「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2015-11-23

=2015-11-23=

ワードからコピー

経緯を考えれば分かる。普通、経緯を考えて分かるのが人間だ。
習得、もの作りのプロセス、社会や人間の歴史、自然の変化などを考えた。
自然は、変化する。人間の変化に比べればゆっくりだが、変化している。
会社は、世界を変えられる。
ものは、学習と方法から生まれて、分配のシステムによって手に入れることが出来る。
あとは、全て分かっていた。
覚えていないが、歴史や治すのようなことを昨日寝る前に書きたかった。
そういうわけで、経緯や変化のようなことを書いていた。
組織や場を作るプロセスや、人間の歴史のようなことを書きたかった。
昔から、経緯を考える。子供のように経緯を考えて、経験や原因や歴史を分かっていた。社会の変化のようなものを分かっていた。人間の人生を経緯から分析していた。
あとは、学習、経験、人生の経緯や段階を全部言っていた。
今日は、疲れる。本当に辛い。もう、止めたい。
もっと、人生を経緯から考えれば良い。子供にそういう人間が多い。
あとは、抽象的なシステムの構築の経緯のようなことを言っていた。
ボトムアップ的、集積的に、皆でシステムを作るのを言っていた。
そして、作れば生まれる、のような、可能性のようなことを分かっていた。
歴史みたいなことを書いていた。社会の可能性と制度を歴史的に考えていた。
自由に許される権利、許可、理性、経験、可能性を考えて、社会を自由に作っていた。
言論の自由とか、宗教を皆で決めるとか、自由なことを言っていた。
真実や実際の分析が多かった。
ネットで経験して分かっていた。その経験を、もっと自由かつ実地的に書いていた。
経験から、社会や価値観の分析をしていた。社会をどのように統治すべきか、のようなことをいつも考えていた。何が問題で、何をすべきか、のような意見を書いていた。
決定と可能性で分かっていた。
思考、環境、影響力、反応、客観視、理想、歴史、法則、学習、などを吸収していた。
神は自分のことを「普通」だと言っているが、神が見て正しいことを言っている。
労働の経験と自由な人生を生きられる、「人生主義」と言う思想を作っていた。
自分は、認知症になっている。何も出来ないから、しない方が良い。
昔は、方法と歴史で分かっていた。立場と立ち位置を吸収した。
今日は辛い。何故か、本当に辛い。だが、それこそ、いつも辛い。
あとは、相対性や判断基準のような、賢いことを言っていた。
治る状態になれば治る。
認知症は、死んで行く病気だから、すぐに死んで楽になる。
もう辛くない。認知症で頑張るのは止めた方が良い。
経緯は、原因を吸収して分かっていた。
もう、天使になる。それで終わりだ。
あとは、ボトムアップのようなことを言っていた。
あとは、変化と実現のようなことをいつも書いていた。
いつも、「覚えている」体験が多かった。
怖いのは、認知症になっているからで、何も出来ないからだ。
分かると怖くない。もう楽になる。
それこそ、結婚も仕事も何も出来ない。すぐに死ぬ。日本語も分からない。
疲れるせいで、何も出来ない。疲れるのは、認知症のせいだ。
皆のことを本当に信じてあげる、必要なことは全てしてあげて、その人が自立して考えられるようにしてあげる、情報や助言を与える、など、思いやりのような内容が多かった。
岩崎宏美が言っているように、ある日その人が背中を向けても、自分は遠くから見つめている。そういう、聖母のような愛だった。
あとは、足にはいつもの文章が全部残っている。
認知症で良いと、足が死んですぐに楽になる。そうすると、認知症がすぐに治って、まともな賢い人間になる。認知症は、認知症になると治る。それで楽になる。
何故か、日本人は普通に認知症だ。普通にそこまで馬鹿な人間が多い。
独裁者は間違っている。全員の合意を得た上でやるべきだ。
だが、そういう、平等で自由な理想は、無責任なところがある。合意なんか、出来るわけがない。強制的に執行するしかない。それも、同じように愛するべきだ。
戦争は、相手が降参するまで戦えば勝てる。
そういうわけで、軍事力や兵力は少なくても、賢ければ勝てる。
日本は、中国やロシアに勝ったのだから、アメリカにも勝てるように見えた。
当時は、日本が勝つとばかり宣伝されていた。負けるはずが無かった。
ある歴史の本には、イギリスやフランスなんか、相手にならないほど弱いと書いてある。
ドイツは、当初は勝っていた。太平洋戦争は、勝てるはずの戦いだった。
負けたとは言うが、天皇は殺されなかったし、主権はすぐに回復した。
それに、負けたのは、核兵器が落ちて負けている。核兵器を使うアメリカの方が悪い。
ただ、日本は負けて良かったように見える。経済最優先の、平和な民主主義国家に生まれ変わった。そこは、アメリカが賢かっただけだから、日本人はアメリカが好きだ。
いつもの文章は、相対的なシステムを全部書いていた。相対的な考え方を作っていた。
もう終わった。今日は、もう楽になる日だ。もう、何も出来ない。
戦争は悪い。犠牲者を沢山出して死んで行く。どちらも悪いだけだ。明らかに日本が悪い。
太平洋戦争で勝っていれば、日本はアジアに大東亜共栄圏を作って、天皇中心の政治をやっていたはずだが、そんなものは良く見えない。
今の日本の方が良く見える。平和で、民主的で、豊かだ。本当に今の方が良い。
そういうわけで、悪いのは日本だ。それこそ、勝った方が正義にしか見えない。
あとは、作用しか書いていない。一切作用だけを書いている。
何もかも作用を書く。
昔は、反応しか分かっていない。それで賢い人間になった。
日本は悪くない。大東亜共栄圏がもし出来たとしたら、中国から太平洋にまたがる広大な帝国になって、ローマ帝国のように栄える。それを目指していただけだ。
そんなことは出来ないように見えて、軍事力があれば出来る。そこが賢かった。
だが、右翼は止めた方が良い。右翼は、世界を破滅させたいだけだ。
小さな島国で経済大国になったのは、むしろ、キモイ。シンガポールや台湾に見える。外国から見ると、そういうキモイ国にしか見えないのが戦後日本だ。
経済成長はバブルだし、最近はITだ。豊かになったのは、働いたのもあるが、結構、偶然やまぐれだったところがある。株が上がっただけ、幸運だっただけだ。
それこそ、大東亜共栄圏で同じように働けば良い。ローマ帝国のような理想の帝国になる。
あとは、教育で左翼を教えるせいで、皆馬鹿になっている。軍国教育は悪いが、子供の頃から左翼になっていると、何か分かるわけがない。反抗的な子供にしかならない。
自動車を輸出して儲けているのは、ドイツやアメリカのコピーを作っただけだ。それも、軍需産業が発達していたから出来ただけだ。
ただ、そんなに右翼や戦前が好きなのはおかしい。民主主義の豊かで平和な日本の方が、良く見える。右翼はおかしい。戦後の平和と経済成長が嫌いなのはありえない。
右翼はおかしい。おかしな考え方をしているのが右翼だ。
大東亜共栄圏でアジアが良くなるなら、それで良く見える。悪いのはイギリスだ。
だが、こういう考え方は、戦争を賛美しているように見える。
戦争は、誰もが悪いと言う。一番おかしいのが自分だ。戦争は悪い。平和な方が良い。
イギリスは哀れだ。インド人を悪魔のように植民地支配しているのは、白人にインド人につく馬鹿が居ないからだ。そこで、インド人につくありえない人種が日本だ。
それこそ、日本は怖いだろう。イスラムより先に、まともに白人と戦っている。
おそらく、白人の誰か支配者が、アメリカに広島と長崎に原爆を落とさせた。どうでも良い組織がやったように見える。それこそ、日本も落とせば良いようで、そういう組織のせいで出来ない。日本が落とすと、そういう組織が何かするように見える。
おかしい。狂っている。そんな組織があるわけが無い。自分の言うことはアホみたいだ。
大東亜共栄圏は、日本によるソ連だ。統制経済天皇の下に行う。コメの配給もきちんとやっている。日本は悪くない。理想の良い世界を作りたいだけだ。
ただ、これではソ連と同じに見える。一番、失敗作に見える。しない方が良い。
昔は、相対性と自由で分かっていた。
観察や実験と工夫から、経験的に分かる。
そういう、考え方をいつも言っていた。
道や段階をマスターのように書いていた。
それこそ、自由が好きだった。反抗的で、全体主義のようなものが嫌いだった。
何故か、科学を作って物理的に考えて経験することで、全てが分かった。
法則を発見しながら、人間をモデルにして、環境と想像力で分かっていた。
そういう、昔を、もう覚えていない。
ITやパソコンのようなことが本当に多かった。インターネットが好きだった。
自由になることでしか、分からないと思っていた。
戦いは、死なずに出来るべきだと思っていた。いつも、戦って分かっていた。
引き篭もりになって、沢山のことを仮想世界で経験した。
馬鹿だったが、まともな人間だった。会社員のようになって、自由、経営、言語のようなことから、哲学者のように分かっていた。
経験や考え方が全部あった。基本的には、自然と相対性が好きだった。
だが、あれは、たまに自由も嫌いだった。特に、国家の自由が嫌いだった。
それこそ、科学とは言うが、おかしな哲学だった。不自由で、自我の無い、おかしな仏教のような考え方をして分かっていた。
パソコンのせいで、数学者のように分かった。自分の数学を作っていた。
労働の経験や、社会の真理のようなものが、全部分かっていた。
専門を横断して分かった。全てが、全体像を見ることで、経験と会話で分かっていた。
見聞きして、自己表現したりして、恥をかいて、仏教のように分かっていた。
科学者のような人間だったが、馬鹿だった。悪いことを全部1度だけして分かっていた。
自由が好きだった。それこそ、悪いことをしなければ分からないと思っていた。
あれは、馬鹿だ。何も分かっていない。狂った青年が、慈愛の精神で分かっていた。
神の愛、神の眼、神の導きが既に分かっていた。そのまま、神を信じるようになった。
法則的に考えて、神も科学的に存在するかもしれない、と思っていた。
何もかも、心理学と数学を作って分かる。社会のことは、実現的、心理的に考えていた。
社会の意識が全て分かっていた。集団と個人のようなことが分かった。
パソコンのせいで、方法やシステムも分かっていた。
ただ、あれはただの2ちゃんねるだ。
青春のような、良い体験だった。色んな人と交流して、仲間になった。
本当に良かった。皆と一緒に知った自由だった。
最近、考え方のようなものが分からなくなっている。モデルにして考え方を分かれば良い。
構造と関係を動的に作成することから、モデルで考え方と経験の批判を分かっていた。
そして、人生が分かっていた。人生のことを、自分の経験から、総じて全て分かっていた。
昔は、抽象的に、言葉を作って分かっていた。積み重ねて、論理的に分かっていた。
経験は、網羅的に全部経験しただけだ。
あとは、想像力で予測して、色んな知と経験を見聞きして知っていた。
人生と仮想世界が分かった。それくらいの人間だった。
科学は、専門を横断して、基礎を作って分かっていた。
あとは、経緯や道のようなことを分かっていた。未知を捉えて分かった。
努力して、反省して、宇宙法則的に人生と現象を考えていた。
人間と視点を、宇宙法則的に分かっていた。
何もかも、馬鹿に頑張っていた。頑張る体験を沢山して、何度も体験して分かっていた。
それで終わりだ。何故か、本当に経験から全てのことが分かっていた。
博物学のように、全て知っていた。
最近は、戦って神になった。そこらへんからおかしくなった。認知症になっている。
自分のことを認知症と言うのはおかしい。自分は馬鹿すぎる。それで良いわけがない。
生まれ変わって、神と対話していた。責任を持って、意味が無いほど頑張った。
支配と導きは、楽に出来た。それこそ、怖いだけで出来た。
最近は、勉強もしたし、治ったりもしている。
自分が一番良かった。まともな青春だった。本当に自分のことが好きだ。
昔は、悲惨な人間になると、誰でも出来る。廃人みたいな人間がこうなる。最近多い。
最近は、出来ないどころか、しない方が良い。知性が無くなって、辛くなって、狂う。
最近なんか、ただ辛かっただけだ。することは、書いている以外、何もしていない。
するなら、そこまで文章を書けば良いだけだ。誰でも出来る。
戦って信じるのは辛い。本当に辛いから、しない方が良い。自分が悲惨なのが分からない。これを良いと思うのが間違っている。地獄で馬鹿は悲惨だ。
自分は、本当に良かった。
最近、人生を覚えていない。見聞きして、現状分析をして、システムを知って、経済的なことをした。それくらいの馬鹿を、いつも書いていた。
現象学や、認識の哲学が多かった。本当に、それくらいの馬鹿が自分だ。
感情を融和し、信じて対話することで、全てが分かった。
神は、永遠に自分を2人にする。最初から、神がそういう風に創っている。
自分はまともだ。認知症になると、多重人格が治る。
あとは、世界を治したかった。それぐらいがあった。それこそ、支配して全て治した。
何も無い世界になったが、皆楽になって、賢くなった。
今から、色んなことがある世界にすれば良い。
他には、永遠と、左翼の経済学や右翼の考え方が、そのまま哲学と歴史になった。
だが、経済学は本当に多かったし、哲学なんか本当に分かっている。歴史はきちんと出来たようにしか見えない。これで良かった。きちんと自分の大学だ。
あとは、永遠と神の宣言ぐらいがあった。それくらいが多かった。
本当におかしな人間になったのは、全部認知症のせいだ。
あとは、文章を思い出したり、弁証法を書いたりしていた。
そういうわけで、もう終わりだ。知性がきちんとついて、本当に良かった。
昔は、コンピュータとオープンソースで、本当に大学みたいなことが出来た。
数学的な体得は、経験と想像力と知と人間理解から分かった。
最近は、右翼と左翼がそのまま大学になった。理性と社会を書いている。
自分をいくらかの人間に分ける。全部で7人ぐらいいる。
あとは、自分を治したかった。戦いを止めれば良いのに、止められなくなった。
自分は分かっていない。おかしい。狂っていると言うよりは、馬鹿になっている。本当に分からなくなった。だが、狂っていない。自分はまともだ。
神はあらゆることを全部話した。
経済学を書いて作りながら、自由と平等を考えて、神と右翼の対話をした。
自分は、建国の王だから、賢い。
もう無い。そろそろ今日も疲れた。不思議と、もう辛くない。認知症なのを自覚すると、自然に何もしなくなる。もう、今日から何も辛くない。今日が一番辛かった。
あとは、相対的なプラットフォームや、具体的な提案のようなことを書いていた。
不思議と、認知症と思うと賢くなる。認知症が治っている。
それこそ、最近は、本当に普通ぐらい賢くなった。治る知的障害がこういう風に多い。
昔は、狂って日本と戦っている馬鹿が多かった。
狂って戦うのを止めた方が良い。皆を信じるのが悪い。
あとは、狂っている馬鹿を殺すしかない。
コンピュータのことを知っているとは言うが、誰でも知っているぐらいの知識しか知らない。プログラマなら、普通、もっと沢山のことを知っている。
色んなことをやったとは言うが、何もしていない。
数学者みたいに見えて、何も賢くない。
最近の神の体験が賢かったように見えて、ただ悪かっただけだ。
世界を滅ぼす戦いをするのが悪い。ヒトラーで治るから、こういう風になる。
それこそ、それはおかしい。何も考えていないし、何もしていない。
そういうところにある意味や理由を信じない方が良い。
自分は、今何もしていない。何も考えていない。していることは無い。
世界史は、今、ポーランドのところを読んだ。
あとは、いくらかロシアを読んで、アジアだ。近代のイスラム世界の歴史を読む。
自分は、エロイ。何かがエロイ人間が、この文章だ。
エロイ男と奉仕的な女が2人同時にいるのがおかしいから、こうなる。
あとは、本当はもっと哲学をしたいのが自分だ。物理は、昔きちんと分かっている。
認知症になると、昔になる。昔が認知症だ。
昔、精神分析で分かっているせいで、全部きちんと分かっている。
認知症は、きちんと覚えれば治る。覚えて考えないのがおかしい。
こういう、全部忘れるだけの認知症が多い。昔が戦う認知症だから、こういう風になる。
あとは、考え方と人生と世界観の網羅が多かった。
自由とは、欲、希望、感情、勇気、戦いだ。
自由とは、愛、創造性、考え方、調和だ。
宇宙とは、もの、電磁波、空間、時間、エネルギーだ。
そういう風に網羅を書いていた。
今日は英単語をやった。昨日は忘れていたせいで、やらなかった。
全ては、統合、決まり、集積、方法だ。
そういう、賢い網羅のようなことをいつも言っていた。そういう文章だった。
相対的な考え方のようなことを言っていた。
世界観と考え方を環境的に全て言っていた。環境のような考え方だった。
本当にそういう網羅や考え方を全部言っていただけだ。
昔は、思い出すことで、神みたいに知性があったが、その代り認知症のようになった。
もっと、思い出せば良い。思い出すと知性がつく。
勉強も、書いて終わりではなく、思い出せば良い。思い出さないと、覚えない。
引き篭もり生活が悪いから、学校に行った方が良い。
それこそ、もっと思い出せば良い。仕事をすれば良いようには見える。
ただ、パソコンは止めた方が良い。IT産業は狂っている。おかしな世界だ。
昔は、心理学や生物学など、学問的な正しさを、物理的に考えて分かっていた。
学問的な考え方と構造は、いつも書いていた。その頃はまだマシだった。まだ賢かった。
そういうわけで、構造を知りながら想像力で学問を考えれば良い。
既に知っているのが悪いから、忘れて良い。新しい気持ちで学問を考えれば良い。
皆が分かるのは、皆はきちんとそこを学校でやっている。自分はやっていない。
自分で作っても意味が無いが、まともに考えれば誰でも分かる。
心理学からやるのが良い。経済学は難しい。
社会や心や行動のことを真面目に考えれば良い。きちんと考えれば分かる。
順序立てて、何がいつ成り立つか、何を考えるべきか、どうすれば良くなるか、知とは何か、のようなことを考える。デカルトやカントと思えば誰でも出来る。
普通、色々と実験、予測、観察をする。それこそ、そういう風に考えるなら、誰でも出来るのが「科学を作る」だ。もっと、再現性や再利用性でも考えれば良い。
明らかに、心は発達や成長から、病気や問題を考えれば良い。
社会は、何が発展の要因になるか、幸せな社会を作るためにはどうすれば良いか、考える。
そういう風に、何を考えれば良いか、考えれば良い。そういう科学の文章が多かった。
昔の自分は、環境をどのようにすれば実現出来るか、手段や可能性を考えていた。
もっと、具体的な色んな体験や具体例があった方が良い。
心理学には、フロー現象と言う、没頭して心地よい気分につかる現象があったりする。
それから、機能的心理学のように、既にある心理学と同じ発想をすれば良い。
機能的に考えるのは難しくは無い。部分に分けるだけだ。デカルトと思えば分かる。
今日が一番賢いのは、昔の認知症の自分が本当に賢いからだ。もう、楽だ。
昔は、博物学のような知識もあったし、思考で科学を作っていた。
思弁哲学と思えば良い。体得と思弁哲学から、思考して分かった天才哲学者だった。
それこそ、そんなものはどうでも良い。新しく出発すれば良い。
心理学が良い。心理学は賢い。
経済学は、もっと普通に社会の問題と実現を考えれば良い。
ただ、皆のことなんか無視した方が良い。皆は賢くない。
そうでもない。昔は、皆のことを真剣に考えて、見聞きして、この社会の可能性と、実地的で具体的な特定の社会の具体例を考えて分かっていた。
特に、社会の具体例が多かった。具体的な社会を実地的に考えていた。
それくらいの馬鹿だった。そこから、心理学や経済学を作った。そういうわけで、科学を作るとは言うが、ただ具体的な問題と方法を作っただけだ。
抽象的でメタ的な考え方が多かった。それは、カントのようなことを言いたい。
具体的な発想と、仮定と結論の論理学を考えれば良い。それが自分の科学だ。
再現性を考えて、法則を発見していた。そういうところが分かる、賢い高校生だった。
社会や環境の具体例を考えれば良い。それだけで、すぐに出来る。
具体的な社会のことを考えて、その中で何が出来るか、何をすべきか、どう出来るか、どのように考えるべきか、何が実現出来るか、などを考えれば良い。
今日は、特別全て分かった日だ。それこそ、まだ書いていた方が良い。
社会のことを具体的に考えるなら、アリストテレス、ロック、ルソー、ヘーゲルマルクスが参考になるかもしれない。
それこそ、アリストテレスのように、実直に、具体的な社会の持てる状態や可能性を、可能態のように考えれば分かる。そういう風に考える人間が一番多い。
何故か、馬鹿なのに賢い文章になった。ネットを見た方が良いようで、ネットにはいじめしかない。おかしないじめを解決は、出来ない。出来るだけ見ない方が良い。
ただ、昔は、そういう馬鹿を全部ネットを見て考えていただけだ。
不思議と、オープンソースには参考になるところがある。
それこそ、いつも書いているこの文章が経済学に見える。
この文章だけではなく、現実に考えていた自由な経済モデルを思い出せば良い。
そうすると、左翼や右翼も、馬鹿に見えて、きちんと考える賢い人間なのが分かる。
自由の方が悪い。今日は、そういう、具体的な社会科と帝国の日本を分かる日だ。
あとは、手段、共有、協力、伝達、共存、発展、などで分かっていた。
可能性と変化を考えて、何を信じて、何を疑うべきか、考えていた。
だが、あれは何も分かっていない馬鹿だ。それこそ、今の方が本当に賢い。
今の問題点は、本当に辛くなったことだ。今日は、辛いから泣いていた。
だから、もっと楽にした方が良い。何故辛いのか分からない。
不思議と、書くと元気になる。書かないのが辛いだけだ。
これなら、いつもの文章に見える。これくらいがいつもの文章だ。
あとは、日本の文化とか、価値観とか、歴史とかを具体的に考えていた。
自分は楽だ。いつもの文章だけで、きちんと全部分かる。
あとは、社会と理性を繰り返し書いているだけだ。それが永遠に続くだけだ。
あとは、環境や組織の創造とか、共同体の変転とか、歴史的な時代などを書いていた。
もっと具体的に考えること。経験や観察や実験から、方法や目的のことを考える。そういう、具体的に考える文章が多かった。社会と問題を具体的に考えて、導き、教えていた。
具体的な社会を考えただけだ。
あとは、場や視点を世界観にして、意識を予想して、作用や関係を考えていた。
馬鹿に、そういうところが緻密だった。環境が変えられるのだけを永遠に分かっていた。
今日は良かった。今日が一番きちんと書けている。
皆も、具体的な社会を考えると良いだろう。空想し、発想するとなお良い。可能性を考えながら、自由なありえない発想をすれば良い。それが、発想法だ。
発想法は、可能性と現実を照らし合わせて、成り立たせて分かっていた。何が出来るのか、可能性を全て分かっていた。特に、ソーラー発電やフロア経済が多かった。
教育でも考えれば良い。自由になると良くなると信じていたが、それは無いだろう。
社会のことは、知性で考えていた。起業や設計図など、考えるべき部分を良く考えて、パターンから実現出来るようにしていた。ネットも見ていた。単純作業や、考えなくて良い組み立てのような部分は、考えなかった。そういうものは、人間でも機械でも出来る。
昔は、知性があるとは言うが、知性なんか何も無かった。コンピュータのような、機械のような心をした、ロボット的に分かる、ロボットのような人間だった。
昔は、経験から皆を楽しくさせたり、自由に議論で勝ったりしていた。イエスのように、たとえ話で分かりながら、本質的な同一性を分かっていた。
具体的な社会を考えること。それで、すぐに出来る。
あとは、皆の経験、言葉、習慣などを考えて、人間のことを考えていた。
ヘーゲルのように、本質の本質、のようなことを考えていた。
あとは、むしろ、ヘーゲル仏教に戻る。それで、イギリス史とフランス史をやれば良い。
そういうわけで、ヘーゲルと世界史をやっている。
勉強は、もう何年もしている。自分が一番賢い。
いつもの文章は、自分を破壊していたのしか、書いていない。
最近、認知的なものが無くなっている。良く分からない。
もっと、認識のようなものを分かった方が良い。
要は、脳が壊れたせいで、認識がバラバラになって、無くなっている。
認識は、虫みたいにキモくなっている。おかしい。
それこそ、虫以外の認識を作れば良い。
あとは、時計が悪い。認識が時計のロボットになっている。
昔は、認識を考えて、具体的な経験を知って、論理学的な認識学を作っていた。
いつもの認識を分かるのが悪い。
もっと、認識を考えるためには、皆、全員の認識を考えれば良い。
認識が無いのは、何もまともに考えないからだ。
要は、未知が無くなっている。既に分かっているせいで、認識や記憶を使っていない。
もっと認識で考えること。それくらいがいつもの文章だ。
比較したり、疑ったりしないのはおかしい。
デカルトやカントのように考えれば良いのに、出来ていない。哲学は難しい。
昔は、認識を良く考えて、仮象の世界のようなものを分かっていた。
現象学的に認識を考えて、全員の認識を吸収していた。
要は、皆と一緒に何かしないのが悪い。皆の認識を吸収すれば良い。
いつも、皆の認識を吸収していただけだ。世界観と会話から認識を吸収した。
そして、抽象的な言葉を作って分かった。
認識とは言うが、認識とは人間の持つ、作用や視点のようなものだ。
取り組みや取り決め、そして承認のように、認識は色んなところで考えられている。
そういう風に考えれば良い。承認が無いのは、欲や望みが無いからだ。
欲が無いせいで、認識が無くなっている。まずは、「何かする」、「何かしたい」からだ。欲求を持たないと、認識や行動は生まれない。いつも、認識や行動をそういう風に考えていた。欲求から生まれる認識を考えれば良い。
思考で、欲や希望のようなことを言わないのがおかしい。感情のことすら言わない。最近は、認識が高度になりすぎて、何も欲を言わないのに、放っておけば分かるようになった。欲を言わない代り、未知を考える。色んなことを言って、すぐに分かるようになった。
欲求だけではなく、感覚や五感などを考えれば良い。
もっと、色んな世界にある構造と自分の人生から、認識の段階や経緯を考えても良い。
いつもの文章は、そういう文章だった。
世界モデルと言っていた。それぞれの内にある世界観をモデルにして分かっていた。
世界モデルは、知性であり、想像力であり、認識である。
あとは、社会のことに戻るが、手段を良く考えて、手段を認識にして分かっていた。
もっとまともに、自由から考えれば良い。認識、行動、体験、感情でも考えれば良い。
あとは、そろそろもう終わりだ。楽になったし、もう文章は全部書いた。
心に関して言えば、欲求や習慣のようなものをモデルにしただけだ。
あとは、社会は、習得、体験、理解、共生など、色んな言葉で世界観を作っていた。
そして、認識については、段階を考えていた。経緯や段階から、全てを分かる正しい道を書いていた。だから、この文章は全てが見える地図のようになっている。
科学的に、全ての概念を分かっていた。それは、認識を良く考えて、仮象や様相の世界を作っていただけだ。もっと、具体的な概念を、認識から考えると良く分かる。
それこそ、こういう風に考える人間は多い。あとは、具体的なものを考えれば終わりだ。
認識は、自分が今何を考えているのか、本当に欲しているものは何なのか、考えれば良い。
そうすると、人間が何をどうして望むのかが分かる。
そこに具体的な社会や人生を付け足すと、皆の「望むだろうこと」が分かる。
その、望むだろうことを叶えるべきだ。それが、僕の昔の哲学だ。
そういう発想は、キモイから止めた方が良い。
意志と経験の関係とか、集団と個人の出来ることの違いとか、人間を承認するプロセスとか、そういう、哲学的なことを良く考えていた。
もっと色んなことを考えれば良い。経緯と思えば良く分かる。
自然は変化する。流動的で、絶えず変わっていく。だが、変わらないものもある。
そういうところを考えると、哲学が良く分かる。
あとは、共有や再利用、システムの公開や標準を考えていた。
新しくするよりも、古いものを残して、品数を増やした方が良い。
Windowsが標準になったのは、仕方ない。Linuxを使っていると、オフィスが英語のままだったり、アプリケーションをインストールするとすぐに壊れたりするとか、どうでも良い問題が多い。標準は標準だから、仕方ない。独占を悪いとは言うが、グーグルと競争している。むしろ、競争の方が悪い。Linuxはそろそろ完成したのに、使えない。それこそ、一番キモイから嫌いな人間が多いのがLinuxだ。グラフィックがキモイ。
もっと、共有のことを分かっていた。
社会の可能性を成り立たせて、制度やものやインフラを応用だと考えていた。
見て、想像力を使いながら、社会の可能性を考えていた。具体的なものを全て知って、考えて、発想法のようにしていた。
教育は、時間割を自由にして、子供のアンケートを増やす。意味が無い学習や勉強が無くなれば、良くなる。意味があるものにするためには、平等ではなく、自由にすれば良い。学びたいものだけ学んで、クラスはそれぞれが勝手に決められるようにすれば良い。だが、それは平等で無い。不良が悲惨に見える。
アンケートで、いじめが無くなる。そういうところをもっと良くすれば良い。教師は、もっと子供の人間関係のことを積極的に把握するようにすれば良い。それだけで良くなる。自分の母親を見ていると、教師はやることが多すぎる。もっとやることを少なくすれば良い。それできちんと良いクラスになる。あるいは、もっと強権的な教師にすれば良い。
真面目に考えて、出来ない子供と出来る子供が平等ではおかしい。
ただ、公立の中学や高校にあまり期待しない方が良い。私立に入れれば良い。それが現実的な選択肢だ。
教師がもっと人間関係のようなものを把握出来ないのがおかしい。本当に、教師のやることは多すぎる。本当に何も出来ない。持ち帰り残業のせいで、子育てなんか出来るわけがない。自分の母親は、そういうところが悲惨だった人間だ。
あとは、左翼教育が悪い。平等を教え込むと、反抗的な何も分からない人間になる。軍国教育は悪いが、競争や戦いなどは、そんなに悪いと教えるべきではない。その方が良い人間になる。競争を悪いと言うせいで、子供が最近馬鹿になっている。オープンソースのようなものが良く見える。最近は、自分のように、そういう馬鹿がネットに増えた。
あとは、実践の方法でも考えれば良い。何かを実践する時、どうするか、どうすべきか考える。そういうものは、パソコンや哲学をやっていると良く分かる。
心理学や社会学は、他に大して無い。あるわけが無い。
むしろ、人生のようなことを分かっているのが多かった。実存的に、本性や主体性のようなことを考える。それも、流されず、主体的に考えて、たまに立ち止まって、たまに離れて考える。そういう考え方が、ヤスパースのように多かった。
ただ、ヤスパースはそんなことは言っていない。似ていると言いたいだけだ。
オープンソースは悪い。むしろ、学校が悪いだけでオープンソースになった。ゲームや学校は本当は好きだったが、もっと自由に、自分のやりたいようにやりたかった。そういうわけで、昔は、学校が嫌いなオープンソースの活動家だ。悪くは無いが、キモイ。
もっと、数学的に考えた方が良い。あとは、数学的に考えれば分かる。様相や論理学や公理主義のように、数学的に考える。
「しかしながら」のような、論理的な言葉を言えば良い。そういう風に分かる人間が多い。
パソコンには、システムが多い。システムの可能性、いつ何が出来て、どのようにすればそれが出来るようになるか、のようなことを考えれば分かる。
そして、全体像を見ながら、全体の構造を掴んで、方法的なところを探っていく。
それこそ、Gentoo Linuxが一番好きだった。遅い代り、カスタマイズが多様な、ソースコードからコンパイルするLinuxだ。むしろ、オープンソースは止めた方が良い。
もっと、システムのように考えると良く分かる。バージョン管理と思えば分かりやすい。
また、協力、発想、組織の可能性のようなことが分かっていた。
それから、経験から分かっていた。考えているだけでは分からない。経験して初めて分かる。そういう、経験的な発見と理性批判の方法をいつも分かっていた。
父親と話をした方が良い。父親は、そういうことがもう既に全部分かっている。いつもそういう賢いことを言う。社会の中で見聞きして、調査研究して、色んなことで分かったのが父親だ。それから、母親には感謝した方が良い。教師が辛い中で、頑張って姉と自分を育ててくれた。母親は、老人になって馬鹿になっているが、本当に良い人間だった。
母親は宗教が好きで、いつも仏教の唱えることをやっている。題目を唱えて、元気が出ると言っている。自分はその影響で、キリスト教が好きになった。
だが、父親は逆に、物理をやっている。自分はその影響で、一人科学者のようになった。
父親は本当に、博物館の館長で、科学者だ。こういう、科学者の子供に作家が多い。作家は、そういう、本当に賢い家庭で育つ。ただ、父親はいつも馬鹿だ。
Gentoo Linuxの良い点は、分かっている人間しか使わないせいで、きちんと動く。コンパイルは遅いが、コンパイルしてしまうと、一番速い。依存関係の処理をきちんと分かった方が良い。そこが分からないと使えない。ハンドブックが詳細なせいで、Linuxを使う勉強になる。そこが好きだっただけだ。
Gentoo Linuxは、今でもあるのか良く分からない。僕は、今ならArchを使う。昔は、そういう、賢いディストリビューションGentooしか無かった。どうでも良いが。
あとは、サルトルのように、人間がなるのを考えて分かっていた。
人間が、どうなって、どうなって行くか。馬鹿に見えて賢い。実存は本質に先立つ。色々と、哲学者に見えないのが悲惨だが、サルトルは本当に賢いと言う。
サルトルと同じように考えると、昔より賢い発想が出来る。
むしろ、今使うとしたら、UbuntuFedoraだ。
実用ならUbuntuだが、楽しむだけならFedoraの方が面白い。
僕は、GNOMEKDEもMATEも、全部使いたいから、Fedoraを使っている。
だが、Windowsのワードしか、印刷もまともに使えないし、日本語にもならない。そういうわけで、泣く泣くWindowsを使っている。むしろ、昔からWindowsの方が好きだ。
昔は、皆の習慣を考えて、習慣を変えて分かっていた。
そういう、ヒュームやプラグマティズムのような人間だった。
天使になった男のように分かっていた。
最近は、何も見ていない。学校にも行かないし、ネットも見ていない。テレビはニュースだけを見ている。あとは、この文章を書いている。本はたまに読んでいる。
だが、最近、何もしないどころか、見ていない。それが辛いから怖いだけだ。
怖いものを全部排除すると、こういう人間になる。まともになる人間が多い。
あとは、あまりない。習慣と欲求は同じだ。それに加えて、記憶や環境で分かっていた。
人格心理学のように分かっていた。
大学をやった方が良いとは言うが、馬鹿だから出来ない。
そういうわけで、今のままが良いようで、今のままでは悪い。
勉強はもう十分した。仕事も出来ない。遊んでいると、キモイから、遊びたくない。
何かした方が良い。楽しいことをすれば良いが、馬鹿には何も出来ない。
むしろ、パソコンをするのが良い。パソコンは馬鹿でも出来る。
Linuxを作りたいなら、そろそろソースコードを書けば良い。ソースコードが書けない技術者なんか、居ない。むしろ、工業大学の学生にしか出来ないから、無理だと思う。
昔は、意識の裏側にある経験のようなことを分かっていた。
そういうことは、パソコンをしなければ分からない。
何もしなければ、また昔のようにパソコンになる。それで良い。何もおかしくない。
だが、パソコンは怖いし、賢くない。まだ世界史を読んだ方がはるかにマシだ。
あとは、世界史の本をまだ読んでいる。今、ロシアの農奴制のところを読んでいる。
ロシアは、昔から農民が私有財産で、賭けの対象にされたりしていた。その反動で、ソ連になったのだろう。自由が嫌いだ。皆のものにして、皆の労働者にしたかっただけだ。
ロシアはおかしくは無い。まだあまり読んでいないが、皇帝には賢い皇帝が多い。
農民と言わず、農奴と言うべきだが、それはあまりおかしくは無い。
皇帝を賢いとは言うが、専制君主のような皇帝しか居ない。自由な革命家は完全に鎮圧する。悪い人間はシベリア送りにする。ドストエフスキーを読んでも、そういうところがいつも同じだ。ドストエフスキーの白痴にも、シベリア送りが出て来る。
ロシアは、昔から遅れている。ただ、まだそこまで読んでいない。読んで書けば良い。
もっと、人間的な個性を大切にした方が良い。
この文章には、個性と言う発想が無い。昔から、個性がまるで無かった。自由とは言うが、皆を同じだと考える自由だった。そういう、キモイ人間だった。
その理由で、人格みたいなことを言っている。
もっと個性を大切にした方が良い。ソ連やナチには、個性が無い。
むしろ、ロシアはそんなに悪い国には見えない。プーチンは賢いし、ソ連は進んでいるように見える。国の体制と理論を優れているとは言うが、そうでもない。共産主義の理論なんか、何も賢くない。そこが分かると世界が分かる。マルクス資本論は賢くない。
スターリンは、専制君主を平等にしているだけで、社会所有は、奴隷を皆のものにしているだけだ。そうでもない。むしろ、悪い国には見えないが、良い国には全く見えない。
本当に日本の方が良い。マルクスは何故なら、ここまでの馬鹿な理論だ。自分と何も変わらない。言っていることが良く似ている。だが、自分の場合、自由にしたかった。マルクスは、自由にしたくなかった。マルクスは考えているが、自分は何も考えていない。
昔自分がやっていたが、マルクスは社会構造をきちんと作っている。それが賢い。
承認のようなことをいつも考えていた。
もう、何年も書いている。そんなに大量に自分の文章があるせいで、何もしなくても分かる。本当に、それで分かるようになった。自分にしか分からない。
自分は、マルクスと言うよりは、ヘーゲルだ。もっと昔にマルクスのような文章が多かった。むしろ、スピノザやロックに見える。
哲学をやるなら、マルクスとヒュームをやるのが良い。それが一番昔の自分と同じだ。
ロシアは賢くない。悪の帝国だ。皆の力で倒した方が良い。良い点は何も無い。マルクスを賢いと言って、皆を騙しているだけだ。ロシアは、何も賢くない、自由の無い、何も考えない国だ。悪いことをいくらでもやる。マルクスのせいで良く見えて、おかしい。
あとは、世界を解決したかった。そういう文章だった。
本当にマルクスのように考えて、生産手段などと言っている文章が多かったが、昔の自分には、生産の決定者である上部構造と、労働者である下部構造の考え方が多かった。
ロシアは、そろそろ倒すしかない。自分が倒す。自分に色々と責任がある。
核兵器を無くすためには、核兵器で無く勝てば良い。軍隊を強くして、核を落とされる覚悟で、ロシアとアメリカを倒すしかない。落ちなければ良い。だが、落ちるまでに何かの形で降参させれば良い。それで無くなる。
フランスがアメリカ大陸の植民地のルイジアナアメリカ合衆国に売却したように、金で解決出来るかもしれない。金と引き換えに、核兵器を無くさせる。
何故か、オバマで無くならないのがおかしい。銃も禁止出来ない。おかしな国がアメリカだ。おかしなアメリカが一番悪い。先進国に見えて、後進国のようなところがある。
あとは、影響力みたいなことを考えていた。影響力の風上に立って、色んなことをやっていた。要は、何かしたかった。そのせいで、2ちゃんねるが馬鹿になった。
それから、心の理由みたいなことを考えれば良い。皆が何も分からないのは、皆、誰も馬鹿で無いからだ。それこそ、馬鹿の方が分かることが多い。
最近、皆どんどん馬鹿になっている。フェイスブックはキモイ。おかしな中学生の頃の自分になっている。学校で流行っている。むしろ、学校は馬鹿すぎて意味が無い。
不思議と、これでもう分からないことは無い。いつものように、意識が賢くなる。
昔は、ロックやヒュームのように分かっていたせいで、分からないことがさらに無かった。それを一度分からなくして、再度分かっている。作り直し過ぎて、普通のことが簡単に分かるようになった。
そうでもない。普通のことなんか、何も分かっていない。
皆を見ていると、馬鹿と言うよりは、希望が無い。暗黒の世界になっている。
昔は、高校生が体験して、洞察して、新しいことを知って、成長して分かっていた。
2ちゃんねるは悪くない。自分の父親と同じだ。賢い人間が多い。
それこそ、ネットは最近、本当に分かっている。ネットで経験すれば、誰でも分かる。
日本人は、自分のことが好きすぎるところがある。それはおかしい。テレビより自分の方が良く見えるから、ありえない。テレビは賢くない。一番資本主義だから、敵で良い。
それこそ、テレビが悲惨に見えて、テレビは自分のことが好きだ。
この文章は、テレビとドイツに向かって書いている。それをもう止める。タリバンの支配はもう終わりだ。意味が無い革命家の宣言の言説だった。
影響力とは、テレビや政府のことを言っている。最近は、ツイッターなどもある。
昔は、ネットの色んなものを自由に変えて、それで世界を支配しようとする、ありえないほどおかしな人間だったが、Linuxをやっていると誰でもそういう人間になる。
あとは、価値観や習慣のようなものを、記憶と照らして洞察していた。
成長や自我の哲学も多かった。純粋感情、純粋経験の実感を信じて分かっていた。
昔は、ロックのような経験論や、心理学のような人格の吸収が多かった。
心の深層で、何段階か層があるのが分かっていた。
また、思考を呼ぶ思考のようなものがある。そういうものを良く考えていた。
連想とモノマネから分かっていた。観察して考えた。
自分に出来ることは誰にでも出来ると思っていた。
逆に、人間に分かることは自分でも分かると考えていた。
考えたことは、自由と経験をゆっくり考えただけだ。
それでロックのような経験論になった。
自分は、色んな哲学者を包括して考えている。不思議と、一歩高い視点で哲学的な発想を見ていると、哲学者は皆同じことを言っている。それぞれの哲学者は、あまり賢くない。メタ的で、一歩離れたところから思考する、純粋な経験と人格と思考の方法論が賢い。
昔から、そういう風に、全員を包括して考える。そういうわけで、全員の考え方のようなものが分かっていた。考え方の角度を変えて考えただけだ。それで、哲学者が全員分かっていた。全ての人間、思想、社会、哲学のようなものが、いっぺんに全部分かった。個性は無かったが、それぞれの人間の全ての考え方と経験を捉える力があった。
ソクラテスといつも言っているが、ソクラテスが賢い。最初なのに、一番賢い。哲学者には、ソクラテスしか居ない。サルトルも、自分のことをソクラテス1000人分だと言う。
あとは、体験から歴史を分かっていた。狂いながら、社会がどんな社会になって行くか、社会の過程のようなものを分かっていた。
自由は、共同体を作る自由に変わった。そういう、ソ連が好きな左翼の救世主だった。
ソ連が好きなのは、本当に止めた方が良い。こんな知的障害の馬鹿になる。
ソ連は、倒した方が良い。そうすると、きちんとニーチェのような頭が賢い人間になる。
あとは、信念は良く考えると同じであると思っていた。環境的な問題から、人々は信じるもの、考えるものを左右される。信念は環境による違いであり、認識は経験的で学習的なものであり、視野の低いものは間違った考えを生むが、それは何も間違っていないと考えていた。それこそ、高い立場から見ると、全員は同じことを望んでいる。背景的にある経験から、それぞれが考え、信じるものが決まって来るが、ある意味それは経験から来る反射的で、反応的で、国家的、文化的なものだと考えていた。
そういうわけで、人間は経験から来る知覚の束に過ぎない。経験論の哲学者が誰かそういうことを言っていた。それこそ、人間は反応によって信念を生み出すように見えた。
最近は、そういうおかしなことを言わなくなった。悪魔には分からない。自分に何も無くて、何もしていないから、そういう経験論みたいなことを言う。馬鹿が哲学者だ。
あとは、江戸時代の価値観や、キリスト教の価値観、ユダヤ人の価値観、フランス革命の価値観など、価値観を考えて分かっていた。
場と価値観を洞察することで、狂った意識の中で、この現実世界の全ての環境を考えていた。それを歴史だと思っていた。経験からそういう意識を考えて、可能性を考えていた。
あとは、歴史のようなものをいつも分かっていた。
それから、エッチな子供だった。エロイものを良く見ていたが、セックスはしなかった。それこそ、セックスなんか、しない方が良い人間になる。エロ画像のせいで楽だった。
ただ、最近それで辛くなった。本当にそこまで辛い。セックスは悪いから、無い方が良い。
あとは、制度を経験だとか、環境を守るとか、システムを公開し、共有するとか、自由な世界観を言っていただけだ。何でもかんでも自由にこの世界を作っていた。
あとは、感情と経験を成り立たせて、想定して、照らし合わせて分かっていた。
そして、社会的な目的と実現と、そのための手段や方法、そのために必要なこと、知や想像力、何を考えて、何を変えるべきか、のようなことをいつも分かっていた。
あとは、決定し直したり、可能性に直したり、思考を再度したりして分かっていた。
もっと色んなことを知った方が良い。それですぐに分かる。
哲学では分からない。歴史は悪くないが、もっと色んなものを知った方が良い。
新聞の広告にある、馬鹿な本は、馬鹿に見えて賢い。そういう本を読んだ方が良い。
昔は、世界観の変化とか、価値観の転換とか、そういう発想が多かった。
色んな本を読んだ方が良い。誰もがそういうことを言う。父親と話すだけでも良い。
いつも、価値観の転換を書いていた。それだけのちっぽけな文章だった。
世界観と価値観が変わっていく、成長の段階を書いていたのが、いつもの文章だ。
社会と環境のようなものを、そこから考えていた。そういう段階だった。
あとは、自由に社会のことを考えていた。
手段は、止めた方が良い。パソコンのことを言いたいように見える。
悲惨に、工場のことを生産手段と言っている。
手段なんか、誰も欲しくない。情報や知識の方が、まだまともだ。
情報、知識、経験を与えれば良い。それが啓蒙主義だ。百科全書でも作れば良い。
それは、ネットで良いだろう。それこそ、そんな風に考えるのはおかしい。
そんなに賢い人間は居ない。賢い人間が一人でやった方が良くなる。
手段はおかしい。完全におかしいだけの自由が手段だ。
知識を得て、参加し、皆で手段を共有すれば良い。そういう発想が正しい。
知識と経験があれば出来るようで、金が無いと何も出来ない。
手段とは、オープンソースのことを言っている。
そういう、自由な協力と助け合いを、きちんとゼロから全て考えただけだ。
そういうわけで、オープンソースを信じるのが間違っている。
ソ連なんか、キモイだけだ。金の方が賢い。
あとは、騙しながら騙されるのはキモイ。ヒトラーが、そういう風になる。
経験を良く考えるために、社会の構造を分解して、部品にして、組み合わせて、成り立たせて考える。1つ1つ人員を作って、経験を成り立たせる。それが社会モデルだ。
皆のことを思いやり、それぞれの自由を尊重する。それで手段と実現可能性が分かる。
社会には、実現出来る可能性がある。そういうことを考えて、皆が出来るようにしたかった。それを、独立しやすい国だと言っていた。そういう、自由な理性だった。
皆が可能性豊かに出来ること。昔は、そういう風に国家モデルを作っただけだ。
そういうわけで、支配者になれる自由が良いと言っていたが、支配者は支配せず、国民に関与すべきでない、国民それぞれが自由に出来るべきだ、と言っていた。
可能性が豊かな社会にするために、国王に意見するとか、連邦制にするとか、会社で知恵を集めるとか、共同体にするとか、多様性を高めると言っていた。
そういうことしか言っていない。全部、可能性を高めたかっただけだ。
そして、人生のようなことを言っていたが、人生も同様に可能性を高めたかった。
あとは、極力支配しない。裁かない。
世界は、自然な積み重ねによって発展すると言っていた。
それこそ、そろそろ終わりだ。もう、この文章は書かないかもしれない。
いつか、物理的な常識も変わる。いつも、そういうことを言っていた。
今のこの世界は、何も正しくない。可能性の先に、もっと新しい世界が本当にある。いつでも、この世界は未来に向かって変わっている。全ては未知である。
政治は、「なる」のではなく、社会に対して「する」と考えること。
自由は、あとは、王が任命する、と言う可能性や方法がある。それも自由のうちだ。
理想的に考えて、軍隊と警察しか要らない。金にして自由にした方が良い。
昔は、そのように、自由に考えていた。自由な社会は、ある意味で正しいが、知性が無い。
普通、行動なんか自己責任だ。本人の意志と合意によって決められるべきだ。
それこそ、自由にすることで初めて生まれる可能性がある。自己責任にしなければ、可能性が失われる。そういうわけで、自由は自己責任だ。それこそ、多数決も同じだ。
法律も、国が統一して決めるのではなく、会社や共同体の自由に任せるべきだ。
それこそ、そういう自由は悪い。完全にアメリカみたいな知性の無い世界になる。国民の大多数は馬鹿だし、ほとんどの国民は悪い。自分たちの利益しか考えない。
そういうわけで、政治は統一し、権力にするしかない。
ただ、神によって自由と人権が保障されるとか、そういう発想もある。馬鹿とは言うが、そういうものは馬鹿では無い。
自由には何も無い。争い合って支配するだけが王の自由だ。
自由な会社にすれば多様性が生まれるとは言うが、実際は勝ち負けを目指すだけだ。
むしろ、右翼の平等が良い。国家で平等にすると、良い国になる。
平等には、人権が無い。強制的に従えて、気に入らないものを殺す。平等はおかしい。
それこそ、平等に人権が無いのが、普通ありえない。良く分からない人間が多い。
資本主義は、市場経済だが、最近は市場原理が正しいと言う人間が多い。
ただ、最近、自由はもう終わっている。右翼で無くなって、左翼になった人間が多い。経済成長は、もう十分だ。平等にして、政府が考えた方が良い。自由は何も考えない。