「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2015-01-29 新しい詩集

希望 2015.01.29

その言葉に、どんな美しさがあろうか。
その愛に、どんな思いがあろうか。
その平和に、いくらの努力があろうか。
その自由に、どれだけの思い入れがあろうか。

僕の知った言葉。
僕の信じた人。
僕の愛したもの。
僕の自由な心。

その中で、僕は、親しみや興味をこめて、それを知る。
それは、愛のようで、慈悲の心のようで、偉大さや葛藤のようなもの。
それは、真実のようで、努力のようで、衝動のようなもの。

それは、悲しさと、絶望の中で、具体化する、魂。
それは、世界を支配し、導き、混乱を収束する、価値観。
それは、自分の全てを知って、失いながら残す、アイデンティティ

希望とは、その心の持つ、全ての概念だ。
希望とは、その心が知っている、全ての価値観だ。
希望とは、その心が経験した、全ての感情だ。

何故、その心は、希望を目指したのだろうか?
本当に、真っ暗ならば、光はどこにもないのか?
闇の中で、平和を目指す、一つの光を、誰かが創ったから。

その光は、あらゆる闇を経験して、一つの言葉を言った。
「私は何ですか?」
その心に、暗闇は答えた。
「あなたは、希望です。」
もう一度、光が言った。
「希望とは、どのようなものですか?」
そして、闇が言った。
「闇の中で、世界を色のあるものに、変えるものだ。」

光は、何を知りたかったのだろう?
その光は、永遠の中で、闇の中で、沢山の経験をした。
抑圧や屈辱の戦いの中で、世界に、ある2つの信念を照らし出す。
それは、「愛」と「支え」だった。

光は、さらに、もう一つ、悪い信念を照らし出す。
それは、「犠牲」だった。
そして、それは、愛や支えと一緒に、関係して動く信念だった。

人間は、犠牲のために、愛する人間を失う。
愛とは、犠牲になったもののために、祈ることだと、光は言う。
そして、愛や支えと、犠牲は、直角三角形の3辺、あるいは、コインの裏表のように、関係しているのだと言う。

光は言う。
「犠牲と言う信念から、人は死んでいく。
だが、愛と言う信念から、人は生まれていく。
そして、支えと言う信念から、人は育っていく。
それが、本当の宇宙の、一番低い次元での、信念なのです。」

では、希望とは何なのだろうか?
それは、全ての人間を包み込み、包括する、エネルギーであり、
それは、光の言う通り、犠牲になったもののために、祈る愛のことだ。
そして、それらの全ての人を支える、最大限のエネルギーであり、
それは、まるで太陽のように、全ての生命に力を与えている。

光は、言った。
「希望とは、悲しさや苦しさ、喜びや恐怖などの、全ての感情の融和です。」
そのまま、光は、それを宇宙の言葉として、残して死んでいった。

希望とは何か?
それは、この社会を包み込み、信念と正しさと現実から、社会の本来の力を呼び起こす、メッセージのようなもの。
希望が愛ならば、世界は正の方向へ動き、
希望が犠牲ならば、世界は負の方向へ動く。
それは、支えとなる全ての人間によって、全ての運命を形作るだろう。

希望とは真実。
希望とは平和。
希望とは愛。
希望とは現状の分析。

そのように、全てのエネルギーの本質は、希望を向いて、この世界を回っているのである。

生きる 2015.01.30

本当にそこに存在することが、当たり前のことだろうか?
何故、僕はここに居るのだろう?
この世界は、いつから、何を目的に、存在しているのだろうか?

僕の星、地球。
この星には、沢山の生命が、生きている。
この星には、沢山の人生が、生きている。

何故、生きる、という発想があったのだろう?
生き物は、誰が創ったのだろう?
簡単に、神が創造したとか、進化したとか、そういうことにして、良いのだろうか?

あなたが、そこに居ると言う、事実。
あなたが、この本を読んでいると言う、真実。
それは、あなたと私がどこかで、出会う運命があったと言う、偶然の中の必然だ。

生きるためには、食べる必要がある。
生きることによって、人生が変わっていく。
いつの時点で、誰の生命を吸収しているのだろうか?
未来の僕は、どんな人間になっているのだろうか?

人間だけではない。生命やものも、確かに存在している。
そこに存在している、それに関心を持っているだろうか?
それがそこにあることを、どれだけの人が、気にかけているだろうか?

生きるとは、存在することだ。
生きるとは、情愛を感じることだ。
生きるとは、真実を知ることだ。
生きるとは、可能性を開拓することだ。

さあ、あなたは、何をする?
それは、この世界で、誰にでも平等に与えられている、自由と言う概念だ。
自由に生きる中で、あなたは何をする?

生きると言う真実は、夢であり、希望であり、平和だ。
誰をも生かして、殺さず、それぞれの望みが叶ってほしい。

生きる、それは、人間が神から与えられた、真実。
仏や宇宙の心。
その、生きるという、愛溢れた試練が、人生を偉大にし、苦しみを克服する。

何故生きるのだろう?
どう生きるべきなのだろう?
哲学者が、誰もが、問う、永遠のテーマだ。
生きている、と言うことは、何なのだろう?

宇宙における、美しさのようなもの。
科学における、真実のようなもの。
歴史における、事実のようなもの。
当たり前のことのようだけど、当たり前のことではない。

生きることの中で、沢山の夢と経験と挑戦を知ってほしい。
あなたが生きる中で、平和と愛を知って、世界を変えて欲しい。
生きるもの全ての中に、自由と言う夢があるから。
自由に、任されている。それこそが、生きるということだろう。

命の価値 2015.01.30

その命に、どれだけの価値があるだろうか?
金を払って、それで殺した人間の代償に出来るだろうか?
とてもじゃないが、出来ないだろう。

人間が方法を知り、可能性を知り、平和に自由に活動している中で、
そうじゃない集団も居る。
研究や生産ではなく、戦う集団も居る。
本当に悲惨な世界では、何も出来ず、戦うしかない。
それだけが世界を変える手段であると、誤解して、戦っている、軍隊だって、居るのだ。

その兵隊を否定するのも簡単だが、
戦わなければ、自分の国を悲惨な世界にした、悪い国に抵抗出来ないのだ。

戦う中で、人が死に、町が廃墟になり、犠牲が沢山出る。
そのために、何故人間は、戦うのだろうか?

人間がいつまでも、進歩しないのが悪いのかもしれない。
進歩しすぎた自由のために、歪みが起きているのかもしれない。
だからと言って、自由を止めて平等にすれば、平和になるのだろうか?

本当の生きる価値、命の価値、犠牲になった人生の価値は、どこにあるのだろう?

生きるということは、同時に、いつか死ぬと言うことだ。
何で死ぬかは分からない。事故か、病気か、金が無くて死ぬこともある。
それらに対しても、きちんと支援しなければならない。
それは、出来ているだろうか?

戦争は、無差別に殺し、どちらの国民も、大量に死ぬ。
自分も、相手も、どちらも悪い。
だが、どちらも、それぞれの大義と正義がある。
その大義は、本当に正しいものだろうか?

命の価値を軽んじることは、あってはならない。
ヒトラーのように、民族を全員殺すなんてことは、本当にあるべきではない。
だが、自分が嫌いな人間でも、それなりの正しさと理由を持って、活動しているものだ。
王が殺すのも、革命家が殺すのも、同じように悪いが、同じように正義があるのだ。

戦争を考えてみよう。
本当に、勝てる戦いなら、いくらでも殺すことが、本当に正当化されていいのだろうか?
併合すれば平和になる、帝国や共産主義は、そのために命を犠牲にしていいのだろうか?

テロリストは、錯覚している。
世界を変えるための方法が、それだけしかないと思っている。
そんなことは無い。皆で協力すれば、犠牲なしに、世界を変えることも出来る。
自由も、平等も、民主主義と世界政府を正しく成り立たせれば、ある程度両立させることも出来る。
会社を自由にして、労働を平等にするのは、出来ないことは無い。

もっと、命の価値を大切にしなければならない。
だが、生命は、誰でも、殺して食べる。
殺さなければ、生きられない。
だからこそ、もっと自分の命を大切にしなければならないのだ。

命を守るために、軍隊を無くそう。
そう、それが出来る、唯一の国が、日本だったはずだ。
平和憲法によって、抑止力の平和という、おかしな発想を止めることが出来る。
ただ、左派も色々と悪い。

平和とは、皆のことを本当に大切にすること。
命の価値とは、自分を大切にし、生きる価値を見出すことだろう。
命は、人生であり、人生は、栄光である。
あなたが、栄光のある人生と命を生きられますように。
本当に世界を解決出来る、正しい王が、現れると同時に、命の価値を大切にする王でありますように。