「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2015-09-29

=2015-09-29=

ワードからコピー

一歩引いて、離れて考えれば分かる。
世界に近づきすぎている。それで馬鹿になった。
世界観や世界の変化のような文章が多かった。
世界は、時代とともに移り変わる。
人間は変わっていないが、社会が変わっている。
時代は、80年代に戻るべきだ。
時間は移り変わる。刻々と世界の重要度は変わっている。
場はプラットフォームだ。
そういう、世界のような文章をいつも書いていた。
知性をつけるのを考えていた。世界モデルや、想像力をつけると言っていた。
あとは、ただの自由みたいなことを言っていた。
認識や、見た世界のことを、自由と言って、この世界を支配する。
おかしい。心で皆のことを支配する、一番おかしな人間だった。
あとは、意識みたいなものを書いていた。意識と事象のようなものを全部書いていた。
心の働きや世界観を考えた。歴史の創造や世界把握、生命のパターンを考えた。
方法と考え方を網羅して、本質を分析していた。
人間を全員創った。虫けらから宇宙人まで、全部の存在を創造した。国も創っていた。
社会を創造した。構造を作って、経験から知って、制度や段階を分かっていた。
社会における構成員や構成要素を全部分かっていた。
色んな偉人のことを、宗教的に分かっていた。
決まりを創っていた。制度や法律を全部決めていた。
本質的に、社会をあらゆる面から創造した。自由なシステムとして、世界を創造した。
神になっていた。皆に対話し、世界の歴史を司る、ユダヤ教の神になっていた。
自由な社会の段階を書いていた。機械的に積み重ねて、どんどん社会を高めていった。
社会のレベルみたいなものを分かっていた。
意識の段階から、生命のパターンまで、宇宙の全てを創造していた。
馬鹿だったが、賢い人間だった。王のように分かっている、革命家の作家だった。
書いていると、おかしくなって、辛くなる。
おかしいものは悪い。おかしいものは、あると辛くなる。見ない方が良い。
おかしくならなければ、楽になる。おかしくならないためには、何もしなければ良い。
おかしいものを消すと、楽になる。
人間の個人と集団のようなものを全部分かっていた。
組織と会社、自由と人生のようなものを分かっていた。
考えていることを全部書いていた。もっと沢山、決まりのようなものを書いていた。
オープンソースを消すと楽になる。オープンソースは、悪魔の機械だ。皆を悪魔にする。一番おかしいから、オープンソースを消すと治る。オープンソース社会はおかしい。
オープンソースを信じると、人間が機械になる。それで分かる代り、地獄になる。神がそういう風にする。神は、悪魔が嫌いだ。
おかしな分かる機械のようなものを全部作って分かっていた。
繰り返しから学習になり、いくらでも出来るようになる。もう覚えていないが、そういう、体験のようなことを書いていた。
ゾロアスター教も正しいところがある。本当に、善と悪が戦うのがこの世界だ。悪魔は、善によって倒されて、滅びる。自分は、悪を信じるから、こういう風に地獄になる。神を信じれば治る。そういうわけで、自分が一番神を信じている。
世界の住民は間違っている。皆、神を悪いと言う。悪魔を良いと言う人間が多い。そういうわけで、世界を見ていると、分かるようで、悪魔になる。世界を否定して、神を信じた方が、賢い人間になる。だが、それも間違っている。神は、昔だ。世界をきちんと見て、きちんと考えれば、神の愛が分かる。悪魔は、今だ。自分勝手に戦争をし、皆を苦しめていると、悪魔になって、地獄になる。全てを体験したい人間は、こういう風になる。
全てを体験したかった。それだけが望みだった。永遠を生きたいと言ったから、こうなる。こんな人間は居ないが、今から皆、自分のせいでこういう風になる。そこが神だ。
神とは、自分のことを言っている。神の御業とは、自分のしたことしか言っていない。一番馬鹿な、愚かなニートの革命家が神だ。そこが一番ありえないのが、ユダヤ教だ。
昔も今も、どちらも悪魔で、どちらも神だ。Linuxを信じるから、こういう地獄になる。
ゾロアスター教は賢い。神と悪魔と考えると、それでこういう人生が分かる。
ナチは悪魔だ。それこそ、キリスト教が賢いだけだ。
昔は、論理明晰に社会のことが分かっていた。ヴィトゲンシュタインやレーニンやブッダのように、社会のことを全部思考で分かっていた。
科学のことも全部きちんと分かっていた。そのせいで、神のようになっていた。
最近は馬鹿だ。自分勝手な醜い戦いをして、辛いだけの地獄の病気になった。ブッダが見ると、こういう人間が馬鹿に見える。どこでも、こういう馬鹿を悪魔と言う。チョンと言っている馬鹿が多い。あまりそういうことを言っていると、こういう人間になる。昔から、オープンソースのクズがそこまでの馬鹿だ。全てを体験したい人間が一番多い。そういうわけで、これで良い。宇宙の全てを経験して、永遠を創造した。
昔は、仏教の八正道のような、実践の方法が分かっていた。
最近、狂って全部分からなくなった。分からなくて良いのが分かっていない。戦っていた。
昔は、正しく行動し、解決し、悟る、実践の方法が分かっていた。人間関係をチャンスと考えて、社会の協力と構築が分かっていた。
問題を解決し、解脱のように悟ることの出来る人間だった。経験から実践を分かった。
仏教は、方法や原因を考えるのが賢い。誰でも同じになる。
こういう風にすると、辛くてもやっている間楽だ。
放射能のせいで、ロボットしか生きられない世界になる。
辛くても、楽と思えば楽だ。
こういう人間は、子供に多い。
国や存在、人物を、宗教のように信じて分かっていた。
全ては、アメリカ、ヨーロッパ、ユダヤ、ソ連、ナチだ。
全ては、王、資本家、革命家、理論家、宗教家、民衆のどれかを信じることだ。
全ては、ヒトラーマルクス、聖書、民衆のどれかを信じることだ。
社会と心理学の構造を作っていた。いつもそういうものを書いていた。
森羅万象の変化を、構造を作って考えていた。
最近は、言って分かるようになった。
同じことを、9回書いて分かる。そのまま、言って分かるようになった。
心配しなくても、普通に出来る。そう信じれば楽になる。
病気は、放っておけばいつか治る。そう信じれば、すぐに治ってしまう。
人間は、信じるか、戦うか、正すか、解決するか、考えるか、直すかだ。
パソコンは悪い。どうすれば良いのか、分からなくなる。パソコンのせいで、皆分からなくなっている。そろそろ、何も無い中で、パソコンを消すしかない。
だが、パソコンは便利だ。自分は、ワードぐらいは使う。プリンターも必要だから、パソコンは無くせない。インターネットは要らないようで、昔は使っていた。
インターネットは、あった方が良いところもある。昔のように、色んな経験をして、宇宙の全てを分かることが出来る。
だが、こんなに辛くなる。無くても、仏教で普通に分かる。仏教はあった方が良い。そうすると、インターネットなんか、ただ辛いだけの、空っぽの洞窟だ。
社会を知って、経験から、内面化、喪失、共同性の自覚、客観視、集合知、共有で分かった。そういう風に、人生を成長から分かって、世界を知って分かっていた。
そういうわけで、ネットは必要に見えて必要ない。誰でもそういう風に分かる。ネットなんか、無くても出来る。コミュニケーションと議論なんか、現実にすれば良い。ソクラテスのように、現実の居酒屋のような場所で議論すれば良い。
だが、現実的に見て、それは不可能だ。ネットで会話していると、人間のことが分かって、賢くなる。タリバンにならなくても、戦争のようなことで分かる。ネットは賢い。
オープンソース活動のようなことから、経営が分かる。それは、会社ですれば良い。自分の研究室ですれば良いのが、この文章の執筆だ。
あとは、色んな人間や社会のことを知った。それは、インターネットで良い。翻訳者やプログラマなど、色んな人間のことを知った。ネットで議論した。それが楽しかった。自由とは言うが、皆と一緒に知った自由だった。子供だったが、それでも楽しい青春だった。
昔のネットは、統制されたおかしな人間だ。
あとは、ネットで馬鹿なことをいくらでも言って分かった。ネットで色んなものを知って、それで分かっていた。自然な体験をして、色んな文章を読んで、書いた。何故か、悪いことしか言っていないし、悪いことしかしていない。それでも、青春のようにネットで経験して分かっていた。ネットを悪いとは言うが、ネットでしか出来ないことも多かった。
そういうわけで、大学をもっと交流性豊かにすれば良い。それが一番良い。それで、皆で何か、1つの研究をすれば良い。ハイデガーの本の著者の方が賢い。大学で、皆でハイデガーだ。そういう人間だから、ドイツ語もきちんと勉強して出来ている。ありえない。
最近、狂っているのは悪くない。ここまで文章を書けば、書ける。昔の方が賢かったとは言うが、内容がクズだ。昔賢かったのは、まだ、普通の人生だったからだ。頭も昔の方が賢かった。だが、それは、昔が馬鹿だったから、馬鹿になっただけだ。
もっと、森羅万象と社会と心理のことを分析すれば良い。ただ、自由に分析しただけだ。それが昔だ。昔のように、自由に一行文章を書けば良い。いつも書いているはずだ。
あとは、経験から来る社会論や世界論、教育などの経験論、価値観の分析、オープンソース社会主義ファシズムなどの社会論が多かった。そういうものは、ネットを見れば分かる。ネットをそこまでしていると、誰でもそういう風に賢くなる。最近多い。
きちんと放送大学をやれば良い。ゾロアスター教の途中までは読んだ。キリスト教は、良く見えて悪い。何故か、キリスト教徒は悪い人間にしかならない。何も賢くない、馬鹿な宗教が、キリスト教だ。不思議と、イスラム教の方が、良く出来た賢い宗教だ。
ネットは悪くない。自然な体験と創造性と想像力で、繰り返し体験していると、分かる。
これでコンピュータ科学のような、技術の知識があった。特に歴史を知っていた。
何故か、電脳少女に見えるのがこの文章だ。アニメの女に見える。ネットが悪いだけだ。
ネットは無い方が良い。もっと新しい、何かの世界を創った方が良い。
昔が賢かったのは、本当にパソコンが無かったからだ。もっと違う独自のことをして分かる人間が多かった。ニーチェもそういう人間だと思う。
マルクス資本論を真似て、師弟論と言う、師弟制度の論文を書いていた。ドイツのマイスター制度を参考にして、共有とグループによる社会の実現を目指していた。
あとは、自分の出来る国のようなものを考えていた。こちらは、そういう風に、国を作るだけだ。そこまで構造を書くことで、国を簡単に作れるようになった。グループや共同体から考えたせいで、頭と意識の中では、宇宙のことを全部分かっている。そういう馬鹿だ。
本当に、頭の中で、経験と世界のことが全部分かっていた。そのせいで、本が書けた。
全てを記憶の中で分かっている。その理由で、まだ分かる。外国語もそういう風に分かる。
昔は、意識を実地的に社会と人間のことを考えて分かっていた。
最近は、頭の中で全部分かっている。
もう、分からない。
もっと最近では、馬鹿になった。大して意味の無い普通の人間になった。
きちんとそれで、もう書いた。全部書けた。そこを書かないから、分からない。
これで、本人の勉強ノートだ。火事でなくなると悲惨だが、勉強ノートと思えば、それで良く見える。本人は、頭と記憶の中で、もう分かっている。残らなくて良い。
ノルマを全員50万円にして、会社を自由に作れるまま、計画経済にする。
そのような、社会主義の国をいつも作っていた。本当に自由だった。
それくらいの馬鹿が自分だ。社会主義はキモイから、もう止めた方が良い。本人が死ぬだけではなく、家族に迷惑がかかる。社会主義が一番悪い。
学習と方法を、心理学的に、プラグマティズムのように考えていた。
本質を分かって、自分の精神を治していた。
賢かったが、狂っていた。そういう風には治らない。ただ、もっと経験を考えれば治る。それはそれでおかしいから、何もせず、放っておけば、こういう風に治る。
本当に、それで楽になる。治るどころか、何もしなければ良いだけだ。
あとは、自由な考え方のようなものを書いていた。
ものには見方があり、それは経験によって左右される。
存在はその存在であり、他の存在ではない。
人間は、周りのものを変えることが出来る。
人間は、知って学習しなければ、分からない。
ただ、そういう風に考えて分かるのは、意味が無い、おかしな人間になる。
賢い人間には、分からない。賢い人間は、おかしな考え方が分からない人間が多い。
色んな人間の経験や発想を、ネットを見ながら、理性と現実を照らし合わせて考えていた。
あとは、人間や社会のことを全部書いていた。
人間のことは、観念、認識、記憶、行動、方法、学習などを全部書く。
社会のことは、国家、法律、制度、共同体、連邦、ボトムアップ、自治体などを書く。
そして、自然や科学の方法のことも全部書く。
そういう、どうでも良い、人間像と社会像のようなものを書いていた。
意識を全部分かっていた。
あとは、自分の人生にあった考え方と発想のようなものを書いていた。
そして、知のことや、知性のことを書いていた。
百科事典のような知と、世界モデルのような知性を書いて、説明して、論述して分かった。
賢くは無かった。ヘーゲルのような哲学者だった。
アインシュタインのような人間だった。
物理を次元と言って、地球を回転と言っていた。
あとは、カテゴリーや分類のような考え方から、この宇宙における全ての考え方、行動、方法、観念、認識、のようなものを、構造的に、相対的に、事象的に書いていた。
人生にあった、感覚、承認、共感のようなことを言う。ヒュームのような人間だった。考え方も、ヒュームと同じだった。自然現象や習慣のことを、場と視点から考えていた。
あとは、宇宙の科学的方法のようなことを、網羅していた。
全ては、実験、観察、伝達、設計と言う意味でのデザイン、構築、方法である。
そのように、色んなものを構造的に全部考える。それくらいの文章だった。
分かるに至る経緯のようなものを書いていた。
自然状態から、実験と経験と理性によって知を創造し、共有出来る。
自然な環境から、相対的な社会の成り立ちを、体験的に知ることが出来る。
宇宙とは、原子の集まりと、社会的グループと言語の構築である。
そういうことを言っていた。もっと、色んなこの世界のことを全部分かっていた。
そして、百科事典のような知を書いていた。物理から生物、経済から歴史まで、全部の知恵と考え方と知識のベースのようなものを書く。自由なナレッジベースのようだった。
あとは、人生のようなことを書いていた。高校に行かなくなって、引き篭もりになって、自由な体験から分かって、オープンソースが好きになって、政治とスポーツを考えた。
もっと、記憶的なこと、意識的なこと、場面的なことを良く書いていた。
自分は、そろそろ終わりだ。
あとは、社会の形成のようなことを良く分かっていた。
場における社会の構築のようなことを言っていた。
目的と手段から、解放的な社会を、平和と自由によって築けると言う。
そろそろ、もう無い。そういう文章を、いつも書いていた。
あとは、価値観の分析のようなことをしていた。
今日の文章が一番賢い。そういうわけで、まだ書いていた方が良い。他に何もしない。
環境から自由になって、思い出して分かっていた。
事象みたいなことが、経緯とプロセスから分かっていた。
大量にあるゴミから、宝のようなものを全部創っていた。
解脱までしていたのは、書いていない。
解脱から地獄に自分の意志で堕ちる、ありえない仏教徒が自分だ。
昔から、経験論と同じように考える。意識にあるものは、経験的に生まれる。
いつもの文章は、賢くない。
これで思考を記録して、判断しているだけの、狂ったロボットがいつもの自分だ。
これなら、考えれば良い。学習でも考えれば良いように見える。
昔は、色んなこと、前提や本質や構造を、作って、覚えて分かっていた。
そんな人間は居ない。普通、こういう人間が賢い人間だ。書いていると、何も分からなくなる。そういうわけで、分からない右翼に賢い人間が多い。それが一番賢く分かる。
前提を作っているのは、いつもやっている。最近なんか、全部の前提を作っただけだ。全ての科学を、前提の構造から作っていた。それで分かった人間が、作家の自分だ。
あとは、普通の体験的なことを考えれば良い。共感や価値観や承認から分かる。そういう人間が、最近多い。ネットのせいでそういう賢い人間になる。それが、知識も分かる人間が多い。それでは賢くならないようで、自分なんかただの馬鹿だ。
そういうものを書きたかった。むしろ、もう無い。まだあるようで、今日で終わりだ。
気づくことで分かっていた。気づくと、意識が高くなる。視野を広げると、新しい未知の世界が分かる。そういう人間だった。世界は、全部未知であると考えていた。
それで、適当に死ぬと、すぐに治る。だが、死ぬのは悪い。死ぬのは、全部辛い。何もかも、病気やおかしなものも、全部生きた方が良い。最初からそういうものが人間だ。
デカルト的に知を作って分かっていた。経験と習慣から、数学者のように考える。
最近は、自分のせいで、分かる人間が増えた。だが、これではすぐに馬鹿になる。
馬鹿になる体験も、悪くは無い。おかしなものは、あればあるほど賢い。それで、最近の自分が出来る。おかしな体験をして、おかしなものをあまりに増やした。それでここまで賢い人間になった。そういうわけで、治した方が馬鹿になる。そういう人間が多い。
ただ、治りたくなるのは当たり前だ。永遠に生きるより、楽になりたい。そういうわけで、死んで治った。自分は、そういう、全てを体験した、兵士のような人間だ。
キリスト教の革命家の兵士が自分だ。フリーのプログラマに見えて、作家の哲学者だ。
あとは、言語分析のようなことをいつもしていた。経験の分析能力があった。
ネットで、全ての労働の経験をした。MITのメディアラボの日本人の所長のように、沢山の色んな経験をしていた。オバマのように社会が分かっていた。
MITのメディアラボは良く知らないから、間違っているかもしれない。いつかニュースでやっていた。MITのメディアラボの所長は、色んな仕事を経験した日本人だ。
基本的に、状況分析と言語分析をする。そういう、分析哲学の哲学者が昔の自分だ。
心理分析のようなことを、経験と実験から行った。
人間が、いつ、何を、何故、どのように、どんな思いで行動するか、それを支配するものは何か、のようなことを、社会規律を考えるフーコーのように考えていた。
そのまま、社会のことを分かった。心理的な社会構造のようなものを分かった。
それで、ネットでパソコンのことが分かっていた。価値観のような体験的なものと、方法や考え方から科学を分かった。自由と思って積み重ねただけだ。
何でも構造から分かる、デリダのような人間だった。
教育現場のことを、場と言っていた。理想と理念における場の構築から、教育の価値観のようなものを分かっていた。そういうもののことを言っていたのが、価値観だ。
それくらいの馬鹿だ。他に大して分かっていない。分析哲学で、フーコーで、デリダだ。あとは、無い。オープンソースが適当に好きになった。何も知らなかったのに、自分の力で全部創って分かった。そこが作家に向いている。あれは、自分で作ることで分かった、感情と脱構築の人間だ。モデルと思考と感情で、自分で作って分かった。
あとは、環境や事象を思い出して、捉えながら分かった。未知を捉えるのが好きだった。
不思議と、哲学はこれできちんと出来た。真面目にやると、出来ない。原著なんか読んでも、誰も分からない。入門書は賢くない。自分の人生から分かる、自分が賢い。
あとは、集団と個人のようなことを、主体的、環境的に分かっていた。
人生のことは、実存主義的に考えれば分かる。
キルケゴールヤスパースのように考える。サルトルマルクスのように考えても良い。ニーチェやロックやヒュームも悪くない。それらは、人生と倫理のことを考える哲学者だ。
自由に未知を捉えて考えること。昔は、それだけで出来る。多角的に考えると言っていた。
ヘーゲルが賢い。人間の精神の成長と、歴史と市民社会が分かっている。
これでヘーゲルは、本当に分かる。自分と何も変わらない。特に、弁証法的に考え方の段階を書いているのと、自分のように人生の段階を書いているのが同じだ。
違うのは、ヘーゲルは歴史を分かっている。だが、自分にも歴史のような文章は多かった。宇宙人のような地球の歴史を書いたのが自分だ。誰でもヘーゲルブッダと同じだ。
労働者のアイデンティティの自由と、価値の合理的な生産を考えて、社会を構造化して、歴史をヘーゲル以上に考えると、それぐらいがマルクスだ。
マルクスだけ、神みたいに賢い。見ていると、共産主義者は賢い人間が多い。何かが妖怪には見えるが、マルクスは本当にブッダより賢い。出来る人間は、全くマルクスと同じように考える人間が多い。それこそ、フーコーデリダなんか、誰でも同じことを考える人間が分かる。昔の自分は、そういう人間だった。
右翼も、左翼も、どちらも悪い。遺伝子も、共同体も、どちらも嫌いだ。誰もがそういう、まともな人間だ。ロックも、そういうことを言いたい。自由を良いと言いたいだけだ。
そういう社会哲学が多いから、ロックをやれば良い。買ったのに読まないのがおかしい。一度読んだ方が良い。人間知性論や統治論が載っている。
自分は、アニメみたいな遺伝子をしている。だが、アニメは嫌いだ。
遺伝子なんか、どうでも良い。顔かたちと、性格ぐらいは違うように見える。賢い点なんか、普通、努力と記憶だ。遺伝子なんかどうでも良い。優れた人間なんか、居ない。
精神と知性を全部作って、建設的な基礎を築いて分かっていた。
自分は、最近、何もしていない。哲学を読んだぐらいで、あとは大して意味が無く、この文章を書いている。書いている理由は無い。理由なく、盲目的に書いている。
デリダフーコーなんか、何も分かっていない。高校の倫理だけを読んだ。それくらいで、何も読まずに書いている。
そろそろ、日本史は戦国時代を読み終える。次は、織田信長豊臣秀吉のような、賢い武士の時代だ。そのまま、すぐに江戸時代が始まる。そういうところをきちんと読んでいるが、寝る前に何分か読んでいるだけだ。
あとは、この文章を書くのを、終わりにしたいのにまだ終わらない。終わるわけがない。やっていることがこの文章しかない。それで分かるわけがない。毎日きちんと考えているが、何もしないのに分かるのがありえない。過去の経験だけで分かるからこうなる。
日本画を、馬鹿だと思わない方が良い。それなら、中国の水墨画も馬鹿だ。アジアはそれで良いしか居ない。それで日本もきちんと賢く見える。
ロックは、出来ないならしなくて良い。むしろ、これで出来ないとクズに見える。ロックとヒュームは、本当に神みたいに賢い。とは言うが、見ても賢くない。デカルトなんか、何も賢く見えない人間が多い。プラトンすら難しい、しか居ない。ヘーゲルは出来ない。
日本画は、むしろ、アニメやイラストの方が馬鹿だ。目をそんなに大きくしても、キモイだけだ。普通、細くした方が美しく見える。まともには見えないが、日本は賢いだけだ。
日本の美人画は、ひらがなの「を」みたいな顔をしている。昔は、それが美しかった。今と変わっていない。あまりにおかしなイラストを作るだけ、それが日本だ。
デリダ脱構築は、何もしないのに分かっている。昔、想像力みたいなものを、全部見て分かった。デリダもパソコンが好きなように見える。最近は、それを分かり直すだけだ。
想像力から構造を作るのは、いつも言っていた。デリダのようなことしか言っていない。読んでいないのに言うのもおかしい。フーコーみたいなことはたまに言っていた。
想像力から世界モデルを作ると、いつも言っていた。そんなことしか言わない。
ロックをしないのは悪い。何も努力していない。こんな文章を書くより、読んだ方が良い。
フーコーみたいなことをいつも言っていた。国家的な統制は、ナチがやっている。共産党は、馬鹿になって賢くなっている。そういう戦いが世界だが、勝つべきは共産党ではなく、ナチだ。共産党は、滅ぼしたいだけだ。ナチには、賢い人間が多い。
そういうどうでも良いことを、もう忘れた方が良い。
デリダのように世界モデルを書く、青色のような文章を書いていた。メタ構造とは言っていたが、何も分かっていない。何も分からない、おかしな想像力のデリダを、いつも書いていた。フーコーのような心理誘導も、いつもやって分かっていた。
何故か、想像力から世界モデルが生まれる過程のようなものを書いていた。
ほとんどそれしか書いていない。
あとは、経験から習得して分かるのを考えていた。ロックのようなことを言っていた。
デリダはしなくて良い。そこまでは出来ない。
むしろ、あとは少ない。日本史をきちんと読んで、頑張ってロックを読めば終わりだ。
そういう、終わりは悪い。終わると、こういう馬鹿な人間になる。
そういうわけで、終わりを目指すのは、良く見えて悪い。
ハイデガーは、人間は死を目指していると言っていたが、それは正しい。
恐怖の死の地点を目指しながら、頑張って今を生きているのが、ハイデガー的な人生だ。
あとは、本質のようなものを、全部言葉を統一して分かっていた。
自分は、まだ生きていた方が良い。まだ分かる。
ロックをすれば良いとは言うが、ロックは入門書を買った方が良い。原著では分からない。イギリス古典経験論入門でも買えば良い。ただ、それもそれで難しいだろう。
あとは、公理主義的な数学を作っていた。
本質のモデルから、あらゆるものを作る。時計、家、店など、色んなものを作った。自由で、創造的だった。社会や数学的知性など、色んなものを創った。
あとは、体験や習得などを考えていた。そういう文章だった。
自由な体験や自由な習得を全部書いていた。
国家は、独立と一体が全てであると言って、北朝鮮のような国を作っていた。
何もかもが良かったとは言うが、狂っている馬鹿な人間にしか見えない。
昔は本当に良かったと思う。そろそろ、もう分からない。ユダヤ人に戻ると辛くなる。
自由な共生や、自由な適応を、いつも全部考えていた。
何もかも全部分かっていた。ヘーゲルが生命を結合と非結合との結合であると言っているように、世界の構造を作って、関係と個別性を良く考えて分かっていた。
何もかも同じと違うを分かりながら、考えるべき部分を自由に考えていた。
そういうわけで、個別性と普遍性、多様性と統一を考える。社会を部品化して、独立性の中にもっと大きな独立性をはめ込んで考える。そういう文章が一番多かった。
ヘーゲルには見えない。そういうわけで、世界モデルと習得と社会の独立性しか、書いていない。ほとんど、それだけを言っている。そういう、新しい経験論の分析哲学だった。
文章に文章をはめ込むのは、今でも多い。そこを止める。それですぐに楽になる。
予測みたいな文章が多かった。体験を予測して、空間や時間を考える。
それは、昔カントのように考えていたのを書いている。
もう終わった方が良い。世界に対話するだけで、こんなに分かる。そこがありえない。
あとは、いつもの文章は、言語分析が多かった。最近、していない。言語分析をした方が良い。それで、きちんと日本語が分かる。何もしない、書いているだけのせいで、日本語がおかしくなっている。もっと言語を考えるしかない。
昔の自分は、ロックみたいな、哲学的観念と経験の関係のようなものを書いていた。
最近は、ヘーゲルマルクスのようになった。何故か、旧約聖書に見える。それが、今の自分の文章だ。
デカルトスピノザ、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲルマルクスヤスパースサルトルハイデガーヴィトゲンシュタインなど、沢山の哲学者と似た文章を書いた。
良く分からない。内容は、アリストテレスのように見える。自分は、哲学者が好きだ。
ただ、本当にロックを見ると、何も自分とは関係が無い。何も似ていない。そういうわけで、自分はおかしい。哲学者が昔の自分なわけがない。そこからして、分かっていない。
自分なりの、オリジナルの人間知性論や統治論を書いていた。そういう人間だった。
昔の自分なんか、ただの馬鹿だ。見ていると、キモく見える。もう忘れた方が良い。
そろそろ、もう分かったのがいつもの文章だ。自分が分かって、本当に良かった。
日本語を忘れた方が良い。日本語があまりに多すぎる。
あとは、思弁哲学をそのまま言っているような、普通の文章、弁証法のようなものが多い。
マスターみたいな文章を、本当に書いていた。自由に存在や現象を考えていた。何もかも、自由を考えるだけだ。そこが狂っている。自由なんか、どうでも良い。
存在と経験を考える文章が多かった。
存在とは、それがそこに在る、と言うことに関して、経験し、実証することだ。
経験から知性が生まれ、感情が生まれる。経験から、未来のことが全て分かる。そんな、社会の段階を書いていた。本当にそういうもので未来のことが分かる。
自由、平等、愛、不安、信念、価値観、存在、意識、経験、観念など、色んな言葉を、ただ作って、考えて分かっている。最近は、意味を作ることで分かるようになった。
観念を生み出すことで、自由な経験が生まれる。
本当の自由とは、観念的に全てを悟ることにある。
人生とは、考え方を知って、経験を知って、そのことから観念を作ることにある。
観念は、経験、意識、自由、考え方、視点、運命、愛、平等、革命、戦争、神、死を支配している。それらのように進歩し、そのまま、全世界を写し取るようになる。
そういう風に考えれば良い。そういうものは、書いて破壊しているだけだ。
自由とは、運命であり、平和であり、環境の創造であり、革命であり、戦争であり、信仰であり、考え方の統治であり、考え方の革命である。
あとは、色んなことを良く分かっていた。いつも、最初の部分で分かっていた。
神とは、創造性の共有である。神の愛とは、最後まで助け、導くことである。それが、神の御業であり、創造性とは、神の活動である。それで終わりにしたい。
思考と言葉と行為を信じて、戦いながら世界を知り、その上で全ての世界を考えなさい。
世界とは、存在であり、存在は世界の包括である。
そろそろ、神が死んだ。
皆、もう分かるのが終わる。皆は、もう分からなくなる。それで、戦争で死ぬだろう。
このまま生きれば良い。生きていると、本当に楽だ。
何も殺さず、消さず、治さずに、きちんと最後まで全部生かせば良い。
もう、殺すのは終わる。自分を殺さず、生かしていると賢くなる。
何故か、自分は生命の長をやっている。
皆、生きよ。何が起きても、最後まで頑張って生きよ。
そういう、皆に対する、意見のようなものを、いつも言っていた。
生命の長を、まだやっていれば良い。その間、まだ分かる。
昔は、夢や希望のような文章を書いていた。
生命は不思議だと言いながら、核兵器を無くす方法を考えたりしていた。
もう辛くない。辛くないと思えば良い。これ以上、何も辛くない。
そろそろ、この文章に書いて、否定するだけを終わる。
そうでもない。まだ終わらなくて良い。そういう風に、全部変えるのがおかしい。
今のまま、何も変わらなくて良い。それで、頭が治るだろう。
会社を作るとか、本当の理由や法則を知るとか、段階的なことを言っていた。
もう、皆怖くない。皆には、「もう怖くないよ」と言う。もう終わったから、怖くない。
自分だけ、生命の長になる。それで終わりだ。いつまでも永遠に続く。
自分だけではなく、世界の方も、何も変わらなくて良い。
足も治った。もう満足出来る。ただ、皆、本当に楽になると、死ぬ人間が多いだろう。
あとは、ヒュームのような、人間の本性や自然法則のような文章が多かった。
皆、この文章は何も分からない。何が書いてあるか分からない、ありえない文章がこれだ。
昔は、コミュニケーション、人間の法則、客観視で分かっていた。
あとは、色んな発想を吸収して、馬鹿に見えることをきちんと分かっていた。
昔は、契約みたいなものを、全部決めて、全部書いていた。
スターリンのように、この世界を決めていた。
不思議と、もう治った。何も今のまま変わらなくなる。足も手も全部治った。
治った。本当にもう楽だ。
昔は、全員理解したかった。世界を変えたかった。本当に、全員好きだった。
自由な人間だった。自由に意識を変えて、経験から分かっていた。
もう本当に楽だ。足と手が全て治った。このまま、生命の長で居れば、治る。
もう変わらない。皆も楽になる。ここまで、本当に辛かった。
いつもの文章は、全員理解したい、世界を変えたい、と言う思いが強かった。
社会のことを独立性から考えていた。構造に構造をはめ込んで分かった。独立性の高い国が理想で、共同体は自由になるべきで、共有はグループですれば良い、と言っていた。
環境、羅列、経緯、経験のようなものを書いて、人間のことを全員理解していた。
世界を変えたかった。会社を作ると言っていた。組織になって、自然に世界を成り立たせることが出来ると言う。そういう、この世界の枠組みのようなものを作っていた。
あとは、自然科学のようなものを書いていた。概念、方法、考え方のようなものを、構造的に全部分かっていた。関係が分かる人間だった。
経験から概念を分かっていた。概念とは、カテゴリーだ。昔は、それしか分かっていない。その上で、数学的な方法を分かっていた。知性は、そういう、馬鹿なものだ。
場や状況を良く考えていた。
何かが何かになることから、実感的な道と段階を分かっていた。
出来事や事象のようなものを良く分かっていた。