「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2015-09-27

=2015-09-27=

ワードからコピー

平面的な人間になった。
何でも予測するのが悪い。
発見はもうしなくて良い。
発見みたいな文章が多かった。
何か言えば分かる。
労働の経験が全部あった。
ネットであらゆる労働をしていた。
コンピュータ業界のニュースを読んで、競争し、資本主義を知り尽くした。
自由がない。
昔は、自由の延長線上の哲学を分かっていた。
最近は、文章の経験がある。
色んな体験をしたかった。それをもう止めれば良い。
イスラム教は、貧者への喜捨を実行する。キリスト教も弱者を救うが、イスラム教はさらに優れている。
あとは、社会主義のようなことを分かっていた。
政治は、大統領の、血筋か選挙による変転である。
経済は、増える世界か、減る世界だ。
支配は、金か、党だ。
社会主義は、計画経済、国民公社、社会所有、平等分配だ。
自由主義は、自由競争、市場経済、金、自由資本だ。
そのように、社会主義自由主義を比較して分かる。
頭の中が、そういう、国際的な経済の頭になっていた。
もう書かない。今日でもう終わりだ。
政党は、議論し、意見し、党と首相を支える。
そういうことを言っていた。色んな社会的な発想をしていた。
上にキリスト教の神が居れば良いと言っていた。
社会所有のことは、管理所有と言っていた。
そう言うことは言うが、むしろ、資本主義の方が好きだった。
競争と資本家の経営によって、全体が賢くなる。
政府は、小さな政府であるべきだ。
社会主義も、それはそれで参考になると考えて、構造にして理解していただけだ。
そういうわけで、僕は資本主義も好きだ。
社会主義者を全員創って、ロシアの歴史を書いて、国をモデルにして比較で分かった。
社会主義は、止めた方が良い。一番悪い。ただ、ほとんど社会主義しか書いていない。
あとは、人格や環境を全員分作っていた。毎日、1人人生を生きる。
本当に、もう何もしない。もう止めれば良いから、悪いものを書いているだけだ。
昔は、社会と地球のことを全部分かっていた。そういう全部分かるのを書いていた。
今日は、NOVAに行かないことにした。行きたくない。
何か、賢い学問をやれば良い。賢いことが分からないから、分からないだけだ。
昔は、パソコンと数学と自分で作る科学で分かった。社会のことも分かっていた。
そういう、賢いことを全部分かれば分かる。そういう人間が、父親みたいに多い。
一度負ければ良い。そんなに勝つのは辛い。
勝ち負けは良くない。勝てば勝つほど皆が負ける。
皆を勝たせた方が良い。
自由に与えるか、平等に与えるか、上が決めるか、下が決めるか、どのように働くか、どうすれば自由に働けるか、どんな考え方で決めるか、のような社会のモデルを作っていた。
自由なまま可能性を高めて、支配者になれるように考えていた。
契約は変化の成り立ちであり、改革は変化の実行であり、それらは変化の実現である。
民主主義とは、国民が変化を執り行うことであり、多数派の民衆が支配することである。
そのように、何もかも言葉を統一して、説明して分かっていた。
平等は、多数派から独立した共同体であり、自由は状況に応じて適応することである。
ロシアの歴史を作っていた。
システムを全部作っていた。
無責任だったが、優しさや思いやりを書いていた。
自然や地球の変化、方法、経緯を書いて、社会の段階を分かっていた。
自由は、市場経済や競争など、多岐に渡る。そこでは、個人と市場の自由を尊重し、行動とそれぞれの自由によって、規制を緩和し、努力と能力と実現力に応じて、自由に金儲けを行う。それが、一番、賢いものをもっと賢く出来るし、自由になれる。
そういう、自由な経済のようなことを考えていた。
それぞれが自由になることで、自然に世界は進歩し、人は本当に努力して、この世界を全て見通し、理解し、理解を共有し、可能性豊かでそれぞれが許された経済を実現出来る。
もっと、自由な経済を知れば良い。それで賢くなれる。
自然科学をすれば良いように見える。数学は難しいが、生物学なら出来るかもしれない。
自由な社会とは、教育と資本の共有であり、向上であり、自由を許して、それぞれが自由に出来て、信頼して、民衆の手に政治と経済を委ねて、本当に賢いものが勝つようにすることだ。それが自由であり、自由はフリードマンが言うように、一番差別の無い主義だ。
そういう風に文章を書いていた。考え方や国家の構造のようなことを言う。
もっと、自由になった方が良い。皆、それぞれが自由になることで、この世界は発展する。
ただ、自由は規制すべきところもある。自由になればなるほど社会は分裂して、分からなくなって、滅びる。自由は、一番良いように見えて、一番悪い。
自由とはボトムアップであり、民主主義だ。それぞれが自由と影響力を行使しながら、それぞれが自由に社会を形成し、自然に積み重ねて発展させる。
そういうことを言っていると、無政府主義者に見えるが、それでも、ボトムアップ的な民主主義の思想は多かった。
学校も、同じように、社会の構築と変化を学ばせるべきだ。いつもそういうことを言う。
むしろ、政府が何かするのも悪くは無い。実現力があれば良い。自由とはそういうものだ。
創造性と自然な積み重ねにするのは良いが、最近はそれで馬鹿な国になったのが日本だ。総理大臣がコロコロ変わる上に、全部やる右翼になっている。
もっと、権力で日本を治めるしかない。それは悪くない。代表にすればそれで自由だ。
あとは、資本の共有とか、自分と同じことが出来る国とか、社会論が多かった。
これで良く考えて行動すると、ブッダのような、解脱が出来る。
昔は、それだけの賢い人間だった。そういう、マスターのような文章を書いていた。
経験の裏側にある、条件や方法を考えること。そして、経験から思考し、行動し、それぞれの役割と原因を考えること。何がどうなるか、関係を考えること。
もっと、もっと、色んなものを知って、良く考えること。行動的になること。
解脱は、それだけでは出来ない。精神のことを良く考えて、精神から脱出する必要がある。
左翼は悪い。もっと国には実現力があった方が良い。
そういう、実現力のある国のモデルを、EUのように考えていた。
もう終わりだ。解脱がしたいなら、永遠に2ちゃんねるをやっていると出来る。オープンソースと言うよりは、コンピュータのことを知って、ガーデニングや語学のようなことをしながら、仲間と政治やスポーツのことを話す。
経験論のように、ヤスパースのように考える。ヤスパース大乗仏教のように見えるのは、解脱が出来ているからだ。そういうわけで、それで解脱が出来る。
楽しいことや苦しいことを経験しながら、皆と経験を分かち合って、自分の経験から皆のことを考える。もっと、神の愛とビジョンから分かれば良い。それが解脱に繋がる。
状態を知りながら、原因と結果を知り、それを変える方法を知る。それが何かを考えるよりも、それに対して何が出来るか、何をどうすることが出来るかを考える。
解脱は、そういう、自分の中にある殻を壊すプロセスだ。殻に閉じこもっている間は分からない。ネットで経験すると、良く分かるだろう。
そして、理想の社会を実現するために、大地に根を生やす。それが涅槃である。
自分は、煩悩が多すぎる。だが、それは悪いことではない。悩みから創造的行為を実現しているだけだ。こういう風に生きたいなら、生きれば良い。この道は、悪くも無く、良くも無い、普通の道だ。自分の好きなように生きるのも良いが、これも悪くは無い。
昔なんか、ネットでいくらでも恥をかいて分かっただけだ。色んなことをネットに言って分かった。悪いことも良いことも全部言っていた。世界を変えたい、みたいなことを言う。それ以上は、誰でも、ネットで経験していると、解脱が出来る。
心の裏の理由など、裏の世界や法則を分かっていると良く分かる。
自分の心から世界が分かる、ありえない人間が多かった。
何か賢い学問をした方が良い。日本史はつまらない。
昔は、ネットを見ながら世界のモデルを作った。
人間と社会のモデルを、積み重ねて作った。
だが、そういうありえない発想をもう止めた方が良い。中学生みたいに意味が無い。
高校生が馬鹿だから、中学生が好きな人間が多い。中学生には、真面目な人間が多い。
自分の場合、自分のクラスが悪かったせいで、分かっていない。勉強出来る人間は居ないが、どのクラスも平和で、普通に勉強している。自分のクラスが悪かっただけだ。
そういうわけで、学校なんか何も悪くない。普通、高校生が悪いだけだ。
フィヒテが言うように、宇宙は絶対的な超自我である。
不思議と、高校は賢くない。行っても辛いから、行かなくて良い。
学校なんか無い方が良い。文字と計算ぐらいは出来るべきだとは言うし、日本史と理科ぐらいはあった方が良い。そういうわけで、無い方が良いとは誰も言わない。
全部正しくするのが間違っている。全部正しいことを言うのが悪い。
世界はもう滅びる。それで足が治る。
本当に自由な方が良い。それぞれに任せるべきだ。必要なことを全部教えて、出来るようにするべきだ。選択は自分でして、必要なものを与える。何より、基本を教えるべきだ。
最近、夢が面白い。寝る時に見える夢が、面白くなった。たまにキモイが。
自由で誰でも分かる。分からない人間は、方法が分かっていない。方法を良く考えれば良い。数学と方法が分からない人間には分からない。だが、自由に勝つ余裕を与えるべきだ。
時間と手段が必要だし、自由に考え、全てのことを理解しようとする、心構えが必要だ。
そういう、自由な手段と心構えのようなことをいつも書いていた。
だが、老人には何も出来ない。若者をもっと自由にした方が良い。何か出来る。だが、若者を自由にすると、悪いことをする。そこのバランスを考える必要がある。
治るわけがないと思った方が治る。足は、消すしかない。
思弁哲学と自由で分かっていた。考え方と弁証法を考えて、無制限、無支配の、共産主義者のような自由で分かっていた。合意と許可、無制限と選択肢、システムと手段で分かっていた。そういうわけで、自由が好きなだけだ。戦う自由も好きだった。
それぞれの自由に委ねるべきだと思っていたし、自由の方が平和になると信じていた。そして、国家に支配されたり、従属されたりするのは、間違っていると信じていた。人間は自由で、国家に支配されるものではないと、信じていた。権威は嫌いだった。
だが、権力は否定しない。支配すると、色んなことが出来る。もっと支配が皆出来るようになって、流動的な階層を構築するべきだと思っていた。支配するのも、されるのも、自由で、それぞれの意志と合意に応じて行われるべきだと、信じていた。
ただ、不自由も嫌いではなかった。不自由な世界も、ある意味では可能性だ。
いつも、考え方や方法の構造を言っていた。
可能性を分かっていた。宇宙の全てに概念的な名前をつけて、分類し、把握していた。
信じる、疑う、実地的に考える、認識する、信念、全体像のようなことを言う。
他人に迷惑をかけないのが良い。それが一番良い心構えだ。
親や兄弟に迷惑をかけるべきではない。社会主義は悪いから、忘れた方が良い。
あとは、生きるのは辛いが、辛いのを受け入れて、頑張るしかない。
あとは、社会パターンのようなことを言っていた。金、指導者、宗教、理論など。
不思議と、戦争や国が亡びるのは、あまり悪くない。
それは、自衛隊しか死なない。自衛隊が悪いだけだ。
社会主義は、不思議と、悪い。逮捕されると、家族に迷惑がかかる。
若者には、分からない。オヤジには、迷惑をかけるのだけが悪い、しか居ない。
プロフェッショナルを生み出す土壌、のようなことを分かりたい。
それは、不思議と、夢や希望があると分かる。何かを知って、活動していると分かる。
物理は、異次元だ。もっと次元の高い物理学が生まれるだろう。
冠詞を多様にすると言っていた。それは、言語と自由と数学の関係を考えただけだ。
細胞には意志があるかもしれない。アメーバから分裂して生まれたのが生命だ。
人間は、神なのか、進化したのか。そういうことを考えると分かる。海が考えて作ったように見える。宇宙人が創った、という説もある。
プログラミング言語を日本語で行う。もっと、国際的な、記号のような言語にする。そういうことを言いたいように見える。
ネットワークを使って、本当に使いやすい、クラウド的なOSを作る。
まさに、パソコンが一番そういう発想が分かる。昔なんか、パソコンで分かっただけだ。
ものを、再利用・共有可能にする。
パソコンによるコミュニケーションを、もっとマルチメディア的にする。
そういう、おかしな発想をいつもしていた。もっと考えれば良い。
施設を再利用・共有可能にする。店を創造的にする。そういうことを言っていた。
自治体を流動的にして、簡単に新しい会社を作れるようにする。
そういう発想が分かる人間が一番多い。もっと、普通に発想すれば分かる。
オープンソースは、ソフトウェアのソースコードだけではなく、多岐に渡ることが出来るかもしれない。ハードウェアの設計図と製造工程、会社の経営方針、工場のプロセスと管理、大学の知の集合知のようなものを、共有して、バザール開発に出来る。
そういうわけで、オープンソースは、社会主義の実験体だ。ただの馬鹿だ。
はてながいつかはてなアイデアと言ってやっていたように、意見や発想をBugzillaのようなシステムで共有して、実現することは出来るが、それはプロの技術者から見て、技術者をロボットにしているだけだ。止めた方が良いだろう。
あとは、宇宙にはありえないものがたくさんあると言っていた。おかしな機械が多い。
あとは、自宅で自由に学習し、労働する、と言った発想が多かった。
何かすれば良いのではなく、何かになれば良い。
なろうとしないのがおかしい。
自分を変えようとする、アクションを起こさないから辛くなる。
楽な人間になりたいなら、楽になろうとすれば良い。頑張って楽になれば良い。
そこが分かっていない。地獄に耐えるのではなく、なれば良いだけだ。
最近は、認識が怖くなっている。認識するだけで、辛くなった。
何も分かっていないのは、分かろうとしないのがおかしいからだ。
もっと意識を増やせば良い。それが正しい。誰でも、意識を増やせば賢くなる。
意識を増やすためには、意識の実験をすること。
昔は、そういう風に、問題を解決して、全て分かっていた。最近分かっていない。
意識の実験をすると、皆が治る。この世界が賢くなる。その代り、滅びて死ぬ。
僕は、多重人格のせいで、自閉症になっている。日本語が分からない、赤ちゃんのままだ。
多重人格を治すしかない。それで自閉症が治る。
経験とは、自由の中に道を作ることだ。
そういう、カッコいいこと、経験から来る知恵のようなことをいつも言っていた。
あとは、馬鹿なことを言っていた。何故か、世界征服のようなことを言っていた。
いつも、何も出来なくなって、世界を支配する。それが、スターリンのような王だった。
自由とは、存在し、認識出来ていることだ。
想像力で、時間と空間、成り立ち、場と集団、個人と主体性、機械や心理、のようなことを考えていた。想像力があった。世界モデルと同時に、様相を考えていた。
最近、想像力が無くなったが、昔は本当に、想像力と論理力を兼ね備えた人間だった。
地球が、今この角度で居られて、僕らが一緒の場所に居られることが自由だ。
そういうものは、本に書いてある。もっと思考、感情、想像力で考えれば良い。
物理とは次元であり、観測だ。
生物は、生きる力の考え方だ。
そういう、科学の発想と知恵ぐらいを言っていた。
不思議と、これくらいでいつもの文章は誰でも分かる。
いつも、認識と存在のようなことを言うだけだ。それを自由や体験と言う。
人間のことを体験と言って、詳細分析のようなことをしていた。世界把握だった。
信念とは、優しさ、強さ、楽しさ、協力、支配、議論だ。
信念、価値観、感受性、真理、自由、愛、不安、経験、体験、心が全てだ。
いつもそういうことを言っていた。
そろそろ、虫みたいに見えるのが治る。もう本当に分かった。木に見えるようになる。
経験を習得的だと言って、学習や活動を考えていた。それくらいの文章だった。
歴史は、抑圧と支配をどのようにしたら無くせるか、それはどうなるか、を考えていた。
数や表現や言語のようなことを自由に考えていた。
国家は意見であり、議論するべきだと言っていた。
アリストテレスのように、目的と原因のようなことを考えていた。
社会がどのように生まれるか、どんな社会がどんな社会になるか、を考えていた。
社会を全部作っていた。手段とシステムと環境から、あらゆる社会を作った。
何かをする前提、判断する前提のようなものを全部書いていた。
本質みたいなものを考えた。ヘーゲルのような思弁哲学だった。
宇宙の意識レベルのようなものを書いていた。
あとは、とにかく自由のようなものを考えていた。
非科学的なところもあった。宗教のように人生の段階を考えた。
ただ、皆を馬鹿にするだけの、悪い文章だった。
アメリカを農業地帯にして、ドイツとフランスに本部を置き、世界を征服する、と言ったような、悪いことを言っていた。
もう分からない。続きは明日書けば良い。
自由な存在と認識の考え方のようなものをいつも書いていた。
普遍性みたいなものを考えて、システムを作っていた。
契約のような文章だった。
オープンソースのような文章を書いていた。全て書き直して、書き足していた。
世界に自由を言って、世界を支配する。ただ、悪くは無くて、優しいだけの人間だった。
悟るだけの文章が多かった。
国家のようなことを書いて、世界中の国家の関係のようなものを書いていた。
世界把握や、心理把握のような文章が多かった。
そろそろもう終わりだ。今日はこれくらいにする。
心の構造と想像力が分かる人間だった。動物から山や川まで自然のことも分かっていた。社会のことは、全体像が見えていた。レーニンのように、社会を実現出来る人間だった。
あとは、オープンソースみたいな可能性の文章が多かった。知の集積や、社会の自然な可能性のことをいつも言っていた。
あとは、もうこれ以上、何も書きたくない。そんなに分かっても意味が無い。