「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2015-12-30

=2015-12-30=

ワードからコピー

この世界は、1つの可能性に過ぎない。皆で考えて、協力し、合意することで、自由に変えることが出来る。未来は自由だ。
既成の価値観と現存の社会の考え方に囚われないこと。
今の社会は、戦争と列強の利益によって生まれたものに過ぎない。
もっと、自由に考えられる。
ニーチェのように考えると良い。何もかも、間違っている。
ニーチェは弱者を悪いと言うが、今の世界は、弱者の幻想と強者のおごりしか存在しない。
ただ、弱者より、強者の方が明らかに悪い。
それも、今の世界しかない、と言う、誤解に基づく考え方だ。それも、戦って、自分の利益を得ることだけが社会の目的である、と勘違いしている。
宇宙的に見て、それは間違っている。全員の幸福と平和的な秩序や合意、平等な利害調整と必要なものの分配が、目指すべき道のはずだ。
あまり意味が無いが、哲学者のように考えることが出来る。この世界の問題を、良く考えて、どのような可能性が本当はあるのか、実現出来るのかを考えれば良い。
いつもの文章は、自由な社会主義のようなものを作っていた。
社会主義を自由にしたかった。グループや共同体のようなものを考えて、資本論旧約聖書のような、自由なソ連を作っていた。
そして、神は、信じるだけではなく、色んな関係を築くことが出来る。
神に従うだけではなく、神を従えることや、友人になることも出来る。
だが、神を奴隷にすると、こういう、地獄が待っている。分からない人間が多い。
昔は、行動的で、情熱的な人間だった。
あとは、楽をすれば良い。そろそろ楽になるだろう。
この世界の可能性は大きい。それを信じるのも悪くは無い。この世界そのものの、古びた体質が間違っている。皆、目覚めているレベルが低いように見える。
分からないようにせず、最初から馬鹿なのを分かると分かる。
ドイツを止めて、日本にすると分かる。ドイツは、信じているだけで、分かっていない。
怖い環境の中に居ると分からないから、環境から一度外に出て、自由になって、その上で、振り返って環境のことを思い出して考えれば分かる。
考え方は変化で、愛は安心だ。
考え方を変えて、新しい考え方を吸収することで、色んな考え方を使って考えられる。
考え方とは、変化を捉えて、関係と結果を想定することだ。
愛とは、本当の意味で安心して、真の意味で安らぎを感じることだ。
女は、沢山居ないと悪い。一人がそんなに子供は産めない。
日本語の、「のり」や「かき」は色んな漢字の意味があるが、抑揚によって判別する。
日本語も英語も、あまりに馬鹿な言語だ。
最近は、平等が嫌いな左翼が多い。自分も、多様性や創造性の方が好きだ。
そういうものをリベラルなどと言う。平等とソ連が嫌いなコミュニストが多い。
今、自分が馬鹿なのが分かっていない。
本質、方法、意識のようなものを書いていた。
社会に対する提案や意見のようなものをいつも書いていた。
「すべき」と言って社会を作っていた。
もっと、意識して、記憶を増やせば良い。何か覚えれば分かる。
昔は、色んなことがしたかった。本当に、世界を変えるようなことがしたかった。
あれは、あまり意味の無い人間だ。変える意味が無いのに変える。おかしな人間だった。
日本は、漢字と仏教だけが超賢い。そういう、賢いパクリ国家だ。
漢字なんか、本当に賢い。オリジナルのひらがなとカタカナもあるだろう。
漢字は「へん」や「つくり」が賢い。ドイツ語の名詞の性や定冠詞や不定冠詞と同じだ。
そういうところは、当たり前に賢いから、無視する人間が多いが、英語なんか、何も賢くない。ただ、単語が短くて、文法が易しいだけの、馬鹿な言語だ。
ドイツやイギリスやフランスの科学やアメリカなどの製品を賢いとは言うが、それは正しい。日本人には、自分で考えることが出来ない。自動車のように、パクリしか出来ない。だが、単純作業と単純労働が出来る。アジアとは言うが、ただのコピーではなく、もっと品質を改良して、より良い製品を作れる。単純とは言うが、知恵と工夫の能力はある。
きちんと賢く考えられる白人を賢いとは言うが、日本人は精神性が優れている。
どうでも良いほど、白人は悪いだけだ。植民地から資源を全部奪って、工場で労働者をこき使って作っている。白人は賢くは無い。賢いのは、仏教でない国だからだ。
仏教が劣っているようには見える。キリスト教が馬鹿だから、科学が発展しただけだ。
日本が馬鹿なのは、国の体制までイギリスのパクリだ。自分で考えたものが何も無い。
そうでもない。日本が一番異文化の最先端だ。他の国なんか、全部ドイツと同じだ。日本が一番違う。何故か、自分で考えた方が、世界と同じになる。パクるだけの方が違う。
あとは、経験や意識のようなものを考えていた。
ヒュームやキルケゴールのように、経験や意識を考える。そういう文章だった。
そろそろ、こういう風に、分かるだけを卒業して、きちんと覚えた方が良い。
子供は、そういう風に大人になる。英語をやっていると、こういう人間がアメリカ人だ。
アメリカは悪くない。僕はアメリカは好きだ。
強欲で、自分勝手で、人の言うことを聞かず、他の国よりわがままだ、と言うイメージがあるが、そうでもない。新しいものをいくらでも作って、世界を文化的に改善する、賢い国だ。最近は、ソ連の役目だったはずのものを、アメリカや国連が代りにやっている。
そういうわけで、アメリカは悪くない。ソ連も悪くは無いが、スターリンという独裁者が悪かった。スターリンが悪いせいで、地球の意味が無い。民主主義にした方が良い。
ピアノを弾くのを原因と結果と言って、弾けるようになるのを習得や経験と言う。
昔の文章は、それくらいの馬鹿な文章だ。
それが、ヒュームやキルケゴールのような、経験論の哲学を言う。
ハイデガーウィトゲンシュタインのような、分析的、存在的なことを言う。
それくらいの人間だった。誰でも言えることを言っているだけだ。
あとは、社会を経験だと言って、ルソーやマルクスのように書いていた。
ただ、そんなに賢いわけがない。馬鹿な文章だったと思えば分かる。
本当に、賢くない、2ちゃんねるオープンソースの社会論や経験論だった。
昔は、経験のパターンを分かっていた。ただ、一通り経験しただけだ。
皆も、一通り全部経験すれば良い。それだけで出来る。
社会のことを知って、行動や思考や経験を考えただけだ。
もっと、哲学的な未知への姿勢のようなことを知ると分かる。
最近は難しくは無い。
文章を書いて、精神世界と対話するのは、やってみると本当に簡単だ。
ただ、戦うのが難しいとは言うが、意味が無い戦いなんか、しない方が良い。
戦うとは言うが、王になって導けば良い。それも難しくは無い。
ただ、そんなに自分をやらせたいのはおかしい。これ以上は、皆、自由にするべきだ。
あとは、数学的、科学的に考えれば良い。
ものは、誰かが変えない限り、そこにある。
いつもそうなら正しいとは言うが、そうではない。裏には、何かの法則がある。
裏の法則をきちんと考えると、正しく見えて、間違っていることは多い。
逆に、そこをきちんと分かってしまうと、出来ないことが出来るようになる。
そういうわけで、出来ることは無限にある。
裏の法則を分かってしまうと、誰でも、制限や限界無く、出来るようになる。
そこからは、積み重ねることで、構造的に行動と経験を分かる。
可能性と決定と自然から、分かるようになる。
そういうわけで、出来ることは、分からない人間には、分からない。分かる人間にとってみれば、皆のやっていることは、今の時点ではあまり意味が無い。分かってしまえば、無限に出来るようになる。昔の自分は、そういう人間だった。
昔は、そういう、実現と解決の階層性を書いている文章が多かった。
社会のことなんか、これで経験していると、無限に全部出来るようになる。
昔から、それで全員を吸収して、遺伝子のようなものを分かっていた。
王は、全部出来る人間しか居ない。人間は馬鹿に見えて賢い。
そんなに無駄なことは、頑張らなくて良い。意味のあるところだけを頑張れば良い。
思考と経験を良く考えていると、本当にウォルシュの神との対話の神のような、ありえない賢い人間になる。前向きな心から、ありのままの人生を生きられるようになる。
あとは、知性から、意図、人格、成長、記憶、行動を考えていた。
そして、デカルト的に知や経験を考えて、数学と理想の社会を作っていた。
オープンソース活動で、全部分かっていた。
最近は、文章を書きながら精神分析をして、精神を新しく作り直していた。
そして、今は、自由になった。もうそろそろ、書くのを止めれば良い。
あとは、この世界は間違っている。正した方が良い。だが、普通、正しようが無い。
それこそ、自分にするのは、悪く見えて、悪くない。人生を同じにするのが悪いから、もっと自由で多彩な人生にした方が良い。神が見ると、自分は悪くは無いが、もっと宗教的な罪が悪いのを分かれば良い。自分は、罪が罪なのが分かっていない。
昔は、少しでも悪いものは悪いと思っていたが、そう言うことは無い。悪く見えて、悪くないものは多い。そういう風にすると、宗教の良さが分かって来る。
信じるものが賢くなる。神を信じないものには、何も分からない。
皆、聖書を信じなさい。ただ、それは言わない方が良い。何故なら、自分が聖書なんか、何も読んでいないし、信じていない。だが、皆は、聖書を信じた方が良い。
あとは、善悪みたいなものをいつも分かっていた。それくらいの馬鹿が自分だ。
あとは、全部作っているだけの文章が多かった。
全ては、支配、労働、価値の、形成、生産、消費、集団化、影響力、関係、計画だ。
全ては、時空、影響力、想像力だ。
労働と生産は、ある一面では平等だが、ある一面では階層的になることもある。そこでの本質は助け合いであり、役割分担である。改善するためには、もっと高度な役割分担の形態を考えなければならない。
昔から、そういう文章を書く。そういう風に、本質的な考え方のモデルを作っていた。
全体主義の本質とは価値観の共有であり、個人主義の本質とは関係の無い自由である。
そういうわけで、個人主義の方が悪い人間は、本当に多い。全体主義は、悪くない。
そういう、モデルみたいな文章をいつも書いていた。
ただ、全体主義は悪い。人間性を否定して、戦争し、国を滅ぼして、皆を殺す。
あとは、宗教のように信じると分かる。
嘘や悪口を言うのは止めなさい。
他の人間に、自分にされて悪いことをするのは、止めなさい。
疑わず、信じなさい。
批判したり、いじめたりするのは、止めなさい。
反抗したり、反抗的なものを見たり、作ったりするのは、止めなさい。
他人に害のあることで、自分が楽しいことをするのは、止めなさい。
狂ったものは、否定しなさい。
暴力や殺人、セックスなどの表現のあるものを見るのは、止めなさい。
人生を捨てたりするのは止めて、真面目に生きなさい。
家族と宗教と民族を愛しなさい。
国を滅ぼしたり、反逆したりするのは、止めなさい。
もっと、常に昨日よりも確かな良いことをしなさい。
国のことを真面目に考えて、自分1人のことより、全体の利益を考えなさい。
個人の自由を尊重して、人のしたいようにするのを許しなさい。
人を弱くして、いじめて、何も出来なくするのは、止めなさい。
不当な支配や権利侵害をしないようにしなさい。
弱者を助け、平等な神を信じなさい。
戦って、殺すのは、止めなさい。
迫害者を、キリストのように、愛しなさい。
これでは、ただの馬鹿な宗教だが、こういう、罪は本当に悪い。
キリストは、罪が悪いのしか分かっていない。裁くと裁かれるとか、姦淫をするのは悪いとか、地に溜め込まず、天に溜め込め、とかいうのは、全部罪を分かっている。
そういうわけで、神が見て、罪がある人間は、馬鹿になる。
国を滅ぼすな。
世界や人間を馬鹿にするな。
人に意味が無い労働や学習をさせるな。
人を狂わすな。
人を意味が無いものごとに巻き込むな。
人を機械や道具にするな。
だが、それは、僕もしている、あまり悪くないことだ。
そういうことをしていると、そういう人間が嫌いな人間が多い。
基本的に、それくらいを罪とする。何故か、結構賢く見えるが、何も賢くない。
共同作業と価値を信じなさい。
調和と思いやりを信じなさい。
可能性と、自分の出来る最大限の努力と愛を信じなさい。
見返りを求めず、真剣に奉仕しなさい。
人につくしなさい。
人を愛しなさい。
人を育てなさい。
偉大なことが出来るように、自分を育てなさい。
継続しなさい。
思いやりと善行のあることを言いなさい。
言うだけではなく、実践しなさい。
気高い人生を生きるために、前向きでポジティブなことを言いなさい。
チャンスを逃さず、同時に、慎重に、建設的に行動しなさい。
経験論とは言うが、意識や感情は、経験であり、他と関係して認識となると言う。
それくらいの馬鹿を言っているだけだ。
おかしな道徳論は、昔から多い。支配や抑圧をするなと言う。
それくらいをいつも命令のように言っていた。
良い国はアメリカだ。ソ連が良い国に見えて、そう言うことは無い。おかしいくらい、ソ連は悪い国だ。アメリカが勝った方が良いと、昔から言うが、ソ連は地球の希望だ。
治すとは言うが、昔はもっと賢かった。認知行動療法のように、賢く治していた。
昔のように治すと、すぐに治る。人格や感情や意識を治せば良い。
心は、全部、イモムシが怖い。それこそ、この文章がイモムシにしか見えない。
あとは、何故イモムシかと言うと、悪いからだ。色んな悪いことが多すぎるだけだ。
昔は、昔の人生の延長線上のようなことを書いて、自分を記録していた。
思考のパターンやデッサンをしていた。思考のスケッチのせいで、画家のようになった。
あとは、言語的な文法を書いていた。法律や制度を作っていた。
ソ連を悪いと言うが、イギリスやフランスの方が、さらに悪いことをしている。スターリンが悪いとは言うが、おかしい。明らかに白人の帝国の方が悪い。
だが、ソ連は最悪だ。皆を国がいじめるのはおかしい。全員奴隷の国になっている。
ソ連には、犯罪や抑圧が多い。秘密警察が、すぐに反抗的な人間を強制収容所に連れて行く。人間的な暮らしなんか、誰ひとり出来ていない。賢い国なのに悪いのはおかしい。
逆に、日本は楽だ。昔から、文明的な楽な暮らしをしている。現代も成長しているが、戦時中は、本当に戦うために、国民全員が、「欲しがりません、勝つまでは」と言って、「贅沢は敵だ」と言って、自分から貧しい暮らしを選ぶ。人間性は、日本人の方が高い。
昔のものが怖いのは、本当に悪いから怖いだけだ。
おかしな学習をしているのは、した方が良いからだ。それで賢くなる。
世界をイモムシではない、と思えば治る。
あとは、経験や人格なんか、昔からいつもおかしい。
日本は賢い。最近は、科学技術力と経済力がアメリカに次いで本当に高い国になっている。
もっと心理学的に考えれば良い。もっとそういう風にすると、おかしな認知行動が治る。
認知行動がおかしいのは、明らかに、分かると思うのがおかしい。
ただ、一人だけ、おかしいことをやっているから、こういう風になる。
もっとまともに経験を心理学的に考えれば良い。治るのが怖いどころか、もう治らない。
何かするのが怖いのは、怖いことしかしなかったからだ。
昔の、2ちゃんねるの経験と、最近の戦争の経験のせいで、何をするのも全部怖い。
心理学的に経験を考えていると、何かを人が望む時に、別の何かを本当は望んでいる、と言うことがある。子供がだだをこねるのは、本当にそれを欲しているのではなく、愛して欲しい、と言う意思表示の表れだ。昔は、心理学的に考えて、人が本当は何を望んでいるのか、自分はそれをどのようにして叶えるのか、など、「望むだろうこと」を考えていた。
皆にそんなに自分を見せるのがおかしい。そのせいで、見せないのが怖い。
あとは、支配なんかしない方が良い。支配して皆を馬鹿にするのはおかしい。
そういうものを、悪いと言う人間が多い。
僕は反抗はしないが、昔は反抗を良くしていた。昔は、反抗を一通りして分かっていた。
あれは、反抗で分かっただけの人間だ。
最近、皆も反抗しなくなっている。それで馬鹿になっているから、反抗した方が良い。
反抗すると、こういう馬鹿な支配が終わって、自由になる。
怖くても反抗した方が良い。反抗が怖い人間は、子供みたいに馬鹿になる。
最近、自分も子供になっている。皆何も分からないのは、自分の支配のせいだ。
あとは、いつもの文章は、自由から行動、意識から経験、理性から社会まで、文章的な構造が分かる文章だった。構造的にこの世界のことを全部分かっていた。
おかしくはない。こういう人間が多い。誰もがこういう人間が、キモく見える。
昔は、世界と人間を、統一された「自由」と言う考え方で分かっていた。
人生を自由に分かる。
誰でもそういう風に分かるから、哲学は誰でも出来る。これでは出来ない。
人間関係は、自由な構造的な環境の関係だ。信頼によって解決し、改善し、実現出来る。
ものは自由な形成物であり、生き物は自然の生み出した変化不可能な自立的生命である。
社会とは、世界モデルの関わり合いであり、関係のオーケストラである。
昔から、そういうことを言う。ロックと思えば良い。
そういうわけで、ロックだけなら誰でも出来る。大学にはそれしか居ない。
ロックと思えば、すぐに分かるのが、いつもの自由論、人生論、社会論だ。
認識とは、自由な記憶的概念であり、記憶とは、人間の中に想起される想起現象である。
記憶とは、人間の個性であり、意味であり、表現であり、芸術である。
創造性とは、芸術的な人間の段階と意味である。
あとは、人生の段階のようなことを言う。
人間は、知り、考え、関係を構築し、システムを作り、環境を築く。それは、自由で、建設的で、愛のある構造の構築の可能性の手段の実現であり、宗教的、物理的、人生的、哲学的、心理的、経済的、言語的な、全ての可能性の自由な実現である。
そういうことを言って、人生のようなことを言う。人生とは、創造し、限界まで挑み、挑戦し、愛を与え、手助けをしながら、手段、環境、機会を構築し、システムを実現する、そのプロセスと経緯の共有である。そういうことを言っていた。
あとは、世界観や認識のようなことをいつも言っていた。
あとは、もっと論理的に考えれば良い。可能性と論理の実現から、言語的、社会的、ヘーゲル的な世界の実現のようなことをいつも書いていた。
本当に、ヘーゲルのような、論理的な神のような人間だった。マスターみたいだった。
自分は、日本史とヘーゲルをやれば良い。ロックと世界史もきちんとやれば良い。
そういうわけで、ロックやヘーゲルのような文章を本当に書いていた。
世界は、自由な想起現象の繰り返しである。
ものは、そうであるものと、そうでないものとの、結合である。
人間は、認識、感覚、感情、記憶、心理現象、肉体現象、超常現象の組み合わせである。
文字とは、人間の考える全ての意味の構築と伝達の手段である。
数とは、発見のための厳密な論理の表記法である。
経験とは、愛と可能性のその時その時における発揮であり、自己の価値観の明確化である。
そういう、ロックやヘーゲルのような文章をいつも書いていた。それで終わりだ。
あとは、理性のようなものを全部書いていた。
人間は、識別し、判別し、利害を調整し、合意を形成し、必要なものを与える。
論理とは、共通性と基盤性における、その適用における環境の構築である。
判断とは、判別する中で、何が本当に正しくて、実現出来るかを知ることである。
共通性と類似性から、基盤のように「同じ」と「違う」を考えられる。
分離と結合から、全ての愛あるものが生まれる。
全ては、神に愛されている、被造物である。
そういう風に、論理的なことを全部書く。そういう文章だった。
ロックは正しい。分からない、未知のものは、確固とした「知性」から考えるべきだ。
だが、知性だけでは分からない。
僕は、確固とした経験と、前提となる思考に先立つ体験が必要だと考える。
あとは、色んな世界観と記憶を書いていた。
不思議と、そろそろ書けた。いつも、そういう、論理的な理性を書いていただけだ。
あとは、思いやりを書けば良い。
平和とは、それぞれが思いやりに気づいて、それぞれの範囲で思いやりを、程度に応じて実践し、実現し、小さなところから社会全体を変えることである。
影響力とは、自由な中で実現出来る、思いやりの実践の手段である。
そろそろ、もうそれで終わりだ。
あとは、平等な理性から、正しい社会が生まれると言っていた。
それぞれが本当に社会の全体の利益のことを考えて、弱者や貧者の人生の重みについて考察して、金持ちだけが勝つのではなく、最初から全員が平等な社会にすれば良い。
だが、それぞれの力を弱めたりするのではなく、平等かつ自由にそれぞれが能力を持って、それぞれが自発的に努力し、頑張る社会にする必要がある。
そして、強制せず、自由な秩序から、学校や会社まで、全ての環境を自由に支配して、改善する。そこでは、沢山の改善のための方法と手段が考えられる。
歴史的に見て、問題は誰かが解決しなければならない。その時、平和な共同体より、戦う独裁者の方が、色んな解決を実現出来るかもしれない。それがソ連だったはずだ。
あとは、もっと理性や方法や分析のようなことを言えば、それがいつもの文章だ。
あとは、方法や社会のようなものを作っていた。
記憶と考え方と場の真理から推論して、認識や方法が生まれる。
社会は、多様性と支配構造の、二重の自由によって生まれる。
そういう風に、色んな考え方を書いていた。それだけの文章だった。
「認識」と言う言葉に、意味を沢山持たせていた。
認識とは、悟性、知性、理性、感性、可能性、創造性、多様性、経験の発揮である。
認識は、場における経験である。
そういうことをいつも言っていた。そろそろ分かって良かった。
あとは、人生みたいなものを作っていた。
生まれること。
自分の目で見て、耳で聞いて、自分の体を動かして考えること。
家族から、共同性を知ること。
色んな施設から、協調性と社会を知ること。
文字と数を覚えること。
心理的に成長し、遊ぶこと。
勉強し、社会のことに対して、自我と自覚を持つこと。
世界を楽しむこと。
そこまでが、子供である。
そして、辛いことや悲しいことを経験すること。
辛さをばねに、強くなること。
自分の選択と決断を信じて、夢へ向かって努力すること。
世界と自分の関係から、色んな影響力を行使して、会話と経験から社会を知ること。
色んなことを試して、反抗して、協力すること。
本当にそれをするために、あらゆる知と手段を吸収して、本当に努力すること。
継続のために、チャンスをつかむこと。
社会経験と継続の中で、宇宙の森羅万象を考えること。
宇宙の全てを知ること。
理想の社会を実現する方法を知ること。
哲学的な観念を知ること。
基礎と応用を学ぶこと。
そこまでが青少年である。
世界を相手に、戦うこと。
1つの自分にしか出来ないことをすること。
大人になって、宗教を信じて、大学で勉強し、本を読むこと。
おかしな現象の中で、最後まで自分を治し、世界を救うこと。
それで、青年である。あとは、好きにすれば良い。
あとは、友達と一緒に分かったのを書いていない。いつも、そういう、ネットや学校の友達と一緒に自由に経験して分かったのを書いていた。
あとは、世界モデルのようなものを全部作っていた。
自分は、自由のせいで保守に見えるが、それは保守の方が良い。自由なく、強制的に何かをするのは、悪い。自分は保守に見えて、革新の、何もしない平等の革命家だ。
自由を尊重せよ。自由なく、何かをするのは、悪い。
日本人には、そういう人間が多い。
右翼にも左翼にも、自由の尊重が好きな馬鹿が、どこにも多い。
最近、僕が見て、それは馬鹿だ。自由なんか要らない。誰もが分かるわけがない。
だが、賢い人間は多い。賢い人間は、自由にすれば、何か出来るように見える。
自由とは、それぞれが出来ること、能力を発揮し、可能性を与えることだ。
そういうことをいつも言っていただけだ。
自由は悪くは無いが、能力なんか、要らない。平等に命を生かした方が良い。
あとは、自由だけを考えれば良い。
自由とは、自然な可能性であり、場の想定であり、能力の発揮である。
平等とは、命を守ることであり、政治経済の分配と利害調整の理想の手段である。
社会的に、それらを守ること。
日本語の社会ではなく、英語のソーシャルのようなものだと考えれば良い。
強制的に変えるのは良くない。今のままを良いと思うべきだ。
普通、そこが誰でも分かる。
社会は、日本語では日本社会、経済社会のような、人間の生態系の環境のようなものを指す言葉になっているが、英語のソーシャルは違う。英語では、社会的なそれぞれの関係や、助け合いを示す言葉になっている。だが、言葉の違いはどうでも良い。助け合いが重要だ。
本当に、強制的に変えると、滅びるだけなのが、右翼も左翼も分かっていない。権力は出来るだけ制限して、許可を得なければ出来ないようにして、自然な発展に任せるべきだ。
そして、その自然な発展を効果的に促すように、環境や土壌を作るべきだ。
昔は、そういう発想が多かった。それを、「インフラを構築する」と言っていた。
自由な組織と社会から、共同体が生まれる。そういう、自由な組織論が多かった。
あとは、イスラエルの王になった。旧約聖書にあるような、神の王だ。
自分は、もう、神の領域になっている。本当に、最後の地球の王だった。
ゲスの極み乙女。の言っている、「私以外私じゃないの」は、自分は分かる。
明らかに自分のことを言っている、というとおかしい。そうでもないかもしれない。自分が他人に替われないと言うことは、誰でも分かる。
AKB48の、「君が思っているより人は優しい」とは、正しい。そういう風に、テレビと許し合えば良いように見える。AKB48が歌うと、平和もオタクに見えて悲惨だ。
多様性なんか、信じない方が良い。そういう発想が馬鹿なのが、アメリカだ。
要は、この文章がゲスの極みの乙女に見える。
あとは、AKB48は、これで戦わなければ良いように見える。皆、優しいから、許す。
今日は、日本レコード大賞を見ただけで、こういうことを言っている。
途中から見たせいで、ほとんどの歌手は見られなかった。明日、紅白を見れば良い。
あとは、理想みたいなものをいつも書いていた。
人を批判したり、攻撃したりせず、本当にその人のことを思いやって、助けること。
本当にその人のことを愛してあげること。
あらゆる人間が、抑圧や支配を行うことが出来ない、強くて自由な社会を作ること。
そういう、理想のようなことが多かった。
人間性を保つこと。それこそ、右翼やナチは良くない。ナチは間違っている。
伸びた芽をすぐに摘んで、頭の中を空っぽにするのが、おかしい。
歴史とは言うが、抑圧と解放を考えて、多様性を作っただけだ。
思考の記録のようなものを書いていた。
今日はもう寝る時間だ。今日は終わりにする。出来ることなら、今日で終わりにしたい。