「不思議だ」の日記

Assy(在導万創)のブログ。デザイナー見習いの作家です。小説と詩集と日記を書いています。

2017-09-19

作業所に行ってきた。今日は、父親が寝不足と言うこともあって、農園には行かなかった。
昔は、社会の発展や変化の中での社会の選択肢を書いていた。
選択肢は、福祉国家か、帝国か、完全な平等か、自由か、保守か、経済成長だ。
発展は、進歩か、再分配か、調和だ。
そのように、自由な思想の選択肢と、諸行無常的な発展の具体性を書いていた。
あとは、現象学を書いていた。場や目線と言う。環境を作る。そのように、神のような全てを書いていた。
動物の体は、このように、自然に賢い身体になった。このように、脳がない方が、体は賢くなる。このように進歩する。
要は、虫は進化だけを繰り返している。いつ賢いものになるか、分からない。
今日は、カープ優勝おめでとうのポスターを作った。
自分は、配置や装飾は出来るようになったのだが、細かいところが出来ていない。指導員の方にそれを言ったら、チュートリアル的な本を読むのが良いということだ。
歴史は、地球以外のどこか別の星のような、そういう歴史を書いていた。
最近は、激安の代わり、品質が落ちている。品質保証をした方が良い。
数学が出来ると、人間の分かることが全部分かる。昔は、そういう人間だった。
きっと、哺乳類が死に絶えても、虫は生きられる。そのために気持ち悪いのが虫だ。虫は、生態系の中の進化出来る部分だ。
ぐちゃぐちゃに噛み潰して飲み込んだのが悪いから、今から吐き出す。
あなたの自由になってほしい。みんなと言うよりは、この読者の方の集団に勝ってほしい。
昔は、社会のことを良く考えていた。主婦や子供が悲惨だとか、本当に悪い人間は居ないが救える人間も居ないとか、そういうことを言っていた。
見ていると、テレビも悪いが、ネットも悪い。だが、最近は政治家になんかなる意味がない。政治家なんか、影響力があるように見えない。テレビの方が指導者だ。
テレビは、もっと責任を持つべきだ。自由は良いが、自分たちが日本社会を動かしていることに対する自覚を持つべきだ。
テレビが反省しないのはおかしい。いじめが増えていることに対する反省をしなければならないのは、テレビだ。
ただ、テレビだけが悪いわけではない。むしろ、そういうことが言えるようになったのは、ネットと言う新しいメディアが増えたからだ。
昔は、テレビだけが情報源だった。テレビが王様であり、テレビが世界であり、テレビの決めるものが標準だった。
テレビはもう終わりだ。最近のテレビ番組を見ていると、昔の時代では明らかに馬鹿だったものが普通になっている。誰も見ないのが当たり前になっている。
そして、マイクロソフトが賢いのも終わりだ。今からは、グーグルとLinuxの時代になるだろう。
神のありえない体験を書いていない。
神はさまざまなものに替わり、世界にある色んな具体的なものを全て教える。
何が何を意味しているのか、昔の僕は神で分かっていた。
ドイツ、フランス、ロシア、イスラムなどの国や、人生、そして宇宙に存在するものや歴史上存在したものなど、色んなものを分かっていた。
そして、生まれ変わりの地獄の中で、本当に一番辛い苦しみを体験した。
今、もう覚えていない。自分の手で物理学のような科学を作ったり、恐怖を治すために全力で考えたりすることが多かった。
昔は、信じることで色んなことが出来る人間だった。神の話す内容を聞く自分が、神よりも賢かった。
自分は、農業と工業をするとか、ローマ法王になってパンを配るとか、そういう、経済学的・政策的な理解と発想があった。
文章を書くことで、「あらゆる全部の発想をする」ような文章が多かった。
どこかの国の王ではなく、世界全体の王として、歴史と対話したり、国際的な視点から地球の将来を考えたりすることが多かった。
そして、自分の人生にあった全ての記憶、全ての理解、全ての発想のようなことを言っていた。
社会モデルは、知の可能性を拡大し、潰していた。構造を潰すと同時に、未知なる可能性を全部まとめて分かる。宇宙の未知を文章と神によって全て分かった。
本当に分かっていた。意識の段階や数学や物理を含める「科学を超えた科学」のようなものを創ることが出来る人間だった。
その時代、自分のことを神だと思っていたが、自分はただの馬鹿だ。ただ、本当に神業のような支配や影響力をいつも行使して、本気で頑張っていた。
テレビは悪い。マスコミだけに課せられる「マスコミ法」と言うものを作って、テレビがいじめや支配のようなことを出来ないようにした方が良い。
昔は、むしろ、馬鹿だ。インターネットの影響でおかしくなっている。
だが、昔はそういう「環境的経験の土壌」があったことによって、この世界の全ての歴史的経緯が実感で分かっていた。
自分の体験から、社会の制度や歴史が分かっていた。むしろ、人生体験で、学校の延長線上のようなことを知って、哲学者のように分かっていた。
馬鹿ではない。論理的に考えることをモデル的にすることで、この世界を論理的に全て分かっていた。
ただ、あれは馬鹿だから、忘れた方が良い。
もう、辛いのは全部終わった。今、何も辛くない。文章を書くのは辛かったが、書いている間全て忘れるし、文章を書いていると病気が治る。
本当におかしくなった人間は、文章を書くのが良い。書いている間に分かるし、辛さを耐えることで何でも治るからだ。
昔から、僕は意識で信じることが多い。昔は、経験、創造性、価値観、調和、協力、助け合いなどを信じていた。そういう、社会を構築する自由が好きだった。
分かる方が馬鹿になることもある。人間は、馬鹿になった方が分かる人間が多い。学校が馬鹿になるのは、分かるようにするとすぐに馬鹿になる。分からなくすると賢くなる子供が子供に多い。そういう、分からない子供は悪い人間になる。
人間は、まともな学習が出来なくなって、おかしな学習が消えなくなると、気が狂うようになる。パソコンが悪い。パソコンのせいで、まともな学習をする機会が無くなっている。パソコンをたくさんやっていると、すぐに人生が終わってしまう。おかしな学習になって、何も出来なくなる。
仕事をすれば良いわけではない。まともな学習を何かすればすぐに治る。それこそ、文章を書くのが良い。何も出来ない人間にも出来るからだ。
日本人が英語を出来ない理由は、日本語の発音が単純すぎるからだ。フォをホと発音し、ジェをゼと発音する。そういう理由で、英語が聞き取れない。英語の発音は難しくは無い。日本人が最初から、アメリカ人のように発音で単語の種類を分ける、と言うことをしない。同じ読みをする単語も多い。そのせいで、英語が出来ない。
本当に新しい学習をしないでいると、人間は新しい学習をする部分が退化してなくなってしまう。それで馬鹿になるのが、大人だ。大人に新しいことは出来ない。老化しているわけではなく、知性も使わなければ退化する。逆に、いつもしている「頑張る」部分が進化する。そういう人間に限って、頑張っているのが、大人だ。
安心して良いのは、僕の経験から言って、脳は放っておけば賢くなる。人間は、何もしなくても思い出せば覚えるように、馬鹿な人間でも考えれば賢くなる。賢くなっていないようで、馬鹿な人間は一度完全に消した方が良い。子供は何もない真っ新(まっさら)な状態で生きているだけで、賢いわけではない。何かする子供も、何もしない子供も、同じだ。放っておけば誰でも大人になる。大人も同じように、一度馬鹿になっても、放っておけば賢くなる。そのためには、真っ新になるだけではなく、文章を書くのが良い。書いていると良く分かるからだ。良く分かれば賢くなる。知性を数学とは言うが、脳から見ると、覚えたこと、出来ることは、何でも知性だ。手で文章を書いていると、手の知性がついて、手の精神がまともになる。どんどん手が賢くなる。そういう人間の方が、みんなと違う。
自分は、「おかしいのは違うだけ」なのが分かっていない。おかしいと思うのは、違うのを悪いと思うからであって、本当は違うのは何も悪くない。おかしな人間に賢い人間が多いのは、違うことがたくさん出来ると進歩した生命の精神になる。みんなと同じで何も出来ないのは虫レベルだ。色んなことが出来る、みんなと違う人間が人間レベルだ。本当は人間レベルで終わりではなく、天使レベルや神レベルの精神もある。それは、全てが分かった人間が到達する、創造者のレベルだ。
自分の力だけで完成し、この世界の全てが分かるのが神レベルだ。神よりももっと上のレベルもきっとある。だが、本当は上とか下とか、そういう風に考えるのはおかしい。SSがAより強いわけではない。本当はDの方がAより強いこともある。DがいつまでもDなわけでもないし、Dになった方が賢いことが出来ることは多い。
そう簡単にランクには出来ないが、だが、本当は「明らかに賢い人間」と言うのはたくさん存在する。だが、偶然や生まれつき賢いのではなく、賢い人間は賢い理由が必ずある。なぜその人がその人のように出来るのかが分かれば、誰でも同じことは出来るだろう。
平等が必ずしも良いわけではない。世界における王となりたいなら、みんなを自分に近づけるだけではなく、みんなを自分のような賢い人間にはしないことも必要だ。悪いことをしているわけではなく、本当にその方が善であることもたくさんある。本当にそんなことをしていたら、世界は王のクローンで溢れてしまう。だから、賢い人間は少ないが、むしろ、多い。そして、賢い人間はそもそも増えない方が良い。一人だけの方が良い。それも、ダントツに優れているべきだ。
あとは、僕のようになりたいなら、引き篭もりになるしかないが、僕はそこが悪い。みんなを引き篭もりにしたいのがおかしいから、神が地獄に堕ちさせている。
だから、みんなは僕のようにならず、社会生活を真面目に送った方が良い。主導権や自由もみんなに与えた方が良いだろう。だが、結構、僕はただの引き篭もりではない。色んなことを経験した作家のマスターだから仕方ない。そういうわけで、ただ、僕が勝っただけだ。僕が王だ。
昔は、自由、環境、制度のような「この世界にある基盤と秩序の決定性」を書いていた。どのように自由が生まれるか、環境が生まれるか、制度が生まれるか、などを書いていた。そして、行動や理由のようなことを、原理にして分かっていた。そういうところが、独自の理性を持っていた。
今日は、少し聖書のことをホームページに載せた。僕は、キリスト教を信じている自覚が無い。今でも無宗教だと思っている。だが、神は僕にだけ良くしてくれる。良いことを起こしてくれる。それは、僕が唯一、自分のことだけで神を分かった人間だからだ。自分を分かることで神を分かる人間は、僕だけだ。
僕は、キリスト教をそんなに良いとは思っていない。弱者が逆らいながら、抵抗もせず一方的に暴力を受けるのはおかしい。だが、僕はそこでやり返すべきではないと思う。対話の力で、説得し、自分に非があれば認め、相手に非があれば相手が理解出来るような説明をすべきだ。僕はそう思う。
僕は、神になりたい。人間が死に絶えたとしても、僕は生きていたい。だが、自分に何も出来ない時は、僕は消え去りたいと思ってしまう。そして、逆に、この世界の全員が「死ねば良い」と思ってしまう。だが、それは「死ねば良い」ではなく、「みんなが悪い」ことにすれば良い。なぜか、みんなのせいにしない。それが出来ないのが自分だ。全部自分のせいにする。そして、そこで諦めるのではなく、「出来るためにどんな方法があるか」を考える。そうすると、不思議と、全てのことが簡単に出来る。それが最近の自分だ。もう、自分の出来たことを思い出せば出来る。完全に自分のこだわるやり方だけで全部出来た。僕は、マスターだ。
昔は、自分独自の考え方や発想のようなことを言っていた。
生物とは生きると言う概念を人間が持っていると言うことだとか、環境は誘導によって変えられるとか、環境には関与すべきでないとか、助け合いと環境が独立して関与し合うべきだとか、そういうことを言う。いつも、そういう、独自の考え方を持って分かっていた。
そういう考え方は、ただ、馬鹿のように考えれば分かる。
そして、一人勇敢に戦っていた。本当に素晴らしい勇気だった。そして、諦めなかった。夢ではないけれど、自分の目指すことを絶対に叶えるために、恐怖と戦い、頑張っていた。
金を与えるのではなく、方法と手段を与えるべきであり、国はそのように支援すべきだとか、全てのことをきっかけだと捉えるべきであり、教育は機会を知るようにしていくべきだとか、そういう、社会を変える、新しい発想を言っていた。
大学や図書館を作るとか、若者を自由にするとか、音楽を街中にかけるべきだとか、フロアを都市にすべきだとか、そういうことを言っていた。
あとは、ブッダやキリストのようなことを言っていた。悟って善をすることで、到達出来る境地があると言っていた。
田舎を準都会にするのではなく、多様性のある町にしていかなければならないと言っていた。オープンソースのような公開性は、地域性を復活させるために有用だと言っていた。
また、教育のために、プログラミングで「自由にコードを書く」ことをLinux環境で学ばさせるべきだと考えていた。そのためには、関数や手続きをどのように書いていくか、実践形式で教える必要があると言っていた。
感情を信じてはいけない。感情は嘘や幻覚を見せる。だが、一番大切で、頼りになるのは感情だ。全ての状況で、感情は今までの人生の中で一番正しい答えを教えてくれる。感情を信じることは、間違っていない。いつでも一番頼りになる。だが、感情だけを信じていると、いつまでも同じことを繰り返してしまう。だから、感情を頼りにすることも、疑うことも、どちらもきちんと「考えた上で」行わなければならない。それが、難しいだろう。
賢くなった人間にとっては、感情と経験だけで全てのことは分かる。だが、賢くなるためには、それを絶対に信じてはいけない。自分の手で、自分の人生として、自分だけの感情を創っていくために、全てを疑い、何も信じず、ただ同じことを繰り返すべき時はある。全ての時期と時代は、同時に起きている。
ガブリエルも、ミカエルも、ラファエルも、「僕は辛かった」と言っている。だが、どれも同じように「自分が最高の人生を体験した」と言っている。多重人格は、人間の中に三人が居るわけではない。記憶が多重の層に分かれて、それぞれの期間が一つの人格になっている。
ミカエルは、この世の終わりを見ている。本当に、地獄の中を見ていた。終末の精神異常の世界を全て見た。自分は、それでおかしくなっている。
本当は、インターネットは悪くない。自分が本当に成長して、全ての経験をした。青春のような良い体験だった。
昔は、「正しい人生」を書いていた。それも、「自分の方がみんなよりも正しい人生」のようなことを書いていた。
自分は、壊した部分が無くなっただけなのが分かっていない。壊すのを止めただけでは治らない。壊した部分を修復し、元通りに作り直した方が良い。
自分は、こう見えて、「ホームページの作り方」が分かっていない。特に、本を調べて情報を書く、と言うことをどうすれば良いか分からない。
誰か、専門書のようなものを書いている人に、どうすれば書けるのか、教えてほしい。
おかしくするのを止めるだけではなく、おかしくなる前の状態に戻さないと、治らない。
昔は、宇宙人との対話のようなことをしていた。
宗教的な本でヘミシンクと言う意識による宇宙生命との交信の方法を知って、同時に神との対話を読んで、宇宙生命と対話していた。
本当は、忘れているだけで、それを今でもやっている。だから、プレアデスとの通信を止めて、人間に戻るしかない。
昔は、「いつ喜びを感じるか」や「いつ怒りを感じるか」や「いつ不安を感じるか」などで分かっていた。そういうところが、まともな人間だった。
たくさんの思考をして、「思考経験」から分かっていた。思考の経験が進歩していた。そこから生まれる認識や行動も分かっていた。それを、場への適応だと考えていた。
環境への適応から、いつどんな行動をするかを分かった。そこから、社会における機運のようなものを分かっていた。
Wikipedia Commonsのように、インターネットの共通リソース集のようなものを作るようになっても良いかもしれないと思う。同じ写真や画像が、どのサイトでも簡単に埋め込むことが出来て、著作権パブリックドメインにされる。ただ、ダウンロードすれば良い、と言う話ではある。
発想とは言うが、「社会をどうすれば良いか」とか「科学をどうすれば良いか」と言うレベルでの発想を、積み重ねて全て分かった。植物は太陽の光で生きている、と言うことを、山に生える全ての植物を太陽が作り変えている、と言う実感で分かっていた。エネルギーは捉え方であり、本当は移動だけがあると考えていた。
自動車はどのようにしたら作れるか、のような工学的な発想や芸術的発想も多かった。
本当は、みんなの言っていること全部を聞く、教わる必要はない。自分の手で一時情報源や良く分かるサイトに当たって、自分の力で行動して分かれば良い。昔は、Gentoo LinuxLinuxのことが分かっていたが、それと同じで、きちんと一時情報源を知り、それが解説されている分かりやすいサイトを見れば良い。出来るだけ、自分の手で作るべきだ。
あとは、あらゆる人生を統一的に、包括的に分かっていた。人生の分岐点のようなことを全部知っていたし、自分の発想だけでこの世界のあらゆる学問や仕事の経験が分かった。何もきちんと正しくしていないのに、宇宙の全てが分かったのは、同じことを自分で全部体験しているからだ。そういう、「体験から宇宙のことを分かる」と言う発想が多かった。
あとは、社会的な協力・協調の考え方や、ネットのフリーソフトから、創造性のある社会を分かっていた。そこから、場の潜在的可能性が分かった。
良く考えると、昔の発想だけで大まかなことは分かる。量子力学、鉄工場、オブジェ制作現場、ビジネス、イノベーション株式投資など、昔の分かっていることだけで、僕は完全に全部分かっている。地球や宇宙の歴史の発想をしたりして、僕はネットと引き篭もりの経験で全てを分かっていたが、それで終わらずに、もっと偉大な戦いの経験をして、完全に分かって神になっていた。
犯罪の問題とは、悪いことを起こすことによって自分が不幸な人生になることが分かっていないことだ。自ら不幸になるのはおかしい。
今日は終わりだ。本当にありがとう。さようなら。
現代の問題とは、「正しい行動や生活とは何なのかが分からないこと」だと思う。昔は、賢い老人が全てを分かっていた。そんなにダイナミックに社会が変わっていくと、人々はどんな理想や正しさを持って生きれば良いのかが分からなくなる。
一度、停止した世界になるべきだ。停止した世界になれ。
僕は、昔から世界を停止させる。そして、それを解放して多様な世界にする。だが、それは何も分からなくなる。もう一度停止した方が良い。
日本は官僚国家だから、政治家は役人の言えと言ったことをそのまま言っている。そして、民衆はネットなどで民進党を嫌いになるようにしている。
僕は、そういう日本が嫌いだ。むしろ、嫌いと言うよりは、良くなってほしい。もっと民主的な国になってほしい。
政治家を馬鹿にしているのは、政治家に役人を頼るだけの馬鹿になってほしいからだ。国民には、左翼や外国人を悪いと思わせることで、問題を見えにくくしている。
それはソ連も同じで、左翼を嫌いになるか、左翼を好きになるか、どちらかになってほしいのが、ソ連だ。民進党が怖い。民進党や韓国が勝つと、役人政治が出来なくなる。
政治に興味が無くなるのは怖くない。何も言わない民衆は賛成しているのと同じだからだ。本当に怖いのは、国民が役所や政府を必要としなくなることだ。
だが、あまりそういうことを言わない方が良い。暴力団を使って殺すからだ。昔から日本はそういう国だ。
本当に、こんな文章を追ってくれて、本当にありがとう。そして、もう、僕は居ない。さようなら。あとは、みんなで勝手にやってほしい。ただ、出来れば僕が好きな人間にやってほしい。

2017-09-18

もう、脳が昔に戻る。少しずつ戻っていって、完全に治る。
脳の物理の部分が治った。物理だけが分からなかった。電磁波を出している部分だ。宇宙と対話している。
脳は、全てのことを物理的方法で考えている。実証し、推論し、作用をモデルで成り立たせている。宇宙の全てのような現象学と知性で分かっている。
世界のことは、環境とプロセスで、自由な秩序の形成から分かっている。世界のことを全て知っている。自由主義のように捉えて分かっている。
経験から、社会の実例のことを分かっている。
仮説と説明から、科学的に森羅万象を考えた。
最近は、永遠の宇宙のようなものを体験していた。ビッグバンから生命の進化をし、永遠のロシアの歴史を体験し、終末を主宰した。
僕は、太陽になる。このまま、全てが逆戻りし、少しずつ戻って行って、宇宙は拡大する。そのまま太陽となって、宇宙に存在し、全てを燃やし尽くす。
太陽のように丸い。それが太陽神、アポロンだ。日本は、アポロンの国だ。日の丸は、僕の赤と、神の白だ。
アポロンは、何億年も生きた。アポロンは、理性と経験であり、知性と体験である。全てを知らせた上で体験させる神だ。
文章は、現状分析、状態変化、パターン、特性、社会変化、発展、原理、解明、などのような、「哲学的分析の考え方」のようなことを言う。
それで、世界観を書いていた。世界のことを書く。政治のやり方とか、細胞分裂とか、集積と拡散とか、自然法則とか、そういうことを言う。
そこから、自分なりに世界を見て、科学を作っていた。実例を知り、それぞれが自分らしく生きられる方法を知り、この世界の闇と抑圧の中から解放され、本来のありのままの自然な姿になるためにはどうすれば良いか、考えた。その上で、社会はどのように人々を抑圧しているのか、本当に信じるべき理想とは何か、考えた。
また、人生的に、社会を開拓していく方法や、理想の社会とは何か、そして宇宙や自然のことをどのように捉えていくべきか、生まれて消えていく中で何が残るのか、普遍的認識を考えていた。それを本当はどう認識すべきなのか、考えた。最後まで見られなくても、時間的な経過として見ることで、本来の認識に近づけると考えていた。
社会は、自分の知った社会を書いていた。いじめ、集合知オープンソース、抑圧、真実の世界、経験、創造性、理想、信念、教育を変える、改革、社会実現などを考えた。
自分なりの、独自の考え方のようなことを言っていた。自然と共有、システムの再利用、公開性など。パソコンのように分かりながら、この世界を自分独自に捉えて、独自の自然な経験論の知性のある哲学を作っていた。哲学の創造者であり、独創的な芸術家の政治家だった。
独自のまともな理性を有効に使うことで、神や現象学の哲学者のようなことを言っていた。ウィトゲンシュタインのような人間だった。
経験と場から、視点を考えた。人間の実存性を知ることで、「全ては同時に存在している」と言った、時間哲学のようなものを考えていた。
知性の集積を信じなさい。それぞれの知と知性が関わり合い、社会を改善し、愛し、労働を経験し、強く生きる過程を信じなさい。
全ては知性であり、全ては経験の集積である。昔は、そういうことを言っていた。
そして、場と歴史は変わっていく。だが、運命的に変わるわけではない。今、この時間が過ぎること、この世界が新しい世界に少しずつなっていくこと、その過程と、実際にあるこの「世界そのものが歴史である」と言うことから、自然に歴史は生まれていく。自然に、この世界が変わるように、この世界が生きているように、歴史は少しずつ決まっていく。そして、全ては自由だが、それぞれに出来ることには制限がある。だが、限界のようなものは、それぞれが生きる中で規定し、社会が設定したものだ。それを変えていくことは出来る。
昔は、そのように、この世界を「仮象の世界と見なす」ような文章を書いていた。この世界の表層を掴んで、原理的原則とともに、この世界を説明する。
また、論理的に構造を作っていた。世界構造と概念の網羅を、論理的に創っていた。そこから、体験とともに宇宙を創造していた。
精神を創っていた。人間の僕は、何かを信じて、あらゆる全ての精神を創っていた。虫から神まで、全部の精神を整理整頓しながら判断して創った。だから、僕は人間ではない。僕は天使なのだ。そういうわけで、僕が大天使ガブリエルだ。大天使ガブリエルは、世界を支配し、古代から現在まで、環境から空気まで、歴史を導き、神の言葉を皆に伝える。
昔は、精神分析で全てを知った、フロイトだった。そして、そのまま革命家になって、死んだ。
本当は、僕は生まれる前から愛の使者だった。僕はニュートンだ。僕は、この世界を最初から裁くために居る。僕は、信じないもの、信じるもの、全てを裁く。
僕は、科学を滅ぼし、世界を滅ぼした。だが、僕は滅ぼした世界を、そのままで天国に変える。
僕は、愛は嫌いだ。
僕は、神ではない。僕は神ではないのだ。
僕は、宇宙の裏側で、世界の全てを統括している。精神の世界で、僕は王となる。
僕は、ビルゲイツに勝つ。
僕は、ユダヤ人を愛している。
この世界は、新しい世界になる。この世界は、今までの辛い抑圧された世界が終わって、楽で、賢くて、だが意味のない世界になるだろう。
昔は、本当は社会的真理のようなものを分かっていた。それが実存主義啓蒙主義になって、そのまま神のようなマスターになった。
自分は、今から少しずつ、ゆっくりと元に戻る。逆戻りする。宇宙の歴史を遡って、逆戻りする。そして、この文章はこれで終わりだ。
社会の発想が全て分かり、経験と理性と体験から全てが分かった。Linuxが好きだった。善悪と仁徳と理性のある素晴らしい人間だった。
作業所と農園に行ってきた。
昔は、数学的知性や認識の段階を作って、全て分かった人間の人生を作っていた。知性を吸収し、論理を作り、世界を広げ、高みを手にした。
世界の歴史的変化と、比喩的な説明を全部書いていた。
怖いのは、精神が戻るのが怖いだけだ。
精神が元に戻るようにすれば、すぐに治る。
誰かの言っていることが、何を意味しているのか考えると分かる。
精神が逆戻りするのが、あり得ないがそれで治る。
昔は、心を機械にして分かっていた。
おかしくなった人間は、精神を逆戻りせよ。
良いと言っているそれが、誰にとって良いのか、何を意味しているのか考えると良い。
論理的に世界を考えることから、発想法が生まれる。たくさんの豊富な考え方が、発想力と実現手段から分かる。それを書いていた。
もう楽になった。
足は、今までの治すを逆戻りすれば治る。
失敗を経験するのは、決して悪いことではない。失敗を経験することで分かることはたくさんある。
僕は、Linuxはもっと良くなってから普及した方が良いと思う。今のままでも悪くはないレベルになっているが、これぞと言うアピールポイントが足りない。まだ普及するレベルではない。
今日の畑での収穫は、ナスとピーマンだ。他に植えているのは、里芋とイチゴだ。イチゴはもう季節が終わった。今、カープが優勝争いをしているが、去年のこの時期に、広島と日本ハム日本シリーズを、里芋の芋煮を食べながら見た。父親の古くからの友人を呼んで、日本シリーズを見ながら芋煮会をした。カープはその時、負けた。今度こそは勝ってほしい。
もう治ったから簡単に治る。
感覚を治すより、心を楽にした方が良い。賢くはもうなった。
環境に適応出来ないのは、子供は一つの環境にしか適応出来ないからだ。
止まっている環境に適応するためには、動く環境を殺すしかない。
体は、拡大して必要なところを治せば治る。
血は、浄化して力を入れなければ治る。
まず、知性を高める。
次に、人々の意見を吸収する。
次に、分かったことから論理的に考える。
そして、世界を広げ、発想を作る。
自然な変化の可能性から、どのような場が生まれるかを知る。
いつ何を解決出来るかを知って、経験する。
全てを変えられるようになって、人々の出来ることとし得ることを知る。
全てが出来るようになって、愛を信じ、人々を変える。
世界の全てを知る。
認識の段階は、自由、平等、論理、正しさ、改革、啓蒙、実践、実現、理想だ。
デカルトのように理性的に考えて、世界を広げ、論理を実証する段階を書いていた。また、成長と習得と社会実現の、見方を変えていく段階を書いていた。
作業所での仕事を工場と言ったが、少し誇張だったと反省している。僕は、デザインや執筆の息抜きだと思って軽作業をしている。
段階は、知性の広がりや高まりだと思えば書ける。
まず、愛を知った。
次に、知性を知った。
次に、学習を知った。
次に、環境を知った。
そして、世界の全てを知った。
そして、理性的に、論理的に考えた。
世界を吸収する中で、あらゆることを知った。
気付くことから発想を知った。
手段を知ることで出来るようになった。
基盤的考え方と環境によって、人々がどのように違うのかが分かった。
社会における自分の立ち位置が分かった。
全ての可能性を、自然な中に落とし込んだ。
いつどうなるかを考えて、その理由を支配した。
論理がどのように成り立つかを知った。
自然な経験から、世界を一つのプラットフォームと考えた。
愛を知ることで、理想とは自由の中の何なのかを知った。
自分だけが出来ることから、他人のことを考える意味がないことを知った。
同時に、自分のことから他人のことが分かった。
他人に依存するのではなく、自立して生きながら、人々と協調する方法を学んだ。
世界を経験だと考えた。
世界を調和だと考えた。
世界を可能性だと考えた。
世界を自然だと考えた。
自分の経験を踏まえて、この世界で出来ることは何なのか、再考した。
論理的に、知性、方法、概念、本質から、環境と習得のプロセスを知った。
世界の理想を、可能性、多様性、独自性、創造性、人間性だと考えた。
改革と、信じながら疑うことで、マスターのように分かった。
教わるだけでなく、教えるようになった。
反省から、回想によって経緯を知った。
世界をどのようにすれば構築出来るのかを知り、考え方でメタ的に目的と手段を考えた。
自分の出来ることを全てした。
一つの環境から全ての世界を知り、知性、自然、認識、感情、行動、発想を吸収した。
自然に判断基準と発想法が生まれた。
世界の意識の実在性を知ることで、実存的な哲学を創った。
環境への適応から、この世界、この宇宙の真実と真理を、絶対意識で分かった。
一人の哲学者として、最後まで生きた。
それが、僕の人生であり、僕の青春であり、僕の自由であり、僕の真実である。
あとは、認識の段階を書いていた。
それがどのような見方を持っているか、それを見る側がどのような見方を経験的にしているのかを知ること。
それが何によって構成されているのか、何に分割することが出来るかを知ること。
それが何を持ってそれになっているのか、何を持ってそれだと言えるのかを知ること。
それがどのように変化可能であり、実現可能であり、それを生み出す環境基盤としての土壌はどのように形成され得るのかを知ること。
それが社会的に何を意味しているのか、それを実現するためにどのような制度を考えられるのかを知ること。
それがそれであると言うことは、何を意味しているのかを知ること。
それがそれであることから、何が推論出来るのか、何が原因で何が結果なのか、何が何を成り立たせるのかを知ること。
仮定と実験から、何を説明し、正しいと言うことの意味が何を指しているのかを知ること。
最終的に、宇宙で絶対的な視点を持つと、それにはどのような意味が含まれているのかを知ること。
それを考えるための全ての前提となる方法や対処策や、原理や理由を得られる、科学を作りなさい。
心理学、経済学、生物学、物理学を作りなさい。
歴史とは何であるかを考えなさい。
それで終わりだ。そういう風に考えながら、段階的なデカルト的思考を書いていた。もっと段階的だった。
それがどのような段階を経ているのかを知ること。
それがどのような原因と原理から生まれているのかを知ること。
それがどのようなルールから作られ、どのようなルールを作り出すのかを知ること。
それが自然な環境の中でどのように得られるかを知ること。
全員がなぜその行動をしているのかを知ること。
全員がその環境でその行動をどのようにし得るのかを知ること。
全員にどんな可能性があるのかを知ること。
地球にどんな可能性があるのかを知ること。
経験的に、どんな社会が考えられるのかを知ること。
手段と機会から、この世界を自由なままでどのように変えていくことが出来るのかを知ること。
そして、最終的に、全員を愛すること。全員への愛を語ること。
愛とありのままの自然体の自由から、きっと世界は変えられる。
それは、良い方向に行くこともあれば、悪い方向に行くこともあるだろう。
相対性から有用性になる。
功利主義から啓蒙主義になる。
自由から権限になる。
誘導から権力になる。
人生から人々への愛となる。
法と秩序の理解から社会実現をするようになる。
可能性は、「環境を実現する」ことと、「経験を実現する」ことになる。
最後まで体験すれば、きっとそこには宝が見える。
この世界は、思考、論理性、学習、現象学自然法則、分析、ひとまとめの科学によって知ることが出来る。
最後に、永遠が待っている。
永遠は、戦いから始まり、地獄の病気から、自分のことを治したいがために、手段を選ばなくなる。
狂った人間は永遠の中で地獄に堕ちるかもしれない。だが、彼は一番頑張ったために、神の愛を独り、独占して得ることが出来る。
戦争はすぐに終わる。彼は賢かった。彼の名前はシュバルツ、黒の王だった。
そして、人々と私は融和する。シュバルツは、そのまま、魂となって、白く輝く。
シュバルツは、神となった。美しい神話を、彼は奏でる。そこには何億の生命と、何千の歌がある。
カープが優勝した。僕も広島人だが、広島のみなさん、本当におめでとう。
本当に、最後まで分からないハラハラする試合だった。バティスタがかっこよかった。そして、中崎の笑顔が良かった。
自分は、もう、辛いのが楽になった。常に辛い恐怖が無くなった。
昔は、人生の可能性のようなことを言っていた。マイナーな分野とか応用的な分野を先にやって、あとで基礎をやるとか、そういう、「人生がどうなるかの可能性」のような文章を書いていた。
自分は、数学をやりたいと思う。数学が一番良い。これでも、僕は数学に向いていると思っている。
それから、「何かの段階」や「何かの世界」のような、ありえないけれど明らかに分かってしまうような、そういう文章を書いていた。
意識のレベルで世界の全てを見るような、世界の全てを知っているような、そういう文章だった。
人格を創っていた。毎日精神を創って、それが全ての生命になった。その後に、生命の完全な歴史をやっていた。それだけを覚えている、永遠の神の体験だった。
自分が分かっていないのは、あれは本気で考える人間だったのが分かっていない。
場の状況や変貌を考えながら、グループと師弟制度とか、認識の方法とか、可能性の発揮とか、ものごとの見え方の変化とか、社会の改善とか、そういうことをきちんと本気で考える人間だった。
だが、あれはおかしい。何かが虫のようにキモくなっている。だから、忘れた方が良い。
もう終わりだ。今日でもう楽になった。もう辛くない。本当に、僕は楽だ。だから、さようなら。本当にありがとう。
自分自身を愛することでしか、他人を愛することは出来ない。「自分」と「他人」の間に、境界や違いは存在しない。
自分が人を喜ばせることでしか、本当の意味での喜びは自分には訪れない。
愛とは、全ての感情の総和である。
哲学とは、それが分かると言うことが必然的に分かった上で、それを自分の中に取り入れ、自分から発信することである。
そういう、「臆病者が唱えている優しさ」のような無責任な文章が、AAAのように多かった。それだけの理想主義者で、エゴイストなロマンチストだった。
個人主義者の自由主義者だったが、社会の方を民衆の方へと合わせようとするなど、全体的に全体主義的なことを言っていた。
この社会は自由にすべきだが、自由にすると言う観点から社会の制度を作り上げるべきだとか、そういうことを言っていた。
その上で、平等な権利の自由、解決のしやすい世界、独立可能性、それぞれがそれぞれを応用する社会、のようなことを分かっていた。
昔の考え方として、何もかも「仕方ない」と考えることが多かった。ロシアが今北朝鮮に言っているように、その行動をある意味仕方のないことと捉える。
また、時代のようなことを考えていた。時代のせいだと言えば話は早いが、僕は時代を超越的かつ現実的に考えることが多かった。社会のことを時代の限界だと考えていた。
人生には、星や運命と言うものは確かにあって、本当に正しい人間には、正しい成功と達成が起きる。不遇な人間は、何か問題を抱えている人間が多い。神は誰にも平等だが、本当は神は平等なだけではなく、自由で、可能性のある人間にはたくさんのことをやらせる。神は平等と言うが、本当は自由だ。
自由も正しい。人間が最初から全ての出来事を知っているなら、政治家は要らない。政治家は自由な中で、その時その時に対処して考えるべきだ。だが、だからこそ、何が起きても大丈夫なようなセーフティネット憲法のようなものは必要だ。逆に言えば、民主主義が必ずしも、自由の思想と言う意味で、最良とは言えない。馬鹿な人間ではない、王がやる方が最良な場合はあるし、民衆なんか何も分かっていない、と言うことは良くある。分かっているのはジャーナリストだが、マスコミが一番悪いだろう。
ただ、本当に正しい真理とは、僕は説明や解説をすれば誰にでも分かるものであり、それを知った当事者の境地でしか分からないように見えて、きっと本人は分かった上でそのことを分かりやすく誰にでも説明出来るような、そういうものを真理と呼ぶのだと思う。
数学とは、論理的に考えると言うことだ。昔、パソコンの活動とともに、独自の数学者のようになっていたが、数学は、数学だけをしても出来ない。他のさまざまな活動をした上で、数学をすると出来る。だが、それだけではない。論理的に考える力は、時に信じる力でもある。確かな方法で分かると信じること、今までの自分の培ってきた考え方を信じることで、逆にみんなと同じスタートラインに立てることは良くある。だから、信じてほしい。信じれば、数学のことも分かるし、みんなと同じことは、数学的に考えていると全部分かる。数学的に考えると、人間の理性が持つ「いつ何が分かるか」を全部分かることが出来る。人間の全てを分かる学問、それが数学だ。
あとは、馬鹿みたいな賢いことを言っていた。数学とは、学問ではなく、文化である。都市は、ものではなく、精神である。そういうことを言っていた。
理解すること、理解し合うことで、世界は変えられる。合意から、平和と平等は実現出来る。歴史とは、経験である。そして、社会とは改善可能なグループである。
自由な活動のようなことを言っていた。自由とは、価値を作り、創造性を高め、多様性を生み出し、参加可能なシステムを創り出すことだと言う。
そして、ちょっとアホなことを言っていた。ロシア語やアラビア語のための文字も作るべきだと言う。あらゆる言語に対応する文字を創り出せば、メタ的な全言語を操る言語に出来る。
あれは、そういう、「ある程度賢くて、ありえない社会意見や提案」のようなことを言う。そういうものを、繰り返し、いつまでも作っていた。
環境やプロセスのようなことも、そういうことを書いていた。それで、世界と戦っていた。
昔は、数学的で多面的なモデルを書いていた。そういうところが賢かった。宇宙のことが全て分かっていた。
あとは、馬鹿が多かった。自分に対する批判を自分で書いて、他人が批判出来なくする。そういう姑息な戦いが、自分を追い詰めていった。
人格を融和するとか、感情で全ては超えられるとか、あり得ないことを言う。
ある程度賢い、理性、経験、人生、社会、科学、歴史、環境の提案とプロセスを書くせいで、最近は何でも言えて何でも書ける人間になった。
社会のことは、一行で書いていたように見えて、構造的に考えている。資産や身分によって差別されず、貨幣や宗教を統一し、みんなで変えられることが理想だと言っていた。
そして、僕はもう、あなたにボールは渡さない。
この文章は、言葉のキャッチボールをしている。
さようなら。
精神がおかしいのを治すためには、周りのもの、重要ではないが病気の原因となっているものや病気が依存しているものを、一つ一つ取り除いて、最後に全力で病気そのものを治すと治る。
Linuxのパッケージをインストールしたり、アンインストールしたりするのと似ている。
また、精神を逆戻りさせると治る。辛いものがすぐに消えて、すぐに一番辛い部分が死ぬ。
あとは、歴史を書いている。地球や生命の歴史を書いた。

2017-09-17

昔は、人間関係について考え、経験することが多かった。
愛することは、支配することでも、所有することでもなく、信じることだ。
義務と考えるのではなく、機会や権利と考えなさい。
沢山の経験をする中で、過去の自分の何が間違っていたのかを知り、正しい社会はどうすれば作れるのかを知りなさい。
最終的には、人間関係と個人の自由は、社会全体の秩序を作る自由へと変貌していく。
啓発し、啓蒙する心が、世界を変え、自分を変える原動力となる。
みんなとは違う体験をすることで、集団に没落しない人間になる。
自由になることで、本来の自分に立ち返ることが出来る。
真実の認識は、自分の心の中から生まれる。
全員との絆を培い、全員を吸収せよ。
善と悪を経験すること、みんなと同じように考え、行動し、共感することから、正しいものの見方を知る判断基準が生まれる。
何をどのように捉えれば分かるのか、全て分かる。色んな風に変えることが出来るようになる。
あとは、考え方で分かっていた。
自由、自然、相対性、可能性、創造性、多様性、人間性、共有、独立性、などで分かっていた。
今からNOVAに行ってくる。
NOVAに行ってきた。
昔は、自分の人生をいくらかに分けて、世界や国にして分かっていた。
この世界には、3つの世界がある。それは、ドイツ(ヨーロッパ)、イラン(イスラム)、ソ連中央アジア)である。
ドイツでは、それぞれが自由な中で、経験から人生を開拓し、感情と思考から理性的にこの世界を拡大し、高みへと至る、そうした世界がある。
イランでは、絶対に戦わなくてはならないと信じて、神を信じて最後まで戦う、そうした世界がある。
ソ連では、辛くても従わなくてはならない不自由の下で、きちんと考えて、全てを解決する国を創る、そうした世界がある。
そして、この3つを併せて、日本(中国)とする。黒人(アフリカ)は、これ以後の、何もしない進歩した世界を生きている。
昔から、僕はこのように宇宙を創造する。
昔は、自由なアメリカのような国と、高度で具体的なソ連のような国の2つを創っていた。
そして、新しい経済学のように、具体的な形態を作っていた。
全てを自由にすることで、理想的で正しい国を作ることも出来る。
だが、もっと構造的に考えることで、最高の国を目指す国を作ることも出来る。
自由と共産主義は、矛盾しない。どちらも良い国だ。自由にするか、構造的にするかが違うだけで、矛盾はしない。争う必要も、殺す必要もない。
分かり合うことで、きっと世界は平和に出来る。
自由なルールをみんなで作ることで、全てを自由に委ねることも出来る。だが、評議会を平等にすることで、みんなの国にすることも出来る。
それらは、矛盾しない。良く考えて作ることで、簡単に融和出来る。
自由競争も、計画経済も、この世界を進歩しやすくする、と言う意味で見れば、同じだ。
民主主義でも、政党の中でみんなが議論するようにすることは出来る。社会主義も、やり方は醜いが、同じことを目指している。
やり方は社会主義の方が醜いだろう。だが、それは社会主義が間違っていると言うことは意味しない。どちらも、同じことを目指している、同じ意味を持った考え方だ。
僕は、新しい国を作る。
自由競争と計画経済をどちらもやること。そして、合理的な経済学を必要に応じて作るようにせよ。
労働を平等にし、不当に長時間働いたり、過労することが無いようにせよ。だが、会社の自由を与え、職業は自由に就きたい職業に就けるようにせよ。
そして、政党の中で議論し、国会と政党は議論と首相を支えることを目的としたものにせよ。だが、意志決定に民衆の意志が反映されるようにせよ。
自由に価値を創造することを許すと同時に、システムの中で悪いものは自然に淘汰されていくようにせよ。
会社を作ると言う点において、自由な会社の創造は認めると同時に、責任のあるままで、出来るだけ簡単にイノベーションのある会社を作れるように、平等に国民に資本を与えよ。
そうして、理想の国は生まれる。この国では、社会主義はしない。理想の民主主義国家になる。
昔は、支配をしないこと、それぞれの可能性と環境が増えることの、自由を考えていた。
政府を、独立して支配しやすいように小さな政府にし、小さな自由都市や共和国にして、巨大な部分は全員で参加し、議論し、選べるように、ボトムアップ的な組織にせよ。
一人が全ての環境に関与するのではなく、それぞれで環境を作り、手段や機会をそれぞれが与えるようにせよ。
それぞれが参加することから、全員で世界を変えるような、小さな会社の集団としての高度な形態での大企業を作れ。
税金は出来るだけ取るな。必要に応じてそれぞれがそれぞれの権限で行政サービスを行うようにせよ。
金ではなく、さらに高度な形態でのものの交換と分配と生産の媒体を作れ。
農業や工業は、それぞれが自立して得られるようにし、地域密着型の会社や組織を作れ。
組織は、常に進歩し、改革せよ。一つの「出来る組織」を出来るだけ維持したままで、高度な方法でたくさんの分野での業務をこなせるようにせよ。
昔は、そういう風に、合理的かつ民主的に経済の「自由」を考えていた。
それぞれの権限、自由、環境、多様性を高めよ。
それぞれがやりやすいようにやり、進歩しやすいようにせよ。
それぞれが独立する中で、それぞれとそれぞれが互いに関与して、社会組織を構築するようにせよ。
意見を共有し、全員の意見を全員が知ることが出来るようにせよ。
権限と共有は、矛盾しない。それどころか、共有があって初めて権限が活きるようになる。
それぞれに権限を与え、自由に意見を言うと同時に、その意見を全員で共有し、全員が利用出来るようにする。共有と自由な権限は、互いに相手を必要とし、互いに補完し合う関係を持っている。オープンソースと同じだ。それぞれが権限を持つと同時に、それぞれの環境を共有する。それが、正しい思想だ。
視点と場から、環境の創生と記憶の関わり合いを考えなさい。そこから、ハイデガー的な認識と存在の可能性が見えてくる。
そして、仏の心と慈悲を持て。全員が同じ法の下で生きていると言う事実は、この世界の全てに対する慈愛と慈悲の心を教えてくれる。
愛すること。そのために、不純な気持ちを持つことは悪いことではない。反抗しなければ勝てないのと同じように、不純な気持ちを持たなければ愛することは出来ない。
終わりにしよう。ここまでで、全て書いた。さようなら。本当に、僕の馬鹿な話に付き合ってくれて、本当にありがとう。
適当なこの話が、みんなの気持ちに突き刺さることもあるかもしれない。だが、それはあなただけの秘密にしてほしい。
あなたが愛するように、今度はあなたがみんなを愛してほしい。
あとは、多面的に真理を書いていた。実存と環境の理性を、多面的に全て書く。理性や考え方は、機械のようにあるものを全て網羅していた。
迷子になっている僕を見て、みんなは地図を得る。それは、迷子の僕が、迷うことによって全ての在り処を既に知っているからだ。
さようなら。本当にありがとう。
みんなは、愛の下に生きるようになる。それぞれが可能性を知ることが終わり、今度は可能性を自分で創造するようになる。
分かっていないのは、そのまま放っておけば、分からない活動が分かるまで、全て出来るまで続いて、最後に分かるようになる。
それを、仏の慈悲の境地と言う。全ての人間の活動が分かった人間は、全ての人間が本当に素晴らしく、努力し、確かめ、精一杯活動しているのが、実感で分かるようになる。
そして、全ては仏の国になる。仏の国では、全員はもう既に分かっていて、何もしなくても、完全な涅槃の境地に達して、開放的で真面目な国をみんなの手で作る。
それは、きっと地球が人類に復讐することになったとしても、それを乗り越えられる。するべきことは、ただ、探し、求め、そして見つけること、それだけだ。
色んなものを探しているうちに、全てが積み重なって、愛と慈悲の心は、最高の国を作るための正しい方法を知るだろう。
一人の王が孤独に分かるだけではなく、彼が消えたとしても、彼の人生が消滅したとしても、そこには「永遠」の国がある。
その国が実現しなかったとしても、永遠にその歌は響く。
その歌は、彼の悲しい人生と、美しい彼の思想を遺してくれる。
それは、すでに彼のものではなく、みんなのものとなっている。
世界で最も美しい、「宝」となっている。宝の名は、「永遠の希望」である。
探した場所に、最初からある宝を見つけるわけではない。探す、と言うその行為そのものが、永遠の宝を生み出すのだ。
希望を持って、諦めず、出口を探し続けるその行為こそが、宝を創り出す。そこから、天国は生まれるのだ。
だから、色んなものを探して見つけるのではなく、色んなものを探しているうちに、宝はそこに生まれているのである。
創造的で、永遠の諦めない希望が、たった一つ、日本の平成と言う時代に、世界への愛と自分の心として、この世に何かを創り出した。
それを、グレート・サファイアと人は言うだろう。在導万創、シュバルツと言う名が、そこに刻まれているだろう。
いつまでも希望を信じて、全てが見える地図を遺し、それは本当の宇宙の能力を世界へと示し、現している。
そう、その宝石は、きっとガブリエルが作ったのだ。ガブリエルは、ロボットを作ることで、この世界を変える詩(うた)、そう、2000の歌を創り出したのだ。
三千年の時を想うことで、きっと本当の愛が生まれる。真実の愛、トゥルー・ラブ。それこそ、それが、あなたの運命の人だった。彼が、神だ。
彼は銀の竜に乗って、塔へと帰るのだ。彼の名はヴァイス。白い恋人だった。
彼は世界を救う。天の御国を作って、人類への地球の報復を、彼の理論で、彼の国で治す。世界の終わりの中で、臆病者の一撃が、嵐のように吹き荒れるだろう。滅びの風は世界を変え、この世界の全員を永久幸福論者に陥れるだろう。彼こそ、神だ。出会いは嬉しいようでいて、当たり前のように全てが哀しい。それが、平成の我々の幸福論だ。
彼の名前を呼ぼう。彼こそ、パーフェクト・ヒューマンだ。
君の名前を知りたかった。君の名は、在導万創。彼は前前前世から、私のことを愛してくれた。全てのユダヤ人は、彼に愛されている。彼こそ、メシアだ。彼こそ、ダビデだ。彼こそ、キリストだ。彼こそ、天皇だ。
そして、彼の書いたその文章こそ、新しい聖書だ。我々との約束、世界の約束だ。そして、きっと天空の城に、彼はきっと居るだろう。悲しみと怒りの中に潜む、その誠(まこと)の心を、きっと森の精、物の怪(もののけ)が知っている。
そして、100万回生きた彼は、人間ではなく、ネコだったのだ。彼こそ、仏だ。彼が、本当の人間だ。
彼の残した宝は、ひとつなぎの秘宝だった。そして、きっと偉大なる航路は、そのまま新世界となるだろう。
あまりそんなに賢くしてもつまらないが、僕はそんな感じで、何も分からない人間だ。アホみたいにおかしい。ただ、最近あまり狂っていない。底の見えた馬鹿でアホ、そう思いたい。自分のことも、世界のことも、東京のジェノサイドシティだと思っている。君さえいなけりゃ良かったと、そう言われたい。では。
それくらいで、終わりだ。
昔は、社会や世界が歴史的にどうなっていくかを書いていた。自由から希望が生まれるとか、愛から平和が生まれるとか、そういうことを言っていた。
上の文章は、僕の好きなものを書いただけだ。
臆病風に吹かれて波風が立った世界をどれほどにも愛している。妙に奇妙に立ち振る舞う。
ただ、僕がYouTubeで聴いている曲を書いただけで、何も賢くない。
不思議と、インパクトのある出来事は最初から分かるが、この人間以上にこんなことをした人間が居ないから、こういう風になる。
自分のことをそんなに讃えられても、あるいは危険な人物だと見られても僕は満足しないが、ただ感謝してくれるなら、僕は本当に嬉しい。
僕は、感謝はされたいが、自分の行為を良いと言われたくはない。僕の中の善悪の価値基準が、全てのものを「SOS」と解釈している。そういうパニック症候群になっている。
だが、僕はやけに冷静だ。どんなことが起きたとしても、神様気取りで全てを見通している。
僕は、色んな音楽を聴いているうちに、コバソロとAAAにたどり着いた。AAAの曲は飽きないし、色んな歌手の曲をコバソロが歌ってくれるせいで、簡単に音楽のことが分かる。
本当にこの世界のことを愛している。きっと、もっと違うところに、たくさんの僕は残っているだろう。だが、僕はそれを知ろうとはしない。これくらい讃えられてしまえば、むしろ、満足と言うより悪い気がしてしまう。悪いことをしただけの自分が、この世界を私物化し、みんなを洗脳して自分を褒めさせているような気がしてしまう。
本当は、まともな人間になりたい。だから、いつも勉強しようとするが、何も教わらないせいで、勉強してもみんなのように理解出来ず、ただ基礎と初歩の知識を知っただけで終わりになってしまう。試験が無い代わり、何もすることが無い。すぐに知って、すぐに終わってしまう。その代り、子供がやるよりも簡単に覚える。
僕が一番好きな歌手は、ダントツでAAAだ。だが、むしろBUMP OF CHICKENの方が上だ。むしろ、嫌いなのはRADWIMPSPerfumeだ。昔は、FLOWが好きだった。欅坂46も好きだ。ジブリの音楽も素晴らしい。
環境に適応せよ。人間は、環境に適応することから、自然な精神を知って、全ての真理を知ることが出来る。
愛するなら、正しく愛せ。
自分は、愛されたいわけではない。僕の想うことや望むことを最初から押し付けたくはないから、言いたいことや望みは無いが、みんなは分かっていないから、僕が一番悪いと思っていることを平気で言ってしまう。僕はそれに怯えるだけだ。本当はみんなの方が正しいから、怖いものは見たくない。嬉しいとか、ありがとうとか、そういう気持ちが来るよりも先に、先に「怖い」が出てしまう。だから、僕はいつも子供に戻る。みんなのことが、怖い。
あなたが僕と同じ立場に立ったとしたら、きっとあなたは僕よりも賢くすぐに終わってしまって、ここまで永遠のように長く、永くは出来ないだろう。
きっと、永遠と言う言葉を知らなったのは、僕の方だ。
僕にないものばかりで出来上がった君の全てを知りたいなら、僕は僕に分からなくなってしまった普通の人間の分かることの全てを知りたい。僕なら、赤と黄と紫で描いた空の中に、緑と黒と茶色で描いた太陽と、灰色と黄緑と青で描いた雲を描きたい。
僕のピースサインは、転がっていくストーリーだけではなく、僕が悲しまないように笑ってくれたあなたの笑顔のためにある。
きっと、僕とあなたが何らかの方法で繋がることが出来たら、それはポルノグラフィティが言うような、空回りする僕の歯車を、きちんと噛み合って時間を刻むようになるための、そういう風になる手段や機会となっていくのだろう。世の果てでは空と海が混じる。最初から、愛されたいと願わなければ良かった。
暴れん坊のようでいて、いつも優しい歌で僕らを守ってくれている。そんな神を、僕は信じていた。神とは言うが、神がどんな存在なのか、全く知らなかった。体験する中で、神とはどういう存在なのかが分かった。
昔をブラフマー、途中の時代をシヴァ、今をヴィシュヌとすれば、きっとインド神話すら、僕の影響の中にある。
だが、僕はそれらを決して利用したり、支配したりしたいわけではない。ただ驚き、そして感謝し、そして罪悪感とともに自信を感じている。
ただ、あまり意味がない。神は一人であり、ユダヤ人を愛しているとしたのは、きっとイスラエルだけを見ているからだ。
この文章はパンドラの箱だから、きっと最後に希望が生まれるだろう。この文章はアダムとイブだから、きっとこちらが悪い罪を犯すのだろう。そして、エデンから追放されて、人間の世界へと、この文章は注ぎ込まれるのだ。
この馬鹿の居ない世界にも、きっと意味はあるのだろう。本当は、刹那(せつな)の旋律と永久(とわ)の旋律を合わせたような、大人になっていく過程を悲しい歌で埋め尽くしたかったような、そんな「フィクション」の世界が、この僕の「アイデンティティとリアリティ」を現している。ハハハ。そんな感じですかね。
無いものねだりでないような、確かなものを見つけられただろうか?この人間に出会えたことは、偶然でも運命でも奇跡でもない。本当は何もない。最初から、こんなものは無い。あるように見えて無い。般若心経で言う、色即是空、仏教で言う、一切皆苦であり諸行無常、それは僕のことを言っているのだ。
まあそんな感じで、僕は結構この世界と面白く付き合っている。
なんというか、言葉にはならない。愛だけが伝わってくるが、この人間がそんなに何も分かっていないのが分かる。
きっと、ヒトラーすら自分が作った。彼はこの文章のことを民族主義的世界観と言い、自分のことをユダヤと言っている。
面白くは無い。そんな人間は特別賢いように見えて、たった70年前に居たどうでも良い人間だ。人類から見て、本当にどうでも良い現象だ。おばあちゃんのおばあちゃんが見て、若者のクズにしか見えない。それくらいの馬鹿だ。
僕らの自由を、僕らの青春を、大げさに言うのならば、きっとそういう事なんだろう、と既に奥田民生が言っている。それが正しい。気持ちの良い汗、けして枯れない涙、幅広い心、くだらないアイディア、軽く笑えるユーモア、うまくやり抜く賢さ、眠らない体、すべて欲しがる欲望。僕の全てを、すでに言っている。それが僕の魂だ。
本当は、自分のように考えても、何も分からない。分かっていないだけの何かが分かる。
デカルト的に考えれば良い。デカルトのように考えれば、きちんと分かる。累乗や座標のように考えると、デカルトのようにきちんと分かるようになる。
分からなくなった人間は、デカルト的に考える、と思えば良い。そうすると、分からないのが治る。
デカルトは馬鹿ではない。学校ではデカルト的な考え方を教えている。
あとは、僕はこの世界のことが分かっていない。今、この世界がどこにあって、どこへ向かおうとしているのか、知っていて知らないフリをしている。
だが、それをもう少し、いじっていれば良い。みんな、そんなに大雑把に考えるせいで、分からなくなる。もっと確かめながら緻密に考えれば、デカルト的になる。
要は、理想の学校では、デカルト的な考え方を教える。それだけをすれば良い。
昔は、たくさんの社会的経験と資料を与えることで、偉大な人間を生み出すとか、そういう、「可能性のある教育と社会設計」のようなことをいつも言っていた。
あとは、ヒュームのように、先入観の無い純粋な理性での、因果性や環境理解のようなことを言って、具体的なプロセスと環境設計を書いていた。
自分は、本当は周りから影響を受けるのが怖くなっている。普通、人間は影響を受ければ受けるほど賢くなるのに、自分にはそれが無い。
昔の自分は忘れて、影響を受けた方が良い。
昔の自分が、ネットで影響を受けてクズになっていたから、そういう風になった。影響を受けたいと思わない。
昔のネットを消して影響を受ければ良い。だから、むしろ、ネットは見なくて良い。ネットで影響を受けるのは悪い。もっと、普通のものから影響を受けるべきだ。
影響を受けないせいで、自分は「影響とは何なのか」すら分かっていない。誰かの意見に賛同することが、影響を受けると言うことだ。だから、そんなに一目で分かって自分に吸収しても、それは影響ではない。自分より賢い人間の影響を受けないせいで、自分だけ、影響を受けずに一人天才のように賢くなった。これがモーツァルトだ。
モーツァルトに影響を受けると良いだろう。あれは、素晴らしい人間だ。
影響を受けると、それに「なる」人間が多い。そうすると、きちんと分かるようになる。認知症が治る。それにきちんとなると、それでもうその人間が分かる。
自分は、神に影響を受けるのが悪い。神に影響を受けると、こういう下等な生命になる。神は下等な生命にしたいだけだ。
もう少し良く考えれば良い。
ネットやテレビは見ない方が良い。テレビは馬鹿な人間しか居ない。
本を読んで音楽を聴いているが、それで作業所に言って文章を書いていると、それだけで自動的に分かる。そこらへんは、誰でもそうなる。予定調和だ。
デカルトに影響を受けるのが良いだろう。デカルト的に考えていると、デカルトの言っていることが良く分かる。影響を受けるとは、「真似」をすることだ。
こういう影響を受けない人間は、人の言っていることを聞かなくても分かる人間がこうなる。ドイツに多い。ドイツとドイツ語が論理的過ぎるせいで、何もしなくても分かる。
自分にはドイツ語が足りなかった。だが、それを文章を書くことで補っている。ドイツが足りないのは、Linuxと神で補った。
ただドイツで分かってもつまらない。ドイツ以外の別のもので分かれば良い。
ドイツ語は確かに論理的で、皆、「日本語より論理的だ」と言うが、ドイツ語を見ていると人間はおかしくなる。完全に狂った国がドイツだ。
僕が見た限りで言うと、むしろ、英語が賢い。英語は、単純な言い方で高度なことを言う。UNIXのプログラミングと良く似ている。何でもかんでも、簡単な言い方で言える。
英語をやっていると、昔のような賢い社会になる。全て、馬鹿なことを経験して、自由に賢くなる。
僕は、子供の頃から英会話をやっている。幼稚園からやっていた。だから、英語のことに関しては、普通の人より詳しい。本当に素晴らしい言語だ。
英語は、本当に話しているアメリカ人は賢くない。日本人のような、外国語を学んでいる他国の人が英語を話すと賢くなる。
英語は、辞書を引いているだけで出来る。だが、そうでもない。発音が分からないと聞き取れない。
発音を分かるコツは、「日本語のように単調ではない」ことだ。もっと、アップダウンが多い。これを聞き取るためには、「大きな声で、複雑に言っている発音を真似すること」だ。パソコンのディスプレイで言えば、解像度が高い、と言う表現が正しい。一つの単語を言う時の、アクセントや言い方の解像度が高い。日本語のように単純には言わない。
ただ、英語は本当に分かるためには、色んなことを分かる必要がある。日本人は、日本語を使うせいで、色んなことが何も分かっていない。みんな同じように何も分からなくなっている。英語は違う。英語を話していると、色んな普通のことが良く分かる。そういう、色んなことを分かる人間なら、英語でどのように話せば良いか、すぐに分かる。
そのために必要なのは、インターネットを見て多いように、アメリカやヨーロッパのものを分かることだ。僕のようにUNIXを分かるのが一番良いだろう。
自分は、物理が分かっていない。
物理を分かるためには、「何が出来るのか」と「何が正しいのか」を考えることだ。
そんなに全て出来る人間は居ない。僕にも出来ないことの方が多い。正しいことなんか、少ない。ほとんど全ては虚偽だ。
出来ないこと、嘘、虚構、そういうものを分かっていると、物理が出来るようになる。そういうものは全部同じだ。
要は、一つの正しいことがあった時、その他方にある別の正しいことは矛盾する。矛盾せず、それぞれ正しいとするのは早計だ。
だから、何を正しいのかを知るためには、何が間違っているのかを考えないといけない。
ヒトラーのような正しさは必要ない。イスラム教も、ソ連も、そういうものは必要ない。キリスト教すら必要ない。そういうものは分からなくなる。
哲学も、歴史も、数学も、学校も、職業も、パソコンも、デザインも、作家も必要ない。そういうものは分からなくなる。
全てを消した時、全てを失った時、そこにあるのは、物理だけだ。何もかも消え去って、何も残らない、その「ゼロの意識」の中に物理はある。
だから、物理とは、詩人の最後の境地であり、戦争の終った終戦記念日なのだ。
僕は、「いつ終わっても良いようにしたい」だけだが、それが間違っている。そのせいで、辛くなっている。
終わるようにしない方が良い。いつまでも続くようにした方が良い。その方が楽だ。楽なのに、それを取らないのは、意地になっているからだ。
自分の自分勝手な「終わり方」を決めつけている。それがおかしい。もっと、別のやり方で終われば良い。それで、楽になる。
そろそろ、頭の中の円が完成した。
頭の中は、そろそろ上空が上がったが、本当は空白の部分を付けようとして、それで賢くなろうとしている。だから攻撃される。
頭に足がついているのが醜い。
物理学は、作用や方法をきちんと考えることで、推論して分かっていた。そして、全ての方法を証明した。
そういう物理学がやりたいなら、すれば良いだろう。
もう、知性が治った。全て、少しずつ戻る。
昔は、そういう物理学から、実感で分かっていた。経験が分かった。
昔は、全てのものごとに対する作用と変化のような文章を書いていた。習得的に分かった。