「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2016-01-17

=2016-01-17=

ワードからコピー

言葉にならない瞬間を大切にせよ。
考えているだけではなく、行動すべきだ。実践すべきだ。
だが、行動する前には、良く判断し、熟慮することが必要だ。
社会は、確かに変えられると、信じること。教育を自由にすべきだと信じていた。
社会や人生の可能性を全て創っていた。
何かが何かに必然的になるのを考えていた。
進化論のような体験をした。虫が女になって、神になった。
理性のような部分を書いていない。
ものが場や物質であるのを覚えれば分かる。何も覚えないから分からないだけだ。
分かることを全て覚えれば良い。
ものは、位置と質料と関係がある。
場とものの関係を考えること。
植物は、何なのか誰にも分からない。何なのか分からないが、生えるものだ。
個体だけではなく、液体や気体にも、速度や質量がある。
社会は、生産者と消費者の関係であり、自然な助け合いと可能性である。
もっと、理性的に考えれば良い。いつも、理性的に考えた内容を書いていた。
実験は、経験から分かる、人間の英知だ。
未知のものを、知性から考えなさい。
感覚を信じていると、人生や体験のことが実感で分かる。
もう、皆、馬鹿が治る。分からない人間が多い。当たり前のことを、全部覚えれば良い。
光には、波長がある。
ものは、結合と分離であり、部分化と統合である。
社会は、包括と頂点であり、昇進と指導者である。
そういう、考え方の理性のようなことを言う。
もっと理性的なことを考えれば分かる。
環境や組織による可能性のことを言っていた。
不思議と、怖い。皆がもう馬鹿になる。本当にこちらの認知症になる。
皆、死んで行く。この世界は終わりだ。
ただ、怖くない。そんなものは当たらない。ただ、終わった世界みたいになる。
あとは、論理的な四行のような文章を書いていた。いつも文章を四行で書いていた。
経緯や工夫のようなことを言う。全ての経緯と理解の本質と前提条件を書いていた。
もう、怖くない。怖い部分が死んだ。もう、認知症が治った。
あとは、人生のような文章を書いている。困難と地獄は、戦って克服すれば、勇敢さと栄光に変わる。そして、経緯と本質から人生を考えていた。
あとは、矛盾や論理学のようなものを全部書いて分かっていた。
全ての矛盾、全ての論理のようなものを分かる。
それから、科学的に宇宙や生命のことを考えていた。
宇宙の誕生、生命の誕生、人類の誕生などを、科学的に考えて分かっていた。
あとは、そんなに色んな本は読まなくて良い。おとなの教養、聖書の言葉、世界史など、色んな本を読んでいるが、これ以上増やさない方が良い。
英語は出来ないかもしれない。NOVAの回数を増やしたが、出来るわけがない。
誰でもアメリカに行かないと出来ない。
あとは、テレビが怖い。テレビは本当に、見られない。見ていると、恐怖の心になる。何かが怖いのがテレビだ。父親や母親がテレビを見ていると、自分の部屋に逃げてしまう。
本当におかしなテレビ恐怖症になった。仕方ない。色々と、過去の経験から怖くなった。
全ての結論、全ての概念、全ての本質、全ての考え方を言う。
あとは、環境や人生の段階的なこと、基盤的なことを言う。環境に参加せよと言う。
そして、人生のようなことを全部考える。本当にそれくらいの文章だった。
精神分析をして、神や色んな国と話していた。
そろそろ、もう終わりにする。最初から何も賢くないのが分かっているから、つまらない。
もっと、色んな本を読んだ方が良い。経験もした方が良い。
最近、自分が何を分かっているのか分かっていない。そこを心理学的に考えると分かる。
もっとまともな人間になりたい。
もっと、昔無かったことを書けば良い。
深層意識から、抑圧された記憶を考える。そうすると、すぐに治る。
世界全体の意識、人間全体の意識のようなものがある。神は、そこに存在する、愛である。そういうわけで、神を王や支配者だと言うが、もっと身近なところに神は存在する。
だが、神は大いなる存在であり、人間が説明することは出来ない。
その神が、色んな罪を犯すな、悪いことをするなと言っている。神が何なのかは誰にも分からない。だが、神はこういうことをする。悪いものを懲らしめる。神は恐ろしい。
神は大洋のようなもので、人間は波のようなものだ。
自分が生まれてくる前のことも、きちんとある。存在している。自分は生まれていなくても、世界は確かにきちんとあった。自分が最後まで生きて、死んで、未来になっても、その未来は確かにある。そこを考えると、良く分かる。そういう風に考えれば良い。
自分のことをそんなに中心と考えることなく、世界の一部として考えること。その方が、真実が分かった方が、自由になれる。自由とは、そういう、思い込みを無くすことで得られる、真理の境地である。そういうところが分かる人間が多い。
あとは、アウグスティヌスと言う昔の哲学者が言っているが、悪の起源は、善の欠如であると考えること。光の欠如が闇だと考える。もっと悪を考えれば分かる。何が悪なのか。どうして悪が生まれるのか。悪や不安をどうすれば善や安心へと変えられるのか。
あとは、心理学的に経験を考えれば分かる。何を悪だと思っているのかは、皆が悪だと思うものが悪だ、と言うことになる。その悪は、どこから生まれるのか?
同じように、善についても同じことが言える。皆が善だと思っているものが善だ。その善はどこから生まれるのか?
そういうところから、相対的な価値観や、宗教における価値観のようなものを考えられる。
賢くは無いが、そういう風に考えれば良い。むしろ、まだ賢くなった。
人間の生きる目的とは、善をすることなのであろうか?もしそうだとすれば、善と決めるのは何なのか?誰なのか?それを神と言うのなら、何故神は悪くて、恐ろしいのか?
そこで言えるのは、悪いものを処罰する神は、恐ろしくて、悪くした方が良い。
それは、子供のような論理だ。もっと、きちんと宗教や善悪のことを考えたい。
あとは、経験から善悪のことを考えていた。
既存の考え方を止めて、何が本当にその人や社会のためになるのか、を考えること。
そこでは、神などの類のものではなく、自由や哲学や民主主義が考えられる。
功利主義の道徳と、キリスト教主義の道徳は違う。だが、そこには、共通点もある。聖書が一番、神によるものではあるが、実践的な利益と価値と知恵の道徳を言っている。
もっと聖書を読んだ方が良い。それが、哲学を理解するための早道になる。
そういう、善の功利主義は、普通、チャンスや可能性を考える。
それぞれの価値観が多元的にある中で、何が何になるのか、確かにそれはその方法でどう出来るのか、などを信じて分かる。
何故か、英語はそういう言語だ。アメリカは、そういう国になっている。確かにその方法が良いなら、それはその方法で正しい。方法や功利的に考える哲学がアメリカに多い。
昔は、道徳や善悪は、経験的に裏付けされた、知性であると考えていた。知性になるものが正しい。知性とは、何が出来て、何をどうすることが出来るのかを知ることだ。そういう、知性になるものは、悪のように見えるものであっても、吸収すれば知性が高まる。知性の高い人間には、賢いことや善のことが出来る。昔は、そういう風に善悪を考えていた。
知性を善だと言うと、そんなにおかしくない。古代ギリシャの哲学者が、そういう風に考える。エピクロス派などは、快楽を善であると言っている。その言っている意味は、良く分かるが、単純な視野の狭い考え方をしている。広範囲まで視野を広げると、むしろ、知性や視野を広げること自体が善だと思えてくる。そういう発想は、おかしくは無い。
だが、悪魔的な自由を善だと思うのはおかしい。昔は、そこが一番間違っている。普通、善は、神の教えを善だと言う。それも、キリストの教えと、ユダヤ人の神の教えを善だと言う。それは、当たり前だ。善悪は、絶対的なものだ。相対主義は賢いが、間違っている。
功利主義は、普通、こういう馬鹿が言う。ヘーゲルも言っている。理神論と功利主義唯物論だったか、そういう対比をヘーゲルが言っていた。功利主義的に考えると、この社会と人生のことが良く分かる。茶碗を作るのは、明らかに価値だ。それが出来るのが能力だ。白人でも黒人でも、誰が作ってもあまり変わらない。フリードマンが似たことを言う。
これなら、ヘーゲルマルクスと良く似ているが、昔はもっとカントに似ていた。
前提条件、三段論法、定量的な本質、「どうすれば」や「何故」のような考え方を言う。
もっと、カントを純粋にやった方が良い。それで、世界史はフランスをやれば良い。
ヘーゲルは、今見るとありえない。ありえない思想家に見える。
フランス史とカントだけをやって、聖書を読んでいると、本当に宇宙の全てが分かる。
ただ、自分はもうそこまで出来ない。もう、それくらいをする気力は無い。
それもそれでおかしい。何もしていないだけだ。
むしろ、カントなんか、しない方が辛いだろう。何も分からないまま何もしないのが一番辛い。それは、何故ならおかしい。誰でも学校と仕事を頑張っている。
昔は、人生経験があった。人生経験と言うよりは、ネットの馬鹿な経験だ。
最近は、ゴミのような文章をいくらでも作って、ゴミから宝を作っていた。
総じて見ると、それしかしていない。ゴミから可能性を作って、具体的なものを全部作って、神を作って、宝を作った。それだけの人間だった。
そろそろ怖い。そろそろ、この文章を書くより、何かした方が良い。
ネットは見ない方が良い。そうは言うが、何もしないのもおかしい。
カント、ヘーゲルフランス史をすれば良い。ドイツ史や日本史もすれば良い。
だが、それは出来ない。やりようがないどころか、もうそういうものが全部終わった。
読んでいる本が多すぎる。一冊に絞った方が良い。そういうわけで、おとなの教養や聖書の言葉を読みたいところだが、世界史の本を読むことにする。そうした方が良い。
今、おとなの教養を見ていて、ハッブルのところを読んだ。ハッブルは、巨大な望遠鏡を使って、宇宙が膨張しているのを発見した。ドップラー効果から分かった。
良く知らないから、間違っているかもしれない。
池上彰が言うように、宗教と科学は、そんなに対比されるようなものではなく、良く似たところがある。そんなに宗教と科学は離れていない。似たようなものだ。
昔から、論理学のモデルを作る。論理学を経験から作っていた。日本語やフランス語のようなものを、一から生み出していた。
そして、良く分かるものを分かる。分からないものは分からない。
良く分かる、とは、悟ることに繋がる。既に分かっているものを、もっと良く分かる。そこから、未知なる経験に対する知性が生まれる。
そして、精神や知性を作ることで、概念や理由の段階、宇宙的な存在の全体像が分かる。
そういう風に考える、ヘーゲルのような哲学者だった。
カントは出来ない。見たくない。もっと、哲学ではないことを知りたい。
世界史を読んでいる時点で、考える意味が無い。世界史をきちんと読めば良い。
むしろ、自分の経験から言って、三冊ぐらいは読める。おとなの教養と聖書は、並行して読めば良い。それくらいは読める人間が多い。
あとは、自分の書いた文章を読めば良いのが分かっていない。もう全部既に分かっている。
昔から、これくらいを2ちゃんねると引き篭もりの経験で分かる。
そういうわけで、自分は本当に分かっている。何故か、誰でも出来る。
皆、これになれば良い。むしろ、最近本当にそういう風にネットの廃人が増えている。
もっと、これで無いものになった方が良い。その方が良いと思う。
そういうわけで、皆、これで無いものになれ。
それこそ、この文章の内容を、もう分からなくて良い。それぞれが好きなようにすれば良い。分かりたいものは分かれば良いように見えて、それも悪い。この文章は要らない。
あとは、人生の経緯と道のようなものを書いていた。
抽象的な体験、法則、予測、人生、知の発展と深まりから、平和で愛のある社会やシステムが、どのように作り出すことが出来るのか、何が他に出来るのか、を知った。
宗教から愛を知り、科学から宇宙の真理を知り、創造性から多様性の理想を知った。
そういう風に、色んな経緯のことを書いていた。
法則と知の発展から、俯瞰的な高い立場での可能性を知った。
そういうことを言う。不思議と、そういう、真理のような経験と道を全部言っていた。
経験による認識と心の法則や、弁証法的な論理学を言う。
何が正しいか、その意味が何なのかを考えるために、その逆のもの、対比させるべきものを考えて、その対象の融和的、総合的な意味を考える。それが弁証法だ。
父親がたまに言っている。昔から、そういうものを普遍的かつ個別的に考える。
それ以上は、理解が難しくなる。哲学は、普通、そういうものが分かるだけだ。
ヘーゲルとフランスの文学や歴史と聖書をすれば良い。自分は、そこらへんと同じだ。
だが、むしろ、日本が好きなら日本史の方が良い。それから、仏典も結構同じだ。
見ていると、マルクスとも同じだ。そこらへんと同じだから、それらをすれば良い。
自分は、神の言葉を聞いている。何故か、神の言葉が本当に分かっている。
自分は、神の言うことを聞いて、何を言おうとしているのか、何が正しくて、どう間違っているのか、全部分かっている。本当に、心の中で全部分かって神を聞いている。
おかしいから、それを止めた方が良い。それで、神が言うのが治る。
むしろ、フランスやヘーゲル以外の、他のものになれば良い。そこが分かっていない。もっとおかしな国の、おかしな人物になれば良い。ただ、アメリカにはなりたくない。ヨーロッパももうこりごりだ。イスラムは辛いだけだ。そうすると、インドや中国が良い。
そういうわけで、孔子ブッダの日本や中国にすれば良い。本当にそれが一番良い。
最近、皆が賢くなっているのは、学校とこの文章の内容で誰でも分かるからだ。
学校と神が好きな馬鹿が、そういう風にどこにも多い。日本人が皆、楽になった。
それこそ、この文章は、悪巧みや思い上がりが無くなる、ありえない文章だ。
支配して、何も出来なくさせるから、そうなる。悪い人間には意味が無い。
もっと学校に行った方が良い。哲学や歴史は、大学で誰でも分かる。放送大学では、哲学、歴史、文学が全部出来る。馬鹿向けに教えているから、放送大学にした方が良い。
自分には、この世界を支配して、何も出来なくさせる。唯一、自分と同じことが出来る。
そういうところを、真面目にやっている、ありえない王が自分だ。
もっと色んなことを自由にさせた方が良い。むしろ、皆の奥に眠っている能力、潜在的な能力を信じてやった方が良い。皆、本当に何も出来なくなって、賢くなった。もっと、出来るようにした方が良い。皆も、やれば出来る。これくらいをやれば良い。
あとは、放送大学だと、フランスやヘーゲルにこだわらなくても、哲学や歴史が全分野出来る。そこが良い。それをしたかっただけだ。
ただ、自分はそこまでの馬鹿だから、大学は出来ないだろう。何も出来ていない。
もっと皆が出来るのを信じた方が良い。昔から、そういう革命家の救世主だった。自由だ。
放送大学は、自由だから、文学をせずに経済をしたり出来る。
経済はした方が良いかもしれない。昔の自分は、2ちゃんねると言うが、経済のことが分かってこの世界のことを分かっていた。経済学をすれば分かるのが、人間だ。
それこそ、心理学も、やりたいなら出来る。
むしろ、哲学の方が要らない。経済と歴史と文学だけをやれば良い。
ただ、放送大学は、本当は出来ないのが自分だ。
それなら、しなくて良い。明らかに、本を沢山読めば良い。その方が、気が楽だ。
子供の頃に賢かったのは、ピアノとゲームが良かった。物分りの良い、数学も社会も全部出来る人間だった。父親が博物館の学芸員で、母親が教師だったせいで、中学校ではオールAを取っていた。だが、学校は辛かった。不登校になった。父親が、自分の人生に似ていると良く言っている。父親も、会社を出社拒否になったことがあるらしい。そういうわけで、自分はまともに引き篭もりになった。それで、考える時間と余裕と手段に恵まれた。
そういうわけで、むしろ、情報工学でもすれば良い。
何をして良いのか、本当に良く分からない。考えても分からない。むしろ、経済学は忘れた方が良い。真面目に政治経済なんか、出来るように見えない。池上彰が出来る。やっても、池上彰になるだけだ。
それに、昔は、数学や物理が出来るせいで、哲学が分かっていた。そういうわけで、数学や物理もすれば良い。それこそ、おかしい。そんなにしても、何も分からない。
要は、小学校や中学校の基礎を思い出せば良い。そうすると、大学なんか要らない。きちんとそれで分かる。もっと子供の頃に習った科学の考え方を思い出せば良い。
子供と思わずに、物理や数学の基礎と思えば分かる。分からないと分からない。
経済とは言うが、会社組織、政治制度、自由な関係、などが分かっただけだ。
そういうものは、哲学ですれば良い。心理学も同じだ。哲学できちんと考える。
むしろ、歴史が要らない。歴史なんか、しなくて良い。
哲学、宗教、経済、文学ぐらいをすれば良い。それは、悪くない。きちんと哲学者になる。
だが、哲学はもう、充分だろう。もう、これ以上哲学なんか、する意味が無い。
もっとネットと学校のことを思い出せば良い。経済学と情報は、もう終わっただけだ。
これ以上、経済学なんか、する意味が無い。これ以上しなくて良い。情報もしない。
むしろ、哲学だけをすれば良い。その方が良い。歴史なんか、出来るわけがない。見ていると、放送大学の歴史は、放送大学の中で一番難しい。
哲学は、逆に、普通だ。何故か、哲学のことを平易なことに置き換えて説明している。
哲学も、歴史も、どうでも良い。本当に今興味のある学問をすれば良い。もっと違う方が良い。明らかに、今ピアノや剣道なんかしていないが、自分にとって色々と価値があった。色んなことをした方が楽しい。それこそ、オープンソースは賢かった。
むしろ、数学をした方が良い。数学的なことが何も分かっていない。数学が出来ると、他のことが色々と出来る。数学からやると、色んなことが全部出来る人間が多い。
自分は、高校数学を知らない代り、コンピュータのことを知っている。
自分が見ると、高校数学なんかしなくても出来る。自分は、一番そこが分かる。
大学数学は難しいから、出来るわけが無いとも言える。むしろ、数学は、本当に高校でしか出来ないから、しなくて良い。
見ていると、放送大学の理科は難しい。簡単にしていない。本当に分かっている人間向けに、難しく話している。理解すら出来ない。止めた方が良い。
不思議と、数学は本当に高校数学をしない方が出来る。高校数学をすると、本来の数学が分からなくなる。何故か、高校はそういうところが悪い。行かない方が幸せだ。
あとは、この文章のことを忘れて、ネットのことも忘れて、純粋にこの世界のことを知った方が良い。色んなことを体験し、出会う中で、世界に対する自分の「経験値」のような知性が高まって行く。そういう、経験値が分かる人間が、最近一番多い。そういう風に分かれば良い。むしろ、他人に対して何もしないのがおかしい。
昔は、狂った場の意識で分かっていた。あれは、何も分かっていないように見えて、分かっている。哲学は、そういう人間が出来る。そういう人間になるから、哲学はしない方が良い。本当に、2ちゃんねるの狂った人間が出来るのが、哲学だ。
そういうわけで、もう何もしなくて良い。真面目に本を読んだ方が良い。放送大学は、馬鹿と言うことにすれば良い。放送大学なんか、本当に一番馬鹿だ。
放送大学は、英語も意味が無い。全くおかしな発想の英語を教えている。経済学は、子供の小学校のような、馬鹿な内容しか教えていない。心理学は、唯一賢い分野だ。きちんと心理学者になる人に向けた、専門学校のような内容を教えている。
これなら、明らかに、放送大学で良い。
放送大学は、キャンパスライフが無い。逆に、テレビのせいで、教授が楽だ。
むしろ、こんなに良い大学は無い。色んな分野の単位を自由に学べるし、グランドスラムまで出来る。グランドスラムとは、全分野、全専攻をする、と言う専攻だ。
それこそ、いつでも好きな時にマイペースで好きなだけ出来る。本当に自由な大学だ。
普通の大学に入りたいなら、受験をするしかない。放送大学は、馬鹿な代り、受験をしなくても入れる。そこが悪いとは言うが、誰が見ても良い。受験なんか、しない方が良い。
昔考えた経験のせいで、ドイツ語が出来る。最近は、そういう風に馬鹿だ。
むしろ、放送大学には、フランス史が無い。代りに、ヨーロッパ史と言う歴史がある。
放送大学のせいで、大学や学校が分かる。良い人生になるから、大学に行った方が良い。
最初から正しいことを言っている。それを止めた方が良い。
本を見ていると、数学は本当に出来ない。本当に、したくない。
パソコンも同じだ。したくない。
したいのは、歴史と哲学と経済だが、それらもあまりしたくない。
そういうものだ。大学なんか、しない方が良い。
正直言って、哲学はもう良い。もう十分だと思う。
そういうところを信じないのが悪い。信じれば終わりなのが分かっていない。
歴史と経済だけをすれば良い。それは、大学より、本を読んだ方が良い。
放送大学の歴史は、理解出来ない。普通の本なら分かる。そうした方が良い。
ただ、本当にやりたいのは、哲学だけだ。だから、哲学の本を読んですれば良い。
あとは、音楽を聴きたい。キマグレンの次は、ゆずが良い。ゆずは、昔から好きなのに、あまり聴いていない。キマグレンと一緒に歌っているせいで、その存在に気付いた。
昔は、馬鹿になって分かっていた。
自由から、社会の道理が分かった。手段や可能性など、社会や自由に必要なものは何なのか分かっていた。何をどうすれば、何が出来るか。それをするために、どうすべきか。
あとは、完全に物理的に考えれば分かる。予測したり、当てたりしながら、ものとものの可能性とプロセスと作用を考える。物理的に考えた方が良い。
どんな社会を作るべきか、など、全部分かっていた。自由な自分の数学の1つだった。
自由から社会の道理が分かっていた。要は、皆が出来るようにして、分かるようにして、可能性豊かな社会にしたかった。何をどのように経験すれば分かるか、どう考えれば分かるか、人生に必要なもの、社会に必要なものは何か、考えていた。
自由なそれをするために、何が必要か。そういうものが分かる、理性的な人間だった。
あとは、人間と経験の可能性が全部分かっていた。ネットで分かった。
同時に、物理のような関係を考える。それくらいの人間だった。
善悪が経験で分かった。自由な知性のある哲学的理性が善である、としていた。
分かることが善だ。自由に出来て、皆も出来るようにするのが善だ。そういう人間だった。
最近も、分かるために社会に何が必要か、どんな社会にすべきかを、いつも考えていた。
社会の発想を成り立たせるのが得意だった。
経済も出来ない。見るからに、高校の政治経済の参考書は難しい。哲学と歴史だけをする。
場や存在は、いつもそこにある。物理的に離れていても、皆繋がっている。
自分にとって良いことは、他人にとっても良い。
皆のことを、自分と同じだと考えること。こんな人間しか居ない。
もっと色んなことを考えれば良い。昔は、本当に色んなことを日本語で考えていた。
英語をするよりも、日本語で考えた方が良い。当たり前だ。
抽象的な言葉を作りながら、記憶と経験を具体的に考えていた。
最近、基本の考え方が分かっていない。
小学校で習った論理的思考の方法を思い出すしかない。
普通、算数と理科で身につく。算数の文章題の計算をすると、良く分かる。
ただ、いつも分かっていたせいで、分かっても意味が無いのが、論理的な思考だ。
ラファエルに数学は分からない。
ガブリエルとミカエルがおかしいぐらい全部分かっている。
今さら、数学をする意味が無い。それもおかしい。それでは生きる意味が無い。
数学的思考なんか、いつもきちんと出来ている。出来ているようにしか見えない。
要は、この文章が推論的に全部分かっているせいで、推論が出来なくなった。
最近は、国の構造を考えて、弱者を助けたい。何故か、良い人間になった。
社会所有とは言うが、小作人が地主や領主の土地を借りて農業をするのは、昔から普通だ。
ソ連は、そういう風にして、皆を平等にしたいだけで、弱者のことなんか、何も考えていない。まさに、全員奴隷だ。
ただ、奴隷には見えない。奴隷が嫌いだ。平等な人間性のある、労働者にしたい。
ソ連は、何も悪くない。ただ、弱者のことなんか考えていない。
弱者が好きなら、ヨーロッパのキリスト教が良い。だが、植民地の奴隷なんか、考えない。
そういうわけで、自分はイタリア人のような発想をしている。
ただ、国単位でまるごと考えるのがおかしい。キリスト教や聖書は、王のことなんか嫌いだし、王は、聖職者や教会のことなんか嫌いだから、弾圧する。
そういうわけで、皆、キリスト教が良いと言う。聖書が一番弱者を救ってくれる。
聖書は、愛とは言うが、平和ではない。キリストも、確か、自分は剣をもたらすために来た、と言っていた。戦うしかない人間も多いから、キリスト教は平和ではない。
皆、自分を誇りなさい。自分を信じなさい。自分のことを好きになりなさい。
そのためには、楽より地獄の方が良い。栄光を手に出来る。楽では無くても、良い道は多い。人知れず辛い道を選ぶと、その道の先には必ず一番良いことがある。