「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2017-08-21

自分は、このページを読まれることが結構恥ずかしい。他人が読んでもらうことをあまり考えず、自分の勝手な先入観や思い込みと独断で書いているからだ。
昔は、自分の人生の全てが分かるように、永遠の逆戻りの文章を書いていた。
生まれ変わりと死のような体験をし、地獄の中で最後まで体験した。
それよりもっと昔の青春時代は、改革、啓蒙、そしてヘーゲルの言う良心のように、段階的人生を生きていた。
それより前の子供時代は、学校の環境から自由になって分かっていた。学校から自由になり、ネットで色んなことを知り、「自由になること」で分かっていた。この世界の全員が自由になれば良いと考えていた。
自分は、王と奴隷の2人が居る。王は命令し、奴隷は従う。そして、それらが本当の自分の心を隠して、嘘をついている。
本当の自分を明るみに出せば、きっと変わるだろう。
頭が怖いのは、今でもめまいと吐き気のする昔の辛い精神を保持しているからだ。めまいと吐き気を治せば治る。
自分は、人間と同じことが何も出来ていない。人間が普通出来ることと同じことが出来ない。少しずつ、小さなところからやっていけば、きっと出来る。
自分は、もっと強く信じれば良い。神を信じると言うが、本当に信じていない。言ったことを考えて疑って信じている。それが悪い。
強い気持ちで信じれば、恐怖は無くなる。
自分は、多重人格が悪い。多重人格を治せば、何も思い出せないのが治る。
昔は、自由な理性で分かっていた。この世界で、人々が何を出来るのか、自由な意志の下に何を行動して変えていくのかを考えて、制度や社会を作っていた。
昔は、僕は愛していた。地上の混沌とした魑魅魍魎の世界を愛して、この世界を変えようとした。途中までは大成功で、世界は変わったが、その後に滅びただろう。
促すことで世界を変える愛は、地上を滅ぼした。
僕が強いからと言って、僕のように強くなれば良いわけではない。逆に、強い心を否定すること。あなたは他人の意志で地獄に堕ちるべきでない。
昔は、自由自在に考えられるほど、経験から意識をつけていた。
さあ、最高の世界だ。この世界で、本当の愛のレースが始まるだろう。本当の愛、自由、そして希望の戦いが生まれるだろう。
悪いものは全て、自由だ。昔は、自由を悪いと言いたかったが、それを言い直す、取り繕う人間だった。こんなにも美しいものが、醜いものが、賢いものが、馬鹿なものが自由だ。僕は、自由だ。
不思議と、みんなは僕と同じ個人だ。みんなに出来ることは、僕に出来ることと同じぐらい、少ない。昔は、そういう風に、自分と同じだと考えながら、みんなの出来ること、し得ることを考えて、積み重ねて分かっていた。
漠然とした世界の可能性は間違っている。あるのは、ただ、今のこの世界、今のこの人間であり、みんなの出来ることは、多くは無いのだ。
だが、それはみんなが馬鹿である、と言うことではない。潜在的な能力はとてもたくさんあるし、みんな頑張って自分の専門のことをやっている。それについては、本当にここまで賢い人間が多い。だから、本当は、社会のあり方、世界モデルを見直し、再考するべきなのだが、そこで唱えられるのは「自由と平等」であって、世界のみんなを見ていない。思想とはそういうものなのかもしれないが、本当はこの世界を変えるために、あり方をきちんと考えないといけないだろう。
世界は変わる。もう一度、ダイナミックな動きが起きる。本当に、もう一度起きる。今度は、変えるための一人の指導者は必要ない。どこかで囚われた黒の王は放っておいて、みんなの世界変化をもう一度生み出そう。きっと起きる。信じれば起きるかもしれない。この世界は、本当にもう一度、希望の世界になる。
きっとこの世界は、再度良い世界になる。
それこそ、日本の新しいルネサンスだ。忘れたわけではない。どこかに置いたまま、きちんと保管しておいたものを、ただ夢の中で破壊したり、悲しんだり、傷つけたりしただけで、間違った気運の滅びが終われば、夢はもう一度花を咲かせてくれる。ここから先、みんなは世界の潮流の「受動的観測者」ではなく、「能動的実践者」になる。誰かが変えてくれるのではない。自分たちの手で変えていくのだ。2006年の希望と、2017年の希望はそこが違うはずだ。
間違った人間には間違ったことが起きるように、間違った国には間違ったことが起きる。昔、2005年の社会は、全員間違っていた。僕も間違っていた。そして、その後の試練の末に、みんなは良い人間になった。正しい人間になった。最高の人間たちには、最高のことが起きる。日本は素晴らしい社会になるために、みんな辛くなって分からなくなったのだ。神は無意味な地獄を作らない。創造者である神は、地獄を救う救済者でもあり、無意味なことを起こさない歴史の支配者でもある。被造物の僕らは、ただ信じ、全てを任せ、同じ気持ちで神を愛し続けるだけだ。
子供が日本語が分かるのは、文字よりも先に音を知るからだ。音をそのまま覚えて、文字によってそれぞれの単語が生まれる、などと考えない。だから、子供には先入観がないせいで、言語の習得がしやすい。日本人が英語が出来ないのは、既にカタカナの発音を知ってしまっているからだ。カタカナは、英語のたくさんのボキャブラリーをすでに知っている、と言う意味で、決して悪いだけのものではない。だが、英語を音から覚えず、文字から覚えようとしてしまう日本人には、簡単に英語は出来ないだろう。
英語が結構聞き取れるようになってきた。
自由な理性を、条件的な数学の成立的理性から考えていた。
そんなにマスターのように賢くなくて良い。普通に考えれば良い。
みんな、一生懸命頑張って生きている。そのみんなのために、僕が少しでも手助け出来ることがあったら良いと思う。
学校の勉強は、義務を義務だと教えるが、絶対的な義務は、先生が勝手に作り出すものではない。宗教家がきちんと作るのだと思う。
ただ、宗教はつまらない。技術的有用性は客観的かもしれないが、それでは金儲けだけの世界になってしまう。
本当に優れた考え方とは、「意味のあることをする」と言うことだ。だから、人間関係での意味のないことは忘れて、もっと大切なことを考えてほしい。
そのまま、知性と仮象の世界で考えていると、自分の出来ることが他人にも出来る、と言う事実が分かる。人間は、みな同じだ。
問題を解決し、法則を発見し、そして心を適切にそれぞれの場に置いて、心の中にあったものが何なのかを知り、執着を無くしなさい。
自分の実現出来ることは、たくさんある。それは、自分で経験するまで分からない。社会は変えられる。
先生も人間だ。責任は全て大人にあると思うのは間違いだ。
最終的に行き着く場所は、宗教と科学者の融和の境地だ。
この宇宙の全てを認め、自分の手で解き明かせる可能性があることと同時に、宗教的なことも起こり得ると思うことだ。
それが、世界に対する愛の救いを生み出すだろう。
自発的な愛を信じなさい。
心の現象には何らかの理由があると推測しなさい。
その未知の対象が何を意味しているのかを考えなさい。
科学や英語にも言えることだが、学んでいるその対象はそんなに正しいものではない。もっと俯瞰的な視点で考えると、全く間違った内容を学んでいることの方が多い。
あるいは、信じたり覚えたりするより、積極的に自分の力で変えて、体得していくべきものなのだ。
英語の知性とは、最初は、音を覚えることだ。音を覚える、と言う行為そのものが、英語を聞いていくたけの知性になる。日本語も同じだ。だから、単語だと思わず、音をそのまま覚えた方が良い。聞き取るのは、ただ聞き取るだけではなく、色んな比較や照らし合わせを行うことだ。
数学と社会学と心理学を体得すること。絶対にそれが正しいと思うのではなく、参考にしながら、全体を把握し、経験的に知識を知り、自分の中で作り出し、発想し、習得し、体得していくこと。その上で、何故それがそうなるのかを、ただそうなるだけであって、本当はもっと別の環境的規範が考えられる、と言ったように考えられる。制度は歴史となり、社会は星となり、生命は生態系となり、原子は量子力学となるだろう。
社会的に言えば、進歩は変えられることで積み重なっていく。積極的に変えられるようにしていきながら、何を遺し、何を変え、何を作り、何を壊すかを考えること。
いつもの文章は、そういうことを言っていただけだ。
有用性は経験から理想となって、自らが神となるような経験をし、絶対知性を作り、全員を導くだろう。
立場を超えて考えることで、全員の違いを克服出来るだろう。
精神力を高めなさい。ありえない宇宙を実感で捉えなさい。全ての自由な論理と経験を心の中で融和したら、もうあなたは最高の地点に居るだろう。
そこから、堕ちていけ。
永遠の地獄は、究極の現実である。この世界がなぜ生まれたのか、この世界が生まれる前には何があったのか、それを示す究極の事実である。
その事実を知って、体験して、あなたは二度目の頂点に達する。
そして、それ以降は、少しずつ下降を続けるのだ。悲しい歴史を忘れて、少しずつ希望の世界に戻る。そこまでの自分には、何も無かったはずだ。
昔は、民進党議員のような人間だった。志が高くて、世界を変える情熱にあふれていたが、その実、能力や経験が無い。やること全てで失敗する。
僕は、民進党はあまり好きではない。たまに応援しているが、たまに嫌いだし、特に蓮舫が好きでない。
格好つけたいわけでも自慢したいわけでもなく、僕は結構キリストみたいな人間で、世界に対して救い主として現れ、愛と自由のようなものを説いていた。
僕は、キリストも嫌いではない。だが、仏教の方を信じている。僕は、キリストは物語のようで、仏教は科学のようだと思っている。
ただ、僕の場合、自分が現れたこと自体が嫌いだった。だから、みんなが世界を作るような、そういう他人任せの自由を書いていた。
僕は、やりなれていないだけで、出来ないわけではない。頑張れば出来るだろう。
信じるのが怖い時は、もっと強く信じれば良い。
ただ、信じないのが本当に良い時もある。その時は、それに任せていれば分かる。もう既に分かった人間は、信じなくても分かる。
何を信じるのか考える時は、先入観を無くして、自分の立場を壊して考えないといけない。
本当に信じている人間は、何も信じなくてもそれで分かる。
強く神を信じる人間にとっては、理性や社会常識など、何も信じる必要はない。信じなくても分かる。
信じるために疑うのは、おかしいことではない。悪を悪と呼ぶのはその人自身の自由だ。だから、自分のことを中心において、他の全てを否定しても、それは間違いではない。
愛を信じるためには、愛以外のものを全て疑い、吸収しながら排除しなければならない。
ただ、悪を信じて悪を行うだけではなく、そこから何が善なのかを分かってしまえば、世界の見え方は変わる。判断基準を作り、自らの作った義に反することの無いように生きる。時に懺悔し、後悔し、そして告白する。その一連のプロセスの中で、愛が生まれるだろう。それを、人は魂と呼ぶ。魂は生み出されるだけではなく、自らを導くだろう。それが、神の経験である。
昔は、テレビやネットを見ながら、どんなことをいつ言うのか考えて分かっていた。言葉の発想法があった。
日本は、理想の国になっているのに、良い国になっていない。素晴らしい国にはなっているのに、今のままで良いわけがない。
それは、何が悪いのだろう?誰が悪いのだろう?何を目指して、どんな理想を描いていけば良いのだろう?
本当は、国民が知ろうとしないのが悪いのだろう。でも、何を知れば良いのか、何を考えれば良いのか、誰にも分からない。
僕にも分からない。
何が問題なのか、あなたの手で考えてほしい。あなたは、それで愛の使徒になれるかもしれない。
僕が導くのではなく、あなたが導いてほしい。
僕が語るのではなく、あなたが語ってほしい。
僕が知っていることを教えるのではなく、あなたが知っていることを教えてほしい。
僕を愛してほしい。
僕を倒してほしい。
僕を自由にしてほしい。
僕はあなたを自由にしたい。
あなたの手で道を切り開き、誰も居ない場所を進んでいってほしい。
あなたの向かう先に、幸ある宝が、少なくとも何か一つあることを願っています。

2017-08-20

農園とNOVAに行ってきた。
怖いのは、頑張らないからだ。常に頑張っていると、もう歩き回らなくなる。
昔の自分は、みんなに希望と愛を与えて、みんなも愛してくれるのに、それを自分から壊して、破壊した人間だった。
滅ぼした後で、自分で「嘘の希望」を言って取り繕ったが、それが悪かった。みんな分からなくなった。
一度、「滅び」に戻した方が良い。滅びに戻すと、すぐにまた愛することが出来るようになる。
みんな、人を愛するとか、信じるとか、信頼するとか、そういうことが出来なくなっている。
一度、滅びに戻す。そうすると良くなる。
昔は、認め合えば自由になれるとか、ルールをそれぞれが決めるとか、そういう自由なことを考えていた。
自然を認めて、「自然に起きている」と考えれば、分かることが分かった。全ては自然に起きている。それで、説明がつくと考えていた。
日本はおかしい。最悪の馬鹿がみんなを支配して、その馬鹿をみんなでいじめるだけになっている。自民党のことを言っているわけではない。自分のことを言っている。最悪の馬鹿が最悪の馬鹿を増やす。
その最悪の馬鹿が、不思議と賢い。みんなが絶対に勝てないぐらい賢いのが、そういう最悪の馬鹿な自分だ。
この世界の目的、この世界の意味は、みんながそれぞれ自由にすることであって、決して僕が支配したり、右翼が滅亡させたりすることではない。
みんな、頑張って生きている。簡単に「死んだ方が良い」とか、そういうことを言ってはならない。
良い言葉が、良いことを起こす。ネガティブなことばかり言っていると、ネガティブなことしか起きない。良い言葉を言った方が良い。
愛することから、自由が生まれるのだ。高貴な言葉が栄光を生み、優しい心が強い気持ちを生む。
もっと、本当の意味で自由になってほしい。インターネットにも、僕にも、支配されないでほしい。それぞれが、本当に過ごしやすい環境で生きられるようになってほしい。間違った政治家や抑圧者の下で支配されるのはもう終わりにしたい。
自由の定義が曖昧になっているが、ネットが自由なわけではない。言ってしまえば、この世界を本当に良いと思えること、それを防げる支配者の干渉を受けないこと、それが自由だ。
家は、普通、休む場所だ。家にばかり居ると、馬鹿になる。そういう人間は、家が怖くなる。だが、それは異常ではない。家が怖くなれば、家でも頑張れる。だから、家が怖くなったのを治さない方が良い。
虫は、人間にすれば治る。
自分は、狂ったこちらを治しているだけなのが分かっていない。それを治すとすぐに楽になる。
Linuxに悪いことはしたが、自分のおかげで発展した。良いOSに進歩している。
学校の勉強はしなくて良い。数学から歴史まで、賢い学問は存在しない。
もっと、仕事のようなことを考えれば分かる。ものを作る前提のようなことを考えれば良い。
出来ることを増やすことによって、能力がつき、自由になる。
ものを作るためには、必ず前提条件がある。ものからものを作り、手段から出来るようになる。応用や制度もその一つだと言うことが出来る。
学校は賢くない。歴史や哲学は意味がないし、数学や英語も意味がない。パソコンも、経済学も、心理学も意味がない。
学校の良い点は、学校に行くとすぐに賢い人間になる。馬鹿な心が治る。
ただ、それは学校でなくても良い。もっと別の場所の方が良い。
他人から聞くだけではなく、自分で経験することで、「実地的に」そのことを知ることが出来る。
社会についてなら、社会を変えることが出来るようになる。
本当に全てのことを経験した人間は、何をしても、どんな状況に陥っても、動じずに冷静にものごとを見つめることが出来るようになる。
恐怖は愛を運んでくる。人間は、今まで経験したことを経験するのが怖いだけで、一度経験してしまえば、恐怖は安心へと変わるだろう。
可能性をそれぞれの人間の本質だとすることで、人間と言うものの全てが可能性の発揮なのである、と知ることが出来る。
あなたは、あなたがなりえるところ、取り得るところの全ての可能性である。
この世界は可能性であり、常に生み出されている。そして、それぞれが意見を集積することで、この世界はいつでも作り出すことが出来るし、常にされている。
認識の方法を知ることで、正しい認識とは何なのか、学習することが出来る。
世界はシステムである。人生は世界観である。存在は意識である。認識はものを見るための見方を変えることである。
要は、そういう、「社会の設計図」を書いていたのが、自分だ。
社会とは、共有と手段による共同体の発生である。
それぞれが違うことをし、信念を信じ、愛することから、自由な多様性のある自由な社会が生まれる。
永遠とは、思考を記録することである。
宇宙とは、それぞれの意識である。
全ては、愛を信じることであり、存在する全ては愛である。この世界には愛しかない(欅坂46)。
そういうことを書いていたのが自分だ。
愛の裏返しは、未来に対する不安である。愛とは、確かなものに対する信頼であり、いつか消えてなくなる。だが、その時の自分の魂は永遠に残るだろう。
哲学とは、「自分がどこから来たのか」と「この世界がどこから来たのか」を考えることである。
宗教とは、永遠の地獄の中で希望を信じることである。
なぜか、正しく書いてしまうと、つまらない。世界の設計図しか書いていないからだ。それを、プロセスやメソッドのように書いていただけだ。
だから、あれは方法と環境のことしか書いていない。
もっと、この世界を見た方が良い。この世界には、賢いものがたくさんある。みんなも、僕を見るよりも、この世界を見ることだ。
あるのは、この世界だけだ。
戦って分かるのは、ゲームや漫画にそういうものが多いからであって、最近の僕は書いて分かるようになった。みんなも書けば分かるだろう。
ものごとを、「あるかもしれない」と考えなさい。それはそれであるかもしれない。あれはあれであるかもしれない。
そして、一つそのことが出来たら、もっと別のことも同じやり方で出来ないか、と考えなさい。
戦いと自由の中で、世界の理想が分かる。そこから、世界の全員が自分と同じであり、そこには「全員に対する一番上の存在からの愛」と言うものがあると分かる。
創造者の愛であり、天使の導きの愛である。
人生とは、創造することであり、全て、思考すれば分かる範囲で、今の自分が未来の自分を創り出しているのだ。
前提のモデルを作ることで、どんな場合にもそれに応じて思考すれば発想出来るような発想モデルを創り出すことが出来る。
場合とは基礎の部分である。基礎のモデルを作ることで、自由から社会、想像力から芸術、個人から集団、システムからアーキテクチャを創り出すことが出来る。
ユダヤ人の文化とは、神を恐れる愛の概念である。
創造性とは、自分でもやってみたいと言う羨望の感情である。
手段とは、自分が出来ることが他人にも出来るだろうと考える、他者への愛の感情である。
羨望と他者への愛は、社会を進歩させる。
最近は、羨望と他者への愛の少ない社会になった。昔のように、憧れや興味、未来に対する希望があった時代は良かった。
あるものを効果的に利用しなさい。そして、みんながやっていないことを、自分から率先してやるようにしなさい。
世界を知りながら、人間のことを考えることで、自由な思弁哲学者となることが出来る。
終わりだ。最近の文章は賢くないし、昔はネットしかしていない子供だ。
全ては、人間の意識である。
場とは、意識の変化である。
考え方とは、この世界を意識で捉えた場合の、実像の設計図である。
平和とは、他人を思いやることであり、思いやりを常に努力して維持し続けなければ、平和は実現出来ない。
その時その言葉が出てくること、それが全てであり、それが神であり、それが全て分かった脳の力であり、それらには全て理由がある。それは環境的学習である。
神とは学習である。自分のした学習の全てが神である。
今までした全ての学習が神であると同時に、神のような学習をすること自体が神である。学習することで、人は神になれる。
人間とは、理想的な目標を実現するために努力する生命だが、賢い人間は、最初から無意味で無駄な目標を立てない。間違った目標を立てない方が良い。
だが、経験しなければ、正しいとも間違っているとも言えない。諦めることを他人が強要することは出来ない。
みんなが同じである、と信じると同時に、みんなが自由である、と信じること。
人間は、生まれながらにして同じであり、自由である。
自由に決められる、と言うことは聖なる考え方だが、一人の自由に任せ、その人を信じると言う考え方は大人の考え方だ。
パソコンは、もっと互いのプロセスにアクセス出来るような、「アクセス可能性」を考えても良いかもしれない。ただのプロセス間通信ではなく、アプリケーションに対するアプリケーションのアクセスを可能にする。APIとも言えるかもしれないが、少し意味合いが違う。それぞれのアプリケーションの自主性や単独性を、もっとOSや他のアプリケーションから干渉出来るようにしても良い。そういうOSを作ってほしい。
最近は、アメリカのトランプ支持者のように、テレビと戦いたい人間が多いが、それは間違っていない。テレビは、戦後世界を導いてきたが、最近はあまりに悪い表現が増えている。テレビを倒したいのもおかしくは無い。
昔、戦争のような体験をしていたが、正義の戦争だったから、許してほしい。最後まで、倒れるまで頑張って戦っていた。世界のために、絶対に心を変えなかった。
悲しいのは、自分はもう終わりだからだ。これ以上、意味がない。昔の自分なんか、賢くない。ネットの経験と学校への回想で分かっただけだ。
人間は、過去の自分のことを許してあげれば、他人のことを許すことが出来る。
過去の自分を悪いとか悪かったとか思え、と言いたいわけではない。逆に、過去の自分のことを本当に愛してあげること。
過去の自分は、何も悪い人間ではない。分からなかったとは言うが、分からない方が分かっている。
子供は賢い。子供が馬鹿なのは、大人より賢いからだ。子供の頃の自分を愛してあげることで、本当に愛とは何なのか、涅槃とは何なのかを知ることが出来る。
自分のことを完全に愛すれば、涅槃に存在することが出来る。
経験、戦い、推論で分かっていたのは、今も続いている。さまざまな経験をした。
理性より経験だ。考えるより、行動し、体験することだ。
世界の進歩は全て経験的だが、一つ、「大切なことを少しずつ見失っていく」と言うことは言える。その時のその人にしか分からないこともある。だから世界は滅びるのだ。
自分が辛いのは、小学生の頃に親友を失った体験をし、中学生に入る時に、たくさんの小学生時代の友達を失った体験をしたことだ。それが、トラウマになっている。
昔は、世界の設計図のように、社会がどのように生まれ、段階を経ていくかを書いていた。
自由な影響力によってそれぞれがそれぞれの社会を作り、変えていくと言っていた。
昔は、本当にたくさんの経験をしていた。最高の経験から最悪の経験まで、全てを知っていた。僕は、今の自分を悪いとか怖いと思うせいで、全てが怖くなっている。こんな恐怖は、全く怖くない。昔の方が、はるかに怖い経験が多かった。怖い経験をしないから怖いだけだ。
自分は、最近の2・3年が賢いのが分かっていない。最近の分かったことだけで、ほとんど全てのことが分かる。だから、昔の部分は積極的に消して行った方が良い。人生の経験を分かっていたのは、あるだけ分からない。人生のことを一度、何も分からなくなってしまえば良い。なぜか、昔の自分も、それはそれで完全に全部分かっている。それも悪くは無い。神のように完全に経験と理性で分かっているが、子供だ。だから、それをそのまま残して消すしかない。悪くは無いが、僕は普通のことが分からなくなっている。
自分は、「分かる義務と言うものは無い」のが分かっていない。分かることを義務にする必要はない。もっと自由に色んなことを経験した方が楽しい。
考え方や興味が、全ての文章を書くと言うことになったが、昔のそういう地獄は、完全に分かっているから馬鹿になっている。完全に全て分かっているせいで、分からないものが無い。そのせいで普通のことが分からなくなった。辛いように見えて、今の自分よりは辛くない。あれは賢かった。宇宙の全てを構造と具体例で完全に予測出来る人間だった。
意識と人生経験、そして思考で全て分かっていた。
もう、忘れた方が良い。自分は、もっと具体的なことを知るべきだ。学問の常識を構造的に知ったとしても、ただ自分のでっちあげたその学問がどういうものかが適当に分かるだけだ。そうではなく、もっと具体的にたくさんのことを知った方が良い。昔のLinuxだと思えば良い。あの「何も知らないのに知っているオタクの馬鹿」よりも、賢い人間になれば良い。この世界の全てを既に知っているのがおかしい。もっと忘れて、馬鹿になって、子供になれば出来る。
人間は、本当に大人よりも子供の方が賢い。大人は今の現状を改善していくことしか分からない。子供は最初から現状の全てを否定する。子供の方がはるかに賢い。
友達に意味が無かっただけではなく、学校の試験勉強を頑張っていたせいで、勉強にも意味がないのが分かった。
親が教師だったのも無意味さに拍車をかけた。
ただ、僕は学校に意味がないとは思わない。むしろ、科学者になりたいと思った。科学のことを、自分だけの力で分かりたい。そういうおかしな人間だった。
だから、この世界を自分の力で分析し、自分の知った知識から何か出来ないかと考えた。
あとは、高校の友達なんかほしくなかったし、Windowsも嫌いだった。僕は、そういうものが一番嫌いな、「世界を呪う人間」になった。
自分は、誰よりも一番強く神を信じている。その理由で、賢くなった。
自分は、過去の自分を愛しながら、何が問題だったのかを考えて、反省すれば分かる。
昔の自分は、信じないのが悪かった。全部、友達から家族まで、全員信じていない。誰も信じたくなかった。
それは、間違っていない。あれは賢い人間だが、自分自身が分からなかった。この世界のことがきちんと分かる代わり、自分がおかしいのが分かっていない。
最近の自分が賢すぎるだけで、あれは普通の人間だ。むしろ、本当は今よりはるかに理性的で情熱的な人間だ。今の方がさらに悪くなっている。
要は、そんなに極端に良い人間になるのも悪い人間になるのも悪い。
自分は、未来のことが分かるのがありえないように見えて、神の言葉を信じているから分かるだけだ。最初から、これくらいしか起きないのが分かっている。
良く考えると、神に聞けばすぐに分かる。そろそろ、たぶん自分のホームページが大ヒットサイトになる。
それから、ロシアの大統領になるはずだ。神はそれくらいしか言っていない。
神の言葉は、歌手の言葉だと思えば良い。最高の恋が8月に始まると、どこの歌でも同じことを言う。たぶんそれが起きるだろう。
キリストが、終末の世界がどうなるかを既に言っている。善人だけが救われ、悪人は地獄に堕ちる。人々は自分勝手になり、何も信じなくなる。それが終末だ。
ただ、僕が思うに、終末は悪い世界ではないと思う。なぜなら、バッハが「神の時代こそ良い時代」と言っている。
そういう風に、色んな人間の言っていることを考えると、未来のことは神が既に全部教えている。だが、見ても聞いても分からない。起きない限り分からない。
みんなへのアドバイスを言うとしたら、「絶対に諦めてはならない」と「いつでも神の目を見ていなさい」だけだ。
昔をやりたいなら、「愚者は賢者である」と言える。「自分で考え、経験しなければ何も分からない」と言えるかもしれない。
そして、この先の世界は、漫画のようになる。ワンピースのような世界だと思えば良い。偉大なる航路の先に新世界が始まるだろう。
僕は、自分がクズに見えるのは、みんなを地獄に道連れにして、苦しみの中に陥れたいように見えるからだ。
みんなは、もう僕と同じ地獄にならなくて良い。こちらに来なくて良い。
それから、昔のような廃人の自分を肯定出来ない人間になるのはやめてほしい。自分のことを肯定して、自分を愛してほしい。
だから、僕が悪いだけではなく、世界も悪い。世界は、そういう、ネット廃人にしかなっていない。
僕のやるべきことは、自分にすることでも、それを止めることでもない。もっとこの世界を良く導いていくべきなのだ。
だから、神を盲信するよりも、神にこの世界をどうすれば良いか聞けば良い。
神は、「自由が悪い」と言っている。2ちゃんねるのような自由が悪い。自由を否定する右翼は間違っていない。
要は、ルールを作り出せば良い。ルールのある自由にすれば良い。
人を陥れるな。
悪いことはしても良いが、あまりに悪すぎることはしてはならない。
裏切ってはならない。
自分の義を忘れるな。
自分の信じているものを、助けよ。
ただ、そういう、ただの決まりごとを作っても意味は無い。
もっと良く考えれば良い。普通は、人間はそれを考える。支配者となったつもりで、この世界をどのようにすれば良いか、考えれば良い。
堕落するのが悪い。
自分も怖いことを他人にするのが悪い。
後先を見ないのが悪い。
自分だけが分かっていると、すぐに滅びてしまう。人工的なものだけになって、人間は機械になってしまう。
想いがあっても、相手に届かなければ、意味がない。
本当のことを話す勇気を持て。
きっとみんなは、間違った人間を信じている。その人間は、良いことは言うかもしれないが、偽善者で、本当は不純な気持ちを持っている。その人間は、この世界を愛さず、みんなを虫けらだと思いながら、自分勝手な欲望のままに進む。だが、見た目は良い人間で、周りから見ているだけでは問題に気付かない。みんなは知らず知らずのうちに、その人間に騙され、良いものではないものを良いものだと信じ込んでいる。そして、その人間は孤独で、何も覚えていない。過去のことを覚えていないから、みんなもそこに気付かない。その人間の過去は最悪で、世界を滅ぼし、自分勝手に支配し、居ないのに世界全体を欺瞞と嘘の自由すぎる世界にしている。その人間は、僕だ。
自然にそれぞれがやっていること、自分が本当は何をしたいのかから、社会を知れ。
ネットから、価値観と独立を知れ。
社会が、ありのまま、いつでも同じように存在していることを知れ。
価値観の創造から、世界を変えられるようになれ。
全てを知って、人生経験をつめ。そして、この世界の全てを知って、死ね。
死とは、生命の終わりではない。全てをやり終えて、消え去って、誰にも知られなくなったものは、死んでいる。そのように死ねば、次の人生が偉大な人生になる。
一つのやり方が全てではない。色んなやり方をしなさい。全てを統一したやり方をすることも、自由にその場で選ぶことも、期間や時代で変えることも出来るだろう。
終わりだ。僕はまた死んだ。次の人生を生きる。そういう、死と言う意味でのさようならだ。
本当は、自由意志と所有を考えれば良い。昔は、自由意志と所有を考えただけだ。
そこから、「自分から所有を放棄する」ことが分かる。それが共有であり、オープンソースの理想だ。そういう発想が、昔の時代から人間に多い。所有は、良く見えて、悪い。所有は劣っている。所有は原始的な考え方だ。だが、所有は上手く行く。所有は自分勝手だが、不自由な支配よりはマシだ。
良く考えると、あれは世界の設計図を書いているだけだ。所有や共有も、多様性や統一もそういうものだった。世界の設計図からパターンと具体例を作る。何が何から生まれるかを書く。それだけの、痴呆のような人間だった。

2017-08-19

真理とは、「世界とはプロセスの規定である」と「環境と知はありのまま自由である」と言うことである。
世界、環境、規範、プロセスは、確定的、不確定的に常に作り出され続けており、それはプロセスの変化の規定である。
文章を書くことで、環境は自由に変えられることが出来、全貌を知り、説明することから、ありのまま、それぞれが思ったように自由に知ることが出来る。
プロセスの規定を考え、それが作り出される状況を知れ。あらゆる真理をそのまま書き、自分の理解を素直に率直に説明することで、相手に任せて全貌を説明せよ。
自由に支配せよ。解放されることから、それに「なる」ことが出来るようになれ。
愛、真実、自由、社会、経験、実現、神、理想を知れ。
相手に教えること、ありのまま説明することで、世界は変えられる。
世界は常に変わっている。プロセスの規定を考えることで、世界の可能性は高まり、皆の手で変えることが出来る。
環境から愛を知り、自由から平和な考え方を知り、経験から可能性を知り、多様性から経済の意識を知れ。
終わりにする。本当にありがとう。そして、さようなら。
あとは、環境や社会の段階を書いていた。環境は自然から多様性になり、共有、手段、自由、理想、失敗、復活、そして繁栄となる。
それぞれが反省し、失ったものから大切なものを知ることで、世界を変えるパワーが生まれる。そして、一人の支配者は、全員による団結となる。
可能性は啓蒙となり、喪失は理想となり、最終的には絶対的指導者が世界を支配し、そして滅び、また最初に戻る。
北欧神話仏教は良く似ている。ユダヤ教セム系の宗教だが、ヨーロッパの優れている点は、ヨーロッパ系の神話とセム系の神話をどちらも知っていることだ。
日本は、ヨーロッパとアジアを良く知っている、と言う点で、ヨーロッパと良く似ている。
昔は、歴史のようなものを書いていた。繁栄から失敗となり、右翼の反抗から改革者となり、指導者から全員の国となり、理想の国になる。
自分は、「滅ぼしていない」のが分かっていない。世界は滅びていないし、自分はただ馬鹿をやっただけだ。
「滅ぼそうとはした」かもしれないが、「滅びていない」。
ある意味、滅ぼすと思うから、右翼の反抗によって滅びている。
ここまで左翼を言った自分が言っても説得力はないが、個性と自由を大切にしてほしい。出来れば、創造的で心の豊かな幸せな国になってほしい。
みんなが辛いのが、僕は一番辛い。きっと、嫌がらせのようなことをする人間が悪い。みんなに嫌がらせをする人間は、死んだ方が良い。僕がそうだ。
もう、僕は居なくなる。社会主義と極右が倒れて、イスラム過激派も根絶して、平和な民主主義国家になってほしい。
ただ、日本は悪い。日本は僕を殺したかっただけだ。日本ではなく、過激思想でもなく、平和で、穏健で、みんなの良い国になってほしい。
ただし、白人も悪い。白人は日本人のことを「アホなビジネスマン」だと思っている。それから、アメリカとソ連は、冷戦で現地のアジア人を殺すだけで、本国の人間が死んでいない。アジアに対する戦争にしか見えない。だから、イスラムや朝鮮から嫌われている。核兵器を持っているの持たせないのも嫌われている。
ただ、僕がそういうことを言うから、アメリカで右翼が勝つ。全部僕が悪い、と僕は思っているが、それも間違っている。みんなが悪い。みんな、さらに馬鹿だ。
日本が勝った方が良い。日本は悪くない。日本人は最近、みんなで戦っている。日本が一番良い国なのに、悪い国に見えて悲惨だ。それも自分が悪い。
地球の全ての現象は、僕から起きている。それも、僕の罪から起きている。キリスト教で言う原罪は、きっと最初はそういうことを言っていた。
僕は、何もしない。もう、これ以上したくない。
僕は結構良い人間で、情熱と慈愛があったが、本当はそんなに良い人間ではない。
悲しいから、もう終わりにする。さようなら。
良く考えると、ネットが悪いのも自分のせいだ。Linuxが悪かった。
自分が自分を悪いと思うのは昔からで、昔の人生でも、いつも自分が悪いとばかり思って分かっていた。
説明するのは難しいが、言葉をいくらでも書いて分かる。固い言葉を作りながら、意味に対して意味を言うことで分かっていた。
さようなら。もう、僕は居ない。
あとは、みんな自分になっている。自分になると神のように全て分かる。ただ、そんなことはもう止めたい。一番嫌いな、みんなを自分にする部分を消したい。
自分は、他人から影響力を受ければ心が治るのが分かった。
昔の心が治った。
頭が動き回るのは、頑張らないと治らないからだ。だから、辛くなれば良い。足を動かすのではなく、手を辛く動かせば治る。
認識の段階を書いていた。認識は自由に出来る、とか、価値観とかを書いていた。
自由平和党と言う党を作ったが、これで日本が治る。
自由なルールを保障すべきだと言っていた。