「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2015-08-04

=2015-08-04=

ワードからコピー

僕は、まだ生きている。
宇多田ヒカルが言うように、いつの日か、育てたものまで自分で壊さなければならない日は来る。そういうものが、運命だ。
全部、怖いものは日本だ。テレビが怖いせいで、日本が怖くなった。
日本に殺されるのが怖い。左翼は止めた方が良い。
関係を考えれば分かる。何事においても、考えるべきなのは関係だ。
関係は、一部と対応だ。
自分と相手の関係、自分と世界の関係を考えれば分かる。
受動的な関係や能動的な関係を考えれば良い。
ものは、自分で光っていない。光に照らされて光っている。そういう風に考えれば良い。
哲学は、宇宙の真理、人間の実存を考える学問だ。
世界は、ネットのせいで急速にくだらない世界になっている。
グーグルと安倍が悪い。馬鹿すぎる世界になった。
外国人になるのは馬鹿だ。純粋な日本人になった方が良い。
Linuxは、ネットで勝っている。一番賢い。Linuxは賢いものになった。
だが、誰も知らない。自分が居ると、そういう風に、世界が賢くなる。
馬鹿に全部覚える意味が無い。忘れた方が良い。
今日も英語をやった。
精神異常に語学の学習が良いと言うが、本当だと思う。わたしの哲学入門に書いてあった。(良く分からない。他の本だったかもしれない。)
あとは、今日は哲学と仏教の日だ。自分の好きな仏教の本が読める。楽しい。
同じ言葉でも、場合や状況によって、違う意味になることがある。仏教で言う、センダヴァがこれに当たる。センダヴァは、塩、器、水、馬、と四つの意味がある。
ブッダの言葉は、内容が無く、矛盾があるように見えて、センダヴァなのである。
いつも馬鹿で書いていたせいで、馬鹿になると分かるのが自分だ。
情報や体験から、ものを作り、研究し、芸術作品や製品を生み出し、発明する。
材料からものが生まれ、研究から真実を発見する。
理解とは、家族、市民、技術、スポーツ、政治である。
そういうことを言っていた。
あまり意味が無いが、ただ羅列して、当たり前に関係を考えていただけだ。
色んなことを考えていた。ゼロから仮想的に考えていた。
創造性と表現が全てであり、それは、世界を平和にする正しい理想だと言っていた。
あとは、分散とか環境とか色んな抽象的で自由なことを言っていた。モデルと考え方を作っていた。科学や人間や人生や社会や段階のようなことを分析していた。
仏教の一味と言う概念は賢い。与えられているものは同じでも、受け入れる方の能力や器量が違う。平等に雨は降るが、草木の能力や性質によって、吸収される水の量は異なる。仏教の教えは同じでも、聞く側にとって、それぞれの理解の程度は異なる。そのように、一味は平等だが、それぞれの受ける側が持つ性質によって、全ては変化するのである。
実地的に世界と人間と社会を考えるのを、もっと良く考えれば良い。そうすると、ブッダと全く同じように分かる。最近の自分は、そういうブッダがもう終わった。何も分かっていないから、ブッダと比較しない方が良い。比較すると、ゾウとアリほどに自分が馬鹿だ。
比較しない方が良いとは言うが、昔の自分はブッダほど賢かった。高校生のヴィトゲンシュタインのような人間だった。やりたいなら、コンピュータの世界を知り尽くして、ネットを見ながら、豊富な経験と思考で、人間のことを考えていると出来る。
そういうわけで、自分は賢いとは言うが、ブッダマルクスと比較すると、本当に馬鹿に見えて悲惨だ。本当にこういう考え方をする馬鹿が多い。ブッダも同じなだけだ。
ネットで社会を知って分かっていたのが賢かった。引き篭もりのブッダが自分だ。
引き篭もりの賢い人間は、こういう風になる。ただの馬鹿の方が賢い。ブッダと同じように考えるのは、そういう、悲惨な日本人が多い。悲惨な人間が賢いのは、悲惨な人間は自然に宗教になる。そういうわけで、ブッダ本人が悲惨な人間で無いのがおかしい。
少数の方法から全体の構造を分かると分かる。昔はそういう風に考え方を分かっていた。数学者と同じだ。
ブッダは多い。悲惨な人間に、ブッダが一番多い。日本では、悲惨な人間が賢い。悲惨な人間になりたい人間が多い。普通、ブッダになる。自分も同じだ。昔はブッダで、今はキリストだ。宗教が賢いだけだ。
ブッダを信じると、馬鹿に全部きちんと分かる。だが、神は信じなくなる。もっと巨大で、普遍的で、永遠で、大きな、偉大な宇宙の存在を信じるようになる。ヤスパースの言う、包括者のようなものだ。それを仏教では、仏と言う。
自分は、ブッダどころか、アリストテレスからヴィドゲンシュタインまで全部やっているから、ブッダに見えない。だが、悲惨な引き篭もりのブッダだった。
ただ、喪失して狂っているだけが、悲惨な人間だ。最近は、そういう、コンピュータで狂っている馬鹿が一番多い。自分のせいで、そういう馬鹿が増えた。
神との対話は、テレパシーのように神と話している。超能力のようだ。
そういうわけで、神を信じざるを得なくなったが、むしろ、信じなくて良い。
本音では、神を信じたくない。神なんか、どこにも居ない。信じてもこうなるだけだ。
こうなると良い人間が多いから、ドイツに神を信じる馬鹿が多い。ドイツが好きだから、ドイツ人になった。それが悪い。ドイツ人は虫けらみたいに馬鹿だ。
そういうわけで、神なんか信じなければ良い。もう、信じない。天使が好きなのはおかしい。聖書やヘーゲルと同じものを作る意味もない。マルクスはもってのほかだ。ヒトラーは馬鹿すぎる。そういうものが、ユダヤだ。神を信じるのが、一番悪い人間になる。
ロックは、経験にこそ、いっさいの知の基礎があると言う。
ライプニッツは、すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれていると言う。
あとは、私は私に対して存在し、同時に、私に対して必然的に存在すると言う。これは、誰が言っているのか良く分からない。シェリングかもしれない。まだ読んでいない。
これは、西洋哲学史熊野純彦)に書いてある、章ごとのタイトルである。
だが、そういう風に、哲学者が考える内容は、昔の自分が考えた内容と一致する。
そういうわけで、哲学は昔の自分のような学問だ。あるいは、昔の自分は、哲学のような人間だ。そういうことが言える。
哲学は、必然的に考えれば分かる。昔の自分は、ブッダのようだったが、哲学者だった。
そういうわけで、哲学をしたいなら、思い出せばすぐに出来る。昔考えて分かっている。
あとは、神との対話のような内容が多かった。
色んな文学を読めば分かるようで、色んな文学は馬鹿だ。
最近、思い出せなくなっている。もっと良く思い出せば分かるのに、思い出せない。
このまま哲学をやるのは良いが、もう止めた方が良い。そろそろ十分哲学も終わった。
それこそ、誰でも考えることは同じだ。普通に考えれば良い。
かれらは、それを知らないが、それを行っている。
世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である。
西洋哲学史に、そういう内容がある。哲学は、良く読んでいると、自分とは違うことを言っている。そういうわけで、良く読んでいると、きちんと賢いのが哲学だ。
最近、読んでいないとは言うが、色んな本を読んでいる。子供向けのはじめての哲学のような本も、いつか図書館で借りて、いくらか読んだ。きちんと読んだ本が少ないだけで、色んな本は雑多に読んでいる。そういうわけで、これで大学生だ。
社会のことをもっと知った方が良い。テレビを見るのが怖いのはおかしい。
日本が怖いのか、アメリカが怖いのかは、分からない。だが、怖くない。テレビが怖いせいで、この世界が全部怖くなった。日本語も怖くなった。この世界はテレビだ。
要は、そういう、くだらないこの世界が無いのが良い。それが正しい。
テレビを賢いと思わないのがおかしい。出ている人間は、賢い人間が多い。広告も、賢い会社が多い。要は、そういう、馬鹿なものを見たくない。馬鹿な表現が怖いのだと思う。
今、原爆の番組をやっている。平和なサンドアートをやっているが、感動出来る。そういうものを見たくないのがおかしい。
テレビを見れば、すぐに分かる。見ないで分かるわけがない。
最近は、本当に日本が分かっていない。もう死ねば良いからそういう風になる。皆が悲惨だ。ただ、テレビの皆が本当に自分で馬鹿になったから、見たくないだけだ。そんなに皆を騙して、傷つけても、意味が無い。皆を倒したかったのを謝れば良い。そして、皆をいつか治すのも諦めて、反省すれば良い。二度と戦争をするべきではない。その言葉には、二重の意味がある。本当の戦争もすべきではないし、自分の戦争も間違っていた。
戦争はおかしい。支配者が悪いためにテロリストが戦うのは、犠牲が出て、死人が出る。その死人が出る、と言う結果は、支配者による抑圧や差別より、もっと悪い。
安倍が国際平和のための取り組みと言うのは、何を国際平和のための取り組みや問題だとしているのか、良く分からない。ロシアやイスラムのことを言っているように見える。
それは、ただアメリカについて、弱者や反抗者による反抗を否定している。それは、アメリカと一緒に弱者をいじめているだけだ。イスラムやロシアを殺して良いわけが無い。
イスラムを悪いとは言うが、戦って勝ちたいだけだ。安倍は、そんなにアメリカが好きなのがおかしい。国際秩序のために自衛隊を海外に派遣するのは、明らかに悪い。戦争は、間違っているが、戦争によって世界を変えるのを否定し、殺し、抑圧し、いじめるのも間違っている。イスラムの戦争は悪いが、それを否定するのも悪いのだ。それが、戦争だ。
そういうわけで、テレビを見ていると、もう分からなくなって分かる。
平和は、アメリカではない。戦争を放棄することだ。安倍は、どこかでアメリカも嫌いなのだと思う。そういうところが悪いから、安倍は馬鹿な人間になるだろう。
ただ、安倍は悪くないところもある。自分が真面目にそんなことを言うのが悪いだけだ。
全ての存在は、相互に関係しながら、条件と原因の中で生まれる。
人間は、それを捉え、認識し、把握し、全体像として存在を吸収することが出来る。
そういうことを言えば、分かる。そういうものが分かっていた。
引き篭もりのブッダは、色んな人間の体験が全部分かっていた。
気高く生きて、誰も恨まず、正しい解決をすること。そして、八正道のように、正しく生きること。それが、この世界の中での真理である。
そこでは、驕り、執着、思い込みが敵である。それは、見えない敵であり、煩悩の中に立つ、永遠に人生が終わるまで苦しめ続ける、煩悩の敵である。
仏教は、そういう世界観をするところがある。いつまでも煩悩に苦しまれ続けるのが人生であり、そこから脱出し、ある意味では離れたところから人生を見つめるのが涅槃である。
そういうところが、分かる人間が多い。昔は、そういうところが分かる人間だった。
テレビを見たくないのは、ただこの文章と格闘するのに集中していたいからだ。
意味の無いものは要らない。ただ、いつまでもこの文章を書いていたい。それだけだ。
仏教は分かっている。むしろ、キリスト教も良く分かる。
キリストが言いたいのは、悪人も、罪を犯した人間も、皆、神を信じて悔い改めれば、誰でも救われるし、神が赦してくれる。
そういうわけで、キリスト教は、悪い人間や弱者しか信じない。
仏教は、地獄の世界観をしている。そういうわけで、仏教仏教で、悪くなる。
そうでもない。信じていると、そういう人間がきちんと善人になる。それが宗教だ。
ブッダの世界観はありえない。全部分かっているどころが、ブッダは、全部の説法で全部の説法を分かっているところがある。言っていることが、同じなのに全く違う。そういう風に分かるのは、自分にも多かった。全部の論理で全部の論理を分かっていた。
あとは、脳を記録して分かっていた。永遠の脳を記録した。
平等に人生を教えて支配しながら、破壊して戦う、タリバンのロシアだった。
テレビを見ていると、わけが分からなくなる。それが怖い。
わけが分からない世界が日本だ。
最近は、一人の人生を全部生きたようで、カップルを作っただけだ。
昔が男で、今が女だ。あまり意味が無い、仮想世界の住人だから、電脳世界に見える。
あとは、発想から変えられるとか、現実から自由が分かるとか、知性のようなことを言っていた。そういう文章が多かった。
自然と必然から可能性を導くことが出来る。
愛と不安から人生を知ることが出来る。
自然とは、人生、価値、愛、平等、そして自由である。
もっと賢いことを言っていた。そのうち分かる。
ブッダには、知性がある。それも、普通の人間と比較にならないような、高い経験から裏打ちされた知性がある。それで悟っている。それで分かっている。
そこが分かると、ブッダが分かる。ブッダは、色んな経緯の末に全て分かった人間だ。
一番、普通の親父にそういう人間が多い。オヤジは賢い。
キリストは、法律を守れと言わない。法律よりも、神の言葉を守れと言う。
そういう理由で、ヨーロッパの白人に悪い人間が多い。
日本には、アニメやゲームのような、暴力やセックスの表現が多い。それも、キリストを信じないからだ。
ヨーロッパでは、そういうものはキリストが悪いと言っている。そういうわけで、ヨーロッパではそういうものは、キリスト教の罪になる。罪人になりたくない。
そういうわけで、日本の方が、法律を守る代わり、悪い表現が多い国になった。
ヨーロッパ人は、良い人間が多いが、国に反抗する人間が多い。
キリスト教と言うよりは、国民性のようなものだ。ヨーロッパが悪くて、日本がキモイ。
日本の良い点は、全部中国なのに、豊かだ。中国が賢いから、日本が賢い。
そういうわけで、中国とつるめば良い。冷戦はおかしい。アメリカやソ連なんか無視して、日本と中国が、先入観の無い、平和的な国際的な協力をする。中国とつるめば良い。
アメリカとつるむのはおかしい。共産党が冷戦したいせいで、アメリカが仲間に見える。それは、アメリカにのせられているだけだ。アメリカなんか、一番の敵だ。
ただ、アメリカが味方に見えるのは当たり前だ。アメリカが味方でないと、北朝鮮と戦争して、すぐに死んでいる。米軍が守ってもらえるのが唯一の救いだ。
そういうわけで、安倍は悪くない。きちんと自国の軍隊を持って、戦争出来る国にした方が良い。悲惨な人間になったが、安倍は正しい。自民党も悲惨な党になったが、自民党は右翼的に正しい政党だから、国民が支持する。国民は、皆少数派が嫌いだから、仕方ない。自分の場合は複雑だ。公明党共産党を支持するようで、普通に民主党が好きだ。
あとは、同じ賢い行を全部言っていた。
全ては、平和にし、取り組みを自由にし、多様にし、可能性を高め、決定と考案を自由にし、達成のためにそれぞれが協力し、創造し、変化可能にすることだ。
そういう、賢い一行をいつまでも全部言っていた。それは、ワードに書いてある。
もっと、自由以外のことを考えれば良い。多様性、共有、成り立ちのようなものは、もう考えなくて良い。自由以外のことを何も考えていない。
安倍は悪くは無い。自分のような人間が好きなだけの、自由で戦いたい人間だ。
何か自由以外のことを考えた方が良い。
ブッダのような高い知性は、良く考えれば誰でも分かる。高い知性とビジョンになる人間が多い。そういう風に、神になるのが普通だ。
あとは、具体的な人生のようなことを言っていた。家族、技術、スポーツ、政治と言っていた。最近は、革命と神と病院と出版だ。そのまま、作家になった。
手段から人生や認識まで、全部自由のようなことを言っていた。
自由は止めた方が良い。機械や会社やテレビは、知らなければ分からない。
そういう、知れば作れる、のようなことをいつも書いていた。もっと具体的に、知る内容のことを具体化したりして、把握し、モデルにし、説明にして分かっていた。
昔は、性格は悪かったが、思想的には良かった。何でも受け入れて、尊重する、自由な人間だった。最近は、性格は良いが、思想的に悪くなった。何もかも信じる代わり、冷たく突き放す。そうでもない。最近は、何もしない代わり、何も悪くない人間になった。
もっと、知のようなことを書けば良い。テレビは報道し、学校は教える。もっと、そういう、そのことに関する、色んなまつわること、作るための前提と、変えたり考えて分かったりするなどの考え方を書けば良い。そういうことを書いていただけだ。
最近は、優しい人間になった。誰のことも恨まず、怒らず、助けて支える。何も怒らない。最初から、期待せず、それぞれのやっていることを受け入れ、尊重する。何も変わっていないが、大人から子供に戻ったように見える。死んだから子供に戻ったのかもしれない。
最近、平等の方が好きだ。
昔は、平和が自由だと思っていた。支配せず、いくらでも反抗して批判するのが自由で、平和だと、勘違いしていた。
最近、そうでないのが分かった。自由は、戦いに明け暮れるだけだ。平等の方が良い。差別せず、それぞれの立場と意見を尊重して、平等な権利を与えるのが平和だ。
ソ連も悪い。ソ連は、帝国主義社会主義だ。皆を殺す。手段を選ばない。ソ連は悪だから、意味が無い。だが、ドイツやアメリカの方が悪い。善の国に見えて、支配者に従うだけの、何もしない国だ。ソ連とフランスが善なのは当たり前だ。平等を本気で頑張っているだけで、悪いから、何も悪くない。ソ連にすれば良くなるだろう。
最近、そういうことを言うキモイ人間になった。政治は止めた方が良い。世間は妄想の産物だ。世間のことは忘れて、自分のこと、自分から考えることを覚えた方が良い。
昔は、ネットで馬鹿をいくらでも見ながら、馬鹿なことや悪いことを全部一度体験して分かっただけだ。あれが分かるのは当たり前だ。
自由より、平等の方が良い。そんな悪いことは、しない方が良い。
馬鹿で良い。悪い人間が賢いように見えて、賢くない。
賢いオヤジより、馬鹿な自分の方が賢い。良い人間は、きちんと分かる。悪い人間は、賢くなるようで、すぐに分からなくなる。
賢いプラトンが賢く見えて、あまりに悪い人間だ。哲学者なんか、悪人が分かるだけだ。
そういうわけで、自由より平等の方が好きだ。当たり前に見える。
昔の自由は、完全な自由を良いと思っていた。それは、人間が皆同じに見えるからだ。矛盾するものや欠損するものがあるなら、皆で築けば良いと思っていた。賢くない。真面目に考えて、皆で作ったりすることが実現することは無い。それは、平等な世界だ。
昔もロシアが好きだったから、ロシアが正しいだけだ。生産手段や多様性は、ロシアにしか分からない。ロシアに見えて、本当に自由だったようで、あまり自由で無かった。
そういう、思想的な自由は、最近いつも書いていた。何でもかんでも自由にする。そういう自由が虫みたいにキモイから、もう止めた方が良い。虫が一番多い生命に見える。
平等が良い。アメリカが好きなのはおかしい。
アメリカ的な自由が好きだったのは、ただインターネットが好きだっただけだ。最近、一番インターネットが嫌いになった。賢くない。ただ、世界を意味が無くしているだけだ。
悪い人間は、こういう風に、自由な左翼のロシアになる。最初からそういう人間だ。
そういうわけで、自由は良くない。
自由では無く、真面目に煩悩と驕りを考えれば良い。それで仏教が出来るかもしれない。
哲学者は、経験豊かな人間が多い。悲惨な人間は、そういう風に、哲学と宗教で賢くなる。自分もそういう人間の代表だ。悲惨な引き篭もりがそこまで賢くなった。
そろそろ、自由はもう良い。むしろ、人間の本性や、経験の見え方、裏側にある社会、この世界の捉えどころのない、根源的な泉のようなものを分かれば良い。
そういうものは、インターネットで経験すると良く分かる。コンピュータの知識があると、なお、良く分かる。だが、そういうものはそろそろ必要ない。
社会はどう出来るか、のようなことを真面目に考えれば良い。
本質とパターンから、今の社会における、具体的な仕組みと可能性のようなものを考えられる。そういう風に考えただけだ。
生命は何なのか。ヘーゲルが結合と非結合の結合だと言っているように、結合されていないようで、繋がっているのが生命だ。生きる力を仏だと考えれば分かる。
もっとゼロから考えると良く分かる。この世界は、どこから生まれて、どこへ行くのだろうか?何が正しくて、何が間違っているのだろうか?そこから、正しい考え方、推論や仮象のような考え方が見えて来る。そういう風に、ゼロから考えると、カントは誰でも出来る。もっと、何が正しいのか、どのように考えれば分かり、出来るのか、考えれば良い。
あとは、人間がどうなるのか、社会がどうなるのか、考えていた。
そういうものは、既成の観念、ここでは自由、を捨てて、新しくゼロから考えれば分かる。
そういうわけで、馬鹿の方が分かる。馬鹿には、哲学が分かる人間が多い。
何が正しいのかは、そもそものところに立ち返って、人間を良く見て考えれば、誰でも分かる。想像力と問題解決は、普通、コンピュータが分かると良く分かる。
自分が勉強しているだけの学生に見えるのはおかしい。最近のせいでそう見える。
自分は、全てのことを考えて、神のように分かった昔と、革命と王を最後まで頑張って、神と戦った最近の、2人の融和である。
何故か、そういう人間に見えない。勉強家に見える。
それこそ、何も覚えていない。そういう昔は、虫みたいにキモく見える。
思い出すしかないが、そうすると、アイデンティティと科学や考え方で分かっていた。
自分を見失っているだけだから、分からない。覚えていない。
神ほどに経験があって、自由な経験から分かっていた。理性は、経験から導かれる、経験的な知と創造性のある心によるものだと思っていた。
最近は、精神の全てを知った。黒人からロシア人まで、全員分かった。不可知で、非科学的な、おかしな世界を全て知った。神は、ユダヤ人だ。
理性とは、存在を心で吸収することだ。
経験とは、皆と融和して、一体になることだ。
哲学とは、思考の弁証法で全てを分かる、完全な知の段階だ。
神とは、何も欠けていない、永遠なる魂、完全な存在だ。
言葉とは、神の導く全てだ。
それくらいの馬鹿だ。キモイどころか、何かがエロイ。おかしな融和に見える。
知性は、我慢である。我慢して本を読み、テレビを見なければ、何も分からない。つまらない部分も、我慢して読むしかない。それで面白い部分が見える。我慢する人間は、知性がつく。欲を満たせば満たすほど、快楽に溺れれば溺れるほど、人間は馬鹿になる。
知性とは我慢であり、経験とは罪である。悪いことをしてしまう代わり、その悪いことを二度としないと考えて、除外しなければ、賢くならない。
そういうわけで、快楽に溺れている昔の自分を良いと思うと、何も知性が無くなる。
知性は我慢であり、経験は罪だ。子供のように見えて、これは正しい哲学だ。
最近は、辛いことや意味の無いことを何もせず、意味があることだけをする。それも悪くは無い。正しい生き方だ。だが、辛いことや意味の無いことをいくらでもしなければ、分からない。昔は、そういうことをいくらでもする、努力する人間だった。そういう人間が分かるだけだ。そういう人間の方が多い。
昔は、快楽主義ではない。あれは、禁欲主義や、孔子の言う哲学も良く分かる、努力と我慢と忍耐の知性のある人間だった。昔を見ても、我慢が知性だ。そういうわけで、我慢してつまらないことをしなければ、何も賢くならない。当たり前だが、分からない。
あとは、善とは守ること、愛とは許すこと、正義とは受け入れることだ。これら3つは、時に、同じだ。価値観と言えば正しい。
そういう風に、きちんと考えれば分かる。自由が悪い。快楽に溺れて馬鹿になるだけが、自由だ。哲学的に見て、自由は悪い。
デカルトマールブランシュが言うように、本当に正しいと証明されたもの以外、信じてはならない。西洋哲学史の本に書いてある。マールブランシュは、オラトリオ会の修道会士で、デカルトの後の哲学者だ。
マールブランシュは、一切を神のうちに見ると言う。真理の観念、イデアから、神を見ることが出来る。神との合一によって、精神の完全性の全てを形作ることが出来る。
魂が知覚するものには二種類あり、それは、魂の内にあるものか、魂の外にあるものだ。
認識は、神それ自体の認識、観念によるものの認識、意識による魂の自己認識、推論による他者の認識、がある。
中世の修道会士には、このように、神との合一で分かる人間が、不思議と多い。
中世は、神しかない世界だ。中世の人間が神について考えるのは当たり前だ。現代の青年が社会主義や科学を考えるように、中世の青年は神や王や聖書を考える。スピノザもそういう人間だったのだろう。
スピノザは数学で神を考える。神が数学的に考えられるのは、ありえない。神の数学を作ったように見えて、ただ公理主義のような神の文章を作っている。自分と同じだ。
スピノザから見て、神は自己原因である唯一の実体である。世界は、即ち、神である。全ては必然であり、神以外に原因は無い。それは、ライプニッツが予定調和と言ったものと似ているが、スピノザから見ると、この自然界はそのまま神なのである。
スピノザではないが、自己原因のような、世界の偉大な存在者は、あるに違いない。スピノザは、それをこの世界であるとした。自己原因を遡っていくと、誰でも神に突き当たる。だが、それは、神にしない方が良いと思う。
自己原因と言う考え方は、昔に多かった。ものごとの原因、第一原因のようなものを遡っていると、問題の解決が分かる。当たり前だが、そういう発想をすると昔が出来る。ちょっとスピノザではない話になった。
あとは、心理学的な観念のようなことを全部言っていた。そういう文章が昔だ。
昔の文章がキモイのは、言葉を書いて決めながら、何も分からなくなって、知性を失う文章だった。そんな風になるのがおかしい。本当にそこまでキモイ文章だから、忘れた方が良い。哲学を分かっている今の方が賢い。
もっと色んな、感覚のような言葉を言えば分かる。感覚とは存在を知ることである。
感受性が高い人間だった。
不思議と、そこらへんの言葉を治せば、すぐに日本語が治る。もっと、日本語を皆が言う日本語にすれば良い。自分が言う日本語が、ドイツ語になっているせいで分からない。ドイツ人はドイツ語だから、こうすればドイツ人が出来る。
ドイツ語は古いが、フランス語は新しい。「の」を拡張して分かるせいで、ありえないほど賢い言語になっているのがフランス語だ。ドイツ語も賢いが、格変化などに、古い点が残る。あとは、ロシア語やイタリア語も賢い点が多い。
英語が一番馬鹿だ。英語には、何も無い。簡単なだけ良いとは言うが、簡単には見えない。カタカナ用語が無い、フランス語の方が簡単な人間が、日本人に多い。
イタリア語には、前置詞なのか何なのか、良く分からない変化が多い。ロシア語は文字も読めないが、色々と意味が変わって賢い。哲学的な言語がロシア語だ。
あとは、オランダ語デンマーク語を無視するのもおかしい。何か賢い点はあるだろう。どうでも良い日本語が賢いように、どうでも良い言語に賢い言語が多い。
明らかに中国語がありえない時点で意味が無い。中国人と日本人しか賢くない。
言語論争はどうでも良い。スペイン語には、線過去と言う、おかしな時制がある。また、はてなマークの逆のようなものを、疑問文の最初につける。スペイン語が一番おかしい。
ラテン系の言語では、名詞より形容詞を後につける。それで、芸術的な言語になっている。そこが一番、カッコいい。
日本は、ドイツと同じ国だ。そのまま、アメリカと同じになった。
このまま、ロシアと同じになる。
いつも、そういう、国みたいなことを言っていた。知性はあるようでなかった。
そろそろ、この文章を書くのを止めた方が良い。
辛いどころか、書く意味が無い内容を書いている。もう止めた方が良い。
書いても誰も見ないし、自分も見たくない。書かない方が賢くなる。書かない方が楽だ。簡単に止められる。それで止めないのがおかしい。
止めないなら止めなくて良い。まだ書いていたいだけだ。自分の仕事で、趣味で、ライフワークで、生きがいだから仕方ない。そういうわけで、明日も書けば良い。
最近、何もしないから、そのままで楽になった。今楽だから、あまり何も考えなくて良い。
あとは、全ての原因、全ての様相、全ての前提、のような内容が多かった。
また、歴史のような内容が多かった。
ものや場所を歴史的に分かって、国のことを分かっていた。
共同体や時代のような内容も多かった。マクロ的かつメタ的に分かっていた。
国を作っていた。ありえない世界を全部作っていた。そういうモデルが多かった。
もっと、ネットを見ていれば分かる。
歴史がしたいなら、Wikipediaを見ないのはおかしい。
Wikipediaで王を見れば、歴史なんかすぐに出来る。
おかしくはない。百科事典を見るのは大学の王道だし、最近はネットで調べるのが主流だ。
そういうわけで、Wikipediaで何か見たいと思う。
自由が悪い。自由以外のことを分かればすぐに分かる。
オープンソースも悪い。そういう、悪魔のようなものは、地獄になる。悪魔は地獄の門だ。
神は、自分のことを、普通の人間と科学者と低い共産主義者と右翼であると言っていた。
死んだあとは、ピョートル大帝になるか、サモアの島の王になると言っていた。
ジェシカと会えると思っていた。神のせいで、ジェシカに会えると思っていた。
あとは、自分のことをボブだと言っていた。
神で狂って分からなくなっている最後の人間がボブだ。
辛いことをしなければ楽になる。辛いことをしなければならないと思うのがおかしい。辛いことは、無条件にしなければ良い。そんなに頑張る意味が、1つも無い。
世界を支配するのが辛いだけだから、世界に関与しなければ楽になる。