつまらない。物理の方が、色々と、可能性と夢があって面白いだろう。神は、つまらない人間しか居ない。
ユダヤ人が悪いのは、ユダヤ人は愛だからだ。愛は悪い。
ユダヤ人がどんな人種か分からない日本人は、ナチや共産党をユダヤ人だと思えば良い。ユダヤ人には、マルクスアインシュタインが多いと思えば良い。ネズミみたいな人種だ。ヒトラーがユダヤ人だ。ユダヤ人は、ああいう風に、おかしな国を作る。
ただ、ヒトラーはユダヤ人ではないから、そこは間違わないようにすべきだ。
ナチをユダヤ人が殺すのは、当たり前だから、こうなる。ユダヤ人を殺すものを、ユダヤ人が殺す。こういう、神を信じるナチは、そういう風になっている。
あとは、神が見ても、自分はきちんと救われた。信じるものは、救われる。ユダヤ人が見ても、そこが良い。きちんと一人、引き篭もりの馬鹿を救った。それで一番良い。
神を信じると、こういう、永遠の、時の止まった人間になる。
神を信じるのが悪い。そこが分からない人間が多い。
神を信じると、あまりにおかしなことを言うようになる。この世界を奴隷だと言うからありえない。白人に本当にそこまでの馬鹿が多い。この世界が自分の奴隷になって、自分も世界の奴隷になる。それ以上、おかしなことを言わない方が良い。
ユダヤ人は、そんなに大した存在ではない。一切が神が支配すると言っているのは、弱者が言っている。弱者が強者に神を信じる力で勝ちたい。普通、そういう宗教だ。
そういうわけで、日本人はまともだ。まともに、弱者も強者も、仲良く暮らすのが良い。お国のために頑張る日本の労働者がまともだ。ユダヤ人のせいで、白人が頑張らない人種になった。頑張らない人間が、頑張る人間を馬鹿にするのは、キモイ。そういう発想が、神だ。神なんか、日本人は信じない方が良い。
昔から、神を信じると、こういう人間になる。愛してくれる神が多い。それこそ、こんな引き篭もりは、普通、神でしか分からない。神を信じるから、こういう風になる。
自分は、神を信じている自覚が無い。まだ、自分で考えて分かっていると思っているが、それは無い。全部、神が分からせているだけだ。偉大な神の力で分かっている。それが分かっていない。偉大なものの前では、人間の知恵は儚い。聖書がそういうことを言う。
あとは、適当に構造的に分かっている文章が多かった。資本主義は、奴隷を作って奴隷で儲ける。そういう発想は、誰でも、こういうキモイ引き篭もりのニートが分かる。そういうことを言う人間が馬鹿だ。それで、言う人間が多い。
神を信じるのも悪いが、信じないのも悪い。「居るかもしれないが、あまり自分には関係ない」と思った方が良い。ナチをユダヤ人だと思えば良い。「ユダヤ人を悪いとは言うが、ユダヤ人にしか出来ないこともある」と思えば良い。ナチどころか、自分がユダヤ人だ。こういう人間をユダヤ人だと思えば良い。ユダヤ人は、キモイ。
ドイツ人に全て起きると、神がいつか言っていた。ドイツ人は、こういう風に、ありえない体験を全部する人間が多い。ドイツ人には全て起きる。ドイツ人は優れている。
クズにしかならないから、白人はクズに見える。ドイツが一番そういう国だ。ユダヤ人のせいで、血がおかしくなっている。そういうことが分かる人間が、ドイツに一番多い。
見ていると、ドイツ人は賢くない。キモイだけだ。日本人が賢い。本当に、日本人が賢くなっている。自分なんか、ドイツ人の全員を一人で超えている。日本人はありえない。昔から、そういう、世界全部の国より優れた日本人が多い。日本が一番賢い。
不思議と、これは社会を知ればきちんと分かる。これで社会のことを知ると、デカルトみたいになって、分かる人間が多い。
昔の2ちゃんねるは、要らないからこういう風になる。2ちゃんねるなんか、知っても意味が無い。社会のことを知っているように見えて、何も分からなくなっている。
自分は、賢いから、分かる。自分を信じて、社会にぶち当たれば良い。
社会のことを知れば分かるのは、自分が一番良く分かる。いつも言っているが、ネットで社会のこと、人間のことを知って分かった。社会のことで分かったのが、昔の自分だ。
そういう、昔の自分のことを、全く覚えていない。あれは、ただ、ゲームが好きだっただけだ。今ネットを見ても、何も分からない。ネットなんか、一切見たくない。
ネットなんかしなくて良い。ただ、この世界のことを色々と知れば良い。ワインの銘柄でも、日本のスポーツの文化でも良い。そういうことを、何か知れば、それで分かる。昔は、そういう風に色んな社会のことを知っただけだ。
オープンソースは悪い。こういう風になるのは、オープンソースが悪い。オープンソースと言う発想が、こういう風に悪いから、おかしな人間になる。複雑どころか、単純だ。
昔はオープンソースとコンピュータ技術で分かっていたが、それに戻るのは、本当に止めた方が良い。そんなに昔と同じにしても、かえって何も分からない。何もしていないだけだ。むしろ、アメリカとか、ドイツとか、外国を分かるのも悪い。
そういう発想は止めた方が良い。そんなに単純に考えるのがおかしい。
もっと、色んな人物のことを知りたい。それから、ピアノのようなことをしたい。
昔は、頭の中に全部作って分かっていた。マスターのように、経験や知性を作って分かっていた。そういう、ロックやヒュームのような人間だった。
もっと、作れば良い。前提となる考え方を作って分かる人間が一番多い。
数学のこともしたい。ただ、哲学はもう良い。実にならない、分かるだけの学問は、もうしたくない。もっと、実際の役に立つ、良い学問をしたい。
不思議と、役に立つことをしていると、社会のことが分かる人間が多い。
自分には、役に立つ、と言う概念が欠落している。それこそ、そこがおかしいのが哲学だ。
あとは、役に立つ学問なんか、経済学と工学ぐらいしかない。医学と法律は役に立つとは言うが、そんな職業は難しすぎて出来ない。ピアノや数学は、賢い代り、役に立たない。歴史や英語は、世界のことが分かるとは言うが、外国のことはもう良い。
数学は、機械のことをやっていると分かる。物理的な原理が数学だといつも言っていた。
昔は、パソコンとネットで、工学と経済学のことは分かっていた。心理学と数学のことも、良く分かっていた。そういう、理系的、マスター的な世界観を書いていた。
パソコンのことは分かるから、それは明らかに楽だ。哲学と歴史のことも大まかなことや人物は分かる。これで、経済と工学をやると、きちんと分かる。社会のことが分かって、マスターのようになる。文学の才能もある。自分は、そういう風に賢くなる。
本当に、昔と同じことが出来る。いつもそこをしたいのに、出来ない。パソコンなんか、しても何も分からない。パソコンはしなくて良い。皆も、経済と工学をやれば良い。哲学のことも、その方が色んなことが分かるだろう。
全ての本質みたいな文章を書いていた。概念と本質を考えていた。
昔の自分は、「認識の確かさ」だけを考えれば出来る。認識がどのように出来ているのかを考える。それだけで誰でも出来る。
むしろ、もっとありえない分野をやれば良い。経済と工学は、昔やったから、そんなにしなくて良い。医学や法律でもやれば良い。実際に役立つ学問だ。
あとは、もう何もしなくて良い。これで、皆が良くなる。経済と工学で、昔なんか誰でも出来る。そういうわけで、皆がやれば良い。自分は、音楽を聴いて、適当な本を読んでいれば、それで良い。僕は、テレビは嫌いだが、音楽は好きだ。芸人は見たくない。
昔は、本当に、その人の持つ認識の確かさを考えて分かっていた。いかのように環境を認識しているか、出来ているかを考えていた。
そろそろ、この文章は書かなくて良い。むしろ、そろそろもうない。あとは、人生のことを考える文章が多かったが、それはロキに書いてある。あまりおかしくは無い。
昔は、何でも分かる人間だったから、それを書いているだけだ。想像力のこと、知識や博物学のこと、人生や体験のこと、可能性のことなどを書いていた。
何でもかんでも書いていたようで、あれは悪い。皆を分からなくしているだけの、タリバンだ。昔から、タリバンみたいな馬鹿が多い。ネットで戦いのようなことをいつもしていた。だが、タリバンなわけがない。破壊活動も、殺傷もしていない。自分は、平和な戦いと競争がしたかっただけだ。あまり悪くない。誰も殺していない。
あとは、そろそろ、休みたい。むしろ、作家活動はまだ続く。もっと良い文章を何か書いた方が良い。永遠に続くのが作家だ。
あとは、ピアニストにでもなれば良い。ピアノの先生になれば良いように見える。ピアノが弾けるとは言うが、練習はしないし、全く上手く引けていない。ヘ音記号はまだすらすらと読めていない。いつもヘ音記号の左手を間違える。練習した方が良い。
あとは、いかのようにすれば皆が分かるか、延長線上の哲学的な理解を分かっていた。まるでアメリカ人のように自由な体験をして、パソコンの知識を知って、「この世界の皆がどんな風にすれば分かるのか」を分かっていた。分かることで、良い人間になる。マスターへの道が開ける。本当に、そういう、ネットの哲学者のような人間だった。