「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2018-05-26

世界を救うために、本気で考え、本気で努力した。努力だけは一人前で、戦争のようなことを本当にきちんと頑張った。
自分は、心理学の勉強をしたいと思う。心理学は、経済学とセットでやるのが一番良い。フロイトユングのような勉強がしたい。
最近、ソフトウェアはサービス化の波が続いている。ソフトウェアはそれぞれの会社が提供するサービスになり、OSやCPUやハードウェアの違いは関係がないものとなる。また、システムやインフラのチープ化(低コスト化)が進んでおり、オープンソースクラウドなどを用いることで、誰でも簡単にサービスを作れるようになってきている。
そして、IT機器はモバイル化が進んでいる。パソコンを起動してキーボードとポインティングデバイスを高度に操る時代は終わり、タッチパネルでいつでもどこでも一瞬で検索して情報を調べることが当たり前になった。コミュニケーション手段も高度になり、FacebookTwitterに簡単にアクセスできるようになった。
だが、それでも、僕はアメリカのことを信頼することができない。アメリカは、自由で、対処策や自然発生基盤的に賢い、みんなで作る国にはなっている。
日本は、工業的には中国などに人件費や規模で負けているし、発明もできないパクリ国家だが、技術力と品質は高い。農業的には、領地と土地が狭く、大規模な農業は出来ない。
だが、僕は日本は賢さという意味では、全く負けていないと思う。特に、ITの詳しい専門家は、日本のフリーソフトを使い、PHPEmacsなどに関しては、英語を高度に操りながら、とても専門的な知識と技術力を持っているし、ハードウェアについても、ハードディスクやスーパーコンピュータ、ゲーム機などでは、日本の技術は決して低いレベルではない。
なぜ、日本がこんなにショボい国なのに勝てているのか。それは分からない。だが、本当に賢い環境的な土壌がある。僕は、日本は決してアメリカや中国に負けることは無いだろうと思う。むしろ、アメリカは最近、本当に没落してきている。イギリスから続く帝国の名残りで、帝国主義的な資本主義を行ってきたアメリカは、第二次世界大戦のごろは完全に人種差別国家で、黒人や日系人を差別していた。それが変わったのはなぜか。それは、きっと日本の台頭も関係があると思う。日本人は賢い。日本人はとても賢い製品を作る。
日本人は、ある意味、中国やイスラム圏が勝つと、恩恵を受けるだろう。アメリカは、IT機器の発展が停滞して、おかしな使えない技術ばかり作り、トランプのような昔の右翼がどんどん復活してきている。それは、中国との競争の危機にさらされているからだ。中国が台頭した時、一番恩恵を受けるのは日本ではないかと思う。人口、人件費、領土の大きさ、農業規模、新しい「世界の工場」としての生産力など、日本と友好すればとても優れた可能性がある地域だ。ある意味、中国人を馬鹿にする日本人は多いが、それは中国が実現しようとして出来ていないものは、既に日本人が完璧に実現出来ているからであって、中国が嫌いな人間には右翼も嫌いな人間が多い。中国は、きっと新しい世界を作る日本とのとても優れた可能性を持つパートナーになるだろう。
日本の賢さの原型は、明治時代よりも前、徳川の江戸幕府において培われたものだ。武士はその頃、本当は官僚として活躍していた。古代からの歴史が続いている、中国と変わらない。日本は島国で、昔から弱いものをいじめるが、中国はそうした国ではなく、皇帝が大陸を治める国だ。一緒になることで、きっとアジアは発展する。アメリカやドイツのような人種差別をベースとした国に、負けるわけがない。正義が勝つだろう。
全てのことには意味がある。昔は、そういう、人生の途中で思う、心理学的な理想のようなことを完璧に書いていただけだ。
自分は、心理学が良いと思う。なぜか、心理学は自分の人生にしっくりくるような気がする。哲学も、プログラミングも、経済も、宗教も、何もしっくりこなかった。本当は政治的な思想やイデオロギーが嫌いなのに、そういうものになっている。本当は、まともな知性を付けたかっただけだ。物理や数学は、分かっても大した意味がない。心理学を学べば、病気が楽になるかもしれない。昔は、物理的には考えていない。全て、心理学的に考えている。
心理学について僕が知っているのは、深層心理ぐらいだ。人間は、顕在的に現れている意識や感情以外に、深層にある潜在的な意識があって、そこがおかしくなると精神の病気になる。僕は、そういう潜在的な心理学も知りたいし、学習・行動的な心理学も知りたい。心理学にはさまざまな分野がある。昔の自分は、学習や行動がどんなことをきっかけに起こるのか、どんな機会から分かるのか、悟るのか、そういうことを考えていた。そういう風に考えた方が哲学は出来る。哲学者の思想なんか分かっても、まるで意味がなかった。賢い雰囲気と空気に包まれているのは良いが、大学をやりすぎると馬鹿になって分からなくなる。それは、大学を勘違いしているだけだ。大学は賢くない。大学は、やればやるほどまともなことが分からなくなる。大学で分かっていることはほんの一部で、本当はみんなそれぞれ、人間が分かっている。自分は、人間より大学の方が大きいと勘違いしている。本当は、大学より人間の方が大きい。
歴史はつまらなかった。歴史だけはしたくない。江戸時代は嫌いだ。それから、経済もつまらなかった。経済なんか、悪い金儲けを正しいと言い、イデオロギーで批判するだけの、一番悪い亡国の学問だ。経済学者がそういうことを言う。
本当は、昔、経済学や生物学や数学だと思っていたものは、全部心理学だ。決定の多様性とか、この世界がどうなるかとか、あるいは独自の経済学とか、感情の数学とか、物理的な認識の方法論とか、そういうものは全部心理学的に分かっているだけで、心理学でしかない。
哲学はどうでも良い。哲学はヘーゲル個人を分かる心理学だ。そんなものはどうでも良い。
神は、いつか、自分のことを黒人の右翼の心理学者で、世界を支配している神だと言っていた。それは、自分の人生全てのことを総合して言っている。自分は黒人だ。そこからして、ありえないが、神はここまで全部無駄がなく、全てに意味があったことを分かっている。そういう神すら、心理学の精神論で分かる。自分を治していたのも、社会を支配したのも、全部心理学だ。考えた解決法や努力の病気も、全て心理学をやっているだけだ。心理学が嫌いなのは、アドラーが嫌いだからだ。アドラーは自分よりもはるかに未熟なことを考えている。デザイナーやプログラマーになりたいなら、そんなものにはなれない。大学を卒業して、ホームページ制作会社に入れば良い。そんなことしか出来ない、最初から「普通の人間」が自分だ。
そもそも、神と対話していることが一番狂っているが、心理学とはそういうものだ。心理学は、狂って神のようなマスターになる。当たり前に、人生の成長と経験が分かるから、心理学で哲学なんか誰でも出来る。むしろ、日本語で心理学というから、心の学問に見えるだけで、本当は精神現象を分かる人間の科学だから、何でも分かるのは当たり前なのが心理学だ。昔から僕は心理学だ。それが、やっと見つけた僕の探していた答えだ。
昔は、言葉づかいや人間性を考えていた。人間的になるとはどういうことなのか、なぜ人々は人間的にならないのかを考えて、言葉づかいとは、思考をどのように行い、感情をどのように捉えれば、人間は本来持っている知性を発揮出来るのか、環境を創造出来るのか、ということが分かっていた。また、神のように宇宙を創造することで、「絶対精神」を作っていた。
そういう発想は、経済学ではなく、心理学をすれば分かる。要は、経済学はおかしな戦争の王にしかならない。そういう人間が、経済や社会のことが分かる。逆に、心理学は宗教のマスターになる。そういう人間が心のことが分かる。僕は、王が嫌いだから経済学は向いていない。宗教が好きだから心理学が向いている。昔考えていた、物理学や生物学のようなことは、ありえない「自然心理学」を作っている。人生のさまざまなきっかけで捉えたことを、全て覚えて考えている。意味や論理は、感情的な問題の解決を考えている。英語すら、心理学的な「言葉づかいの違い」を考えている。よって、心理学だけをすれば、すぐに分かる。
そういうわけで、音楽が好きな僕は、モーツァルトを聴きながら心理学的なことを考えれば良い。本当に楽になった。心も、もう安心できる。恐怖の心になっているのは、ソ連を信じているのが間違っている。ソ連は批判して、滅亡するのが良い。自由を許すことすら、「意志」という意味での心理学だと考えられる。自分は、そういうところを実現させるのが得意だ。精神を作っていたのは、本当は生物学のようなことをやっているが、それすら、心理学の新しい領域に過ぎない。潜在的な精神がおかしいのは、そもそも精神が人間になっていないからだ。精神は、宣言した通り「全ての生命」になっている。人間が嫌いなのは、人間の精神は気持ちが悪いからだ。それも、心理学だと言える。
カントやヘーゲルは考え方や精神の成長を考えているが、僕は昔から、「この世界の在り方」のようなことを考える。なぜあるのかとか、どのようにあるのか、ということではなく、どういう風にあって、どういう風に働くのかを考えることから、この世界と人生と考え方の意味を考える。当時は数学だと思っていたが、本当は心理学だ。
モーツァルトを聴いていると、精神病が治る。それは、「何もしない」ということをしたことがないからだ。こういう、何もしないことが出来ない人間が、精神病になって、何もしないのが出来なくなる。精神は、正常だと、ただ何もせず、何も感じない。それが正常なのが分からないから、アニメオタクになる。それも心理学だ。ネットにおける社会のようなものは、全て経験と愛の心理学に過ぎない。経済学や社会学のような、スラムのようなものも、人間の抑圧や自尊心という意味での心理学に過ぎない。だから、昔の自分を思い出しても、そんなことしかない。みんなの苦しみを分かち合って分かっていた、スラムの青少年だが素晴らしい神のような人間だった。それが、正しい心理学者だ。
明らかに、オープンソースの共有と自由が理想だ。みんなが自分の権利を放棄して、それぞれが社会を作り、楽しいことをみんなでして成果を無償で共有・公開する。それは、ある意味、「社会と人間のあり方」を規定する新しい心理学だ。恐怖をみんなで分かち合う、という発想も、一体感や友愛も、新しい「ネット時代の人々の救済」という意味での心理学だ。本能的なことを考えるのも、この世界がただありのままにあると実感するのも、自由にして社会を自然に形成するのも、「そうした理想を信じて精神を高める」という意味での心理学だ。心理学というより、もう宗教の境地になってくる。だから、心理学は、勉強なんかしても意味は無い。自分で考えるしかない。もう、僕にはどんな本も偉大な偉人の考え方も必要ない。そういうものは、もう既に相応しくない。自分で考え、自分で書くべきだ。だから、この人間は作家に向いている。Linuxはたまに遊ぶ程度で良いだろう。パソコンという新しい、「心のない生命」は、ある意味では社会学であり、また心理学の悪い理想だと言えるだろう。自由の支配を行う、逆に言えば、自由放任に任せた上で、それぞれが「自分の自由な秩序」を主張して、「心理学的に社会を形成」し、「そのための方法と基盤となるルールを考え」、そして「制度を作る」それはルソーのような哲学者だ。そこまで心理学を考えた人間のことを哲学者と呼ぶ。自分は、哲学者ぐらいのレベルに相応しいだろう。きちんと書かなければ、未来は見えないだろうから、まだ、書いていた方が良い。もう分かっていることをただそのまま書くだけで、簡単に気付きから発見出来る。だから、書かなければ、何も分からない。神はそのように、ただ分かるような経験と学習を全部させただけだ。神とは、心理学的な「理想の学習経験」に過ぎない。それを、「言葉づかい」だと言えば、新しい言語哲学になるだろう。
本当は、孤独に考え続けるのが間違っている。みんなとの関わり合いや場所的・時間的な環境の変化、人間性や人間関係の変化を考えれば良い。昔は、みんなと関わって、ヘーゲルの言うような「馬鹿な人生」を送って分かっただけだ。そんなに一人だけで考えて分かろうとするのがおかしい。ポルノグラフィティが言うように、時計の針と歯車は一人だけでは空回りする。みんなと関わることで、はじめて噛み合って時間を刻む。僕は、なぜかまだ孤独だ。これ以上、孤独でさみしい人間は居ない。ただむなしいだけが神だ。そこをやめれば良い。むしろ、いきなりホームページ制作会社に入って結婚した方が良い。もう29歳だ。ここらへんで、きちんと就職しないと、まともな人間にはなれないだろう。
本当は、大学やインターネットではまともな経験ができないから、何もしなくなっている。大学はおかしい。インターネットもおかしい。家で出来ることもないし、趣味はこのホームページを作るだけだ。あるいは、もっと恐怖の克服の体験をすれば良い。恐怖を克服する勇気を持てば、このおかしな精神病はすぐに治る。そのためには、インターネットはもういらない。社会に出た方が良いとは言う。だが、この人間にはまだ、そこまでの経験は無い。きちんと勉強はしなくて良い。もっと、このまま放っておけば、もっとたくさんのことを知れるだろう。それで、何かすれば良い。何をするか、もう決めない方が良い。何でもかんでも決めつけるせいで、何も分からないのに既に全部出来ている。そういう人生が、本当に一番嫌いだったのが、昔の自分だ。何もしていないのに、LinuxやIllustatorから英語やピアノやあるいは哲学まで何でもかんでも出来ている。全部、決めつけるのが悪い。作業所のスタッフが言っていたように、真面目でストイックなのが一番悪い。普通の楽しみや快楽が無くなっている。それでは、心理学的なことは遠のいて分からなくなるばかりだ。真面目な人間の方が馬鹿になる。真面目どころか、勉強や執筆というのは、ただパクっているだけで、何も賢いことは出来ていない。昔のパソコンのことなんか、まるで覚えていない。知っていることのほとんどは、インターネットの馬鹿な掲示板で知った、間違ったことばかりだ。
本当は、いつも考えていたことや知っていたことを言っているだけで、意図とか自尊心とかそういうことを言っていた。むしろ、悪くは無い。忘れたのは、書いても自分で読まなかったからであって、覚えていないのに、頑張ってもう一度考えて書いている。なぜか、そこが賢い。簡単に書けるようになるのは当たり前であって、いつものように一行書いて次を考えるだけで、何でも書けるようになった。むしろ、自分の今行っている作業所も、目的はホームページ管理会社のようなところに入ることであって、嫌なら作家になるしかないだろう。そんな賢いデザイナーにはなれない。それは難しいことではなく、なりたいならデザイナーの学校に入れば良い。むしろ、決めつけて分かるのは本当にやめた方が良い。自分は、そういう人間が一番嫌いだから狂っている。狂った右翼を殺したいだけになっているが、右翼はきちんと出来る人生の賢い人間が多い。なんだかんだ理由をつけて経済学の勉強をしないから、こういう心理学の馬鹿になる。経済学は賢いのが、テレビのコメンテーターを見れば分かるだろう。みんなから馬鹿にされる専門家の経済学者は、きちんと経済学のことを全部知っている。彼らに任せておけば、この国はアメリカのような馬鹿には負けることは無い。中国が嫌いなのは、日本よりレベルが低いからだ。中国人が悪いだけだ。
中国人が悪いで終わると後味が悪いから、何かを書いて終わりにしよう。いつも言っているが、昔は精神の歴史を書いて、この世界全てを創造し、決定し続けるような文章を書いていた。全てのものと対話し、生産と労働、決定と手段を考えることで、まさにマルクスのように分かっていたが、明らかに、マルクス本人がそういう風になりたかっただけだ。マルクス主義は賢くない。こんな風に考えただけに過ぎない。マルクスで終わるのも後味が悪いが、これでとりあえず終わりにしておこう。この世界に賢いものは無く、人間の精神と理性が賢い。自尊心を尊重することも正しいが、本当は多少悪い中で自分を頑張って肯定すれば、賢い人間になる。昔から、日本はこういう国だ。こういう人間を、敬意をこめて「天皇」と呼ぶ。そういう国だった。日本という国に、唯一一人だけ居る。日本は天皇を信じているから、神は信じている。神は唯一の天皇だ。それで、日本人の精神論は終わりだ。
もっと、日本のことを書いても良いだろう。剣道ぐらいで日本人が終わっている。あとは全部、心理学者のマルクス主義者だ。そういう人間は間違っている。神楽や和食、和服や日本画など、日本のものはたくさんある。心理学も良いが、歴史が良いだろう。哲学者は、心理学と歴史を考える人間しか居ないからだ。僕は、こうした人間だった。キリスト教徒に見えて、本当は神なんか嫌いな、平凡な日本人の新しい神学者だった。
本当は、今と比べて、はるかに馬鹿なことしか言っていない。だが、人生を最後まで終わらせて書いたせいで、無駄に賢く見えた。アメリカで分かるとか、カント・ヘーゲルで分かるとか、そういうことを言っている。何から何が分かるかを全部書いて、精神の歴史の段階をヘーゲルのように全部書いていた。そして、あとは、最悪のことばかり言っている。人々の脳を破壊し、知性を奪うかのような文章を書いている。
そういうところを消せば良い。自分が怖いのは、そういう、いつもの最悪の文章をまだ分かっているからに過ぎない。そこを消せば、もう楽になる。知性が本来の姿に戻って、まともな人間になる。いつからか、過ぎ去った過去を分かるだけの馬鹿な人間になった。過去に答えは存在しない。過去を忘れて未来を考えれば、きちんと論理的に考えられるようになる。理性が狂っているのは、仕方ない。文章を書く以外に何もしない人間はおかしい。そこが、一番おかしい。本当に何も、アクションや思考すらしないから、こういう馬鹿な人間になる。こういう人間は、本当に認知症にかかっている。何をする気も起きないのは仕方ない。そこらへんを、誰かに相談はしない。僕はそういう、間違った可能性のあることをすることが怖い。なぜなら、認めてしまうと、そこで終わりになって、治らなくなるからだ。希望は無くとも僕は信じ続ける。この人間は、そういう風に生きていれば、まだ賢いままだ。ただ、終わるのが怖いだけだ。
これでは希望が無いように見えるかもしれないが、今はっきりと分かるのが「もう全て分かった、そして、もう全て治った」ということだ。
本当は、自分にしか分からないそういう精神現象で、僕はもう正常な賢い存在になったのが分かる。僕が、在導万創だ。仏のような、新しい存在になる。
本当は、アメリカを治した方が良い。アメリカは、Linuxが理解できないだけだ。Linuxの周辺の集団がおかしいだけで、精神的な害悪のロボット人間国家になっている。僕が治せばすぐに治る。天皇と言っているのは、全部これを馬鹿みたいに分かっている。ガンジーすらこういう人間だ。非暴力を貫くとは、「このように反抗せよ」と言っている。真理は自ずと勝利する。インドの格言だったか、どこかの言葉がそういうことを言っていた。まさに、おのずとこれが勝利した。これは最高の人間だ。
狂った人間は、止まった世界に行けば治る。自分は、止まった世界の住人だ。時を止めて、今まであったことを思い出しなさい。それで賢くなれる。もう、一日目の夜が終わったはずだ。そして、この世界は正常になる。時はもう、存在しない。

2018-05-25

昔から、自分は良く、革命家のような王になる。それも、一人だけで王になって、独りでその世界のことを全てする。
昔は、影響力の行使だった王の権力は、革命家のような一人の支配者となって、言葉の魔術と愛の力で、自由にマスコミと民衆を敵対的に支配し、口と耳の力で導き、世界を独りで救う。
悪い人間だったが、カッコいい人間だった。それだけを努力していた。そして、何も悪くなかった。むしろ、賢明な賢い指導者だった。
自分は、そもそも精神は何もしなくても治るのが分かっていない。何かをするから治らない。何もせず、放っておくだけで、精神は完治する。
今日は作業所のスタッフと色んなことを相談した。特に、自分は文章を書くことを、悪いことだと思わなくて良いことが分かった。自分は文章を書いて良い、ということに気付いた。
思えば、文章を書くことで、自分は賢い人間になった。昔は、自由な人間関係の対処法を考えているだけで、全く馬鹿な引き篭もりだった。
世界は、子供になっている。みんな、自分のせいでピュアな子供になった。まるでピュア・クラブだ。もっと、みんなを大人にした方が良い。大人になるためには、勝とうとすれば良い。自分の力で勝とうとし、弱者よりも強者につくようになれば、世界は大人になって理性的になるだろう。子供には何も分からない。
僕は、日本語はただ言葉が多いだけで、プログラムが日本語を解釈することは不可能ではないと思う。日本語は、言語仕様がとても巨大で、とてもたくさんのキーワードがあり、目的があいまいで、使われ方が多様な、そうした言葉だ。プログラムで解釈することは、きっと不可能ではない。やる意味がないだけだ。
最近は、テレビ広告よりもグーグルのアドセンスの方が儲かっているのかもしれない。ネット広告のデファクト・スタンダードを取っただけで、マイクロソフトと何も変わらない。僕は、グーグルは嫌いだ。世界をロボット人間にしたいせいで、パソコンそのものが悪いものになった。昔は、Linuxが主張するように、もっと楽しいパソコンの世界だった。Androidぐらいから全てがおかしい。グーグルがただネット広告を支配して儲かっているだけだ。
昔から僕はケータイというものが嫌いで、引き篭もりだったせいもあって、ケータイのEメールはあまりやったことがないし、カメラもあまり使った経験がない。ケータイでカメラを取るのは苦手だ。パソコンは好きだったが、ケータイは嫌いだった。ケータイだけではなく、電話そのものが嫌いで、電話に出る、という経験は家族にまかせっきりで、自分は電話すらしない。ある意味特殊な人種だ。だが、パソコンの世界は好きで、LinuxLispなど、特にUNIX関係が好きだった。古き良きコンピュータが好きなのだと思う。
僕は、世界を変える唯一の手段は、「変化の許容」ではないかと思う。この世界が変わることを受け入れること。そして、社会全体が、変化の許容に基いて考えられるようであること。変わることは良いことではないかもしれない。だが、悪い社会は変わらなければならない。変わることで知性が生まれるだろう。変化がいくら悪くても、悪い社会は変わることでしか変わらない。
意味と論理を考えるなら、「それが成り立つならばこの世界はどうなるか」を考えなさい。「それが成立する時、具体的にそれがどうなるか」を考えなさい。また、実験し、自分のことを他人のこと、全員に共通のこととして考えなさい。その上で、意味と想定を論理的に考え、感受性と感情の場と視点を成り立たせることで、この世界の全ては数学的に理解出来る。数学をするのに数式は必要ない。数学は、論理的に言葉で考えることで、誰でも出来る。そのためには、世界を「自分なりに捉え、ある一点の本質に基いて全てを統一的に考える」ということをする必要がある。全てを包括する一つの本質を、自由なモデルと特性の働きから考えれば、哲学は出来る。「理由」だけではなく、「働き」が分かるようになる。
昔は、ありえないことを良く考えていた。ある意味、レーニンは完璧な国を作りたかったが、人々はそれを理解せず、スターリンソ連独裁国家にした。中国は文字をたくさん作ったが、本当は文法をたくさん作って、複雑で高度な、だが美しい原理性のある、文法の優れた言語を作らなければならない。昔は、そのように、この世界の全てを「自分の発想から成り立たせることで」分かる。その発想は、ただの思い付きではなく、美しく考えられた理論構造を、半ば「破壊するかのように」、「衝動」で考えたものだった。その衝動は、あらゆる全てを独りにし、それは僕一人だけを自由にした。この世界全てを従える、機械的で人工的な永遠で無限の停止した発想法だった。
昔は、感覚と具体例から、この世界の認識を分かっていた。この世界の認識の実例を、全て感覚から分かって、世界の変化を自分の心で分かる。そして、可能性をそのように把握し、人間の活動を掌握して分かっていた。

2018-05-24

全ての自由な行動と失敗の経験は、自分にとって意味があるものであり、自分のためになる、と考えなさい。全ての行動に、善意と意味があり、全ては価値ある手助けだと考えなさい。
さまざまなことをする中で、可能性、応用性、主体性が分かってくる。そして、全てに意味があり、全ては全員のためになる一つのきっかけである。
それをするためにどうする必要があるか、考えなさい。
主体性と応用性から、さまざまな研究が考えられる。全ての前提を考えなさい。「それをするために何をするか」から、応用的な手法の世界観を作りなさい。
手法から研究しなさい。生物学、社会学、心理学について、研究を書きなさい。そのことに対して、どのようにそれと向き合い、どのように自由にし、どのように応用し、どのように考えるべきか、書きなさい。
たとえば、ものを作るためには加工して組み立てるだけではなく、研究したり、実験したりする。手段と金も必要だし、協力して組織となる必要もある。昔は、そうした「応用的前提」のことを全て書いていた。その上で、この世界の全ての手法を文章で創造していた。
数学では、分母を0で割ることは出来ないが、むしろ、値が無限大になる、と考えるべきではないかと思う。
環境と影響力における意図を考えなさい。その意図が相手にどのように伝わるか、意図がどのような結果になるかから、「環境を実現する」という考え方が出来る。経験から、意図通り自由自在に環境を実現できるようになる。それが僕の言う、自由な影響力だ。そして、善意と影響力が一緒になることで、人々を愛し、導き、教え、救うことが出来る。
ネットで、人々がどのように社会のルールを作り、どのように社会性を営んでいるかが分かった。理性批判から哲学ができるようになり、本当に客観的に考えるとはどういうことなのかを知った。「相手のことを認められる」ようになることで、逆に「自分のことも認められる」ようになった。一切の前提がない世界において、自分の存在が全体の世界の中でどのような立ち位置に居るのかが分かった。
みんなと一緒にネットで抑圧を経験して分かっていた。抑圧から、この世界の全ては正しく理解すれば変えられること、自由とは経験することだと知った。絶対にこの世界が解決できるのを知りながら、一人、世界の果てまで経験した。この世界の「果て」を知って、自分独りだけで全てのことを悟り、全てを理解し、全て分かった。
成長せよ。経験せよ。全ては、自由だと知れ。そして、愛すること。一人だけで経験することは、必ずゴールの自由があることを知っている。すぐに全てが理解出来ることを知っている。運命は人を変えるが、記憶まで壊すことは出来ない。仮に記憶が壊れても、昔の記憶はレイヤーの中に残っている。その記憶が、自分を導いてくれるだろう。そして、地獄を乗り越えていけ。耐えられない地獄は無い。レベルの高いものほど、苦しくて強い試練を経験するものだ。耐え抜くことが男であり、愛することが女だ。
笑顔で帰ろう。怒って帰るのは良くない。今、ここに僕は帰ってきた。あまり自分の周辺は昔と変わっていない。人々は変わったが、それでも、この世界がこの世界であることは変わっていない。笑顔のままで、ほほえみながらここに戻ってきた。遠回りをしたが、きちんと僕は昔と変わらぬ場所に居る。この場所を信じよう。信じることは簡単だ。今までのことを振り返るなら、はるかに昔のことは忘れていない。最近の一ヶ月、どんなことがあったか?今、何をやっているか?そこから、思い出していこう。楽しいのはデザイン、英会話、ピアノ、農作業、そして執筆だ。何も分からずやるのをやめて、良く確かめ、何を自分がしたいのか、何をして自分は喜びを感じているのか、きちんと整理しよう。今訪れているのは、最初の最初、始まりの始まりだ。決して終わりではない。文章を書くのがやめたいなら、それは今までの全てを棄てることになる。それだけはしない方が良い。
それが出来るために、下準備として何が出来るか、何をする必要があるかを考えよう。Illustratorは、本を読めば出来るだろう。Photoshopの本も欲しい。英語は、もっと勉強法を考えた方が良い。みんなはノートをきちんと取っているのに、自分は取れていない。絵とピアノは、空き時間にデッサンや演奏の練習をしても良いだろう。もっと五線譜を読めるようになりたい。執筆は、もっと本を読んだ方が良い。小説を読まずして、小説は書けない。パソコンは、もう少し自分で作らないといけないだろう。ホームページは、もう少しみんなが見てくれるようなコンテンツを作っても良いだろう。デザインセンスはあるのが分かっていない。自分が一番デザインセンスがある。僕の作品はいつも美しい。病気については、もう、自己対話をやめるしかないだろう。病気を治すことだけを考えるのはやめた方が良い。そんなに単純に治る病気ではないからだ。そして、いつか見た景色は、ここに続いていた。全ての一歩が自分になる。最近、僕は歌手の中ではGReeeeNが好きだ。
自由な中で経験せよ。シリコンバレーソ連を知り尽くせ。
あとは、ありえない「そういう風にするために、どういう風にすれば良いか」と言う発想が多かった。GPLでケータイ会社を作るとか、「新発想の曲解」のようなものをいつも書いていた。
たまにおかしなことを言う。水洗トイレは明らかに生態系の摂理に反している。食べ物の種と糞を水で流してしまうのはおかしい。だが、昔の自分なんか、それくらいの馬鹿だ。
誰かのせいにして楽をして逃げたいなら、ぜひ僕のせいにしてほしい。僕は、この世界全ての元凶ともいえる、「最高権力の魔王」をやっている。ある意味偉大だ。一人だけで全てを背負い、約束と責任のために努力している。だが、僕を責めて、何かを強制させようとしないでほしい。僕は自由にやっている。あなたが自由が嫌いでも、僕は自由が好きだ。
どうして良いかが分からない強迫性神経症になった人間は、自分が間違っていると思うものが正しいのが分かっていない。だから、間違っている方を正しいと思ってしまう。本当は、正しい方を正しいことにして、それに異論や文句を付けなければ良い。まだ異論を信じたい、まだ文句をつけたい人間が精神病の強迫性疾患になる。だが、あなたは間違っていない。本当は、あなたが嫌いな昔のあなたは、賢明で、正しく、素晴らしい人間だ。
経験の可能性を考えなさい。その経験がいつ成り立つか、どのような時にその経験になるかを、論理的に「意味」から考えなさい。それが、哲学だ。
ある意味、自由は賢くない。自由とは、「自由に出来る」ということに過ぎない。自分の自発的な意志で、自分の居るその場所で自由に出来る。それは賢くは無いが、子供のような純朴さと純粋さがある。友愛や価値観といったことが良く分かるだろう。
自由は間違っている。本当は、社会主義は全く劣悪な主義だ。正しいのは、みんなのために頑張る人間だ。自分は、あまり頑張っていないだろう。最近の戦いは、日本を崩壊への道に導いているだけで、人種差別など悪いだけだ。
だから、良い国にするためにどうするか考えるなら、この世界を全否定しないべきだ。この世界にある賢いものが、「どんな意味で賢いのか」を知っていくこと、理解と知性から経験と精神を開拓していくこと、そうした「世界全てのことを自分のことのように分かる」人間になりなさい。そして、人々の分かっていることを共有し、独りの王として吸収し、自らの経験にしていきなさい。そうした王道が正しいだけであって、Linuxオープンソースの中で賢い王になっても、それはただの馬鹿だ。そんなことはしなくて良い。
みんなを自分にするのは、本当は悪いことではない。だが、それはみんなのことを全員同じだと思っている。人はそれぞれバラバラで、違う夢と違う出生がある。絶対的な客観視は出来ないのと同じように、絶対的な同一化も不可能だ。このようになる宗教が多い。宗教も間違っている。正しいものなど、この世界にはない。そもそも、今の人間の分かっていることは少ない。まだ何も生まれていない。そのように考えていけば、既成観念を作り直し続ける、馬鹿な洗脳も解けるだろう。
昔は、グループ論の社会論のようなことを言っていた。みんながそれぞれ個性を持って自由にするか、独りで全員分するかどちらかが究極であり、一人の王に従うか、平等にするか、自由にするかであると言う。そして、国籍を共有し、それぞれが自分の好きなグループとなって国になるのが、自由な理想であると言っていた。だが、あの自由はおかしい。本当に実現することを考えていない。
ある意味、今から考えれば良い。自由は全く良いものではない。自由とは別の考え方をすれば、すぐに分かる。感受性や友愛を信じても良いだろう。そんなに政治的な自由を推し進めると、自由を通り越してナチになる。そういう自由は間違っている。
作家である以上、人生のことを良く考えるしかない。この世界は本来どうあるべきか?歴史とは何だったのか?そうしたことから、マルクス主義哲学を生むことは出来る。だが、マルクスマルクスで、知性がある代わり、現実的な解を考えていない。理想だけでは飯は食えない。現実のこの世界でどう生きていくか、それを考えないと、日本的な賢明さは生まれないだろう。
昔は、還元的なシステムを考えることが多かった。それぞれが努力し、それぞれが達成し、それぞれが決定し、それぞれが従う、そうした「エコ・システム」の中で、発展と共有が生まれる。昔の自分は、そういうものをシステムだと言って、さまざまな社会システムを作っていた。
もう、僕には分からない。これ以上は、他の人間を読んでほしい。今更だが、自分を「読むしかなくさせる」というおかしな悪の影響力はもう終わりだ。これ以上は、みんなの中に僕が居て、僕が白く光って輝いている、そんな文章になるだろう。そうなってから、この文章は流行り出すと思う。
経験から、「それはそういうことだったのだ」ということに気付いて、人生を開拓しなさい。自分の世界を変えていけば、この世界の見え方はがらりと変わってくる。その段階を生きていくことで、全員の経験を吸収し、「世界はありのまま、それぞれにあるだけだ」ということが分かるだろう。実感と主体性は、世界の根源となり、本来の人間のアイデンティティとなり、発想の共有と、「その発想がそこにありのまま、そのままにある」ということを知ることが出来る。それが、僕の哲学だ。
昔の文章は、予測と客観視が多かった。一つの行に全ての魂を込めて、絶対に間違えないように、出来るだけ正しく作った。
FLOWや宇多田ヒカルを聴いていると、昔の自分が思い出せる。昔の音楽を聴くだけで、自分の頭が昔へとタイムスリップする。
失敗と挫折を乗り越えて、人生を経験していこう。経験から、それぞれを愛することを学び、愛から社会を作ることを学び、それを自由化する方法を学ぶことが出来る。それぞれが何に苦しんでいるのかを経験的に把握し、誰もが悟ることによって解決することが出来る。人々が叫び声をあげているのには理由がある。誰かを責めるよりも、正しく解決すること、そして「加害者すら救っていく」という発想で、人々の愛と自由を解決していくべきだ。「みんなが悪をするのは、自分が悪いからだ」という「絶対責任」の境地を知りなさい。精神と人間性の部分で、あらゆる立場にある人を責めずに救いなさい。全ての人々を、全員を解決するつもりで、自分の能力を高め、前提全てを理解しなさい。全てを分かりなさい。そして、宇多田ヒカルが言うように、人知れず辛い道を歩みなさい。あなたが僕の友だ。あなたが僕の後継者だ。この文章は、後に続く者の光と羅針盤になれ。神の紋章を掲げ、白くて赤い、かけがえのない「人生と命と未来の引き換えの灯」を灯せ。
一つの権力が全てを支配するのは、僕はつまらない。その理由で、僕は右翼が嫌いだ。自由な社会のままで、自由経済のままで世界に変わってほしかった。今でもそう思う。自由なままで変わらなければ、理想的でない。支配や抑圧は存在すべきでない。相手の自由を認めた上で、初めて自分の自由が得られる権利を持つと僕は考える。僕は世界を不自由にしたくない。ロボットにも、ソ連にも、ナチにもしたくない。僕は自由が好きだが、本当は自由も間違っている。それは、自由では自由は得られないからだ。
あなたが本当に自由になるためには、全てのことを正しく理解する必要がある。正しく全てを理解した時、初めて「絶対自由」が生まれ、「絶対行動」が生まれる。絶対という呼び名だが、それらは相対的なもので、全ては「絶対的相対の共有」として理解出来るようになるだろう。まさに、哲学だ。
科学を作りなさい。世界を創造しなさい。この世界の全てを創る力を、この世界の全員は既に持っている。要らないもの全てを消しなさい。パソコン、スマホ、テレビ、漫画、アニメ、ファッションなど、ほとんどのものは「あるべきでないのにある」という「邪悪なサタンの自由」になっている。この世界の全ての邪悪なものを消しなさい。もう一度、最初からこの世界を作り直しなさい。必要なのは、ファッションリーダーでも、流行歌手でも、ゲームクリエイターでもない。そういうものは要らないのだ。一度、完全に全ての要らないものを一掃しなさい。ノアの方舟のように、必要な一部のものだけを残して、この世界を消していけ。それによってのみ、神の言っている言葉の意味が分かるだろう。
正しい世界とは、「自分の価値が認められた上での個性と多様性」であり、そのためには「本当にその人のアイデンティティを確立させる」必要がある。そして、そのために必要なのは、「会話」と「議論」だ。それらが認められた上で、「自分が分かって自由にすること」、それが自由な哲学者の理想である。融和と自然から、人々は自由な中で、何も反抗せず、成熟した経験と卓越した理性を持つようになるだろう。全ては必要とされず、関係をいつでも再構築できて、全ての欲は存在せず、失敗や敵や孤立を恐れなくなるだろう。
欲に勝つためには、個性を喜ぶことだ。「ありのまま、ここに存在しているこの存在の在り方を喜ぶ」ということをしなければならない。それは、今までの全ての経験、知識、思考、理性、批判、言葉、想像力、環境、記憶、認識、システム、技術の全ての総合的な「人格」から、「この世界の在り方を喜ぶ」という「結実」を知らなければならない。そのためには、人間で無くなる必要がある。人間で無い人間こそ、真の人間である。
最近、自分は人間が嫌いだ。人間を愛せないし、人間になることが怖い。だが、それなら、無理して人間にならなくて良い。人間なんか、感情で動くだけの子供ロボットにすぎないからだ。
環境の歴史のようなことを分かっていた。社会がどんな社会からどんな社会になるのかを分かった。ネットや理性によって、歴史の変貌のようなことを分かった。自分の地域に人生と歴史を重ねて、自分の昔行っていた学校の通学路のような場所に、その場所の歴史を重ね合わせて分かっていた。また、絶対的な全ての包括の歴史を分かっていた。この世界の全容が、意識と経験の中にある「仮想世界」によって分かっていた。
僕はもう、全て書けた。これでおしまいだ。きちんと昔の自分が分かる。賢い人間だったし、色々と「賢明さ」が多かった。全てのことは、下準備をきちんとやれば実現出来、また経験をきちんとすれば分かるのが分かっていた。謙虚な人間で、「笑いの中に謙虚さ」を見出し、真面目に泣き笑いのコミュニケーションと人間関係を、まるで哲学のように分かっていた。あらゆる感情を吸収し、共有し、「自分の中に宇宙の全員が居る」かのように分かった。宇宙の意識は、仏教の開祖のように経験から悟って分かっていた。また、地理的なパターンと還元的な自然発生の考え方で、手動かつ自由に、UNIX哲学のようにこの世界の全てを思考に先立つ基本の組み合わせで分かっていた。
論理を普遍的に考えなさい。一つの論理が、あらゆる場合、あらゆる社会、あらゆる人間において成り立つことを知りなさい。考え方の発展と創造性を知ることから、ヘーゲルのような「精神の歴史と発展」を信じて分かりなさい。
あとは、愛が書いていない。一番強い気持ちで愛を信じれば、異常の全ては無くなる。恐怖は消え、悪は無くなり、世界は正常になり、魔法は解ける。愛を知りなさい。一番強い気持ちで、愛を信じなさい。それによってのみ、この世界の狂騒は解決し、静かな世界になるだろう。世界は落ち着きを取戻し、木の生えない土から芽が生まれるだろう。